放課後。
昼休みに二年前の一件について話したことで、綾人と生徒会の間にあった距離は急速に縮まっていた。もっとも本人としては、秘密を一つ明かしただけで学校生活の行動範囲まで広がるとは思っていなかったのだが、授業を終えて帰宅しようとしたところを七草真由美に呼び止められ、気づけば再び生徒会室の前に立っていた。
「今日二回目なんですけど」
「良いじゃない。そろそろ場所も覚えたでしょう?」
「そういう問題ですか?」
真由美に促されて中へ入ると、昼休みとは顔触れが少し変わっていた。市原鈴音、中条あずさに加え、今度は昼に不在だった生徒会唯一の男子生徒である副会長の服部刑部少丞範蔵がいる。渡辺摩利も風紀委員長として顔を出しており、さらに達也と深雪も呼ばれていた。
司波兄妹も呼び出されていた理由は、深雪へ真由美が生徒会への加入を正式に持ち掛けてたからだ。
入学試験首席という実績に加え、実技・学科の双方で高い能力を示している深雪であれば、生徒会役員として申し分ない。深雪自身も多少の戸惑いを見せたものの、達也へ視線を向け、兄が静かに頷いたのを確認すると丁寧に頭を下げた。
「私でお役に立てるのでしたら、喜んでお引き受けいたします」
「ありがとう。歓迎するわ、深雪さん」
真由美が嬉しそうに微笑み、あずさもぱっと表情を明るくする。鈴音は落ち着いた様子で頷き、服部も入学生総代である深雪の加入については異論がないらしい。
問題になったのは、その後だった。
「それと、達也君には風紀委員会へ入ってもらおうと思っている」
摩利の言葉に、服部の眉が動いた。
「達也君というのは……兄の方ですか?」
「そうだ」
「しかし彼はウィードでしょう」
空気が僅かに変わる。
達也自身は表情を変えなかったが、深雪の瞳に一瞬だけ鋭いものが宿った。綾人はそれに気づき、内心で「深雪、落ち着け」と思いながら壁際へ軽く体重を預ける。
服部に悪意があるというより、彼の中では一科生と二科生の区別が明確なのだろう。だが、それを理由に最初から能力まで決めつけるのなら話は別だった。
「風紀委員は校内で発生する魔法を用いたトラブルにも対処する役職です。一科生ならともかく、二科生に務まるとは思えません」
「………服部先輩」
綾人が静かに口を開けると、服部が振り返る。
「何だ?」
「一つ確認してもよろしいですか?」
「構わない」
「風紀委員の選考基準に、一科生でなければならないという規定はありますか?」
服部が一瞬黙る。
「……明文化された規定はない」
「では、風紀委員に必要なのは一科生であることではなく、風紀委員として職務を遂行できる能力ですよね」
「それはそうだ。しかし、一科生と二科生には実技能力に――」
「平均値なら差があるでしょうね」
綾人は否定しなかった。
「でも今話しているのは一科生と二科生の平均値じゃなく、司波達也という一個人が風紀委員を務められるかどうかです。所属している科だけで判断するなら、本人の能力を調べる意味がありません」
服部の眉間に皺が寄る。
「入試の実技成績によって一科と二科は分けられている。その評価を無視するのか?」
「無視はしません。ただ、その試験で測っている能力と、風紀委員に必要な能力が完全に同一なのか、という話です」
綾人の声は未だ落ち着いていた。相手を言い負かそうと声を荒らげることもない。ただ、論点を一つずつ整理していく。
「例えば発動速度、規模、干渉力。学校側の実技評価には明確な基準があります。でも実戦や対人制圧では、それ以外にも相手の魔法を読む能力、状況判断、反応速度、戦術、CADの扱い、最小限の手段で相手を止める技術が必要になる。入試の結果だけで、その全部を評価できるとは思えません」
鈴音が僅かに目を細めた。綾人の言葉には筋が通っている。
摩利も口を挟まず、むしろ興味深そうに綾人を見ていた。服部は反論しようとしたが、綾人は最後に一つだけ付け加えた。
「それに、もし司波が風紀委員として不適格なら、その理由は『二科生だから』じゃなく、『必要な能力を持っていないから』であるべきです。逆に必要な能力があるなら、二科生という理由だけで外す方が不合理だと思います」
沈黙が落ちた。
「……綾人さんの仰る通りです」
深雪が静かに言う。
その声は美しいほど穏やかだったが、兄を低く評価されたことへの不満が完全に消えたわけではない。それでも綾人が感情ではなく論理で話してくれたことで、彼女自身も冷静さを保てていた。
真由美は口元に微笑を浮かべる。昼休み、生徒同士の揉め事を穏便に収めた時にも思ったが、綾人は感情的な対立を整理するのが上手い。相手そのものを否定せず、問題になっている論点だけを切り離す。
それは戦闘能力とはまったく違う種類の強さだった。
「では、実際に能力を確認すればいい」
服部の発言に綾人が僅かに眉を上げる。
「司波。模擬戦をしないか」
「構いません」
達也の返答は即答に近かった。
「お兄様……」
「心配するな、深雪」
達也は淡々としている。綾人はその横顔を見て、達也よりもむしろ服部の方を心配した。
三年前から達也の異常性を多少なりとも知っている綾人にとって、これは実力を確認するというより、服部が達也の実力を身をもって知るための時間に思えたからだ。
◇
模擬戦は第一高校の演習施設で行われることになった。
安全管理用のシステムを起動し、双方が実戦を想定したCADを使用する。ただし当然ながら、相手へ重大な傷害を与えるような魔法は禁止されている。
服部は開始位置につき、達也を見据えた。彼としても単なる意地で戦うわけではなかった。風紀委員には実力が必要だ。その考え自体に間違いはないと今でも思っている。
だからこそ、確かめる。
二科生でありながら風紀委員へ推薦された司波達也が、本当にその任に値するのか。
「両者、準備はいいな?」
摩利が確認する。
「はい」
「問題ありません」
達也の手には、拳銃型特化CAD『シルバー・ホーン』。
少し離れた場所では真由美、摩利、鈴音、あずさ、深雪、綾人が見守っている。
あずさだけは戦闘よりも達也のCADに目が釘付けになっていた。
「……あれ、本当にシルバー・ホーン……?」
「中条先輩?」
「えっ? あ、ううん、何でもないです!」
綾人が声を掛けるとあずさは慌てて返事をするが、明らかに何でもない反応ではなかった。
「始め!」
摩利の声が響いた。
次の瞬間、勝負は決まった。
「――そこまで!」
開始と終了の声が、ほとんど連続した。服部の身体が硬直している。本人が最も理解出来ていなかった。
服部は魔法を発動しようとした、そのはずだった。しかし起動式を展開し魔法式を完成させるより先に、達也は服部の行動を読み切り『シルバー・ホーン』の引き金を弾くと起動式が霧散した。そして達也は目にも映らない速度で移動し、服部の背後を取って彼の後頭部に銃口を向けていた。
勝敗は一瞬だった。服部は振り向いて目を見開いたまま達也を見る。
「……何が……」
「勝負ありだ」
摩利が告げる。真由美達生徒会メンバーが予想外な勝敗に驚く中、深雪は当然というように微笑んでいた。そして、綾人も特に驚いてはいない。
「やっぱり速いな」
その呟きを真由美が聞き逃さなかった。
「随分落ち着いているのね、睦月君」
「達也ならこれくらいやると思ってましたから」
「へえ……」
真由美の瞳に面白そうな光が浮かぶ。綾人は、その表情を見た瞬間に嫌な予感を覚えた。
「ねえ、睦月君」
「嫌です」
「まだ何も言ってないわよ?」
「七草先輩がその顔をすると、大体碌な事をにならない気がしてきたので」
「入学して数日なのに、もう私の事を理解してくれて嬉しいわ」
「いや、褒めてません」
真由美はくすりと笑うと、摩利へ視線を向けた。
「折角だし、もう一試合やらない?」
「七草先輩」
「だって気になるでしょう? 二年前の時点であの施設から私たちを救出した睦月君が、今どれくらい強いのか」
綾人の目が僅かに細くなる。それは綾人にとってあまり見せたくない部分だった。実力を隠し切れるとは考えていない。しかし政府関係の仕事を続けている以上、手札を不用意に晒す趣味もない。
「その相手」
摩利が尋ねる。その声音が妙に楽しそうだった。それを見て綾人の中で嫌な予感が二倍になった。
「私がやろう」
「渡辺先輩?」
「丁度良い。私も昼から気になっていたんだ。十四歳で実戦経験を積んでいた人間が、どんな戦い方をするのか」
「俺に断る選択肢は」
「あるぞ」
摩利は即答した。
「ただ、私はかなり残念がる」
「圧がすごいですね」
綾人は溜め息を吐いた。模擬戦を断ること自体は簡単だ。しかし昼に過去の一部を明かした以上、これから関わることになる生徒会や風紀委員会に最低限の能力を見せておくことにも利点はある。
何より、摩利の立ち姿を見れば分かる。
強い。単純な魔法力だけではない。体重の置き方、視線、呼吸、間合いの取り方。武芸を経験した者特有の無駄のなさがある。
綾人の中の戦闘者としての部分が、僅かに興味を示した。
「……分かりました。ただし、本気で怪我させるようなことはしませんよ」
「それはこちらの台詞だぞ」
摩利が笑った。
◇
演習場の中央に立った綾人は、左手首のブレスレットへ触れた。
(『玩具箱』起動)
ブレスレットが変形を始める。展開された部品が綾人の両腕と両脚へ沿うように配置され、数秒後には籠手と具足を思わせる装備へ変化していた。
その瞬間、一同は驚きの反応をする。
「…………え?」
特にあずさの目が大きく見開き、達也も僅かに視線を鋭くする。
通常のCADとは明らかに構造が違う。単なる携帯端末型でも、特化型でもない。
「何ですか、あれ……?」
あずさが無意識に一歩前へ出る。
「中条さん、後にしましょう」
鈴音が服を掴んで止めた。
「でも市原先輩、あれ――」
「後で」
「……はい」
珍しくしょんぼりするあずさを横目に、綾人は軽く身体を動かした。
今回選択したのは『玩具箱』の第五形態『籠手・具足』。肉体動作と魔法を最も自然に組み合わせられる近接戦闘形態である。
「準備は?」
摩利が尋ねる。
「大丈夫です」
綾人は構えた。その姿を見て、摩利の表情から笑みが消えた。
構えを見ても流派が分からない。拳は八極拳を思わせる位置にある。しかし下半身の重心はそれだけではない。蹴りを放つための自由度が異様に高く、足運びには別系統の武術が混在している。
摩利は直感した。あの構えは競技用ではない。
目の前の少年が、自分の身体と魔法に最適化するため、複数の技術から必要なものだけを取り込み、実戦の中で磨いてきた戦闘体系だ。
「始め!」
合図と同時に摩利が動く。先手を取った。
高速で起動式を展開しながら間合いを詰める。近接戦闘へ魔法を組み込むことに関して、摩利には絶対的な自信がある。
だが、目の前で綾人が消えた。
「っ!」
正確には、消えたように見えるほど加速した。
加速系魔法。しかし単純な身体加速ではない。
踏み込みの瞬間だけ速度を上げ、次の瞬間には出力を落とす。常時加速するのではなく、一歩、一動作、一撃という極めて短い単位で魔法を切り替えている。魔法の無駄がない。
摩利は反射的に身体を捻ると、その脇を綾人の拳が通過する。避けた。そう判断した瞬間、綾人の肘が迫った。
八極拳による短い間合いで爆発的な力を生み出す動作だ。
摩利は腕で受けるが、身体の芯にまで衝撃が響く。
「くっ……!」
籠手そのものの補助に加え、接触する瞬間だけ肉体強化が重ねられている。重い一撃だが摩利も簡単には崩れない。腕を流し、そのまま綾人の懐へ入ろうとする。
すると綾人の身体が不自然なほど滑らかに沈んだ。低い姿勢。片手を床近くまで下げ、身体を回転させる。
「これは――」
ブラジリアン格闘術『カポエイラ』の動きだった。
摩利の足元へ円を描くような蹴りが走る。摩利は跳んで回避するが、それを綾人は最初から読んでいた。立ち上がる動作と同時に、今度は鋭い蹴りが縦に跳ね上がる。
今度は韓国の『テコンドー』の蹴り技。
摩利が身体を逸らすと、彼女の頬の直ぐ前を具足が通過した。そこから綾人は脚を戻さない。軌道を変え、靴底を押し出すような蹴りへ繋ぐ。
次はフランスの格闘技『サバット』の蹴りが迫る。
「っ!」
摩利は腕を交差して蹴りを防いだ。しかし接触の瞬間に、綾人の具足を中心に魔法式が完成する。
肉体強化と加速。二つの効果が必要な瞬間だけ重なる。
摩利の身体が後方へ押し戻された。
「……なるほどな!」
着地と同時に摩利が笑う。
強い。予想していた以上に。
いや、これは「高校一年生として強い」という次元ではない。綾人は武術を使い分けているのではなかった。
八極拳、テコンドー、カポエイラ、サバット。本来なら思想も間合いも異なる複数の格闘技を、一つの戦闘体系として繋いでいる。
拳から肘。肘から回転。回転から蹴り。蹴りから踏み込み。そこへ現代魔法による加速、強化、姿勢制御を挟み、人体だけでは生まれないリズムを作り出す。
動きが読みづらい。
摩利は自分の経験が、逆に判断を遅らせていることに気づいた。
八極拳の動きから次を予測すれば、テコンドーの蹴りが来る。蹴りの間合いを外せば、カポエイラの変則的な体捌きで角度を変えられる。そこを詰めれば、サバットの足技で止められる。
ならば、距離を取るのが先決と判断した。
「接近戦に付き合う必要はないな」
摩利がCADを操作して魔法式展開。綾人の足元へ干渉。
だが発動する直前、綾人が地面を蹴った。
「速い――!」
魔法の発動そのものを見てから動いたのではない。
CAD操作。視線。姿勢。呼吸。そこから発動のタイミングを読んでいる。
達也の目が細くなる。
「……やはり、対魔法師戦に慣れているな」
「お兄様?」
「睦月は魔法そのものではなく、魔法師を見ている」
深雪が綾人を見る。達也の言葉の意味を理解し、改めて二年前の話を思い出す。魔法師を相手にすることに特化した戦い方。
それこそが、彼が裏側で『魔法師殺し』と呼ばれる理由の一端だった。
摩利の魔法が発動するより僅かに早く、綾人が間合いへ入った。右拳を摩利が防御。しかし、それはフェイント。綾人の重心が反転し、左脚が上がった。摩利は蹴りを警戒する。
だが蹴らない。
上げた脚をそのまま踏み込みへ変え、身体全体を一気に密着する距離まで押し込む。
「――!」
肩。肘。掌。
八極拳を基礎とした極端な近距離の連続動作。しかし一発一発を打ち抜かない。すべて寸前で威力を抑えている。それでも摩利の姿勢は完全に崩された。
綾人が最後に摩利の腕を取り、重心をずらす。
その反動で摩利の身体が宙を浮いた。次の瞬間、床へ叩きつける直前で止まる。
綾人は摩利の身体を支えたまま、静かに言った。
「……此処までで良いですよね?」
数秒の沈黙。摩利は目を瞬かせ、それから大きく息を吐いた。
「……ああ、参った」
勝負終了。綾人の圧勝だった。
見守っていた者達は、暫く声を出せなかった。深雪でさえ驚いている隣で達也だけは比較的冷静だったが、それでも綾人への評価を大幅に修正していた。
単に身体能力が高いのではない。魔法が強いのでもない。格闘技が上手いだけでもない。
すべてが繋がっている。
魔法と肉体を別々の武器として扱うのではなく、最初から一つの戦闘技術として組み上げている。
しかも、まだ隠している。達也にはそれが分かった。今の綾人は全力ではない事を。
「渡辺先輩、大丈夫ですか?」
綾人が摩利を起こす。
「ああ。手加減された側が言うのも情けないが、怪我一つない」
摩利は立ち上がると、自分の両手を見た。悔しくないと言えば嘘になる。風紀委員長として、そして近接戦闘を得意とする魔法師として自負もある。それを正面から、それも自分の得意分野で完全に上回られたのだ。
だが不思議と不快ではなかった。それ以上に興味が勝っている。
「睦月」
「はい?」
「お前、本当に一年生か?」
「そんなに疑うなら学生証見ましょうか」
「そういう意味じゃない」
真由美が堪え切れずに笑った。
「摩利がここまで一方的に負けるの、初めて見たかもしれないわ」
「真由美。後で覚えておけよ」
「怖い怖い」
まるで怖がっていない。その横で、あずさだけが別の意味で震えていた。
「……すごい」
視線は綾人ではなく、綾人の腕と脚に装着された『玩具箱』。
そして次の瞬間、あずさが猛烈な勢いで距離を詰めた。
「睦月君!」
「はい?」
「それ!そのCAD!見せて貰っても良いですか!?」
「え?」
「さっきブレスレットだったですよね!? そこから籠手と具足に変形しましたよね!?でも変形機構だけじゃなくて起動式の展開方式も普通の特化型CADと違うように見えたし、複数系統の魔法をほとんど遅延なく切り替えてたし、それに各部のデバイスが独立してるように見えるのに処理は同期してて――」
「あーちゃん」
真由美が呼ぶが、あすざには聞こえていない。
「演算補助を分散させてるの? それとも中枢処理はブレスレット部分に残ってる?でもあの変形だと物理的な接続位置が変わるから情報伝達をどうしてるの?無線?いやでも戦闘用CADで無線依存は――」
「あーちゃん」
「それに外装も市販品じゃないよね!?メーカーは何処ですか!?」
綾人は若干身体を引いた。戦闘中の摩利より圧が強い。
「……俺です」
「え?」
あずさが止まった。
「メーカーと言うか……設計して組み立てたの、俺です」
沈黙。あずさの瞳がさらに大きくなる。
「…………自作?」
「はい」
「一から?」
「まあ、幾つか既存技術もかなり参考にしてますけど」
「オリジナル?」
「そうなりますね」
次の瞬間、あずさの表情が今日一番輝いた。
「見せて!!」
「近い近い近い!」
綾人が思わず後退する。その光景に普段は冷静な鈴音が額へ手を当てた。
「中条さん。落ち着いて下さい」
「無理だよ市原先輩!オリジナルCADですよ!?しかも可変式!あんな実戦レベルで動く可変型CADを高校一年生が自作したんだよ!?」
「中条先輩、声が大きいです」
「だって!」
普段のおどおどした雰囲気は完全に消滅していた。CADのことになると人格が変わる。その事実を綾人は新たな知識として記憶した。
すると、あずさの視線が今度は達也の手元へ移る。
「それに司波君!」
「はい」
「そのCAD……シルバー・ホーンですよね?」
「そうです」
「やっぱり!」
再びスイッチが入った。
「特化型CADの中でも演算効率と応答性に優れたシリーズで、特に射撃系魔法との相性が――」
達也は表情こそ変えないものの、若干困っているように見える。
綾人と目が合った。
「司波」
「何だ」
「頑張って」
「睦月もな」
見ると、あずさの視線が再び玩具箱へ戻っている。綾人は珍しく本当に困った表情をする。
「……逃げたいなぁ」
「諦めろ」
「さっき俺、服部先輩の件で味方してたよね?」
「それとこれとは別だ」
「薄情者だね」
「睦月君、これって他の形態もあるの!?」
あずさが食いつく。どう答えるか綾人は黙った。
「……あるんだ?」
「…………」
「今の間、絶対あるよね!?」
勘づかれた。
「何種類!?」
綾人は観念して答えた。
「全部で九形態です」
あずさが完全に停止した。
真由美が「あ」と呟く。鈴音は目を閉じた。摩利は嫌な予感を覚えた。
「……九?」
「はい」
「これ以外に八種類?」
「まあ、そうなります」
「全部見せて!」
「やっぱりそうなるか……!」
大剣、双剣、槍、盾、籠手・具足、拳銃、三節棍、鎌、弓。正確な分類を始めればさらに説明が必要になるが、少なくとも玩具箱が単なる一種類のCADではないことだけは伝わった。
あずさの興奮は収まりそうになかった。その様子を眺めながら、真由美は楽しそうに微笑んでいた。
昼休みに知ったのは、二年前の綾人だった。そして放課後に見たのは、現在の綾人。
十四歳で魔法師を相手に実戦を経験し、二年後の今では風紀委員長である摩利を正面から圧倒するだけの戦闘能力を持つ。そのうえ、高性能なオリジナルCADまで自作している。
知れば知るほど、分からないことが増えていく。
睦月綾人。一体、これまでどんな人生を送ってきたのだろう。
真由美の中で、二年前に自分を救ってくれた少年への感謝とは別の興味が、確実に芽生え始めていた。
一方、摩利は敗北の感触を静かに反芻していた。
悔しさはある。だが、それ以上に思う。
――彼が欲しい。
もちろん妙な意味ではない。あれほどの実戦能力を持つ人間を、風紀委員会が放っておく理由がない。
「睦月」
あずさに玩具箱を質問攻めされていた綾人が振り返る。
「はい?」
「やはり風紀委員会に来ないか?」
「まだ諦めてなかったんですか?」
「むしろ今ので余計に欲しくなったくらいだ」
「摩利、それはずるいわ」
真由美も会話へ加わる。
「綾人君なら生徒会でも活躍出来ると思うけれど?」
「あれ?七草先輩まで名前呼びになってません?」
「北山さんと光井さんが呼んでいたから、私も良いかなって」
「それは別に構いませんが……」
その横で深雪が静かに微笑んでいる。兄が風紀委員へ入ることになり、自分は生徒会へ加入する。そして綾人まで生徒会か風紀委員会へ勧誘され始めている。
入学したばかりだというのに、三人の学校生活は急速に動き始めていた。
達也もまた、そんな綾人を静かに観察していた。今日の模擬戦で一つ確信したことがある。綾人が二年前の事件について語った内容に誇張はない。
むしろ逆だ。
彼は意図的に、自分が何をしてきたのかを小さく話している。そしておそらく自分と同じように、まだ誰にも見せていない力がある。
達也はそれを問いただそうとは思わなかった。誰にでも明かせないものはある。それは自分が一番よく知っている。
だから今は、それでいい。
一方その頃、綾人の意識へ呆れたような念話が届いていた。
『随分楽しそうじゃない』
メルトだった。
(見てたの?)
『途中からね。それで?あの女に随分接近されてたけど』
(中条先輩? 玩具箱を見てただけだぞ)
『そっちじゃないわよ』
(渡辺先輩?模擬戦しただけだけど)
『……もういい』
メルトからの念話が切れ、綾人は首を傾げる。
「?」
「どうしたの、綾人君?」
真由美に聞かれ、綾人は首を横に振った。
「いえ。なんか急に知り合いが機嫌悪くなった様な気がして」
その言葉を聞けるはずもない場所で、メルトリリスの機嫌がさらに少しだけ悪化したことを当然ながら、綾人が理解することはなかった。
こうして司波深雪の生徒会加入と、司波達也の風紀委員会入りが決まり、さらに二つの模擬戦によって彼らの実力の一端が上級生たちへ知られることとなった。
そして同時に、これまで学校の外側で戦うことの多かった綾人もまた、生徒会と風紀委員会という第一高校の中心へ少しずつ引き込まれ始めていた。
極東大聖杯戦争。八人のマスター。六十四騎のサーヴァント。
その巨大な戦いが水面下で動く一方で、睦月綾人の高校生活もまた、本人の想像を遥かに超える速度で賑やかになりつつあった。
お気に入り登録と感想コメントお願いします。