村の広場では、今日もモヒカン達が雪合戦に興じていた。
「そっち行ったぞ!」
「うおおお! この一投に、俺の全てを――!」
「ぐはぁっ! やられた……だが、悔いはない……!」
雪玉が空を舞う。厳つい顔の男たちが、子供のようにはしゃぎ、雪の中を転げ回っている。
アンナは広場の隅の切り株に腰を下ろし、頬杖をついて、その光景をぼんやりと眺めていた。
◇
「ボスー!」
モヒカンの一人が、雪まみれの顔で駆け寄ってきた。
「ボスも、やりましょうよ!」
「…………」
アンナは視線を動かさないまま、ひらひらと片手を振った。
「いや、いい。そんな気分じゃ、ねーんだ」
「そ、そうっすか……」
モヒカンは、しゅんと眉を下げ、すごすごと雪合戦の輪へ戻っていった。
その背中を見送りながら、アンナは小さく息を吐いた。
(……そんな気分、か)
原因は、わかっている。昨夜のことだ。
◇
――あの夜。
アンナは、てっきり怒鳴られるものだと思っていた。拳骨の一つや二つ、覚悟もしていた。
自分がどれだけ馬鹿なことをしたのかは、わかっている。だから、叱られるならそれでいい。そう思っていたのだ。
けれど。
家の戸を開けた瞬間、アンナの目に飛び込んできたのは。
「ア゙ンナがー……!」
両腕を広げ、顔をぐしゃぐしゃにして突進してくる、ロールズの姿だった。
「う、お――」
避ける間もなく、ロールズはアンナをがばっと抱きしめた。
「ア゙ンナがー……! そんなに゙ー……思いづめでだなんでー……ぎづがなぐで……ゴメン゙〜……!」
ずびっ、ずびび、と鼻を啜る音。熱い涙が、アンナの肩をじわじわと濡らしていく。
――いつもの号泣だった。
◇
その後ろで、クレアが静かに立っていた。
怒っているのだろうか、とアンナは思った。ならば、せめて真正面から受けようと。
クレアは、ゆっくりと口を開く。
「……アンナ」
その声は静かだった。
「今日はね」
「おかあさんも」
一拍。
「泣く、わよ」
「……え」
宣言と同時だった。
クレアの目から、ぽろぽろと大粒の涙がこぼれ落ちた。そのままロールズごと、アンナを抱きしめる。
「なん゙でぇ……」
鼻声が震える。
「お゙があさんに、相談、じないのぉー……!」
「…………」
アンナは、二人の腕の中で身動きひとつ取れなかった。
◇
(……ああ)
今回ばかりは、全面的に自分が悪い。
それがわかっているから、アンナは逃げることも茶化すこともせず、ただ素直に頭を垂れた。
「……ごめん」
小さな声で言う。
「親父、お袋」
抱きしめる腕に力がこもった。
◇
十分後。
「ア゙ンナぁ……ア゙ンナぁぁ……」
ロールズの勢いは、まったく衰えていなかった。むしろ、時間が経つにつれ、声はいよいよ湿り気を帯びていく。
クレアも、まだ鼻をぐずぐず言わせていた。
アンナは、二人の腕の中で天井の梁を数え始めていた。
(……いつまで続くんだよ、親父)
怒ってはいない。胸の奥は、確かに痛い。それでも、どうにも長い。
◇
やがて、ようやくロールズの声が少しずつ小さくなってきた。しゃくり上げる間隔が開いていく。
アンナは、ほっと肩の力を抜いた。
(やっと、終わるか……)
――その時だった。
「……ごめん、ね」
今度はクレアが。
鼻を啜っていたその口から、堰を切ったように泣き声が溢れ出した。
「ごめんねアンナ゙ァー……! ダメな、お゙がぁさんで……ごめんね゙ー……!」
「…………え」
アンナの顔が引きつる。
そして、収まりかけていたロールズの目に、再び火が点いた。
「お゙どうざんもぉー……!」
大粒の涙が、ぼろぼろと溢れ出す。
「ごめん゙……! ごれは……ジルビィの、ぶんー……!」
「いや、それ、シルフィの分を――」
アンナが口を挟む暇もなく、二人の泣き声が輪唱のように家中に響き渡った。
◇
たまらず、アンナは助けを求めるように視線を巡らせた。
部屋の隅に、シルフィが立っていた。
「…………」
アンナは目で訴える。
(なあ、シルフィ。ちょっと、助けてくれ)
シルフィは、じっとアンナを見返して、きっぱりと言った。
「アンナは、ちゃんと怒られたほうがいい」
そして、ぷいっとそっぽを向いた。
「…………」
その横顔は、頬がぷっくりと膨らんでいる。目の縁は、まだ赤かった。
アンナが生きていた安心と。勝手なことをしたアンナへの怒りと。二つの感情が、小さな胸の中でごちゃごちゃに混ざり合っているのだろう。
ぷんすか、という擬音が聞こえてきそうな背中だった。
◇
アンナは観念して目を閉じた。
ロールズの涙が肩を濡らす。クレアの嗚咽が胸に響く。背中を向けたままの妹の小さな肩が、ほんの少しだけ震えている。
(……ああ、そうか。俺は、こんなにも)
思い知らされる。
自分が差し出した「けじめ」が、どれだけの人間の心を傷つけたのか。そして、どれだけの人が自分を想ってくれているのか。
アンナは、ゆっくりと両腕を持ち上げ、二人の背中にそっと回した。
「……ごめん」
かすれた声で、もう一度。
「ごめんな」
泣き声は止まらない。止まらなくていい、と思った。
ふと気配を感じて、薄く目を開ける。
そっぽを向いていたはずのシルフィが、いつの間にかすぐ傍に立っていた。顔は相変わらず、むくれたまま。
それでも、その小さな手がアンナの服の裾をきゅっと握りしめていた。
アンナは何も言わず、ただ小さく笑った。
◇
――そして、今。
村の広場で、アンナは雪合戦を眺めながら昨夜の光景を思い出し、ふっと口元を緩めた。
胸の奥は、まだ少しだけ痛い。けれど。
その痛みは、不思議と温かかった。
◇
アンナが切り株に腰を下ろしたまま広場をぼんやり眺めていると、隣にルーデウスがやってきた。
顔にはまだ昨日の傷が残っていて、目の周りの痣を隠すためか、少し大きめの眼鏡をかけている。
(そんなもんかけるくらいなら、魔法で治せばいいのに)
一瞬そう思ってから、アンナは考え直した。治さないのが、こいつなりのケジメなのだろう。
黙って尻をずらして場所を空けると、ルーデウスは「ごめん」と言って、アンナの隣に腰を下ろした。
その「ごめん」が昨日までのことなのか、それとも場所を空けてもらったことなのか。たぶん両方だろう、とアンナは思った。
◇
「俺さ、最近、魔法に行き詰まりを感じてたんだ」
ルーデウスがぽつりと切り出した。ずり落ちてきた眼鏡を、中指でくいと押し上げる。
「あ? おまえの魔法はすごいだろ。しかも、無詠唱だし」
「それでも、限界はあるんだよ。俺は偉い先生でも、専門家でもないしさ」
寂しそうに笑う横顔を、アンナは黙って見ていた。
「それで、限界を突破するために、魔法の実験をしたんだ」
「実験?」
「うん。前にアンナとシルフィのことを、一人の人間だと勘違いしたことがあっただろ」
「あれは悪かったよ」
「いや、それはいいんだ。むしろ、それがヒントになった」
◇
アンナから種明かしを聞いた時、ルーデウスは、ミスディレクションとアハ画像の応用か、と納得した。けれど、あとになって思ったのだ。本当に、そうなのか、と。
アンナを疑っているわけではない。ただ、それだけのことで、目の前にいて、喋っている二人の人間を、一人だと誤認するものだろうか。
その疑問は、ルーデウスの中にあった、もう一つの疑問と重なった。
魔法も魔物もいるこの世界で、どうして前の世界と同じ物理法則が、当たり前のように通用しているのか。
「例えば、ある男がいる。そいつは、自分の知っている常識が通用しない世界に迷い込んだんだ」
ルーデウスは、遠くの雪合戦を眺めながら、話しだす。
「まあ、色々と不思議なことが起こる。けど、そいつが知っていることの中には、なぜか、その世界でも通用するものがあったんだ」
「そりゃ、別におかしくねーだろ。どこだろうと、同じようなもんはあるんじゃねえのか?」
「うん。そうかもしれない」
ルーデウスはあっさりとうなずき、ずれた眼鏡を中指で直しながら続けた。
「じゃあ、こんな話はどうかな。ある男が、赤いリンゴと青いリンゴを見つけた。男は、青いリンゴのほうが甘いと思っていた。だから、青いリンゴを食べた」
「……それで?」
「甘かったんだよ。男が思っていたとおりにね」
「たまたまだろ」
「そうかもしれない」
ルーデウスは、またあっさりと認めた。
「でも、もしそうじゃなかったら?」
「何がだよ」
ルーデウスは、とうとう眼鏡の位置を直すのを諦めて、外した。冬の光にレンズを透かしながら、袖口でごしごし拭き始める。
「もし、男がそう思っていたから、そうなったんだとしたら?」
アンナは怪訝そうに眉を寄せた。
「……お前、何が言いてえんだ?」
「さあね。僕にも、まだ分からない」
ルーデウスは曖昧に笑って、拭き終えた眼鏡を膝の上に置いた。アンナの視線が、その黒縁に吸い寄せられる。
「……貸してみろ」
返事を待たずに手に取り、顔にかけてみた。けれど、大きすぎる眼鏡は鼻先までずり落ち、視界はぼやけるばかりだ。
「なんだこれ。デカすぎだろ」
文句を言いながら外し、そのまま返すでもなく、指先でつるを開いたり閉じたりしている。レンズを覗き込み、鼻あてをつまみ、くるりと裏返す。ルーデウスはそれを止めずに、遠くの雪合戦へ目をやった。
「だからね、魔法の実験をしたんだ。そしたらさ、精神を引っ張られてね」
「なにに?」
アンナは眼鏡をいじる手を止めずに聞き返す。
「眼鏡に」
「眼鏡?」
「よく言うだろ。眼鏡をかけると、世界が変わるって」
「そういう意味じゃねぇだろ」
首を傾げたアンナを見て、ルーデウスは、いたずらが成功した子供のように、にやりと笑った。
「アンナは、いつからそこに眼鏡があると、錯覚していたの?」
その瞬間。
アンナの手の中にあった眼鏡は、風に溶けるように、ふっと消えた。
◇
「なん……だと……」
アンナの口から、思わず言葉がこぼれ出た。
その途端、ルーデウスが「ぶほっ」と盛大に吹き出した。
「うおっ、きたねーな」
「ご、ごめん、ちょっと、ちょっと待って、おなか痛い……」
ルーデウスは片手を突き出してアンナを制し、顔を背けて必死に笑いをこらえている。肩が小刻みに震えていた。
「ここだってタイミングで言ったら、カウンターされた! 楽しー!」
「おい」
「コヒュー……」
笑いすぎたルーデウスが、過呼吸を起こし始めた。
アンナは「しょうがねえな」とため息をつきながら、その背中をさすってやる。ゆっくり吐け、と言いながら、同じ間隔で掌を動かし続けた。
やがて呼吸が落ち着くと、ルーデウスは目尻の涙を拭った。
「ごめん、アンナ。もう大丈夫だよ」
呆れたような目で見てくるアンナに礼を言い、ルーデウスは、何事もなかったかのように話を続けた。
◇
「魔法ってのは、説得と共感だと思うんだ」
ルーデウスは、右手の人差し指をたてながら、そう続けた。
「説得と共感?」
「アンナも、ひとりで食べるより、シルフィと『美味しいね』って言いながら食べるほうが、美味しく感じるだろ?」
「そうだな」
アンナは、迷わずうなずいた。
「みんなが可愛いって言う子は、可愛く見えるだろ?」
「シルフィは、なに言われようとも可愛いぞ」
「知ってるよ」
ルーデウスは、苦笑して肩をすくめた。
「つまり、他人の動向や、その時の状況で、現実は変化してるってことだよね。なら、それを魔力で後押しすればいいんじゃないかと、俺は考えた。だから、実験してみたんだよ。エア眼鏡で」
(……大丈夫か、こいつ)
アンナの顔に、あからさまにそう書いてあったのだろう。
ルーデウスは苦笑いを浮かべながら、右手の中指で、くいっと鼻のつけ根のあたりを擦り上げた。すると、そこに、さっきまでと同じ黒縁の眼鏡が、すっと現れる。
「おお!?」
アンナが目を丸くすると、ルーデウスは少しキザに口の端を持ち上げた。
「どうだい、僕の眼鏡は?」
「すげー、ほんとに眼鏡が出たよ!」
「そうだろう。しかしね、これには問題があってね」
相変わらず気取った口調で、ルーデウスは続ける。
「まだ親しい人にしか使えないし、僕の眼鏡に対するイメージのせいか、人格が変わるんだよ。だから、眼鏡はもうやめた」
そう言って、指を軽く振ると、眼鏡はまた風に溶けるように消えた。
アンナには、よくわからなかった。ただ、眼鏡が危険なものだということだけは、よくわかった。
◇
ルーデウスの顔から、ふっと笑みが引いた。真顔になって、アンナのほうへ向き直る。
「アンナ。俺の実験のせいで、アンナにも、村にも、迷惑をかけた。本当に、ごめん」
アンナは、その顔を少しのあいだ眺めていた。
「……わかった」
短く、それだけ答える。それ以上の言葉は、いらなかった。
「で、魔法の行き詰まりってのは、そのエア眼鏡で解消されたのかよ?」
「ああ、最初に言ったよね。俺は、偉い先生でも、専門家でもないって。俺の知ってる知識には、限界があるんだ」
ルーデウスは、少し寂しそうに笑った。
冬の光が、その横顔を白く縁取る。雪合戦の歓声が、遠くで弾けた。
「でもね」
ルーデウスは、視線を上げた。
「俺は、オタクなんだよ。オタクの欲望に、限界なんて、ねーよ」
そう言って、不敵に笑った。