遅咲きのプロゲーマー~W杯優勝GK、36歳からeスポーツへ~ 作:タイラー・カイマー
【選手契約】
選手とチームの間で、報酬や活動条件、双方の権利と義務を定める契約である。プロゲーマーも、野球やサッカーなどのスポーツ選手と同じように、所属チームと選手契約を結ぶ。
*
プロチームから面談の誘いを受けて、数日後。
ARAKIとtakaは、雑居ビルの一室にある
テナント案内の片隅に、ARCANAの名が小さく記されている。目の前の扉にはチームロゴが貼られているが、少し色褪せていた。
プロチームという言葉から浮かぶ華やかさは、そこにはない。
ARAKIは久しぶりのスーツ姿だった。ネクタイを締め、髪も整えている。
taka「パパ、スーツじゃん」
ARAKI「仕事の話だからな」
taka「ついに無職卒業かあ……」
ARAKI「……」
ARAKIが何か言い返そうと口を開くより早く、takaが続ける。
taka「真面目な話さあ、弱いよ? このチーム」
ARAKI「分かっている。だが、弱くてもプロだろ?」
ARAKIも、ARCANAについて最低限のことは調べていた。
国内リーグの初期から存在する古参チームで、現在は5人の選手が所属している。6チームで争うリーグでは、毎年のように5位。2部リーグとの入れ替え戦へ回っても降格は免れるが、上位へ食い込むこともない。
落ちない。だが、上がれない。悪い意味で停滞したチーム。
ARAKIは、隣に立つtakaへ目を向けた。
ARAKI「というか、お前は本当に面談に同席するのか」
taka「パパが変な契約しないように、見張ってこいって、ママが」
ARAKI「俺は変なことをする前提なのか」
taka「前科あるじゃん。仕事しない」
ARAKIは黙った。
ARAKIは、小学生のtakaに選手契約を結ばせるつもりはない。takaが面談に同席するのは、明美から父親の見張り役を任されたためだった。
ARAKIは扉へ向き直ると、ネクタイの結び目に触れる。
ARAKI「じゃあ、入るぞ」
taka「うん」
ARAKIは一度だけ息を整え、ARCANAの扉を開けた。
扉の向こうにあったのは、決して広いとはいえない事務所。
入口の近くに小さな応接スペースがあり、壁紙は色褪せている。置かれたゲーミングチェアは古く、床の隅では、何本もの配線が絡み合っていた。
プロチームの運営拠点というより、限られた人手でどうにか回している小さな会社に見える。
その奥から、灰白色の髪をした、ずんぐりした体格の男が現れた。人当たりはよいが、どこか商売人めいた笑みを浮かべている。
和田「ようこそ、ARCANAへ。ワシが代表の和田です」
ARAKI(ふくよかな中年オーナーだな……)
ARAKIは表情を変えず、軽く頭を下げた。
ARAKI「ご連絡の件で伺いました。ARAKIです。よろしくお願いします」
和田は、目の前の2人を見比べた。
面談へ呼んだのは〈ARAKI〉と〈taka〉の2人である。ところが、現れたのはスーツ姿の男と、その付き添いにしか見えない小学生だけだった。
もう一人は来なかったのだろうか。
怪訝に思いながら、和田は男の隣に立つ小学生へ目を向けた。
和田「おや、そちらのお子さんは?」
taka「パパを見張りに来ました」
ARAKI「妻に言われたそうです」
和田「ほう。それは頼もしい息子さんですな」
やはり、父親の面談についてきただけの息子らしい。和田は微笑ましそうに目を細めた。
そのままARAKIへ視線を戻したところで、今度はその顔に引っかかるものを感じた。
和田「……はて。どこかで、見たような……」
ARAKI「直接お会いしたことは、ないと思います」
和田「そうですかい。いや、失礼しました。どうぞ、こちらへ」
和田はまだ腑に落ちない顔のまま、2人を応接スペースへ案内した。
3人は、テーブルを挟んで腰を下ろした。
ARAKIは、持参した履歴書を和田へ差し出す。
ARAKI「履歴書です。よろしくお願いします」
和田「これはご丁寧に。拝見します」
和田の目が、氏名欄で止まった。
和田「……荒木、将」
和田は履歴書から顔を上げ、ARAKIを見る。もう一度、紙面へ目を落とす。
元サッカー日本代表GK。W杯優勝。海外トップクラブでの競技歴。
和田「荒木将って、あの……日本代表の?」
ARAKI「はい」
和田「W杯の?」
ARAKI「はい」
和田「いやいやいやいや」
和田は履歴書とARAKIの顔を、何度も見比べた。
和田「では、ARAKIというIDは……」
ARAKI「本名から、そのまま付けました」
和田「そのままですかい」
ARAKI「分かりやすいでしょう」
和田は答えず、また履歴書へ目を落とした。
和田「そして……一応、確認ですが。サブアカウントではありませんな? SOLを始めて3か月で、チャレンジャーまで上がっておられる」
ARAKI「このアカウントしかありませんよ。SOL歴だけでいえば、完全な初心者です」
和田「いやはや。それなら、なおさら素晴らしい。まさに才能の塊というわけですな」
SOLを始めて、わずか3か月。それだけでチャレンジャーまで駆け上がった有望なSupportを呼んだはずだった。だが、いま目の前に座っているのは、日本をW杯優勝へ導いた元GKだった。
和田は履歴書をテーブルへ置き、ARAKIへ向き直った。
和田「ところで、今日はtakaさんもお呼びしたのですが……まだ、いらしていないのですかな」
taka「おれです」
和田「……はい?」
taka「taka。おれです」
和田の視線が、ARAKIの隣に座る小学生へ移った。
和田「では、こちらがtakaさん……」
和田はそこで言葉を切った。
和田「……小学生?」
taka「小6です」
和田「小6でチャレンジャー……?」
taka「うん」
和田「ワシ、今日の面談、思っていたのとだいぶ違いますな」
ARAKI「申し訳ないのですが、息子は小学生ですので、契約の話は私だけになります」
和田「ええ、もちろんです。そこは当然、当然ですとも」
和田は大きく頷いた。
和田「ではまず、お二人へ声をかけた理由から、お話ししましょう」
和田の顔から、先ほどまでの狼狽が消えた。
和田「ARCANAは長く5位から抜け出せず、ワシも選手たちも苦しんでおりました」
和田「そんななか、恐ろしい勢いでチャレンジャーまで駆け上がったARAKIさんを見つけましてな」
和田は、並んで座る親子を順に見た。
和田「試合を追ううちに、Duoを組むtakaさんにも目が留まりました」
和田「takaさんは、ADCとしての操作と駆け引きが国内トップレベルです」
和田「ARAKIさんには、Supportとして試合全体を見て味方を動かす天性の才能がある」
和田「そこで今いる5人にも相談し、補強を決めました」
ARAKI「私が誰かは、知らずに?」
和田「知っておれば、先ほどあれほど驚きませんよ」
和田は苦笑すると、テーブルの上の履歴書へ目を落とした。
和田「もっとも――いまは、知ってしまいましたがな」
ARAKI「知ったことで、何が変わるんですか」
和田は履歴書の氏名欄を、指先で軽く叩いた。
和田「率直に申し上げます。荒木将という名前も、使わせていただきたい」
ARAKI「広告塔として?」
和田「ええ。元W杯優勝GKがプロゲーマーへ転向するとなれば、スポンサーへ売り込む強い材料になります」
和田「選手として欲しいのが先です。ですが、名前の価値を見ないふりができるほど、ワシらに余裕はありません」
和田は、ARAKIの正体を知らないまま、そのプレーを評価していた。競技者として欲しがったうえで、後から加わった打算も隠さない。綺麗事だけを並べられるより、信用できた。
ARAKI「ずいぶん正直ですね」
和田「綺麗事だけでは、チームを食わせていけませんからな」
ARAKI「分かりました。契約条件を聞かせてください」
和田「ええ。では、こちらを」
和田はテーブル脇に置いていた封筒を取り、2人の前へ差し出した。
和田「こちらが、うちの標準契約書案です」
ARAKIは封筒を受け取り、中から契約書を取り出した。雇用主の欄には、株式会社ARCANAと記されている。
ARAKIが内容を読み込もうとしたところで、隣からtakaが口を挟んだ。
taka「その前に、質問」
ARAKI「何だ、それは」
takaは折り畳んだ1枚の紙を、テーブルの上へ広げた。
taka「ママが作った質問メモ。パパが変な契約をしないようにって」
明美は事前にARCANAを調べ、契約だけでなく、勤務や生活について確認すべきことも書き出していた。
対するARAKIは、ARCANAが万年5位であること以外、ほとんど調べていなかった。
taka「ママが、順番に聞けって」
ARAKI「……頼む」
takaはメモの先頭へ目を落とした。
taka「お給料は?」
和田「額面で月18万円。チーム全員が同じ額です」
taka「……プロだよね? 一応」
ARAKI「厳しい業界ということですか」
和田「サッカー界に比べたら、YESと答えざるを得ませんな」
takaは構わず、次の質問へ移った。
taka「練習は、何時から何時まで?」
和田「通常練習は週5日。12時から22時までで、休憩は合計2時間、実働8時間です」
takaはメモから顔を上げた。
taka「パパと夜ご飯食べられない!」
ARAKI「公式戦の時間に合わせているんですか?」
和田「おっしゃるとおりです。公式戦はおおむね夜に行われますので、それに合わせた時間ですな」
taka「まあ、無職よりはいいか……」
ARAKIはtakaの頭を軽く叩いた。takaは頭を押さえながら、次の質問へ移る。
taka「ゲーミングハウスはありますか?」
ARAKI「なんだ、それは」
taka「なんで知らないの!」
和田「一般には、まだあまり知られておりませんからな。選手たちが共同生活をしながら練習するための家です」
和田「ARCANAでは、今いる5人が会社所有のゲーミングハウスで暮らしております」
ARAKIは、手元の契約書から顔を上げた。
ARAKI「私も、そこへ住むんですか」
和田「いえ。ARAKIさんはご家族がおられますから、ご自宅から通っていただいて構いません」
ARAKI「それは助かります」
残るのは、最後の質問だった。
taka「コーチは、なぜいないの?」
SOLのプロチームにおけるコーチは、サッカーでいえば監督に近い。選手を指導し、試合の方針をまとめる役割である。
ARAKI「……コーチがいないんですか?」
taka「また!? 就活先のこと、調べてなさすぎでしょ」
ARAKIはtakaの言葉を聞き流し、和田へ目を向けた。
ARAKI「それは……プロのチームとして、どうなんですか」
taka「分かった。雇うお金がないんだ。だから基本給18万円なんだ」
和田「おっしゃるとおりです。ちなみに、試合のデータを分析する専任のアナリストもおりません」
あまりにも迷いのない答えに、ARAKIは和田を見た。チーム停滞の主因が分かった気がした。
ARAKI「即答ですね」
和田「事実ですからな……」
takaはメモの端まで確認すると、紙を折り畳んだ。
taka「ママの質問は、これで終わり」
和田「では、契約書を――」
taka「でも、ここからはおれの質問」
ARAKI「まだあるのか」
takaは契約書を指で押さえた。
taka「パパはスタメンですよね?」
和田「それは、練習へ参加してから――」
taka「キャプテンにしてください。日本代表でもキャプテンでした」
和田「いや、それも――」
taka「パパは強いSupportです! 試合中のコール権もください! 攻めるか引くかの判断はピカイチです!」
taka「あと、チームの方針を決める話にも入れてください。世界一になったこともあります!」
ARAKI「待て待て待て……なぜサッカーの実績まで――」
ARAKIが最後まで言い切るより早く、takaは和田をまっすぐに見た。
taka「この4つを、契約に入れてください!!」
taka「はっきり言って、パパは今のメンバーより圧倒的に強いです!!」
その場の空気が止まった。
ARAKI「なぜ、そんな条件が必要なんだ。俺はこの世界では新人だぞ?」
taka「だって、ARCANAはずっと5位なんでしょ?」
taka「パパの名前を宣伝に使うだけで、試合ではベンチ。チームのやり方も今までどおりなら、何も変わらないじゃん?」
taka「そうですよね、和田さん。パパはW杯優勝選手ですよ!?」
だがARAKIは、その肩書きを、別競技で特別扱いを求めるための材料にするつもりはなかった。
ARAKI「おい、待て。俺はそんな条件を望んでいない――」
taka「パパ、このままだと弱いチームの客寄せパンダで終わるんだよ!? そんなのママが……いや、サッカーのときのファンが許さないよ!」
ARAKIは、反論しかけた口を閉ざした。
客寄せパンダで終わる――その言葉が、ARAKIの競争心を刺激した。
taka「やるなら、強いチームの広告塔になってよ! パパがARCANAを強くするんだよ!」
ARAKI「……それは、そうかもしれないが……」
ARAKIは、和田へ視線を向けた。
和田はしばらく黙っていたが、やがて笑った。
和田「面白い」
和田の顔から、先ほどまでの商売人めいた笑みが消えた。
和田「このリーグへ参入した時、ワシは夢見ておりました。自分の手掛けたチームが、この新しい業界で世界へ羽ばたく姿を」
和田「それが今では、残留に必死なザマです。いい加減、この停滞を打破したかった」
和田は、ARAKIをまっすぐに見た。
和田「先ほどtakaさんが求めた条件は、ある意味うってつけですな。サッカーで世界の頂点に立った経験を、チームを強くするために活かしていただけるのですから」
ARAKI「……本気ですか?」
和田は迷わず頷いた。
和田「ええ。本気です」
takaの顔がぱっと明るくなる。
taka「じゃあ……!」
和田「ただし、先ほどの4つを無条件で認めることはできません」
taka「え、なんで?」
和田「既存選手が5人おりますからな。停滞しているとはいえ、それぞれに積み上げてきたものがあります」
和田は契約書の上で指を組んだ。
和田「特に、Supportにはこのチームを創設期から支え続けてきた
和田「ARAKIさんをスタメンにするということは、Lemonを控えにするということです。名前だけを理由に、簡単に席を動かすわけにはいきません」
ARAKIにも、その理屈は分かった。
外から来た男が、名前だけで既存選手の席と声を奪う。それでまとまるほど、チームスポーツは単純ではない。
ARAKI「そこを無視すれば、チームは強くならない……」
和田「ええ。ですので、条件を付けましょう」
和田「先ほどtakaさんが求めた4つは、すべて特約として契約書へ加えます」
和田が挙げたのは――
スタメンの確約。
キャプテン就任。
試合中のコール権。
チーム方針への一定関与。
takaが求めた条件、そのすべてだった。
和田は指を3本立てた。
和田「ただし、ARAKIさんがこれらの立場と権限を得るに値する選手だと、今いる5人のうち、過半数にあたる3人が認めた場合にだけ有効です」
ARAKI「……覚悟は、できているんですね。私がその条件を全力で勝ち取りにいけば、今のチームが壊れる可能性もあります」
和田「それで壊れたら、それまで。選手には悪いが、それまでだったということです」
taka「3人に認めてもらえるの?」
ARAKI「分からない。だが、言葉で丸め込むのではなく、実力と行動で信頼を勝ち取るしかない。険しい道になるな」
和田「ええ。そこが肝要ですな」
和田は、先ほど差し出した契約書を自分の側へ引き戻した。
和田「では、この契約書は作り直しです」
taka「いまは契約しないってこと?」
和田「本日は、この場で署名をいただきません。先ほどの条件を特約として反映した案を作り直し、メールでお送りします」
ARAKIは一度頷いた。
ARAKI「分かりました。家族とも相談します」
和田「それがよろしいでしょう。これはARAKIさんだけでなく、ご家族の生活にも関わる話ですからな」
和田は契約書を封筒へ戻した。
和田「選手を補強する面談のはずが、チームのあり方まで変える話になりましたな」
ARAKI「和田さんが本気なら、私も本気になりましょう」
ARAKI「息子の言うとおり、どうせ広告塔になるなら、強いチームの広告塔でなければ意味がない」
和田「ええ」
和田が差し出した右手を、ARAKIは握り返した。
*
事務所を出ると、takaがARAKIを見上げた。
taka「パパ、ほんとにやる気なの?」
ARAKI「あれだけ暴れておいて、今さら何を聞いてるんだ」
taka「サッカーじゃないからさ。本当にチームを強くできるのかなって」
ARAKI「なんとかするさ。どうせやるなら優勝して、世界だ」
taka「うおー、燃えてきた!」
意気込んだのも束の間、ARAKIはふと現実に立ち返った。
ARAKI「だが、その前に……契約書案が届いたら、ママに見せて納得してもらうところからだな」
taka「そっちが先だったね」