Persona4 : Side of the Puella Magica   作:四十九院暁美

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来年もよろしくお願いします。


第28話

 八月十二日、夜。

 雨が降っている。今日はマヨナカテレビが見れるだろう。私が窓から離れてテレビと向かい合うと、それから数秒遅れて、テレビ画面がぼんやりと光り出す。マヨナカテレビが始まったのだ。けれど、テレビに映ったのは砂嵐ばかりで、他のものは何一つ映らない。あの少年を捕まえたからだろう。マヨナカテレビが終わったのを見届けた私は、安心と、それよりも大きな不安を抱きながら、私は布団に潜り込んだ。

 また、悪夢を見るのだろう。毎晩、ずっと見ているのだから、きっと今日も見るに違いない。溜め息が出そうになるのをぐっと堪えて、私は目を閉じた。

 

 

 

 

 どこかもわからない暗い部屋に、雷鳴と雨音だけが響く。天井から滴る泥の雨が床を濡らし、部屋には悪臭が立ち込めている。目の前のベッドには、私が横たわっていた。昔の私でも、あの時の私でもない、いつかの私だ。安らかな様子で両手を組み、瞳を閉じた私は、何も喋らない。寝ているのか、それとも、死んでいるのか。わからない。

 

「かわいそうな私」

 

 背後で、誰かが言った。振り向くと、私の影がいた。

 

「私にも、■■にも裏切られて殺された、かわいそうな私」

 

 影はいつかの私を、ついと指差して言う。

 

「どうして殺してしまったの?」

 

 私が問いかけると、影は平坦な口調で答えた。

 

「私が死にたがっていたから、死にたくない私は抵抗して、■■に殺された」

 

 いまいちわからない。まるで私が二人いるみたいな言い方だが、これはどういう意味なのだろう。それに、どうして■■が私を殺すのだろう。殺す理由が見つからないし、そもそも、彼女がどうやって私を殺したというのか。再び問いかけると、影はやっぱり平坦な声で答えた。

 

「■■は、私が死にたがってることに気がついていた。だから殺して、二度と、死にたいと思わないようにした」

 

 影がスッと、私の頭を指差す。

 

「そのリボンを着けてる限り、私は――」

 

 と、そこまで言って、影はピタリと動きを止める。どうしたのかと首を傾げた、その瞬間、影は糸が切れた人形のように、地面へ倒れてしまう。急なことに驚いた私は、息を飲んで一歩後退った。

 部屋には再び、雷鳴と雨音だけが反響する。いったい、何が起こったというのか。上体を少しだけ前に倒して様子を伺ってみるが、影はピクリとも動いていない。

 まるで、死んでしまったみたいだ。

 そう思った直後、背後から布が擦れる音が、飛んできた。反射的に振り向くと、同時に、喉へ衝撃が走った。足が地面から離れ、呼吸ができなくなる。どうやら私は、首を絞められているらしい。首を締め上げる何かを振り解こうともがいていると、怒気を孕んだ声が、私の耳を穿つ。

 

「――!」

 

 霞む視線を声の方向に向けると、さっきまでベッドに寝ていたいつかの私が、憤怒の表情を浮かべて私に両の腕を伸ばしていた。何か言っているみたいだったけれど、何故だか上手く聞き取れない。

 

「なっ……に……」

 

「――! ――――!」

 

 掠れた声で問いかけるも、いつかの私の怒りは留まることを知らない。いつかの私は、首を締め付けたまま私を地面に叩きつけると、悲鳴に近い怒鳴り声を上げる。

 

「――――――!! ――――!」

 

 けれど、わからない。いつかの私は、私に対して激しい怒りを抱いているのだろうが、言葉が聞き取れないから原因が理解できない。ただ、一つだけ、その中で聞き取れた言葉があった。

 

「ま、ど……か……?」

 

  どこかで聞いたような、懐かしく感じる言葉……口にすると、何故だかしっくりくるが、しかし、どこか違和感を感じる。不思議な名前だ。

 

「――!! ――――!」

 

 私が "まどか" と言うと、いつかの私はさらに怒気を強め、首を締め上げてきた。意識が遠くなって、視界が黒く染まっていく。身体に、力が入らない。

 

「――偽者のクセにッ!」

 

 最期に聞こえたのは、悲鳴に近い怨嗟の雄叫びだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 目が覚めると同時に、私は窒息から、布団の中で咳き込みながら、のたうち、喘ぐように荒く呼吸を繰り返した。身体は寝汗で濡れそぼち、視界が極彩色に点滅して、ひどい耳鳴りがする。頭痛と吐き気が、身体と脳を苛む。

 堪らず、近くにあったゴミ箱に嘔吐した。

 身体に巣食う何かを吐き出すように、二、三度吐いた。けれど、どれだけ吐いても、出てくるのは酸っぱい臭いを発する胃液ばかりで、身体に溜まった淀みは一向に消えてくれない。悍ましい何かが、心の奥底に、べったりと張り付いて、内側から壊されているような、呪わしい感覚が、私を蝕んでいる。そんな気がして、ならなかった。

 緩慢な動作でゴミ箱から離れて、テーブルを支えにして立ち上がる。ふと、テーブルの上に置かれた、いつも身に付けている赤いリボンが、視界に入った。夢で、影はこのリボンについて、何か言っていた気がする。いや、言いかけたんだったか。上手く思い出せない。とても、大事なこと……なんだろうか。このリボンは、このリボンには、何があるというのか。欠けた記憶に、何か関係があるのだろうか。

 わからない。

 思い出せない。

 私が曖昧になっていく。光が遠のいていく。空っぽになる。心がうすら寒くなる。記憶がなくなったら、私は、どうなってしまうのだろう。何も持たない、何もない私は、霧のように消えてしまうのだろうか。

 苦しい、辛い……消えたくない、死にたくない。

 そう思った瞬間、枕元の携帯が、けたたましく鳴った。画面を見ると、詩野茜と表示されている。私は僅か迷ったけれど、電話に出てみると、彼女の心配そうな声が聞こえてきた。

 

『おはよう、ほむらちゃん』

 

 茜の声を聞いた途端、形容し難いほどの安心が、私の身体を駆け巡り、じんと、胸が熱くなった。

 

「……茜」

 

 名前を呼ぶと、とてもしっくりきた。身体が震える。鼻の奥がツンとする。全身が暖かくなり、何かが腹の奥底から、込み上げてくる。

 

『ほむらちゃん?』

 

「茜……?」

 

 努めて平静な声で応じると、茜は少しだけ心配の色を濃くして、私に言った。

 

『……ううん。その、最近元気なかったから、心配で……ごめんね、急に』

 

「謝らなくてもいいわ。……ありがとう、茜。気にかけてくれて」

 

『ほむら、ちゃん……』

 

 一筋、雫が右の頬を伝って、床に落ちる。

 ああ、そうだ。茜や特捜隊のみんながいる。父さんも、母さんも、杏子もマミもいるじゃないか。空っぽなんかじゃない、ちゃんと、大切なものを持ってる。一人じゃないんだ。

 それを自覚した時、曖昧だった私がしっかりとした輪郭を帯びて、確固たる存在を築いていくのを感じた。私を侵食していた何かは、気が付けば消えていた。あれは多分 "不安" だったのだろう。ひどく恐ろしい悪夢を見たせいで、あんなにも陰鬱とした感覚に囚われていたに違いない。まったく、嫌な話だ。

 茜との通話を終えると、私は自室のゴミ箱の吐瀉物を片付け、熱めのシャワーを浴びて身体を温めた後、いつものようにコーヒーを淹れて、リビングでのんびりとすることにした。流石に、外に出ようなんて気分にはなれなかったし、誰かに会おうなんてことも思えなかった。できれば誰かと会いたいし、話しもしたいけれど、最近の私は何故だか調子がおかしいから、いらない心配や迷惑をかけてしまいそうでどうにも気が引けた。

 コーヒーを啜ると、ほうと短い溜め息が出た。こんなこと、前にもあった気がするな、と。けれど、それがいつだったのかも思い出せない。八十稲羽に来てからだったか、それとも、向こうにいたころだったか。それすらもわからない。杏子とマミなら何か知っているのだろうが、今の状態を伝えたら二人を心配させてしまう。それに、何と言うか……このことを伝えたら、何か悪いことが起こる気がしてならないのだ。二人に限ってそんなことはないと思うが、しかし、この不穏な気配を払拭することができないでいる。この例えようのない嫌な予感は、何なのだろうか。

 憂い顔まま、再びコーヒーを啜る。厄介なのは、記憶が失われつつある原因と、リボンとの関連性だろう。まず、そもそもの話だが、どうして私はこのリボンを毎日欠かさず、身に着けているのか。出かける予定があろうがなかろうが、私は必ず着けている。おそらく、私がこのような状況に陥った謎を解く鍵は、このリボンにあるに違いない。となれば、このリボンのことを知っているであろう、杏子とマミに訊くのが手っ取り早い……のだが、やはり、どうしても嫌な予感がして気後れするのだ。思わず、小さな溜め息を吐いてしまう。

 何だというのだ、この予感は。これじゃあまるで、私が二人に対して負の感情を抱いているみたいじゃないか。そんなことあるはずがないというのに、まったく不可解だ。

 眉間に皺を寄せたまま、テーブルにコーヒーの入ったマグカップを置くと、同時に、けたたましく携帯が鳴る。今日二度目の電話は、花村くんからだ。

 

『暁美、頼む! 助けてくれぇ!』

 

 彼の第一声は、随分と必死なものだった。いったいどうしたというのだろうか。片眉を上げつつも話を聞くと、明日からジュネスでヒーローショーをやる関係で、人手が絶望的に足りないから一週間ほど臨時で手伝って欲しい。とのこと。私はどうしようかと僅か迷ったが、彼のお願いを聞いてあげることにした。調子がおかしいのは確かだが、いつまでもこのままというわけにはいかない。外に出て何かしていた方が、今のように家でじっとしているより、よほど有意義で健康的だ。それに、花村くんにはいつも助けられているから、こういうところで恩返ししていきたいところである。

 ……もしかして私は、こんな風に誰から声をかけられることを、待っていたのだろうか。わからない。わからないけれど、私のことだ。きっと待っていたに違いない。

 

「ええ、いいわよ」

 

『ホントか!? うおお、サンキュー暁美!』

 

 二つ返事で了承すると、大袈裟すぎるくらいに嬉しそうな声が返ってきた。バイトなんてしたことないが、大丈夫だろうか……?

 

 

 

 

 

 八月十五日。人生初めてのバイトである。

 開店前から戦々恐々とする私に、花村くんとクマ、それに同じく臨時で集められた鳴上くんと千枝が、気楽にいこう、なんて声をかけてくれたのだが、バイトが始まるとてんてこ舞いで何かを気にするどころではなかった。私が任されたのはヒーローショーの手伝い――機材の設置だったり、子供たちを先導したり、やることはいろいろ――という、私にはまあ向いていない仕事だったのだが、これが予想以上に非常にハードだったのだ。何がキツイかと言えば、子供の相手である。

 

「み、みんなー、もうすぐ始まるから、席に座って……トイレ? トイレはあっちの……え? お父さんとお母さん? ああ、迷子なのね……って、わわ、な、泣かないで! 大丈夫、大丈夫だから、ね? ……こ、こういう時は、ええっと……ひにゃあ!? ちょっと、今お尻触ったの誰!?」

 

 こんな感じに、とにかく色々と大変なものだった。こんなことをあと一週間も、炎天下の中でやらなければいけないのだから、堪ったものではない。

 次の日、八月十六日も忙しくて仕方がなかった。私は始まって一時間も経つとヘトヘトなのに、あの着ぐるみを着て焼きそばを作ってるクマも、接客をしている鳴上くんと花村くんも、呼び込みをしている千枝も、なんであんなに元気なんだろうか。というか「肉はあなたを裏切らない」って、千枝はどの層に向けて呼び込みをしてるんだろうか。そして今日もお尻を触られた。触ってきたのは昨日と同じ男の子たちだった。ギルティ。

 働くのがこんなに大変だったとは、と思いながらバイトに精を出す八月十七日。三日も経てばもう子供の相手は慣れたも同然。お尻を触られるのはなれないが――そもそも、なれてはいけない気がする――、髪を引っ張られても服を引っ張られても、無心でやり過ごすことができるくらいの寛容さを、私は手に入れたのだ。しかし、一つだけ納得できないことがある。それは、私以外にもたくさん女性スタッフがいるのに、なんでなのか、私だけやたら子供たちからのボディタッチが多いことだ。百歩譲って、服を引っ張られるのも髪を触られるのも、まあ仕方ないとして、なんでわざわざお尻を触ってくるのだろう。というか、なんで触るところがお尻に限定されているのだろう。身長差のせいなのか、それとも単に悪い子が多いだけなのか。……もしかして、私のお尻が大きいから? そういえば最近、ズボンがキツくなってきたような……いやいやいや、そんなまさか。けれど、こうも触られまくると、果たしてどうなのかと疑問を抱いてしまう。由々しき問題である。どうにもモヤモヤするので、休憩中、少し恥ずかしかったがみんなに「子供にやたらお尻を触られるんだけど……」と相談してみたら「気を引きたいんじゃないか?」という答えが返ってきた。いわく、男の子はみんな好きな女の子にちょっかいをかけたがるもの、なんだとか。微妙に納得いかないが、適当に構ってあげれば多分なくなるよ、とみんなから言われたので、とりあえず明日また触られたら声をかけてみよう。

 父さんと母さんが見送ってくれた八月十八日。クマの動きが怪しくなってきた。この炎天下の中、あんな着ぐるみを着て鉄板の前にいるのだから、仕方がない。あとで、よく頑張ったね、と頭を撫でてあげることにしよう。それはそうと、あの男の子たちは今日もちょっかいをかけてきた。当然ムッとしたが、それを堪えてみんなから言われた通りに、笑顔で「今日も元気ね」みたいなことを言って構ってあげると、彼らは顔を真っ赤にしてどこかへ行ってしまった。対応を間違ってしまったのかと思ったが、どうも違うらしい。なんだかわからないが、明日もやってきたら、今度はクマみたいに頭でも撫でてみようか。……逃げられるかな。

 気が付けばもう八月十九日、バイト最終日だ。時が経つのは早いものである。さて、あの男の子たちは今日も来るのだろうか。もし来たら、自惚れるわけじゃないが、好きな子に云々の話をちょっぴり信じてしまいそうになる。小学生の男の子が(こんなの)に惚れるなんて、そんなことありえないと思うのだが、どうなんだろうか。なんてことを考えていると、やっぱり男の子たちがやってきた。しかし驚いたことに、今日も触って来るのかと身構えていると、男の子たちは私の前に並び、少しの間をおいてから「ごめんなさい!」と謝ってきたのである。突然のことにかなり困惑したし、いったいどういう風の吹き回しなのかと疑問に思ったが、私は何も詮索せずに謝罪を受け入れることにした。理由はどうあれ、多分、この子たちなりに考えた上での行動なのだろう。なら、何も聞かずに受け入れるのが、大人の対応というものである。

 

「もう、女の子のお尻を触ったりしたら、ダメだからね。わかった?」

 

「うん」

 

「……ごめんなさい」

 

「ふふ、良い子ね」

 

 項垂れる子供たちの頭を優しく撫でてあげると、何故だかみんな、惚けた笑みを浮かべて私を見上げた。私に頭を撫でられるのが、そんなに気持ち良いのか。もしそうなら、まあ、少し嬉しいかな。

 

「あー、いいなあ」

 

「ぼくも! ぼくもなでて!」

 

「はいはい。わかったからズボン引っ張らないで、ほら」

 

 私の周りに、だんだんと子供たちが集まってきた。ヒーローショーが始まるまで、まだ時間がある。開演時間までこの子たち全員の相手をするのは、さすがにちょっと骨が折れそうだ。私は苦笑を浮かべながらも、なんだか暖かい気持ちで子供たちの相手をするのだった。

 




千枝「きちんと謝ったら、イイコトしてくれるかもよ?」

男の子たち「!!」

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