花たちは嚮導者の夢を見るか 作:おこそつのぬほふもむよゆらわ
第八話
三体のバーテックスを退けてから数日が経った。
讃州中学校の朝は、何事もなかったように始まっていた。校門をくぐる生徒たちは友人と笑い、教師は廊下を行き来し、教室では次の授業の宿題を忘れた生徒が慌ててノートを借りている。あれほど異様だった樹海も、巨大な敵も、命を削るような戦いも、この日常の表面には何一つ残っていない。
「先生、おはよう!」
「おはよう、結城さん」
校門近くで聞き慣れた声に呼ばれ、先生は振り返った。友奈がこちらへ駆けてくる。その少し後ろには東郷がいて、さらに離れたところから風と樹も歩いてきていた。
「今日は早いね」
「先生が言う?」
「私、結構早起きだよ」
「アロナちゃんがこの前違うこと言ってたよ!」
「アロナ」
『えっ』
シッテムの箱の画面でアロナが目を逸らす。
「何を言ったの」
『私は何も……』
『先生は休日の起床時刻が平日より平均四十二分遅いです』
「プラナ」
『事実です』
「味方がいないなあ」
友奈が笑う。
「でも先生、今日は本当に早いよね。何かあるの?」
「大赦から朝のうちに学校へ来てほしいって言われただけ」
「大赦?」
東郷の声が少し低くなる。
「また何かあったんですか?」
「まだ分からない」
「一人で?」
「学校で話すだけみたいだから」
「……」
東郷は少し不満そうだった。
「東郷さん?」
「いえ」
「顔に出てるよ」
「出してます」
「意図的だった」
「先生は大赦の人に対して警戒が足りません」
「そうかな」
「そうです」
「前も同じこと言われたなあ」
「改善してないからです」
「厳しい」
風が追いついてくる。
「私も東郷に一票」
「犬吠埼さんまで」
「先生、大赦相手になると一人で行くでしょ」
「向こうが一人で来いって言うから」
「だからって」
「学校の中なら大丈夫だよ」
「その“大丈夫”禁止になったんじゃなかった?」
樹が控えめに言った。
「……そうだったね」
「先生の禁止ワード多いね!」
「誰のせいだと思ってるの」
「先生自身!」
友奈が即答する。
朝から騒がしい。
先生は少し笑った。
それでも、東郷だけは大赦という言葉が出た時から表情を完全には戻していなかった。先生もそれに気づいている。ただ、今ここで余計な不安を煽る必要はないと思った。
前回の戦闘以来、大赦とは何度か連絡を取っている。バーテックスの襲来時刻が予告から大きくずれたこと。三体がこれまで以上に連携していたこと。そして、戦闘中に先生――より正確にはシッテムの箱へ敵の注意が向いた可能性があること。
ただし。
バーテックスに確認された光輪については、まだ全てを共有していない。
先生たち自身が何を見ているのか分かっていないからだ。
ヘイローに似ている。
それ以上は何も確定していない。
そんな段階で大赦へ断言すれば、情報が一人歩きする。
プラナも同じ判断だった。
『先生』
「ん?」
『先方との予定時刻まで十二分です』
「じゃあ先に行こうかな」
「部室?」
「多分応接室」
「終わったら来てね!」
友奈が言う。
「分かった」
「絶対!」
「分かったって」
「寄り道しない!」
「学校の中で?」
「大赦の人について行かない!」
「誘拐される子どもみたいに言わないで」
「先生の場合あり得そうだから!」
「私、大人なんだけど」
「大人でも気をつけないとダメ!」
先生は苦笑しながら四人と別れた。
ほんの数日前まで命を懸けて戦っていた少女たちが、今は先生の寄り道を心配している。
その落差はまだ少し不思議だった。
◇
学校側が用意した応接室には、大赦の人間が二人待っていた。
「お待ちしておりました、先生」
「おはようございます」
先生はここでは自然に敬語へ切り替える。
二人とも以前会った者ではなかった。大赦の人間は同じような服装をしていることもあり、どこか個人というより組織の一部として見えてしまう。
「本日はお時間をいただきありがとうございます」
「いえ。それで、何かありましたか?」
「先日の戦闘についてです」
「報告は提出したと思いますが」
「拝見しております」
「追加で聞きたいことが?」
「それもありますが、本日の主目的は別件です」
先生は黙る。
大赦側の人間が一枚の資料を机へ置いた。
「勇者部へ、追加の勇者を派遣いたします」
「追加?」
「はい」
先生の表情が僅かに変わる。
「理由を伺っても?」
「直近の戦闘結果を鑑みた判断です」
「戦力不足だと?」
「否定はいたしません」
随分と率直だった。
先生は資料へ視線を落とす。
「現在の勇者部は四名です」
「はい」
「前回、三体のバーテックスを撃破しました」
「それ自体は評価しております。しかし、戦闘継続能力には問題がありました」
先生は返さない。
「犬吠埼風は負傷。犬吠埼樹にも疲労が蓄積。結城友奈は一時戦闘継続困難。東郷美森は戦闘中に初めて本格的な勇者化へ移行」
「私も途中で指揮不能になりました」
「はい」
「そこまで含めて、ですか」
「含めております」
先生は資料を一枚めくった。
三好夏凜。
勇者適性確認済み。
大赦管理下にて訓練。
戦闘技能、適合能力ともに良好。
「この子は」
「三好夏凜。新たに讃州中学校へ転入し、勇者部へ所属する予定です」
「本人には説明済みですか?」
「当然です」
先生の目が少しだけ細くなる。
「戦うことについても?」
「はい」
「危険性も?」
「理解しております」
「本人が選んだ?」
一瞬。
ほんの一瞬だけ。
相手の返事が遅れた。
「勇者としての役割を受け入れております」
「私が聞いたのは、本人が選んだかです」
空気が少し変わる。
「先生」
「はい」
「三好夏凜は、勇者として必要な教育を受けております」
「教育と選択は別でしょう」
「……」
「すみません。話が逸れましたね」
先生は資料を閉じる。
「派遣そのものに反対するつもりはありません。戦力が増えること自体は、彼女たちの生存率を上げる可能性があります」
「ご理解いただきありがとうございます」
「ただし」
大赦側が先生を見る。
「私は三好さんを“追加戦力”としてだけ見るつもりはありません」
「それは」
「中学生なんですよね」
「はい」
「なら、そこは他の四人と同じです」
沈黙。
大赦側の一人が僅かに姿勢を直した。
「先生は勇者という制度そのものに、疑問をお持ちのようですね」
「制度というより」
先生は少し考える。
「その制度を子どもが背負っていることに、です」
「しかし現実として、彼女たち以外にバーテックスへ対抗できる存在は限られています」
「理解しています」
「ならば」
「理解と納得は別です」
静かな声だった。
それ以上強く言う必要はなかった。
「それで、三好さんはいつ来るんですか?」
「本日です」
「今日?」
「既に学校側への手続きは完了しております」
「……早いですね」
「緊急性を考慮しておりますので」
先生は資料を見下ろす。
写真。
赤い髪の少女。
まだ会ったことはない。
けれど、写真の中の表情は妙に硬かった。
「一つ確認しても?」
「どうぞ」
「三好さんには、私のことをどこまで説明していますか?」
「必要な範囲で」
「具体的には?」
「異界より来訪した成人男性。神樹様から害意なしとの神託を受けた存在。シッテムの箱と呼ばれる端末を所持。勇者部の戦闘行動へ介入し、限定的な指揮を行っている」
「……」
「何か?」
「それだけ聞いたら、かなり怪しい人ですね」
「否定はいたしません」
「そこは否定してほしかったなあ」
冗談めかして言ったが、大赦の二人は笑わなかった。
先生もすぐに表情を戻す。
「三好さんは納得しているんですか?」
「何をでしょう」
「私が勇者部の近くにいることを」
「それについては、本人からも質問がありました」
「どんな?」
「なぜ戦闘能力を持たない外部の成人が勇者部へ継続的に関与しているのか、と」
「まともな疑問ですね」
「大赦としては神託およびこれまでの行動記録から、先生を現時点で敵対的存在とは判断しておりません」
「現時点で」
「はい」
以前にも聞いた言葉だった。
先生は小さく笑う。
「三好さん本人は?」
「判断は本人に委ねております」
「なるほど」
そこだけは少し興味深かった。
大赦から育てられた勇者。
しかも先生について事前情報を与えられている。
友奈たちは、先生と戦場で出会った。
東郷は先生に助けられた。
風と樹も、一緒にバーテックスと戦った。
だから最初は怪しみながらも、先生という人間を見る機会があった。
三好夏凜にはそれがない。
彼女からすれば先生は。
突然現れ。
神樹から妙な神託を受け。
正体不明の箱を持ち。
大赦へ意見し。
勇者たちの戦闘へ口を挟み。
そのうえ本人には戦闘能力がない。
不信を抱かない方が不自然だった。
「……嫌われそうだな」
「何か?」
「いえ、こちらの話です」
◇
話が終わった後、先生はすぐには勇者部へ向かわなかった。
廊下の窓辺で立ち止まり、シッテムの箱を開く。
「プラナ」
『はい』
「三好夏凜について、追加情報ある?」
『大赦側から開示された以上の情報はありません』
「アロナは?」
『私もです』
「そっか」
先生は窓の外を見る。
昼休みに近い時間。
校庭では体育の授業が行われていた。
『先生』
「ん?」
『気になりますか?』
アロナが尋ねる。
「新しい勇者?」
『はい』
「気になるよ」
『大赦の人だから?』
「大赦の人、って言い方はまだ早いかな」
『ですが大赦で訓練を』
「それだけで決めたくない」
『……』
「本人に会ってからだよ」
プラナが口を挟む。
『ただし、既存の四名とは価値観が異なる可能性があります』
「そうだろうね」
『訓練環境が異なれば、勇者という役割への認識にも差が生じます』
「うん」
『先生に対しても』
「そこは覚悟してる」
『敵対する可能性は?』
「プラナ」
『仮定です』
「会ってもないのに敵扱いはしないよ」
『先生がそう言うと思いました』
「分かってて聞いた?」
『確認です』
「最近そういうの多いね」
『学習しています』
先生は小さく笑う。
だが。
一つだけ。
別のことが頭に残っていた。
「プラナ」
『はい』
「大赦に、例の光輪のことはまだ言わない」
『了解しています』
『……いいんですか?』
アロナ。
「隠すつもりじゃないよ」
『では』
「もう少し確信がほしい」
先生は声を落とす。
「ヘイローに似てるものがある。それだけで話すには、意味が大きすぎる」
『同意します』
「それに」
先生は一度周囲を見る。
「大赦が知ってる可能性もある」
アロナが少し表情を曇らせる。
『でも、知らない可能性も』
「ある」
『先生』
プラナの声。
『三好夏凜さんへの共有は?』
「しない」
即答だった。
『理由を確認します』
「初対面の子に正体不明の異常現象を背負わせる理由がない」
『合理的です』
「それに、大赦と三好さんがどれくらい情報を共有してるのか分からない」
『警戒していますか』
「……少しね」
先生は窓を離れた。
「でも疑うのと、敵だと決めるのは違う」
◇
放課後。
勇者部部室。
「新しい勇者!?」
やはり友奈の反応が一番大きかった。
「声大きい」
風が耳を押さえる。
「だって!」
「先生、ほんとなの?」
「うん」
「今日来るの!?」
「もう学校にはいると思うよ」
「どんな子!?」
「会ってない」
「先生も!?」
「さっき写真は見たけど」
「かわいい?」
「そこ?」
「大事!」
「結城さん」
東郷が窘める。
「本人が来る前から見た目の話をするのはどうかと」
「ご、ごめん」
「まあ、普通の中学生だよ」
「先生、それ一番当たり障りないやつじゃない」
風が言う。
「写真だけで性格まで分からないから」
「大赦で訓練受けてるんでしょ?」
「そうらしい」
風の表情が少し複雑になる。
「じゃあ、私たちより強いのかしら」
「可能性はあるね」
「何か嫌ね」
「負けず嫌い?」
「部長としてよ」
「同じじゃない?」
「先生」
「はい」
「あとで覚えてなさい」
「暴力反対」
樹が小さく笑う。
「でも、ちゃんと訓練してきた人なら、色々教えてもらえるかもしれないね」
「そうね」
風も頷く。
「そこは期待してる」
「友奈ちゃんももっと回避覚えないと」
東郷。
「ええ! 私!?」
「友奈ちゃん、この前かなり攻撃受けてたでしょう」
「それは」
「事実です」
「東郷さんが厳しい!」
少し笑いが起きる。
いつもの空気、先生はそれを見ていた。
「先生?」
友奈が気づく。
「何?」
「また考え事?」
「ちょっとね」
「新しい子のこと?」
「それも」
「大丈夫だよ!」
「何が?」
「仲良くなれる!」
「まだ何も言ってないんだけど」
「先生の顔がそう言ってる!」
「私、そんなに分かりやすい?」
四人が頷いた。
「全員?」
「全員」
風が代表して答える。
「そうかあ」
先生は苦笑する。
「でも」
友奈が続ける。
「勇者なら、きっと話せるよ」
「勇者なら?」
「うん。一緒に戦うんだから」
先生はその言葉を聞いて、少しだけ考えた。
一緒に戦う。それだけで仲間になれるか。
多分友奈なら本気でそう思っている。
三好夏凜はどうだろう。
「先生」
東郷が小さく呼ぶ。
「ん?」
「何か、大赦から他に言われましたか?」
先生は一瞬だけ迷った。
「三好さんは、私のことを聞いてるみたい」
「先生の?」
「うん」
「何を」
「大体全部。異世界から来たこと、シッテムの箱を持ってること、戦場に出てること」
風が眉を寄せる。
「そこまで?」
「大赦からすれば必要情報なんじゃないかな」
「三好さんは何て?」
「私は直接聞いてないけど」
先生は少し笑う。
「かなり怪しまれてるっぽい」
「ええ!?」
友奈。
「何で!?」
「何でって」
風が呆れる。
「普通に考えたら怪しいでしょ」
「でも先生だよ!」
「結城さん。それは私たちが知ってるから言えるの」
東郷の言葉に友奈が止まる。
「会ったこともない人から見た先生は、突然現れて勇者部に入り込んだ正体不明の大人です」
「入り込んだって」
先生が少し傷ついた顔をする。
「事実でしょう」
「東郷さん、容赦ないね」
「さらに大赦へ意見し、戦闘にも同行しています」
「並べると本当に怪しいな」
「自覚した?」
風。
「今した」
「遅い!」
友奈が少し考える。
「じゃあ説明すればいいんだよ!」
「何を?」
「先生は怪しくないですって!」
「結城さんが言うの?」
「うん!」
「余計怪しまれないかな」
「何で!?」
先生は笑う。
「大丈夫。最初から信用してもらおうとは思ってないよ」
「でも」
「信用って、会って五分で作るものじゃないでしょ」
友奈が黙る。
「私もみんなに最初から信用されてたわけじゃない」
「……まあ」
風が気まずそうに目を逸らす。
「特に東郷さん」
「当然です」
即答。
「先生は名前も所属も不明で、樹海の中から突然現れた成人男性でしたから」
「改めて言わないでよ」
「それでも今は信用してます」
東郷が続ける。
先生が少しだけ目を丸くした。
「……ありがとう」
「ただし無茶に関しては信用していません」
「落としてきたね」
「別問題です」
友奈が笑う。先生も笑った。
でもほんの少しだけ胸の奥に引っかかるものは残っていた。
三好夏凜。
大赦に育てられ、勇者として訓練され使命を理解している少女。
彼女がこの部室へ入った時。
何を見るのか。友奈たちを。先生を。
そして勇者部という、この少し変わった場所を。
◇
その頃。
讃州中学校の校門前に、一人の少女が立っていた。
赤い髪。新しい制服。肩には鞄。
少女は校舎を見上げる。
「……ここね」
スマートフォンを取り出す。
画面には、大赦から送られた簡潔な情報が表示されていた。
讃州中学校。
勇者部。
結城友奈。
東郷美森。
犬吠埼風。
犬吠埼樹。
そして少女の指が止まる。
外部協力者。
識別名。先生。
素性不明。出身不明。
神樹様による神託対象。戦闘能力なし。
シッテムの箱と呼称される正体不明の端末を所持。
複数回にわたり勇者の戦闘行動へ介入。
「……何よ、これ」
少女の眉間に皺が寄る。
何度読んでも意味が分からない。戦えない。勇者でもない。大赦の人間でもない。
それなのに勇者の近くにいる。
戦場にも出る、指示まで出す。
しかもどこから来たかすら分からない。
「こんなのを」
小さく呟く。
「何で放置してるのよ」
風が吹く、赤い髪が揺れる。
少女はスマートフォンをしまった。
使命は単純だった。
勇者部へ合流する。
戦力を補強する。
バーテックスを撃破する。
神樹様を守る。
それだけ。
余計なものはいらない、そのはずなのに。
資料に一つだけどうしても理解できない存在が混ざっている。
「先生、ね」
少女はその名前を、確かめるように口にした。
敬意はなかった。
親しみも。
ただ明確な警戒だけがあった。
「……信用できるわけないでしょ」
校舎へ向かって歩き出す。
その足取りに迷いはない。
勇者として大赦に育てられた者として。
自分の役割を果たすために。
そして必要なら。
勇者たちの傍にいる正体不明の大人が、本当に安全な存在なのか。
自分の目で確かめるために。
三好夏凜は讃州中学校の門をくぐった。