Persona4 : Side of the Puella Magica   作:四十九院暁美

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第9話

「――――――」

 

「――――――」

 

 なんだろう、声が聞こえる。

 どこかで聞いた事があるような、そんな声が。

 

「――――――」

 

「――――――」

 

 ま、聞こえた。

 この声はなんなのだろう。なんて言ってるんだろう。

 

「――――――きて」

 

「――――――、起きてってば」

 

 また聞こえた。少しだけはっきり。今度はふたつ。誰かを起こそうとしてるみたい。

 やっぱりどこかで聞いた事ある声。どこで聞いたんだっけ。

 

「――――ちゃん」

 

「――らちゃんってば!」

 

 誰に呼びかけているんだろう。もしかして、私に話しかけてるのかな。だったら、早く起きないといけないよね。このままだと、迷惑かけちゃう。

 

「んぅ……おはよう、ございます」

 

「え? なんで敬語?」

 

「もしかして、寝惚けてる?」

 

 視界がぼやけて、頭もはっきりしない。何かを考えようにも、思考があやふやになって分からなくなる。

 取り敢えず、なにか返事をしないと。

 

「ふぁ……あふぅ。あのぅ、どうかしましたぁ?」

 

「おおう……ヤッバイ、なにこの気持ち」

 

「か、可愛い……どうしよう、持って帰りたい」

 

 少しだけ頭がはっきりしてきた。右手で眼を擦り、視界のぼやけをとる。

 クリアになった視界には、こちらに背を向ける里中さんと天城さんの姿があった。

 

「んん……おはよう。里中さん、天城さん」

 

「……おはよう、ほむらちゃん」

 

「お、おはよう、ほむらちゃん」

 

 そう言いながら振り向いて返事をする2人の顔は、心なしか赤みを帯びているように見える。

 

「何か、あったの? 顔が赤いけど」

 

「え? あ、ああ、いやいや。なんもでもないよ、なんでも」

 

「う、うん。なんでもない」

 

 その事を問うと、慌てたようにそう返された。少し気になるが、彼女たちがなんでもないと言うのなら追及はしないでおこう。今はさっさとテントに戻って、巽くんをこっちに戻さなければ。

 私はぐっ、と小さく伸びをすると2人と一緒にテントを後にした。

 

 さて、林間学校2日目。

 朝早くに男子テントから抜け出して巽くんを彼らのテントに戻した後、なんとか何事も無く林間学校を終えた私たちは近くの川に来ていた。小さな滝がある川だが、遊ぶにはちょうどいい水深と流れの速さだ。周りに茂みも多く、自然の息吹が感じられる場所である。

 朝にかなり弱い私は、微妙にはっきりしない意識のまま彼らにここまでついて来た為、正直今の状態で水遊びをするのは遠慮したい気分だった。コーヒーがあれば別なのだが、こんな山中ではコーヒーを淹れる事など出来る筈もない。

 

「俺らしか来てないみてーだな!」

 

 花村くんはわりかしテンションの高い声でそう言った後、巽くんの様子がおかしい事に気が付き声をかけた。

 

「どした? 腹でも壊したか?」

 

 その問いに巽くんは、どこか納得していない様な声色で言う。

 

「や、なんか……昨日の晩オレ、カッとなってテント飛び出した気がするんスけど……。っかしーな、夢だったんスかね……? 起きたら、花村先輩らのテントだったし……」

 

「ゆ、ゆめゆめ。夢だって」

 

「はぁ……」

 

 慌てて千枝が夢だと言い聞かせると、彼はやはりどこか納得出来ないといった様子の返事をする。

 そんな2人の会話が終わったと見るや、花村くんが声高らかに提案した。

 

「よし、取り敢えず泳ぐか!」

 

 すると、それを聞いた巽くんは心底嫌そうな顔をしてそれを拒否する。

 

「先輩マジで泳ぐんスか? オレぁダリぃし、パスで……」

 

 そんな彼に "空気読め" とでも言いたげな視線を送った後、花村くんは期待を込めた眼で私たちを見た。

 

「……なに見てんの? アンタらだけで入りゃ良いじゃん」

 

「そう言や、貸しがあったよな」

 

 それに気が付いた里中さんはそう言うが、彼は若干強めの口調でそう返す。

 

「え、待ってよ、ウチらもパスパス」

 

「貸しは……まあ、そうだけど……」

 

 確かに、彼らには大きな貸しがある。だが、それとこれとは別だ。それに川遊びをする為の水着も無い。

 

「そう、水着持って来てないし! いや、残念だなー」

 

「そ、そうだよね。残念」

 

 私と同じ思考に至ったのか、思い付いた様にそう言う2人に花村くんは強い口調で言う。

 

「あーそう。メシ抜き我慢して、モロキンからも庇ってやったのに、水遊びには付き合えない、と」

 

「い、いや、ほんと残念だってば。水着持ってれば入れたのになー、あはは……」

 

 たじろぐ里中さんに、彼は待ってましたと言わんばかりにどこからか3着の水着を取り出した。

 

「じゃーん! なんとここにありましたー! ジュネス・オリジナルブランド、初夏の新作だぜ? 知り合いの店員に選んでもらったんだ。結構良いだろ?」

 

「うわ、引くわー……」

 

「それ、最初からずっと持ってたの……?」

 

 これには2人もドン引きである。もちろん、私もドン引きだ。しかし彼は気にした風もなく話を続ける。

 

「いいじゃん、一緒にみんなで泳ごうぜ!」

 

 その提案を受けた里中さんの酷く困った様な問いかけに、まだ若干おぼつかない思考のままどうしようか考えていると、ふとそういえば私は今まで水遊びなんてした事が無かった事を思い出した。

 よくよく考えてみれば、私は今まで子供らしい事した記憶なんてひとつも無い。林間学校も、水遊びも、それどころか友達と馬鹿みたいに騒いだ事さえ無いではないか。別にそれが苦だと思った事はないが、流石にそういう思い出が何ひとつ無いというのは……少し寂しい。それに、水浴びでもすれば眼が冷めるだろう。このままの頭でいるのは、あまりよろしくない。

 

「……私は、別に構わないけど」

 

「お、暁美ノリ良いじゃん! んで、そっちは?」

 

「どうする、雪子……?」

 

 尚も渋る里中さんと天城さんを見た花村くんは、トドメと言わんばかりに一気にまくしたてる。

 

「 "水着持ってれば入れたのになー" 」

 

「う……」

 

「晩メシ、楽しみにしてたのになぁー」

 

「うう……」

 

「昨日の晩、俺らが助けなかったら、どうなってたかなー」

 

「わーかったっつの! しつこい男だな、全く!」

 

 酷く恩着せがましい態度に我慢ならなかったのか、里中さんは叫ぶと水着を引ったくって男子からは見えない位置までずかずかと歩いて行く。私と天城さんもそれについて行き、男子とだいぶ離れた場所で立ち止まると水着を選んで手早く着替える。水着にはご丁寧に指定の名札までついていて、彼がこの水着をどれ程本気で着せたかったのかが窺えた。あまり窺いたくはなかったが。

 因みに、私の水着は虹を意識したであろうカラフルな横縞のビキニだった。

 

「お、お待たせ。ほら、じゃ入るわよ」

 

 男子たちの前に姿を現わすと、既に水着に着替えていた彼らは私たちの姿を見て、一様に感嘆の声をあげる。

 

「おぉ……」

 

「うお、これは……」

 

「……」

 

 流石に見られるのは恥ずかしいのか、里中さんと天城さんは顔を赤らめながら言う。

 

「そ、そんなジロジロ見ないでよ!」

 

「ちょ、ちょっと……」

 

 確かに、気心の知れた友人に水着姿を見せるのは恥ずかしいものがある。首筋に手を当てて控えめな視線で彼らを見ていると、不意に鳴上くんが私の方を見て言った。

 

「暁美、可愛い」

 

「へ? あ、そ、そういうの……ぃ、いきなりはっ、卑怯でしょうっ……鳴上、くん」

 

 かっ、と顔が一気に熱を帯びる。思考が一気に混濁して、声も上手く出せない。

 異性からそんな事を言われたのは生まれて初めてだからか、なんだか段々嬉しいやら恥ずかしいやらで訳が分からなくなってきて、今自分がどんな体勢でいるのかさえも分からなくなってくる。

 こんな、こんな酷い不意打ちがあってたまるか。

 

「いっやー、想像以上にいいんじゃね? 昨日 "物体X" を食わされた分が、まーちょっとは報われたかな? みたいなさー。て言うか、俺の見立て良くね? まぁ、中身がちょっとだけガキっぽいけど、将来良い感じのオネーサンになるぜ、きっと! な、鳴上もそう思うだろ?」

 

「あ、ああ。そうだな……」

 

 かなりテンションが上がっているらしく、声に喜色が溢れさせながらまくしたてる花村くんに、若干たじろぎながら鳴上くんが答える。その一連の流れが酷く不愉快だったらしい2人は、頷きあうとなんと2人を川に突き落としてしまった。

 鳴上くんに名指しで褒められた事に混乱していた私は彼らの派手な着水音で正気に戻ると、ひとつ咳払いをして首筋に手を当てながら岸から下を覗き込んだ。

 

「つ、つめてえー!! お、おお落とす事ねーだろ……!」

 

「良いーじゃんッ! どーせ入るつもりだったんでしょ!?」

 

 6月の川はまだ冷たいらしい、突き落とされた花村くんが震えながら抗議の声をあげる。すると里中さんが、鼻を鳴らしながらその抗議を一蹴した。

 

「自業自得だっつの。ったく……最低だよね、完二くん?」

 

 2人を川に突き落とした事で少しだけ溜飲が下がったのか、にこやかな声色で里中さんが巽くんに問いかける。しかし彼は反応を示さず、沈黙を保ったまま微動だにしない。

 まさか昨日のダメージが、里中さんがそんな呟きをもらした直後、不意に彼が振り返った。

 

「な、なんスか……」

 

「え……」

 

 しかし、何故か彼は鼻血を垂らしていた。

 

「ちょと、やだ!」

 

 その姿を見た天城さんは、反射的に巽くんを川に突き落してしまった。

 まさかとは思うが、私たちの水着姿に興奮し過ぎて鼻血が出てしまったのだろうか。もしそうならば、彼との付き合い方を少し考えなければならない。悪い人間ではない事は重々承知しているが、流石にこれは許容範囲外だ。

 

「危なかった……」

 

「あ、危えのはこっちだろ!? オレ、なんもしてねースよ!?」

 

 天城さんの謎の呟きに対して巽くんは大声で抗議した後、大きなくしゃみをひとつした。

 全身びしょ濡れだが、替えの服はあるのだろうか。

 

「お、お前ら!! 何て事すんだ!!」

 

 再び花村くんから抗議の声があがる。流石にやりすぎではなかろうかと私も思っていたが、よく見れば彼らの表情はどこか晴れ晴れしている。なんだかんだでこの状況を楽しんでいるようだ。

 

「あれ? 何か聞こえない?」

 

 不意に、何かに気が付いたらしい天城さんが言った。耳を澄ましてみると、確かに滝の音に紛れて何か聞こえてくる。これは、男性がえづく声だろうか。まさかとは思いつつも声のする方に顔をを向けると、そこには諸岡が川に向かって嘔吐する姿があった。

 嫌なものを見てしまった。

 

「先輩……」

 

「何も言うな……」

 

 結局この日はこれでお開きになり、男子と微妙に距離を取りながら家に帰る事になった。残念だが、あんなものを見てしまっては水遊びをする気にはなれない。

 恨むぞ、モロキン。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 林間学校から一夜明けて、6月19日。

 ほむら以外誰もいないがらんどうな家の中で、彼女がいつものように本を読んでいると "白鐘直斗(しろがねなおと)" という人物が訪ねてきた。曰く、警察に捜査協力をしている探偵らしい。

 少年とも少女とも取れる中性的な顔立ちと、目測でおおよそ165cmという小柄な背丈からしておそらく年齢はほむらよりも下。そして被っている青色のキャスケット帽が、いかにもな感じの人物である。

 

「玄関で立ち話もなんでしょう、あがっていきなさい」

 

 そう言うとほむらは、来客用のスリッパを近くの棚から取り出して床に置く。薄紫色のアサガオの花がプリントされた、可愛らしいスリッパだった。

 

「お邪魔します」

 

 靴を脱いでスリッパを履くと直斗はほむらの後について、コーヒーの香りが漂う家の中を歩いて行く。白と紫を基調とした内装は上品で落ち着きのあり、ほむらの雰囲気とよく合っていると直斗は思った。

 リビングに着くとほむらは直斗をソファに座らせ、自身は飲み物を用意する為に台所に向かう。出す飲み物はもちろんオリジナルブレンドのコーヒー、お茶請けならぬコーヒー請けのミルクチョコレートも一緒だ。

 慣れた手つきでおかわりの分も含めた、6人分のコーヒーを淹れる。それからしばらくして出来あがったコーヒーをカップとポットに分けて注ぎ、見栄えが悪くならないよう適当な形で食器とお菓子をトレーに乗せてリビングに戻ると、直斗の前に音が立たないようにそっと置く。そうして全てを終えると、ほむらも直斗の向かいのソファに腰かけた。

 

「ありがとうごさいます」

 

 直斗はその洗練された動作に少し驚きつつ、ほむらに礼を言ってコーヒーカップを持ち上げる。ちょうど胸の辺りまでカップが来た時、コーヒーの香りが直斗の鼻腔を強く刺激する。それは、それなりのコーヒー好きである直斗が驚く程のものだった。どうやらほむらのオリジナルブレンドは香りを重視しているらしく、上品で芳醇な香りが非常に強く感じられた。期待を込めてほむらの淹れたコーヒーをひと口飲んでみると、苦さが控えめでコクとキレがあり非常に飲みやすい。今はまだブラックで飲んでいるが、ここにミルクや砂糖を入れればまた違った味に変わるだろう。まさに1杯で2度美味しいコーヒーである。

 

「気に入っていただけたようね」

 

「はい。とても、美味しいコーヒーです」

 

 コーヒーの味わいに微かな感嘆をもらす直斗を見て、ほむらは随分と誇らしげな笑みを浮かべて言う。直斗はその言葉を肯定すると、もうひと口コーヒーを飲んでから言った。

 

「暁美ほむらさん、貴女にお伺いしたい事があります。よろしいでしょうか?」

 

「ええ、もちろん」

 

「ありがとうございます」

 

 その問いにほむらがコーヒーを飲みながら了承の意を示すと、直斗は礼を言いつつ懐から愛用のペンとメモ帳を取り出して話を始める。

 話の内容は、主に今この町で起きている事件についてだった。だが、ほむらが話せる事は既に警察の事情聴取で話している。今更こんな事を訊いてなんになるのかと彼女は疑問に思ったが、探偵には探偵の "拘り" というのがあるのかもしれないと考えた。

 例えば、小説家であるアーサー・コナン・ドイルが書いた作品 "緋色の研究" に登場するかの有名な探偵 "シャーロック・ホームズ" は、徹底的な現場検証と持ち前の膨大な知識を照らし合わせて現場で何が起きたのかを推測し、犯人を導き出している。また、同じく小説家である江戸川乱歩(えどがわらんぽ)が書いた作品 "怪人二十面相" に登場する有名な探偵 "明智小五郎(あけちこごろう)" なんかはホームズと真逆で、証拠の科学的な検証は好きではないと言ってそれらを専門家に任せ、論理的演繹(えんえき)によって犯行や犯人を導き出している。

 読書家であるほむらはこれらの推理小説に登場する探偵を思い出し、自分の目の前に座る探偵にもなにかそういう拘りがあるのだろうと納得して、真摯な態度で質問に答えていった。

 ただ、彼女自身本物の探偵と出会えた事に感銘を受けていたからそう考えてしまった、という可能性がある事は否定出来ない。警察から捜査協力を依頼される程の優秀な探偵、そんな小説の世界から飛び出してきたかのような人物である。心が踊らない筈がない。

 

 さて、すっかりコーヒーが冷めてしまった頃、遂に話も佳境に入った。

 直斗はコーヒーを飲み干すと、こうほむらに切り出す。

 

「それでは、次の質問です」

 

 くるり、手の中でペンを回転させる。それを合図にしたかの様に直斗の纏う空気が一変、まるで獲物を狙う鷹の様なものに変貌する。

 

「最近、貴女がよく一緒にいる彼らについてです」

 

 全てを射抜かれる様な視線、常人ならば思わずたじろいでしまうだろうが、ほむらは軽く受け流してコーヒーを飲み干す。

 

「彼らとは、どの様に知り合ったのですか? 以前の貴女は、詩野茜という少女を除いて他人とは関係をもたなかったと聞きますが、何故彼らとは関係を?」

 

 その質問は彼らが何かしらの形で事件と関係しているのでは、と疑っている事を暗に示していた。

 

 ……やられた。

 

 この質問に対して、ほむらは心中で歯噛みする。今までの事件に関する質問は全てフェイク、直斗が本当に聞きたかったのはこの事だったのだ。

 最初に抱いた疑念は正しいものだったというのに、自分の勝手な解釈でそれを有耶無耶にしてしまったのは完全にほむらの過失、油断である。文学への深い造詣が、直斗の信用に値する肩書きと混ざり合い悪い方向に作用してしまった結果であった。

 そしてこれは、ほむらにとって非常に答え難い質問である。急激な心境の変化と人間関係の変化については、誰であろうと総じて嘘が吐きにくい。少しでも過去の自分がとっていた行動と矛盾が生じれば、そこからどんどんとボロが出てしまうからだ。

 

「そうね……コーヒーのおかわりはいるかしら、探偵さん」

 

「……貰います」

 

 ほむらがとった行動は、今すぐに明確な返事をしないというもの。尤もらしい理由を考える為の時間稼ぎ、つまりは逃げである。彼女の言葉に直斗はほんの少しだけ眉を顰めた後、何事もなかったかのように答えた。

 言い知れぬ緊張感が、この場を侵食していく。こぽこぽとコーヒーがカップに注がれる音が、やけに大きく聞こえる。

 

「どうぞ」

 

「ありがとうございます」

 

 コーヒーを受け取った直斗はひと口飲むと、ほむらを見つめる。その視線からは何ひとつ見逃さないという、強い気配が感じられた。

 

「……単純な話よ」

 

 数秒の間をおいて、ほむらが語り始める。どこか悲壮めいた自嘲の笑みを伴った顔で、ぽつりぽつりと自身の過去を。

 

「私は人を信用出来なくなってたの。いつも一緒にいる詩野さんだって、信用していなかった。だから、私は周りを遠ざけていつも独りでいた。過去にいじめを受けていたから、またそうなるのが怖くて――」

 

 ほむらが語る過去の話は、虚と実を上手く折り合わせて現実味のある美談に仕上げられた、嘘の話であった。全てが虚像の作り話を話すなど愚の骨頂、嘘の中に少しだけ本当を混ぜるのが最良である。たった数秒の間にこの様な話を作り上げるのは、流石と言う他無い。

 ほむらの話を聞き終えた直斗は、実に沈痛な面持ちで言う。

 

「……そうでしたか。すみません、辛い事を話させてしまって」

 

 もちろん、表面だけの言葉だ。

 直斗はほむらの言葉を全て信用している訳ではない。そもそも直斗は捜査の際に人の話を信用する事は絶対になく、信じるとしても8割方が嘘であると踏まえた上で話を信じているのだ。

 この話はどこまでが本当でどこまでが嘘かなど直斗にとっては割とどうでも良い事で、重要なのは自分の持っている相手の情報と食い違っている部分があるかどうか、それだけだった。

 

「いえ、捜査の役に立てるならこれくらい……」

 

「……申し訳、ありません」

 

 2人の反応を見るに、どうやらほむらの方が1枚上手だったらしい。とはいえ、直斗が現時点で何も掴めていないのかと訊かれれば、もちろん違う。直斗はほむらが何かを隠している事に、目敏く気が付いていた。

 ほむらの話は完璧で、一般人相手なら疑う余地のない話だ。だがしかし、ことこの探偵に限っては別である。その矛盾の無い完璧な内容の話は、完璧であるが故に直斗の疑心を殊更に刺激してしまったのだ。

「……」

「……」

 

 不気味な沈黙、皮膚を突き刺す様な緊張感が部屋を支配する。常人ならば数秒と耐えられない様な状況。

 そんな中、不意にほむらが口を開く。

 

「これくらいにしましょう、探偵さん。暗くなるのはもう充分よ」

 

 ふっ、と纏う空気を霧散させるとコーヒーに口をつける。

 

「……そうですね」

 

 その様子を見てこれ以上の追及は不可能と判断した直斗も、纏う空気を霧散させてペンとメモ帳を懐にしまうとそう言った。

 

「そういえば、探偵さんは――」

 

「直斗で構いませんよ、暁美ほむらさん。貴女の方が年上ですから」

 

 言葉を遮って、直斗はほむらにそう言う。ここから腹の探り合いは無し、ただ世間話をするだけの平和な時間である、という意味を含めた発言。直斗にしては非常に珍しい、友好的な態度だ。

 

「そう? それじゃあ、私の事もほむらで良いわ。直斗」

 

 直斗の言葉に、ほむらは笑顔でそう返す。こちらも彼女にしては珍しい、1年かけてほむらからこの反応を引き出した詩野茜が見たらおそらくは涙を流して悔しがる事だろう程、非常に友好的な態度だった。

 しかし何故、突然これ程までとはうって変わってこの2人は友好的な態度をとり始めたのだろうか。どちらもあまり人間関係には頓着せず興味のない事にはとことん無関心な人間である為、これは非常に珍しい事だと言える。

 もしかしたらお互いがお互いのそういう気質を感じ取り、先程まで繰り広げられていた短いながらも濃密な腹の探り合いによって実力を認め合った結果、もっと深く相手を知りたいという欲求やある種の強烈なシンパシーを抱いたのかもしれない。少年漫画的な解釈をするならば、2人は "強敵(とも)" として認め合ったという事だ。

 

 その後2人は、趣味の読書の話題で意気投合して好きな作家を語り合ったりおすすめの作品を紹介し合ったりと、出会ってまだ数時間程度であるにも関わらず仲睦まじい関係を築いていった。

 そのうちポットのコーヒーが無くなり、コーヒー請けのミルクチョコレートも食べ尽くした頃、直斗は長居してしまった事をほむらに謝罪した。

 

「すみません、意味も無く長居してしまって」

 

「いいえ。中々、有意義な時間だったわ。また機会があれば、お話しましょう?」

 

 ほむらはそれに対して笑顔で "左手" を差し出し、友好の握手を求める。

 

「はい、是非」

 

 直斗はそれに応えてほむらの左手を自身の右手でがっしりと握ると、好戦的な笑みを浮かべて言う。

 

 あなたの正体、必ず暴いてみせます。

 

 そんな決意がひしひしと伝わってきそうな程に、熱い握手と強い視線がほむらに向けられる。

 

 受けて立つわ、探偵さん。

 

 それに対してほむらは、そんな挑発が聞こえてきそうな程に意地の悪い笑みを浮かべて直斗の手を握り返すのだった。

 


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