四月。
春の柔らかな日差しが降り注ぐ中、国立魔法大学付属第一高校は新たな生徒たちを迎えていた。
校門を抜けていく真新しい制服姿の少年少女。
その胸元に飾られたエンブレムには、二種類が存在する。
一科生と二科生。
同じ学校へ入学しながら、最初から明確に分けられた二つの立場。そんな新入生たちの中を、睦月綾人は一人歩いていた。
「…………」
昨夜、綾人は八騎の英霊を召喚した。
自分を含めて八人の転生者が存在すると判明している。更に日本の何処かには、残り五十六騎ものサーヴァントが現界しているだろう。
それにもかかわらず、今日は高校の入学式に出席していた。
(我ながら、とんでもない高校生活になりそうだな)
表情には出さず、胸中で溜め息を吐く。
右腕にはCAD兼魔術礼装『玩具箱』。現在は銀色の腕輪にしか見えないだろう。
令呪も存在しているが、周囲の人間には視認できない。
『マスター』
すると、綾人の頭の中へ声が届いた。アルトリアからの念話だった。
八騎ものサーヴァントを学校へ連れてくるわけにもいかないため、基本的には霊体化してもらっている。
『今のところ、周囲にサーヴァントらしき気配はありません』
(了解。引き続き警戒しておいて)
『勿論です』
綾人は歩調を変えない。昨夜の時点で簡単な役割分担を決めていた。
アルトリアとメルトリリスは綾人の護衛。アキレウス、カルナ、呪腕は周辺警戒。玉藻前は拠点の整備。頼光は玉藻の護衛。
そして、ギルガメッシュは――。
(……王様は自由行動だったな)
そもそも、あの英雄王に命令を聞かせようとすること自体が間違っている。
しかし。エルキドゥが別陣営に召喚されたと知った途端、恐ろしいほどやる気になったため、敵に回らないだけ良しとする事にした。
『綾人。学校という場所には悪い虫が多いと聞きました』
すると、頼光から念話を受信する。
(頼光さん、それは違うよ。学校はそう言う場所じゃないから)
『ですが、やはり母が直接付き添った方が――』
(頼光さん)
『はい』
(大丈夫。お願いだから玉藻の護衛をしてて)
『…………はい』
ものすごく悲しそうな返事だった。彼女の反応に綾人は少し罪悪感が湧く。
(えっと、帰ったら夕飯作るの手伝ってくれる?)
『まあ!』
一瞬で声が明るくなる。
『では母はハンバーグを希望します』
(え?ハンバーグ?)
てっきり和食だと思ったがまさかのハンバーグに綾人は疑問を抱く。
『昨日、部屋にあった料理本を読んで気になっていました』
(料理本読むんだ……了解。帰りに材料買ってくるよ)
折角ならスタンダードなデミグラスハンバーグと和風ハンバーグの二種類を作るかと綾人は献立を脳内で組み立てる。
『ねえ』
すると、今度はメルトリリスの声が聞こえた。
(どうしたの、メルト?)
『随分と楽しそうじゃない』
(そう聞こえた?)
『ええ。だって貴方、自称母親との会話を満喫していたもの』
妙に棘があるメルトリリスの言葉に綾人は首を傾げる。
(何か怒ってる?警戒心が無いとか?)
『いいえ。別に』
(そっか)
『…………』
メルトリリスが黙る。
(メルト?)
『何でもないわよ、馬鹿マスター』
(なんで悪口言われたんだ俺)
返事はなかった。
(……朝から疲れるな)
朝から気苦労して溜め息を吐いた、その時だった。
「睦月さん?」
足が止まった。
聞き覚えがある。
三年前にたった一度だけ。会った時間もそう長くなかった。
綾人が振り返ると、そこには一人の少女が立っていた。
艶やかな黒髪と整った容貌。周囲の新入生たちが思わず目を向けてしまうほど、美しい少女。
けれどその表情には、普段の彼女を知る者なら驚くほどの動揺が浮かんでいた。
「…………」
綾人は記憶を辿る。
時は三年前。場所は沖縄。
当時十三歳だった綾人は政府から受けた極秘任務中、そこで偶然遭遇した襲撃で血を流し、今にも命を失いかけていた少女。
綾人は無我夢中で彼女を治癒魔術で何とか一命を取り留めさせた。
「…………もしかして、司波深雪さん?」
綾人は当時に一度だけ聞いた名前を口にすると、少女の瞳が大きく開いた。
「覚えて……いてくださったのですか?」
「ああ、もちろん」
司波深雪。
三年前よりずっと成長しているも、それでも面影は残っていた。
「三年振り、かな。元気そうでよかったよ」
深雪は言葉を失った。
三年間、ずっと覚えていた。自分が生死を彷徨ったあの日。
突然現れた少年。現代魔法とは異なる、理解不能な技術によって自分の命を繋いだ人物。
名前しか知らなかった。
睦月綾人。
もう二度と会うことはないかもしれないと思っていた。
その人物が、今。自分と同じ制服を着ている。
「……はい」
深雪は胸元へ手を添えた。
「お久しぶりです、睦月さん」
声が僅かに震えていた。
「あの時は、本当にありがとうございました」
「気にしなくていいよ。もう過ぎた事だし」
「ですが」
「生きてるなら、それで十分だよ」
あまりにも自然に告げられた言葉に深雪が息を呑む。綾人にとっては本心を口にしただけだった。
「それに」
綾人は深雪の制服を見る。彼女の上着には花冠を模した八枚花弁のエンブレムがあった。
「一科生なんだな」
「はい。睦月君も……」
「ああ。クラスは1-A」
深雪が再び驚いた。
「私もです」
「え?本当に?」
「はい」
「それじゃあ、クラスメイトだね」
「………はい」
深雪も微笑んだ。
三年前には見られなかった、穏やかな笑顔だった。
すると、その光景を少し離れた場所から見ている少年がいた。
司波達也。
深雪の兄である。
妹が自分以外の異性へあれほど柔らかな表情を向けること自体が珍しい。
「三年前……」
達也は小さく呟く。
妹から聞いていた。
沖縄で命を救ってくれた正体不明の少年。名前だけは知っていた。
それが、睦月綾人。
(彼がそうか……)
達也の視線が綾人へ向かう。
同時に綾人も達也を見た。
一瞬、二人の視線が交差する。
「…………」
「…………」
先に口を開いたのは深雪だった。
「ご紹介します。私の兄です」
「初めまして。司波達也だ」
「初めまして。俺は睦月綾人」
達也が右手を差し出すと、綾人も握り返す。
「深雪から話は聞いている」
「三年前の事かな?」
「ああ」
達也は淡々と続けた。
「妹を救ってくれた事に、兄として礼を言わせて欲しい。ありがとう」
「本当に気にしなくていいよ」
「それでもだ」
達也の真っ直ぐな言葉に、綾人は苦笑する。
「じゃあ、どういたしまして」
それ以上は言わなかった。ただ………。
(司波達也)
握手を交わした瞬間、綾人は理解していた。
強い。
それは魔法師としてだけではない。
戦闘経験。肉体の使い方。視線。立ち位置。
どれもが学生のそれではない。まるで長年鍛えられた兵士の様だった。
(普通の高校生じゃないな)
一方、達也も同じことを考えていた。
(隙がない)
自然体。なのに、攻撃へ移るための予備動作が必要としない。
どの方向から攻撃されても対応できる立ち位置を無意識に維持している。
それだけではない。
綾人の腕にあった腕輪型CAD。
構造を一見しただけでは把握できない。
(市販品ではないな)
互いに何も口にはしない。だが初対面の握手だけで、二人は相手が尋常な人物ではないことを察していた。
◇
入学式が終わり、綾人は校舎内を歩いていた。
深雪とは同じ1-A。達也は1-E。
「ねえ、アンタ」
すると、背後から声を掛けられた。
振り返ると、赤みがかった髪を持つ少女。その隣には、眼鏡を掛けた大人しそうな少女が立っていた。
「俺?」
「そう」
赤毛の彼女は綾人を上から下まで見る。
「聞くけど。剣、やってるでしょ?」
唐突な質問に綾人の眉が僅かに動いた。
「なんで?」
「立ち方。重心が普通じゃない。それに手」
彼女は綾人の手を見る。
「刀を握り慣れてる人間の手よ」
綾人は感心した。一目でそこまで分析されたのは初めてだった。
「よく分かったな」
「そりゃね」
彼女は得意げに笑う。
「私も剣やってるから」
「へえ」
「千葉エリカよ」
「俺は睦月綾人」
「睦月綾人君ね」
エリカはニヤリとする。
「今度勝負しましょう」
「え?いきなり?」
「いいじゃない」
「嫌だって言ったら?」
「毎日誘う」
「それは面倒だな……」
「じゃあ決まりね」
「勝手に決めないで欲しいな」
そんな二人のやり取りを眼鏡の少女が困ったように見ていた。
「エリカちゃん、初対面の方にいきなり勝負を申し込むのは……」
「大丈夫よ美月。この人、絶対強いから」
「理由になってないと思うけど……」
二人のやり取りに綾人が笑う。
「君は?」
「えっと、柴田美月です」
「睦月綾人です。よろしく」
「こちらこそ――」
そこで、美月の言葉が止まった。
「…………え?」
美月の視線が綾人から外れた。視線の先は綾人の右後方。何もない空間。
正確には、普通の人間には何も見えないはずの場所。
『マスター』
アルトリアの声が響く。
緊張を帯びていた。
『この少女……』
(ああ)
綾人も気付いた。美月の視線が、完全にアルトリアを追っている。
「……女の人?」
美月が呟くと、エリカが首を傾げる。
「女?」
「え?」
「誰のこと?」
「そこに……」
美月が指差そうとしたその瞬間、綾人が美月の手首を優しく掴んだ。
「待って、柴田さん」
「っ……!」
綾人の表情から笑みが消えていた。その声は穏やかだが、真剣だった。
「それ以上言わない方がいいかな」
「……え?」
「ここではね」
美月が綾人を見る。エリカも怪訝そうに眉を寄せる。
「何? どういうこと?」
「悪い」
綾人は美月から手を離す。
「今は説明できないかな」
その時。
『綾人』
メルトリリスの声。
先ほどまでとは違う。
完全な戦闘時の声だった。
『来るわ』
綾人の目が細くなる。
(方向と距離は?)
『北東。距離はおよそ1.5kmね』
『マスター』
続いてカルナだった。
『俺も感じた。サーヴァントだ』
『一騎ではありませんね』
更にアルトリアからも報告を受ける。しかし、綾人は表情を変えなかった。
その代わり、思考は高速で回転していた。
第一高校。入学式当日。一般生徒多数。
そんな場所に敵サーヴァント反応。あまりにも最悪のタイミングだ。
(呪腕さん)
『ここに』
すぐ近くから返事が来た。
アサシンのサーヴァントが持つクラススキル『気配遮断』。
綾人ですら意識しなければ存在を見失いかねない。
(校内を調べてほしい。敵マスターが入り込んでないか確認をお願い)
『承知』
気配が完全に消失する。
エリカが綾人を見る。
「……アンタ、さっきから何見てるの?」
「ちょっとね」
「怪しい」
「そうかもね」
「嘘。今適当に言ったでしょ」
「どうかな」
「アンタね……」
だが美月だけは笑っていなかった。
見えている。
綾人の隣には金髪の騎士。
さらに一瞬だけ。綾人の背後の影へ溶けて消えた、髑髏の仮面を被った何者か。
(何……?)
怖い。理解できない。明らかに魔法ではない。少なくとも、美月が知っている魔法の現象ではない。
そして、綾人がその存在と意思疎通していることだけは分かった。
「柴田さん」
「は、はい」
綾人は静かに告げる。
「多分、君は普通の人には見えないものが見えるんだと思う」
美月の肩が揺れる。
「でも今は、それを誰にも話さないで欲しい」
「どうして……?」
綾人は一瞬迷うも、答える。
「君が危険になる可能性があるから」
美月の顔から血の気が引いた。
◇
同時刻。第一高校から離れた高層建築物の屋上。
一人の少女がフェンスの向こうから校舎を眺めていた。新入生たちが小さく見える。
衣服で隠れているが、少女の右腕には二十四画の令呪が刻まれていた。
「いた」
「アイツがそうか?」
その隣にはサーヴァントが二騎待機していた。
一人は全身が緑で統一された服に、更に緑色のマントを覆った軽薄そうな青年。
もう一人は、緑色の長髪と瞳。そして男なのか女なのか判断しづらい中性的な顔立ちをしていた。
そんな二騎のサーヴァントを脇に固めて少女は笑う。
「彼が睦月綾人。まさか普通に学校へ登校してるとは思わなかったけど」
男のサーヴァントは煙草を咥え、緑色のマントを靡かせながら尋ねる。
「こっちから仕掛けるんですかい、マスター?」
「いいえ。今日はまだいい」
少女は答えた。
「まず観察するわ」
彼女の視線が校舎へ向かう。しかし、その目が別の人物を捉えた。
「……ん?」
綾人ではない。眼鏡を掛けた少女。
名は柴田美月。
少女マスターは僅かに眉を寄せた。
美月の視線は何もない場所を追っているように見える。
しかし、サーヴァントを従える彼女には理解できた。そこには霊体化したセイバーがいる。
「まさか……」
少女マスターの表情が変わる。
「霊体化したサーヴァントが見えてるの?」
「みたいだな。変わったお嬢さんだ」
偶然ではない。柴田美月の視線は明らかに霊体化したサーヴァントを認識している。
「へえ」
少女は笑った。
「面白い子がいるじゃない」
「随分嬉しそうだな」
「そうね」
その一言。ただ、それだけだった。
だが、この瞬間。柴田美月本人が何も知らないまま。聖杯戦争の参加者から、その存在を認識された。
そして、もう一騎のサーヴァントはじっと別方向へ視線を向けていた。その視線の先には綾人の拠点がある方角だった。
「…………そこにいるんだね、ギル」
長い緑色の髪に中性的な顔立ちをしたサーヴァントは、嬉しそうに呟く。
◇
放課後。
綾人は帰宅すると、そのまま地下室へ向かった。そこには既に八騎が集まっている。
「呪腕さん」
綾人が呼ぶ。
影から黒衣の暗殺者が姿を現した。
「御前に」
「どうだった?」
「校内にマスターと思しき人物の気配は無く識別出来ませんでした」
「そうか」
「しかし」
呪腕のハサンが続ける。
「外部より学校を監視する視線がございました」
アルトリアが表情を険しくする。
「敵陣営ですか」
「まだ断定はできませぬ。しかし拙僧が追跡を開始した直後、気配は消えました」
綾人は考える。
こちらを知っている。少なくとも第一高校へ通っていることを把握されている可能性が高い。
「あの時、美月も見られた可能性がある」
「例の娘ね」
メルトリリスが腕を組む。
「霊体化した私たちを見られる人間なんて、敵からすれば放っておきたくないでしょうね」
「だから問題なんだ」
綾人は椅子へ腰掛ける。美月は一般人だ。聖杯戦争とは何の関係もない。
それなのに生まれ持った眼が原因で、戦争へ巻き込まれる可能性が生じてしまった。
「マスター」
アルトリアが口を開く。
「彼女を保護するべきです」
「そうだね。俺もそう思う」
ただし、どう説明するか。
『霊体化した英霊が見えるので命を狙われる可能性があります』
そんな話を突然されて信じる人間がどれほどいるのか。
「なら簡単じゃない」
メルトリリスが言った。
「見せればいいのよ」
「何を?」
「私たちを」
綾人がメルトを見る。
「本人にだけ事情を話す。既に見られている以上、隠し続けても意味がないでしょう?」
確かに合理的ではある。
「……そうだな」
「それに」
メルトは綾人へ視線を向ける。
「貴方、どうせ放っておけないんでしょう?」
「ああ」
綾人は即答すると、メルトがため息をついた。
「知ってた」
アキレウスが笑う。
「人が良いな、うちのマスターは」
カルナも静かに頷く。
「マスターの性質を考えれば当然の結論だ」
「カルナさん、それ褒めてる?」
「無論だ。お前は自ら厄介事を抱え込む才能に優れている」
「絶対褒めてないよね?」
「そうなのか?」
カルナは本気で分からないという顔をしており、そんなカルナを見て綾人は頭を抱えた。
「静まれ」
すると、ギルガメッシュが低く告げた。
全員が彼を見る。先ほどまで退屈そうにワイン(綾人の家にあったワインを勝手に拝借した)の入っていない杯を弄んでいた英雄王が、立ち上がっている。
その紅い瞳が遠くを見据えた。
「王様?」
「来るぞ」
綾人の表情が変わる。
「敵?」
「違う」
ギルガメッシュの口元が上がる。
「奴だ」
直後、地下室全体が震えた。気配探知の結界が反応する。
「なっ……!?」
綾人が立ち上がり、モニターへ周辺映像を表示する。
拠点から数キロ離れた無人区域。そこに巨大な魔力反応。
「この魔力……!」
アルトリアが息を呑むと、ギルガメッシュだけが笑っていた。
「フン、待ち侘びたぞ」
英雄王の笑みは、召喚されてから最も楽しそうなものだった。
ギルガメッシュの様子に綾人も理解する。
この気配。この英雄王が間違えるはずがない。
「エルキドゥ……」
ギルガメッシュは一歩踏み出す。
「行くぞ、綾人」
「俺も?」
「当然だ。何を疑問に思う?」
睨むギルガメッシュに綾人は問う。
「友達同士の再会に俺必要?」
「貴様は紛いなりにも我のマスターであろう」
「それはそうだけどさ……」
ギルガメッシュは笑う。
「ならば見届けよ」
遥か彼方。もう一つの陣営。
そこに存在する、英雄王と唯一無二の友。
「我と奴の――」
人類最古の英霊が宣言する。
「本気の戦いをな」
綾人は理解した。
どうやら高校生活初日は、まだ終わってくれないらしい。
極東大聖杯戦争。
最初の大規模戦闘。
『英雄王』ギルガメッシュ。
対するは、『天の鎖』エルキドゥ。
神代の英雄二人による再戦が、始まろうとしていた。
最初に登場した敵陣営のサーヴァントは、エルキドゥともう一人。
ヒントは『緑色のマント』です。
次回はギルガメッシュvsエルキドゥ。
初戦がこの二人とか、『Fate/strange Fake』かな?
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