西暦二〇九五年。
魔法は伝説でも、御伽噺でもなくなった。
体系化された技術として社会に組み込まれ、魔法師という存在そのものが国家の軍事力として扱われる時代。
だが――その世界にもなお、現代魔法の理論では説明できないものが存在する。
魔術。
英霊。
そして――聖杯。
その夜。
日本各地で、八つの『異物』が同時に脈動した。
◇
「――っ」
睦月綾人は、自室のベッドの上で目を開いた。
時刻は午前零時。
カーテンの隙間から差し込む月明かりだけが、暗い部屋を照らしている。
「…………始まったか」
驚きはなかった。
むしろ、いつか来ると知っていたものが、ついに来た。
そんな声だった。
綾人はベッドから降りる。
左胸の奥が熱い。
心臓ではない。
もっと別の何か。
魂に直結するような場所で、巨大な魔力の塊が鼓動していた。
――擬似聖杯。
綾人がこの世界へ転生した時から、体内に存在していた異物。
これまで何をしても沈黙を続けていたそれが、初めて明確に活動を開始している。
同時に右腕へ視線を向けた。
そこには二十四画。
複雑な紋様を描く令呪が刻まれている。
ただし普通の人間には見えない。
魔法師であっても同じだ。
これを視認できるのは、聖杯戦争に参加するマスターとサーヴァントのみ。
「二十四画……」
通常の聖杯戦争ならば、マスター一人につき三画。
だが綾人には、その八倍が与えられている。
理由は単純だった。
一人のマスターが契約するサーヴァントが、一騎ではないからだ。
――八騎。
「冗談みたいな戦争だな」
綾人は小さく息を吐く。
すると。
『――告げる』
声が響いた。
部屋ではない。
頭の中でもない。
魂そのものへ直接語りかける声。
『八つの器は満たされた』
『八人の異邦人よ』
『汝らは一人につき八騎の英霊を率い――』
『互いの聖杯を奪え』
綾人の表情から僅かな笑みが消える。
『最後の一人となり、八つの擬似聖杯を集めし時』
『それらは一つとなる』
『大聖杯は起動し――』
『勝者の願いを叶えるだろう』
そこで声は途切れた。
静寂。
綾人は数秒ほど動かなかった。
そして。
「……つまり」
窓の外を見る。
眠りについた街。
何も知らない人々。
明日になれば学生は学校へ向かい、会社員は仕事へ向かう。
いつも通りの日常が続く。
その裏側で。
八人の転生者と。
六十四騎ものサーヴァントによる戦争が始まる。
「俺以外に七人いるってことか」
それだけではない。
七人全員が自分と同じ転生者。
この世界の住人ではない者たちだ。
何を望むのか。
聖杯戦争を止めようとする者がいるのか。
願望機を求める者がいるのか。
あるいは――。
「最初から皆殺しにするつもりの奴もいるだろうな」
綾人は腕輪へ触れた。
普段から右腕に装着している銀色のブレスレット。
CAD兼魔術礼装。
――『玩具箱(トイ・ボックス)』。
綾人自身が錬金術を応用して作り上げた武装である。
両手剣。
双剣。
槍。
盾。
籠手と具足。
拳銃。
三又ヌンチャク。
大鎌。
弓。
九種類の武器へ変形し、腕輪状態では通常のCADとして機能する。
「……まあ」
綾人は制服ではなく、黒い上着を羽織った。
「考えるのは、全員呼んでからにするか」
◇
召喚場所として選んだのは、政府から極秘任務を受ける際にも利用している地下施設だった。
外部から魔力を感知されにくい。
中央には巨大な召喚陣。
綾人はその中心へ手を翳す。
聖杯から既に召喚に必要な知識は与えられていた。
触媒は必要ない。
今回の召喚において重要なのは、擬似聖杯そのもの。
八騎を現世へ繋ぎ止める膨大な魔力も、基本的にはこれが負担する。
「さて……」
綾人が魔力を流す。
「素に銀と鉄。礎に石と契約の大公」
「降り立つ風には壁を。四方の門は閉じ、王冠より出で、王国に至る三叉路は循環せよ」
「閉じよ(みたせ)。閉じよ(みたせ)。閉じよ(みたせ)。閉じよ(みたせ)。閉じよ(みたせ)」
「繰り返すつどに五度」
「ただ、満たされる刻を破却する」
召喚陣が輝いた。
「―――――Anfang(セット)」
「――――告げる」
「汝の身は我が下に、我が命運は汝の剣に」
「誓いを此処に」
「我は常世総ての善と成る者、我は常世総ての悪を敷く者」
「汝三大の言霊を纏う七天」
「抑止の輪より来たれ、天秤の守り手よ―――!」
空気が震える。
現代魔法とは根本的に違う神秘が、地下施設を満たしていく。
一騎目。
眩い光の中から、小柄な少女が姿を現した。
金色の髪に青と銀の甲冑をその身に纏った、紛う事なき剣士。
少女は静かに綾人を見つめる。
「――問おう」
凛とした声が響く。
「貴方が、私のマスターか」
綾人は少女を見つめ返した。
知らないはずがない。
「そうだ。俺がマスターの睦月綾人」
一拍置いて。
「よろしく、セイバー」
騎士王。
アルトリア・ペンドラゴン。
彼女は僅かに目を細めた。
「契約は成立しました。これより我が剣は貴方と共にあります、マスター」
一騎目。
――セイバー、召喚。
◇
続く二騎目。
召喚陣が金色に染まった瞬間。
綾人は嫌な予感がした。
いや。
正確には――ものすごく面倒な予感がした。
「ほう?」
黄金の王が姿を現す。
圧倒的な存在感。
傲岸不遜。
人類最古の英雄王。
ギルガメッシュは腕を組み、目の前の少年を見下ろした。
「我を呼び出した不遜なる雑種は貴様か」
「…………」
「何だ。その目は」
綾人は少し考えてから答えた。
「いや」
そして。
「よろしくお願いします、王様」
沈黙。
アルトリアが綾人を見る。
ギルガメッシュの眉が動いた。
「――王様、だと?」
「真名で呼ぶのは烏滸がましいし、英雄王って毎回呼ぶのも長いから」
「貴様……」
黄金の王が目を細める。
だが怒りではない。
むしろ――。
「クク」
笑った。
「ハハハハハ!よい!雑種の分際で我にそのような呼び名を付けるか!」
どうやら気に入ったらしい。
アルトリアが小さく息を吐いた。
「マスター。彼を増長させないことを推奨します」
「最初から最大まで増長してない?」
「聞こえているぞ、雑種」
二騎目。
――アーチャー、ギルガメッシュ。
◇
三騎目。
炎のような輝き。
黄金の鎧を纏った白髪の青年が静かに目を開く。
「ランサー、カルナ」
太陽神の子。
その立ち姿だけで、綾人は理解した。
――強い。
技量だけの話ではない。
英霊としての格そのものが桁違いだった。
英霊としての格で言えばギルガメッシュに引けを取らない程だ。
「召喚に応じ参上した。お前が俺のマスターで間違いないようだ」
「ああ。よろしく、カルナ」
「承知した。お前が正しい道を歩む限り、俺の槍はお前の敵を貫くだろう」
少し間が空く。
「ただし、お前には若干問題があるように見える」
「え?初対面で?」
「事実を述べただけだ」
綾人は額を押さえた。
アルトリアが静かに告げる。
「悪意はないのでしょう」
「分かってる。それが一番困る」
カルナは首を傾げていた。
◇
四騎目。
「よっと!」
軽快な声。
逆立った緑色の髪を持つ青年が現れる。
「ライダー、アキレウス! 召喚に応じて参上ってな!」
大英雄アキレウス。
彼は綾人を上から下まで観察した。
「へぇ」
「何?」
「結構鍛えてんな、マスター」
「趣味と、仕事の都合上で」
「いいねえ」
ニヤリと笑う。
「暇があったら俺が鍛えてやるよ。パンクラチオンって知ってるか?」
綾人の目が僅かに輝いた。
「是非お願い」
「即答かよ!」
アキレウスが笑った。
「気に入ったぜ、マスター!」
◇
五騎目。
召喚陣から現れた女性は、綾人を見るなり目を輝かせた。
「キャスター、玉藻の前!」
そして両手を合わせる。
「貴方の良妻狐、ここに華麗に参上でございます♡」
「……良妻?」
「はい♡」
「誰の?」
「ご主人様の」
玉藻は綾人を指差した。
「俺?」
「もちろん!」
後方。
アルトリアが無言になった。
ギルガメッシュは愉快そうに笑っている。
カルナは特に気にしていない。
アキレウスは完全に面白がっていた。
綾人だけが状況についていけない。
「俺、結婚した記憶ないけど」
「細かいことは気にしてはいけません!」
「結婚って細かいことなのか……?」
◇
六騎目。
今までとは空気が変わった。
闇が召喚陣を覆う。
髑髏の仮面。
黒衣。
巨大な右腕。
「――アサシン」
静かな声だった。
「ハサン・サッバーハ」
暗殺者は深く頭を下げる。
「呪腕のハサン。御身の影として働きましょう」
綾人も軽く頭を下げた。
「よろしく、呪腕さん」
その対応に、仮面の奥の気配が僅かに揺れる。
「……我らのような者にも礼を返されますか」
「契約するなら仲間だろ」
短い沈黙。
「――承知」
アサシンは再び頭を下げた。
「ならば、この呪腕。存分にお使いくだされ」
◇
七騎目。
召喚直後。
綾人は抱き締められた。
「…………ん?」
「まあ……!」
豊かな黒髪を持つ女性。
源頼光は感極まったように綾人を抱き締めている。
「こんなに立派な息子に巡り会えるなんて……母は嬉しいです」
「待って」
「はい?」
「貴女、俺の母親ではないよね?」
頼光は微笑んだ。
「何を仰っているのです?」
綾人は助けを求めて周囲を見る。
アルトリアは視線を逸らした。
カルナは沈黙。
ハサンは完全に気配を消した。
アキレウスは腹を抱えて笑っている。
玉藻だけが。
「ちょ――――っと待ってください!」
猛烈な勢いで割って入った。
「母!? 母ですか!? ご主人様の!?」
「ええ」
「私は良妻です!」
「あら」
頼光が微笑む。
「では家族ですね」
「そういう意味ではありません!」
「凄い。召喚して数分で家族になったんだけど」
「下らん」
ギルガメッシュが完全に観客になっていた。
「王様、見てないで助けて」
「断る。実に愉快だ」
「そうですか」
◇
そして。
八騎目。
召喚陣へ魔力を流した瞬間。
綾人の表情が変わった。
今までと違う。
胸の奥――擬似聖杯が強く反応している。
光が満ちる。
その中心から。
細い脚が見えた。
次いで、美しい少女の姿。
紫色の髪。
鋭い眼差し。
あまりに鋭利で機械的な脚部。
少女はゆっくり目を開いた。
そして。
綾人を見た。
「…………」
「…………」
何故か長い沈黙。
「アルターエゴ」
少女が告げる。
「メルトリリス」
綾人は微笑んだ。
「うん。よろしく、メルト」
その瞬間。
彼女の眉がぴくりと動いた。
「……いきなり馴れ馴れしいわね、貴方」
「ああ、ごめん。嫌だった?メルトリリスの方が良い?それともアルターエゴ?」
「別に」
即答だった。
「そう」
「……何よ、その顔」
「いや。嫌われてなくて良かったと思って」
「はぁ!?」
メルトリリスの顔が僅かに赤くなる。
「誰がそんなこと言ったのよ! 勘違いしないでくれる!?」
「嫌じゃないって」
「それとこれとは話が別!」
「難しいな……」
本気で悩み始めた綾人を見て。
メルトリリスは額を押さえた。
「……先が思いやられるわ」
しかし。
その口元にはほんの僅かに笑みが浮かんでいた。
◇
こうして。
セイバー――アルトリア・ペンドラゴン。
アーチャー――ギルガメッシュ。
ランサー――カルナ。
ライダー――アキレウス。
キャスター――玉藻前。
アサシン――呪腕のハサン。
バーサーカー――源頼光。
アルターエゴ――メルトリリス。
八騎の英霊が一人の少年のもとへ集った。
「さて」
綾人は八騎を見渡す。
冗談を言っている場合ではない。
ここから先は戦争だ。
「まず、俺の方針を話しておく」
全員の視線が集まった。
「俺は大聖杯に叶えてほしい願いはない」
ギルガメッシュが片眉を上げる。
メルトも黙って綾人を見る。
「だから積極的に他のマスターを殺して、擬似聖杯を奪うつもりもない」
「ならば、この戦争から降りるのですか?」
アルトリアが尋ねる。
「それも無理だと思う」
綾人は腕を組んだ。
「俺たちが戦わなくても、他の七陣営が同じ考えとは限らない。何より六十四騎ものサーヴァントが現代社会で戦えば、一般人を完全に巻き込まずに済ませるのは不可能に近い」
魔法師同士の戦闘ですら、現代社会では重大事件となる。
まして英霊だ。
対軍。
対城。
そして、それを超える規模の宝具すら存在する。
そんなものが市街地で解放されればどうなるか。
考えるまでもない。
「だから情報を集める」
綾人は続ける。
「他の七人が何者なのか。何を望んでいるのか。話し合える相手なのか。それを見極める」
「話が通じなければ?」
メルトリリスが尋ねた。
綾人の声は変わらなかった。
「止める」
「殺してでも?」
「必要なら」
その言葉に迷いはなかった。
だが。
「ただし、それを最初の選択肢にはしない」
メルトは綾人を見つめた。
やがて、小さく笑う。
「……甘いわね」
「そうかもしれない」
「でも」
メルトリリスは足を組む。
「ひとまずは、貴方の方針に従うわ」
「ありがとう、メルト」
「…………」
メルトの表情が固まる。
玉藻が察したようにニヤニヤしていた。
「ご主人様?」
「何?」
「いえいえ。罪な御方ですねぇ、と」
「?ごめん、不快な事言ったのかな」
「無自覚ですか」
アルトリアが呟いた。
頼光は嬉しそうに微笑んでいる。
アキレウスが綾人の肩を叩いた。
「お前、戦争より先にそっちで刺されるんじゃねえか?」
「え?奇襲されるって事か?一応気配探知の結界張ってるけど」
「……マジか」
アキレウスは天井を見上げた。
◇
同時刻。
東京某所。
別の召喚陣が光を放っていた。
一人の少女が立っている。
彼女の右腕にも二十四画の令呪。
そして。
体内には擬似聖杯。
「――成功」
少女は呟いた。
その正面。
八つの影が立っている。
その中の一つ。
長い緑髪を揺らす一人の英霊が、静かに目を開いた。
その瞬間だった。
◇
「――ッ!」
綾人家の地下室にて、それまで退屈そうにしていたギルガメッシュが立ち上がった。
綾人が振り返る。
「王様?」
声を掛けるもギルガメッシュから返事がない。彼は遥か遠くを見るように目を細めている。
そして。ギルガメッシュの口元が吊り上がった。
その表情は、まさに歓喜。
それまで聖杯戦争そのものにほとんど興味を示していなかった英雄王から、初めて明確な戦意が溢れ出す。
「……そうか」
「何か分かった?」
ギルガメッシュは答えなかった。
ただ。
笑った。
心底楽しそうに。
「ハ――」
黄金の王が天を仰ぐ。
「ハハハハハハハハハ!」
凄まじい笑い声が地下室へ響き渡った。
アルトリアが露骨に眉を寄せる。
「突然何なのです、貴方は」
「決まっていよう!」
英雄王の紅い瞳が輝く。
「いるぞ」
綾人が目を細めた。
「誰が?」
ギルガメッシュは獰猛に笑った。
「我が友だ」
沈黙。
綾人は意味を理解した。
「は?…………エルキドゥ?」
「然り!」
ギルガメッシュは先程までのやる気の無さが嘘の様な態度で肯定する。
「このつまらぬ児戯、多少は興が乗った!」
召喚直後まで。
聖杯などどうでもいい。
戦争など勝手にやれ。
そんな態度だった英雄王が完全に変わった。
「喜べ、綾人!」
初めて、ギルガメッシュが彼を『雑種』ではなく名前で呼んだ。
「この聖杯戦争――」
英雄王は宣言する。
「この我が全力で勝ちを戴く!」
綾人は数秒黙った。
それから苦笑する。
「王様」
「何だ?」
「さっきまで一番やる気なかったよね」
「些事だ!」
「凄い手のひら返しだな……」
アキレウスが笑う。
「いいじゃねえか! やる気がある方が!」
カルナは静かに目を閉じる。
アルトリアは剣の柄へ手を添えた。
玉藻は綾人の隣へ。
呪腕のハサンは影へ溶ける。
頼光は柔らかな笑みの奥に戦意を宿す。
そしてメルトリリスは。
綾人のすぐ隣に立った。
「で?」
「ん?」
「貴方はどうするのよ、綾人」
八騎の視線が集まる。
綾人は右腕を見る。
二十四画の令呪。
胸の奥で脈打つ擬似聖杯。
そして。
この世界のどこかに存在する、残る七人の転生者。
合計六十四騎の英霊。
これほど巨大な神秘が動けば、十師族も、日本政府も、軍も――。
いずれ異変に気づく。
魔法社会そのものが巻き込まれるのは時間の問題だ。
「決まってる」
綾人は顔を上げた。
「まずは明日」
「明日?」
「高校の入学式なんだよ」
沈黙。
「…………」
「…………」
「…………」
英霊たちが一斉に黙った。
アキレウスが最初に口を開いた。
「お前」
「何?」
「この状況で学校行くのか?」
「明日から高校生だからな」
「六十四騎の英霊が現界した翌日に!?」
「流石に入学式サボる訳にはいかないでしょ」
メルトリリスが盛大にため息をついた。
「……大物なのか馬鹿なのか分からなくなってきたわ」
「酷くない?」
◾️◾️◾️◾️
そして同じ頃。
七人の転生者もまた、それぞれの八騎を召喚していた。
戦争を終わらせるために戦う者。
願いを叶えるためなら手段を選ばない者。
ただ強者との戦いを求める者。
己の陣営だけで自由に生きようとする者。
――そして。
「見つけた」
暗闇の中。
二十四画の令呪を持つ何者かが笑った。
その傍らには八騎の英霊。
「最初に狙うのは――睦月綾人」
八つの擬似聖杯。
八人の転生者。
六十四騎の英霊。
後に魔法社会史上最大級の秘匿事件として記録される戦い。
――『極東大聖杯戦争』。
その幕は。
静かに上がった。
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