遅咲きのプロゲーマー~W杯優勝GK、36歳からeスポーツへ~ 作:タイラー・カイマー
【炎上】
SNSなどで、ある人物や組織の言動に対する批判や非難が急速に広がること。
eスポーツでは、試合中の言動や配信、SNSでの発言などが原因となることもある。
*
BUSTERとのSummer Split開幕戦に0-2で敗れた翌日。
ARCANA事務所の会議室には、選手6人と和田、そして片桐が集められていた。
室内のモニターで、短い動画が再生されている。
――最初に映ったのは、試合前のARCANAだった。
5人が肩を組み、ARAKIが声を上げる。
ARAKI(動画)「絶対勝つぞ!」
4人(動画)「オーッ!」
映像が切り替わる。
〈BUSTER 2-0 ARCANA〉
試合結果が大きく表示され、そして次の瞬間。
Zark(動画)「クソッ!」
Zarkが拳を1度だけ机へ落とす――
そこで動画は終わった。
画面が暗転する。
数秒の沈黙。
片桐が椅子の背にもたれ、深く息を吐いた。
片桐「面倒な事をしてくれたものです」
昨夜の試合終了後、この短い動画がSNSへ投稿された。
試合前の円陣から0-2という結果、そして敗戦直後にZarkが机へ拳を落とす瞬間だけをつないだ映像は、SJLを見ている者たちの間で少しずつ拡散されている。
面白がる者だけではない。Zarkの振る舞いを問題視する声も出始めていた。
事態を知った和田は、今後の対応を確認するため、急遽選手たちを事務所へ集めた。リーグの広報やスポンサー対応を担当する片桐がここにいるのも、そのためだった。
Zark「……そんな大事になってんすか」
片桐「いいえ。プチ炎上程度です。幸い、スポンサーからの問い合わせ等はまだありません」
片桐「しかし、こんなコメントもあります」
片桐がモニターを操作する。
〈機材に当たるとかプロ失格〉
〈ARAKIの金魚の糞〉
〈汚いピンク髪〉
最後の一文まで表示されたところで、何人かが微妙な顔をした。
Shadow「あまり関係ないコメントも混じっていますね……」
片桐「まあ、炎上の規模はともかく。私としてはARAKI選手加入をきっかけに、さらにSJLを盛り上げたいところ……」
片桐「そこに水を差すような事があれば困るのですよ」
Zark「…………サーセン」
先ほどまで不満そうだったZarkも、今度は素直に頭を下げた。
ARAKI「こんなので炎上するのか? どうかしてるだろ」
片桐「あなたを基準に炎上を測るのはやめてください」
Lemon「確かに……札幌の時とかと比べれば、今回のはだいぶ小さいような」
Shadow「ああ……」
Lemonの一言で、事情を知る者だけが妙に納得した顔をする。
ZERO「札幌? 北海道ですか?」
Pika「何デスか? ARAKIさんは札幌で何かしたのデスか?」
ARAKI「…………」
ZEROとPikaだけではない。Zarkも何の話か分からないらしく、首を傾げている。
どうやらARAKIのサッカー選手時代の話らしいが、ARCANAで本人がそれを語ったことは一度もなかった。
その3人から視線を集めたARAKIは、何も答えず黙り込んだ。
和田「まあまあ。昔の話は、また別の機会にしましょう」
和田が苦笑しながら話を本題へ戻す。
Shadow「しかし、この悪意ある切り抜き……近年のトレンドからすると、もう少し拡散していてもおかしくなさそうですが」
片桐「本格的に炎上が拡大する前に、沈静化を図ってくれた人物がいたのですよ」
ARCANAの面々が顔を見合わせる。
少なくとも、自分が何かしたという顔をしている者はいない。
Pika「この中にはいなさそうデスガ……」
片桐「ええ。お見せしましょう」
片桐が再びモニターを操作した。
――画面に映ったのは、昨夜の試合を終えたばかりのFROGだった。
自身の配信で試合を振り返っているらしい。画面の脇を流れるコメントの中には、ARCANAやZarkを嘲笑するものも混じっている。
その1つを拾ったFROGが、少しだけ表情を変えた。
FROG(動画)「Zark選手は、試合後にちゃんと僕たちへ挨拶しましたよ。そこまで見てください」
FROG(動画)「机を叩いたのは、よくなかったかもしれません。でも、あの数秒だけで態度の悪い選手にするのは違います」
流れていたコメントの勢いが、わずかに鈍る。
FROG(動画)「円陣を笑うのもやめましょう。本気で勝ちに来た相手に勝ったから、僕たちの勝ちにも価値があります」
そこまで真面目な顔で言い切ると、FROGは一拍置いた。
FROG(動画)「はい、この話は終わり! 閉廷! 以上! みんな解散!」
途端に、コメント欄が別の意味で荒れ始める。
FROGはもうZarkの話には触れず、何事もなかったように試合映像へ戻っていった――
動画が止まる。
会議室に、何とも言えない沈黙が落ちた。
Zark「……オレ、敵に火消ししてもらってんじゃん」
Pika「試合の後まで1手早いデスネ……」
ZERO「上手い!」
Shadow「自虐に乗らないでください」
わずかに空気が緩む。
片桐「ともかく、FROG選手の発言以降、拡散の勢いは落ちています」
片桐「こちらから改めて声明を出せば、収まりかけている話をもう1度広げることにもなりかねません」
和田「では、ARCANAからは何も出さない?」
片桐「現時点では、それが良いでしょう」
片桐は頷き、今度はZarkへ視線を向けた。
片桐「あなたも、この件については何も書かないでください。反論も謝罪も、今は必要ありません」
Zark「……何も?」
片桐「ええ。腹が立っても我慢してください」
Zark「オレ、そんな信用ないっすか?」
片桐「ありません」
Zark「即答!?」
片桐は取り合わず、ARAKIへ顔を向ける。
片桐「ARAKIさん。見張っておいてくださいよ」
ARAKI「俺が?」
片桐「主将でしょう」
Lemon「あまり適任じゃない分野な気が……」
ARAKI「任せろ」
Shadow「急に不安が増しましたよ」
片桐「それから和田さん。スポンサー、リーグ、メディア――どこからでも、この件について問い合わせがあればすぐに共有してください」
和田「分かりました」
片桐は一通り確認すると、手元の資料を閉じた。
片桐「では、現状は静観。何か変化があれば、その時に対応します」
それが、今回の騒ぎに対するARCANAの方針となった。
大きな処分も、公式声明もない。
Zarkが余計なことを書かず、外から何か連絡があれば共有する。
それだけだった。
和田「では、この件はここまでにしましょう。今日は急に集まってもらってすみませんでしたな」
椅子が引かれ、選手たちが立ち上がる。
Pika「では帰って練習デスネ!」
ZERO「予定より少し遅れました」
Shadow「戻れば取り返せる程度でしょう」
Zark「…………」
それぞれが会議室を出ていく中、Zarkも無言でスマートフォンをポケットへしまった。
表情は、いつもとそう変わらない。
そのまま、5人と一緒にゲーミングハウスへ戻っていった。
*
ゲーミングハウスへ戻ると、ARCANAは予定より少し遅れて練習を始めた。
BUSTER戦で見つかった課題は多い。
相手が動いてから判断するのではなく、その先に起こり得る展開を5人全員で考える。
昨日の敗戦を無駄にしないためにも、練習時間はいくらあっても足りなかった。
――だが。
ARAKI「Zark、下がれ!」
Zark「……あ、はい!」
一瞬、反応が遅れた。
致命的というほどではない。
それでも、普段のZarkならもっと早く声が返ってくる。
次の局面でも同じだった。
視線はモニターへ向いている。操作もしている。だが、どこかいつもの鋭さがない。
短い休憩に入れば、真っ先に手を伸ばすのはスマートフォンだった。
画面には、自分のプレイヤーIDを検索した結果が並んでいる。
〈FROGが言ってる通り、あの数秒だけで叩くのは違うだろ〉
〈でも机叩いたのは事実じゃん。プロなら負けた時こそ態度ちゃんとしろよ〉
〈次はプレーで返してくれ〉
〈Zarkずっと応援してるけど、昨日のはちょっと残念だった〉
擁護する声もある。
それでも、「ちょっと残念だった」の一文でZarkの指が止まった。
画面を閉じても、次の休憩になればまた開く。
数試合を終えたところで、ARAKIは椅子から立ち上がった。
ARAKI「……少し形を変えるか」
Zark「え?」
ARAKIはLemonへ顔を向けた。
ARAKI「Lemon。次、ADCに入ってくれ」
Lemon「ボクが?」
ARAKI「ああ。元はADCだったんだろ?」
Lemon「そうですけど……」
ARAKI「俺とBotで組む形も広げておこう」
Lemon「確かにそうですね、分かりました」
ARAKIがZarkを見る。
Zark「…………」
いつものZarkなら、何か一言くらい返したかもしれない。
だが今日は、素直に席を立った。
Zark「……うす」
LemonがADCの席へ移り、ARAKIはその隣へ座る。
初めて組むBotの形を試している間、Zarkは後ろから画面を眺めていた。
時折、ポケットへ手を伸ばしかけては、やめる。
やがて時計が17時を回った。
ARAKI「一旦、飯にしよう」
*
ARCANAの夕食は、以前からPikaが作ることが多かった。
大きな中華鍋を振るい、5人分、今ではARAKIを含めた6人分をまとめて作る。味について文句を言う者はいない。
ただ、Pikaが作れない日は、買ってきたもので済ませることもあった。
栄養を意識するようになってからは、そうした日をARAKIの料理で補うようになった。この日も、食卓には彼の料理が並んでいた。
アスリート向けの栄養バランスを保ちつつ、味付けや献立を変えて食べ飽きないよう工夫されている。
Pika「ARAKIさんのゴハン、やはり美味しいデスネ!」
Lemon「Pikaの中華が続いたところに、こういうのが来るとまたいいんですよね」
Pika「ワタシの料理、飽きたのデスカ!?」
Lemon「そういう意味じゃないって!」
2人のやり取りに、Shadowが溜息をつきながら口を開く。
Shadow「織り交ぜられる事で互いの魅力がより引き出される、と言いたいのですよね」
Pika「それならヨシ!」
いつものように会話が続く。
その中で、Zarkだけがほとんど口を開かなかった。
箸は動いているが、食べる速度が明らかに遅い。
ARAKIは向かいからその様子を見ていた。
ARAKI「Zark」
Zark「……はい?」
ARAKI「お前、気にしすぎだぞ」
Zark「…………」
Zarkはしばらく黙っていた。
それから、皿へ視線を落としたまま聞いた。
Zark「……takaは、なんて言ってました?」
ARAKIは少しだけ考えてから答える。
ARAKI「次もタオルを持っていくと言ってたぞ」
Zarkが顔を上げた。
Zark「……マジっすか」
その顔がわずかに緩む。
だが、ARAKIは続けた。
ARAKI「まあ、机は叩くなよ、とも言ってたが」
Zark「…………」
再び、Zarkの視線が皿へ落ちた。
ARAKI「あの程度でファンをやめる奴は、そう多くないんじゃないか?」
Shadow「ARAKIさんもサッカーの時、だいぶ言動に問題がありましたが、私はファンのままでしたからね」
ARAKI「……それはフォローしてるのか?」
Shadow「しているつもりです」
Shadowの話を聞き、ZEROがハッと目を見開く。
ZERO「そういえば、今朝の札幌の話ですが――」
ARAKI「話を戻すぞ」
ZERO「まだ聞いていません」
ARAKI「戻すぞ」
Lemon(必死すぎでしょ……)
Lemon「でも……こうやって騒がれるのって、今までとは違いますよね」
Zark「違う?」
Lemon「前なら、机を1回叩いたくらいで、こんな動画まで作られてなかったでしょ」
Zarkが黙る。
それは、誰も否定できなかった。
Shadow「私たちが問題を起こさなかったというより、問題になるほど見られていなかったのかもしれませんね」
Lemon「ボクも、試合が終わった後まで見られてるなんて、今まで考えてもなかったな……」
Pika「注目されるようになったのは、良いことのはずなのに難しいデスネ」
ZEROが箸を止め、ぽつりと言った。
ZERO「見てもらいたい。でも、見られたくないところまで見られる」
Lemon「普段の言動も、ってことか……」
少し前まで、そんなところまで意識していなかった。
勝っても負けても、ARCANAを追い続ける人は多くなかった。
だが今は違う。
ARAKIが加入し、ARCANAへ向けられる視線は増えた。
客席には、Zarkのタオルを掲げるtakaもいた。
そして、負けた瞬間の顔まで見られるようになった。
Zark「……でも、見てくれてる奴はいるんすよね」
誰に聞くでもなく、Zarkが呟いた。
ARAKI「ああ」
短く、それだけ答えた。
Zarkはしばらく黙っていたが、やがてポケットからスマートフォンを取り出した。
Zark「……オレ、ちょっと何か言いたいっす」
ZERO「何をです?」
Zark「まだ応援してくれてる人に。なんか……ちゃんと自分から」
批判してきた相手へ言い返したいわけではない。
takaや、以前からARCANAを見続けてくれている人たちへ。
自分の言葉で、何か返したかった。
ARAKI「いいんじゃないか」
Pika「でも、片桐さんは何も書かないように言ってましたヨ?」
ARAKI「別にいいだろ」
Lemon「絶対良くないでしょ」
そこで、Shadowが口を開いた。
Shadow「でしたら、まず文面を考えて、それから和田さん経由で片桐さんへ相談すればいいのでは?」
ARAKI「よし、それで行くぞ」
Lemon(この人が乗り気だと不安になるなあ……)
Zark「あざっす! 出来たら、みんなにも見せますわ!」
*
その後、和田の説得を受けて片桐も渋々了承し、Zarkのメッセージは投稿された。
〈先日は応援ありがとうございました。
悔しさを抑えられず、試合後に机を叩いてしまいました。すみませんでした。
次の試合、プレーで返します。
これからも、応援してくれると嬉しいです。〉
投稿を終えると、Zarkはスマートフォンを置き、いつもの席へ戻った。
もう、画面の外ばかりを気にしてはいない。
彼が見据えるのは、次の試合。
SJL Summer Split、第2戦。
――ARCANA vs WISH。