騒ぎの中心へ近づくにつれて、綾人の耳には怒声と金属がぶつかり合うような鋭い音がはっきりと届くようになった。
単なる部活動勧誘の揉め事ではない。
それは隣を走る摩利も察したらしく、先ほどまでの気安い表情は消え、風紀委員長としての鋭い眼差しが前方へ向けられている。別方向から駆けてきた達也もほぼ同時に合流し、三人は人垣を抜けるように騒ぎの中心へ踏み込んだ。
「何があった!」
摩利の声が響く。
その先にいたのは、剣道部と剣術部の生徒たちだった。既に両者の間には明確な敵意が走っている。
各々が竹刀を構え、睨み合う剣道部と剣術部。そして、その中心で向かい合っている二人の生徒。
剣道部の壬生紗耶香と剣術部の桐原武明。綾人は二人を見た瞬間、ただの口論では終わらないと悟った。
壬生と桐原の間に張り詰めた空気が、一気に弾けたからだ。
「――っ!」
壬生が踏み込み、桐原も迎え撃つ。互いの得物が激しくぶつかり、乾いた音が響いた。
「止めろ!」
摩利が静止する。だが周囲の興奮は既に限界を越えていた。中心となる二人の衝突に引きずられるように、剣道部と剣術部の部員たちまで動き出す。
「やめろって言ってるだろ!」
「先に仕掛けたのはそっちだ!」
「ふざけるな!」
一人が前へ出れば、もう一人が応じる。一人が武器を構えれば、その隣も構える。集団同士の対立は、個人の理性を簡単に飲み込んでいく。
「まずいな」
綾人の声が低くなり、摩利も即座に判断した。
「司波、睦月!暴走している部員を止めろ!怪我は極力させるな!」
「了解」
「分かりました」
達也と綾人が同時に動いた。
その直後だった。剣術部の一人がCADを操作する姿を視界に捉えた綾人の瞳が鋭くなる。
――魔法まで使う気か。
校内の部活動勧誘。しかも周囲には大勢の生徒がいる。その状況で攻撃魔法を使えば、もはや部活同士の喧嘩では済まない。
だが、魔法式が完成するより早く、達也が動いた。
剣術部員の魔法が発動しかけた、その瞬間。構築されつつあった魔法式が崩壊する。
「なっ――!?」
術者本人が目を見開いた。
発動するはずだった魔法が消えた。原因が分からない。
達也は表情を変えない。
「魔法の使用は止めてください」
静かな警告する達也。しかし興奮した部員は聞かなかった。
「二科生が!」
再びCADへ手を伸ばす。また魔法式が構築される。
そして再び消える。
「何で……!?」
一度なら操作ミス。二度なら異常。三度目を試そうとしたところで、達也は一気に距離を詰めた。
相手の手首を制御し、体勢を崩す。無駄な力は使わない。必要最小限。そのまま相手を床へ押さえ込む。
「魔法を使わなければ、これ以上はしません」
「くっ……!」
その間にも別の剣術部員が魔法を発動しようとする。だが、やはり発動しない。達也は相手が魔法を完成させるより先に、その魔法式を正確に捉えて無効化している。
周囲から見れば異様だった。さ
CADは正常。起動式も展開されている。本人も失敗した様子はない。それなのに魔法だけが完成しない。
「達也君………」
摩利が達也を見る。
以前から普通の一年生ではないと理解していた。模擬戦で服部を一瞬で倒した時にも、その異質さは感じている。だが実戦に近い混乱の中では、それがより鮮明になる。
あまりに冷静すぎる。敵意を向けられても焦らない。複数の人間が同時に魔法を使おうとしているにもかかわらず、一つ一つを正確に処理している。
そして、もう一人。
「危ない!」
誰かが叫ぶ。剣術部員が訓練用の剣を振り上げていた。狙われたのは、仲間を庇おうと前へ出た剣道部員が竹刀を構える。
だが、その間へ一人の少年が滑り込んだ。綾人だった。
「なっ!?」
振り下ろされる剣を綾人は避ける。大きくではなくほんの僅かに肩を引き、身体を半身へ変えるだけで剣筋から外れる。
以前の綾人なら、此処からいくつかの選択肢を瞬間的に比較していた。
腕を取る。懐へ入る。足を払う。肘を制する。あるいは相手の勢いを利用して投げる。どれも正解になり得る。そして、綾人にはどれも実行できるだけの技量がある。
『選択肢が多いことと、最適な選択ができることは別です』
だが、ケイローンの言葉が綾人の脳裏を過ぎった。
考えるな。正確には考えてから選ぶな。状況と動作を繋げる。
相手の肩。肘。腰。踏み込んだ右脚。剣の軌道。視線。それらを認識した瞬間には、綾人の身体は動いていた。
剣を避けると同時に踏み込む。相手の腕へ軽く触れる。
掴まず軌道だけを変える。そのまま肩へ身体を寄せ、相手の重心が前へ流れた瞬間に足を入れる。
「え――」
剣術部員の身体が浮いた。次の瞬間には地面へ倒れている。強く叩きつけてはいない。受け身を取れる角度。だが起き上がろうとした時には、既に綾人が手首を押さえていた。
「そこまでです」
声は静かだった。
「これ以上やるなら、本当に怪我しますよ」
剣術部員が息を呑む。何をされたのか理解できていない。内心、綾人自身も僅かに驚いていた。
(――今のは)
速くなったわけではない。力が増したわけでもない。魔法も使っていない。なのに以前より明らかに動きが滑らかだった。
迷いが無い。一つの動作が次の動作へ自然に繋がっている。
ケイローンが指摘していたのはこう言う事だと綾人は理解する。
「睦月!」
摩利の声に意識を切り替える。考えるのは後だ。
綾人は即座に立ち上がった。別の剣術部員が二人、剣道部側へ向かっている。
綾人は走る。一人目が横薙ぎに剣を振るう。
身体を沈めて回避し、懐へ入る。そして掌で胸元へ触れ、相手の前進する勢いを僅かに横へ逸らす。
足を掛けて倒す。
二人目が背後から迫るも、振り返らない。
足音。気配。風を感じ取り、身体を半歩ずらす。剣が綾人の脇を通過する。そこで初めて振り向き、手首を押さえた。
肘の可動方向へ沿って制御。力任せに逆らえば関節へ負担が掛かるため、相手は反射的に身体を動かさざるを得ない。
そのまま相手は姿勢を崩す。
「くっ!」
倒れかけた相手の襟を掴み、そして支える。地面へ叩きつけずにゆっくり下ろす。
「一人」
綾人が呟く。
「てめえ!」
更に1人が拳を振り翳す。綾人は首を僅かに傾けるだけで避けた。以前なら此処でカウンターを考えたかもしれない。
だが今は違う。避けた時点で次の動作が始まっている。相手の腕を外側から押さえ、身体を入れ替えて背後へ回って膝裏を軽く押すと、体勢が落ちる。
「二人」
「ふざけ――!」
「三人」
「まだ何もしてねえだろ!?」
「これからする顔だったから」
「理不尽だ!」
「今の状況で突っ込んでくる方が悪い」
言葉はいつもの綾人だった。だが動きは明らかに変わっている。少し離れた場所で魔法を無効化しながら剣術部員を制圧していた達也も、その変化に気づいた。
(――前より無駄が減っている)
模擬戦で摩利と戦った時の綾人も強かった。
複数の武術を組み合わせ、相手に次の動きを読ませない。加速魔法と強化魔法まで組み合わせれば、高校生の水準から完全に逸脱している。
しかし今は魔法を使っていない。それでも、動きの完成度は以前より上がっている。
技と技の間にあった僅かな空白。選択のための時間。それが削られている。
(――何かあったな)
達也はそう判断した。もっとも、今問いかける余裕はない。別の部員がCADを向ける。
起動式。魔法式構築。
達也の意識がそこへ向く。
直後、術式が消滅する。
「また!?」
「止めておいた方がいい」
達也は淡々と言った。
「今の状態で魔法を使い続けても発動しない」
「お前が何かしてるのか!?」
「そう思うなら、なおさら続ける意味は無いでしょう」
「くそっ!」
相手が直接殴りかかる。達也は避けて腕を取る。一歩踏み込み、相手の体勢を崩して押さえる。
それだけ。派手さは無いが、しかし確実だった。
綾人とは違う。綾人の体術は多種多様な武術を組み合わせ、状況ごとに形を変える。
対して達也は徹底的に合理的だ。
必要な動作だけ。最短距離。余計な攻撃を加えない。二人の一年生が左右から動くことで、乱闘の勢いが目に見えて削がれていく。
「何だよ、あいつら……」
誰かが呟いた。
剣術部員が魔法を使おうとすれば、達也が消す。直接襲いかかれば、綾人が倒す。綾人へ魔法を向けても、発動する前に達也が処理する。達也へ武器を振るえば、横から綾人が崩す。
意図的に連携しているわけではない。細かな打ち合わせなど一度もしていない。だが互いに何ができるのか、既にある程度理解している。
だから相手が処理できる部分へ余計に手を出さない。
達也が魔法を消す。その瞬間、術者の意識がCADへ向くとそこへ綾人が入り、相手の重心を崩す。
「少し寝てて」
「誰が――うわっ!?」
床へ沈める。
そして、別方向に綾人へ魔法を向ける生徒がいたが、術式が消える。
綾人が達也を見る。
「ありがとう、助かった」
「問題ない」
「じゃあ右お願い」
「分かった」
短い。それだけで十分だった。摩利はその様子を見ながら、呆れ半分、感心半分の表情を浮かべていた。
「――本当に一年生か、この2人は)
達也については既に異常な技量を見ている。だが綾人も同じだ。しかも以前の模擬戦より明らかに洗練されている。
たった数日。普通なら変化など分からない期間なのに、まるで別人の様だった。
「睦月!」
「はい!」
綾人が振り返る。
「左から三人!」
視線だけを向けると、相手は三人。
一人は武器。一人は素手。最後の一人はCADへ手を掛けている。
「司波!」
「見えています」
達也が答えると、CADを操作しようとした生徒の魔法式が消える。
驚愕。その一瞬に綾人が踏み込む。
最初の剣を避ける。腕を崩す。二人目の拳を受けないで外して肩へ触れ方向転換。勢いのまま一人目へぶつかりそうになった身体を、綾人が直前で引いて止める。
「おっと」
二人を傷つけない。
三人目。魔法を消され、動揺しているところで綾人と目が合った。
「まだやりますか?」
「…………」
三人目はゆっくり手を下ろした。
「賢明です」
綾人は息を吐いた。その時、頭の中にケイローンの声が蘇る。
『状況と選択を結びつけるのです』
(ありがとうございます、ケイローン先生)
心の中で呟く。
(――これ、結構凄いな)
自分でも分かる。以前より身体が軽い。
いや、実際に軽くなったわけではない。判断が身体の動きを邪魔しなくなっている。これまで綾人は、多くの技術を持つことを純粋な強みだと考えていた。実際、それは間違っていない。
八極拳。パンクラチオン。蹴り技。投げ技。関節技。様々な武術を使えるからこそ、相手に合わせて戦い方を変えられる。
だが選択肢が増えれば、選ぶ必要が生まれる事を、ケイローンはその僅かな時間を見抜いた。
だから削った。技をではなく、迷いを。
「……やっぱ凄い人なんだな」
綾人が小さく呟いた。
「何か言ったか?」
近くへ来た達也が尋ねる。
「昨日、凄い先生に会ってさ」
「先生?」
「色々教えて貰ってたんだ」
達也が綾人の動きを思い返す。
「なるほど」
それだけである程度察したらしい。
「短期間で随分変わったな」
「分かる?」
「以前より動作間の停止が少ない」
「……君も大概だね」
「何がだ?」
「何でもないよ」
綾人は苦笑した。ケイローンも達也も、人の動きを見る目がおかしい。
「二人とも!」
摩利の声が飛ぶ。
「まだ終わっていない!」
綾人と達也が同時に前を見る。乱闘そのものはほぼ収まりつつあった。
しかし、中心に壬生紗耶香と桐原武明。二人だけはまだ止まっていない。
桐原の表情には怒りが残っており、壬生も退かない。
剣道部と剣術部の互いの意地。一科生と二科生。魔法技能によって生徒を分ける第一高校の制度。単なる部活動同士の対立だけではない何かが、その衝突の奥にある。
「桐原!武器を下ろせ!」
摩利が叫ぶ。
「委員長……!」
桐原が一瞬だけ摩利を見る。
その隙、壬生が動く。
「壬生先輩!」
達也が呼ぶ。だが止まらない。
綾人の目が細くなる。
(聞く耳持たずか)
踏み出そうとした瞬間。
「綾人」
達也が短く呼んだ。一瞬、目が合う。だが、それだけで互いに察した。
綾人は壬生へ。達也は桐原へ同時に動く。
壬生の竹刀が振られるところに綾人が間へ入った。
「っ!?」
竹刀の軌道を手で受けるのではなく、手首へ触れて僅かに外へ逸らす。
「ごめんなさい、壬生先輩」
「え――」
踏み込み、身体を入れる。壬生の重心が崩れる。だが倒さない。腕を制御し、竹刀を持つ手だけを止める。
「此処までです」
一方、桐原が魔法を使おうとする。魔法式が構築され――消えた。
「なっ!」
その瞬間には達也が懐へ入っている。桐原の腕を押さえ、体勢を崩す。得物を振るう余裕を与えない。
「終わりです」
「お前……!」
桐原が睨む。だが達也は表情を変えない。
「これ以上続けても、貴方にも壬生先輩にも利益はない」
「……っ」
「離して!」
壬生が綾人の腕から逃れようとする。だが綾人は必要以上に力を入れず、彼女が自分で止まれる程度にだけ制御する。
「離します。でも、もう振らないでください」
「私は……!」
「先輩」
綾人の声は穏やかだった。責めていない。見下してもいない。
「何があったかは後で聞きます。でも今は、これ以上続けたら誰かが怪我します」
壬生が唇を噛む。周囲を見ると倒れた部員、押さえられた剣術部員、竹刀を握ったまま動けずにいる剣道部員。
そして、騒ぎを不安そうに見ている新入生たち。
自分たちは何をしていたのかを理解し、漸く熱が引いていく。
「……分かったわ」
竹刀を下ろした事を確認して綾人も手を離す。
同じ頃。桐原も摩利に睨まれ、抵抗を止めていた。
「全員、武器を下ろせ!」
摩利の声が響く。今度は誰も逆らわなかった。
剣道部と剣術部。双方が少しずつ得物を下ろしていく。
そして、漸く乱闘が終わった。
綾人は長く息を吐いた。
「……疲れた」
達也が横を見る。
「昨日の訓練の疲労が残っているのか?」
「いや、精神的にかな」
「そうか」
「達也は?」
「問題ない」
「だと思った」
綾人は苦笑する。その時、摩利が二人へ近づいてきた。
「ご苦労だった」
「どうも」
「ありがとうございます」
「達也君」
「はい」
「魔法を無力化していたな」
達也は一瞬だけ沈黙する。
「結果としては」
「詳しい話は後で聞くからな」
摩利はそれ以上追及せず、今度は綾人を見る。
「綾人君」
「はい」
この瞬間、綾人は嫌な予感がした。
「正式に風紀委員へ入らないか?」
「何で今その話になるんです?」
「今日だけで十分な実績だろう」
「手伝いって話でしたよね?」
「気が変わった」
「委員長が堂々と言わないでくださいよ」
摩利は笑っている。
「それに、以前より腕を上げたな」
綾人の表情が僅かに変わった。
「分かりますか?」
「私はお前と直接戦ったんだぞ。分からないと思ったか?」
確かに。綾人は自分の手を見る。
たった一度の短い時間。ケイローンから指導を受けただけ。
それでも変化は確実に現れていた。
「良い先生に会ったんですよ」
「ほう?」
「ちょっと厳しいですけど」
「何処の先生だ?」
「……秘密です」
ギリシャ神話の大賢者です、などと言える筈がない。摩利は不満そうだったが、それ以上追及しなかった。
綾人は改めて周囲を見る。幸い、大きな怪我をした者はいない。自分も達也も、制圧の際に必要以上の打撃は加えなかった。剣術部員が使用しようとした魔法も、達也が悉く発動前に無効化している。
最悪の事態は防げた。
『主殿』
呪腕の念話が届く。
(どうした?)
『お見事でございました』
綾人は少し驚いた。
(見てたんだ)
『護衛でございますので』
(そりゃそうか)
僅かな間を置いて、呪腕が続ける。
『昨日のケイローン殿の教えが、早くも形となっておられましたな』
綾人は小さく笑った。
(ケイローン先生からは『まだ無駄が多いですね』って指摘されそうだけどね)
『ですが』
(ん?)
『主殿が更に腕を上げられたと知れば、アキレウス殿が張り切る可能性がございます』
綾人の笑顔が消えた。
昨夜の光景が蘇る。楽しそうに笑うアキレウスと、教師として完全にやる気になったケイローン。
「……黙っとこう」
『賢明かと』
「綾人君?」
摩利が怪訝そうに見る。
「いえ。何でもありません」
そう答えながら、綾人は遠い目をした。
ただし。その心の奥には、小さな高揚感も確かにあった。
強くなった。昨日より今日。ほんの僅かでも、自分の技術が前へ進んでいる。
聖杯戦争では何が起きるか分からない。力だけですべてを解決できるとは思っていない。それでも力がなければ、守れない瞬間があることを綾人は知っている。
だから学ぶ。使えるものを使い、教わったものを自分の中へ取り込み、昨日の自分より少しでも先へ進む。
その意味では、敵陣営のアーチャーが教師になったという奇妙な巡り合わせも、悪くないのかもしれない。
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