転生先が殺し合いを約束された帝国の第三王子だった件   作:冷やかし中華

10 / 10
下書そのものは百話分くらいストックあるので、私自身が納得いくまで推敲してから公開していく予定です。
引き続き楽しんでいただけるように努めていくので、よろしくお願いいたします。


007_02_王子なので、見たくないものも見ることにした

 調べる。

 そう決めてから最初にやったのは、何もしないことだった。

 

 

     ◆

 

 

「右」

 

 来る。

 《流》。

 受ける。

 

「左」

 

 今度は、言葉を信じない。

 視線。肩。腰。足。右。いや。

 

「腹」

「あ」

 

 遅れた。

 

「痛っ!」

「考えすぎ!」

「この前は考えろって!」

 

 考えた分だけ、身体が遅れる。

 

「考えるのと止まるのは違う!」

「難しい!」

「だから練習してんのよ!」

 

 殴られた。

 不可持民について調べ始めても、先生との修行は何も変わらなかった。正確には、変えさせてもらえなかった。

 

「今日は流」

「はい」

「明日は円」

「はい」

 

 休みが課題表に入っている。

 

「その次は休み」

「はい」

 

 休みの日が入っている。

 

「顔」

「何?」

「休みって言うたび嫌そうな顔すんのやめなさい」

「してません」

「してる」

 

 先生との契約は残り少ない。だから俺としては、できるだけ詰め込みたかった。でも、先生はむしろ、前より修行時間を短くした。

 

「何で?」

「アタシがいなくなった後も同じ量やるつもり?」

「できるなら」

「そういうところよ」

 

 怒られた。

 最近、何を言っても、そこで済まされる。

 

 

     ◆

 

 

 不可持民について、最初の数日は、本当に見るだけにした。あの日の施設。作業者名簿。別に管理されている記録。担当部署。それから、俺の権限で閲覧できる範囲の資料。

 読む。

 

「これ、何で別なんですか?」

「以前より、そのように管理されております」

「以前って?」

「詳細は存じません」

「法律?」

 

 言葉を選んでいる。選ぶということは、答えを持っている。

 

「……必ずしも」

「じゃあ何?」

「慣例、と申しますか」

 

 別の日。

 

「この地方だと扱い違うけど」

「地方ごとの慣習がございますので」

「同じ不可持民なのに?」

「はい」

 

 また別の日。

 

「この仕事しかできない?」

「禁止されているわけではございません」

「じゃあ別の仕事も?」

「現実には、難しいかと」

 

 禁止されていない、と難しい、の間に全部ある。

 

「何で?」

「その……」

 

 止まる。

 

「分からない?」

「申し訳ございません」

「いや。分からないなら、それでいい」

 

 謝らせたいわけではない。

 聞くほど、分からないことが増えた。

 最初、俺は、不可持民という大きな制度が一つ存在していると思っていた。その制度を見つける。悪いところを調べる。直す。終わり。そんなものを、どこかで想像していた。

 違った。

 少なくとも俺が調べた範囲では、これだと指差せる一枚の紙がない。法律らしいもの。地方規則。役所の運用。昔からの慣習。理由の分からない決まり。理由を知っていても、口にしたがらないもの。

 そして、紙には何も書いていない、ただの差別。

 先生に言われた。

 何が法律で、何が慣習で、何がただの嫌がらせなのか。

 一緒にするな。

 

「……先生」

「何?」

「面倒」

「でしょうね」

 

 中身を言っていないのに、面倒だということだけは伝わった。

 

「知ってた?」

「何調べてるか聞いてないもの」

 

 聞かないと決めたら、本当に聞かない人だ。

 

「そうだった」

「大きい問題なんでしょ?」

「多分」

「なら面倒に決まってるじゃない」

 

 身も蓋もなかった。

 

 

     ◆

 

 

 あと十日だった。

 数えるのはやめようと思っていたのに、朝になると勝手に数字が出てくる。

 四十二だったものが、いつの間にか十になっていた。

 

「坊や」

「はい」

「これ」

 

 白い紙。一枚。渡された。

 

「何?」

「最後の課題」

「試験?」

「そんな大層なもんじゃないわよ」

 

 見る。何も書いていない。

 

「何するんです?」

「アタシが帰った後の予定を作りなさい」

「修行?」

「他に何があんのよ」

「ああ」

 

 簡単だった。その日の夜、作った。

 

「多い」

「え」

「多い」

「まだ半分しか見てない」

「半分見れば十分!」

 

 翌朝。

 俺の予定表は、先生の手で真っ赤になった。

 

「朝。走る」

「はい」

「体幹」

「はい」

 

 最後の課題表だった。

 

「基礎体術」

「はい」

「午前、公務中に纏と観察」

「はい」

 

 まだ半分も来ていない。

 

「午後、剣」

「日によります」

「その後、流」

「はい」

 

 一年分の順番が、そのまま紙に並んでいる。

 

「円」

「はい」

「隠」

「はい」

 

 最後の一行で止まった。

 

「夜」

「復習」

 

 一日の表に、空いている時間がない。

 

「休みは?」

「あります」

「どこ」

「睡眠」

 

 先生が目を閉じた。

 

「坊や」

「はい」

「それは休みじゃない」

「でも八時間」

「そういう話してない!」

 

 赤。赤。赤。

 消される。

 

「ここ休み」

「二時間も?」

「二時間も、じゃない」

「ここも?」

「休み」

 

 休みが二つ入っていた。今までの表にはなかったものだ。

 

「次の日」

「軽くする」

「何で?」

「アタシがいなくなるから」

 

 手が止まった。

 

「クッキィちゃんもいなくなる」

「はい」

「今までより回復に時間がかかる」

「分かってます」

「分かってないから、こんな予定になるの」

 

 言い返せない。

 

「一年ならね」

 

 紙を指で叩く。

 

「無茶しても、身体がついてくることはある」

「はい」

「十年やるなら?」

 

 黙る。

 

「二十年なら?」

 

 もっと、黙った。

 

「アンタ」

 

 先生が俺を見る。

 

「続けるんでしょ?」

「はい」

「なら、続けられる量にしなさい」

「でも」

 

 やれる日の量で組むと、やれない日に全部崩れる。

 

「でも?」

「できるなら、やった方が」

「違う」

 

 即答だった。

 

「できること全部やるのと、必要なことを続けるのは別」

「……はい」

「壊れない方が最後に勝つのよ」

 

 覚えておこうと思った。

 

 

     ◆

 

 

 予定表が、だいたい半分になった頃、先生が。

 

「じゃ」

 

 と言った。

 

「次」

「まだあるの?」

「卒業試験」

「さっき最後の課題って」

 

 増えた。

 

「あれは宿題」

「違うんだ」

「違う」

 

 先生が指を一本立てる。

 

「問題」

「はい」

「一回目って、何回あると思う?」

 

 止まる。

 

「……一回?」

「不合格」

「え」

「明日までに考えなさい」

「待って」

 

 答えを言う前に次へ行く。

 

「次」

「次あるの!?」

「発」

 

 話が飛んだ。

 

「急だな!」

「発」

「はい」

「一年経つけど」

「はい」

 

 一年、作らなかった。

 

「まだ?」

「まだ」

「でしょうね」

 

 意外だった。

 

「怒らない?」

「何で?」

「作らないことを目的にするなって」

「言ったわね」

 

 一年前の言葉を、まだ持っている。

 

「今も作ってない」

「作らないことが目的?」

 

 そこだけ確かめて、あとは何も言わなかった。

 

「違います」

「じゃあいい」

「軽いな」

「何が欲しいかは分かった?」

 

 考える。

 

「増えた」

「は?」

「欲しいもの」

 

 身を守るもの。姉さんを守れるもの。見つからないもの。相手を見るもの。

 逃げるもの。追うもの。壊すもの。壊さずに済ませるもの。

 この一年で、必要だと思うものばかり増えた。

 

「だから?」

「決められない」

「なら、まだ作るな」

 

 作れと言われると思っていた。

 

「いいんですか」

「何でもできる能力なんて作れないわよ」

「はい」

「最後は選ぶことになる」

 

 選ぶ。

 最近、その言葉をよく聞く。

 

「それまでは?」

「基礎」

 

 一年前と同じ答えだった。

 

「やっぱり」

「嫌?」

「いいえ」

「でしょうね」

 

 先生が笑った。

 次の日。

 

「で?」

「何が?」

「一回目」

「あ」

 

 考えた。一晩。

 

「毎日?」

「何が」

「一日の最初にやる基礎が、その日の一回目」

「ふうん」

 

 自信はなかった。

 

「違う?」

「不合格」

 

 早い。

 

「また!?」

「明日」

「正解あるの?」

「さあ」

 

 扇子で口元を隠した。

 

「出題者ですよね?」

「だから?」

 

 理不尽。さらに、次の日。

 

「失敗した後?」

「何が?」

「一回目」

「続けて」

「できると思ってたのにできなかった時、基礎へ戻る。その時がまた一回目」

 

 自分でも、言いながら足りない気がした。

 

「ふうん」

「どう?」

「不合格」

「先生!」

 

 笑われた。

 

「何が正解なんですか」

「自分で考えなさい」

「契約終わるけど」

 

 契約が終わっても続く課題を、わざと置いていく。

 

「終わってから考えれば?」

「卒業試験なのに?」

「そうよ」

 

 意味が分からない。

 

 

     ◆

 

 

 契約終了の前日、姉さんが来た。

 

「明日帰るの?」

「帰るわよ」

「どうして?」

「契約が終わるから」

「延ばせばいいでしょう」

 

 一年、と最初に決めたのはこちらだ。

 

「延ばさない」

「カミィが払う」

「いらない」

 

 値段の話になった。

 

「宝石」

「心が揺れるもの出さないで」

「じゃあ」

 

 揺れると言いながら、受け取らない。

 

「でも帰る」

「何でよ!」

「最初から一年って決めてたから」

「カイエンが困るでしょう!」

 

 少し、驚いた。先生も、ほんの少し。

 

「困らないわよ」

「何で?」

「あの子、アタシがいなくても勝手に続けるもの」

 

 姉さんが先生を見る。俺を見る。

 

「……知ってるわ」

 

 小さかった。

 

「何?」

「何でもない!」

 

 怒られた。俺は、何もしてない。

 

「アンタも」

「何よ」

「纏と絶」

 

 先生が姉さんへ。

 

「忘れない程度にはやっときなさい」

「命令しないで」

「じゃ、やらなくていいわよ」

「やるわ!」

 

 やらせる言い方を知っている。

 

「どっちよ」

「カミィがやりたいからやるの!」

「はいはい」

「返事が気に入らない!」

 

 最後まで、いつも通りだった。

 先生は、姉さんを弟子にはしなかった。姉さんも、先生を師匠とは呼ばなかった。

 それで、よかったのだと思う。

 

 

     ◆

 

 

 契約の日、報酬を渡した。金。石。約束していた記録。

 先生は、一つずつ確認した。

 

「よし」

「足ります?」

「契約通り」

「一年間、ありがとうございました」

「どういたしまして」

 

 それだけだった。

 思っていたより、あっさり。

 

「先生」

「何?」

「卒業試験」

「ああ」

 

 試験のことは、こちらから聞くまで一度も触れなかった。

 

「結局、答えは?」

「知らない」

 

 卒業試験の答えを、出題者が知らないという。

 

「は?」

 

 開き直られた。

 

「今のアンタが出した答えを、十年後のアンタが正しいと思うかなんて、アタシが知るわけないでしょ」

 

 十年後の話をされた。

 

「出題者なのに?」

「だから、たまに考え直しなさい」

「一回目って何回あるのか?」

「そう」

「それで合格?」

 

 質問が返ってくる。

 

「合格したら?」

「卒業?」

「違う」

「じゃあ何」

 

 終わらない試験を置いていくつもりだ。

 

「明日、また受けるの」

「卒業試験なのに?」

「だから卒業しないのよ」

 

 分からない。

 でも、何となく、分かった気もした。

 

「紙に書いときなさい」

「何を?」

「卒業条件」

「何て」

 

 先生が笑った。

 

「卒業しないこと」

「やっぱり矛盾してる」

「なら考えなさい」

 

 最後まで、それだった。

 

 

     ◆

 

 

「あ」

 

 先生が荷物から何かを出した。

 紙。何枚か。折れている。端に、見覚えのある文字。

 投げられる。

 

「これ」

「何?」

「ゴミ」

「捨てていい?」

「読めないならね」

 

 見る。

 一枚目。右肩。二枚目。休め。三枚目。広げすぎ。

 四枚目。見る。五枚目。数字で考えるな。六枚目。基礎へ戻れ。

 他にも、宝石の名前。数字。知らない店の名前らしきもの。意味の分からない落書き。

 

「一年分の説教?」

「そう見える?」

「見える」

「じゃ、それでいいんじゃない?」

 

 怪しい。

 

「先生」

「何」

「これ」

「知らない」

 

 封も宛名もない紙だった。

 

「先生が渡したんだけど」

「知らない」

 

 絶対何かある。

 

 

     ◆

 

 

「また会えますか?」

「さあ?」

「さあ」

「アタシ、ハンターよ」

「はい」

 

 外へ出る前提で話されたのは、初めてだった。

 

「アンタも、いつか外へ出るんでしょ」

「多分」

「なら、そのうち会うんじゃない」

「雑」

「そういうもんなの」

 

 荷物を持つ。

 先生が、俺の額を一度、指で弾いた。

 

「坊や」

「はい」

「止まるな、とは言わない」

 

 少し、意外だった。

 

「疲れたら止まる」

「はい」

「分からなくなったら止まる」

「はい」

 

 止まれ、ばかり三つ並んだ。

 

「間違えたと思ったら止まる」

「はい」

 

 三つとも、同じ答えだった。

 

「それで?」

「戻る」

「どこへ?」

「基礎」

「よし」

 

 先生が少し笑う。

 

「あと」

「はい」

「自分で狩れないものまで、何でも抱え込まない」

 

 不可持民のことは、詳しく話していない。

 でも。

 

「はい」

 

 答えた。

 

「じゃあね」

「はい」

 

 背中が小さくなる。元々小さいのに、もっと小さくなる。

 角を曲がって、見えなくなった。

 それで、一年が終わった。その日の夕方、庭へ出た。

 何も変わっていない。

 石。木。空。

 いつも先生が立っていた場所に、誰もいない。それだけの違いだった。

 それだけなのに、妙に広かった。

 

 

     ◆

 

 

 次の日の朝、一人で庭へ出た。

 誰もいない。

 

「纏」

 

 自分で言う。纏う。右肩が少し厚い。直す。

 

「絶」

 

 閉じる。開く。

 《流》。《円》。《隠》。予定表。休憩。

 まだできる。かなり、できる。

 でも、座る。水。飲む。休む。

 悔しい。本当に、悔しい。

 

 

     ◆

 

 

 暇だった。休むと、暇になる。前なら、この時間に何かやっていた。

 《流》。《纏》。体幹。

 今は、やらない。手が、妙に余る。

 荷物。昨日、先生からもらった紙。見る。

 

「ゴミ」

 

 らしい。捨てていい。らしい。読めないなら、という条件付きで。

 

「……読めるのか」

 

 もう一度、見る。普通。紙。文字。落書き。

 でも、先生がわざわざこんなものを渡す。意味がない、とは思えない。

 

「凝」

 

 目へ、オーラを集める。

 

「あ」

 

 あった。

 文字の横。小さな、点。

 普通に見れば、紙の汚れ。その程度。でも、《凝》すると、僅かに何かが違う。

 一枚。一個。別の紙。三個。別。七個。

 順番? 並べる。一。二。三。四。五。六。七。

 まだ、意味がない。

 

「……先生」

 

 いなくなってから、面倒なものを残していった。

 もう一度、紙を並べ直す。同じ文字が、何枚もある。

 右肩。右肩。右肩。休め。休め。

 広げすぎ。数字で考えるな。

 

「……何枚あるんだよ、これ」

 

 右肩が、一番多い。当たり前だ。この一年、何度言われたか。数えたことはない。でも、この紙より、ずっと多い。

 ――待て。

 紙の枚数じゃない。

 点だ。

 右肩と書かれた紙の、点を、全部足す。

 次。休め。足す。広げすぎ。足す。

 それを、言われた回数の多い順に並べる。

 

「……そういうことか」

 

 数字で考えるな。その通りだった。

 数字を数えるんじゃない。何を何回言われたかを、覚えているかどうかだ。

 右肩。休め。見る。

 広げすぎ。数字で考えるな。基礎へ戻れ。全部。

 言われた。全部、覚えている。一年分。

 休憩時間がほとんど終わる頃、ようやく数字の列が出た。その下。短い文字。

 ホームコード。たぶん、先生個人の。

 息を吐いた。それから、さらに一行。小さい。

 《凝》を解いたら、また見えなくなった。

 もう一度、見る。

 宝石の話ならいつでも。

 それ以外は、本当に用がある時だけ。

 

「先生らしいな」

 

 笑った。

 連絡。してみようか。

 一瞬、思う。昨日、別れたばかりだった。

 

「やめとこ」

 

 紙を揃える。しまう。予定表を見る。

 休憩。終了。立つ。

 

「流」

 

 また、始める。

 

「何してるの?」

 

 声。

 

「姉さん」

「休んでたの?」

「さっきまで」

「何で?」

 

 庭の芝に跡がついている。

 

「先生に言われた」

「もういないじゃない」

 

 いないから、守る。

 

「いないから」

「変なの」

「俺もそう思う」

 

 姉さんが、いつもの石へ座る。

 

「今日は?」

「纏」

「また!?」

「嫌なら帰っていいよ」

「帰らない!」

 

 いつも通りだった。

 

 

     ◆

 

 

 先生がいなくなって、時間が増えた。

 少しだけ。その時間を、不可持民に使った。

 最初に試したのは、一人だった。あの日、名簿に載っていなかった人の中に、水を運んでいた男がいた。

 名前は後から知った。

 当たり前だけど、名前があった。俺が知らなかっただけだ。

 毎日、同じ施設。同じ雑務。条件も、良くない。なら、別の仕事へ移せるのではないか。

 そう思った。

 俺は王子だ。正規の手続きを踏む。本人の希望を確認する。王家の管理する別施設へ。

 配置転換。

 担当官は、あっさり言った。

 

「殿下の御意向でございましたら」

 

 できた。

 

 

     ◆

 

 

 数日後。

 

「どう?」

「何が、でございましょう」

「仕事」

「以前より楽でございます」

 

 答えが全部短い。短い答えは、だいたい用意されている。

 

「給金」

「増えました」

「住む場所」

「近くなりました」

 

 なら、よかった。

 そう言おうとした。

 

「前の仕事は?」

「はい?」

「君がやってた仕事」

「別の者が」

「誰?」

 

 聞く。答え。同じ。不可持民。

 俺が一人、動かした。その場所へ、別の一人が入った。仕事は、何も変わっていない。

 

「そっか」

 

 本人の前では、それだけ。

 

「何か、不都合がございましたでしょうか」

「いや」

 

 この人には、意味があった。仕事が変わった。給金が増えた。生活も、少し良くなった。

 それを、失敗だった、とは言いたくない。

 

「よかった」

「恐れ入ります」

 

 頭を下げられる。その頭を見ながら、思う。

 助けた。つもりだった。

 一人については、少し、良くなった。

 でも。

 人を一人、場所から動かしただけだった。

 

 

     ◆

 

 

「同じように希望する人がいたら?」

「同じように、とは」

「仕事を変えたい不可持民が、ほかにもいたら」

 

 担当官が、少し、言葉を選ぶ。

 

「殿下」

「何?」

「どの程度までを、お考えでしょうか」

「どの程度?」

「人数でございます」

 

 止まる。

 

「何人いるの?」

「地域ごとに異なります」

「じゃあ、この区域だけで何人いるの」

 

 聞く。

 思っていたより、多い。さらに、その数字すら、管理方法で変わると言われた。

 一人を、俺の名前で動かした。同じことを、全員?

 この人。この人も。この人も。

 第三王子が、毎回、名前を出すのか。

 俺がいなくなったら?

 

「……一旦、いい」

「承知いたしました」

 

 止まる。また。

 次は、本人へ聞いた。先生に言われた通りに。

 

「困っていることは?」

「ございません」

 

 一人目。

 

「仕事で嫌なことは?」

「ございません」

 

 二人目。

 

「待遇は?」

「十分でございます」

 

 三人目。

 

「本当に?」

「はい」

 

 四人目。

 全部、同じ。五人目で、やめた。

 

 

     ◆

 

 

 部屋へ戻る。机へ、突っ伏す。

 

「何してるの」

「姉さん」

「死んでるの?」

「生きてる」

 

 床に転がっていた。

 

「なら起きなさい」

「はい」

 

 起きる。姉さん。机を見る。

 

「何これ」

「資料」

「何の?」

「不可持民」

 

 姉さんが、一枚、つまむ。

 

「何でそんなの調べてるの?」

「見たから」

「何を?」

「人」

 

 見た、としか言いようがない。

 

「人?」

「うん」

 

 姉さんは、何枚か見る。すぐ。

 

「つまらない」

「うん」

「最近ずっとこれ?」

「結構」

 

 机の上の紙が、先月の倍になっている。

 

「何で?」

「分からないから」

「分からないならやめれば?」

 

 正しい。姉さんらしい。

 

「そうかも」

「ならやめなさい」

 

 やめた方がいいのは分かっている。

 

「でも、まだやめない」

「何でよ」

「もう少し知りたい」

「変なの」

 

 資料を置く。その日は、帰った。

 本人に聞けばいい。先生は、そう言った。でも、王子に言えるわけがない。

 

「困っている」

 

 なんて。

 その王子が、善人か、気まぐれか、明日には忘れるのか。不満を言った記録だけ、残るのか。

 分からない。なら。

 

「ございません」

 

 が、一番安全だ。

 

 

     ◆

 

 

 聞き方を変えた。不可持民だけを、呼ばない。施設改善の調査として、働いている人間全員へ、同じ質問。

 仕事。食事。時間。道具。怪我。移動。休憩。寝る場所。

 しかも、誰が何を答えたか、俺には上げなくていい。そうした。

 初めて、違う答えが出た。道具が足りない。休憩場所が遠い。終業時間が一定しない。怪我をしても、担当が違うと言われる。

 小さい。本当に、小さい。

 でも。

 初めて。

 

「ございません」

 

 以外が、出た。

 一つずつ、直せるものは直した。不可持民だから、ではなく、仕事として。

 道具。時間。担当。

 その程度なら、比較的、通った。身分へ触れると、止まる。

 

「これは?」

「従来より」

「何で?」

「慣例で」

 

 今日だけで、慣例という言葉を四回聞いた。

 

「変えられる?」

「私の一存では」

 

 別の部署。

 

「ここは?」

「地方の規定が」

「誰が変えられる?」

「確認いたします」

 

 確認。確認。確認。増える。

 一枚の壁ではない。細い糸が、何百本も絡まっている。

 一つ切る。ほどけない。変なところを切る。たぶん、もっと絡む。

 

 

     ◆

 

 

 季節が、少し、変わった。

 俺は、まだやっていた。

 

「まだやってるの?」

「何を?」

「それ」

 

 姉さんが資料を指す。

 

「やってる」

「まだ分からないの?」

「前より分からなくなった」

「馬鹿じゃないの?」

「かもしれない」

 

 否定しなかった。

 

「何で続けるの?」

「分からないところが分かったから」

「同じでしょう」

 

 去年は、どこが分からないのかも分からなかった。

 

「違うよ」

「分からないわ」

「うん」

 

 その日は、帰った。

 また、しばらくして。

 

「まだ?」

「まだ」

「いつ終わるの?」

「分からない」

 

 終わりを決めていない仕事を、初めて抱えた。

 

「何で?」

「終わりがどこか分からないから」

「最悪」

「俺もそう思う」

 

 今日は、帰らなかった。

 机の向かいへ座る。

 

「何がそんなに面倒なの?」

「全部」

「雑」

「例えば」

 

 一枚、渡す。

 

「この人」

「誰?」

「不可持民」

「それは分かるわ」

 

 姉さんは紙を覗き込んだまま動かない。

 

「前に仕事変えた」

「カイエンが?」

「うん」

 

 姉さんが紙を裏返す。

 

「じゃあ終わりでしょう」

「その人はね」

「?」

「空いたところに別の不可持民が入った」

 

 穴の形が変わらない限り、同じ人間がそこへ入る。

 

「じゃあ、その人も変えれば?」

「そうしたら、また別の人が入る」

 

 同じ顔をした。

 

「全員変えれば?」

「俺もそう思った」

「やればいいじゃない」

「どこへ?」

 

 姉さんの眉が寄る。

 

「何が?」

「全員。仕事を変えるとして。どこで働く?」

 

 姉さんが止まる。

 

「仕事は?」

「作ればいいでしょう」

「誰が?」

「国が」

 

 国が、で止まる。そこから先は誰も持っていない。

 

「いくらで?」

「知らないわよ!」

 

 怒鳴っているが、席を立たない。

 

「俺も分からない」

「じゃあ調べなさい!」

「だから調べてる」

「あ」

 

 黙った。

 

「それだけじゃない」

「まだあるの?」

「ある」

「嫌」

「やめる?」

 

 嫌だと言った口で、続けろと言う。

 

「……続けなさい」

「はい」

「例えば?」

 

 初めて、姉さんから聞いた。話す。分かっていることだけ。同じ不可持民でも、地方ごとに扱いが違う。全部が、法律ではない。

 役所。慣習。仕事。生活。忌避。

 別々に、絡んでいる。

 

「じゃあ」

 

 姉さんが眉を寄せる。

 

「誰が悪いの?」

「分からない」

「王?」

「それも分からない」

 

 誰か一人の顔を思い浮かべられたら、どれだけ楽か。

 

「役人?」

「一人変えて終わるなら楽なんだけど」

 

 誰か一人を指せば済む話にしたいらしい。

 

「その人たち?」

「不可持民?」

「そう。嫌なら嫌って言えばいいでしょう」

 

 言える立場の人間が言う台詞だった。

 

「言えると思う?」

「何で言えないのよ」

「姉さんに?」

 

 言い直す。

 

「カミィに」

「俺でも無理だった」

「カイエンに?」

「うん」

「何で?」

 

 たぶん。

 ここから。

 

「怖いから」

「カイエンが?」

「王子が」

 

 姉さんの顔が、少し、変わる。

 

「カミィは何もしないわよ」

「姉さんはそう思ってても」

「なら、何もしないって言えばいいでしょう」

 

 言葉の問題ではない。

 

「それを信じてもらうのに時間がかかる」

「何で?」

「王子だから」

 

 姉さんが、何か言おうとして、やめた。

 

「俺たち」

 

 考える。

 

「何かするって言ったら、できることが結構ある」

「当然でしょう」

「だから」

「何?」

「何もしないって信じてもらうのも、難しいんだと思う」

 

 姉さん、しばらく、黙る。

 

「変なの」

「うん」

「王子なのに」

「うん」

 

 そこへ自分で辿り着いた。

 

「王子だから?」

「多分」

 

 姉さんは、それが気に入らなかったらしい。

 

 

     ◆

 

 

 その日、俺は何も頼まなかった。一緒にやろうとも、見に行こうとも、言わなかった。

 これは。

 まだ。

 姉さんの問題ではない。

 次の日も、一人。その次も、また。何日かして。

 

「カイエン」

「何?」

「今日、どこ行くの?」

「施設」

 

 行き先を聞かれるのは、久しぶりだった。

 

「何しに?」

「見る」

 

 短く答える。

 

「何を?」

「仕事」

「不可持民の?」

「それだけじゃないけど」

「ふうん」

 

 資料。まとめる。立つ。扉。

 

「カイエン」

「何?」

 

 振り向く。

 姉さんは、少し、嫌そうな顔。

 

「カミィも見る」

 

 止まる。

 

「いいの?」

「何でカイエンが決めるのよ」

「いや」

「カミィが見たいから見るの」

 

 聞いたことがある。

 少し、笑いそうになる。

 

「何?」

「何でもない」

「返事」

「はい」

 

 返事の質まで採点されるようになった。

 

「気に入らない」

「難しいなあ」

 

 姉さんが立つ。

 俺は、何も説明しなかった。何を見るべきか。何を思うべきか。教えなかった。

 俺が見て、分からなかったものを、姉さんが見たら、何を思うのか。

 それは、俺が決めることではなかった。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定
▲ページの一番上に飛ぶ  X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。

評価する
点
※参考:評価数の上限
評価する前に 評価する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。


  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

読者層が似ている作品 総合 二次 オリ

転生をしたらそこは流星街?ゴミ溜めから始まる物語(作者:板前さん)(原作:HUNTER×HUNTER)

個人的にジャイロが関わる話ってないなーって思って投稿してみました。▼出身とか謎な人物なので、そこら辺は自分で勝手に考えてます。なるべく年齢とかは原作に合わせてます。▼突然、ハンターハンターの世界に転生した主人公。▼彼は原作知識を全く思い出すことができなせい。▼それでも懸命にゴミ山で生き抜く。そこで言葉が話せない少年と出会う。▼原作知識も朧げで、それでも友を探…


総合評価:353/評価:8.29/連載:23話/更新日時:2026年10月14日(水) 20:00 小説情報

念能力を奪い、与える念能力者(作者:才ル)(原作:HUNTER×HUNTER)

AFOと同じ力を持つ者がいたとしたらの話。


総合評価:765/評価:8.38/連載:2話/更新日時:2026年10月03日(土) 14:01 小説情報

儒烏風亭らでんは世界を蒐集する(作者:今日も元気ですマン)(原作:HUNTER×HUNTER)

古びた道具の傷ひとつにも、誰かが生きた歴史がある。▼美術と歴史を愛する少女・儒烏風亭らでんは、まだ知らない世界を自分の目で確かめたくて、文化財ハンターを志す。▼ハンター試験で仲間と出会い、各地の文化財を調査し、ときには危険な事件へ。▼やがて手にする念能力も、彼女にとっては、物に残された過去を読み解く手がかりのひとつになる。▼『HUNTER×HUNTER』原作…


総合評価:589/評価:7.69/連載:41話/更新日時:2026年10月15日(木) 06:00 小説情報

ONE PIECE 救済を求める神父(作者:ヴァンプッシュ)(原作:ONE PIECE)

ただただ、自己満足に描きたい。そんな感じでやって行きます。感想・意見もお待ちしてます


総合評価:1244/評価:8.09/連載:20話/更新日時:2026年10月12日(月) 10:46 小説情報

死にたくない私の悪あがき【リメイク版】(作者:淵深 真夜)(原作:HUNTER×HUNTER)

魔法使いなジジイの弟子をしてましたが、魔法の失敗なんだかよくわからんけど死にかけて足掻いてもがいて異世界にやってきちゃうくらいに悪あがきした先で、今度はハンターとして楽しくやってます。▼え? 眼? 別に支障はないよ。だって、いつか死ぬのは当たり前じゃん? そんなことより、私の大好きな子を守らなくっちゃ!▼※H×Hと型月クロスで2019年から連載が止まっていた…


総合評価:1138/評価:7.91/連載:133話/更新日時:2026年10月11日(日) 12:00 小説情報


小説検索で他の候補を表示>>