弁当を届け終えた二人は、村外れの丘――大樹の生い茂る、あの場所へ戻ってきていた。
夏の日差しは、容赦がない。じりじりと肌を焼くような陽光から逃れるように、二人は大樹の木陰へ潜り込む。
しばらく、他愛もない話で盛り上がっていた、その合間。
ルーデウスは、ふと、気になっていたことを、口にした。
「なあ、シルフ」
「ん?」
「なんで、時々『僕』とか『俺』とか、言い方変わるんだ?」
「……あー」
「別に、俺と話す時に敬語とかいらねぇぞ。友達なんだから」
木陰に差し込む光が、緑の髪を淡く透かしていた。
しかし、その返事をした瞬間――ちらりと差し込んだ木漏れ日の角度のせいだろうか。ほんの一瞬、その髪の色が、栗色に見えた。
「あー、別に敬語とかじゃなくてよ」
栗色髪の「シルフ」が、あっけらかんと答える。
「多分、緊張してたんじゃねぇの」
「そんなことより」
にやり、と口の端が上がる。
「魔法、見せてくれよ」
◇
その一言に、ルーデウスの胸が、小さく高鳴った。
(……見せたい)
正直なところ、自分の魔法の腕には、それなりの自信がある。
友達に披露して、驚かせたい。羨ましがられたい。子どもらしい、素直な欲求だった。
だが。
(パウロに、言われてるんだよな……)
父パウロには、常々釘を刺されていた。
――魔法が使えて、強くなったからって、それを鼻にかけるんじゃねぇぞ。
モヒカンたちを蹴散らした、あの時の魔法は、特別だ。友達を助けるため。それだけの、正当な理由があった。
だから、普段からひけらかすようなことは、してはいけない。
そう、自分に言い聞かせている。
緑髪の「シルフ」が、頬を染めながら、小さく言った。
「あの時は……ありがとうね」
「お、おう」
照れくさそうな、その様子に、ルーデウスも思わず頭を掻く。
(……可愛いなこいつ、男だけど)
そんな失礼な感想を、少しの間、胸の内で転がす。
夏の風が、木々の葉を、さわさわと揺らしていった。
蝉の声が、遠くから、絶え間なく響いてくる。
その、何でもない静けさが、なんとなく、心地よかった。
◇
「――だから、いいだろ」
再び、栗色髪の「シルフ」が、身を乗り出してきた。
「今、俺達しか、いねぇんだ」
「バレやしねぇよ」
「もし、バレても」
にやりと笑う。
「俺からも、おっさんに謝ってやるから」
(……おっさん?)
一瞬、誰のことを言っているのか分からず、ルーデウスは首を傾げた。
(パウロの、こと、か?)
だが、それよりも。
友人の熱心な催促に、心が揺れていた。
(……せっかく、初めてできた友達なんだしな)
(ちょっとくらい、いいか)
父の忠告と、友への見栄。
その天秤は、あっさりと、後者へ傾いた。
「……しょうがねぇな」
にやりと笑い、ルーデウスは立ち上がる。
「じゃあ、ちょっとだけだぞ」
木陰から一歩、日向へ踏み出す。
夏の強い日差しが、その小さな背中を照らした。
◇
そういえば。
さっき、少しだけ気になったことがあった。
魔法を見せてくれと頼まれる、直前。
「シルフ」が、ほんの一瞬、視線を横にむけ、口の中だけで何かをぼそぼそと呟いていた。
「 ⋯⋯」
「ん? 何か言ったか?」
ルーデウスが聞くと、「シルフ」は、ハッとしたように顔を上げた。
「な、なんでもない!」
慌てたように、首を振る。
(……変な奴だな)
とはいえ、深く気にするようなことでもない。
(友達、初めてだったって言ってたし)
(もしかして、一人でいる時の癖なのかもな)
一人二役で会話をする、いわゆる「イマジナリーフレンド」というやつだ。
(……まあ、いいか。誰にでも、癖の一つや二つはあるもんな)
そんな、実に的外れな結論に落ち着くと、ルーデウスは気持ちを切り替えた。
両手を、前へ突き出す。
(さて――どの魔法を、見せてやろうかな)
友の期待に応えるべく、ルーデウスは、小さく息を吸い込んだ。
さて、と。
ルーデウスは、周囲を見回した。
(的、探すか)
適当な標的を、選ばなくてはならない。
(……大樹に打ち込むのは、流石にまずいよな)
この村の丘に、悠然と根を張るあの大樹。何百年、いや何千年生きているのか分からない、あの存在感のある老木へ魔法をぶつけるのは、さすがに気が引けた。
見渡すと、少し離れた場所に、程よい大きさの岩があった。
(あれで、いいか)
「よし」
ルーデウスは、両手をその岩へ向けて構える。
「さっき、見せた奴だ」
そう言うと、無詠唱で魔力を練り上げ、放った。
ぼしゅっ。
軽い音とともに、泥玉が飛び、岩の表面で、ぱしゃりと弾ける。
「おー!」
シルフが、感心したような声を上げた。
「……ま、まあな」
ルーデウスは、少しだけ照れくさそうに、鼻の下をこする。
友人からの、素直な賞賛。それは、思っていた以上に、心地よいものだった。
一瞬、達成感のようなものが、胸の中を満たす。
前世では、誰かに何かを褒められる、ということ自体、あまり経験がなかった。
そのせいだろうか。こそばゆいような、誇らしいような、不思議な感覚が、いつまでも胸の奥に残っていた。
(……もっと、見せたくなってきたな)
調子に乗るように、ルーデウスは連続して泥玉を練り上げ、放ち始めた。
ぼしゅっ。ぼしゅっ。ぼしゅっ。
一つ、また一つと、岩肌へ次々に命中していく。
◇
しばらく、その連射を眺めていたシルフが、ふと尋ねた。
「それ、何発、撃てるんだ?」
「……あー」
放つ手を止めず、ルーデウスは、少し考えるように目を細めた。
「百から先は、数えるの、やめた」
「かっけーッ」
素直な、賞賛の声。
その、飾り気のない反応に、ルーデウスの頬が、また少し緩む。
(……いいな、友達に褒められるの)
だが。
いつまでも褒められっぱなしというのも、なんだか落ち着かない。
ルーデウスは、照れ隠しのように、話題を切り返すことにした。
「シルフも、すごいよ」
「え? 僕?」
「さっきから、声が重なって聞こえるんだ」
真面目な顔で、そう言う。
「まるで、いっこく堂みたいだ」
◇
シルフは、きょとんとした顔で、首を傾げた。
「いっこく、どう?」
「……あ、知らないか」
(……パペマペの方が、よかったかな)
ルーデウスは、これがジェネレーションギャップかと、頭を掻く。
「なんでもない。気にすんな」
誤魔化すように、そう言って、ルーデウスは肩をすくめた。
夏の陽射しの下、岩肌には、無数の泥の跡が、まるで勲章のように残されていた。
その光景を、しばらく二人で、なんとなく眺める。
会話の途切れた、ほんの数秒。
風の音と、蝉の声だけが、その静けさを埋めていった。
「他には、どんなのがあるんだ?」
シルフが、興味津々といった様子で、身を乗り出してくる。
「んー、そうだな」
ルーデウスは、少し考えてから、両手のひらを上に向けた。
じわり、と。
手のひらの上に、小さな水滴が集まり始める。
やがて、それは湯気を立てながら、ふつふつと沸騰し始めた。
「お湯、出したり」
見せびらかすように、小さく傾ける。ぽたぽたと、湯気の立つ滴が、地面へ落ちていった。
続けて。
今度は、地面へ手をかざす。
じわり、じわりと。土の色が変わっていく。乾いた地面が、みるみる水分を含み、ぬかるみへと変わった。
「これで、地面の水分も、操れる」
逆に。
今度は、別の場所へ手をかざす。
ぴしり、ぴしりと、乾いた音が響いた。
先ほどまで湿っていた地面が、今度は水分を奪われ、ひび割れていく。
「……逆も、できる」
◇
その様子を、じっと見つめていたシルフが、ふむ、と小さく頷いた。
「オムツだな」
その言葉に、ルーデウスは、思わず目を丸くし、聞きかえす。
「……オムツ?」
「なんでもないよ!」
ルーデウスは、あわあわと、顔を赤く染めるシルフを見て思う。
(男でも、かまわないんじゃ、ないか?)
声が、聞こえた気がした。
「だがそれがいい」と。
その、妙な間を、そのまま流す。
追及するには、なんとなく気まずい空気だった。
だが、シルフは、すぐに気を取り直したように、ふと目を細めた。
「でだ」
声のトーンが、僅かに変わる。
「今までのは、単体攻撃魔法だけどよ」
にい、と。
口の端が、ゆっくりと持ち上がった。
「範囲魔法は、あるのか?」
◇
「……あるけど」
ルーデウスは、少し言葉を濁した。
「おいそれと、使うわけにはいかねぇよ」
村の中だ。周りには、家がある。人がいる。
いくら威力が調整できるとはいえ、無闇に振るっていいものではない。
そのくらいの分別は、さすがにルーデウスにも、あった。
「いいじゃねーか」
だが、シルフは、あっさりとそう言って、笑った。
――その瞬間だった。
ぞわり、と。
背筋を、何かが這い上がる感覚。
(……え)
理由は、分からない。
目の前にいるのは、俺が助けた
栗色の髪。人懐こい笑み。何も、変わったところなど、ないはずだった。
なのに。
周りの音が、一瞬、消えた気がした。
蜩の声も、風の音も、遠くに退いていく。
まるで、この場に、シルフと自分の二人しか存在していないような。
その笑みを見た瞬間――ルーデウスの本能が、これまでにないほどの警鐘を鳴らしていた。
(……何だ、これ)
どっ、と。
心臓が、早鐘を打つ。
背中を、冷たい汗が伝う感覚。
(そんなはずない)
(こいつは、シルフだ。友達だ)
理性が、必死に否定しようとする。
だが。
腹の底から突き上げてくる、原初的な恐怖は、理屈では、どうにもならなかった。
足が、動かない。
声も、出ない。
ただ、目の前の笑みに、視線が縫い付けられている。
まるで、格の違う何かに、値踏みされているような。
まるで――喰われる寸前の、小動物になったような。
(……こいつ)
(誰だ?)
そう、ルーデウスが思った、瞬間だった。
「――ダメだよ」
割り込むように、声が響いた。