専用端末に表示された依頼書を最後まで読み終えた綾人は、しばらく何も言わなかった。
薄暗い拠点の中でモニターだけが淡い光を放ち、その光が綾人の横顔を照らしている。つい一時間ほど前まで第一高校で剣道部と剣術部の乱闘を止め、真由美や摩利、十文字克人へ事後報告をしていた高校一年生の表情は既に消えていた。代わってそこにあるのは、政府から非公式の仕事を任される協力員としての顔だった。
画面には一つの組織名が表示されている。
反魔法政治団体『ブランシュ』。
綾人は椅子へ腰を下ろし、依頼内容の最初へ戻った。
「反魔法主義団体……ね」
魔法が現実の技術として社会へ組み込まれた現代において、魔法師は国家にとって重要な人的資源である。軍事、警察、災害対策、産業、研究。多くの分野で魔法師の能力が利用される一方、その存在に反発する思想も当然ながら生まれていた。
魔法師だけが優遇されている。魔法師によって社会が支配されている。魔法技能という生まれ持った資質によって、人間の価値が決められている。
そうした不満を掲げる団体は国内外に複数存在する。その中でもブランシュは、単なる政治団体の範囲に留まらない。
表向きは反魔法主義を掲げる政治結社。しかし政府の調査では、過激派による非合法活動への関与が確認されている。
そして、その傘下組織の一つとして名前が挙がっているのが――。
「エガリテ」
綾人が小さく呟いた。第一高校内部でも活動の兆候あり。その一文を見た瞬間、綾人の目つきが僅かに変わる。
「第一高校……」
画面をスクロールする。今回の依頼は単純な摘発ではない。政府側もまだブランシュの全容を掴み切っていなかった。
国内拠点。協力者。資金源。構成員。学校内部への浸透。
特に問題視されているのが、魔法科高校の生徒へ接触し、内部の不満を利用して思想的な勧誘を行っている可能性だった。
第一高校。その名称が何度も資料へ出てくる。綾人は背もたれへ身体を預けた。
「よりにもよってうちの学校か」
偶然なのか。あるいは政府が綾人の在籍を把握した上で任務を割り振ったのか。おそらく後者だろう。
現役の第一高校生であり、内部へ自然に存在できる政府協力員。学校へ新たな潜入要員を送り込むより、既にいる綾人を利用する方が遥かに効率がいい。
「相変わらず人使い荒いな……」
誰に聞かせるでもなく呟く。しかし拒否するつもりはなかった。
依頼内容を読み進める。
第一段階。第一高校内部におけるエガリテ関係者の特定。
第二段階。学校外のブランシュ関係者との接触経路の調査。
第三段階。国内活動拠点の特定。
必要と判断された場合には、制圧。
綾人の指が止まった。
《対象組織には戦闘訓練を受けた魔法師が含まれる可能性あり》
《武装抵抗が発生した場合、現場判断による実力行使を許可》
「……いつものやつか」
魔法師が相手だから自分へ回ってきた。魔法師を相手にする場合、一般的な戦闘員では対応が難しい。特に戦闘訓練を積んだ魔法師は、現代兵器を持つ人間を一方的に制圧することさえある。
しかし綾人は違う。
相手が魔法師であればあるほど、彼の戦闘能力は異質なほど噛み合う。魔法が発動する前兆。CADへ伸びる指。視線。姿勢。呼吸。魔法式構築までに必要となる僅かな時間。
綾人はそれらを読み、魔法そのものが完成するより先に術者へ到達する。
必要なら『玩具箱』を使う。さらに魔術まで含めれば、通常の魔法師が想定する防御の常識そのものを無視する手段さえ持っている。
だから裏社会では綾人はこう呼ばれている。
『魔法師殺し』。
本人はその呼び名を好んでいない。
「殺さなくて済むなら、その方がいいんだけどな」
綾人は画面を見ながら呟いた。依頼書にも対象の殺害命令はない。今回はあくまで情報収集を優先。可能なら拘束。抵抗された場合のみ必要な実力行使。いつもの方針で問題ない。
だが一つだけ気になる。
学校内部。綾人は再びエガリテの項目を開いた。第一高校では一科生と二科生という区分が存在する。本来、それは教師数の不足を補うために生まれた制度上の違いに過ぎない。だが現実には、一科生が二科生を見下すこともあれば、二科生が一科生へ強い反感を抱くこともある。
今日の剣道部と剣術部の乱闘。中心人物である壬生紗耶香と桐原武明。その衝突にも、単なる部活動間の対立では説明しきれないものがあった。
綾人の眉が僅かに寄る。
「……まさかな」
偶然かもしれない。
だが、政府が第一高校内部へのエガリテ浸透を疑っている。そして同じ時期に、学校内部では一科生と二科生の対立が目立ち始めている。
無関係と決めつける方が危険だと考えながら綾人は依頼受諾の項目へ指を置く。
一瞬だけ止まり――押した。
《依頼受諾を確認》
《認証完了》
《詳細情報は随時更新》
画面が切り替わると綾人は立ち上がった。
「とりあえず学校じゃ普通にしてろ、か」
最も簡単で、最も難しい指示だった。自分から動きすぎれば警戒される。何も知らない生徒として過ごし、相手が動くのを待つ。
政府から追加情報が来るまでは、それが基本方針になる。
「……聖杯戦争だけでも十分忙しいんだけど」
綾人は天井を見上げた。
八人のマスターと六十四騎のサーヴァント。正体不明の監督役。まだ詳細が明らかになっていない第三陣営と第四陣営。
そして今度はブランシュ。
高校生活とは何だったのだろう。そんな疑問が頭を過ぎったところで、端末がもう一度通知音を鳴らした。追加情報だ。
綾人は画面を見る。
《第一高校内部協力者の存在については未確定》
《対象へ直接接触するまで監視を優先》
《学校関係者への任務情報開示は禁止》
そこまでは予想通りだった。
《司波達也について》
最後の項目を見て綾人の目が止まる。
「……達也?」
資料を開く。内容は短い。司波達也がブランシュ側の監視対象となる可能性あり。
理由については詳細不明。
政府側も達也の能力を完全には把握していないらしく、少なくとも今回の任務において綾人へ共有される情報は限定されている。
《司波達也本人への接触・調査は本任務の対象外》
《対象人物への不要な干渉を禁ずる》
綾人は数秒画面を見つめた後、鼻で笑った。
「言われなくても無闇に調べないよ」
達也に秘密があることくらい分かっている。自分にもある。それはお互い様だ。達也が自分から話さない限り、綾人から踏み込むつもりはない。
今の問題はブランシュだ。
「俺じゃなくて達也を気にしてるのか……?」
それは少し意外だった。綾人は第一高校にいる政府側の人間である。もし正体が知られれば、ブランシュにとって明確な敵になる。
しかし現時点では、綾人の裏の立場は秘匿されている。ならば彼らの視点では、綾人は多少腕の立つ一科生に過ぎない。
対して達也には、彼らが何らかの理由で注意を向けている可能性がある。
「……面倒になりそうだな」
綾人は端末を閉じた。その日はそれ以上動かないことにした。焦ればこちらの存在を悟られる。まずは普段通り学校へ通う。
そして観察する。
誰が何を言うのか。誰が誰と接触するのか。何が生徒たちの不満を煽っているのか。
政府の協力員ではなく。第一高校の睦月綾人として。
◇
翌朝。
「おはようございます、綾人君」
教室へ入った綾人を最初に迎えたのは深雪だった。
「おはよう、深雪」
「昨日はお買い物できましたか?」
一瞬。綾人の思考が止まる。
(そういえば、買い物って言って別れたんだった)
「うん。出来たよ」
「何を買われたのですか?」
「野菜と調味料。他にも色々」
「随分と曖昧ですね」
深雪が不思議そうに首を傾げる。
「色々だよ、色々」
実際には拠点から帰る途中で、本当に食材を買った。嘘を成立させるためというより、普通に冷蔵庫の中身が減っていたからだ。
「綾人君、おはよう」
ほのかが声を掛けてくる。
「おはよう、ほのか」
「っ……お、おはよう」
未だに名前で呼ばれると少し反応が遅れる。その横では雫が綾人を見ていた。
「おはよう」
「おはよう、雫」
「ちゃんと休んだ?」
「休んだよ」
「本当に?」
「何で俺の生活を疑うのさ」
「前科」
「何の?」
「無理する」
短い一言に綾人は反論しなかった。
「……気をつけます」
そう言いながら普段通りに席へ向かう。昨日までと何も変わらない。だが綾人の意識は、教室全体へ向けられていた。
会話、表情、生徒同士の距離。
普通に見れば、いつもの第一高校。しかし政府はこの中にブランシュの影を疑っている。
反魔法主義を掲げる彼らが、なぜ魔法科高校へ入り込むのか。その答えはある程度想像出来る。魔法そのものを憎む者だけを集めても、魔法社会の内部へは入れない。
だから利用する。
魔法師でありながら現在の制度へ不満を持つ者。評価されない者。差別されていると感じる者。そうした人間へ近づき、その不満を別の方向へ導く。
もしそうなら、自分も動くべきだろう。
◇
校舎の一角の人通りの少ない場所で、一人の男子生徒が別の生徒から小さな端末を受け取っていた。
「最近、学校側も警戒してる」
「分かってる」
「昨日の騒ぎで風紀委員会も動いてる。今は目立つな」
「でも計画は?」
「変わらない」
短いやり取りをしながら周囲を確認する。今のところ誰もいない。
「一科と二科の問題は、こっちが煽らなくても勝手に大きくなってる」
男が笑う。
「だったら利用すればいい」
そして端末を渡した人物が去っていく。残された生徒は画面を確認した。
そこには白い背景。簡素な記号。そして一つの単語。
《Égalité》
平等。その理念を掲げる言葉。
しかし、その背後には別の組織が存在する。
『ブランシュ』。
同じ頃。
教室で昼食を取っていた綾人の端末が、ごく僅かに振動した。
通常の連絡に偽装された通知。綾人は会話を続けたまま画面を見る。送信先は政府だった。
《監視対象候補を更新》
《第一高校内部にてエガリテ関係者の通信活動を検出》
綾人の目が僅かに細くなる。
「綾人君?」
向かいにいたほのかが気づいた。
「どうしたの?」
「ん?」
すぐにいつもの表情へ戻る。
「迷惑メール」
「大丈夫なの?」
「うん」
雫が横から画面を覗こうとする。綾人は自然に端末を伏せた。
「見せて」
「何で?」
「消してあげる」
「自分で消せるから」
「怪しい」
「何でそうなるの」
ほのかが笑う。深雪も小さく微笑む。綾人も笑いながら端末をポケットへ戻した。だが頭の中では、既に別の思考が走り始めている。
(――来たかな)
政府の予測は正しかった。第一高校の中に、確かにエガリテの影がある。
ならば、その先にはブランシュがいる。
そして綾人はまだ知らない。この事件が単なる政府からの依頼だけでは終わらないことを。
司波達也。司波深雪。壬生紗耶香。桐原武明。生徒会。風紀委員会。第一高校に存在する一科生と二科生の歪み。それぞれ別々に見えていたものが、これから一つの事件へ向かって繋がっていく。
放課後。校舎を出た綾人は、いつものように友人たちと話しながら歩いていた。その顔はどこから見ても普通の高校生だった。
『主殿』
誰にも聞こえない声が届く。呪腕のハサンだ。
(どうした?)
『先ほどより、校外から学校周辺を観察している者がおります』
綾人の表情は変わらない。
(サーヴァント?)
『いいえ。人間です』
(魔法師?)
『断定は出来ませぬ。しかし一般人の監視とは思えません』
綾人は歩きながら考える。
(追わなくて良いよ)
『よろしいので?』
(今捕まえても末端なら意味がない。泳がせよう)
『承知いたしました、主殿』
呪腕の気配が消える。
エガリテ。ブランシュ。そして第一高校。
別々だった線が、ようやく一本へ繋がり始めた。
「綾人君?」
隣を歩いていたエリカが呼ぶ。
「何?」
「また難しい顔してる」
「今日の夕飯何にしようかなって」
「昨日もそれ言ってなかった?」
「毎日食べるんだから毎日考えるよ」
「それはそうだけど……」
エリカが納得しかける。美月がくすりと笑った。綾人も笑ってそのまま友人たちと歩き続ける。
今はまだ動かない。敵がこちらを知らないのなら、その優位は最大限利用する。
第一高校一年A組、睦月綾人。表向きはただの一科生。
しかし、その正体をブランシュが知る時まで綾人は彼らにとって、存在すら認識していない伏兵だった。
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