評価もつけてくれると幸いです。
夕暮れに染まった住宅街の一角で、睦月綾人は目の前に立つ男――第四陣営のアーチャー、ケイローンから視線を逸らさないまま、念話の回線を一人のサーヴァントへと繋いだ。
綾人はアキレウスに念話する。
(アキレウス、今こっちに来れる?)
『どうしたマスター。敵か?』
アキレウスの返答は早かった。
いつもの快活さは残っているものの、その声には一瞬で戦闘へ移行できる鋭さが混じっている。綾人がわざわざ念話で呼び出す以上、何かが起きたと判断したのだろう。
綾人は目の前のケイローンを見ながら、ほんの少しだけ口元を緩めた。
(第四陣営のアーチャーが目の前にいる。しかも、ケイローン)
『…………』
念話の向こうが静まり返った。
(アキレウス?)
『……今、何て言った?』
(ケイローン。第四陣営のアーチャーがケイローンだった)
再び沈黙。
その間にもケイローンは穏やかな表情で綾人を見ている。こちらが念話を使っていることくらい当然察しているだろうが、それを妨害する素振りはない。むしろ誰かを呼んでいることまで理解した上で、待っているようにすら見えた。
やがて念話の向こうから、先ほどまでとは明らかに違う声が返ってきた。
『マスター』
(うん)
『その場を動くな』
(え?)
『今すぐそっちに行く』
念話が切れた。綾人は瞬きをした。
「……なんか凄い勢いで来そうだな」
「どなたかをお呼びになったのですか?」
ケイローンが尋ねる。
「まあ、一人」
「なるほど」
「多分、ケイローン先生も知ってる人」
その瞬間だった。
ケイローンの目が僅かに細くなったのを見て綾人は思わず苦笑する。
「やっぱり『先生』って呼ばれても普通に反応するんだ」
「生前から長くそう呼ばれていましたから。違和感はありません」
「じゃあ俺もケイローン先生で良いかな?」
「ええ。構いませんよ」
あまりにも自然に許可された。そのやり取りを少し離れた位置から警戒している呪腕のハサンは、気配遮断を維持しながらも困惑していた。
『主殿』
(何、呪腕さん)
『随分と早く打ち解けておられるように見受けられますが』
(話しやすい相手だからかな)
『第四陣営のサーヴァントであることをお忘れなきよう』
(分かってる。ありがとう)
綾人とて警戒を解いたわけではない。
ケイローンは神話に名を残す英雄であり、何より数多くの英雄を育てた大賢者だ。弓兵として一流なのはもちろん、格闘技術、戦術、医術、天文学など極めて広範な知識を持つ。
敵に回せば間違いなく厄介な相手。むしろ単純な戦闘力以上に、その知性こそ警戒すべき存在だと綾人は考えていた。
しかし同時に、ケイローンという英雄の人格も伝承からある程度は知っている。少なくとも話し合いを求めて現れた相手へ、こちらからいきなり攻撃する理由はなかった。
「それでケイローン先生」
「はい」
「今日は俺と戦いに来たわけじゃないんだよな?」
「勿論です。戦闘を望むのであれば、昨日の時点で仕掛けていました」
「まあ、それもそうか」
「私の目的は対話です」
ケイローンは率直に告げた。
「昨日、貴方と第二陣営のマスターが接触している場面を確認しました。勿論、会話の内容までは聞き取れていませんが、少なくとも敵対的な接触ではなかった」
「そこまで見てたのか」
「斥候として派遣されていましたので」
悪びれる様子はない。綾人としても、聖杯戦争の最中に他陣営を偵察すること自体を責めるつもりはなかった。自分だって必要なら呪腕へ同じような指示を出す。
「それで、
「概ねその認識で正しいです」
ケイローンは頷く。
「もっとも、昨日の時点である程度の判断はできました」
「俺、何かしたっけ?」
「何もしなかったことが重要なのです」
「……ああ」
綾人にも意味が分かった。
「先生を追わなかったこと?」
「はい」
ケイローンは僅かに笑みを浮かべる。
「此方の存在を察知しながら追跡しなかった。追えば罠である可能性がある。追跡する為にサーヴァントを動かせば、自陣営の戦力や能力を晒す可能性もある。さらに第二陣営のマスターが同席している状況では、彼女の安全も考慮する必要がある」
綾人は思わず眉を上げた。ほぼ正解だった。
「……全部読まれてる」
「推測ですよ」
「その推測が当たってるんだよなあ」
やはり厄介だ。力だけではない。此方の行動から思考を逆算してくる。
ルールの違う戦いならば、正面から強敵と戦うより、こういう相手の方が面倒なこともある。
だが、不思議と嫌な感じはしなかった。
分析されていることは分かるのに、自分を値踏みするような不快さがない。教師が生徒の考え方を知ろうとしているような、妙な柔らかさがあるのだ。
その時だった。ケイローンが不意に空を見上げた。
「どうやら、来ましたね」
「え?」
次の瞬間、綾人も感じた。凄まじい速度でこちらへ近づいてくる魔力反応。
速い。説明するまでもない。第一陣営で、この速度を出せる者など一人しかいない。
「ちょ、アキレウス! 住宅街だから!」
叫んだ直後、道の向こうから突風が吹き抜けた。もっとも、直前で速度は大きく落とされていた。さすがに一般人の前へ超音速で突っ込んでくるほどアキレウスも無茶ではない。
霊体化を利用して人目を避けながら接近し、綾人たちの近くで実体化する。
逆立った緑色の髪。逞しい身体。ギリシャ神話最大級の英雄の一人。
第一陣営のライダー『アキレウス』。
「マスター!」
現れるなり綾人を見る。
「無事か!?」
「うん。普通に話してるだけ」
「そうか。なら良い」
そこで漸く、アキレウスの視線が綾人の向こうへ向かった。
そして、止まった。ケイローンもまた、何も言わずアキレウスを見ていた。
ほんの数秒。しかし綾人には、それが随分長く感じられた。
アキレウスの表情から、いつもの豪快な笑みが消えている。
驚き、懐かしさ、嬉しさ。それだけではない。遠い過去へ置いてきたはずのものが突然目の前へ現れた時、人はどんな顔をすればいいのか分からなくなる。
英霊となった英雄であっても、それは変わらないらしい。
「……先生」
小さくアキレウスが呼んだ。それを聞いたケイローンの表情が柔らかくなる。
「久しぶりですね、アキレウス」
その一言だけだった。だが、それで十分だった。
アキレウスの口元が徐々に持ち上がる。
「……はっ」
一度俯き。そして顔を上げた時には、いつもの豪快な笑みが戻っていた。
「本当に先生じゃねえか!」
「ええ。本物ですよ」
「マジかよ! まさかこんなところで会えるとはな!」
先ほどまでの緊張感が嘘のようだった。アキレウスは大股でケイローンへ近づく。呪腕が一瞬だけ動こうとしたが、綾人が視線で制した。
敵意はない。寧ろ今ここへ割って入る方が野暮だ。
「お元気そうですね」
「サーヴァントに元気そうってのも変な話じゃねえか?」
「では、相変わらず騒がしいですね」
「会って早々それかよ!」
綾人は思わず笑いそうになった。想像していたよりずっと普通の師弟だった。
神話に名を残す大英雄と大賢者。そう聞けば、もっと荘厳な再会を想像する。
しかし実際には、久しぶりに会った恩師と教え子そのものだ。アキレウスがケイローンの肩へ手を置こうとして、途中で止めた。
ほんの僅かな躊躇をケイローンは気づいた。
「どうしました?」
「いや」
アキレウスは笑う。
「本当に先生なんだなって思っただけだ」
その声音だけが少し違った。英霊となれば、生前に失った者と再会することもある。
敵だった者と共に戦うこともある。それでも、記憶が消えるわけではない。
幼い頃。ペーレウスによってケイローンへ預けられ、英雄として必要なあらゆるものを教わった日々。
走り方。戦い方。狩り。そして何より、英雄としてどう生きるべきか。アキレウスという英雄の根底には、確かにこの師から受け取ったものがある。
「アキレウス」
「ん?」
「貴方も変わっていない様で安心しました」
「そりゃ褒めてんのか?」
「半分程は」
「残り半分は!?」
「成長してほしい部分まで変わっていない、という意味です」
「先生!」
「ははっ……」
綾人は耐えきれず吹き出した。
「マスター! 笑うところじゃねえ!」
「いや、ごめん。でもアキレウスにも苦手な相手いるんだなって」
「苦手じゃねえ!先生なんだよ!」
「それを世間では苦手って言う場合もあると思うよ」
「言わねえよ!」
ケイローンも僅かに笑っていた。しかし、その視線がやがて綾人へ向かう。
「なるほど」
「……何です?」
「昨日、貴方が私の真名を聞いた際、最初にアキレウスの名を出した理由が分かりました」
「あ」
綾人の顔から笑みが消えた。
アキレウスも止まる。
「…………」
「…………」
師弟が同時に綾人を見る。
「……やらかしたな、俺」
『主殿』
姿を消したまま呪腕の声が聞こえる。
『僭越ながら、少々』
「呪腕さんまで」
ケイローンは穏やかに続ける。
「昨日の段階では確証がありませんでした。しかし今、アキレウス本人が貴方を『マスター』と呼んだ」
綾人は額へ手を当てた。
「完全にバレた……」
「悪い、マスター」
「いや、俺も昨日名前出したから同罪だよ」
アキレウスが腕を組む。
「まあ先生ならいいだろ」
「良くないよ。第四陣営だぞ」
「でも先生だぜ?」
「その信頼何処から来るの?」
「俺の先生だからな!」
即答するアキレウスに綾人は言葉を失う。
理屈になっていない。だがアキレウスにとっては、それ以上の理由など必要ないのだろう。
ケイローンも困ったように微笑んだ。
「アキレウス。マスターの方が正しいですよ」
「先生まで!?」
「現在の私は第四陣営、あなたは第一陣営です。互いのマスターの目的次第では敵になる可能性もある」
アキレウスの表情が変わる。
「……先生と戦うのか」
「必要であれば」
迷いのない返答。アキレウスは少し黙った。寂しさがないわけではない。再会できた師と殺し合いたいはずがない。
だが同時に、それを理由に戦いから逃げればケイローンが喜ばないことも知っている。
「まあ、そん時は」
アキレウスは笑った。
「今度こそ勝つけどな」
ケイローンも笑う。
「その意気です」
二人の間に、一瞬だけ戦士の空気が流れた。
殺意ではない。純粋な競争心。師を超えたい弟子。弟子の成長を確かめたい師。
綾人はその関係を少し羨ましいと思った。自分にも多くの師がいる。
剣ならアルトリア。格闘ならアキレウスからパンクラチオンも教わっている。だが、この二人の間に積み重なった年月は、そんな短期間のものではない。
「そういえば」
ケイローンが綾人を見る。
「アキレウスが貴方をマスターと呼ぶということは、当然貴方も彼から何か学んでいるのですか?」
嫌な予感がした。
「まあ……多少は」
「パンクラチオン教えてるぜ」
アキレウスがあっさり暴露した。
「アキレウス」
「何だ?」
「何で言うの?」
「別に隠すことじゃねえだろ?」
ケイローンの目が変わった。ほんの僅かだったが、綾人には分かった。昨日から自分へ向けられていた、あの教師特有の興味が明らかに強くなった。
「ほう」
「……先生?」
「アキレウスからパンクラチオンを」
「いや、本当に基礎とか応用とか、色々教えて貰ってるくらいで」
「マスターは覚えが早いぜ。身体の使い方も元々かなり出来てるしな」
「アキレウス?」
綾人は余計な情報を追加を止めようとするも、本人は何が問題なのか理解していない。
「それは興味深い」
ケイローンが一歩近づいた。綾人が反射的に半歩下がる。
敵意はない。なのに妙な圧がある。
「昨日から思っていました。貴方の立ち方には複数の武術体系の影響がある」
「立ってるだけでそこまで分かるんですか?」
「ええ。ある程度は」
流石は英雄を育てた教師。観察眼がおかしい。
「重心の置き方は常に変化へ対応できるようにしている。利き腕への依存も少ない。武器を携帯していない状態でも、無意識に複数の間合いを意識している」
綾人の表情が引きつる。
「ケイローン先生」
「はい」
「もしかして昨日、俺じゃなくて俺の身体の使い方まで観察してた?」
「はい。勿論です」
「怖いな、この人」
アキレウスが豪快に笑う。
「諦めろマスター。先生はそういう人だぜ」
「経験者は語る、って奴かな?」
「俺もガキの頃は散々見られたからな」
「アキレウス」
ケイローンが呼ぶ。
「何だ、先生」
「貴方は彼へどの程度まで教えました?」
「基本から実戦向けまで一通り。まだ全部じゃねえけどな」
「なるほど」
ケイローンはそれを聞いて頷く。そして再び綾人へ視線を向ける。
「綾人」
初めて、ケイローンが名前だけで呼んだ。
「はい?」
「少し構えてみてください」
「……何で?」
「確認したくなりました」
「何をですか?」
「アキレウスがどの程度正しく教えているのかを」
沈黙。
「先生!?」
一番反応したのはアキレウスだった。
「俺の指導力を疑ってんのか!?」
「教師として確認するだけですよ」
「俺だってちゃんと教えてるぞ!」
「ならば問題ないでしょう」
「いやそうだけどよ!」
綾人は思わず額を押さえた。
何かがおかしい。第四陣営との緊張感ある交渉になると思っていた。それがどうして、いつの間にか師弟の授業参観になりかけているのか。
『主殿』
呪腕から念話が届く。
(何?)
『どうやら、戦闘の危険性は低下したようにございます』
(うん)
『代わりに別の危険が生じたようにも思われますが』
(奇遇だね。俺もそう思ってる)
ケイローンは笑顔で待っている。アキレウスは何故か燃えている。
「マスター!」
「何」
「やってやれ!」
「何をだよ」
「先生に俺の教え方が間違ってねえって見せてくれ!」
「目的変わってないかな」
綾人は小さく息を吐いた。だが悪い気はしない。寧ろケイローンから直接指導を受けられる機会など、普通ならあり得ない。
それに、この接触そのものが第四陣営を知る絶好の機会でもある。
「……分かった」
綾人は観念する。
「ただし、此処じゃやらない。住宅街で英雄二人が武術指導始めたら、監督役から怒られる」
「もっともです」
「じゃあ場所移すか!」
アキレウスが楽しそうに言った。
「何でアキレウスが一番楽しそうなのさ」
「そりゃ先生に久しぶりに会ったからな!」
その言葉を聞いた瞬間、綾人は何も言えなくなった。
アキレウスは本当に嬉しいのだ。英霊となり、異なる時代へ召喚され、さらに八陣営六十四騎という異常な聖杯戦争へ放り込まれた。
その中で、かつて自分を育ててくれた師と再会した。嬉しくないはずがない。
「……そっか」
綾人は笑った。
「じゃあ今日は付き合うよ」
「おう!」
ケイローンはそんな二人を静かに見つめていた。
そして、自分の教え子がマスターへ向ける表情を観察する。
命令に従っているだけではない。信頼。親愛。そして、自分が知るアキレウスらしい自然な笑顔。
少なくとも強制的な主従関係ではない。
(良いマスターに出会ったようですね、アキレウス)
胸中でそう呟く。同時に、教師としての興味も抑えられなくなっていた。
アキレウスがここまで評価する少年。昨日見せた冷静な判断と戦闘を経験した者特有の立ち振る舞い。複数の武術を統合しているらしい身体操作。
そして、何より。強さを持ちながら、必要のない戦いを避けようとする姿勢。
少し、自分も彼に教えてみたい。
それは第四陣営のアーチャーとしての合理的判断とは別の、ケイローン自身の性分だった。優れた素質を持つ若者を見つければ、伸ばしたくなる。
生前から変わらない。もはや本能に近い。
「ケイローン先生?」
綾人が怪訝そうに見る。
「どうしました?」
「いや……なんか今、俺を見ながら妙なこと考えてませんでした?」
ケイローンは微笑む。
「気のせいでしょう」
「うわー、絶対嘘だ」
「マスター」
アキレウスが綾人の肩を叩く。
「諦めろ」
「何を?」
「お前さん。先生に気に入られたぜ」
「……それってどうなるの?」
アキレウスは遠い目をした。
「メチャクチャ鍛えられる」
「どのくらい?」
「死なねえ程度に」
「帰って良い?」
「駄目だ」
「即答かぁ」
笑い声が夕暮れの道へ響く。
第一陣営と第四陣営。本来ならば聖杯を巡る競争相手。いずれ敵として戦場で向き合う可能性もある。その事実は何一つ変わっていない。
けれど、その日。
ギリシャの大英雄アキレウスは、かつて自分を育ててくれた師と再会した。大賢者ケイローンは、成長した弟子と、その弟子が信頼する新たな若者に出会った。
そして睦月綾人は――。
「主殿」
移動を始めた綾人の横へ、霊体化した呪腕の声が届く。
「ん?」
「くれぐれもお気をつけください」
「ケイローン先生との訓練?」
「いえ」
僅かな間。
「アキレウス殿とケイローン殿が揃った場合、主殿が逃げようとなされた際、逃げ切れる可能性は極めて低いかと」
綾人の足が止まった。前方ではアキレウスとケイローンが何やら訓練内容について話している。
片や神話最速を誇る大英雄。片やその大英雄を育てた師。
「……呪腕さん」
「は」
「助けてくれる?」
「主殿の生命に危険が及ぶのであれば、無論」
「訓練から逃げたい場合は?」
「健闘をお祈り致します」
「呪腕さん?」
返事はなかった。完全に気配を消したらしい。
「逃げたな」
「どうしたマスター」
前を歩くアキレウスが振り返る。
「何でもないよ」
そう答えながら、綾人は深い溜息を吐いた。
聖杯戦争。監督役の謎。第三陣営の百貌のハサン。
そして第四陣営。
警戒すべき問題は幾らでもある。それなのに今一番身近に迫っている危機が、ギリシャ神話屈指の大賢者による特別授業だというのだから、人生とは分からないものだった。
一方、その少し後ろを歩くケイローンは、静かに微笑んでいた。
再会した弟子。弟子が認める少年。そして互いに異なる陣営という立場。
この関係が今後どう変化するかは、まだ誰にも分からない。
ただ一つ確かな事があるとすれば。大賢者ケイローンの教師としての好奇心に、一度火がついてしまったということだった。
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