アンナ達は、六歳になった。
今ではルーデウスも、アンナやシルフィだけでなく、他の子供たちとも自然に言葉を交わすようになっている。
◇
そんなある冬の日。
空は白く曇り、かすかに雪が舞っている。吐く息はやけに白く、肌を刺すような冷たさが容赦なく辺りを包んでいた。
そんな中、アンナは庭先で羅漢撃の構えを取り、瞑想をしていた。厚着をする気もないらしい。冬だというのに、外で黙って立ち続けている。
今、シルフィはいない。ルーデウスに連れられ、村の広場へ出かけている。
「準備ができたら、モヒカン迎えによこすから」
出かける前、ルーデウスはそう言っていた。それだけ言うと、シルフィの手を引いて、冬の空気の中へと出て行った。
(準備って、なんだ)
アンナは構えを保ったまま、内心で首を傾げた。
(俺達も、ルーデウスも、誕生日はもう過ぎてる)
(……まさか、合同で仲間内だけの祝いでもやるつもりか)
考えても、はっきりした答えは出てこない。相変わらず、集中は長く続かなかった。吐く息のたびに、頭の中で雑念が白い霧のようにふわふわと浮かんでは消えていく。
目を閉じて精神を統一するアンナの傍に、モヒカンの一人が音も立てず近づいた。静かに片膝をつく。
「ボス、迎えに参りました」
アンナはゆっくりと目を開けた。
「……わかった」
短くそれだけ答える。それ以上、言葉は必要なかった。
◇
村の広場は、綺麗に雪かきされていた。隅に積み上げられた雪が、小さな山をいくつも作っている。その雪を使ってか、広場の奥には、一段高くなった場所が丁寧に作り上げられていた。
そこに、ひとつ。豪華な椅子が置かれている。
木彫りのような精緻な装飾。形も質感も、本物の調度品と何ら変わりない。――だが、その表面にはわずかに不自然な輝きがあった。恐らく、ルーデウスが魔法で作り上げたものだろう。
椅子の前には、ルーデウスとシルフィが並んで立っていた。二人とも、どこか緊張したような、それでいて楽しみを隠しきれないような顔をしている。
アンナを迎えに来たモヒカンは、広場の入り口で足を止めた。
「奥へ、どうぞ」
短くそう告げると、他のモヒカンたちの列へ静かに合流していった。
モヒカンたちは、広場の両側にきっちりと二列に整列している。その間が、まるで一本の道のように、まっすぐ椅子へと続いていた。
雪を踏みしめる音だけが、しんと静まった広場に響く。アンナが歩くたび、両脇のモヒカンたちの視線が一斉にその背中を追った。
気負うでも、はしゃぐでもなく。ただ淡々と、その道をアンナは歩いていった。
やがて、アンナは道を通り抜け、ルーデウスの前に立った。
「よう。今日は、どうした?」
アンナは軽く手を上げた。その、いつも通りの気の抜けた調子に。
ルーデウスは――右手の中指で、くい、と眉間を擦り上げた。まるで、そこに存在しない眼鏡を押し上げるような仕草。
「……ご足労、おかけしました」
少し芝居がかった口調で切り出す。
「ボス。今日は、大事なご報告がありまして」
意味深に口角を上げると、椅子へそっと視線を送った。
「どうぞ、お掛けください」
(……なんの余興だ)
アンナは内心そう思いながらも、言われるがまま、椅子にどかりと腰を下ろした。足を組み、肘掛けに右肘を乗せる。拳の上に頬杖をつき、さも王侯貴族のような姿勢で、ルーデウスの話を待った。
だが。
ルーデウスは、そのまま――くるり、と背を向けた。
先ほどまで道を作るために左右へ分かれていたモヒカンたち。その二つの列が、いつの間にか一つの集団となり、アンナ達の正面に整列していた。背筋を伸ばし、微動だにせず並ぶその様は、どこか規律だった軍隊のようにさえ見えた。
◇
ルーデウスは、声を張り上げた。
「これより、ボスの名の下に、ブエナ村は――」
一拍、溜める。冬の空気すら、その一言を固唾を飲んで待っているようだった。
「王国の支配から、脱却する!」
右の拳を、天へと突き上げる。
「――立てよ、モヒカン!」
その瞬間。モヒカンたちから、怒号の如き歓声が巻き起こった。
アンナは咄嗟にシルフィへ視線を向けた。
(……おい、聞いてたか!?)
無言の問いに、シルフィは。
「……し、知らない、知らないよ!」
ぶんぶんと首を振る。慌てたその顔は、明らかに何も知らされていない者の反応だった。
「おい」
アンナは椅子から身を起こしかけ、ルーデウスへ声をかけようとした。
「どういうこと――」
だが、その声はすぐにかき消された。ルーデウス自身が、更に声を張り上げてモヒカンたちを煽り立てたからだ。
「モヒカン會、一番隊、隊長! 前へ!」
「はっ!」
列の中から、モヒカンAが一歩前へ踏み出す。
「まずは」
ルーデウスは、鋭い目でその顔を見据えた。
「フィットア領の領主――ボレアス家を、落とす。できるな!?」
「この命に、変えてでも!」
即答だった。その目に浮かぶのは、興奮から来る狂気などではない。ただ、村を。大切な人達を、守りたいという。あまりにも切実な願いだった。
「続いて」
ルーデウスの声が、更に鋭さを増す。
「特殊機動隊、隊長――アルン! 前へ!」
「……はい」
静かな声と共に、一人が列から進み出た。音もなく、モヒカンAの横に並び立つ。
アンナは、その顔を二度見た。
(……アルン?)
(あの、アルンか……?)
脳裏に、ふと記憶が蘇る。
――ボス、今日生まれた子牛のベコ、世話を父さんから任せてもらえたんだ! ベコって名前も、僕がつけたんだよ! ミルクが絞れたら、ボスにあげるね!
そう言って、くしゃっと無邪気に笑っていた、あの顔。
(それが……どうして)
「おまえは、配下の魔獣たちを使い、領兵たちの撹乱――できるなら、殲滅をしろ。できるな!?」
「――それを」
アルンは、僅かに目を伏せた。
「ボスが、望むなら」
その顔からは、感情が綺麗に抜け落ちていた。まるで、名も無き修羅をそのまま写し取ったような静けさだった。
「フィットア領を落としたのちは、そこを拠点とし、他領モヒカン隊と合流。王国を、目指す!」
わあああっ、とモヒカンたちが再び沸き立つ。拳を突き上げ、足を踏み鳴らし、その熱気は、もはや冬の寒さなど感じさせないほどだった。
「おい、ルーデウス」
アンナはその喧騒の中でルーデウスを呼んだ。だが、モヒカンたちの声にかき消されて届かない。
「――うるせー! 静かにしろ!」
アンナが怒鳴る。だが、興奮しきったモヒカンたちには、その声すら届かなかった。誰一人として止まらない。
「……ダメだ、コイツら」
アンナは額に手を当て、小さくため息をついた。
その瞬間。ルーデウスが、すっと左手を上げた。
ただ、それだけ。それだけで――あれほど沸き立っていたモヒカンたちが、一斉に静まり返った。まるで水を打ったように、整然と列を整え、押し黙る。
「……静かに」
ルーデウスが落ち着いた声で続けた。
「ボスの、お言葉だ」
(……コイツら)
アンナは内心、半ば呆れたように呟いた。
(ルーデウスには、従うんだな)
自分の怒鳴り声は、まるで通じなかったというのに。
◇
「ボス、何か?」
ルーデウスは、くいっと、また、あの存在しない眼鏡を押し上げるような仕草をしてアンナを見た。
「……色々あるが」
アンナは椅子に座ったまま、腕を組む。
「まず、聞くぞ。なんだ、これは」
「ブエナ村、解放の決起集会です」
「解放も何も」
アンナは眉を寄せた。
「別に、この村の税が高いってわけでもねぇ。どっちかって言ったら、のどかで暮らしやすい村だ。それに」
一拍置く。
「ボレアスは、おまえの親戚だろ。そこに喧嘩売ってまで、王国に攻め入る理由があるのか?」
最初は、いつもの馬鹿騒ぎだと思っていた。
だが、思慮深いルーデウスがここまでの騒ぎを起こしたのだ。それに、おっさんはこの村の駐在騎士だ。
(……そこから、何か情報を掴んだのか)
ただの余興ではない。その可能性に、アンナの表情から軽さが消えていく。
「言ってみろ、ルーデウス」
静かに、だが確かな強さを込めてそう言った。
――もし、ルーデウスが本気で、この村のために戦うというのなら。その時は。
付き合う覚悟で、アンナはその答えを待った。
◇
ルーデウスは、どこか遠くを見るような――何かを懐かしむような目で、語り始めた。
「……アンナ。ここは、いい村だよな」
アンナは何も言わず、黙ってその先を聞いた。
「みんな、気のいい奴らだしさ。モヒカン達も、俺が最初に勘違いで泥玉ぶつけちまったのに、笑って許してくれたしな。今日も、ここに来たらさ、モヒカン達がいて、雪合戦に誘ってくれたんだ」
その声は、どこか温かい。アンナは黙ったまま、頷くことすらせず、ただ耳を傾け続けていた。
「そしたら、さー。――あれ? これ、いけんじゃね?って、思えたんだ」
「ん?」
アンナは片眉を僅かに上げた。
「だからさー」
ルーデウスは続ける。
「モヒカンAの投げる雪球見たら、――あれ? これ、世界獲れんじゃね?って、思ったんだ」
「……それだけか?」
「うん」
あっさりとした頷き。そして、くいっと眼鏡を直す。
アンナは無言のまま、ルーデウスの胸ぐらを掴んだ。
「ふざけたこと、言ってんなよ」
低い、唸るような声。
「こんなこと、王国に知られてみろ。いつもの馬鹿騒ぎじゃ済まねーんだぞ。村ごと――潰されるぞ!」
「いや」
ルーデウスはまったく動じない。
「アンナも、あの雪球、見れば……」
アンナは思わず拳を振りかぶった。
だが、その寸前。
(……待て)
目に映ったもの。ルーデウスの瞳に、僅かに浮かぶ違和感。
(……なんだ、これ)
(コイツ、精神操作でもされてんのか)
怒りの底で、冷静な部分がそう囁いた。拳が止まる。
◇
「――あっ」
その時、シルフィが小さく声を上げた。
咄嗟に、アンナはその視線を追う。シルフィの見つめる先――広場の入り口。そこには、村一番のお喋り、サミーおばさんが立っていた。
目が合う。次の瞬間、サミーおばさんは――くるりと踵を返し、走り出した。
(……まずい)
アンナの背筋に、冷たいものが走る。村中に言いふらす気だ。
「――ちがうの!」
シルフィが弾かれたように駆け出す。
「おばさん、これ、ちがうの――!」
小さな足が、必死に雪を蹴って追いかけていく。
アンナは小さく舌打ちをした。
(……俺も追いかけてーが、コイツをそのままにもしとけねぇ)
(おばさんは――シルフィに、任せるしかねぇ)
迷いは一瞬だった。アンナはルーデウスのこめかみを、軽く指先で突いた。
かくん、と力の抜けた身体が崩れ落ちる。アンナはその身体を片手で支えると、そのまま椅子へ座らせ直した。眠るように意識を失ったルーデウスは、先ほどまでの熱弁が嘘のように穏やかな顔をしている。
(モヒカン達は……)
アンナは、整列したままの一団を見渡した。
(まあ、雑でいいか)
軽く腕を振る。それだけで、モヒカンたちはまとめてふっ飛んだ。雪の上に転がり、しばし目を回している一同。その中から、寝ぼけたような顔のモヒカンAを、アンナは襟首を掴んで引き摺り起こした。
「――いつも、騒いですいません」
にこやかに、だが有無を言わさぬ笑顔でアンナは告げた。
「雪かき、手伝いますって。近所の雪かき、手伝ってこい!」
「わ――わかりました! おい、おまえら、いくぞ!」
モヒカンAが慌てて背筋を正して声をかけると、モヒカンたちはぞろぞろと散り散りに、村のあちこちへと駆け出していった。
アンナは、気を失ったルーデウスを肩に担ぎ上げると、そのまま家へ向かって歩き出した。
帰り道。しょんぼりと肩を落として立つ、シルフィの姿が見えた。追いつけなかったらしい。膝に手をつき、肩で息をしながら、俯いている。
(……どうしたもんかね)
アンナは小さくため息をついた。
冬の空の下、三人分の重荷を背負うようにして、アンナは歩を進めた。
――時は、少し流れる。
ブエナ村で、反乱――?
その報せを聞いた瞬間、波打つ燃えるような赤毛が、ぶわりと逆立った。まるで原色のペンキをぶちまけたかのような、紅。キッとつり上がった眦。第一印象は、ただ、苛烈。
「うちに、喧嘩売るとか。……なめてるわね」
低く、押し殺した声。
「いいわ」
くるり、とその場で踵を返す。
「あたしが行って、潰してやるんだから! ブエナ村って、どこよ!」
苛立たしげに声を張り上げる。
「案内しなさい。――ギレーヌ!」
その一声に、屋敷の空気がぴりり、と張り詰めた。
赤毛の狂犬が、動き出した。