Persona4 : Side of the Puella Magica   作:四十九院暁美

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第24話

 突風と共に衝撃が走る。

 虚構の勇者が振り下ろした剣を、タケミカヅチが受け止めたのだ。

 

「ナメんじゃねーぞ!」

 

 したり顏の完二がそう言うや否や、タケミカヅチの背後から陽介と彼のペルソナであるジライヤが飛び出す。

 

「スキだらけだぜ!」

 

 ジライヤが両手の手裏剣を放つと同時に、陽介も苦無を放つ。しかし、勇者は怯む素振りさえ見せず、反撃の一撃を加えようと剣を振り上げた。

 だが、それを許すほど彼らは甘くない。

 

「おっと、何しようってんだ?」

 

「させないよ!」

 

 そんな呟きと共に杏子が勇者の顔面に右ストレートを、千枝が後ろ回し蹴りを叩き付けて、勇者を大きく後退させた。

 

「クマ、合わせて」

 

「まかせんしゃーい!」

 

 追撃するのは、ほむらとクマだ。

 ツルヒメが矢を放つと、キントキドウジも氷塊を出現させて飛ばす。だが、いくら矢と氷塊が勇者の身体に突き刺さっても、その見た目以上に効果が薄い。どうやら彼らの攻撃は、この正方形のブロックでできた勇者の中にいる少年の影には届いていないようだ。

 

「これは……少しキツそうだな」

 

「でも、あれさえ壊せれば!」

 

 悠と雪子は顔を見合わせると、二人のペルソナの力を合体させて強力な一撃を叩き込むことに決めた。イザナギが矛を担ぐように構えると、コノハナサクヤが炎をその矛に宿す。指定した範囲に複数回斬撃を発生させる物理攻撃魔法 "利剣乱舞" と 、火炎属性の魔法であるアギラオを組み合わせた合体技 "狂焔乱舞" だ。

 イザナギが矛を振るうと灼炎を纏った刃が乱れ舞い、勇者の身体が徐々に削られていく。だが、あともう一押しが足りない。あと一撃、何か強力な一撃が必要だった。

 

「まだ足りない……なら!」

 

 殻を壊したのはほむらと杏子だ。

 右手を天に掲げるジャンヌ・ダルクに、ツルヒメが煌々と輝く両掌を向ける。するとジャンヌ・ダルクの手の内に長大な光の剣が出現した。光属性の魔法であるハマと、物理攻撃魔法であるパワースラッシュを組み合わせた合体技 "ライトスマッシャー" である。

 

「こいつも持ってけ!」

 

 杏子の声と共に振り下ろされた光刃が勇者の身体を真っ二つに斬り裂くと、遂に少年の影を守っていたブロックが全て砕けて空中に霧散していく。

 己を守る殻を粉々に砕かれた影は、そのまま墜落して無様に地面に叩きつけられてしまう。これ以上にないチャンスを得た特捜隊は影に飛びかかると壮絶な袋叩きを実行、決して無視できない大きさのダメージを与えた。

 

「さあ、どう出る?」

 

 陽介が警戒した声色で呟くと、少年の影はゆっくりと空中に浮き上がり特捜隊を見下す。それから数秒、不気味という他ない沈黙が過ぎた後、影が身を震わせて醜い泣き声を上げると、赤い障壁のような何かを自身の周りに発生させる。

 

「あれ……うそ、火炎が効かなくなってる!?」

 

「……もしかして、さっきのアレか?」

 

 りせの驚いた声に、陽介がそう返した。少年の影が使ったのは、火炎属性の攻撃に対して威力減衰効果を持つ障壁を展開する魔法 "赤の壁" だ。

 更に影は続けて、両手を大きく広げる。すると、ほむらの両サイドに青白いブロックが現れる。少年の影が何をしようとしているのか悟ったほむらが両手を頭上で交差させると一気に地面まで振り下ろすのと、影が広げていた両手を勢いよく振り下ろすのはほぼ同時だった。

 

「……っ!」

 

 両手を地面に付けたほむらの周りから細い紫光が竜巻のように唸りを上げて立ち昇り、両サイドから迫る青白いブロックとぶつかり合う。ガリガリと音を立ててぶつかり合う二つの力は、閃光を撒き散らしながら拮抗した。

 

「う、ぐぅ……!」

 

「こんのぉぉぉ!!」

 

 ほむらの危機を救うべく、いち早く反応した千枝が雄叫びを上げながらトモエと共に凄まじい速さで少年の影へ肉薄し、必殺のドラゴンキックを放つ。果たして、彼女の放った一撃は影の眉間にぶち当り、その体勢を大きく崩す。そのおかげで、ほむらを押しつぶさんとしていた青白いブロックが消えて無くなった。

 

「助かったわ、千枝」

 

「なんのなんの!」

 

 二人が短い会話をしている間に、完二が体勢を崩した少年の影に追撃を仕掛ける。

 

「タケミカヅチィ!」

 

 完二が命令に従いタケミカヅチが得物を両手で持って上段に構えると、少年の影に向けて一思いに振り下ろした。凄まじい衝撃音と共に地面に叩きつけられた影が、大きくバウンドして打ち上がる。そこに現れたのは陽介とジライヤだ。

 

「こいつでどうだ!」

 

 陽介は少年の影を蹴り飛ばして大きく跳躍すると、くるりと回転しながら自身の周りに苦無をばら撒く。同時に、ジライヤが疾風を起こしてその苦無を超高速で射出、音速とほぼ同等のスピードで放たれた苦無は、狂いもなく少年の影を切り裂き刺し貫いた。しかし、まだ倒れない。この影、見た目に反してかなりの体力があるようだ。

 体勢を立て直した少年の影が、再び泣き声を上げる。すると、電磁音と共に地面からあの勇者の格好をした外殻が作られていく。だが、最初に比べてやけにスピードが遅い。

 

「あの殻の完成には時間がかかるみたいだね……完成する前に壊しちゃえ!」

 

 アナライズでそのことに気が付いたりせが、彼らに言った直後、少年の影が気味の悪い笑みを浮かべて特捜隊を見下ろす。相手の精神に干渉して恐怖心を煽る魔法 "デビルスマイル" だ。

 瞬間、ほむらの心を得体の知れない恐怖が貫いた。とは言え、この程度の恐怖は彼女にとってありふれたものでしかない。一瞬だけ驚いたが、すぐに気を持ち直して油断なく構え、全員の状態を確認する。どうやら今回は運が良かったらしく、この場にいる者は誰一人として恐慌していなかった。

 が、しかし。

 

「……鳴上くん?」

 

 何故か、悠が消えた。何の予兆もなく、ふっとその場から消えてしまったのである。皆は改めて辺りを見回すが、やはり彼の姿は居ない。

 おそらくあの少年の影が何かしたのだろう、そう思ったほむらがキッと影を睨んだその時、影を覆う外殻――勇者の姿が完成する直前、ブロックの隙間から何者かの手が見えた。

 

「まさか……っ!?」

 

 そこからほむらは、自身が思いついた最悪の予想に戦慄して目を見開く。

 もし自分の予想が正しければ、悠が少年の影に取り込まれてしまったことになる。いつ取り込んだのか、おそらくは全員の意識が恐怖に竦んだあの一瞬だろう。

 

「クソ、ふざけやがって……ッ!」

 

 陽介もまた、ほむらと同じくブロックの隙間から手を見たようで、奥歯が砕けるのではないかというくらいに歯を食いしばって怒りを露わにした。

 一方で、何が何だか分かっていない他の者たちは、訳が分からず混乱するばかり。3人は何とか統率を取ろうと努めるが、行動に移ったのが少々遅かった。

 勇者は電子音を響かせながら、屈伸運動のような奇怪な動作を行うと、手に持った剣を天高く掲げて魔法を発動しようと構える。統率を欠いた今の状態では、彼らがこの攻撃を躱すことは不可能に近い。全滅まではいかなくとも、半数は地に伏せることだろう。

 

「くっ……!」

 

 しかし、それを許すほむらではない。

 彼女はツルヒメを自身の内にしまうと魔法少女へと変身し、多量の魔力を練り上げて身体の一点に集中させる。勇者の魔法を迎え撃つ気だ。

 

「ま、待てほむら! そいつは……ッ!!」

 

 ほむらが何をしようとしているのか悟った杏子が、慌てた声で呼びかける。それから数瞬遅れて、勇者の頭上に〔ギガダイン〕というテキストが現れると同時に雷鳴と閃光が走り、ほむらの脳内にガラスがヒビ割れるような甲高い音が響く。

 杏子以外の全員が目を瞑り、いつか来る衝撃に身構える。が、いつまで経っても衝撃は来ない。それどころか、目を焼くような閃光さえ瞼の裏からは見えなかった。

 

「な、なに……これ……!?」

 

 おそるおそる目を開けると、夜よりもなお黒い何かがあった。

 宇宙の深淵、とでも評せば良いのか。それは、幾つもの眩い光を内包していながら全てを飲み込む圧倒的な黒であり、その姿は不規則に変化する無貌でありながら禍々しい翼のような形に収まっていた。

 

「間に、合った……ようね」

 

 疲労の色が濃く現れた声で、ほむらがぼそりと呟く。

 "侵食する黒き翼" ……それが、この魔法の名だ。

 彼女自身が扱える魔法の中では最上級のものであり、練り上げた魔力の量によってはあらゆるものを塗り潰し蹂躙できるほどの力を持っている。ただし、この魔法は身体への負担が相当に大きく、敵味方の区別ができないので必然的に単独戦闘を余儀なくされてしまう上、魔力のリソースを半分以上持っていかれるという大きなデメリットがあるため、多用はできない。

 

「みんな、怪我はない?」

 

 ほむらは、少し苦しそうな表情で彼らに問いかけた。

 

「だ、大丈夫……だけど……」

 

「そう……なら、良かった」

 

 雪子は呆気にとられた声で答え、ほむらの背から生える黒き翼を凝視する。するとほむらは、無理やり笑顔を作るとそう言って、ほんの少し間を置いてから勇者に向き直り、全員に告げる。

 

「さっき見たんだけど、鳴上くんはあのブロックの中に居るみたい」

 

「ま、マジっスかそれ!?」

 

「いや、マジだ。俺も見たから間違いねえ」

 

「そ、そんな! じゃあ、どうしたら……」

 

 突然のことに戸惑う彼らを尻目に、ほむらは淀みなく言った。

 

「決まってるでしょう、鳴上くんを救出するのよ」

 

 黒き翼がざわめき、大きくなっていく。ほむらが僅かに呻き声を上げて、前屈みになる。

 魔力の出力を上げたのだ。

 ほむらは自分でも認識できないほど僅かに、仲間を失ってしまうかもしれないという恐怖と、悠を早く助けなければという焦りを抱いていた。それは、彼女の心に澱となって溜まっているあのループ中の記憶から来るものであり、先のデビルスマイルで無理やり煽られた恐怖の影響でもある。ありふれた恐怖だと頭では思っていても、心ではそう簡単に理解できなかった。

 

「私があのブロックを剥がすから」

 

 一方、ほむらの状態を見た杏子は、事情が事情とはいえほむらに黒き翼を使わせてしまい、そして、彼女の苦しみを少しでも和らげてやれない自身に対する怒りでいっぱいになった。

 黒き翼の力は強大であるが故に扱いが難しく、発動中に近付くと攻撃に巻き込まれてしまう可能性があるので援護等ができない。ほむら自身が動き回るので、ペルソナの魔法による援護も彼女に当ててしまう危険を孕んでいる。

 何もできない。それが杏子は苦しくて、殊更に悔しかったのだ。

 

「だから、みんなは鳴上くんを」

 

「あ、ちょっと!」

 

 そう言い残すと、ほむらは勇者に向かって攻撃を仕掛ける。

 彼女が翼を叩きつける度、バリバリという音が響かせながら徐々に頭頂部のブロックが剥がれていく。勇者も抵抗するが高速で動き回る彼女を捉えることができず、攻撃が5回目に差し掛かった頃にはもう額から上のブロックは全て剥がされていた。

 

「ここまで、削れば……!」

 

 勇者に最後の一撃を与えたほむらは、翼の出力を下げてその場から離脱しようとする。しかし、頭を貫くような激痛が、不意に彼女の動作を一瞬だけ停止させた。

 勇者はその隙を突いて再び剣を掲げると、今までの鬱憤を全てぶつけるように魔法を放つ。

 

 ほむらには、そこから先が酷くスローモーションに見えた。

 

 閃光が目を焼く。

 急速に地面が近付いている中、視界の端に青と赤の何かを捉えた。

 視界が黒に染まっていく。

 衝撃が身体を通り抜け、全身に激痛が走り、落ちかけていた意識が無理やり引き戻される。

 耳鳴りのような甲高い音が段々と低くなっていき、人の声を模っていく。

 そうして、やっとスローモーションだった景色が元に戻った。

 

「ほむら! しっかりしろ、オイ!」

 

 遅延した世界から戻ってきたほむらが朦朧とする視界で最初に見たのは、必死の形相で呼びかけてくる杏子の姿だった。

 痛みで麻痺した思考を回転させて、どうやら自分はあの勇者の攻撃をもろに受けたらしいことを理解したほむらは、口に溜まった血を地面に吐き出すと杏子の制止を無視して立ち上がる。それとほぼ同時に、コノハナサクヤが彼女に回復魔法 "ディアラマ" で傷を癒し体力を回復させた。

 

「ほむらちゃん大丈夫!?」

 

「もう、無茶しすぎだよ……!」

 

 少し怒気を孕んだ泣きそうな声で心配する雪子と千枝を見て、ほむらは肩で息をしながら言う。

 

「ごめんなさい、私は、もう大丈夫よ。杏子も、ありがとう。助かったわ」

 

 3人はほむらに対して言いたいことが山ほどあったが、そこはぐっと堪えて戦いに集中することにした。説教は戦いが終わった後でもできる、今は戦いに集中しよう。そう思ったのだ。

 そんな3人の気持ちを知ってか知らずか、ほむらは呼吸を整えた後、すぐに3人を連れて入り口付近で待機しているりせのところへと向かう。そこでもりせ、完二、クマの3人からまたいろいろ言われたので、彼女は心配をかけたことを謝罪し、変身を解くとペルソナを召喚して勇者に向き直った。

 そこでは丁度、陽介が悠を救出してこちらに向かっているところだった。

 

「鳴上くん!」

 

「先輩!」

 

「センセイおかえり!」

 

「良かった、無事で……!」

 

「先輩! 大丈夫だった!?」

 

 みんなからの声を受けて、悠はどこか噛みしめるような表情を浮かべた後、自信に満ち溢れた声で答える。

 

「ああ、やるぞ!」

 

 悠の言葉を合図に、全員のペルソナが一丸となって勇者を攻撃、中に潜む少年の影を引き摺り出す。

 

『僕はね……僕がここに居る証拠が欲しいんだ……だから……君らを殺さなきゃ……!」

 

 しかし、やはりと言うべきか。抵抗を続ける影は、再び殻を作り始める。が、彼らがそう簡単にまたあの勇者を作らせる訳がない。全員のペルソナが影に組み付くと、その生成を邪魔して決定的な隙を作り出した。

 

「今よ、鳴上くん!」

 

「トドメは任せた!」

 

「おいしいとこ、持ってけ!」

 

 ほむら、杏子、陽介の3人から声援を受けた悠は、一歩前へ踏み出すと叫んだ。

 

「俺は…… "空っぽ" なんかじゃないッ!!」

 

 そこからは、一方的な戦闘だった。

 彼が築いてきた絆の具現である数々のペルソナは、その圧倒的な力を持って影を追い詰めていき、そして遂に。

 

「イザナギィィィ!!」

 

 イザナギが、無防備になった少年の影を一閃、その大きな頭を斬り裂いた。真っ二つになった影は黒く変色しながら地面に墜落し、霧散して元の人間へと戻っていく。

 戦いが終わったことに安堵した彼らだったが、少年も意識を取り戻し辺りを見回すと怯えたように喚く姿を見て、まだ全てが解決していないことに気が付き、彼に向き直り問いかける。

 

「お前が、全ての事件の犯人なのか?」

 

「すべての、じけん……」

 

 少年その言葉を何度か繰り返し呟くと、得意げな哄笑した後に自慢するかのような口調で答えた。

 

「そうだよ、俺だよ! 諸岡の野郎だけじゃない……頭悪そうな女子アナも、小西とかいう女も! 全部俺がやったんだよ! 俺が、全部!!」

 

 少年がそこまで言うと、突然背後にいた彼の影が黒い霧となって消滅する。今までにないパターンに困惑する特捜隊だったが、少年が消耗からがっくりと崩れ落ちたのでひとまずその疑問は無視して、テレビの中から急いで脱出するのだった。

 

 

 

 ◇

 

 

 

「ここ、は……なんで……んな、とこ……なんなんだ、お前ら……や、やめろ……なんでテレビが……」

 

「ちょ、ちょっと?」

 

 うわごとのように支離滅裂なことを延々と呟く少年に、千枝が心配した声をかける。

 どうやたこの少年は、かなり混乱しているようだ。あんなことがあったのだから無理もないが、いつまでもこんな状態では話が聞けない。さっさと回復してほしいものだ。

 

「聞きたいことが山ほどあるクマ!」

 

 しかし、回復するまで待てなかったクマが前に進み出る。

 

「はは……なんだお前……着ぐるみか、それ? ……バカじゃねーの……キモい、ぜ……」

 

 すると、少年は嘲笑を浮かべながらクマを罵った。

 こんな状況でも虚勢を張ろうとするとは、見上げた根性だ。尊敬はできないが。

 

「そんだけ言えんなら、大丈夫そうだな」

 

 杏子は威圧するような口調でそう呟くと、花村くんに視線を送る。彼はそれを受けて、クマと同じように一歩踏み出すと、少年を見下しながら訊く。

 

「もう一度訊くが、本当にお前が全部やったのか?」

 

「しつけえんだよ……! 何度も……そう、言ってんだろ……!」

 

「どうして、こんなことをやった?」

 

「町の騒ぎ、見たろ? バカみたいに、大騒ぎしてさ……」

 

 そうして、少年は得意げに語り始める。しかし、その内容の半分くらいが事件を起こしたことの自慢で、もう半分は町の人間や警察に対する嘲笑だった。

 つまるところ、この少年の犯行理由は "目立ちたかったから" らしい。今時の推理小説でも中々見れない犯行動機だ。酷く滑稽と言う他ない。怒りを通り越して呆れさえ覚えてしまう。

 

「私や他の人たちを狙ったのはどうして? どうやって攫ったの?」

 

「んだよ……見たことあんなと、思ったら……お前、雪子じゃん……今更話したいとか、ありえねえだろ……」

 

「真面目に答えて!」

 

「……は、はは……笑える……すげ、必死になってんの……」

 

 雪子の問いに要領を得ない返事をする少年は、必死に問いかける彼女を嘲笑う。そのどこまでもふざけた態度に、さすがの杏子も怒りを露わにして凄む。

 

「さっさと答えろ、ウスノロ。あたしは気が短いんだ……」

 

 少年は杏子の威圧感に怯み、俯く。答えないのは抵抗か何かだろうか。だとするなら、こいつは性根が腐りきって抜け落ちているのかもしれない。

 少しして杏子が靴を鳴らし始めると、少年はやっと話し始めた。

 

「誰だって、よかったんだよ……どいつも、こいつも……むかつくヤツばっかだ……」

 

「誰でもいい……? 誰でもいいって言ったか、お前」

 

 鳴上くんの問いに、少年は答えない。しかし、その沈黙は何よりも雄弁だ。

 これには花村くんも、怒りを抑えられなかったらしい。私が気が付いた時には、既に拳を振りかぶって少年に殴りかかろうとしていた。

 

「待て、陽介!」

 

「放せ……放せよ……オイ」

 

 慌てて鳴上くんが彼を押さえるが、止まる気配はない。よく見れば彼の瞳孔は開き、歯の間から荒々しく空気が漏れ出している。一目見ただけで、マズイと分かってしまう状態だ。

 私は彼の額に人差し指を当てて魔力を流し、感情の高ぶりを強制的に抑えながら言い聞かせた。

 

「落ち着いて、花村くん。 "これ" には殴る価値なんて……いいえ、話す価値すら無い」

 

 それから私は、少年に向き直る。すると、彼はまた嘲笑しながら私に言う。

 

「なに……俺を殺そうっての?」

 

 その言葉に、今度は巽くんがキレた。

 

「殺すだあ? クソが……思い上がんじゃねえ!」

 

 彼は少年の胸ぐらを掴み上げ、あらん限りの声で怒鳴りつけた。

 

「テメェは取り返しのつかねえことをしたんだよ、きっちり償って落とし前つけやがれ!くたばっていいのは、テメェのしたことがどんだけ重いか骨身で分かった後だッ!!」

 

 少年は、何も答えない。

 巽くんは彼を無造作に手放すと、呟く。

 

「……警察」

 

 おそらくは警察を呼べ、ということだろう。私は頷くと、携帯を取り出して警察に通報する。受け答えは丁寧に、場所の指定は的確に、全てを少年に対して見せつけるようにして話した。私と警察のやり取りを見ていた彼は、両手で頭を抑えながら何事かをぶつぶつと呟き始める。何を言っているのかは分からないが、反省の言葉ではないことは確かだろう。

 通話を終えてからしばらくして警察の人たちが現れると、鳴上くんも事情聴取のため少年と一緒に警察署に連れて行かれてしまう。残った私たちは、仕方がないのでフードコートで彼の帰りを待ちつつ、適当な話をして過ごした。

 最初は犯人に対しての憤りや、事件解決後のことだったりを話していたのだが、次第に話しは "逆ナン" とか "サウナ" とか、どんどんおかしな方向へと転がっていき、遂には打ち上げの話にまで発展して、鳴上くんが戻って来る頃にはすっかりいつのも雰囲気になっていた。

 

「打ち上げか……」

 

「いっちょ、パーってやろうよ!」

 

「はいはいはーい! クマ、ユキチャンお家行きたーい!」

 

 鳴上くんの呟きに千枝が答えると、クマが元気良く右手を上げながら提案する。しかし、残念ながら今は夏休みだ。私たちが泊まれる部屋など空いている筈もなく、雪子に断れてしまいしょんぼりとしてしまう。

 

「んー……あ! お前ん家とかどうよ?」

 

「え、俺?」

 

 どうしようかと悩んでいると、不意に花村くんが思いついたかのように鳴上くんを見る。

 

「あーでも、叔父さんに "なんの打ち上げ?" って訊かれたら、やり辛いか……?」

 

「そう……だな。いや、多分大丈夫だ。菜々子もいるけど、いいか?」

 

「一緒でいいじゃん。てか、遊んであげようぜ!」

 

「そっか、叔父さん刑事さんなら、今日とか帰れないかもね……」

 

 彼がそう訊くと、花村くんは笑いながら答え、千枝がそんなことを呟いた。

 確かに、警察は今日……いや、事件の処理が終わるまではずっと忙しいだろう。警察のことはよく分からないが、下手をすれば数日帰れないとかザラにありそうだ。

 

「菜々子ちゃん、お腹すかせてないかな?」

 

 不意に、千枝が呟く。

 そういえば、そろそろ夕飯の時間だ。彼女の言う通り、お腹を空かせているかもしれない。

 

「じゃあ、みんなで何か作るのはどう?」

 

 千枝の言葉を受けて、雪子が良いことを思いついた、とでも言いたげな口調でそんな提案すると、りせが首を傾げながら尋ねる。

 

「へー、先輩たち、料理得意なんだ」

 

「……ま、まあ、それなりに?」

 

 千枝と雪子は顔を見合わせると、りせの問いに答えた。

 

「ええ……?」

 

「何を言ってるんだこの人たちは……」

 

 私はその答えに思わず怪訝な声をもらし、花村くんは表情を歪ませて呟いてしまう。

 あのカレーを作っておいてそれなりとは……いや待て。あれからきちんと料理の練習をして、誰もが安心して食べれる料理を作れるようになった可能性があるかもしれない。ここは一度、2人を信じても良いのではないだろうか。

 と思ったが、2人の目が泳いでることに気が付いてしまい、私はその可能性を諦めた。

 

「ね、私も料理得意だよ? 先輩に作ってあげたいなー」

 

 これから訪れるであろう未来を悲観していると、りせが甘ったるい声で私に言う。嬉しいことは嬉しいが、嫌な予感がしてしまうのは何故だろう。

 

「なあ、これってあたし居てもいいのか?」

 

 何かよく分からない不安と戦っていると、不意に杏子が質問してきた。どうやら杏子は、自分が打ち上げに参加しても良いのか不安らしい。

 

「何言ってるのよ、当たり前でしょう?」

 

「杏子先輩は、もう仲間なんだから、ね?」

 

「そ、そうか?」

 

 私たちが質問に答えると、杏子は少し照れ臭そうな笑みを浮かべて、首に手を当てた。と、ここでクマがご機嫌な様子で立ち上がり、嬉々として提案をする。

 

「じゃじゃーん! クマ、いいこと思いつきましたー! 料理対決でもっきゅもきゅ〜の巻! みたいなぁ!」

 

「お、おもしろそうじゃん……」

 

「えー? 私が勝っちゃうけど、イベントの絵的にそれで良いの?」

 

 クマの提案に、千枝は震えた声で、りせは自信満々な声で答えた。

 

「……ゆ、悠! 男子代表でお前も参加してくれ、頼む!」

 

「任せろ!」

 

 千枝の反応を見て物体X(オムライス)が出来上がるの危惧したのか、花村くんが料理対決に参加するよう鳴上くんにお願いする。鳴上くんはそれを察して、サムズアップと共にもの凄く力強い声で即答した。

 これほどワクワクしない料理対決も珍しい。救急車を呼ぶ羽目にならなければ良いが……。

 

 

 全員で食品売り場に移動すると、鳴上くんが電話で菜々子ちゃんに晩御飯は何が食べたいのか訊く。しばらくして、鳴上くんが電話を切ると「作る料理は…………オムライスだッ!」と妙なタメを作ってから言った。きっとタメの部分にはドラムロールが入るに違いない。

 

「オムライスね。良いチョイスだ、菜々子ちゃん。そんくらい無難なら、食べられない物体にはならなそーだ」

 

 安心したようにうんうんと頷く花村くんだったが、杏子が、千枝も雪子も、りせすら黙りこくっていることに気が付き、怪訝な声で問う。

 

「あれ、どした?」

 

「べ、別に……あ、しょ、食材取ってくるから!」

 

 杏子の問いに千枝は焦ったような声で答えると、それを皮切りに3人は散っていった。

 

「あれ、なんで別々の売り場に行くんだ?」

 

 ぼけっとした杏子の呟きを聞いて、花村くんが青ざめる。いや、彼だけじゃない。鳴上くんも、私も、顔が青いだろう。

 

「ほ、欲しい食材取ってきてやるよ。何が良い?」

 

 引き攣った笑みを浮かべて、花村くんが問いかける。鳴上くんは少し考えた後、醤油を使った和風オムライスを作るらしく、材料を花村くんに伝えて、自身も売り場へと向かった。

 

「暁美は、どうすんだ?」

 

「……え、私?」

 

 これから起こるかもしれない悲劇と、菜々子ちゃんが病院送りにならないかという心配でハラハラしていると、花村くんが私に問う。突然のことに驚いて思わず訊き返すと、彼は縋るような視線を向けながらうんうんと頷いた。

 あの2人のことを考えれば仕方ないのかもしれないが、ちょっと量が多過ぎないだろうか。……まあ、巽くんは見るからに食べそうだし、杏子も中々に大食らいだ。みんなで食べる分には、頭数は多過ぎるくらいがちょうど良いのかもしれない。もっとも、あの様子だと食べれる味のオムライスは予想より少ないかもしれないが。

 

「そうね……なら、ケチャップでいきましょうか」

 

「ケチャップってーと、定番のやつだよな。よっし、任せとけ! あと……」

 

「あ、あたしは食べる専門だからパス」

 

「え? あ、そ、そう……?」

 

 花村くんに材料を伝えると、私も杏子と巽くんにカートの見張りを任せ、必要な食材を集めに向かう。私が集めるのはチキンライスの食材だ。

 鶏もも肉、玉ねぎ、ニンジン、マッシュルーム、ニンニク……次々と必要なものをカゴに入れていく。みんなが満遍なく食べれるように、量は多めに設定しておくのも忘れない。

 全部集めて元の場所に戻ると、既にみんなは集まっていた。用意されたカートにカゴを積んで杏子に渡した直後、花村くんが声を上げる。

 

「フォアグラ!?」

 

 見れば、りせのカートから花村くんが缶詰を引っ張り出していた。どうやら、あの缶詰はフォアグラの缶詰らしい。高級食材と名高い食材だが、残念ながら私は食べたことがない。

 

「さっすが見逃さないね、先輩! スペッシャルなオムライスって言ったら、極め付けはコレでしょ!」

 

 フフーン! と得意げな笑みを浮かべるりせだったが、不意に悲しげな表情を浮かべる。

 

「前に先輩たち、言葉では言い表せないような酷いもの食べさせられたって聞いたから……」

 

「あれは、酷かった……」

 

「かわいそうに……誰がそんな酷いものを……!」

 

 その言葉を受けて花村くんは、眉をしかめるといかにもな表情と声を作って呟く。何やら芝居がかっていて寸劇じみたやり取りだ。

 

「くく久慈川さん? 調子に乗ってられんのも、今の内ですことよ?」

 

「……一撃で仕留める」

 

 そんな2人に対して、千枝と雪子が引き攣った顔で言った。

 料理にはおおよそ似つかわしくない言葉があった気が……いや、やめよう。気にしたら負けだ。

 

 しばらくして、食材の精算を済ませた私たちは鳴上くんの家に向かった。

 彼の家に着くと、菜々子ちゃんが私たちを満面の笑みで迎えてくれて、心がほっこりしてしまう。それから杏子を彼女に紹介して適当な話をした後、いよいよ料理対決のスタートだ。

 

「……よし」

 

 髪型をシニヨンにして料理の邪魔にならないようにしたら、いつものように気合を入れて作業に取り掛かる。

 まずはチキンライスの下拵え。玉ねぎの皮を剥いたら粗めのみじん切りにして小さく切った鶏もも肉と一緒にもみ込み――こうすることで肉が柔らかくなるらしい――、それが済んだらニンジンとニンニクの皮を剥いてみじん切りにする。これも玉ねぎと同じく、粗めのみじん切りだ。マッシュルームは細切りにしてよく見るあの形にして、あとはオムレツ用の卵を溶いておけば準備は完了だ。

 

「ほむらちゃん、コンロ空いたよ」

 

 と、ここでちょうどよくコンロが空いたので、早速チキンライスの調理に取り掛かる。

 鳴上くんに断りを入れて横に立つと、フライパンに油を敷いて弱火でニンニクを炒める。ニンニクがキツネ色になったら鶏もも肉を入れて一緒によく炒めて、玉ねぎ、ニンジン、マッシュルームを加え、全部に火が通ったら白米を入れて手早く切るように炒める。そうしたらご飯を端に集めてスペースを作り、そこにケチャップを入れてご飯と混ぜればチキンライスの完成、次はオムライスの要である卵だ。とは言っても、特に気を付けるべきことはない。セオリー通りに作れば問題はなく、綺麗なオムレツが作れる。

 最後に、平皿に盛っておいたチキンライスの上にオムレツを乗せて、ケチャップをかければオムライスの完成……なのだが、普通にケチャップをかけるだけというのは味気ない。ここは少し、遊び心を入れてみよう。

 

「……うん、良い感じね」

 

 完成したオムライスを見てみると、自分でも上手くいったと思える出来栄えだった。

 まあ、オムライスは私の得意料理の一つだ。失敗する訳がない。

 私はふふんと得意げに鼻を鳴らすと、みんなより僅かに遅れて菜々子ちゃんの待つテーブルへと向かった。

 

「お待ちどうさま、菜々子ちゃん」

 

 笑顔でそう言いながらオムライスをテーブルに置くと、菜々子ちゃんは目を輝かせて満面の笑みを浮かべると歓声を上げる。

 

「わぁ……すごーい!」

 

 果たして、彼女は私が思っていた通りの反応をしてくれた。

 私が入れた遊び心……それは、デフォルメしたねこの絵と、オムライスを横切るように着いたねこの足跡をケチャップで作るというもの。所謂、ケチャップアートである。

 これは我ながら良いアイディアだと思っている。ねこの絵は少し難しいが、足跡は誰でも簡単に作れるし何より非常に可愛らしい。きっと子供にも大ウケ間違いなしだ。

 

「うわ、スッゲー……」

 

「これ、私も作れるかな……?」

 

「なにこれカワイイ……!」

 

「えっと、なんの動物だコレ。うさぎか?」

 

 みんなからの反応も上々だった。誰かが「耳長すぎてうさぎに見える」とか言っていたが、きっと彼女……というか、杏子の目は節穴なのだろう。ちょっと耳が長いくらいでうさぎに見える訳がない。たとえ耳を三角に描けなくて妙に丸っこかったとしても、すぐ横にある足跡を見れば誰だってねこだと分かる筈だろう。

 ……どうして誰もねこだと言ってくれないんだ。

 

「さあ、どうぞ召し上がれ!」

 

 全員のオムライスが出揃ったことを確認したりせが、笑顔で菜々子ちゃんに実食を勧めると、花村くんが割り込む。

 

「ま、まー待て。いきなり菜々子ちゃんに食べてもらうってのは、その……いかがなもんかな」

 

 彼がそう言いながら千枝の方をちらりと見ると、彼女は「こ、こっち見んな!」と小さく怒鳴る。そのやり取りを見ていた巽くんは何か合点がいったらしく、ぽんと手を打って呟いた。

 

「あー、なるほど。毒見役ってことスか」

 

「えー、ヒッドーイ! じゃあ私のは花村先輩が先に食べてみて。絶対美味しいんだから!」

 

 巽くんの言葉にりせは口を尖らせると、花村くんに自身のオムライスを食べるように勧める。

 

「俺が一番でいいのか? いや実はナニゲに期待してんだよ。そうじゃなくったって "りせちー" の手作り料理食べれるとか、普通絶対無い体験だろ?」

 

 花村くんはちょっと嬉しそうな声で饒舌に語ると、「いただきまーす」ときちんと挨拶をしてから、嬉々としてりせが作った真っ赤なオムライスを一口頬張った。

 

「う……」

 

 その直後、彼の額から多量の汗が流れ始め、表情も何かをぐっと堪えているような感じに変化していく。口の中のオムライスを飲み込み、スプーンを置く頃には、彼の顔は汗まみれだった。

 

「こ、これは……菜々子ちゃんには、やれないな……」

 

「やっだ、美味しくて独り占め宣言!?」

 

 何故か若干舌足らずな震えた声で花村くんが言うと、りせは驚きと嬉しさが入り混じった声を上げる。それを見た鳴上くんがりせのオムライスにスプーンを伸ばすが、その反応は概ね花村くんと同じである。

 彼らの様子を見る限り、彼女の作ったオムライスには何かしらの問題があるようだ。……この赤さが関係しているのだろうか。

 

「じゃあ、次。私のね」

 

「味見は……んじゃ、オレっスね」

 

 彼らの反応を疑問に思っていると、今度は雪子が自身のオムライスを勧める。味見役に名乗りを上げたのは、巽くんだ。

 彼は雪子の白いオムライスを、何のためらいもなく無造作にスプーンで掬って口へ運び、そして味わうようにゆっくりと咀嚼する。しかし、突然彼の動きがピタリと止まったかと思えば首をかしげて再びオムライスを口へ運び咀嚼、という動作を繰り返す。

 

「ちょ、ちょっと、何か言ってよ」

 

 その奇怪な反応に雪子は不安げな声で感想を促すと、それから数秒の沈黙が過ぎた頃、彼がゆっくりと口を開く。

 

「いや、その……なんつんだ? 不毛な味って言うか……」

 

「不毛!? "不毛" って、味に使わないでしょ!?」

 

 巽くんのまるで意味の分からない感想に、雪子は思わず声を荒げ、美味しいかどうかと詰め寄る。すると彼は、どう答えたら良いか悩んだ末に正直な感想を述べた。

 

「お、美味しくはないっスね……なんかこう、おふを生で齧ってるみてーな……?」

 

「なんだそれ、味がしないってことか? いやいや、そんなまさか……」

 

 巽くんの感想に首を傾げた杏子が、思い切って雪子のオムライスを食す。が、咀嚼して飲み込んだ後、なんと言い表せば良いのか、真顔とはちょっと違う濁った顔をして首を振る。

 

「こんだけ色々入ってて味が全くしねーって、ある意味才能じゃねーっスか?」

 

「せ、繊細な味が分からないだけよ!」

 

 雪子はそんな2人に対して、むっとした顔で言う。そんな様子を見かねた菜々子ちゃんが、雪子のオムライスを食べて、一言。

 

「……おいしいよ?」

 

 その気を使ったコメントをしてくれて、雪子はそれに感激した様子で声を上げた。

 まだ小学生だというのに、なんて良い子なんだろうか。杏子にも見習ってもらいたいものだ。

 

「じゃ、じゃあ次はあたしので!」

 

 雪子が終われば、今度は千枝の番だ。

 

「うー、緊張するなー……でも、絶対うまいと思う! 今度こそ!」

 

 とは彼女の弁だが、どうなのだろうか。

 

「クマがいただきますー」

 

 味見役に名乗りを上げたクマは、言うや否や千枝のボロボロなオムライスをぱくぱくと食べ進める。

 

「ど、どう?」

 

「うん、まずい」

 

 千枝が期待のこもった声でクマに訊く。むぐむぐとオムライスを頬張り、飲み込むとクマは笑顔で微塵の躊躇もない、気持ちの良いくらいに率直な返答をした。

 がーん、という音が聞こえてきそうな顔になる千枝を余所に、クマは花村くんにも千枝のオムライスを食べるように勧める。

 

「あー、なるほど……」

 

 食した花村くんは納得した声を上げ、かなり気の毒そうな顔で慰めの言葉を千枝に贈った。

 

「や、ほら……でもさ、前のカレーに比べたら格段の進歩じゃん?」

 

「ふ、普通にマズイってのが一番キツイから……しかも、慰められた……」

 

 がっくりと肩を落とした千枝を見かねたのか、またも菜々子ちゃんが千枝のオムライスを食して一言。

 

「これも、おいしいよ」

 

 という、とても気を使ったコメントをしてくれて、やっぱり千枝もまた感激の声を上げた。

 ぐうの音も出ないほど優しい子だ。いったいどうしたら、こんなに良い子に育つのだろう。

 

「あー、ほんとだ……ほんとだほんとだ、普通にマズイこれ!」

 

 いつの間にか千枝のオムライスを食べていた雪子は、何が面白かったのか急に笑い始めてしまった。

 

「じゃありせちゃんの食べてみなよ! あたしの方が絶対おいしいんだから!」

 

 さすがにカチンときたのか、千枝は雪子にそう言う。雪子は言われた通り、まだちょっと笑みを浮かべながらもりせのオムライスを一口食べた。

 その直後。

 

「う、ウボァー……」

 

 ぶっ倒れた。

 

「せ、先輩!?」

 

「一撃だ……」

 

「ま……里中と天城のオムライスも美味くはなかったけどさ……ぶっ倒れはしないかな……ハハ」

 

 杏子が思わずそう呟き、花村くんは苦笑いを浮かべる。

 人を倒せるほどのオムライスとは、いったい……。

 

「こ、子供には分からない味なんだもん! 大人の味なんだもん! 先輩たちが、お子様なんだもん……私、私……」

 

 何とも声をかけ難い声色で泣き始めるりせ、そしてそれを見かねた菜々子ちゃんが彼女のオムライスを食して一言。

 

「ん……! からいけど、おいしいよ」

 

 菜々子ちゃんは一瞬だけ顔を顰めたが、すぐに笑顔を作ってりせに言った。

 なんて良い子なんだろうか。妹に欲しいくらいだ。

 

「菜々子ちゃん……! ねー、そうだよねー! 菜々子ちゃんが、一番オトナ!」

 

「うっわ、ウソ泣きキタ!」

 

 菜々子ちゃんの言葉に感激したりせは、泣き顔を引っ込めて満面の笑みを浮かべる。その変わり身の早さは、千枝が思わず驚きの声を上げてしまうほどだ。

 

「はは……えっと、次は暁美のか」

 

 引きつった笑顔の鳴上くんは、気を取り直すと私のオムライスに視線を移す。するとここで、クマがいきなりとんでもないことをさらっと言い放った。

 

「ホムチャンが作ったオムライスクマかー……じゃあ、ホムライスクマねー」

 

「ぶふぅっ!?」

 

 私とクマ以外の全員が、同時に吹き出した。

 

「ほ、ホムライスって……ホムライスって……!!」

 

「ご、語呂良すぎだろソレ! 反則だ、反則ぅ!」

 

 声を荒げてクマに詰め寄るがもう遅い。みんな笑い過ぎて息絶え絶えになっている。雪子なんて、床をバシバシ叩いて転げ回る始末だ。唯一の救いは、菜々子ちゃんが「ホムライスだって! かわいいー!」と言ってくれたことしかない。

 

「……クーマァー!」

 

「あいえー!?」

 

 だが、それで私の怒りが収まる訳がない。私がクマの肩を両手でがっしりと掴んで揺らすと、クマは変な叫び声を上げながら大げさに仰け反り、怯えた声で「オタスケー!」と懇願する。

 

「貴方ねえ! どうしてホムチャンとかほむ母さんとか、私の名前もじった変なあだ名ばっかり思いつくのよー!」

 

「ひぇー!」

 

 私が怒っても笑いは深まるばかり、それどころか激しくなったまである。口を滑らせてほむ母さんのことを言ってしまったのに気が付いたのは、それからすぐのことだった。

 

 それからしばらくして笑いが収まると、鳴上くんが私のオムライスにスプーンを伸ばす。失敗はしていないという確信はあるが、こういう瞬間はどうしても緊張してしまうもので、私はちょっとだけソワソワしながら彼の感想を待つ。彼は充分に咀嚼して味わった後、安心したように頷いた。

 

「うん、美味い」

 

「当たり前でしょう? これでも、オムライスは得意料理なんだから」

 

 私はその感想にちょっと得意になって、ふふんと笑みを浮かべる。気に入ってもらえたようで何よりだ。

 花村くんと巽くんも私のオムライスを食べると、鳴上くんと似たような反応を示してくれた。

 

「おいしい! ホムライス、すっごくおいしいよ!」

 

「ん゛ぐ!? げほ、ごほっ!」

 

「あ、ありがとう菜々子ちゃん。でもホムライスはもうやめてね? ……えっと、つ、次は鳴上くんのオムライスね」

 

「お兄ちゃんの! いただきまーす!」

 

 私が促すと、菜々子ちゃんはとても嬉しそうな顔で鳴上くんのオムライス一口食べる。すると、菜々子ちゃんは目を輝かせて歓声を上げた。

 

「すっごくおいしい! こんなオムライス、初めて食べた!」

 

 この反応を見るに、やはり "お兄ちゃんのオムライス" には勝てなかったらしい。薄々は分かっていたことだが、ちょっと悔しい気もする。

 

 それからは、みんなで話をしながらオムライスを食べ進め、いつの間にか全員分のオムライスは綺麗さっぱり無くなっていた。なんだかんだ、みんなで食べればどんな料理もそれなりに美味しくなるものである。

 

「菜々子ちゃん、お腹いっぱいになった?」

 

「うん!」

 

 食器を片付けて一息ついた千枝が菜々子ちゃんに訊くと、菜々子ちゃんはとても良い返事を返した。

 満足してくれたようで何より、こちらも作った甲斐があるというものだ。

 なんてことを思っていると、花村くんが「ところでさ」と話を切り出す。

 

「今度、お祭りあるだろ、商店街のさ。あれ、みんなで行かないか?」

 

「あ、さんせい!」

 

「むほー! ひょっとして、浴衣クマか?」

 

 花村くんの提案にりせが賛成すると、クマが興奮した声を発した。

 浴衣か……そう言えば、着たことがなかった気がする。この機会に、ちょっとだけ着てみるのも良いかも知れない。

 

「おまつり……」

 

「菜々子ちゃんも一緒にさ」

 

 花村くんの提案を聞いた菜々子ちゃんが呟くと、彼はそれを見逃さずに鳴上くんの方を見て言う。

 

「いっしょに、いーの?」

 

「もちろん」

 

「ほんと!? わーい!」

 

 ちょっと不安げな菜々子ちゃんが問いに鳴上くんは笑顔でサムズアップして答えると、

 菜々子ちゃんは何とも可愛らしい歓声をあげて笑顔でばんざいした。

 

「決まりだな」

 

 花村くんの一言に、全員が頷く。杏子は一度帰ってしまうが、お祭りの日はマミを連れてくるらしい。マミの話では、9月に会社の面接があるという話だった大丈夫なのかと思ったが、よくよく考えればマミの壮行会としてはちょうど良いかもしれない。みんなにマミを紹介する良い機会でもある。今から8月20日が楽しみで仕方がない。

 

 

 

 それにしても、みんなで打ち上げもして、バカみたいに騒いで……みんなに感化されて、私も随分と変化している。昔の自分からは想像もできない変わりようだ。けど、悪い気分じゃない。

 ずっと……こんな時間が続けば良いのに。

 


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