フタリニショク   作:低反発なお餅

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初投稿です!処女作です!二人合わせて『読めるか分からない文章』です!よろしくお願いします。


1.熾火

 

 

 窓の外は既に暗い。

 

 街灯や建物の灯り、時折通る車のヘッドライトが、一面の黒の中にわずかな白を浮かび上がらせている。

 

 サッ、サッ、と微かな音だけが、部屋の中に響いていた。 

 それは、水彩紙の上を筆の穂先が走る音だった。

 

 部屋の照明は落とされ、デスクスタンドの光だけが、机に向かう私の手元を照らしている。紙の上に広がるのはモノトーンで描かれた荒廃した世界だ。

 

 崩れかけた建物。ひび割れた道路。どこまでも続く、灰色の街並み。その中心にあるビルの屋上に、退廃的で、朧げな少女が立っていた。

 

 灰色の空と無機質な街並みの中で、彼女だけが唯一の色彩であり、唯一の生命だった。筆が動くたび、少女が鮮やかになっていく。それは、色を失ったこの世界から彼女だけを切り離し、浮き立たせていくようだった。

 

 この少女は、この孤独は、私だった。

 ある日突然、世界から切り離された私自身だった。

 

 ふと作業の手を止めて、窓を見る。

 

 暗闇を映したガラスの中に、一人の少女の姿が浮かび上がっていた。

 150センチほどの小柄で華奢な身体。肩口きで揺れるふわりとしたセミロングの茶髪。そして、ゆったりとした部屋着越しに浮かぶ、ふっくらとした胸の膨らみ。

 

 以前の自分なら、こんな姿を見ても、可愛らしい子だな、としか思わなかっただろう。

 

 窓に映るのは、間違いなく今の私の姿だ。けれど、未だに見慣れないこの少女は、私にとって、私であり、私ではない存在だった。

 

 首を傾げると、窓の中の少女も同じ動作を返してくる。反対側に傾げてみても、やっぱり同じだった。

 

 つい半年前まで、自分はまぎれもなく男だった。高校を卒業し、それなりの大学でキャンパスライフを送ることを楽しみにしていた、どこにでもいる普通の男だったのだ。

 

 それが、たった一晩で変わった。

 

 この身体になったばかりの頃は、自分の姿を見るたびにどうしようもない違和感と嫌悪感を覚えた。

 これが自分だと、到底認められなかった。

 

「あの頃は大変だったな……」

 

 あの日、私の隣にいてくれた彼女を思い浮かべながら、ゆっくりと意識を窓から手元へと戻す。

 

 

 

 寝る前に少しだけ、そう思って筆を取ったはずなのに、一体どれくらいの時間が経っただろうか。

 

 筆洗の水は黒く濁り、パレットの端には固まりかけた絵の具が付着していた。

 

 ほとんどが灰色だった。

 少女に使った色だけが、鮮やかだった。

 

 彼女にだけ淡い色が差されている。世界と何かがズレていて、それでも確かにそこで息づいている──そんな少女だった。

 

「どんな題がいいかな……」

 

 私がぼんやりと思案していたら、背後から温もりのある柔らかい声がかけられた。

 

「葵、夕飯できたよ」

 

 振り返ると、部屋の入口に彼女が立っていた。

 

 肩からこぼれた長い髪が、ベージュのカーディガンの上で、窓の外の景色よりも深く、澄んだ黒色をしていた。垂れ気味の目と、浮かべた穏やかな微笑みが彼女の持つ優しい雰囲気を感じさせる。

 

「……もうそんな時間?」

「うん、すごく集中してたね」

 

 私より頭ひとつ分くらい高い背丈。いつも私は、彼女の顔を見上げている。ブラウスの胸元は今の私と比べてずっと豊かな膨らみに合わせて柔らかく張り、その下にはきゅっと引き締まった腰が続いている。

 

 私よりもずっと、女性的だった。

 

「良い絵が描けたぞ、って顔してるね」

「いや、とびっきり良い絵が描けたぞって顔」

 

 ふふ、と笑いながら彼女が部屋の中に入ってくる。淡いラベンダーのロングスカートがふわりと揺れた。

 

 表情を読まれることにも慣れてしまった。そんなに分かりやすいだろうか。

 

「カレー?」

「惜しい。今日はハヤシだよ」

 

 パレットを持ち、数本の筆をまとめている私の横から伸びた彼女の腕が、筆洗を回収していく。

 

「お腹空いた……」

「お疲れ様」

 

 

 

 階段を下りるたび、眼前の黒色がゆらりゆらりと揺れている。

 彼女の頭のてっぺんが見えるこの瞬間は、いつも新鮮で、少し嬉しい。階段は必ず私が後ろを歩く。小さなこだわりだった。

 

「ありがとう」

「手、ちゃんと綺麗にしてね」

 

 筆洗を受け取るために手を出すと、じいっと見つめられた。

 

「……石像みたい?」

「ロンドンみたい」

 

 謎の敗北感を噛み締めながら、洗面台に向かった。筆洗に残っていた黒く濁った水を排水口に流し、筆と筆洗を置く。

 

 まずはパレットに残った絵の具を、キッチンペーパーでざっと拭き取っていく。乾きかけた絵の具がパリパリと剥がれた。

 

 あらかたの処理が済んだパレットを置いて、筆洗に新しい水を注ぐ。筆を手に取って、一本ずつ水の中で軽く振っていくと、色が溶け出した。

 

 灰色、灰色、灰色、灰色。濃淡の違いはあれど、どれも私には見慣れた色だ。

 

「葵〜、お茶の氷、いつもと一緒でいい?」

「うん、みっつ」

 

 カラカラと、氷同士が当たる音が聞こえた。

 

 最後の一本を水につけると、薄い青色が溶け出した。くらげのようにふわりと漂うさまを何となく眺めてみる。それはゆっくりと広がって、周りを自分の色に塗り替えていく。

 

 表面が青く染まった。けれど、その下にはたくさんの無機質な色が沈んでいて。筆を動かすと、飲み込まれて、呆気なく消えてしまった。

 

 筆洗の水をパレットにかけるように流して、新しい水を入れるところから、また同じ作業を繰り返す。

 

「いつでも食べられるよ」

 

 水滴を拭き取ったパレットを立てかけながら、鏡越しにこくりと頷いた。

 

 手を拭いてリビングへ向かうと、二人分の夕食がテーブルの上に並んでいた。ハヤシライスと、サラダと、お味噌汁。それぞれ二つずつ置かれていても、広いテーブルの半分くらいしか埋まっていない。

 

「沙織、自分の……忘れてる」

「あら? ありがとう。葵、まだ絵の具ついてるよ。ここ」

 

 キッチンから沙織のコップを持っていくと、沙織が左手を指して言った。小指の根元あたりだ。同じように手首を捻って見れば、ぽつりと青い点が一つ残っていた。

 

「まあ、後でいいかな」

 

 向かい合って座る。いつもと同じ、私たちの日常だった。

 

「いただきます」
「いただきます」

 

 スプーンを手に取って、まずはハヤシライスに狙いを定める。山のてっぺんの辺りから、白米とルーが均等になるようにすくって、口に運んだ。

 

「どう?」

「あつい」

「味を聞いてるんだけど」

「おいひい」

 

 襲いかかってきた熱に、口を動かして空気を取り入れることで対抗する。はふはふ。

 

 今度はふー、ふー、と丁寧に息を吹いてから、一口。甘みのあるソースと、柔らかく煮込まれた牛肉の味が口いっぱいに広がった。

 

「おいしい」


「良かった。じゃあさっきのとりあえずのおいしいは取り下げておいてね」

 

 沙織もハヤシライスを一口食べると、上出来、と小さく呟いた。

 

 しばらく食事の音だけが部屋に響く。賑やかな食事風景ではない。けれど、この無言の状況を共有することが心地よかった。

 

 半分ほど食べ進めた時に、沙織が唐突に尋ねてきた。

 

「葵、今月の検査の日覚えてる?」

「……明日?」

「ううん、明後日。忘れてたでしょ」

「不意打ちはずるい」

 

 言われて初めて、今日が金曜日であることに気がついた。私たちの暮らしに平日も休日も関係ない。この生活になってから、曜日感覚はどこかに消え去った。月曜日の憂鬱や金曜日の喜びを味わえなくなったのは、少し寂しい。

 

 毎月一回の定期検診。一応病人なのだから、当然といえば当然だ。血液採取や画像撮影。身体に異常がないか、どんな調子で生活しているかの問診。何度受けても、自分の変化を突きつけられる瞬間に慣れることはない。

 

「検査のあと何か食べて帰ろっか。何がいい?」

「ハヤシライス以外」

「今食べてるもんね。それはそうなんだけどさ」

「じゃあ沙織が決めて」

「うーん……」

 

 沙織がお茶をズズ、と飲みながら少し考えて。

 

「その日の気分で決めようか。明後日の私たちにお任せ」

「うん」

 

 それだけの話だった。私たちが向き合わなければならないこの病気は、この身体は。二人の間では、普通のことだから。

 

 コトリ、とコップが机に置かれた音が雰囲気を変えるように空気を揺らす。

 

「今日は何してたの?」

「ずっと絵」

「知ってる。聞いてみただけ」

 

 沙織が小さく笑った。

 

「沙織は?」

「ずっと音楽」

「……一緒じゃん」

 

 私も沙織も、普段と変わらなかった。

 このやり取りも、いつもと同じだった。

 

「どんな曲?」

「寂しいけど、温かい曲。メインのメロディとコードは決まって、伴奏を色々試してるところ」

 

 沙織は、ピアノの曲を作ってネットに公開している。最近では、依頼を受けて制作をすることもある。

 

 きっと私にとっての絵が、沙織にとっての音楽だ。

 

「ごちそうさま」

「お粗末様でした」

 

 食器を流しまで運ぶ。カチャカチャと食器を洗う音を背に、他のものを冷蔵庫や棚にしまっていく。

 

「……ねえ、沙織」

「なあに?」

 

 音がピタリと止まった。

 

「さっきの絵なんだけど……題、決めてくれない?」

「私が?」

 

 振り向いて聞いてきた沙織に、こくりと頷きを返す。

 

「葵が描いたんだから、葵が決めればいいんじゃない?」

「『灰色の街と少女』とかになるよ」

「そっか」

 

 私にそういうセンスはない。それに、あの絵に沙織がどんな題をつけるのか気になったから。

 

「じゃあ、じっくり見たいかも」

「穴はあけないでね」

「ほどほどにしとくよ」

 

 沙織が再び皿を洗い始めた。階段を上って部屋に戻ると、机の上には変わらずあの絵があった。

 

 完成した絵は、時間を置いてから見ると印象が変わることがよくある。良いところに気づくこともあれば、描き直したくなることもある。

 

 でも、それを改めて見ても、何も変わらなかった。他の題をつけるとしたら、『寂しい少女』とかになるだろうか。

 

 絵を丁寧に抱えて一階に戻ると、皿洗いがもうすぐ終わるところだった。ソファに座り、右手で首元をさする。

 

 沙織の感性は、私とぜんぜん違う。二人とも同じ病に苦しみ、悩んできたけれど、物事の捉え方とか自分をどう認識しているかとか、そういう深いところで何かが違っているように思う。

 

 沙織がやってきて、私の隣に腰掛ける。何も言わない。私はその横顔を見ながら待った。伏せられた長い睫毛に、すっと通った鼻筋。

 

 綺麗だ。

 

 やがて沙織が、絵から私に視線を移して微笑んだ。

 

「上手になったね」

「そうかも」

「上手になったよ、ほんとに」

 

 そう言って、また絵を見る。沙織はどう解釈して、どんな題をつけるだろうか。心臓の鼓動が、やけにうるさい。

 

「あなたがいるから」

「え?」

 

「タイトル。『あなたがいるから』が良いなって」

「……なんで?」

 

 聞き返さずにはいられなかった。私はもう一度、絵を見る。色のない世界に、色のある少女が一人佇んでいる。どうしてその題になったのか、全く分からなかった。

 

 私の疑問を聞いて、沙織はへにゃりと表情を崩す。

 

「私から見たら、そうかなぁって」

 

 それだけ言って、沙織は少し笑った。

 

 




私の思う綺麗な文章を目指してみたのですが、読めるものになっているでしょうか
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