Persona4 : Side of the Puella Magica   作:四十九院暁美

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第30話

 時間は少しだけ遡り、茜がほむらと別れてから、ほんの少しだけたった頃。

 茜は最近、親友である暁美ほむらに対して、違和感めいた何かを抱いていた。自分でもいまいちわかっていないのだが、とにかく、最近のほむらは変だと感じてしまい、どうしようもないくらいに疑問に思ってしまう。もしかしたらそれは、他の人間から見れば道端に落ちている石ころのように、ほんの些細な違和感なのかしれない。だが彼女にとっては、道を塞ぐ大岩のように決して無視できないものであり、なおかつ、自身ではどうすることもできぬ代物であった。

 原因は何かと考えてみれば、自分の中で固定されたほむらのイメージと現実のほむらとの差が、これを生み出しているのかもわからない。しかし、それにしてはあまりに異質で奇妙な上、ほむらの言葉や行動の端々に見え隠れする極度の憂いもあってか、まるで内側のすべてが別人になってしまったかのようで、成りかわりだとか憑依だとか、とにかく、ある種の妙な不安を掻き立てるのだ。

 ただ難しいことには、茜個人の感情で語るならば、前のほむらも今のほむらも嫌いではなく、むしろ今のほむらの方が好ましいと思っていることである。前のほむらは、良くも悪くも淡々としていて人間味を感じられない機械のようで、まさしくクールと言うにふさわしい人物であったが、今のほむらは、感情の起伏が見て取れるくらい表情豊かで、年頃の少女らしい可愛らしさがあるのだ。それに、機械のように一切の感情が読み取れない無機質な少女と、いまいちクールになりきれないちょっと抜けたところのある少女とならば、誰だって後者の方が良いと言うだろうことは、想像に難くない。ゆえに、今のほむらが悪であると、一概には言えなかった。

 善悪の判断をつけるのは、簡単なことではない。自分一人で考えるのには限界があるし、自分一人で抱え込むにはあまりにもことが大きすぎる。しからば、他の人間から何かしらの意見をもらった方が良いだろう。茜は、自分の次にほむらと仲が良いであろう悠に、このことを相談することにした。

 

「暁美の様子が変、か」

 

 茜の言葉を聞いた悠は、先日のほむらとの昼食をちらと思い出したが、あれは変と言うほどではなかったのでむっと困り顔を作ってしまう。

 

「明るくなったと思うけど……うーん、変ってほどじゃないかな?」

 

「そ、そっか……」

 

 からんころんと下駄を鳴らしながら、千枝もまた似たような表情を浮かべる。彼女にも、思い当たる節がなかったらしい。

 予想できていたことではあったが、やはり二人の反応に茜は落胆した。考えてみれば彼らは、自分のように以前の暁美ほむらという少女を知らないのだから、わからないのはまあ仕方のないことではある。しかし彼女には、それが気に入らなかった。ほんのちょっとだけではあるが、自分よりも遅く知り合ったくせに自分と同じくらい仲良くなって、それなのにほむらちゃんの異変もわからないなんて。という彼らに対する乾いた失望が、茜の心の隅っこに巣くった。

 

「じゃあ、その……今度から、ちょっとだけでいいから気を付けてくれないかな。ほむらちゃん、結構抱え込んじゃうタイプだから……ね?」

 

「そうだね……うん、わかった」

 

「ああ、気を付けてみるよ」

 

 最後にそう言い含めると、二人は真面目な顔で頷いた。それでも茜は、どこかモヤモヤとした気分のまま、二人に挨拶をしてその場を離れると、フラフラと砂利の敷かれた広場の中央に設置された椅子に座って、ぼけらと空を仰いだ。

 自己嫌悪に浸る。

 茜が、彼らに嫉妬の情を感じてはいなかった、とは言えない。自分は一年もかかったのに、彼らはほんの一カ月足らずでほむらと打ち解けてしまった。そのせいで彼女は少なからず、隙間に入り込んできた彼らを憎らしいとは思った。だが、それも過去のこと。今はもう、そんな感情を抱いてなどいない。だのに、今さらあんな黒い感情を抱くなんて、あまりにも醜い。彼女は自分に対する不快感から、深い溜め息を吐いた。

 

「どうしたの? オネーサン。そんな憂鬱そうな顔して」

 

 不意に、落ち着いた少女声が茜の耳を穿つ。見ればそこには、白髪が交じったボブカットの少女がいた。最近になって、町でたまに見かけるようになった子だ。おそらくはこちらに越してきたばかりなのだろう、少女は一人であった。

 急に話しかけられて少し驚いた茜だったが、話しかけられたからには無視は良くないので、ぎこちなく笑って彼女に言う。

 

「そう、かな……アハハ」

 

「ダメだよ。お祭りなのに、暗い顔してちゃあサ。なんかあったの?」

 

 黒のモノトーン柄のシャツと白いミニスカートが特徴的な彼女は、人懐っこい笑みを貼り付けた顔を傾けると、朗らかな声でそう問いかける。茜は、こんなことをこの子に話すのはどうなのかと思ったのだが、自分の意思に反して "何かに促された" かのように、自身が抱えている悩みを口にしてしまう。

 

「その……最近、私の友達が前よりずっと明るくなって、たくさん笑うようになったの……でも、なんだかモヤモヤして、スッキリしないっていうか……」

 

「そっか。うーん、それは難しいね」

 

 意思に反して発せられる言葉に困惑する茜をよそに、いつの間にかテーブルを挟んで彼女の向かいに座った少女は、相槌を打ちながら実に真摯な様子で話しを聞いていく。

 

「それにね? なんだか、前とは……別人みたいだなって、思っちゃって……。変だよね、こんなの。おかしいよね……友達なのに、こんな風に思っちゃうなんて」

 

「そんなことないよ。お姉さんがそう考えちゃうのは、仕方ないんじゃないかな」

 

「そう……かな……」

 

「そうだよ。だってその友達、話からして元々そんなに明るくなかったんでしょ? それが急に明るくなったら、そう思っちゃうよ」

 

 真剣な少女の言葉に、茜は少しずつではあるが、心が安らいでいくのを感じた。意思に反して漏れ出てしまった悩みだが、こんなにも真剣に話を聞いてくれたのだから、話して正解だったのかもしれない。そう、彼女は思ったのだ。

 

「……ありがとう。こんな話、聞いてもらって」

 

「いいよいいよ。私は困ったオネーサンの味方だからね! それに、君みたいなオネーサンにあんな暗い顔は似合わないからサ!」

 

「なにそれ。もう、調子いいんだから」

 

 お礼が言うと、少女は得意げな顔でそんなことを嘯いたものだから、茜はくすりと笑ってしまう。なんだかいつもの元気が戻ってきた彼女は、そういえばまだ名乗っていなかったことを思い出したので、自身の名を彼女に告げた。

 

「あ、そういえば、まだ名前言ってなかったね。私は詩野茜」

 

「詩野茜……オネーサンね」

 

 少女は茜の名前を噛みしめるように繰り返す。

 

「うん。貴女は? なんて言うの?」

 

「私はね……」

 

 茜が名前を問うと、少女は一旦言葉を切り、一瞬だけ、毒蛇の如く狡猾な笑みを浮かべて、こう名乗った。

 

「 "神名あすみ" って言うんだ」

 

 

 

 

 ◇

 

 

 

 気が付くと、ベンチに寝転がっていた。視界には海の断面みたいに透き通った月夜と、ものすごく困った顔で辺りを見回している巽くんがいて、ついと視線を動かすと、お腹の上には巽くんにもらったぬいぐるみが、辺りには裏路地らしき風景が広がっていて、背後からは響く祭りの喧騒が遠くから聞こえてくる。

 はて。どうして私は、こんなことになっているのだろうか。というか、そもそもなんで巽くんに膝枕されているのだろう。広場に設置されたテーブル席で、彼と談笑していたところまでは憶えているのだけれど、それ以降は記憶が曖昧で思い出せない。どこかで休みたかったのはわかる。私のことだ。多分、静かなところで、空でも見上げながらラムネでも飲みたかったんだろう。が、肝心のラムネはどこにもないし、買おうと思っていた綿あめもりんご飴もない。まさかとは思うが、はしゃぎ疲れた私は、何も買わないままここで眠ってしまったのだろうか。

 考えても考えても、こうなった辻褄がどうにも合わない気がするし、なんだか何か忘れているような気もする。……まあ、良いか。疲れで朦朧とした頭が弾き出した思考だ。行動の意味を深く考えるだけ、無駄なのかもしれない。それに、忘れてしまったことだって、どうせふとした拍子に思い出すだろう。

 しかし、膝枕(こういうの)は普通、女が男にやるものだと思うが、どうなんだろうか。いやまあ、別に悪いわけじゃない。少々筋肉質だが、これはこれでクセになりそうな感じの硬さで、なんと言うかこう、どっしりとした安心感みたいなものがあって実に心地良い。今度、父さんに頼んでみようかな。

 そこまで考えると、私は一つ咳払いをしてから、彼に挨拶をした。

 

「こほん……おはよう、巽くん」

 

「へぁ!? あ、暁美先輩! 起きたんスか?」

 

「さっきね」

 

 私は巽くんの問いかけに答えると、むくりと上体を起こした。硬いベンチで寝ていたせいか、身体が少し痛い。関節も硬くなっているようだ。どれくらい寝ていたのかはわからないが、そこそこ長い時間、同じ姿勢で寝ていたらしい。巽くんの足が痺れてないか、少し心配だ。

 ぬいぐるみを脇に置いて、両手足を広げてグッと伸ばすと、固まっていた身体がほぐれていくのを感じる。身体から力を抜いてほうと長い息を吐き出せば、眠気もなくなって心身ともにスッと爽やかになった。まあまあの目覚めである。

 

「ごめんなさい、寝ちゃったみたいで」

 

「い、いいいいや!全然大丈夫っス!」

 

 巽くん向かって謝ると、彼は何故かよくわからないが挙動不審になる。おそらく膝枕のせいだろう。

 そういえば、あまりに気していなかったが、私はどれくらい寝ていたんだろうか。集合時間に遅れてなければ良いが。そう思いながら、妙な態度の彼を尻目に腕時計を確認すると、すでに集合時間を五分も過ぎていた。

 

「う……ま、マズい、早く行かないと……! 巽くん! 行くわ、ほっ、あぅ!?」

 

 私は慌てて彼に呼びかけると、立ち上がってだっと走り出そうと一歩踏み出そうとした……のだが、右足に何かを強く擦ったような感覚が走り、そのまま派手に転んでしまう。ゴッという鈍い音が額を通して鼓膜に伝わり、目の前が真っ白にスパークして、ぐわんぐわんと鈍い痛みが脳を苛んだ。

 

「おわっ!? ちょ、先輩!?」

 

 両手で額を押さえ、声にならない声を上げてうずくまっていると、上から巽くんの心配そうな声が降ってきた。

 

「い゛だい゛……」

 

「大丈夫っスか?! 怪我は?」

 

 私が涙声でそれに答えながら、巽くんに助けられつつも緩慢な動作でよろよろと身体を起こすと、前髪を上げて一番痛む額を巽くんに晒す。すると、私の額の具合を見た彼は「あー、結構ガッツリいったなコレ……」と顔をしかめた。どうやら、そこそこ大きい傷ができてしまったらしい。

 

「うぐぐ……不幸だわ……」

 

「とりあえず、傷洗わねーと……つってもデコだしなぁ……しゃあねえ、ちょい待っててもらえねっスか」

 

 彼はそう言うと、どこかへと走って行く。多分、ハンカチを濡らしに行ったのだろう。

 一人残された私は、右の腕でぐしぐしと涙を拭うと、足元を見る。転ぶ直前、下駄のつま先を地面に擦ったような、妙な感覚があった。おそらくは鼻緒が切れてしまったのだろう。見れば案の定、鼻緒の切れた下駄が転がっていた。

 ああ、まったく不幸だ。茜にはフラれるし、射的では良いとこないし、集合には遅刻確定、その上この仕打ち。泣きっ面に蜂とは、正にこういう状況を言うのだろう。祭りだというのに、どうしてこうなってしまうのか。本当に、溜め息が出そうになる。

 ひとまず立ち上がり、よろめきながらも、さっきまで座っていたベンチに腰掛けて、血がどれだけ出ているのかを右掌を見て確認する。相当派手に擦りむいているのだろう、手は真っ赤に染まっていた。これでは、おちおち何かに触ることもできそうにない。浴衣が汚れてしまうから、血を拭き取るティッシュすら取り出せない状態だ。巽くんには、早く帰ってきてもらいたいいものである。

 血が垂れてこないように額に両手を当てたまま前傾姿勢でいると、慌てた足音が私の耳に入ってきた。どうやら、巽くんが戻ってきたらしい。

 

「スンマセン、待たせちまって。家から救急箱取ってきたもんで」

 

 彼は私の前に来るなりそう言って、何かをごとりと地面に置く。ちらと顔を上げて見れば、彼がちょうど、家から持ってきたのであろう真っ白い救急箱から、ガーゼと消毒液を取り出しているところだったので、私は "あ、これ絶対沁みるな" と察して、顔を伏せた。

 

「んじゃ、消毒するんで顔あげてください」

 

「……ハイ」

 

 ほんの少しだけ間を置いてから、観念して再び顔を上げると、彼に額を晒す。目の前には、真面目な顔をした巽くん、そして、だんだんと近付いてくるのは、消毒液をたっぷり含んだ白いガーゼ。私は覚悟して、ギュッと目をつむった。

 

「触るっスよ」

 

 彼は慎重な様子でそう呟くと、傷にガーゼを当てる。

 

「……ぃっ!」

 

 瞬間、額に予想以上の痛みが走り、ピクンと身体が跳ねてしまう。しかし、巽くんはそんな私の様子なぞ気にせずに、淡々と傷を消毒していく。消毒液が傷に沁みるのは当たり前だし、彼も真剣だから気が回っていないのだろうが、もう少しこっちのことを労ってはくれないだろうか。ものすごく痛い。

 

「こんなもんか。後は……っと、あったあった」

 

 耐えること数十秒、傷の消毒を終えた巽くんは、最後に両手と、傷の周りに付いた血を拭き取り、ガーゼを救急箱に入っていた小さなコンビニの袋に捨てると、次いで、病院でしか見たことないような、大きな絆創膏を箱から取り出し、白いテープを剥がして袋に捨てて「そのまま……動かねーでくださいよ……」と言いながら、やっぱり慎重な様子で、そっと絆創膏を私の額に貼り付けた。

 

「うっし! これでもう大丈夫っスね」

 

「ありがとう、巽くん」

 

 手当を終えると、巽くんは晴れやかな顔を浮かべながら安心した声でそう言い、救急箱の蓋を閉じる。私は、今さっき貼られたばかりの絆創膏を撫でながら、彼に礼をした。

 さて、これで残る問題は下駄のみだ。

 

「下駄は、直せるの?」

 

「んー……」

 

 私が訊くと、巽くんは地面に転がった下駄を拾って、検分し始める。しばらくすると、眉間にしわを寄せていた彼は、一転して明るい表情を浮かべて呟く。

 

「これなら、なんとかいけそうだな」

 

「本当?」

 

「応急処置っスけどね」

 

 巽くんは下駄を地面に置き、ズボンのポケットから可愛らしいピンクのハンカチを取り出すと、なんとそれを引き裂いてしまう。

 

「え!? な、何を……」

 

「ん? ああ、気にしなくていっスよ。使えそうな布がこれしかなかったんで」

 

 驚いた私は、思わず声を上げて止めようとしたのだが、彼はお構いなしで手際良く下駄を直していく。

 

「っし。これで多分いけると思うんスけど、どうっスか?」

 

 彼は下駄の修理を終えると、それを足元に置いて、履いてみるように促してきたので、私はそれに従って下駄を履くと、立ち上がって具合を確かめてみた。少し緩い感じはあるが、歩く分には問題ないくらいである。走ったりさえしなければ大丈夫そうだ。

 

「うん、大丈夫よ。ありがとう、巽くん。それにしても、すごいわね。直しちゃうなんて」

 

 私は感心した声を上げると、彼は照れて「そ、そんな、大したことねぇっスよ」と顔を赤らめて鼻の頭を掻いた。

 

「ふふっ。それじゃあ、下駄も直ったことだし行きましょうか。あんまり遅くなると、みんなに怒られちゃうわ」

 

 照れてそっぽを向く巽くんに笑顔でそう呼びかけ、ベンチに置かれたぬいぐるみを抱き上げると、彼の横に並び立って歩き始める。集合の時間にはだいぶ遅れてるけど、こんなことがあったのだから仕方がない。開き直って、ゆっくり行くことにしよう。

 

 

 

 その後、集合場所に着いた私たちは、ぬいぐるみのことで花村くんに茶化されたり、下駄を貸してくれた雪子にものすごく謝られて、怪我の心配をされたりしながら、みんなで楽しく神社を後にした。

 お祭りは明日もあるらしいが……さて、どうしようか。


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