花たちは嚮導者の夢を見るか   作:おこそつのぬほふもむよゆらわ

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第一話

――それは、いつもの放課後だった。

 

 少なくとも、結城友奈はそう思っていた。

 

 讃州中学校、勇者部部室。

 

 窓から差し込む夕陽が机を橙色に染め、その中で犬吠埼風が何やら得意げに胸を張っている。

 

「ということで、本日の勇者部活動は――」

 

「はい!」

 

 友奈が勢いよく手を挙げる。

 

「まだ何も言ってないわよ」

 

「でも何でもやるよ!」

 

「そこまで即答されると逆に怖いわね……」

 

 風が呆れたように笑う。

 

 その隣では、妹の犬吠埼樹が小さく笑っていた。

 

「友奈さんらしいです」

 

「勇者部だからね!」

 

「その理屈、万能すぎない?」

 

 車椅子に座った東郷美森が苦笑する。

 

 そんな、何でもない会話。

 

 友奈にとってはいつもの時間。

 

 困っている人がいれば助ける。

 

 地域の清掃をすることもある。

 

 幼稚園で演劇をすることだってある。

 

 時には迷子のペットを探す。

 

 勇者部という名前こそ大仰だが、その実態は人助けを目的とした部活動だった。

 

 ――そのはずだった。

 

 机の上。

 

 四人分のスマートフォンが、ほとんど同時に震えた。

 

「……ん?」

 

 友奈が自分の端末を見る。

 

 見慣れない表示。

 

 知らないアプリ。

 

 いつインストールしたのかも分からない。

 

「東郷さん、これ何か分かる?」

 

「私も初めて見るわ」

 

 東郷の表情がわずかに険しくなる。

 

 風だけが。

 

 笑っていなかった。

 

「部長?」

 

「……来た」

 

「え?」

 

 次の瞬間。

 

 世界から音が消えた。

 

      ◇

 

 夕日が止まった。

 

 風に揺れていたカーテンが、その形のまま固まった。

 

 校庭を歩いていた生徒も。

 

 廊下にいた教師も。

 

 空を飛んでいた鳥さえも。

 

 まるで写真の中に閉じ込められたように動かない。

 

「……え?」

 

 友奈は立ち上がった。

 

「何、これ」

 

 声だけは出る。

 

 自分たちも動ける。

 

「友奈ちゃん」

 

 東郷の声が低い。

 

「外を見て」

 

「外?」

 

 友奈が窓を見る。

 

 そこに。

 

 讃州中学校の校庭はなかった。

 

「――なに、これ」

 

 緑だった。

 

 どこまでも。

 

 巨大な樹。

 

 空を覆う枝。

 

 無数の花。

 

 現実ではありえない色彩に塗り替えられた世界。

 

 校舎は確かに存在している。

 

 しかし、その向こうに広がる景色は先ほどまでとはまるで違った。

 

 美しい。

 

 そして。

 

 あまりにも不気味だった。

 

「お姉ちゃん……」

 

 樹が風の制服を掴む。

 

 風は妹の頭に手を置いた。

 

「大丈夫」

 

「部長、これ知ってるの?」

 

 友奈が尋ねる。

 

 風は一度だけ目を閉じた。

 

 そしてスマートフォンを持ち上げる。

 

「二人には黙ってたことがある」

 

「……黙ってたこと?」

 

「勇者部には、本当のお役目があるの」

 

 友奈は理解できない。

 

「本当の……?」

 

 その言葉を遮るように。

 

 世界の奥から。

 

 ――ズン。

 

 重い音が響いた。

 

「……っ」

 

 建物全体が震える。

 

 樹が息を呑む。

 

 もう一度。

 

 ――ズン。

 

 何かが。

 

 近づいている。

 

 友奈は窓の外を見る。

 

 巨大な樹々の向こう。

 

 白い影が見えた。

 

「何……あれ」

 

 生き物、と呼んでいいのかさえ分からない。

 

 巨大な白い異形。

 

 人間とも。

 

 動物とも。

 

 機械とも違う。

 

 幾重にも重なる白い構造体。

 

 中央には、ひどく鮮やかな色をした核のようなもの。

 

 それがゆっくりと。

 

 こちらへ向かってくる。

 

「バーテックス」

 

 風が言った。

 

「バーテックス?」

 

「人類の敵」

 

 あまりにも簡単な答えだった。

 

 友奈は風を見る。

 

「……人類の?」

 

「そう」

 

 風は自分のスマートフォンを見る。

 

「ここは神樹様が作った樹海。現実世界を守るための防御結界」

 

 その声は。

 

 いつもの頼れる部長のものだった。

 

 けれど。

 

 よく聞けば僅かに震えている。

 

「バーテックスは神樹様を狙ってくる。私たちのお役目は、ここであいつらを止めること」

 

 友奈は。

 

 しばらく何も言えなかった。

 

「……私たち?」

 

「そう」

 

「中学生だよ?」

 

「知ってる」

 

「部活動だよ?」

 

「……知ってる」

 

「いやいやいや」

 

 友奈は両手を振った。

 

「ちょっと待って。だって昨日まで犬の散歩手伝ってたよね!?」

 

「ええ」

 

「一昨日は保育園で人形劇してたよね!?」

 

「したわね」

 

「急に人類の敵は振り幅大きすぎない!?」

 

「私もそう思う!」

 

 風が思わず叫んだ。

 

 一瞬。

 

 静かになる。

 

 樹が吹き出した。

 

 東郷も小さく笑った。

 

「……部長もそう思ってたんだ」

 

「そりゃ思うわよ!」

 

 ほんの僅かな時間。

 

 いつもの勇者部に戻った。

 

 だが。

 

 また、地面が揺れる。

 

 現実が戻ってくる。

 

 巨大な影が。

 

 先ほどより近づいている。

 

 風はスマートフォンを握った。

 

「詳しい説明は後」

 

「お姉ちゃん」

 

「樹」

 

 風が妹を見る。

 

「怖かったら、無理しなくていい」

 

「……お姉ちゃんは?」

 

「行く」

 

「だったら私も行く」

 

 即答。

 

 風が何かを言おうとする。

 

「私だって勇者部だから」

 

 樹は震えていた。

 

 それでも笑った。

 

 風は何も言えなくなった。

 

 友奈が二人を見る。

 

 そして自分のスマートフォンを見る。

 

「これを使えばいいんだよね」

 

「友奈」

 

「大丈夫」

 

 怖くないわけではない。

 

 意味も分からない。

 

 何を相手にするのかも。

 

 自分に何ができるのかも。

 

 全部分からない。

 

 でも。

 

「困ってる人を助けるのが勇者部でしょ」

 

 友奈は笑った。

 

「世界が困ってるなら、助けないとね」

 

「友奈ちゃん……」

 

 東郷が呟く。

 

 友奈は東郷を見る。

 

「東郷さんはここにいて」

 

「え?」

 

「私が戻ってくるから」

 

 それだけ言って。

 

 友奈はスマートフォンの画面に触れた。

 

 光が。

 

 少女たちを包んだ。

 

      ◇

 

 初めての変身。

 

 初めての武器。

 

 初めての戦場。

 

 そして。

 

 初めて見る、人類の敵。

 

「で――」

 

 風が巨大な剣を構えながら言った。

 

「かいわね……!」

 

 ヴァルゴ・バーテックス。

 

 友奈たちはまだ、その名を知らない。

 

 ただ巨大だった。

 

 樹海の中にありながら。

 

 そこだけ別の世界の物質でできているような異物感。

 

 ゆっくり動いているだけなのに、周囲の空気が震えている。

 

 風が地面を蹴った。

 

「行くわよ!」

 

 巨大な剣が振り下ろされる。

 

 衝撃。

 

 白い外殻の一部が弾け飛ぶ。

 

「効いた!」

 

 樹の声。

 

「まだ!」

 

 風が叫ぶ。

 

 ヴァルゴの身体が動く。

 

 次の瞬間。

 

 光。

 

「っ!」

 

 風が横へ飛ぶ。

 

 さっきまで立っていた場所が爆ぜた。

 

「遠距離攻撃もあるの!?」

 

「聞いてないんだけど!」

 

「私も実戦は初めてよ!」

 

「部長!?」

 

「だから説明書通りにいくと思わないで!」

 

「説明書あるの!?」

 

「後で見せる!」

 

「今見たい!」

 

 叫びながら。

 

 それでも。

 

 友奈は前へ出る。

 

 恐怖はある。

 

 身体が震えている。

 

 けれど。

 

 走ることはできた。

 

「――やああああっ!」

 

 拳。

 

 ヴァルゴの身体へ叩き込む。

 

 硬い。

 

 岩どころではない。

 

 拳から肩まで衝撃が突き抜ける。

 

「痛っ……!」

 

 けれど。

 

 少し。

 

 動いた。

 

「効いてる!」

 

 もう一発。

 

 さらに一発。

 

 友奈が殴る。

 

 風が斬る。

 

 樹が援護する。

 

 三人。

 

 初めてとは思えないほど。

 

 必死に。

 

 ただ必死に。

 

 戦う。

 

 しかし。

 

 ヴァルゴは止まらない。

 

 攻撃。

 

 爆発。

 

 地面が抉れる。

 

 樹海の樹々が吹き飛ぶ。

 

「友奈!」

 

「わっ!」

 

 風が友奈を突き飛ばす。

 

 直後。

 

 二人の間を光が通過した。

 

「部長!」

 

「平気!」

 

 風は立ち上がる。

 

 口ではそう言う。

 

 だが。

 

 初戦。

 

 経験の差。

 

 敵の巨大さ。

 

 少しずつ。

 

 ほんの少しずつ。

 

 勇者たちは追い込まれていく。

 

「東郷さん!」

 

 友奈が振り返った。

 

 遠く。

 

 東郷はまだ変身できずにいた。

 

 スマートフォンを握りしめている。

 

 動かない脚。

 

 巨大な敵。

 

 戦う友達。

 

 そして。

 

 自分だけが。

 

「……」

 

 東郷は唇を噛む。

 

「私だけ……」

 

 その瞬間。

 

 ヴァルゴの身体が大きく開いた。

 

「まずい!」

 

 風が叫ぶ。

 

 光が集まる。

 

 これまでとは比較にならない。

 

 巨大な。

 

 眩い光。

 

 向いている先は。

 

「東郷さん!」

 

 友奈が走る。

 

 遠い。

 

 間に合わない。

 

 風も。

 

 樹も。

 

 届かない。

 

 東郷は。

 

 迫る光を見た。

 

 身体が動かない。

 

 逃げられない。

 

 ――死。

 

 その言葉が。

 

 初めて。

 

 明確な輪郭を持った。

 

      ◇

 

「――伏せて!」

 

 知らない声がした。

 

      ◇

 

 東郷は反射的に頭を下げた。

 

 直後。

 

 何かが。

 

 彼女の車椅子を横から強く押した。

 

「きゃっ!」

 

 車輪が跳ねる。

 

 東郷の身体が傾く。

 

 その前へ。

 

 一人の男が滑り込んだ。

 

「な――」

 

 知らない男。

 

 黒い服。

 

 片手には、奇妙な板状の端末。

 

 そして。

 

 男は東郷を背にして立った。

 

「アロナ!」

 

『はい!』

 

 端末の中から。

 

 少女の声が響いた。

 

『先生、正面に高エネルギー反応!』

 

「分かってる!」

 

『退避してください!』

 

「後ろに人がいるんだよ!」

 

『先生!』

 

 ヴァルゴの光が。

 

 放たれた。

 

 白。

 

 視界の全てを塗り潰すような光。

 

 先生は。

 

 逃げなかった。

 

 逃げられなかった。

 

 背後には東郷がいる。

 

「アロナ」

 

『――っ!』

 

「お願い!」

 

 その瞬間。

 

 シッテムの箱が。

 

 青白く輝いた。

 

      ◇

 

 光が。

 

 ぶつかった。

 

 轟音。

 

 樹海そのものが震えた。

 

『先生!』

 

 アロナの声。

 

 先生の前方。

 

 何もないはずの空間に。

 

 薄い。

 

 青白い膜のようなものが展開されていた。

 

 半透明。

 

 幾重もの光の輪が重なり。

 

 先生と東郷を包むように。

 

 ヴァルゴの一撃を受け止めている。

 

「……っ!」

 

 先生が歯を食いしばる。

 

 バリアが。

 

 軋む。

 

 光の表面を。

 

 細かな亀裂のようなノイズが走った。

 

『防護機構、出力上昇!』

 

 プラナの声。

 

『現在の負荷、想定値を超過!』

 

「あとどれくらい持つ!?」

 

『不明です!』

 

「不明かあ……!」

 

『先生、今笑うところじゃありません!』

 

「笑ってないよ!」

 

 衝撃。

 

 先生の靴底が。

 

 地面を削る。

 

 一歩。

 

 後ろへ。

 

 さらに。

 

 一歩。

 

 恐怖に怯えた東郷が動こうとする。

 

「動かないで!」

 

「でも!」

 

「今動いたら危ない!」

 

 先生の声が。

 

 変わっていた。

 

 柔らかさは残っている。

 

 けれど。

 

 有無を言わせない。

 

 その声に。

 

 東郷の身体が止まる。

 

「アロナ!」

 

『はい!』

 

「まだいける?」

 

『……』

 

 一瞬。

 

 返事が遅れる。

 

『いけます!』

 

「本当に?」

 

『先生が無茶を言う時くらい分かります!』

 

「それ答えになってないよ!」

 

『うるさいです!』

 

 バリア表面。

 

 光が。

 

 さらに強くなる。

 

 ヴァルゴの光線を。

 

 押し返すのではない。

 

 逸らす。

 

 少しずつ。

 

 ほんの僅かに。

 

 角度を変える。

 

「プラナ!」

 

『射線偏差、三度』

 

「もう少し!」

 

『五度』

 

「まだ!」

 

『七度』

 

 先生の手が震える。

 

『先生の心拍数上昇』

 

「今はそっち見なくていい!」

 

『必要です』

 

「あと!」

 

『十度!』

 

「よし!」

 

 ヴァルゴの光が。

 

 バリアの表面を滑った。

 

 方向が逸れる。

 

 東郷から。

 

 先生から。

 

 数メートル。

 

 横へ。

 

 光線が。

 

 巨大な地面を抉り抜いた。

 

 爆発。

 

 土煙。

 

 静寂。

 

「……」

 

 先生は。

 

 まだ立っていた。

 

 バリアが。

 

 硝子のように砕ける。

 

 光の粒となって消える。

 

「……ふぅ」

 

 膝が。

 

 少し笑った。

 

『先生!』

 

「大丈夫」

 

『大丈夫じゃありません!』

 

「立ってるでしょ」

 

『それを大丈夫とは言いません!』

 

「後で聞くよ」

 

 先生は振り返る。

 

「君」

 

 東郷を見る。

 

「怪我は?」

 

「……」

 

「どこか痛い?」

 

「私は……」

 

 東郷は。

 

 自分の身体を見る。

 

 何もない。

 

「大丈夫、です」

 

「そっか」

 

 先生は笑った。

 

「ならよかった」

 

「あなた……」

 

「ん?」

 

「今のは……」

 

「私も聞きたい」

 

「え?」

 

 先生は。

 

 手の中のシッテムの箱を見る。

 

「今の、何?」

 

『先生!?』

 

「いや、こんな強いの受け止めたことあったっけ?」

 

『そういう問題じゃありません!』

 

 もう一つ。

 

 知らない少女の声。

 

『防護機構自体は既存機能と推定します。ただし今回の出力については――』

 

「後で聞こう」

 

『合理的です』

 

『プラナちゃん!』

 

 東郷は。

 

 目の前の光景を。

 

 理解できなかった。

 

 男。

 

 喋る端末。

 

 謎の防壁。

 

 そして。

 

 その男自身も。

 

 何が起きているのか理解していない。

 

「ちょっと!」

 

 風の声。

 

「誰よあんた!」

 

「それはこっちも聞きたいかな」

 

「は!?」

 

 先生は周囲を見た。

 

 巨大な怪物。

 

 武装した少女。

 

 巨大な樹。

 

 現実とは思えない景色。

 

「ここ、どこ?」

 

「今!?」

 

「いや、結構重要でしょ」

 

「重要だけど今じゃない!」

 

 友奈が駆け寄る。

 

「大丈夫!?」

 

「私は大丈夫」

 

「それより、君」

 

 先生は友奈を見る。

 

「え?」

 

「中学生?」

 

「うん!」

 

「何歳?」

 

「十三!」

 

「……十三」

 

 先生の顔から。

 

 少し。

 

 表情が消えた。

 

「十三か」

 

「?」

 

 風が前へ出る。

 

「話は後! あいつまだ生きてる!」

 

 ヴァルゴ。

 

 攻撃を防がれた異形は。

 

 再び。

 

 その巨大な身体を動かし始めていた。

 

「……」

 

 先生が敵を見る。

 

 次に。

 

 少女たちを見る。

 

「確認したいんだけど」

 

「何よ!」

 

「これと戦ってるの」

 

「そうよ!」

 

「君たちが?」

 

「そう!」

 

「他に誰かいる?」

 

「いないわよ!」

 

「大人は?」

 

「いない!」

 

 先生は。

 

 黙った。

 

 一秒。

 

 二秒。

 

「……アロナ」

 

『はい』

 

「聞き間違いじゃないよね」

 

『残念ながら』

 

「そう」

 

 先生は。

 

 額に手を当てた。

 

「十三歳の子が」

 

 一度。

 

 息を吐く。

 

「命懸けで化け物と戦ってる」

 

 友奈たちを見る。

 

「……何なんだよ、ここ」

 

      ◇

 

 ヴァルゴが再び動いた。

 

「来る!」

 

 風が剣を構える。

 

 先生は一歩後ろへ下がった。

 

 戦えない。

 

 自分自身が。

 

 一番よく知っている。

 

 肉体的には普通の大人だ。

 

 生徒たちのように銃弾を受けても立ち上がる身体ではない。

 

 まして。

 

 目の前の異形と殴り合うなど論外。

 

 さっきのバリアだって。

 

 もう一度同じことができる保証すらない。

 

「アロナ」

 

『はい!』

 

「バリア、もう一回できる?」

 

『……おすすめしません』

 

「だよね」

 

『防護機構の使用自体は可能です。ただし先ほどと同程度の攻撃を受けた場合、安定性を保証できません』

 

 プラナ。

 

「じゃあ使わない」

 

『……』

 

「最後の最後だけ」

 

『了解しました』

 

 先生は。

 

 敵を見る。

 

「だったら」

 

 できることをする。

 

「プラナ」

 

『はい』

 

「敵の動き、記録できる?」

 

『可能です』

 

「アロナ、周囲の地形」

 

『任せてください!』

 

 ヴァルゴの身体が動く。

 

 先生は目を細めた。

 

 巨大。

 

 だが。

 

 大きいからこそ。

 

 動きは見える。

 

「そこの――」

 

「誰がそこのよ!」

 

「名前知らないんだから仕方ないでしょ!」

 

「犬吠埼風!」

 

「犬吠埼さん」

 

「急に他人行儀ね!?」

 

「右!」

 

「は?」

 

「いいから右!」

 

 風の眉が吊り上がる。

 

 だが。

 

『右方向、高エネルギー反応』

 

 プラナ。

 

「っ!」

 

 風は反射的に跳んだ。

 

 直後。

 

 さっきまでいた場所へ。

 

 ヴァルゴの攻撃。

 

 爆発。

 

「……」

 

「止まらないで、犬吠埼さん!」

 

 先生の声が飛ぶ。

 

「今、正面が空いた!」

 

「友奈!」

 

「うん!」

 

 友奈が走る。

 

「結城さん、真正面はダメ!」

 

「え!?」

 

「少し左!」

 

 友奈がずれる。

 

 攻撃。

 

 横を通過。

 

「今!」

 

「――やああああっ!」

 

 拳。

 

 外殻へ。

 

 衝撃。

 

 ヴァルゴが。

 

 僅かに揺れる。

 

「入った!」

 

「結城さん、離れて!」

 

「うん!」

 

「何でこいつの指示素直に聞いてんのよ!?」

 

 風が叫ぶ。

 

「なんか分かりやすい!」

 

「私の指示も分かりやすいでしょうが!」

 

「聞いてるよ!」

 

 先生が。

 

 思わず目を瞬く。

 

「……元気だね」

 

『先生、集中してください!』

 

「分かってるって」

 

 でも。

 

 少しだけ。

 

 安心した。

 

 あんなものを相手にして。

 

 怖くないはずがない。

 

 なのに。

 

 まだ仲間と声を掛け合える。

 

 まだ冗談を言える。

 

 それは。

 

 強さだった。

 

 勇者だから、ではない。

 

 彼女たち自身の。

 

「樹!」

 

 風が呼ぶ。

 

「はい!」

 

「援護!」

 

 少女が動く。

 

 けれど。

 

 視線は。

 

 敵より。

 

 何度も風へ向く。

 

「犬吠埼さん」

 

「何!」

 

 先生が風を見る。

 

「彼女、妹さんかな」

 

「君が前に出すぎると、妹さんが君しか見なくなる」

 

「……!」

 

 今度は樹を見る。

 

「犬吠埼妹さん」

 

「は、はい!」

 

「お姉さんだけ見なくていいよ」

 

「え?」

 

「お姉さんが見てない方向を見る。それでいい」

 

 樹は。

 

 風を見る。

 

「……お姉ちゃん」

 

 風が。

 

 一瞬。

 

 何かを言おうとして。

 

 やめた。

 

「樹」

 

「うん」

 

「背中、任せる」

 

「……うん!」

 

 動きが。

 

 変わる。

 

 姉を追いかけるだけだった樹が。

 

 敵を見る。

 

 周囲を見る。

 

「……」

 

 先生は。

 

 次に。

 

 東郷を見る。

 

 戦えていない。

 

 だが。

 

 見ている。

 

 ずっと。

 

 敵を。

 

「東郷さん」

 

「はい」

 

「さっきの遠距離攻撃」

 

「……」

 

「撃つ前に予備動作あったよね」

 

 東郷の目が。

 

 少し見開かれる。

 

「中央部です」

 

「やっぱり」

 

「発射の少し前に、中央部が発光しています」

 

「何秒?」

 

「三秒程度だと思います」

 

「十分だね」

 

 先生が前を見る。

 

「みんな!」

 

「みんな!?」

 

 風。

 

「細かいことは後!」

 

 東郷が敵を見る。

 

「発光!」

 

「三秒!」

 

 先生。

 

「散開!」

 

 三人が。

 

 別方向へ。

 

 一。

 

 二。

 

 三。

 

 光線。

 

 その間を。

 

 誰にも触れずに抜けていく。

 

「避けた!」

 

 友奈が叫ぶ。

 

「まだだよ、結城さん!」

 

 先生。

 

 ヴァルゴが。

 

 姿勢を変える。

 

「次は近距離!」

 

 巨大な部位が。

 

 振り下ろされる。

 

「結城さん、下がらない!」

 

「え!?」

 

「前!」

 

「前!?」

 

「懐に入って!」

 

 一瞬。

 

 友奈は迷う。

 

 けれど。

 

「分かった!」

 

 走る。

 

 攻撃の内側。

 

 巨大な一撃が。

 

 頭上を通り抜ける。

 

「今!」

 

「勇者パァァァンチ!!」

 

 拳。

 

 白い外殻に。

 

 大きな亀裂。

 

「いける!」

 

 風も続く。

 

「そこね!」

 

 巨大な剣。

 

 亀裂へ。

 

 ヴァルゴの身体が。

 

 大きく揺れた。

 

「押してる!」

 

 樹が。

 

 嬉しそうに叫ぶ。

 

 その声に。

 

 先生も。

 

 少しだけ笑った。

 

「まだ油断しないで」

 

『先生』

 

「何?」

 

 プラナ。

 

『高エネルギー反応』

 

「遠距離?」

 

『異なります』

 

 先生の笑みが消える。

 

『敵性個体内部。先ほどの攻撃より高出力』

 

「どれくらい」

 

『推定不能』

 

「……そう」

 

 ヴァルゴの動きが止まった。

 

「全員離れて!」

 

 先生が叫ぶ。

 

 光。

 

 白い光が。

 

 異形全体から漏れ出す。

 

「友奈!」

 

「っ!」

 

 風が。

 

 友奈を掴む。

 

 樹も後退。

 

 東郷は。

 

 車椅子を動かす。

 

 先生が。

 

 彼女の方を見る。

 

「東郷さん!」

 

「大丈夫です!」

 

 今度は。

 

 さっきと違う。

 

 距離がある。

 

 避けられる。

 

 そう思った。

 

 だが。

 

 ヴァルゴの射線が。

 

 僅かに変わる。

 

『先生』

 

 プラナ。

 

『敵性個体の照準変更』

 

「どこ」

 

『――先生です』

 

「……え?」

 

 ヴァルゴの中心が。

 

 明確に。

 

 先生へ向いた。

 

「先生!」

 

 アロナ。

 

「何で私?」

 

『不明!』

 

 友奈が、先生へ走ろうとする。

 

「結城さん、来ないで!」

 

「でも!」

 

「いいから!」

 

 先生は。

 

 シッテムの箱を構える。

 

「アロナ」

 

『はい!』

 

「今度は」

 

 一呼吸。

 

「私だけでいい」

 

『……』

 

「東郷さんは射線から外れてる」

 

『先生』

 

「大丈夫」

 

『その言葉は信用できません!』

 

「知ってる!」

 

 光が。

 

 来る。

 

 青白い障壁。

 

 展開。

 

 衝突。

 

 今度は、先ほどより短い。

 

 数秒。

 

 それでも。

 

 先生の足が大きく後ろへ滑った。

 

「……っ!」

 

『防護機構限界値接近!』

 

「もう少し!」

 

『先生!』

 

「まだ!」

 

 ヴァルゴの光が。

 

 障壁へ集中する。

 

 亀裂。

 

 青白いノイズがする。もう、持たない...!

 

「……今!」

 

 先生が叫ぶ。

 

「結城さん!」

 

「うん!」

 

 その瞬間、先生は。

 

 横へ飛ぶ。

 

 バリアが消える。

 

 光線が何もない空間を貫いた。

 

 そして攻撃直後、ヴァルゴは僅かに動きを止めている。

 

「そこ!」

 

 先生が叫ぶ。

 

 友奈が地面を蹴った。

 

「――やあああああっ!」

 

 拳。

 

 さきほどの亀裂。

 

 さらに。

 深く。

 

「犬吠埼さん!」

 

「言われなくても!」

 

 風の剣が、外殻を砕く。

 

「犬吠埼さん!」

 

 先生は今度は樹へ視線を向ける。

 

「はい!」

 

「援護お願い!」

 

 敵の姿勢が崩れる。

 

「東郷さん!」

 

「中央に――」

 

 東郷が叫ぶ。

 

「核のようなものが見えます!」

 

「結城さん!」

 

「任せて!」

 

 友奈が踏み込む。

 

 一撃。

 二撃。

 三撃。

 最後。

 

 全身の力を拳へ。

 

「――勇者パァァァンチ!!」

 

 衝撃。

 

 世界から一瞬音が消えた。

 

 ヴァルゴの中央に無数の亀裂。

 

 そして崩壊。

 

 花びらのように巨大な異形が消えていく。

 

「……」

 

 友奈は拳を構えたまま。しばらく動かなかった。

 

「……終わった?」

「……たぶん」

 

「勝った?」

 

 友奈。

 

「ええ」

 

 風の言葉。

 

 それを聞いた瞬間、友奈の顔がぱっと明るくなる。

 

「勝ったぁぁぁぁ!」

 

「ちょ、友奈!」

 

「部長! 勝ったよ!」

 

「分かったから抱きつくな!」

 

「お姉ちゃん!」

 

「樹まで!?」

 

 声。

 

 笑い。

 

 少しだけ。

 

 涙。

 

 先生はその光景を少し離れた場所から見ていた。

 

「……」

 

『先生』

 

 アロナ。

 

「ん?」

 

『あの子たち』

 

「うん」

 

『……子どもですね』

 

 先生はしばらく何も言わなかった。

 

「そうだね」

 

 友奈。

 

 風。

 

 樹。

 

 東郷。

 

 戦闘が終われば普通の少女たち。

 

「十三歳」

 

 先生が。

 

 小さく呟く。

 

「十三歳で」

 

 消えていく。

 

 ヴァルゴの残光を見る。

 

「あんなのと戦ってるのか」

 

 返事はなかった。

 

      ◇

 

 樹海に。

 

 変化が起きる。

 

 花。

 

 木々。

 

 空。

 

 それらが少しずつ光へ溶け始める。

 

「先生!」

 

 友奈が振り返る。

 

「元の世界に戻るよ!」

 

「元の?」

 

「たぶん!」

 

「たぶんかあ」

 

「初めてだから!」

 

「それなら仕方ないね」

 

 風が先生へ近づく。

 

「で」

 

「ん?」

 

「あんた、結局何者?」

 

「私?」

 

「そう!」

 

 風が。

 

 シッテムの箱を指差す。

 

「あの変な板!」

 

『変な板!?』

 

「喋った!?」

 

「今更!?」

 

「さっきは戦ってたからそれどころじゃなかったのよ!」

 

「確かに」

 

「あんたも納得しない!」

 

 先生は。

 

 少し笑う。

 

「まあ」

 

 頭を掻く。

 

「私も色々聞きたいんだけどね」

 

「例えば?」

 

「ここがどこなのか」

 

「……」

 

「あと」

 

 先生は。

 

 消えていく樹海を見る。

 

「何で中学生があんなのと戦ってるのか」

 

 風の表情が。

 

 一瞬だけ。

 

 止まった。

 

「……それは」

 

「今すぐじゃなくていいよ」

 

 先生は。

 

 風を見る。

 

「でも後で教えて」

 

「……」

 

「ちゃんと知りたいから」

 

 風は視線を逸らした。

 

「……分かった」

 

「ありがとう」

 

 その時。

 

 東郷が先生を見る。

 

「あなたは、どこから来たんですか?」

 

「それが」

 

 先生は少し困ったように笑った。

 

「自分でも分からないんだよね」

 

「……はい?」

 

「少し前までコーヒー飲んでた」

 

「コーヒー?」

 

「うん」

 

「どこで?」

 

「キヴォトス」

 

「……キヴォトス?」

 

 東郷が眉をひそめる。

 

「聞いたことがありません」

 

「だよね」

 

「だよね、とは?」

 

「私もさっきから嫌な予感してるから」

 

 風。

 

「ちょっと待ちなさい」

 

「ん?」

 

「名前」

 

「名前?」

 

「あんたの名前!」

 

「ああ」

 

 先生は。

 

 少し考える。

 

「先生」

 

「……は?」

 

「先生でいいよ」

 

「何それ!」

 

「仕事」

 

「名前聞いてるのよ!」

 

「みんなそう呼ぶから」

 

「みんなって誰!?」

 

「生徒たち」

 

 東郷の視線が少し鋭くなる。

 

「……本当に教師なんですか?」

 

「一応ね」

 

「一応」

 

「色々あるんだよ」

 

「怪しいです」

 

「そんなにはっきり言う?」

 

「初対面の女子中学生に、自分を先生と呼ばせる身元不明の成人男性ですよ」

 

「……」

 

 先生が。

 

 少し考える。

 

「今の言い方だとすごく怪しいな」

 

「今気づいたんですか?」

 

 友奈が吹き出す。

 

「先生、面白い!」

 

「褒められてる気がしない」

 

 樹も小さく笑う。

 

 風は額を押さえる。

 

「なんなのよ、ほんと……」

 

 その時。

 

 世界が。

 

 白く染まった。

 

      ◇

 

 時間が動き出す。

 

 夕暮れ。讃州中学校。

 

 風。

 

 人の声。

 

 鳥。

 

 車。

 

 何もなかったかのように。

 

 現実が戻ってきた。

 

「……」

 

 先生は。

 

 言葉を失った。

 

 先ほどまでの巨大な樹海はどこにもない。

 

 校舎。

 

 道路。

 

 電柱。

 

 街。

 

 普通の。

 

 どこにでもありそうな。

 

 日本の街並み。

 

「プラナ」

 

『はい』

 

「位置情報」

 

『取得不能』

 

「衛星」

 

『既知の衛星信号を検出できません』

 

「通信」

 

『キヴォトスのネットワークは確認できません』

 

「……そっか」

 

 短い返事。

 

 アロナが不安そうに先生を見る。

 

『先生……』

 

「大丈夫」

 

『でも』

 

「三人ともいるでしょ」

 

『……はい』

 

「なら、何とかなるよ」

 

『……』

 

 アロナは。

 

 小さく頷いた。

 

 プラナも。

 

『肯定します』

 

 先生は。

 

 勇者部を見る。

 

「さて」

 

「さて?」

 

 友奈。

 

「私」

 

 先生は。

 

 周囲を見る。

 

「帰る場所ないみたい」

 

「ええっ!?」

 

「いや、私も困ってる」

 

「そんな軽く言うこと!?」

 

 風。

 

「じゃあ!」

 

 友奈が。

 

 手を上げる。

 

「勇者部来る?」

 

「友奈!?」

 

「だって困ってるんでしょ?」

 

「困ってるけど!」

 

「勇者部五箇条!」

 

「今!?」

 

「一つ、挨拶はきちんと!」

 

「それ今関係ある!?」

 

「一つ、なるべく諦めない!」

 

「だから!」

 

 先生が思わず笑う。

 

「仲いいね、君たち」

 

「そこ!?」

 

 風。

 

「先生」

 

 東郷が静かに呼ぶ。

 

「ん?」

 

「まずは事情を確認させてください」

 

「もちろん」

 

「……その端末についても」

 

『私ですか!?』

 

「それと」

 

 東郷の目が僅かに細くなる。

 

「先ほどの光の壁についても」

 

 先生はシッテムの箱を見る。

 

「うん」

 

 少しだけ。

 

 笑みが消える。

 

「私も知りたい」

 

「……自分でも分からないんですか?」

 

「全くじゃないよ」

 

 先生は先ほどヴァルゴの攻撃を防いだ青白い障壁を思い出す。

 

「ただ」

 

 少しだけ。

 

 考えて。

 

「今までとは、ちょっと違った」

 

「違った?」

 

「こっちに来た影響なのか。それとも」

 

 先生は。

 

 そこまで言って。

 

 やめる。

 

「まあ、それも後で調べよう」

 

 友奈が。

 

 先生を見る。

 

「先生」

 

「ん?」

 

「助けてくれてありがとう」

 

「……」

 

 先生は。

 

 一瞬。

 

 言葉に詰まった。

 

「東郷さんが危なかった時」

 

 友奈が笑う。

 

「先生が来てくれなかったら、どうなってたか分からなかった」

 

 東郷も少しだけ頭を下げる。

 

「……ありがとうございました」

 

「やめてよ」

 

「え?」

 

「私が勝手にやっただけだから」

 

 先生は。

 

 困ったように笑う。

 

「それに」

 

 勇者たちを見る。

 

「最後に倒したのは君たちでしょ」

 

 友奈の顔が明るくなる。

 

「うん!」

 

「なら胸張っていいよ」

 

「はい!」

 

 元気な返事。

 

 先生はその笑顔を見る。

 

 そして。

 

 ふと。

 

 思う。

 

 まだ。

 

 何も知らない。

 

 この世界のことも。

 

 神樹のことも。

 

 バーテックスのことも。

 

 勇者のことも。

 

 どうして。

 

 十三歳の少女たちがあんな戦場へ送り出されているのかも。

 

 何一つ分からない。

 

 ただ。一つだけ分かる。

 

 あれは。

 

 子どもが立つには。

 

 あまりにも。

 

 危険すぎる場所だった。

 

「……」

 

 先生はシッテムの箱を抱える。

 

 アロナ。

 

 プラナ。

 

 そして。

 

 目の前のまだ何も知らない少女たち。

 

「勇者部、か」

 

「うん!」

 

 友奈が。

 

 笑う。

 

「人の役に立つことをする部活だよ!」

 

「……そっか」

 

 先生は。

 

 小さく笑った。

 

「いい部活だね」

 

「でしょ!」

 

 その笑顔を見ながら。

 

 先生はもう一度だけ先ほどの戦場を思い出す。

 

 白い怪物。

 

 砕ける大地。

 

 飛び交う攻撃。

 

 そして。

 

 その中心に。

 

 立っていた少女たち。

 

「……十三歳、ね」

 

 小さな呟き。

 

 誰にも。

 

 聞こえないほどの声で。

 

「ほんと」

 

 一度息を吐いて。

 

「どうなってるんだよ、この世界」

 

 神世紀三百年。

 

 この日。

 

 本来なら存在するはずのない一人の大人が。

 

 勇者たちの戦場へ足を踏み入れた。

 

 それが何を変えるのか。

 

 まだ。

 

 誰も知らない。

 

 先生自身でさえも。

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