Persona4 : Side of the Puella Magica   作:四十九院暁美

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第15話

 7月3日。

 休日ということもあり、私はただただ惰眠を貪っていた。クーラーの冷たい風と夏用の薄っぺらい布団に巻かれながら眠るのは、非常に心地が良い。このままずっとこうしていた――。

 

「っくしゅん!」

 

 ……やっぱりそろそろ起きる事にしよう。あまり寝てばかりいても身体に悪い。

 緩慢な動作で布団から起き上がって手足を大きく伸ばすと、慣れた手つきでコーヒーメーカーをセット。部屋に充満する芳醇なコーヒーの匂いに満たされつつも、着古した安物のキャミソールとパンティを一緒に脱いで籠に入れて適当な下着を身につけると、襟の緩んだ白い半袖シャツとくたびれた茶色の短パンに着替えて化粧台に座る。

 

「くぁ……あふぅ……」

 

 欠伸をしながら髪の毛を梳かせば、部屋で過ごすには不自由しない格好の完成だ。まだ少し髪の立っているが、そのうち重力に負けて垂れてくるのだからわざわざ直す必要もないし、そもそも直すのが面倒だから気にしないでおく。それに、誰かが見る訳もないし見せる訳でもないのだから、ダサい上にだらしない格好をしていたり、下着の色や形が上と下で違っていも特に問題はないだろう。

 出来上がったコーヒーをカップに注いでソファに座ると、テーブルの上に置いてある籠から "チョコチップメロンパン" を取り出して袋を開けて、ひと口齧る。

 

「ほむっ……」

 

 寝起きには少しキツ目のメロンっぽい味とチョコレートの甘さが口の中に広がるが、コーヒーでその甘さを中和すると同時に脳を活性化させていく。

 やはり、朝は甘めのパンとコーヒーに限る。冷蔵庫にしまい忘れていた所為かチョコチップが溶けかけているが、それでも美味しい事には変わりない。何よりコーヒーに合うのが素晴らしい、この菓子パンを考えた人は天才だと私は思う。

 そんなくだらない事を考えながらパンを咀嚼していると、不意に家のチャイムが鳴り響く。どうやら客が来たらしい。

 こんな時間に一体誰だ。そう思いながら部屋の壁に掛かっている時計を見ると、時刻は既に11時を回ったところでもう朝ではなく昼だった事に気が付いた。それから30秒程時計と睨めっこした後、客の対応するのが面倒だと思った私は鳴り響くチャイムをBGMに、再びパンを齧るとコーヒーを啜る。所謂、居留守だ。

 

『おーい、ほむらちゃーん!』

 

 しばらくしてチャイムが鳴らなくなったと思ったら、今度は聞き慣れた声がクーラーの風音に混じって聞こえてくる。流石にそろそろ出ないと駄目か。そう思い、熱風が吹き込むのを我慢してソファの後ろにある窓を開けて下を見ると、家の前の道路で里中さんと天城さん、更に茜が一緒にこっちを見上げていた。

 里中さんは緑のタンクトップにホットパンツ、天城さんは白いワンピースに黒いカーディガン、茜は水色の可愛らしいシャツに白のロングスカートという出で立ちだ。

 

「あれ? なんだ起きてんじゃん!」

 

「さっき起きたのよ」

 

「あ、もしかして起こしちゃった? ごめんね?」

 

 里中さんのふくれっ面を見ながらそう言うと、天城さんが申し訳なさそうに私に謝ってきた。まあ、流石にこの時間まで寝てたとは思わないだろうし、仕方のない事だ。

 

「いえ、気にしないで。それより、どうしたの?」

 

「今日涼しいから、雪子とほむらちゃん誘って、冲奈に行こうと思ったんだけど、どう?」

 

 欠伸を噛み殺しながら訊くと、里中さんはちょっとバツの悪そうな笑顔で答えた。

 確かに今日は曇っている所為か、いつもと比べてそこそこ涼しい。出かけるにはちょうど良い日だろう。

 

「良いわよ、私もちょうど暇だったから。鍵開けるから、少し待ってて」

 

 その提案を了承した私は、窓を閉めると欠伸をしながら玄関に向かう。その途中、自分の格好が酷くだらしないものだった事に気が付いたが、寝起きと言ってあるから特に問題は無いと判断して玄関の扉を開けた。

 

「おーっす、ほむらちゃん。ごめんね、起こしちゃったみたいで」

 

「気にしないでって言ったでしょう? いらっしゃい」

 

 熱風と同時に里中さんの声が玄関に入ってくる。今日は比較的涼しいとは言ったが、やはり夏の暑さは厳しい。

 

「おじゃましまーす」

 

「おじゃまします」

 

「お、おじゃまします」

 

 挨拶をしながら家に入った3人をリビングに通すと、キッチンへ向かう。キッチンに着くとまずコップを3つ用意して、冷蔵庫からアイスコーヒーを取り出しコップに注ぐと、コーヒーミルクとスティックシュガーと共にお盆に乗せて3人のところへ向かう。

 里中さんと天城さんは、いつの間にか茜とそれなりに打ち解けていたらしく、若干緊張気味な彼女と笑顔で談笑していた。

 

「準備してくるから、これでも飲んで待ってて」

 

「サンキュー、ほむらちゃん」

 

「ありがとう、ほむらちゃん」

 

「あ、ありがとう、ほむらちゃん」

 

 テーブルにそれらを並べ終わると、私は大急ぎで身支度を整える。

 シャワーを浴びながら歯を磨き、頭と身体を洗い終えるとタオルで身体を拭いて髪を乾かす。新しい下着を身に付けたら、黒いソックスとカーキ色のジーンズを履いて、白い音符のマークがついた布製の黒いベルトを巻き、上着に白を基調とした半袖のVネックシャツと、薄手で灰色のベストに袖を通せば着替えは終わり。財布と携帯、それと外行き用の懐中時計をズボンのポケットに突っ込み、お気に入りのラベンダーとカモミールの香水をつけて頭にリボンを結べば出かける準備は完了だ。

 

「待たせてごめんなさい」

 

「ううん、全然。大丈夫だよ」

 

 リビングに戻った私が肩にかかった髪の毛を払いながらそう言うと、天城さんは笑顔で首を振って応えた。

 空になったコップを流しに片付けた後、家の鍵を棚から取りだして上着のポケットに入れながら、そういえば茜はどうして居るのかと訊いてみる。

 

「え? あ、その……私も、ほむらちゃんとお出かけ、したいなーって思って……」

 

 いつもと違った、たどたどしいどもり気味な声で茜がそう答えた。

 そういえばこの子は少し人見知りだった気がする。しかし、鳴上くんと初めて会った時はそうでもなかったと聞いたが、どういう事だろう。私の家に入った所為で緊張しているのか……気にしても仕方がないか。

 

「それで、私の家に来たら2人に会ったって事ね」

 

「そ、そんな感じ」

 

 私の言葉に彼女はこくこくと頷く。そんな様子を見ていた里中さんと天城さんは、何故か感心したような顔で話していた。

 

「茜ちゃんって、なんか犬っぽいね」

 

「うん、鳴上くんの言ってた通りな感じだよね」

 

 どうやら茜の事は、既に鳴上くんを通じて知っていたらしい。しかし犬っぽいか、言われてみれば確かに犬っぽい気がする。

 

「犬? 私が?」

 

「飼い主は誰になるのよ」

 

「そりゃあ、ほむらちゃんじゃない?」

 

「犬の茜ちゃんと飼い主のほむらちゃん……」

 

「ええ!?」

 

「それは……ないわね。っと、そろそろいい時間ね、行きましょうか」

 

 時計を見ると、既に12時を過ぎた頃。彼女たちを家にあげてから、かなりの時間が経っている。そろそろ行かなければマズイだろう。

 適当に話を切り上げて、私たちは家を後にすると八十稲羽駅に向かった。朝食の菓子パンはおそらく1時間も持たない。電車の車内でお腹が鳴らないか少し心配だ。

 

 

 

 それからしばらくして、私たちは沖奈市に降り立った。電車を乗り継いで遥々やって来たこの街は、相変わらず稲羽市と違って騒がしい。

 

「ふぃー、やっと着いたー」

 

 里中さんは大きく伸びをしながらそう言うと、取り敢えずなんか食べに行こうと私たちに提案してきた。

 

「そうね。流石にお腹が空いたわ」

 

 車内でお腹は鳴らなかったが、胃の中は既に空っぽだ。なるべく早く、何か美味しいものを食べたい。

 

「じゃあ、どこに行こうか?」

 

「茜、どこかオススメはない?」

 

「えぇ!? え、えーと……あ、あんバター! あんバターなんてどうかな?」

 

 茜の口から飛び出した "あんバター" という謎の単語に、私たちは困惑した。あんバター……おそらくはあんことバターの事だろうが、一体どういう繋がりがあるのだろう。というか、何故その2つを合わせようと思ったのかはなはだ疑問だ。

 

「あんバター? 何それ?」

 

 里中さんが疑問の声をあげると、茜はあんバターなる食べ物について説明し始める。

 

「えっと、名前の通り、バタートーストに生クリームとあんこを乗っけて食べる……料理? で、不思議な甘さがしてとっても美味しいんだよ」

 

「トーストにあんこ? なんだか不思議な組み合わせだね。ちょっと面白そう」

 

 茜の説明を聞いた天城さんが、そんな事を言う。日本の食文化とはいとも奇妙で、普通なら食べようと思わないものや組み合わせでも調理次第で食べれるんじゃないか、という考えが何故か人々の根付いている。 "フグの卵巣の糖漬け" や "ベニテングダケの塩漬け" 、 "いちごパスタ" に "うどんパフェ" なんてものはそれの極致だと言えるだろう。

 まあ、それらよりはまだマシには違いないが、バタートーストとあんこの組み合わせとは、全くもって不思議だ。興味が出てきた。

 

「でも、中々良さそうだね、それ!」

 

「少しくどそうだけど、コーヒーに合いそうな料理ね」

 

「お、ほむらちゃんも意外と乗り気? 」

 

 その後何度か話し合った結果、今回の食事はあんバターに決めた私たちは、茜の案内に従ってその店に向かうことにした。

 

「あ、ここ。このお店だよ」

 

 沖奈駅前から歩いて約7分、大通りから離れたビル街の路地にその店はあった。

 茜が指差したのは街角に建つとある複合ビルの1階、 "喫茶店・鳶(とんび)" と書かれた小さな立て看板が設置されているガラス張りの入り口だ。

 

「おー、結構近いとこにあるんだね」

 

 駅からさほど離れていないことに、里中さんは感心した声をあげた。交通の便が良い店というのは見つけやすい、個人で来る時にどこに店があったか分からなくなる可能性がほとんど無い為、非常に助かる。

 ビルの中に入ってエレベーター横にある店の入り口前に展示された食品サンプルを見てみると、あんバターのサンプルが目立つ位置に置かれていた。よほど人気があるのだろう、ご丁寧に "人気No.1メニュー! " と書かれた矢印で強調してある。

 

「わ、あんバターってこんな感じなんだ」

 

 そのサンプルを見て、天城さんが声をあげる。あんバターのサンプルは茜の言った通り、バタートーストの乗った皿にホイップクリームとこしあんが添えられているというなんともアンバランスな見た目していた。料理名の端には、こしあんとつぶあんが選べる旨の事も書いてある

 

「へえ、つぶあんとこしあんを選べるのね」

 

 こしあんとつぶあん。どちらで食べても味は変わりないが、明確に違いが出てくる。個人的な意見だが、こしあんは滑らかな舌触りで味覚にスッと入り込んでくるのに対して、つぶあんは小豆の粒感がガツンと味覚に訴えてくるような感じだ。どちらにもそれぞれ良さがある、きっと選ぶあんによって印象が大きく変わる料理に違いない。

 

「こしあんもつぶあんも美味しいけど……実はもっとオススメがあるんだよねー」

 

 興味津々でサンプルを眺めていた私たちに、茜がいわくありげな笑みでそう言う。

 

「はっ!? もしかして裏メニュー!?」

 

「その通り! 実は、常連さんしか知らない裏メニューがあるのだー!」

 

「裏メニュー……おおー……!」

 

 何かを受信したらしい里中さんの言葉にドヤ顔で応える茜を見て、天城さんがどこか感動した声で呟く。私も少しばかり期待が高まった。

 

「いらっしゃいませ」

 

 話もそこそこにして店に入ると、若い男性の店員が現れて私たちを窓際のボックス席に案内してくれた。店内の雰囲気は大正時代を意識したレトロなもので、和洋折衷の内装が非常に魅力的だ。経営者のセンスの良さが窺える。

 

「店員さん、 "文明開化" を4つ」

 

 席に着くと、茜は格好つけて店員にそう言った。

 どうやら茜は、ちょっとテンションが高くなっているらしい。普段よりも声に張りがある上、目が輝いている。

 

「かしこまりました。ドリンクはどうさいますか?」

 

「あたし、メロンソーダ」

 

「えっと……ウーロン茶にしようかな」

 

「私はカフェオレ」

 

「ホットコーヒー」

 

 飲み物を頼み終わると、適当な話をしながら料理が来るのをしばらく待つ事になった。話題はやはり、裏メニューについてだ。

 

「 "文明開化" って裏メニューの名前?」

 

「うん。ほら、ここってレトロな雰囲気でしょ? だから、裏メニューの名前もそんな感じなんだ」

 

「……ちょっと待って。その言い方だと、他にも裏メニューがあるように聞こえるのだけど」

 

「あるよ?」

 

「他にも裏メニューあるんだ……ちょっと興味出てきた」

 

 そんな風に盛り上がっていると、からかろと音を立てながらドリンクと料理の乗ったワゴンが、私たちの席にやってきた。

 

「お待たせいたしました。 "文明開化" でございます」

 

「なん……だと……!?」

 

 店員は静かにそう言うと、慣れた手つきでテーブルに料理とドリンクを置いていく。目の前に置かれたそれを見て、里中さんは思わず声をあげる。何故なら、皿の上にはホイップクリームにこしあんとつぶあん、そして "ごまあん" がそこには乗っていたからだ。

 しかし、凄い見た目だ。甘さマシマシ、カロリーマシマシな雰囲気がこれでもかと感じられる。

 

「あれ? ごまあんってメニューに無かったよね?」

 

「そう! 裏メニュー限定でついてくる、あんバターの隠れた主役だよ! このごまあんの何が素晴らしいって、ごまあんのしょっぱさが生クリームの甘さとバターのくどさを中和してちょうど良い味にしてくれるの! しかもごまの風味がふわって口の中に広がるから薫りもすごく良いんだよ! 和と洋のコラボ、正に文明開化!」

 

 どうやらこの裏メニューには相当の思い入れがあるらしく、天城さんの質問に茜は入り口で見せたドヤ顔よりも更にドヤ顔でまくし立てた。あまりのマシンガントークに、2人も若干引き気味になっている。

 

「……茜、そろそろいつものテンションに戻りなさい」

 

「うわっひゃぉ!?」

 

 それにほんの少しだけイラッときた私は、茜の後ろ首を指で突っついて強制的に止めさせた。奇妙な声をあげて驚く茜に、里中さんと天城さんはくつくつと笑い声をもらしている。

 

「うぅ、酷い……もうちょっと優しくしてほしい……」

 

「優しくしたらいつまでも喋るでしょ、貴女。料理が冷めてしまうわ」

 

 全く、テンションが上がるとマシンガントーク気味になるのが彼女の悪いところだ。こんな風に途中で止めないと、鳴上くんと愛家に行った時のようになってしまう。それを悪いとは思わないが、難儀な性格だとは思う。

 

「ほむらちゃんと茜ちゃんって、仲良いよね」

 

「もちろん、友達だもの」

 

「仲良いのは当たり前だもんねー」

 

「おっと、仲の良さならあたしたちだって負けてないぞー!」

 

 天城さんの言葉に私が笑顔でそう返すと、茜はこちらに顔を向けて、里中さんは天城さんの肩に手を回して得意げにそう言う。そして、それからしばらくの間、2人はいかに自分たちの仲が良いかを話をし始める。長々と話されて流石にそろそろ恥ずかしくなってきた私は、天城さんの咳払いを合図にして言った。

 

「さ、そろそろ食べましょう。このままだと料理が冷めてしまうわ」

 

 私の言葉に3人は頷いて、それぞれナイフとフォークを手に持つ。この料理の主役であるバタートーストは裏メニューの所為か、店前に展示されたサンプルの食パンに比べてかなり大きく、ナイフとフォークを使って食べなければならない程もある。もちろん素手でも持てることは持てるだろう、しかし食べるとなると少々キツイ大きさだ。

 各々食前の挨拶をしてナイフとフォークをトーストに入れると、たっぷりと塗られたバターがカリカリに焼かれたパンの表面で輝きを放つ。食べやすい大きさにカットしたら、まずはホイップクリームフォークで掬って少しだけ乗せると口に運ぶ。

 トーストを口に入れると、ホイップクリームの上品な甘さと滑らかな舌触りが、噛みしめる度に染み出すバターの甘さを引き出すと同時にくどさを和らげ、食べやすい味の濃さに調整していく。トーストのカリカリとしていながらもちもちとした食感、そしてバターの風味を殺さずにくどさのみを無くす。これだけでも素晴らしい美味しさだ。

 

「うんまー……何これ」

 

 私よりも先に、こしあんとクリームを乗せて食べていた里中さんが感嘆する。こしあんは一体どんな味なのだろうか、里中さんの反応を見て疑問に思った私は早速試してみることにした。

 さっきと同じようにトーストを食べやすい大きさにカットして、クリームとこしあんを一緒に乗せると口に入れる。あんこのしっかりとした甘さと風味がホイップクリームの上品な甘さと合わさり滑らかな舌触りが心地良いが、その中で不意にトーストと一緒に顔を見せるバターの風味はクリームだけを乗せた時とは違い、くどさをある程度残したままでいた。ただ、そのくどさは不快なものではなく、むしろあんことクリームの甘さを引き立てる程良い刺激になっていて、なんとも奇妙な味に仕上がっている。

 

「美味しい……なんだろう、この感じ……」

 

 こしあんを先に食べた里中さんに対して、つぶあんを先に食べた天城さんは嘆息をもらしながら味を言い表すのに難儀していた。どうやらこちらも、筆舌に尽くし難いくらいに美味しいようだ。

 口の中のものを飲み込んだ私は、期待を込めてトーストにつぶあんとクリームを乗せて口に運ぶ。噛んだ瞬間の味はこしあんと変わらない。だが、その食感はつぶあん最大の特徴である小豆の粒によって全く別物に変化していた。言葉では表せない未知の食感、表現方法が全くもって分からない。あえて無理やり表現するのなら、トーストの食感に小豆の粒感がアクセントとなって物凄く癖になる味わい、だろうか。

 

「普通のあんこも良いけど、ごまあんも美味しいよ?」

 

 私たちがあんバターの不思議な味に満たされていると、茜はそう言いながらこれ見よがしにクリームとごまあんを少し大きめにカットしたトーストにたっぷりと乗せて、一息に頬張る。

 

「んふっ、さいっこー……」

 

 口の端にクリームを付けたまま恍惚とした表情でいる茜を見て、私はすぐにごまあんとクリームをトーストに乗せて口に運ぶ。あんなものを見せられては、食べずにはいられない。

 口に入れた瞬間にごまの薫りが鼻腔を駆け抜ける。ごまあんのざらりとした特徴的な感触がクリームの滑らかな舌触りを際立たせ、そのしょっぱさがクリームの甘さとバターの甘さを引き締めてより上質な甘さへと導いていく。トーストのカリカリとした食感も相まって、その味は恐るべき破壊力をもたらしていた。

 

「これは、凄まじいわね……」

 

 あまりの味に、思わずにやけてしまう。衝撃的だ、こんなにも不思議な組み合わせの味があるとは。これを考えた人間はかなり奇抜だが、間違いなく天才だと思える。

 

「これ、病み付きになりそう……」

 

 至福の表情で天城さんが呟くと、里中さんがむふむふと笑いながら頷く。おそらく2人は、沖奈市に来たら必ずこれを食べるようになるだろう。それだけの中毒性が、あんバターにはあった。

 誰もがその不思議な味に囚われ、食べ進めていく。気が付けば、皿には何ひとつ残っていない。いつの間にか食べきってしまったようだ。

 

「ごちそうさまでした」

 

 ナイフとフォークを置いて両手を胸の前で合わせ、静かに食後の挨拶をすると口をナプキンで拭いてコーヒーを啜り、満たされた感覚の余韻に浸る。今回はいつもとは違う、格別の時間だ。

 

「いやー、まさかこんな料理があるとは思わなかったなー!」

 

「最初は、ちょっと変な料理だなって思ったけど、美味しかったよね」

 

 歓喜が色濃く表れた声で、里中さんは茜に言う。天城さんもそれと似たような声色で同意すると、ウーロン茶で口を潤した。

 

「どうしたらバターとあんこなんて組み合わせを思いつくのかしら。これを考えた人間に、是非とも訊いてみたいわ」

 

「店員さんに訊けば分かるかな? あ、でも店員さんは店員さんだから、もしかしたら知らないかも……」

 

 私が揺らぐコーヒーの水面を見ながら呟くと、茜はそんな応えを返す。常連ではあるが、この料理の成り立ちは知らないらしい。

 まあ、普通は自分が食べた物の成り立ちなどよほど興味がなければ調べたりはしないだろうから、当たり前と言えば当たり前か。

 

「うん? ねえ、あれって鳴上くんじゃない?」

 

 不意に、ウーロン茶を飲んでいた天城さんが窓の外を見て言う。彼女の視線を追うと、その先には確かに鳴上くんがいた。よく見れば、青い帽子とバッグが特徴的な少女と一緒だ。

 

「あ、ホントだ! てか、 "マリー" ちゃんもいるじゃん!」

 

「マリー……?」

 

「え、誰?」

 

 里中さんの驚いた声に、私と茜は疑問符を浮かべる。どうやら、彼女はあの少女の事を知っているらしい。

 雰囲気からして、あの少女は鳴上くんと恋仲という訳でもなさそうだ。となると……都会にいた頃の友人か、それとも菜々子ちゃんと同じく彼の縁者か。

 

「あ、そっか。2人は知らなかったよね。この前、鳴上くんとジュネスにいたとこで会った子なんだ」

 

 既に2人は面識があるようで、天城さんはあの少女について説明する。その後、鳴上くんとマリーちゃんも誘って一緒に遊ぼうという里中さんの言葉に同意した私たちは、急ぎ彼らと合流する事にした。

 

「おーっす。鳴上くん、マリーちゃん」

 

「こんにちは。鳴上くん、マリーちゃん」

 

「あ、この前の緑と赤……」

 

 里中さんと天城さんが声をかけると、それに気が付いた少女は2人をそう呼んだ。実に的確な表現だが、その呼び方はあんまりではないかと思う。

 

「奇遇だな、みんな」

 

「ええ、貴方もね。ところで、その子は誰?」

 

 歓喜と驚愕が入り混じったような声の鳴上くんに、私はそんな応えを返して少女の紹介を求めた。里中さんと天城さんから話は聞いているが、彼からも紹介してもらった方が良いと判断したからだ。

 

「友達のマリーだ」

 

「え? あ、うん……よろしく」

 

 彼はそう言うと、マリーの肩に手を置く。彼女はそれに少し驚いた後、僅かに口の端を上げて私たちに言った。

 歳はおおよそ同年代。服装は白のノースリーブシャツ、赤を基調としたチェックのスカート、白黒の横縞模様のニーソックス、とゴシック風のパンクファッションで、顔立ちは少し幼く、あどけなさが残っている。だが、それと同時にどこか神秘的な雰囲気もあり、全体的な印象としては未熟かつ退廃的で "大人じみた子供" というところか。

 

「よろしく、マリーさん。私は暁美ほむら、こっちは友達の詩野茜よ」

 

「よろしくね、マリーちゃん」

 

 自己紹介も済んだところで、里中さんが当初の予定通りに彼らを遊びに誘う。マリーが鳴上くんにどうかと訊くと、彼はマリーが良いならとふたつ返事で了承した。

 

 

 

 さて、女子が集まって出かけるとなれば、大抵はスイーツや服を見に行くと相場が決まっている。無論、私たちもその例に漏れず、駅前にある服屋で各々服を見たり手に取ったりしていた。

 

「あ、このカーディガン良くない? どうかな?」

 

 里中さんは、若草色の夏用カーディガンを広げて軽く羽織ると、そう私たちに訊く。

 

「……それ、これと合わせた方が良いと思う」

 

 するとマリーは、胸元にフリルの付いたボーダー柄のシャツと瑠璃色のミニスカートを手に取り、里中さんに見せる。

 

「おー……マリーちゃんって、やっぱオシャレさんだね!」

 

 マリーのファッションセンスに、里中さんが感動したような声で言う。確かに、彼女の選んだ服はあのカーディガンによく合ったコーディネートだ。里中さんの雰囲気にも良く似合っている。

 

「ねえねえほむらちゃん!」

 

 彼女のファッションセンスの良さに感心していると、茜に背後から声をかけられた。何かと思って振り返ると、茜が非常に良い笑顔を浮かべながら黒が基調のワイシャツとジャケットを持って、爛々と目を輝かせている。

 

「これ着てみて! 絶対似合うから!」

 

「え、ええ……」

 

 彼女は両手に持った服を私に差し出すと、ふんすと鼻を鳴らして自信満々に言う。差し出された服を受け取りつつ、何故この子はいきなりこんな最高にハイなテンションになっているのか考えていると、いつの間にか更衣室の前に連れてかれてあれよあれよの合間に着替える事になってしまった。

 溜め息を吐きながらも服を着替え、更衣室に備え付けられた鏡で自分の姿を確認すると、茜に渡されたあの服は今履いているカーキ色のジーンズとよく合っていて、意外にも様になっている事に気が付く。さっきから妙にテンションが高いが、きちんとズボンに合うものを選んでいるのは流石だと言えるだろう。

 その事に苦笑しながら更衣室のカーテンを開けると、何故か全員が私を出待ちしていた。突然の状況に私が面食らっていると、茜は興奮した様子で叫ぶ。

 

「カッコいい、カッコいいよほむらちゃん!」

 

 どうにも良くない流れが来ている気がした私が、首筋に手を当てながらこの状況をどうするか考える。すると、マリーが茜に思いついたかのように訊く。

 

「あのズボンに合わせるの?」

 

「え? あ、ううん。そういう訳じゃないけど」

 

「ふーん……」

 

 マズイ。このままでは私は、彼女たちの着せ替え人形にされるだろう。服を選んでもらうのは嫌ではないが、着せ替え人形にされるのは流石に嫌だ。

 

「茜、私は――」

 

「おお! このジャケットもすっごく良い! ほむらちゃん、次はこれ着てみて!」

 

 声を発した直後、茜はそれよりも大きな声を発しながら私にシンプルなデザインの白いジャケットを差し出す。どうやら間に合わなかったらしい。彼女が満足するまで、私は玩具にされてしまうのだろう。

 全く、今すぐここから逃げ出したい気分だ。

 

「はやくはやく!」

 

「……分かった、分かったから少し落ち着いて。逃げたりしないから」

 

 私たちがそんなやりとりをしていると、それを見ていた鳴上くんたちが物珍しげに私たちを見ている事に気がついた。

 

「何、あれ」

 

「……犬と、その飼い主?」

 

「ほむらちゃんが押されてる……」

 

「茜ちゃんって思ったより強いんだね」

 

 そんな話している暇があったら私を助けてほしいのだけど。

 そんな想いを視線に乗せて彼女たちを見るが、誰も気付かなれないまま茜によって半ば強制的に再び更衣室に入れられてしまった。

 

「カッコいい! やっぱりカッコいいよほむらちゃん!」

 

 仕方なしに着替えて、更衣室のカーテンを開けるとまたも茜はそう叫ぶ。何か悪いものでも食べたのかと疑いたくなるような、凄まじく荒ぶり具合だ。

 

「ねえねえマリーちゃん! マリーちゃんもほむらちゃんに着せる服選んでよ!」

 

「え、私?」

 

 まあ、彼女が楽しいのならそれで良いか。

 そんな諦観にも似た考えが……いや、違う。この考えは諦観では無い、諦観なんかと一緒にしてはいけない。もっと別の、その感情が絶対と思ったから至ったもの。あの時に抱いたあの感情そのものだ。これは、この感情は――。

 

「ね、ほむらちゃんもそう思うでしょ?」

 

「え?」

 

 思考の海に沈みかけた頃、不意に声をかけられた。見れば、茜とマリーは数種類の服を持ってこちらを向いている。

 

「……ごめんなさい。聞いてなかったわ」

 

「もう、話は聞いてなきゃ駄目だよほむらちゃん!」

 

 私が謝ると、彼女は頬を膨らませる。話を聞いていなかったのは悪かったと思うが、少々リアクションが大袈裟ではないだろうか。

 

「ねえ、これ」

 

 茜のテンションに少々疲弊していると、マリーは私に手に持った服を差し出てきた。そういえばさっき、私に着せる服を一緒に選んでほしいと茜が言っていた気がする。という事は、彼女はその頼みに応えてこの服を選んでくれたのだろう。

 

「ありがとう、着てみるわね」

 

 差し出された服を笑顔で受け取り、更衣室に入ると手早く着替える。彼女から渡されたのは、淡い桃色の半袖ワンピースにレースのついた紫色のジャケットだ。おおよそ今の私には似つかわしくない可愛らしいデザインのものだったが、服を着替えて鏡で自分の姿を確認すると何故か奇妙な程にしっくりくる服装だと感じた。

 

「ほ、ほむらちゃん……カワイイ……!」

 

「さっきとは印象がまるで違うな」

 

「なんか、大人なって感じ?」

 

「優しそうなお姉さんみたいだね」

 

 更衣室のカーテンを開けて姿を晒すと、彼女たちは各々好きなように感想を述べていく。聞く限りではかなり好評のようだ。。

 私自身も、自分の変わり様に驚いている。普段、スカートなんて学校の制服以外では殆ど履かない所為か、こんなコーディネートは思いつきもしなかった。彼女から学べる事は多そうだ。

 

「まるで新しい自分になったみたいだわ。……マリー、参考までに訊きたいのだけど、他にはどんなものが私に似合うと思うかしら?」

 

「着るやつ、どんなの?」

 

「そうね……着崩しても、違和感が無い服装が良いわ」

 

 マリーの返答は無愛想なものだったが、顔には歓喜の色が濃く出ていた。褒められた事が嬉しかったのだろうか、なんとも可愛らしい事だ。

 

「あ、どうせならみんなでほむらちゃんの服、選ばない?」

 

 私とマリーの会話を聞いていた里中さんが、不意に思いついた様な口ぶりでそう提案する。

 

「え?」

 

「それ、結構面白そうかも」

 

「ほむらちゃんをコーディネート……負けられない!」

 

「なら、審査員は俺がやろう」

 

 あまりに突然の提案に驚く私を余所に、何故か全員その提案に乗り始めてしまう。最早止める事は出来そうにない雰囲気に、私は諦めて苦笑を浮かべると共に呆然と呟いた。

 

「……不幸だわ」

 

 

 

 

 さて、私をモデルとした "ファッションセンスバトル" ……とでも称せば良いのか。兎に角、その勝負は最終的にマリーの勝ちで収まる事となった。

 

「ふふっ。流石……抜群のセンスね。パーフェクトよマリー。貴女、最高だわ」

 

「そう……なの? ありがと……」

 

 私が鏡で来ている服を上機嫌で確認しながらそう言うと、マリーは少しだけ頬を赤く染めて少し恥ずかしそうに応える。

 彼女が選んでくれたのは、黒を基調にした柄物のジャケットに白いワイシャツと黒いネクタイ、青いジーンズ生地のホットパンツという "着崩しても違和感が無い服装" そのもので、きちんと私の希望に配慮して考えてくれたコーディネートだ。

 

「やっぱりマリーちゃんには勝てなかったよ……」

 

「いい線いってたと思ったんだけどなー」

 

「マリーちゃんにはちょっと勝てそうにないね」

 

 私の服装を見ながら、茜と里中さんと天城さんはそんな事を呟く。彼女たちも中々に良い服を持って来てくれたのだが、やはりマリーが私の希望を叶えてくれた事は大きかった。

 

「その服、買うの?」

 

「ええ。折角貴女に選んでもらったものだし、何よりこの服装は気に入ったわ」

 

 幸いにも、この店で売られている服は値段がそれなりに安い。予算内で払える上にお釣りが返ってくる程だ。

 

「ところでみんな、時間は大丈夫なのか?」

 

 マリーと話していると、鳴上くんが腕時計を見て私たちにそう訊く。時計を見れば、時刻は既に午後5時を少し過ぎた頃。そろそろ出なければ帰りが遅くなる時間帯だ。ぼちぼち帰る事にした私たちは、服を着替えて会計を済ませるとたわいの無い話をしながら八十稲羽行きの電車に乗った。

 

「そういえば、ほむらちゃんって茜ちゃんとマリーちゃん呼び捨てだよね」

 

 電車に揺られながら夕日に染まる街並みを眺めていると、天城さんがそんな事を言って私を見る。それと同時に、里中さんが少し納得出来ていないような顔で私に訊く。

 

「茜ちゃんは分かるけど、なんでマリーちゃんは呼び捨て?」

 

「なんで、って……なんとなくかしら」

 

 里中さんに言われて考えてみるが、特に思い当たる理由がない。強いて挙げるとすれば、マリーに敬称を付けて呼ぶのはどこか似合わない、そう感じたからだろうか。

 

「なんとなくなんだ……」

 

「むぅ……あ! じゃあさ、私たちも今から呼び捨てで呼んでよ。千枝、雪子って」

 

 私の返答に天城さんは少し微妙な顔をしてそう呟き、里中さんは一瞬唸った後にそんな提案してきた。どうやら、マリーは呼び捨てなのに自分たちが呼び捨てではない事が悔しいらしい。考えてみれば、出会って間もない人間は呼び捨てなのに友人である自分たちには敬称を付けられているのは、確かにあまり良い気分ではないだろう。

 

「分かったわ。里中さ――あ、いえ、えっと……ち、千枝。雪、子」

 

「おお……なにこれ、すっごい嬉しい!」

 

「なんだか、ほむらちゃんとの距離が縮まった気がするね!」

 

 ぎこちないながらもなんとか呼び捨てで彼女たちの名前を呼ぶと、2人は花が咲いたような笑みを浮かべた。面と向かって呼び方を改めるのはかなり気恥ずかしかったが、彼女たちとの距離がかなり近付いたのは間違いない。そう思ったら、なんだか私も嬉しくなってつい笑ってしまった。

 茜の名前を初めて呼び捨てにした時みたいに、幸せで満ち足りた気分が私の心を支配していくのを感じる。亡くしてしまった何かが、息を吹き返していくのが分かる。

 

「ありがとう……千枝、雪子」

 

 きっと2人には、この "ありがとう" の意味が分からないだろう。

 けど、それで良い。返ってくる嬉しそうな声が、私にとっての答えだから。


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