評価もつけてくれると幸いです。
柴田美月が連れて来られたのは、第一高校からも彼女の自宅からも少し離れた住宅街にある、ごく普通のマンションだった。
外観だけなら何の変哲もない。築年数もそこそこ経っており、周囲には似たような集合住宅がいくつも並んでいる。エントランスにも特別な警備設備があるようには見えず、部屋へ入ってみても、リビングとキッチン、いくつかの個室があるだけの一般的な住居にしか思えなかった。
しかし綾人が玄関を閉めた瞬間、美月には空気そのものが変わったように感じられた。
「……あの、此処は?」
「俺が使ってるセーフハウスの一つ。外から中を探られにくい細工をしてあるし、魔法的な監視への対策もしてある。少なくとも道端で話すよりは安全だよ」
「セーフ……ハウス……」
高校一年生の口からあまりにも自然に出てくる単語ではなかった。美月が困惑した顔を向けると、綾人は一瞬だけ「あ」と声を漏らした。
「……ごめん。今のは忘れて」
「無理ですよ!?」
「だよね」
困ったように笑いながら、綾人は靴を脱いでリビングへ向かう。
その後ろを美月が追い、さらに――。
「失礼致します」
「ひゃっ……!」
当然のように呪腕のハサンまで玄関を通過した。
「す、すみません……まだ慣れなくて……」
「お気になさらず。私の風貌が一般の方々に警戒心を抱かせるものであることは承知しておりますゆえ」
「呪腕さん、真面目に言うほど柴田さんが困ると思うよ」
「では、如何すれば?」
「普通にしてれば良いんじゃない?」
「これが普通なのですが」
「……それもそっか」
二人の会話を聞きながら、美月はますます混乱していた。数十分前まで、自分はただ学校から帰っていただけなのだ。
誰かに見られている様な感覚があって、気味が悪くて、それでも何かの勘違いだと思おうとしていた。ところが突然、以前から綾人の傍に見えていた髑髏の仮面の男が現れ、自分を追っていた同じような姿の者たちと戦い始めた。
そして今。その髑髏の男と普通に会話する同級生のセーフハウスにいる。
到底、理解が追いつかない。
「とりあえず座って。何か飲む?」
「あ……じゃあ、お茶を……」
「分かった。少し待ってね」
綾人がキッチンへ向かう。
「あ、手伝います」
「大丈夫だよ。客なんだから座って」
「でも……」
「それに」
綾人は棚から茶葉を取り出しながら、少しだけ笑った。
「これから少し面倒な話を聞かせることになる。せめて飲み物くらい用意させて」
その言葉に、美月は口を閉じた。やがて温かい茶が置かれ、二人は向かい合って座る。呪腕は綾人の斜め後ろに立っていた。
美月はカップへ手を伸ばしたものの、飲むことはできなかった。
聞きたいことが多すぎる。それを察したのか、綾人は先に口を開いた。
「最初に言っておくけど、今から話すことは魔法師の社会でも殆ど知られてない。十師族や政府が普通に把握してるような話でもない」
「……そんなに、重大な事なんですか?」
「うん」
冗談を言う時の軽さが消える。美月も自然と背筋を伸ばした。
「柴田さん。『英霊』って言葉を聞いた事あるかな?」
「英霊……ですか?」
美月は考える。
「歴史上の英雄とか、偉業を残した人をそう呼ぶことはありますけど……」
「そうだね。だいたいその認識で良いよ」
綾人は頷いた。
「人類史に名前や伝説を刻んだ英雄、あるいは英雄として語り継がれる存在。そういう者たちが死後、人間とは異なる高位の存在になったもの。それが『英霊』だ」
美月の視線が、ゆっくりと呪腕へ向く。
呪腕は無言で一礼した。
「じゃあ……この方は……」
「サーヴァント。英霊そのものを現世に呼ぶんじゃなくて、一定の器に収めて召喚した存在だと思ってくれれば良い」
「サーヴァント……」
美月は呪腕を見る。生きている人間とは違う。それは彼女の眼がずっと訴えていた。
人の形をしているのに、人とは異なる何か。今まで説明できなかった感覚へ、初めて名前が与えられた。
「そして俺は」
綾人が続ける。
「そのサーヴァントを召喚した『マスター』の一人なんだ」
「……一人?」
美月はその言葉を聞き逃さなかった。
「他にもいるんですか?」
「いるよ」
綾人はテーブルの上へ簡単な図を表示した。携帯端末から投影された画面に、八つの円が浮かび上がる。
「今回の戦いに選ばれたマスターは全部で八人」
「八人……」
「俺を含めてね」
一つの円が強調される。
「ただ、普通の聖杯戦争とはかなり違うらしい。本来の形式なら一人のマスターが一騎のサーヴァントを従えるのが基本だけど、今回は」
綾人が画面を操作すると、一つの円の周囲へ八つの小さな光が並んだ。
「一人につき、八騎のサーヴァント」
「……え?」
美月が瞬きをする。
「八人のマスターが……それぞれ八人?」
「正確には八騎」
「と言う事は……」
美月は頭の中で計算する。
「六十四騎……?」
「最大ならね」
さらりと言われた数字に、美月の表情が固まった。
今日、自分を追っていた者。そして、その相手をしていた呪腕。たった二種類の英霊だけでも、あれほど現実離れした動きを見せていた。
それが六十四もいる。
「……そんな人たちが、今この国にいるんですか?」
「可能性は高い」
「それって……もの凄く危険なんじゃ……」
「危険だよ」
綾人は誤魔化さなかった。
「だから聖杯戦争には必ず監督役もいるし、俺たちも無闇に街中で戦わないようにしてる。……まあ、守らないマスターも出る可能性があるから厄介なんだけど」
美月の頭に、先ほど自分を追っていた髑髏の仮面たちが浮かぶ。
「今日の人達……ですか?」
「そう」
綾人は頷いた。
「第三陣営のアサシン。真名は『百貌のハサン』」
「ハサン……?」
美月は呪腕を見る。
綾人も同じ方向を見た。
「こっちの呪腕さんもハサン・サッバーハ。同じ称号を継いだ別人なんだ」
「ややこしいですね……」
「俺も最初に聞いた時はそう思った」
「主?」
「悪い意味じゃないよ」
「左様でございますか」
僅かに空気が和らぐ。だが、美月の表情はすぐに曇った。
「でも……どうして、そんな人が私を?」
そこだった。綾人が最も話さなければならない事。彼は少しだけ姿勢を正した。
「その前に、聖杯について説明するね」
「……はい」
「聖杯戦争っていうのは、その名前通り『聖杯』を巡る戦いだ」
画面中央に、一つの器を模した図が現れる。
「聖杯は簡単に言えば、莫大な魔力を利用して願望を実現するための装置。今回の戦いにも、それに相当するものがある」
美月が息を呑む。
「願いを……叶える?」
「少なくとも、俺達はそう解釈している」
綾人は敢えて断定しなかった。聖杯というものを無条件で信用するほど楽観的ではない。
「今回、八人のマスターの身体には、それぞれ『擬似聖杯』が埋め込まれている」
「身体に……?」
美月の視線が綾人の胸元へ向く。
「俺にもある」
その言葉に、美月の表情が変わった。
「それ……大丈夫なんですか?」
予想していなかった反応に、綾人は一瞬言葉を止めた。
「……ああ、そこ心配するんだ」
「だって、身体の中にそんなものがあるんですよね?」
「あると言っても質量は無いから、今のところ異常はないよ」
「今のところ、って……」
「柴田さん」
「はい」
「そんな心配そうな顔しなくても大丈夫だから」
「でも……」
綾人は苦笑する。つい先ほどまで命を狙われかねない状況にいたのは美月の方なのに、彼女は綾人の身体を心配している。
この少女を戦争へ巻き込むべきではないと、綾人は改めてそう思った。
「八つの擬似聖杯。それを一つに集める事で、今回の『大聖杯』が完成するらしい」
「集めるって……どうやって?」
美月が問いかけた直後、綾人は少しだけ黙った。その沈黙だけで、美月は察してしまった。
「……まさか」
「方法について、明確な制限は提示されてないんだ」
静かな声だった。
「話し合って譲って貰っても良い。何か条件を提示して交換しても良い。だけど――」
「相手を倒して……奪う事も出来る」
美月が続きを言って、綾人は頷いた。
「そう言う事」
部屋が静かになる。
八人のマスターに六十四騎のサーヴァント。八つの擬似聖杯。
そして願望器である大聖杯。
その全てが今、普段と変わらない社会の裏側に存在している。
ニュースでは報じられない。学校でも教えられない。多くの人間が知らないまま日常生活を送っている、そのすぐ隣で、人知れず大規模な闘いが行われていたのだ。
「……睦月君も、その聖杯が欲しいんですか?」
美月がおそるおそる尋ねた。
「俺は聖杯を完成させることより、この戦争そのものを調べたい」
綾人は即答した。
「俺自身、分からない事が多過ぎるから」
「じゃあ、他のマスターと戦うつもりは……」
「向こうが戦わないなら、俺の方からは戦わない」
そこだけは明確だった。
「実はもう一人、話が出来るマスターとも接触してる。少なくとも今は敵対してないよ」
第二陣営のマスターである陽奈の事だが、名前や居場所までは明かさない。美月へ伝える情報は必要最低限に留める。
「でも、八人全員が同じ考えとは限らない」
「……第三陣営」
「うん」
綾人の表情から笑みが消えた。
「此処からが柴田さん自身の話になる」
美月の手が僅かに強張る。
「第三陣営が君を観察していた理由は、たぶんその眼だ」
「私の……眼?」
「水晶眼。古式魔法界隈では、そう呼ばれている体質」
美月は反射的に眼鏡へ触れた。
「君は普通なら見えないものが見える。霊子放射光だけじゃない。少なくともサーヴァントの霊体化や気配遮断を、ある程度無視して認識できる可能性がある」
美月の脳裏に、入学式の日の光景が蘇る。綾人の傍にいた金髪の女性。
髑髏の仮面をつけた男。
そして今日、自分を追っていた複数の影。
「だから……私を?」
「最初は能力の確認だと思う」
綾人は美月から目を逸らさなかった。
「でも今日、百貌は君が自分達を認識出来る事を確認した。それに俺と呪腕さんが介入した事で、此方が君を守ろうとしてる事も知られた」
「…………」
「だから、これからも狙われる可能性があるかもしれない」
本来なら、曖昧に濁す事も出来た。大丈夫だと言って安心させる事も出来た。
けれど、それでは駄目だ。
危険を知らなければ、自分で身を守る判断すら出来ない。
「ごめん」
綾人が頭を下げて静かに言うと、美月は顔を上げた。
「どうして睦月君が謝るんですか?」
「俺の近くにいた事で、君がサーヴァントを見られるって第三陣営に気づかれた可能性がある」
「でも、それは……」
「直接の原因じゃなくても、無関係とは言い切れないから」
綾人は少しだけ目を伏せる。美月はそんな彼を見つめた。
怖くないわけではない。むしろ怖い。
今まで自分が知っていた魔法の世界とは違う。魔法師の社会にも危険はある。犯罪も、テロも、軍事利用も存在する。
けれど今聞かされたものは、そのさらに外側だ。過去の英雄が現代へ召喚され、願いを叶えるために戦う。自分は偶然、その存在を見ることのできる眼を持っていた。
それだけで標的になった。手が震えそうになる。
だが、それでも。
「……睦月君」
「ん?」
「さっき、私を助けてくれました」
綾人が僅かに目を見開く。
「呪腕さんも」
美月は隣を見る。
「ありがとうございます」
美月は深く頭を下げる。
「いえ」
呪腕も静かに頭を下げた。
「我が主が貴女を守ると決められた。ならば、それを成すことが私の役目です」
「呪腕さん」
「何でしょう」
「そう言うと俺が何でも勝手に決める奴みたいに聞こえるけど」
「違うので?」
「……否定しづらいなぁ」
美月の口元から、小さな笑いが漏れた。その笑顔を見て、綾人はほんの少しだけ安心する。
「とにかく、暫くは一人で行動するのは避けてほしい」
「学校もですか?」
「学校の中なら俺もいるし、他にも人が多い。問題は登下校かな」
綾人は少し考える。
「出来れば俺達と一緒に帰る事。無理なら連絡して。呪腕さんか別のサーヴァントを護衛に付けるから」
「別の……?」
美月が固まった。
「そっか。睦月君、八騎いるんでしたね……」
「いるよ」
「全員……呪腕さんみたいな人なんですか?」
「どういう意味?」
「えっと……歴史上の英雄というか……」
「ああ」
綾人は考える。
「ブリテンの騎士王とか、人類最古の王様とか、インドの大英雄とか、ギリシャの大英雄とか、狐耳の良妻志望とか、源氏の棟梁とか、少し意地悪な女の子とか」
「いくつかおかしくありませんか!?」
「だいたいそんな感じだから」
『誰が意地悪な女の子ですって?』
突然、念話でメルトリリスの声が響く。
「……あ」
『聞こえてるわよ』
「いや、今のは説明上の言葉の綾で」
『帰ってきたら覚えてなさい』
そう言ってメルトからの念話が切れた。美月が恐る恐る尋ねる。
「……どうしたんですか?」
「さっき俺のサーヴァントに怒られた」
「何も聞こえませんでしたけど……」
「念話と言って、所謂テレパシーだから」
「そんな事も出来るんですね……」
「慣れるよ」
「慣れたくないような気もします……」
少しずつ、美月の強張りが解けていく。けれど綾人はこれは解決ではない事を理解している。
百貌は退いただけだ。そして第三陣営のマスターが何を考えているのか、まだ何も分かっていない。
◇
同じ頃。
第一高校から遠く離れた場所で、一人の人物が無言で端末を見つめていた。
その正体は、第三陣営のマスター。
その周囲には百貌のハサンの人格たちが散在している。
柴田美月の観察結果。水晶眼によるサーヴァント認識能力。睦月綾人の介入。
そして敵陣営アサシン『呪腕のハサン』。
報告を聞き終えた直後、端末が強制的に起動した。
『――第三陣営マスターへ通達』
無機質な声。宛先は、今回の聖杯戦争の監督役。
マスターが眉を動かす。
『本日、貴陣営所属アサシンによる非参加者への継続的接触行為を確認した』
「……やはり監視されていたか」
『監視という表現は正確ではない。当方は聖杯戦争の運営と秘匿維持に必要な範囲で、各陣営の行動を把握している』
淡々とした声が続く。
『対象は柴田美月。第一高校一年生。マスターではなく、擬似聖杯保有者でもなく、現時点で聖杯戦争へ自発的に参加した事実もない』
第三陣営のマスターは答えない。
『貴陣営の目的が対象の特殊な視覚能力に関する情報収集であった事は把握している。しかし、その目的は対象を聖杯戦争へ巻き込む正当な理由とはならない』
「彼女を殺してはいない」
『論点はそこではない』
即座に返された。
『非参加者を意図的に追跡し、複数のサーヴァント個体によって包囲し、能力確認を目的とした接触行為を行った。それ自体を問題としている』
室内の空気が僅かに張り詰める。百貌達は何も言わない。
『これは正式な警告である』
その一言で、第三陣営のマスターの表情が僅かに変わった。
『以降、柴田美月を含む聖杯戦争非参加者に対し、合理的な戦闘上の必要性なく、拉致、拘束、脅迫、能力利用を目的とした襲撃、その他これらに準ずる直接的介入を行った場合――』
端末の画面に数字が表示される。
24
それは現在、第三陣営のマスターが保有する令呪の総数を表していた。
それが次の瞬間。
24 → 16
という表示へ変化した。
『令呪八画を没収する』
初めて、第三陣営のマスターが明確な反応を見せた。
「……八画?」
『その通り』
「一騎分ではなく、八画……?」
『今回の聖杯戦争において、令呪は一騎につき三画、合計二十四画。八画の喪失が戦力運用へ与える影響については説明不要と判断する』
八画。単なる罰金のようなものではない。
サーヴァントへの絶対命令権。そして状況次第では、魔力的な補助にも利用できる切り札。
それを三分の一、まとめて奪う。
重い。あまりにも重い罰則だった。
「……一つ確認したい」
『許可する』
「戦闘中、無関係な人間が偶然巻き込まれた場合も処罰するのか?」
『状況により判断する』
監督役は即答した。
『聖杯戦争において完全な被害ゼロを保証することが現実的でない事は承知している。偶発的被害と、非参加者を意図的に標的とする行為は区別する』
「なら、柴田美月が自ら此方へ関わった場合は?」
『その時点での状況と本人の意思を確認する』
「……なるほど」
『規則の穴を探すことは推奨しない』
先回りされて、第三陣営のマスターは僅かに口元を歪める。
「今回の聖杯戦争の監督役は随分と優秀だな」
『褒め言葉として受け取っておこう』
声には感情らしいものがほとんどない。
『それと、もう一点』
「何だ?」
『本日の戦闘について、第一陣営マスター睦月綾人および所属アサシンによる行動は、非参加者の保護を目的とした防衛行為と認定する』
第三陣営のマスターの目が細くなる。
『したがって、彼らへの処分はない』
「最初から此方だけが悪いと?」
『善悪について判定しているのではない』
監督役は淡々と返す。
『規則に基づき、行為を判定している』
その違いは大きい。
『聖杯戦争は殺し合いを推奨するための無法地帯ではない。願望器を巡る競争である以上、戦闘そのものを禁止はしない。しかし現代社会の中で行われている以上、秘匿と非参加者への被害抑制は全陣営に課された義務である』
少しの間が置かれる。
『第三陣営マスター』
「聞いている」
『今回に限り警告のみとする』
画面の表示が元へ戻る。
24
令呪はまだ失われていない。
『次はないと思え』
短い一言だった。
『同様の行為が確認された場合、警告を挟まず八画を没収する。それでも繰り返す場合は更に没収する』
通信が切れ、室内に沈黙が残る。
やがて、百貌の一人が口を開いた。
『我らの独断ではない。命じたのは主だ』
「分かっている」
第三陣営のマスターは端末を置いた。
「責めているわけじゃないさ」
『ならば、次はどうする』
問いかけに、すぐには答えなかった。
柴田美月。サーヴァントを認識する特殊な眼を持つ少女。
可能ならば詳しく調べたかった。しかし監督役が明確に介入した以上、これ以上直接手を出すのは割に合わない。
何より、彼女を守る存在がいる。
「……睦月綾人」
その名を口にする。
柴田美月そのものより、今日得られた情報には別の価値があった。彼は聖杯戦争と無関係な少女一人のために、自ら前へ出た。そしてアサシンを護衛として動かした。
非参加者を見捨てられない。それが本心なのか、あるいは単なる建前なのか。それはまだ分からない。
だが、一つだけ確かなことがある。
「柴田美月への直接接触は中止する」
『良いのか?』
「ああ。監督役に令呪を持っていかれる方が困る」
そこで言葉を切る。
「それに、もう十分だ」
百貌たちが主を見る。
「柴田美月の眼については確認出来た。そして睦月綾人が、どういう人間なのかも少し見えた。十分な収穫だ」
窓の外では、何も知らない人々の灯りが一つ、また一つと点いていく。学生は家へ帰り、家族は夕食を囲み、明日の予定を考える。
その日常の裏側で、八人のマスターと六十四騎の英霊。八つの擬似聖杯。
そして大聖杯を巡る戦争が動き続けている。
◇
同時刻。今日で聖杯戦争を初めて知った美月は、セーフハウスのテーブルで冷め始めた茶を両手で包みながら、自分の眼鏡越しに呪腕のハサンを見つめていた。
今まで自分には、他人には見えないものが見えるだけだと思っていた。それが少し不便で、時々怖くて、それでも自分の一部として付き合っていくしかないものだと考えていた。
けれど今日、その眼によって世界の裏側を見てしまった。
英霊。サーヴァント。マスター。聖杯戦争。
そして――大聖杯。
「睦月君」
「ん?」
「一つだけ、聞いても良いですか?」
「勿論。何かな?」
美月は迷ってから問いかけた。
「この戦い……終わらせられるんですか?」
綾人はすぐには答えなかった。
終わらせられる。そんな無責任なことは言えない。
相手は七人のマスターと最大五十六騎のサーヴァント。陽奈の様に話し合える者もいる。第三陣営のように目的のため他者へ手を伸ばす者もいる。更に危険な思想を持つマスターが存在する可能性だってある。
そもそも、大聖杯の正体すら分かっていないのが現状だ。
「終わらせるよ」
それでも綾人は答えると、美月が顔を上げる。
「どう言う形になるかは、まだ分からない。全員と話し合えるかもしれないし、戦わなきゃ止められない奴もいるかもしれない。大聖杯そのものを壊す必要が出る可能性だってある」
けれど、その声に迷いはなかった。
「少なくとも、何も知らない人達が巻き込まれる様な形にはさせない」
呪腕は何も言わず、ただ主である綾人の背後に立っている。
美月はしばらく綾人を見つめた後、小さく頷いた。
「……分かりました」
恐怖が消えたわけではない。不安も残っている。
それでも今は、一人ではなかった。
そして綾人もまた、この時まだ知らなかった。
監督役から第三陣営へ下された警告。次に非参加者を意図的に巻き込めば、令呪八画没収。
その規則が示したものは、単なる罰則ではない。
監督役は八つの陣営を監視が出来るうえに、令呪へ直接干渉する権限を持つ。そして必要ならば、聖杯戦争そのものへ介入出来る。
………では、その権限を一体誰が与えたのか。
大聖杯を作ったのは誰なのか。なぜ八人の転生者が選ばれたのか。
まだ誰も、その答えを知らない。
八つの聖杯を巡る戦いには、マスターたちですら知らされていない何かが存在していた。
『Fate/stay night』の言峰綺礼や『Fate/Apocrypha』のシロウ・コトミネ(天草四郎時貞)と違ってまともに働く監督役、逆に怪し過ぎる。
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