それが、湊のお節介だった
朝に顔を合わせ、学校で話し、帰れば隣の部屋で一緒に飯を食う
そんな毎日を過ごしているうちに、彩葉が少しずつ無理をしていることにも気づくようになった
けれど、彩葉はいつも笑って言う
「大丈夫」
その言葉の奥に、どんな思いがあるのか
湊はまだ知らなかった
ただ、頑張っている理由くらいは知りたいと思った
そして彩葉には、どんな時でも心を支えてくれる、大切な存在があった
これは、そんな彩葉の「頑張る理由」に、湊が少しずつ触れていく夏の話
第4話 頑張る理由
夏期講習が始まってから、彩葉は少し忙しそうだった
朝は学校へ来て授業を受け、昼休みになれば簡単な昼食を済ませ、放課後になればそのままカフェのアルバイトへ向かう
帰宅するのは遅い
それでも彩葉は、バイトから戻ると机に向かって勉強をする
それがいつもの習慣だった
そして。
少しでも時間ができれば、ヤチヨの配信を見る
好きなものを見て。
笑って。
少しだけ元気になって。
また勉強する
彩葉にとっては、それが当たり前の日常になっていた
*
「おはよう、湊」
「おはよう。……眠そうだな」
「湊もね」
「俺は昨日ちょっと夜更かししただけ」
「何してたの?」
「SETHUNA」
「えっ、誘ってよ」
彩葉が身を乗り出した
「……そこ?」
「そこだよ。昨日やってたの?」
「ああ。ちょっとだけ」
「ちょっとだけって、何時間?」
「二時間くらい」
「それならなおさら誘ってよ。私、昨日はバイトから帰ってきてから勉強してたんだから」
「じゃあ、なおさら寝ろよ」
「それはそれ、これはこれ」
彩葉は不満そうに頬を膨らませた
「私、SETHUNAなら結構自信あるよ。上位帯まで行ってるし」
「知ってる。前にランキング見せてもらった」
「じゃあ誘ってよ」
「いや、彩葉はバイトのあと勉強してるんだろ。疲れてるじゃん」
「ゲームをすれば疲れなんて吹き飛ぶから大丈夫」
「その理屈、ヤチヨの配信と同じくらい危ないぞ」
「何言ってるの。ゲームとヤチヨは、どっちも心の栄養だよ」
「一緒にするなよ」
彩葉は小さく笑って、自分の席に座った
けれど、その笑顔とは裏腹に、目の下には少しだけ疲れが残っている
髪もいつもよりまとまりがなく、机に鞄を置く動作もほんの少しだけ重かった
「……ちゃんと寝た?」
「寝たよ」
「何時に?」
「……二時くらい」
「それ、ちゃんと寝たって言うのか?」
「寝てるじゃん」
「まあ、寝てはいるけど」
「ほら、大丈夫」
「またそれか」
彩葉は楽しそうに笑った
湊もつられて笑ったけれど、その言葉だけはどうしても引っかかった
最近、彩葉は何かあるたびに「大丈夫」と言う
疲れていても。
昼飯が少なくても。
アルバイトから帰って勉強をしていても。
それでも、いつも同じように笑ってそう言う
本人が大丈夫と言っている以上、無理に踏み込むのも違う気がする
それでも。
あの言葉だけが、妙に胸に残っていた
*
昼休み
湊は彩葉の机を見る
「……またパン一個か」
「うん」
「それで足りる?」
「大丈夫」
「はいはい」
「何、その反応」
「もう何言っても大丈夫って返ってくるからな」
「便利な言葉でしょ?」
「便利すぎるんだよ」
彩葉は笑った
湊は自分の弁当を見る
今日は少し多めに作ってきていた
「彩葉」
「ん?」
「これ食う?」
「え?」
「卵焼き」
「いいの?」
「作りすぎた」
「……また?」
「また」
「本当に?」
「本当」
彩葉は少し迷ってから、卵焼きを受け取った
「いただきます」
「どうぞ」
一口食べた彩葉の表情が、ほんの少しだけ柔らかくなる
「美味しい」
「そりゃよかった」
「これ、朝作ったの?」
「そうだけど」
「朝から?」
「普通だろ」
「普通じゃないと思う」
「そうか?」
「うん」
彩葉はもう一口食べた
その様子を見て、湊は何となく安心する
食べること自体が嫌なわけではない
ただ。
食べる時間も余裕もないのかもしれない
「なあ、バイトってそんなに忙しいの?」
「普通だよ」
「普通?」
「うん」
「毎日?」
「だいたい」
「夏休みも?」
「うん」
「休みは?」
「あるよ。週に二日くらい」
「それ、休みあるって言える?」
「言えるよ」
「そうかな」
「そうだよ」
また彩葉は笑う
湊はそれ以上聞かなかった
聞いたところで、きっとまた「大丈夫」と言う
それなら今は、少しでも食べてもらえただけでいいと思った
*
昼休みの終わり頃、彩葉がスマートフォンを取り出した
「何見てんの?」
「ヤチヨ」
「月見ヤチヨ?」
「うん」
画面には、昨夜の月見ヤチヨの配信アーカイブが映っていた
彩葉はイヤホンを片方だけ耳に入れ、真剣な顔で画面を見つめている
「昨日の夜も見てなかった?」
「見てたよ」
「寝たの二時?」
「そう」
「……それで朝ちゃんと寝たって言ったの?」
「寝てるよ」
「寝る時間が遅いんだよ」
「でもヤチヨの配信だから」
「理由になってない」
「なるよ」
彩葉は真顔だった
「ヤチヨの配信を見れば栄養が取れるから」
「……は?」
「精神的な栄養」
「今お前が必要としてるのは物理的な栄養だよ」
「でも元気になるよ?」
「それは分かるけど」
彩葉はスマートフォンを胸元に抱えた
普段なら何を言われても少し困ったように笑う彼女が、ヤチヨの話になると途端に表情を変える
「ヤチヨはね、すごいんだよ。歌も上手いし、話も面白いし、どんな時でもみんなを元気にしてくれるし、それに、配信でちょっと疲れてる時もちゃんと見てくれてる感じがするの」
「配信者だからな」
「違う」
彩葉は即座に否定した
「ヤチヨだから」
「……そこまで違う?」
「違うよ。そこを一緒にしちゃ駄目」
その言い方があまりにも真剣だったので、湊は思わず笑ってしまう
「何笑ってるの?」
「いや、彩葉ってそんなにヤチヨ好きだったんだなと思って」
「そんなにって何?」
「いや、毎日見てるとは思わなかった」
「毎日見るよ。配信がある日は絶対見る」
「絶対?」
「絶対」
「バイト終わりでも?」
「見る」
「勉強が残ってても?」
「見る」
「眠くても?」
「見る」
「体調悪くても?」
「見る」
「そこは寝ろよ」
「ヤチヨの配信を見たら元気になるから大丈夫」
「またそれか」
「だって本当だもん」
彩葉は胸を張った
「ヤチヨは心の栄養だから」
「それは分かった。でも心の栄養と飯は別だろ」
「……まあ、それはそうだけど」
「認めるのかよ」
「でも、ヤチヨを見て元気になれるなら、それはちゃんと栄養だと思う」
彩葉は本気だった
冗談で言っているわけではない
ヤチヨの配信を見ることで気持ちが軽くなり、勉強やバイトをもう少し頑張ろうと思える
それが彩葉にとっては、本当に「栄養」なのだろう
「昨日の配信だって、最後のところがすごく良くて」
「どこ?」
「それは見れば分かる」
「説明してくれよ」
「言葉じゃ伝わらないから」
「じゃあ見せてくれ」
「見る?」
「ああ」
彩葉の顔がぱっと明るくなる
「本当に?」
「おう」
「じゃあ今日、一緒に見よう」
「そんなに見てほしいのか?」
「見てほしい」
彩葉は即答した
「湊にもヤチヨの良さを知ってほしい」
「分かった分かった」
「絶対だからね」
「はいはい」
「約束」
「……約束」
彩葉は満足そうに頷いた
そして、またスマートフォンの画面に視線を戻す
「……やっぱりヤチヨ、かわいい」
「今も見てるの?」
「見てる」
「授業始まるぞ」
「あと三十秒」
「秒数で区切るなよ」
「三十秒は大事だから」
「何が?」
「ヤチヨだから」
「答えになってない」
彩葉が楽しそうに笑った
普段は落ち着いていて、何を言われても一歩引いて受け止めるような彼女が、ヤチヨのことになると子供みたいに嬉しそうになる
そのギャップが少し面白くて、湊もつられて笑った
けれど、それだけではなかった
疲れていることも。
アルバイトのことも。
勉強のことも。
ほんの少しの間だけ忘れているように見えた
ヤチヨを見ている時だけ、彩葉は肩の力を抜いている
湊は、それならそれでいいと思った
少なくとも、彩葉が笑える時間なら、それはきっと大切なものなのだろう
*
その日の午後、授業が終わる少し前だった
教師が黒板に文字を書いている中、湊は何となく隣を見る
彩葉はいつも通りノートを取っていた
けれど、しばらくするとペンを持つ手が止まり、小さく息を吐いて机に手をついた
「彩葉?」
「……ん?」
「大丈夫?」
「うん」
反射みたいに返ってきた
まただ
また「大丈夫」
けれど、今度は笑っていなかった
「顔色悪いぞ」
「ちょっと暑いだけ」
「保健室行く?」
「大丈夫だから」
「いや」
「本当に大丈夫」
彩葉はそう言って立ち上がろうとした
その瞬間、身体が少し揺れた
「おっと」
湊が咄嗟に腕を支える
「……ごめん」
「謝る前に座れ」
「でも授業」
「もう終わるだろ」
「……うん」
彩葉は大人しく椅子に座った
湊は教師に声をかけ、授業が終わると彩葉を保健室へ連れていった
*
「大したことはないですよ」
保健室の先生はそう言った
「少し疲れているみたいだから、今日はしばらく休んでいきなさい」
「はい」
「最近ちゃんと寝てる?」
「寝てます」
「食事は?」
「食べてます」
湊が横から口を挟む
「それ、たぶん嘘です」
「湊」
「パン一個とか普通にあります」
「ちょっと」
彩葉が困った顔をする
先生は少し驚いたように彩葉を見た
「ちゃんと食べないと駄目ですよ」
「……はい」
彩葉は小さく頷いた
先生が席を外すと、保健室には二人だけになった
「……怒ってる?」
「怒ってない」
「ほんと?」
「ちょっと呆れてる」
「それ、この前も聞いた」
「じゃあ覚えてるじゃん」
「うん」
彩葉が笑う
でも、その笑顔はいつもより弱かった
「今日、バイトは?」
「行くよ」
「休めば?」
「無理」
「なんで?」
「シフト入ってるから」
「店に連絡すればいいだろ」
「でも……」
「一日くらい」
「……駄目なの」
彩葉がぽつりと言った
「駄目?」
「休んじゃ駄目」
「誰に?」
「……お母さんに」
湊は少し黙った
彩葉から母親の話を聞くのは初めてだった
「お母さん、厳しいの?」
「厳しいっていうか……ちゃんとしてる人」
「ちゃんとしてる?」
「何でもできるの。勉強もできるし、仕事もできるし、体調管理も完璧で」
彩葉は苦笑した
「私とは全然違う」
「そんなことないだろ」
「あるよ」
「でも」
「お母さんはね、昔から言ってた」
彩葉は少し視線を落とした
「体調管理はすべての基本で、それで躓くやつはどんな阿呆より下だって」
「……結構厳しいな」
「うん」
「それ、子供の頃から?」
「小さい頃から」
彩葉は笑った
「だから、体調崩すと自分が悪いって思っちゃうんだよね」
「……」
「ちゃんと寝てないから」
「それは」
「ちゃんと食べてないから」
「彩葉」
「無理してるから」
湊は言葉を失った
彩葉は、自分が倒れそうになったことさえ、自分のせいにしている
それが少しだけ腹立たしかった
彩葉に対してではない
そう思わせているものに対してだった
「なあ、彩葉はさ」
「ん?」
「別に、お母さんと同じにならなくてもいいんじゃないか?」
「……え?」
「何でもできなくてもいいだろ」
「でも」
「頑張るのはいいと思う。勉強も、バイトも、やりたいならやればいい」
湊は彩葉を見る
「でも、倒れるまでやる必要はないだろ」
彩葉は何も言わなかった
「頑張ることと、無理することは違うんじゃね?」
「……」
「俺はそう思うけど」
しばらく沈黙が続いた
やがて彩葉が小さく笑った
「湊って」
「ん?」
「たまに変なこと言うよね」
「またそれ?」
「うん」
「今、結構真面目な話してたんだけど」
「分かってる」
「じゃあ」
「分かってるけど……そういうこと言われたの、初めてかも」
「……そっか」
それ以上、湊は何も言わなかった
*
保健室を出る頃には、彩葉の顔色も少しだけ戻っていた
「じゃあ、帰る?」
「うん」
「バイトは?」
「……今日は休む」
「お」
「何?」
「いや、珍しいなって」
「湊があんなこと言うから」
「俺のせい?」
「半分くらい」
「じゃあ残り半分は?」
「私」
「それならよかった」
「何が?」
「全部俺のせいだったら困る」
彩葉が笑った
「じゃあ、今日は帰ろうかな」
「そうしろ」
二人で学校を出る
いつもの道を歩くけれど、今日は少しだけゆっくりだった
「ねえ、湊」
「ん?」
「さっきの話」
「うん」
「頑張るのをやめろってことじゃないんだよね?」
「当たり前だろ」
「彩葉が頑張りたいなら、俺は応援するよ」
「……ありがとう」
「ただし」
「ただし?」
「飯は食え」
「そこ?」
「そこ」
「ふふ」
彩葉が笑った
「分かった」
「本当に?」
「うん」
「じゃあ明日から」
「明日から?」
「朝飯、もうちょっとまともにする」
「……努力します」
「そこは約束してくれよ」
「約束」
彩葉が小さく指を立てる
湊も自分の指を合わせた
「よし」
*
アパートに帰ると、二人はそれぞれの部屋に戻った
湊は冷蔵庫を開け、夕飯の材料を確認する
昼に食べた卵焼きの残りもあるし、今日は肉もある
「……今日は何作るかな」
少し考えてから、湊は隣の二〇一号室を見る
明かりがついている
彩葉はバイトを休んだ
それだけのことなのに、湊は少し安心した
「……まあ、たまには休んでもいいだろ」
そう呟いて、料理を始める
しばらくして、隣のドアが開いた
「湊」
「ん?」
「今日、何作ってるの?」
「肉じゃが」
「いい匂い」
「食う?」
「いいの?」
「そのために多めに作ってる」
「……やっぱりお節介」
「知ってる」
彩葉は少し笑った
「じゃあ、食べたい」
「おう」
二〇二号室に彩葉が入ってくる
いつものように椅子に座り、湊が料理を並べるのを待つ
「いただきます」
「いただきます」
二人で食べ始める
「……美味しい」
「今日はちゃんと食べてるな」
「うん」
「よし」
「子供扱いしないでよ」
「してないって」
「してる」
「してない」
くだらない言い合いなのに、彩葉は楽しそうだった
*
食事を終えたあとも、彩葉はすぐには帰らなかった
「……もう少しいてもいい?」
「いいけど」
「なんか、今日は一人になると考えちゃいそうで」
「何を?」
「いろいろ」
「そっか」
湊はそれ以上聞かなかった
代わりにテレビをつけ、二人で適当な番組を見る
内容はほとんど頭に入らない
それでも、誰かが隣にいるというだけで少し落ち着くことがある
しばらくして、彩葉がスマートフォンを取り出した
「湊」
「ん?」
「ヤチヨの配信、見てもいい?」
「また?」
「またって何」
「昼も見てただろ」
「昼は学校だからちゃんと見られなかったの」
「……なるほど」
「今日はちゃんと見る」
彩葉は嬉しそうに画面を操作する
「昨日の続きから見ようかな」
「昨日の?」
「うん」
「そんなに見てるの?」
「毎日見てるよ」
「……」
湊は少し驚いた
彩葉は真剣な顔でアーカイブを探している
「配信がある日は絶対見る」
「絶対?」
「絶対」
「バイト終わりでも?」
「見る」
「勉強が残ってても?」
「見る」
「眠くても?」
「見る」
「体調悪くても?」
「見る」
「だからそこは寝ろって」
「ヤチヨの配信を見たら元気になるから大丈夫」
「またそれか」
「だって本当だもん」
彩葉は笑いながらも、どこか大切そうにスマートフォンを抱えていた
「ヤチヨは心の栄養だから」
「それはもう分かった」
「だから私は、ちゃんと栄養取ってる」
「いや、それは違う」
「QED」
「だから何が証明されたんだよ」
彩葉が笑う
「湊も見れば分かるよ」
「俺まで強制参加?」
「うん」
「強火だなあ」
「当たり前じゃん」
彩葉は当然のように答えた
「ヤチヨだよ?」
「その一言で全部説明するのやめてくれ」
「だってヤチヨだもん」
「はいはい」
配信が始まり、明るい声が部屋に響く
「ヤオヨロ~!」
彩葉の顔がぱっと明るくなった
「ほら」
「何?」
「かわいいでしょ?」
「……まあ」
「かわいいよね?」
「まあ、うん」
「かわいい!」
「分かったって」
「それにね、この後がもっといいの」
「そんなに?」
「うん」
彩葉は少し前のめりになり、画面を食い入るように見つめる
その目は完全に一人のファンのものだった
湊は思う
こんな顔をするんだな
普段の彩葉とは少し違う
学校でも。
バイトでも。
勉強をしている時でも。
きっと、こんな顔はあまり見せないのだろう
ヤチヨを見ている時だけ、彩葉は少しだけ肩の力が抜けている
「……好きなんだな」
「うん」
今度も即答だった
「大好き」
その声だけは、いつもの「大丈夫」よりずっと素直だった
配信が一区切りついたところで、湊はスマートフォンを取り出した
「そういえば、朝話したSETHUNAだけど」
「うん」
「今夜、少しだけやるか?」
「えっ、誘ってよ」
「いや、今誘っただろ」
「最初から誘ってよ」
「そんなにやりたかったのか?」
「やりたかったよ。私、上位プレイヤーなんだから」
「自分で言うんだな」
「事実だもん。湊より上手いと思う」
「それはどうかな」
「じゃあ勝負しようよ」
彩葉の目が、ヤチヨの配信を見ていた時とは別の意味で輝いた
さっきまで柔らかかった表情が、今度はゲームの勝負を前にしたプレイヤーのものへ変わっている
「負けても泣くなよ」
「それはこっちの台詞」
「じゃあ、ログインするか」
「うん」
二人はしばらくSETHUNAで遊んだ
彩葉は疲れているはずなのに、ゲームが始まると驚くほど集中していた
湊が一度ミスをすると、すぐに指示を飛ばし、勝利すれば子供のように喜ぶ
「今の判断、遅かったよ」
「厳しいな」
「上位帯ではあれくらい普通」
「はいはい、プロゲーマー様」
「次はもっと上手くできるから」
彩葉は楽しそうだった
けれど。
ゲームを終える頃には、時計の針はかなり遅い時間を指していた
「……そろそろ寝るか」
「うん」
彩葉はそう答えたものの、すぐには立ち上がらなかった
「帰ったら勉強するのか?」
「うん。今日の分がまだ残ってるから」
「今から?」
「少しだけ」
「彩葉」
「大丈夫」
また、その言葉だった
「今日はもう寝ろよ」
「でも、遊んだ分はやらないと」
「遊んだのは俺も同じだろ」
「湊は明日やればいいじゃん」
「彩葉だって明日でいいだろ」
「駄目なの」
彩葉は少しだけ困ったように笑った
「遊ぶのも勉強も、どっちも大事だから」
「だからって、寝る時間を削るなよ」
「……努力する」
「そこは約束してくれ」
彩葉は少し黙ってから、小さく頷いた
「今日は、できるだけ早く寝る」
「できるだけじゃなくて、ちゃんと寝ろ」
「善処します」
「それ、絶対寝ないやつの言い方だろ」
彩葉は笑った
「じゃあ、おやすみ」
「おう。おやすみ」
彩葉は二〇一号室へ戻っていった
しばらくして、隣の部屋から小さく椅子を引く音が聞こえた
続いて、机の上にノートを広げる音がする
湊はベランダに出た
空には星がいくつか見える
隣の部屋には、まだ明かりがついていた
「……頑張る理由、か」
彩葉はきっと、自分が弱いから頑張っているわけじゃない
認めてもらいたいから。
誰かに追いつきたいから。
自分なりに何かを返したいから。
きっと、いろんな理由がある
それに、彩葉は遊ぶことを諦めているわけでもない
好きなものを楽しむ時間も、彩葉にとっては大切なのだろう
ただ、その分だけ後から勉強を詰め込み、睡眠時間を削って帳尻を合わせようとする
疲れた時にはヤチヨの配信を見て、ゲームをして、笑って、元気になって、また頑張ろうと思える
それはきっと、彩葉が自分を支えるために見つけた方法なのだ
だから。
湊は、それを否定するつもりはなかった
誰かが前を向くために必要なものなら、それはきっと大切なものだ
ただ。
心が元気になっても、身体まで休めるわけではない
今日みたいに、身体が「もう無理だ」と言っている時まで頑張り続けなくていい
だから、明日からはちゃんと飯を食ってもらおうと思った
それから。
遊んだあとに勉強するのもいい
好きなものを楽しむのもいい
でも、そのために睡眠を削るのだけはやめさせようと思う
「……まあ、ヤチヨの配信もゲームも勉強も、ほどほどにな」
隣の部屋を見ながら、湊は小さく笑った
その夜、二〇一号室ではしばらくの間、ノートをめくる音が続いていた
机の上には開いた参考書と、途中まで書き込まれた問題集が並んでいる
その横には、ヤチヨの配信アーカイブを再生したままのスマートフォンが置かれていた
彩葉は明るい声に励まされながら、眠気をこらえて勉強を続けていた