遅咲きのプロゲーマー~W杯優勝GK、36歳からeスポーツへ~ 作:タイラー・カイマー
【ゲーミングハウス】
eスポーツ選手が共同生活をしながら練習するための、住居兼練習拠点。チームによって運用は異なる。
*
午前11時台。
下の子たちを保育園へ送り届けたARAKIは、ARCANAのゲーミングハウスへ向かった。
対抗戦を経て特約が発効してから、初めて迎える通常練習日だった。
ゲーミングハウスを訪れるのは、ARCANA加入時の顔合わせ以来となる。
東京都西部の住宅街に建つ、築25年ほどの2階建て一軒家。
1階には練習部屋とリビング、キッチン。2階には、住み込みで活動する5人の個室がある。
彼らにとっては家であり、そのまま職場でもある。
対して、家庭を持つARAKIはここには住まない。公式戦は夜に行われることが多いため、通常の活動時間は12時から22時。ARAKIは、その時間に合わせて自宅から通うことになっていた。
チームから渡されていた鍵で玄関を開け、リビングへ入る。
ARAKI「……うお」
顔合わせで一度訪れた時から、決して片付いた家ではなかった。とはいえ、改めて見るとなかなかのものだ。
まずはテーブル。
ARAKI(飲みかけのペットボトル、菓子の袋……弁当容器もか。使い終わった割り箸に、洗ってないマグカップ。ギトギトした汚れまで……)
そして床。
ARAKI(誰のだ、この脱ぎっぱなしの服と靴下……丸めたティッシュ、コンビニの袋……何かのシミまである。あと、どこから伸びてるんだ、このケーブル達は!)
ARAKIは一瞬、迷った。
注意すべきか。
――まあ、今はいい。
今日は、新体制で初めて練習を始める日だ。
それより大切なことは山ほどある。
ARAKI「おはよう」
声をかけると、返事が飛んできた。
Pika「おはようございます、ARAKIさん!」
散らかったテーブルでは、2人が向かい合って食事をしている。
正面にいるのは、Topを担当する22歳の中国人選手、
その向かいには、Jungleを担当する20歳の韓国人選手、
ZERO「ARAKIさんは既に食事を済ませたのですか?」
ARAKI「ああ、家で済ませてきたぞ」
Pika「さすが、準備万端ですネ!」
少し離れたところでは、もう1人がコーヒーを飲んでいた。
Midを担当する27歳の
ARAKI「出勤前のサラリーマンにしか見えないな……」
Pika「Shadowさんは、元社畜ですからネ!」
Shadow「その単語をハイテンションで使う人は珍しいですよ」
顔合わせの時から、妙に落ち着いている男だとは思っていた。
周囲が熱くなっても、Shadowだけは一度状況を整理してから口を開く……会社員を経験していたと聞けば、少し合点がいく。
Shadow「そういえば、ARAKIさんは慣れそうですか?」
ARAKI「何がだ?」
Shadow「生活リズムです。今までとはガラリと変わるでしょう」
活動は12時に始まり、通常なら22時まで。
一般的な仕事と比べれば、随分と後ろへずれた生活になる。
ARAKI「試合が夜になるのはサッカーでも珍しくなかったからな。むしろ懐かしいくらいだ」
ZERO「そういえば凄い方でした、この人」
Shadow「これが世代差……いや、国籍差ですかね」
Pika「早くもこのチームに馴染んできた……素晴らしいことですヨ!」
そんなやり取りをしながら、ARAKIは何気なく壁の時計へ目を向けた。
もうすぐ12時になる。
ZEROとPikaは、もう食事を終えている。
Shadowに至っては、食後のコーヒーすら綺麗に飲み干していた。
だが、ここにいるのは3人だけだった。
ARAKI「……ところで、あと2人は?」
その問いに答えるように、2階から足音が聞こえてきた。
階段を降りてきたのは、ADCを担当する19歳の
その後ろから、23歳の
Zark「おはよーっす」
Lemon「おはようございます……」
ARAKI「……おはよう」
2人はそのまま練習部屋へ向かう――かと思いきや、揃ってキッチンへ向かった。
Zarkがゼリー飲料を取り出し、Lemonも棚から、すぐに食べられる栄養補助食品を手に取る。
ARAKI「おい」
Zark「はい?」
ARAKI「お前ら、もしかしてさっき起きたのか?」
Zark「そうっすけど」
Lemon「すぐ食べ終わりますよ」
ARAKIは壁の時計を見た。
もう12時になる。
ARAKI「12時から全員で始めるんだろ? なのに12時直前に起きるのは――」
ZERO「異議あり!」
声が飛んできた。
ARAKI「……なんだ」
ZERO「あなたは無職の間、毎朝きちんと起きていました?」
ARAKIの言葉が止まった。
ZERO「回答をお願いします」
ARAKI「……毎朝ではない」
Pika「おお、正直ですネ!」
Zark「じゃあ、セーフっすね」
ARAKI「……起きる時間はともかく! 12時には始められる状態にしておけ」
Lemon「はーい……」
Zark「うぃっす〜〜」
ARAKI「ったく……」
ほどなくしてZarkとLemonも食事を終え、6人が練習部屋に揃った。
練習部屋には、6台のゲーミングPCと6脚のゲーミングチェアが並んでいる。
機材だけは立派だが、その周りまで綺麗とは言い難い。
ただ、その中で一席だけが妙に綺麗だった。
ARAKIの加入に合わせて追加されたばかりの6台目。机にも椅子にも、まだ生活感がない。
ARAKI(……俺の席だけ別の部屋みたいだな)
ARAKIはホワイトボードの前に立つ。
ARAKI「黒のマーカーは?」
Pika「昨日までは、ここにありましたヨ」
Lemon「青ならありますよ。出ないけど」
ARAKI「……」
練習部屋も含め、この家の散らかりようは、改めて見ても酷い。
ARAKI(そういえば、キッチンにも洗われていない食器が山積みになっていたな……)
ARAKIは机の端を空け、かろうじてインクの出る別のマーカーを手に取る。
ARAKI(まあ、若い男が5人で暮らしてるんだ。こんなものか)
とはいえ、新体制の初日から生活のことまで口うるさく言うつもりはない。
まずは練習だ。
そういう話は、いずれすればいい。
ARAKIはマーカーの蓋を開け、本題に入る。
ARAKI「始めるぞ。今日はまず、俺たちのことから確認する」
Zark「オレたちっすか?」
ARAKI「ああ。何が得意で、何が苦手か。俺はまだ、お前たちのことを全部知ってるわけじゃないからな」
対抗戦を経て、ARAKIの特約は発効した。
練習で何を直すか。試合で何を狙うか。
意見を全員から聞き、最後に方針を決めるのがARAKIの役目となる。
5人が順番に話し、ARAKIがそれを整理していく。
やがて最後に、Lemonの番になった。
ARAKI「お前は……全Roleできる分、整理しづらいな」
Lemon「褒めてます?」
Pika「食べたい物を聞いて『なんでもいい』と答えられた時の感覚ですネ!?」
ARAKI「まさしくそれだ」
笑いが起きる。
ARAKIは何とか情報整理を終えるとホワイトボードへ視線を戻した。
ARAKI「ともかく、これで6人が何をできるかは見えてきた」
ARAKIは5人へ向き直った。
ARAKI「試合中も同じだ。見えたことは全部言ってくれ。意見が割れたら、最後は俺が決める」
5人が頷く。
ARAKI「まずは、それを実際にやってみよう」
その後は、他チームとの非公開の練習試合――いわゆるスクリムに入った。
この日の先発は、Lemon以外の5人。
当のLemonはその後ろから、試合全体を見る。
最初から、すべてが綺麗に噛み合ったわけではない。
ZERO「Jungle、Bot側です」
Zark「こっちは下がれます」
以前なら、そこからそれぞれが自分の判断を続けていた。
ARAKI「一度引く。今は仕掛けるな」
短い一言で、5人の動きが揃う。
それだけで、迷って止まる時間が減った。
試合の合間には、Lemonが気づいたことを拾っていく。
Lemon「声が重なって、ARAKIさんの指示がかき消される場面がありましたね」
Lemonはプレイしていない分、自分の操作や対面に意識を取られない。
誰が、いつ、何を伝えたのか。
その情報を受けて、他の4人がどう動いたのか。
じっくりと全体を見ながら、試合ごとに気づいた点を整理していく。
スクリムを重ねるうちに、その指摘も少しずつ減っていった。
そして、数試合を終えた頃。
Zark「……なんか、やりやすいっすね」
Shadow「ええ。迷う時間が減りました」
Lemonも、画面を見ながら頷いた。
Lemon「前季より、かなり揃ってきてます」
勝ったか負けたかではない。
座学で決めたことを、試合の中で実際に再現できている。
まだ初日。
既存のメンバーは、前季までとの違いを感じていた。
何を試すのかが分かっている。
終われば、できたこととできなかったことを確認し、情報が整理される。
ただ試合数を重ねていた頃とは違う、充実した時間が流れていた。
やがて、この日に予定していたスクリムを一通り終えた。
あとは全体を振り返る、最後のレビューを残すだけだ。
そんなところで、玄関の呼び鈴が鳴った。
ARAKI「誰だ?」
立ち上がって玄関へ向かい、扉を開ける。
そこに立っていたのは、ARAKIの妻、
その傍らにはtakaと、保育園帰りの下の子たちもいる。
明美「これ」
差し出された袋を覗き、ARAKIは中身を見た。
ARAKI「……プロテイン」
明美「朝、忘れてたでしょ」
ARAKIは袋を受け取った。
ARAKI「ああ。わざわざ届けに来たのか?」
明美「今日は早めに上がれたから、保育園のお迎えのついで。
明美「それに、せっかくだから、皆さんに挨拶くらいしておこうと思って」
taka「気になってたんだよね、パパの職場」
すると、対抗戦以来となる顔を見つけ、Zarkが練習部屋から玄関へ顔を出す。
Zark「お、takaじゃん!」
taka「どうも! 中、少し見てっていい? ゲーミングハウスってのがどういうのか、見てみたくて」
Zark「おお、いいぜ!」
あの時の刺々しさは、もうない。
ほかの選手たちも席を立ち、明美と子どもたちへ順に挨拶する。
明美もそれに応じながら、玄関からリビングへ足を踏み入れた。
そして。
止まった。
明美「……」
ARAKI「どうした?」
返事がない。
明美の視線が、床を這うケーブルから、テーブルの空き容器、椅子に掛けっぱなしの服、積み重なった弁当容器へと移っていく。
taka「……うわ、きたねえ」
明美がARAKIを見た。
明美「なに、これ?」
ARAKI「……」
明美「あなたね。キャプテンになったんでしょう?」
ARAKI「まあ……そうだな」
明美「しかも、この中で一番年上でしょう?」
ARAKI「いや、まあ。俺も少し前までは似たような生活だったから、気持ちは分からんでも――」
明美「関係ないでしょ」
ARAKI「……はい」
ARAKIはそれ以上の反論を諦めた。
Pika「ARAKIさんが急に子犬になりましたネ」
ZERO「家庭内での力関係が確認できました」
ARAKI「聞こえてるぞ」
明美は今度は、5人へ向き直った。
明美「ここ、みんなで使ってるんですよね?」
Zark「いや、これでも片付いてる方っす」
明美「これで?」
Zark「えーーっと……」
ZERO「ぼくの机は綺麗です」
明美「自分の机だけ綺麗なら、共有部分はどうでもいいの?」
Pika「ワタシは何度も、片付けるように言ってましたヨ!」
Shadow「私も以前は注意していたのですが……」
明美「貴方達も今は結局片付けてないって事でしょう」
…………
そんな時だった。
和田「おう、仲良くやっとるかー?」
玄関から、やけに陽気な声が響いた。
全員の視線が、そちらへ向く。
――ゲーミングハウスとARCANAの事務所は、徒歩15分ほど離れている。和田は時折、選手たちの様子を見にこちらへ顔を出していた。
新体制初日の今日も、スクリムが終わる頃を見計らって来たらしい。
和田「……ん?」
明美「チームの代表の和田さん、ですよね?」
和田「貴方は、確かARAKIさんの奥方ですな。いやはや、きちんとした挨拶が出来ておらず……」
明美「いえ、こちらこそ。いつも主人がお世話になっております」
ARAKI「和田さん……」
…………
和田「なんですかな、この空気は」
明美「和田さん。ここは選手の皆さんの家であると同時に、会社が用意している職場なんですよね?」
和田「ええ、まあ……その通りですな」
明美「こういう状態なのは、ご存じでした?」
和田「いや……まあ、選手の自主性を尊重しておりまして……」
明美「その自主性の結果が、これですか?」
和田「……返す言葉もありませんな……」
…………
明美は改めて、部屋にいる全員を見回した。
明美「貴方達、本気で優勝を目指すなら、片付けなさい!」
明美は、物の積まれたテーブルへ手を向けた。
明美「ここは家でもあるけど、職場でもあるんでしょう?」
明美「普通、練習コートは綺麗な状態で使って、使い終わったら掃除して帰るものです。プロなんでしょう!?」
サッカーの練習場で、空き容器や私物を放置したまま翌日の練習を始める。
そんな光景を想像して、ARAKIは何も言えなくなった。
道具が見つからない。足元にはケーブルが這っている。練習を始める前に、まず机を空けなければならない。
競技が違うだけで、やっていることは同じだった。
ARAKI「……片付けるか……」
Zark「今からっすか? 練習は……」
明美「今やらないで、いつやるの?」
Zark「はい……」
Lemonは何も言わず、先にゴミ袋と雑巾を取りに向かった。
それを見て、ほかの面々も動き出す。
床に置かれた物を拾い、空き容器をまとめ、テーブルを拭く。絡んだケーブルを整理し、椅子に掛けっぱなしだった服も持ち主の手へ戻っていく。
taka「弁当の容器、多すぎだろ。くっせえ〜」
ARAKI「お前はそこ触るな。汚いのは俺がやる」
和田まで袖をまくり、ARAKIと一緒に大きな物を動かした。
takaと下の子たちも、危なくない物だけを運んで手伝う。
人数だけは多い。
始めてしまえば、片付くのも早かった。
しばらくして、ようやく共有部分の片付けが終わった。
Zark「っしゃあ、終わった! じゃあこれで練習――」
明美「まだよ」
Zark「えっ」
…………
ARAKIは綺麗になった部屋を見回し、それから明美を見る。
目が合った。
ARAKI「……このままだと、また同じことになるって言いたいんだろ」
明美「分かってるじゃない」
ARAKI「ZERO、マーカー」
ZERO「黒、見つかりました」
ARAKI「今度から置き場所もキッチリ決めとこう」
ZERO「賛成です」
ARAKIは練習部屋からホワイトボードを引っ張り出し、リビングへ運ぶ。
ARAKI「まず、共有部分に私物を置きっぱなしにしない。食べ終わったら、食器と弁当の容器はすぐ片付ける……」
Zark「はい……」
その後も、再発防止のためのルールをいくつか決めていった。
明美がホワイトボードを眺める。
ARAKI「……合格か?」
明美「続けばね」
ARAKI「厳しいな……」
ひと通りのルールを決めたところで、ようやく一段落した。しかし、ここで問題が。
Shadow「もうこんな時間ですか……」
時計の針は18時を指していた。
ARCANAでは、17時から19時が休憩時間。夕食を用意し、19時までに食べ終えて夜の練習へ戻る――それがいつもの流れだった。
Pika「そういえば、今日は何も用意してませんヨ」
掃除ですっかり予定が狂っていた。
その声を聞いた長女の
陽菜「おなかすいた〜お寿司食べたい〜」
taka「陽菜も掃除頑張ったもんな……出前取ろうぜ! 和田さん!」
和田「いやいや、ウチにはそんな贅沢をする余裕は――」
明美「あなたが奢ってあげたら?」
ARAKIを見る。
明美「キャプテン」
ARAKI「いや、なんで俺が――」
そこで、周囲の視線に気づいた。
Zark。
ZERO。
Pika。
Shadow。
Lemon。
誰も何も言わない。
ただ、期待だけは隠していなかった。
ARAKI「…………」
ARAKI「今夜だけだぞ!」
Zark「っしゃあ!」
Shadow「ありがとうございます、キャプテン」
Lemon「ごちそうさまです」
ARAKI「本当に今夜だけだからな!?」
結局、その場にいる全員分の寿司を注文することになった。
しばらくして届いた寿司桶を、綺麗になったリビングのテーブルへ並べる。
朝にはペットボトルや弁当容器が置かれていた場所だ。
今はもう、食事を邪魔する物は何もない。
選手も、代表も、荒木家も、同じテーブルを囲んだ。
Pika「やっぱり、綺麗なところで食べるご飯は、いつもより美味しいですネ!」
朝の有様を思えば、誰もその言葉には反論しなかった。