花たちは嚮導者の夢を見るか 作:おこそつのぬほふもむよゆらわ
四月二十七日。
先生がこの世界へ来てから、まだ数日しか経っていない。
それでも朝の讃州中学校へ向かう道は、初日よりずっと見慣れたものになっていた。
住宅街を抜ける。制服姿の生徒たちが自転車で横を通り過ぎ、信号が青へ変わる。パン屋から漂う香りも、道路脇に並ぶ自動販売機も、先生がかつて暮らしていた日本によく似ていた。
違う世界だと頭では分かっている。
だが時々、自分が昔の日本へ戻ってきただけなのではないかと錯覚する。
『先生。本日の予定を確認します』
「お願い、プラナ」
『午前中は大赦からの連絡待機。午後は讃州中学校への訪問が許可されています』
「勇者部は?」
『通常活動の予定です』
「そっか」
『ただし』
プラナが一拍置いた。
『本日は大赦から、可能な限りシッテムの箱を携帯した状態で行動するよう要請されています』
「昨日も聞いたよ」
『先生が軽く受け流したため再確認しています』
「ちゃんと覚えてるって」
『信用度は低めです』
「最近プラナの私に対する評価が厳しくない?」
『合理的な評価です』
『でも今日はちゃんと言うこと聞いてくださいね、先生!』
アロナまで加わる。
「分かった分かった」
『返事が軽いです!』
「二人とも心配性だなあ」
『先生が心配させるからです!』
「それは……否定しづらいね」
先生は苦笑しながら歩き続ける。
今日。
四月二十七日。
その日付が大赦にとって重要な意味を持っていることを、先生は既に聞かされていた。
新たなバーテックスが襲来すると予測されている日。
しかも一体ではない。
三体。
スコーピオン。
キャンサー。
サジタリウス。
大赦から聞かされた名前だけでは、その姿も能力も分からない。
分かっているのは、昨日までの日常が今日も続く保証はないということだった。
◇
「先生」
昼過ぎ。
勇者部の部室へ向かう途中で声をかけてきたのは東郷だった。
「東郷さん」
「少し時間いいですか?」
「もちろん」
「できれば二人で話したいんです」
先生は少しだけ意外に思った。
東郷は以前より警戒を解いてくれているようには見えるが、まだ先生へ積極的に話しかけるタイプではない。
「分かった。どこがいい?」
「中庭へ行きませんか」
「いいよ」
二人で校舎を出る。
春の日差しは穏やかだった。
中庭の隅にはベンチがあり、その近くに花壇が並んでいる。授業中なのか周囲に生徒の姿はほとんどなかった。
先生がベンチへ腰掛ける。
東郷はその隣に車椅子を止めた。
「それで、話って?」
「先生に聞きたいことがあります」
「何?」
東郷は少しだけ先生を見つめた。
「先生って、強いんですか?」
「……」
予想外の質問だった。
「急だね」
「ずっと気になっていました」
「強いって、どういう意味?」
「身体能力です。戦闘能力と言い換えてもいいです」
「ああ」
先生は納得した。
「弱いよ」
「……はい?」
「普通に弱い」
あまりに迷いのない返答だったらしく、東郷が少し目を丸くする。
「謙遜ですか?」
「してないよ。東郷さんたちとは比べものにならない」
「でもバーテックスの攻撃を」
「あれはシッテムの箱が守ってくれただけ」
先生は脇に抱えた箱を見る。
「私自身が受け止めたわけじゃないよ」
『その通りです』
プラナが画面へ現れる。
『先生の身体能力は、現在確認されている勇者の身体能力と比較して著しく低いものと推定されます』
「著しくって」
『事実です』
「もうちょっと言い方ない?」
『ありません』
東郷が先生をじっと見る。
「例えば」
「うん」
「私たちが変身した状態で受けられるような攻撃を先生が直接受けたら?」
「多分死ぬ」
「……」
先生はあっさり答えた。
「バーテックスじゃなくても、普通に刃物で刺されたら怪我するし、銃で撃たれたら危ない。高いところから落ちても危ないね」
「キヴォトスの人間は違うんですか?」
「かなり違う」
先生は少し苦笑する。
「向こうの生徒たちは本当に丈夫だから。銃撃戦に巻き込まれても普通に翌日学校に来たりするし」
「……それが普通なんですか?」
「キヴォトスではね」
「先生は?」
「私は普通の人間」
東郷は黙った。
「正確には、私がキヴォトスへ来る前にいた世界の人間と同じ身体だと思う」
「前にいた世界」
「昔の日本」
「……先生の故郷ですね」
「そうなるかな」
先生は空を見る。
青い空。
雲。
どこにでもありそうな日本の空だった。
「私がいた日本では、人間は銃で撃たれたら普通に死ぬ。車に轢かれても危ないし、火事の中に入れば火傷する」
「それが普通」
「少なくとも私にはね」
「なら」
東郷の声が少し低くなった。
「どうしてあの時、私の前に出たんですか」
先生は東郷を見る。
「最初の戦いです」
「うん」
「あの時、先生はまだ私のことを知りませんでした」
「そうだね」
「この世界のことだって知らなかった。バーテックスが何なのかも、自分の端末の防壁が攻撃を防げるのかも分かっていなかった」
「うん」
「それなのに私の前に出た」
東郷の手が僅かに握られる。
「もし防壁が出なかったら?」
「危なかっただろうね」
「危なかった、ではありません」
東郷が少し強い口調になる。
「先生は死んでいたかもしれないんですよ」
「そうだね」
「怖くなかったんですか?」
先生は少し黙った。
あの瞬間を思い出す。
白い光。
耳を塞ぎたくなるような轟音。
背後には逃げられない東郷。
シッテムの箱。
アロナの声。
自分の足が震えていたことも覚えている。
「怖かったよ」
「……」
「ものすごく」
先生は笑った。
「正直、今思い出しても怖い」
「でも逃げなかった」
「逃げる時間がなかったとも言えるかな」
「先生」
「ごめん」
東郷の真剣な表情を見て、先生も笑みを少し引っ込めた。
「本当に怖かったよ。私は東郷さんたちみたいに変身できるわけじゃない。バリアが出る保証だってなかった」
「それなら、どうして」
「多分」
先生は少し考える。
「考える前に身体が動いたんだと思う」
「それを勇気っていうんじゃないですか?」
「どうだろうね」
先生は花壇へ目を向けた。
「私、勇気って怖くないことだとは思ってないんだ」
東郷が黙って聞く。
「怖いものは怖いよ。痛いのも嫌だし、死ぬのも嫌だ」
「……先生でも?」
「当たり前でしょ」
「でも」
「東郷さん」
先生は静かに続ける。
「怖くない人しか誰かを助けられないなら、多分ほとんどの人は誰も助けられないよ」
「……」
「怖くても、やらなきゃって思うことがある。逃げたいけど、それより先に誰かを助けたいって思う時がある」
少し間を置く。
「それを勇気って呼ぶなら、そうなのかもしれないね」
東郷は視線を落とした。
「私は」
「うん」
「前の戦いで何もできませんでした」
先生は何も言わず待つ。
「友奈ちゃんも風先輩も樹ちゃんも戦っていたのに、私は見ていることしかできなかった」
「……」
「怖かったんです」
その言葉は小さかった。
「自分だけ動けなくて。みんなが傷ついているのに」
東郷の手が膝の上で強く握られる。
「勇者なのに」
「東郷さん」
「私は勇者として選ばれたはずなのに、戦えなかった」
「それって」
先生は東郷を見る。
「勇者なら怖がっちゃいけないってこと?」
「え?」
「怖かったんでしょ」
「……はい」
「だったら仕方ないよ」
「仕方ない?」
「最初から巨大な化け物を見て平気な中学生の方が、私は心配になるかな」
「でも友奈ちゃんは」
「結城さんだって怖かったと思うよ」
東郷の顔が上がる。
「本人に聞いたわけじゃないけどね」
「……」
「怖くても動ける人もいる。怖くて動けなくなる人もいる。昨日動けなかったからって、ずっと動けないって決まったわけじゃないでしょ」
「先生は簡単に言いますね」
「そう聞こえた?」
「少し」
「じゃあ言い方が悪かったな」
先生は頭を掻く。
「別に次は絶対戦えって言ってるわけじゃないよ」
「え?」
「戦いたくないなら、それだって東郷さんが決めることだ」
「でも私は勇者です」
「それと東郷さん自身がどうしたいかは別じゃない?」
「……」
「少なくとも私は、怖がったことを理由に東郷さんを弱いとは思わない」
先生は少し笑う。
「むしろ怖いのに、こうやって自分のこと考えてる方がよっぽど大変だと思うけど」
「慰めています?」
「半分くらい」
「残り半分は?」
「本音」
「逆じゃないですか?」
「両方本音だからね」
東郷が思わず小さく笑った。
「先生って、時々適当ですよね」
「時々?」
「……かなり」
「評価下がったなあ」
「元から高くありません」
「東郷さん厳しいね」
少しだけ空気が和らぐ。
それでも東郷の表情から迷いが完全に消えたわけではなかった。
「先生」
「何?」
「もし次にバーテックスが来たら、先生はどうするんですか」
「私?」
「はい」
先生は即答しなかった。
「戦う?」
「先生は弱いんですよね」
「そうだね」
「なら戦えません」
「正面からはね」
「それでも行くんですか?」
「多分」
「どうして」
「結城さんたちが行くから」
東郷が目を細める。
「それは答えになっていません」
「そう?」
「先生が行っても危険なだけです」
「耳が痛いなあ」
「本気です」
「分かってるよ」
先生は少し考えてから言った。
「私が前に出ても、バーテックスを殴り倒せるわけじゃない。だったら前に出ない方がいい」
「なら」
「でも見て、考えて、伝えることはできる」
「指揮ですか」
「そこまで大げさじゃなくてもね」
第一戦。
敵の予備動作。
攻撃の方向。
仲間同士の視線。
直接戦えなくても、できることはあった。
「私は先生だから」
「またそれですか」
「便利な言葉でしょ?」
「友奈ちゃんみたいになってきましたね」
「それは褒められてる?」
「どうでしょう」
「東郷さん」
「はい」
「笑ってるでしょ」
「気のせいです」
確かに口元は少し笑っていた。
◇
同じ頃。
大赦では別の問題が起きていた。
「時刻は」
「十四時三十分を経過」
「樹海化の兆候は?」
「ありません」
「神樹様から新たな神託は」
「なし」
静かな部屋。
正面の画面には四国全域の観測情報が表示されている。
何も起きていない。
それこそが問題だった。
「予測に変更はないのか」
「ありません」
大赦の関係者が資料を確認する。
「本日四月二十七日。スコーピオン、キャンサー、サジタリウスの三体が襲来する。この神託そのものに訂正はありません」
「ではなぜ来ない」
「不明です」
「過去の誤差は」
「ここまで大きくはありません」
沈黙。
大赦にとって神託とは予報ではない。
人間が気象情報を集めて未来を推測するものとは根本的に違う。
神樹様より示されるもの。
絶対ではない。
解釈の余地が生じることもある。
だが今日の襲来については明確だった。
四月二十七日。
三体。
それにもかかわらず、正午を過ぎても樹海化は起きていない。
「勇者たちは」
「通常待機させています」
「先生は」
「讃州中学に」
一人が僅かに顔を上げる。
「……先生がこの世界へ現れたのは二十六日だったな」
「はい」
「その直後の襲来には変化があったか」
「第一のバーテックス自体には、記録上大きな差異は確認されていません」
「記録上、か」
「ただし」
「何だ」
「戦闘終盤。バーテックスが先生を明確に標的とした可能性があります」
画面へ映像が表示される。
ヴァルゴ・バーテックス。
その中心部が先生へ向く。
「偶然ではないのか」
「判断できません」
「シッテムの箱は」
「大赦側では解析不能です」
別の者が口を開く。
「神託では害することなかれと」
「分かっている」
「ならば先生へ直接的な干渉は避けるべきです」
「当然だ」
再び画面を見る。
何も起きていない四国。
平穏。
それなのに室内には重い緊張が漂っている。
「現在十五時」
報告。
「樹海化反応なし」
◇
「遅いわね」
放課後。
勇者部の部室で風が何度目かの時間確認をした。
「何が?」
友奈が尋ねる。
「バーテックス」
「あ」
友奈もスマートフォンを見る。
「今日なんだっけ」
「大赦の話だとね」
樹が少し不安そうな顔をする。
「来ない方がいいんじゃない?」
「それはそうなんだけど」
風も困ったように腕を組む。
「来るって分かってるのに来ないのは、それはそれで気持ち悪いのよ」
先生は窓際でその会話を聞いていた。
「時間までは分からないんだよね」
「一応今日ってことしか」
「なら夜かもしれないよ」
「そうなんだけどね」
「部長」
友奈が笑う。
「来ないなら来ないでいいじゃん!」
「そのくらい気楽に考えられたら苦労しないわよ」
「だって来るまで悩んでも仕方ないよ」
先生が少し笑った。
「それは結城さんの方が正しいかもね」
「でしょ!」
「先生まで」
風が呆れる。
「でも準備はしておこう」
「え?」
先生は机の上へノートを置いた。
「昨日、大赦から聞いた三体の情報を整理した」
「先生、こういうの好きね」
「好きなわけじゃないよ。必要だからやってるだけ」
先生はページを開く。
「スコーピオンは名前からすると近距離型らしい。キャンサーは防御能力が高い可能性がある。サジタリウスは遠距離攻撃」
「情報少なくない?」
「少ない」
「大赦はそれしか教えてくれなかったの?」
「正確な戦闘データが十分じゃないらしい」
風が嫌そうな顔をする。
「ぶっつけ本番?」
「そうならないように考えるんだよ」
先生は三つの名前を丸で囲む。
「三体が同時に来るなら、一体ずつ考えるより連携を考えた方がいい」
東郷が横からノートを見る。
「遠距離攻撃のサジタリウスを他の二体が守る可能性がありますね」
「私もそう思う」
「なら先にサジタリウスを」
「簡単に狙わせてくれるならね」
先生は別の丸を描く。
「キャンサーが防御役。スコーピオンが近づいてきた相手を迎撃。後ろからサジタリウス」
「……嫌な組み合わせね」
風が顔をしかめる。
「まだ予想だよ」
「先生」
友奈が手を挙げる。
「はい、結城さん」
「全部殴ったらダメ?」
「作戦会議を根本から壊さないで」
「でも最後は殴るよ?」
「それはそうかもしれないけど、そこまでの過程を考えてるんだよ」
「なるほど!」
「本当に分かった?」
「大体!」
「不安だなあ」
友奈が笑う。
先生も少し笑った。
その一方で東郷だけは、ノートと先生を交互に見ていた。
先ほどの会話が残っている。
弱い。
先生は自分でそう言った。
それなのに。
まるで自分も戦場へ行くことを当然のように準備している。
「先生」
「何、東郷さん」
「一つだけ約束してください」
「何?」
「前に出ないでください」
友奈たちも東郷を見る。
「東郷?」
風が首を傾げる。
「先生は私たちみたいに丈夫じゃありません」
「ああ」
先生は困ったように笑った。
「話したんだ」
「重要です」
「まあ、そうだね」
「バリアがあるからといって無茶をしないでください」
『東郷美森さんの意見に全面的に同意します』
プラナが即座に援護する。
『私もです!』
アロナまで。
「三対一だ」
「四対一よ」
風も言った。
「私も同意」
「お姉ちゃんが言うなら私も」
「五対一」
樹。
「先生!」
友奈も手を挙げる。
「私も!」
「六対一かあ」
「多数決だね!」
「結城さん、こういう時だけ民主主義使うのやめない?」
「ダメ?」
「ダメじゃないけど」
「じゃあ決定!」
先生は頭を掻く。
「分かったよ。前には出ない」
「絶対?」
「結城さん」
「絶対?」
「……できる限り」
「先生!」
「戦場で絶対って言う方が無責任でしょ」
友奈が少し頬を膨らませる。
「でも無茶しないでね」
「分かってるよ」
先生はそう答えた。
東郷はまだ少し不満そうだった。
「信用できません」
「そこまで?」
「先生は自分のことになると基準が緩いです」
「東郷さんまでプラナみたいなこと言うようになったね」
『正確な評価です』
「増えたなあ、私の監視役」
◇
十七時。
大赦。
「反応なし」
十八時。
「樹海化の兆候なし」
十九時。
「依然として確認されません」
日が落ちる。
本来なら。
既に襲来していてもおかしくない。
だが何もない。
「神託を再確認」
「変更ありません」
「本当に本日なのか」
「神世紀三百年四月二十七日。この点に誤読の余地はありません」
「三体という点は」
「同様です」
「……」
誰も言葉を続けられない。
神託が間違っている。
その可能性を口にする者はいなかった。
ならば。
何か別の理由がある。
「先生の出現との関連は」
「証拠がありません」
「偶然か」
「現時点では、それ以上の判断はできません」
「勇者部へ警戒継続を」
「既に」
「先生にも」
「伝えます」
◇
夜。
勇者部の面々は解散せず、部室に残っていた。
「八時かあ」
友奈が時計を見る。
「今日はもう来ないのかな」
「大赦からはまだ待機って」
風が答える。
「お腹空いた」
「友奈」
「だって空くものは空くよ」
「緊張感ないわね」
「お腹空いてる方が戦えないよ!」
「それは正論だけど」
先生が鞄から菓子を取り出す。
「食べる?」
「先生!」
友奈の目が輝いた。
「何で持ってるの!?」
「今日は長くなるかもって思ったから」
「先生すごい!」
「評価基準がお菓子?」
「大事だよ!」
樹も少し笑う。
「いただいていいんですか?」
「もちろん」
先生は全員へ配る。
東郷にも差し出す。
「東郷さんも」
「ありがとうございます」
「先生は?」
「私は後で」
東郷の目が細くなる。
「よく食べてよく寝る」
「……」
「勇者部五箇条です」
「私、勇者部員じゃないんだけど」
「仮部員だよ!」
友奈が即座に口を挟む。
「結城さんまで」
「食べて!」
「はいはい」
先生も一つ取る。
友奈が満足そうに頷いた。
「よろしい!」
「誰が先生なんだろうね」
少しだけ笑いが起きる。
待つ。
二十一時。
何もない。
二十二時。
何もない。
大赦からの連絡も「警戒を継続してください」というものだけ。
「さすがに眠くなってきた……」
友奈が机へ突っ伏す。
「よく寝るのも五箇条だよ」
先生が言う。
「先生」
「何?」
「ここで寝ていい?」
「風邪引くよ」
「じゃあ先生の肩」
「何で?」
「枕」
「雑に扱われてない?」
「仮部員の仕事!」
「そんな仕事聞いてないなあ」
風が呆れる。
「友奈、いい加減にしなさい」
「はーい」
返事をしながら、友奈はまだ机に伏せている。
先生はその姿を見て少し笑った。
こんな時間まで中学生を待機させる。
それだけでも現代日本人だった頃の感覚なら異常だ。
しかし。
今日来る。
そう分かっているなら帰すわけにもいかない。
先生にも代案はなかった。
「……嫌だな」
小さく呟く。
『先生?』
「何でもないよ」
二十二時五十分。
誰もが。
今日来ないのではないかと。
ほんの少し思い始めた頃だった。
東郷のスマートフォンが震えた。
続いて。
友奈。
風。
樹。
四台。
同時。
「……!」
全員の顔が上がる。
警告音。
先生も立ち上がる。
「来た?」
「……ええ」
風がスマートフォンを見る。
画面に表示された警告。
同時に。
窓の外から音が消えた。
夜の街。
車。
遠くの人の声。
風。
全てが。
止まる。
「樹海化……!」
友奈が立ち上がる。
世界が変わる。
夜空が消える。
校舎の向こう。
巨大な樹木。
無数の花。
緑色の光。
先生がシッテムの箱を握る。
「アロナ」
『はい!』
「プラナ」
『周辺解析開始』
風がスマートフォンを構える。
「みんな、行くわよ!」
「うん!」
「はい!」
友奈。
樹。
そして。
東郷。
先生は東郷を見る。
東郷もこちらを見ていた。
昼間の会話。
怖い。
動けない。
勇気とは何なのか。
先生は何も言わなかった。
頑張れとも。
戦えとも。
ただ。
「東郷さん」
「はい」
「自分で決めていいからね」
一瞬。
東郷の目が揺れた。
「……はい」
その時。
『先生』
プラナの声。
いつもより僅かに低い。
「何?」
『敵性反応を確認』
「何体?」
沈黙。
『三体』
先生の表情が変わる。
「やっぱり来たか」
『識別を開始』
遠く。
樹海の向こう。
三つの巨大な影が姿を現す。
一つ。
低く構えた異形。
尾のような器官を持つ。
『第一敵性個体。推定スコーピオン』
二つ。
硬質な外殻に覆われた巨大な異形。
『第二敵性個体。推定キャンサー』
そして。
その遥か後方。
こちらへ向けて。
まるで巨大な弓を引くように身体を開く第三の影。
『第三敵性個体』
光が集まる。
『推定サジタリウス』
「先生!」
友奈が叫ぶ。
「来る!」
先生は三体を見る。
昨日考えた配置。
前衛。
防御。
遠距離。
「……最悪」
「え?」
先生の視線が鋭くなる。
「結城さん、全員に伝えて」
「何を?」
「固まらないで」
後方のサジタリウスに光が収束していく。
「三体とも別々に動いてるんじゃない」
キャンサーが移動する。
サジタリウスの前へ。
スコーピオンがその側面を塞ぐ。
先生が息を呑む。
「こいつら」
予想が。
当たった。
「最初から連携してる」
光が放たれた。
その瞬間。
神世紀三百年四月二十七日。
本来の刻限から大きく遅れて。
二度目の戦いが始まった。