転生先が殺し合いを約束された帝国の第三王子だった件 作:冷やかし中華
部屋の前を通り過ぎてから、自分の部屋まで戻って、また出た。
その間に考えたのは、どこから話すかだけだ。試験のことか、期間のことか、理由のことか。
結論は出ないまま、扉を叩いた。
先に姉さんから。
片づけよう。
そう思った。
思っていた。
◆
「ハンター試験?」
「うん」
「受けるの?」
「うん」
手に持っていた菓子が止まった。
「カイエンが?」
「俺以外に誰がいるの」
「そうじゃないわよ!」
姉さんが怒鳴った。早い。まだ三往復くらいしかしていない。
場所は姉さんの部屋で、ちょうど公務から戻ったところだったらしい。机には書類が積んである。
その前に座った姉さんへ、ちょっと国を空ける、ハンター試験を受ける、と伝えた。
できるだけ簡潔に、分かりやすく。なのに。
「何で!?」
分かってもらえなかった。
「何でって」
「何でハンター試験なのよ!」
「ああ、そっち」
「他に何があるのよ!」
ある。多分。でも、今は言わない方がいい気がした。
「資格が欲しいんだ」
「何のために?」
「国外で動く時に便利だから」
王子として行く場所と、そうでない場所は違う。
「今も国外に行ってるでしょう」
「王子としてね」
「王子なんだから、それでいいじゃない」
姉さんの言い分は、姉さんの中では筋が通っている。
「王子じゃ入れないところもある」
「なら入らなくていいわ」
「姉さん」
「何よ」
「そういうわけにもいかない仕事があるんだよ」
姉さんが止まった。少しだけ。
嫌な止まり方だった。
「……仕事?」
「うん」
「どの?」
あ。
しまった。
「カイエン」
「はい」
「どの仕事?」
さっきまで、父上相手に何を聞かれても平気だった。多分、今の方が困っている。
「色々」
「またそれ!」
「いや、本当に色々なんだって」
「何が色々なのよ!」
一個ずつ聞かれると、全部が薄い答えになる。
「国外の資料とか、人とか、場所とか」
「何の資料?」
「姉さん」
一個ずつ答えると、夜が明ける。
「何?」
「これ、一個ずつ聞く?」
「聞くわよ!」
即答だった。面倒だ。顔に出たかもしれない。
「何その顔!」
「何でもない」
「今、面倒って思ったでしょう!」
「思ってないよ」
思ってはいない。困ってはいた。
「嘘!」
「これは本当に嘘じゃない」
「じゃあ何よ!」
困っている、だ。多分。
◆
姉さんが腕を組む。俺を見る。目が怖い。
念を覚える前から怖かったが、最近は普通にオーラも出る。
「それ」
「何?」
「この前の紙と関係ある?」
来た。
「どの紙?」
「謝肉祭」
姉さんの口から出た。少しだけ、胸の奥が重くなる。
「祭孤児。処理施設。二線者。肉」
一つずつ並べる。意味は知らないはずだ。
でも、覚えていた。俺が見ていたものを。
「関係あるの?」
嘘はつきたくない。
「……ある」
姉さんの眉が動いた。
「やっぱり」
「でも、それだけじゃない」
「じゃあ何?」
自分でも輪郭が掴めていないものを、説明しろと言われている。
「それがまだ分からない」
「また分からない!」
「本当に分からないんだよ」
姉さんの声が、一段ずつ大きくなっていく。
「だったらカミィにも言いなさい!」
「分からないものを?」
「分からないって言えばいいでしょう!」
「今言ったじゃん」
「そういう意味じゃない!」
今日、何回目だろう。この言葉。
「カイエンはいつもそう!」
「何が?」
「聞いたら答える!」
「いいことじゃない?」
答えている。それが腹立たしいらしい。
「よくない!」
「何で?」
「答えてないもの!」
止まった。姉さんが俺を見ている。
「仕事って言う」
「うん」
「色々って言う」
「うん」
全部、自分で言った言葉だ。
「まだ分からないって言う」
「……うん」
全部本当だから、何も言っていないのと同じになる。
「全部、本当なんでしょう?」
「そうだね」
「だから腹が立つのよ!」
難しい。嘘をついた方が、まだ分かりやすいのかもしれない。
いや、それはもっと怒るな。
「ごめん」
「謝ればいいと思ってる?」
「思ってない」
「じゃあ言いなさい」
「まだ言えない」
言えないのではない。言葉になっていない。
「何で!」
「俺も分かってないから」
「それは聞いた!」
「だから」
言葉を探す。
「分かってないものを。俺の考えだけで姉さんに渡したくない」
「何で?」
「間違ってるかもしれない」
「なら一緒に間違えればいいじゃない」
今度は、俺が止まった。姉さんは普通に言った。
何をそんなに驚いているのか分からない、そんな顔で。
「一人で間違える必要ある?」
答えられなかった。
「カミィがいるでしょう」
簡単に言う。そういう問題ではない、とすぐに言えなかった。
「姉さん」
「何?」
「それでも。まだ言えない」
姉さんの顔が、一気に不機嫌になった。
「嫌い」
「急だな」
「今、カイエン嫌い」
「今だけ?」
ずっと、は今月で三度目だ。
「ずっと!」
「それは困る」
「困りなさい!」
困った。
◆
「それで」
しばらくして、姉さんが言った。怒っている。まだ。
「いつ行くの?」
「準備できたら」
「いつ」
「試験の日程に合わせるから」
日付が出ないと、姉さんは落ち着かない。
「何日?」
「まだ細かくは」
答えるたびに、姉さんの機嫌が下がっていくのが分かる。
「どこ?」
「会場も、そこまで簡単には分からないと思う」
「何で?」
「ハンター試験だから」
会場を探すところから試験が始まっている、という話をどう説明するか。
「意味分からない」
「俺もまだ全部は知らない」
姉さんの眉間に、また皺が増えた。まずい。
さっきから、姉さんが一番嫌いな答えばかり返している気がする。
「何日いないの?」
「それも」
「カイエン」
「はい」
分からない、が三つ並んだ。
「それも?」
「……分からない」
黙った。姉さんが、完全に黙った。これ、良くないやつだ。
「試験がどれくらい続くか分からないんだよ」
説明する。
「移動もあるし。会場が遠ければ――」
「前は」
「え?」
「前は、夕方って言った」
何の話だ。少し考える。
ああ。庭。
仕事で一日来られないと言った時か。
「日帰りだったから」
「早く帰るって言った」
「帰ったよ」
「今回は?」
「試験が終わったら」
終わる日が決まっていない旅は、初めてだった。
「いつ終わるの?」
「だから、それは」
言いかけて、やめた。姉さんの目が怖い。
「……終わったら帰るよ」
「すぐ?」
「寄り道くらいは」
同じ言葉で二度詰められた。
「すぐ?」
「……はい」
「何で今間があったのよ!」
間があったのは、本当だった。
「お土産くらい買わせてよ!」
「いらない!」
「姉さん食べ物なら喜ぶじゃん」
「いらない!」
いつもなら、ここで一番長い手紙が来る。
「宝石?」
「いらない!」
選択肢を出しているつもりだったが、そうでもないらしい。
「服?」
「いらない!」
「珍しい」
「何が!」
何もいらない、と言われたのは初めてだった。
「姉さんが何もいらないって」
「カイエン!」
怒鳴られた。でも、少しだけ、さっきより普通になった。多分。
◆
「というか」
姉さんが何かに気づいた顔をした。嫌な予感がする。
「誰に言ったの?」
「誰に?」
「ハンター試験」
「ああ」
答える。
「父上」
止まった。また。
「……お父様?」
「うん」
「カミィより先に?」
「許可いるから」
そこだけ繰り返された。
「カミィより先に?」
「だから」
「カミィより先に!?」
そこ?
「いや、順番の問題じゃ」
「問題よ!」
「何で?」
「何でじゃない!」
姉さんが立った。机が揺れて、書類が一枚落ちた。
「お父様には相談したのね?」
「相談というか」
「したのね?」
「許可は取った」
順番を間違えた自覚はある。
「カミィには?」
「今してる」
順番の話をしているのに、順番の話ではないらしい。
「決めた後でしょう!」
「……そうだね」
「何で!」
「父上にも決めてから言ったよ」
「そういう問題じゃない!」
本日、多分、四回目。
「じゃあ、先生には?」
「まだ」
姉さんが止まった。
「まだ?」
「うん」
「あの女にも?」
「まだ」
そこだけは譲れないらしい。
「カミィが先?」
「父上除けば」
返事はなかった。何だ、今の。
ほんの少し機嫌が直ったような。気のせいか。
「何よ」
「何でもない」
「今、変な顔した」
「してないよ」
「した!」
面倒なので黙った。
◆
「カミィも行く」
突然だった。
「どこに?」
「ハンター試験」
「何しに?」
「受ける」
荷物をもう作ってある。
「何で?」
「カイエンが受けるから」
「姉さん、ハンターになりたいの?」
「別に」
答えが返ってくるほど、話が最初に戻っていく。
「じゃあ受けなくていいじゃん」
「カイエンも王子でしょう!」
話は聞いていた。納得していないだけだ。
「それは今話したよね?」
「知らない!」
「聞いてたじゃん」
「カミィも行く!」
まずい。これは本気で言っている顔だ。
「仕事は?」
「誰かにやらせる」
「私設兵は?」
「いるでしょう」
全部、置いていける前提で答えている。
「訓練は?」
「カミィがいなくてもできるわ」
あ。
「ほら」
「何よ」
「ちゃんと回るようになったじゃん」
姉さんが一瞬固まった。
「それとこれは別!!」
駄目だった。
「姉さん」
「何よ!」
「俺、一人で行きたいんだ」
言った。姉さんが静かになった。さっきまでと、違う意味で。
「……何で」
「一人でできるか、確かめたいから」
「何を?」
また色々、と言われる前から分かっていた。
「色々」
「また色々」
「今度は本当に、それ以上うまく言えない」
王子じゃない俺。自分の足。自分の目。自分で狩れるもの。
父上には少しだけ言えた。でも、姉さんにはもっと難しい。
「誰かと一緒だったら駄目なの?」
「駄目じゃない。でも」
「カミィじゃ駄目?」
その聞き方は。ずるい。
「そうじゃない」
「じゃあ何?」
「姉さんがいると」
止まる。言葉を選ぶ。
「俺、多分。姉さんのこと見るから」
「見ればいいでしょう」
「ずっと見ると思う」
「当然よ」
「だから」
少し笑った。
「今回は、自分のこと見たいんだ」
姉さんは何も言わなかった。怒るかと思った。
でも、怒らない。その方が少し困る。
「……そう」
それだけだった。
「姉さん?」
「何」
「怒った?」
「怒ってる」
窓の方を向いたまま言った。
「だよね」
「すごく」
「うん」
「でも」
姉さんが俺を見る。
「カイエンがそうしたいなら」
一度、止まる。
「……勝手にすればいいわ」
それ、父上にも似たようなことを言われたな。全然、意味が違うけど。
◆
「じゃあ」
立とうとする。
「待って」
「はい」
座る。反射だった。
「いつ帰るの?」
また聞かれた。今度は、夕方とは言えない。
「試験が終わったら」
「それは聞いた」
「できるだけ早く」
「それも聞いた」
「じゃあ」
何を答えればいい。姉さんは答えを待っている。
日付じゃない。多分。
「帰ってくるよ」
言った。
「ちゃんと」
姉さんが少しだけ目を細めた。
「当たり前でしょう」
「うん」
「カミィの弟なんだから」
「うん」
弟なんだから、が理由の全部だった。
「勝手にどこか行ったままになったら許さない」
「分かった。……分かったよ」
昔から、ここだけは譲らない。
「返事は一回」
「……はい」
久しぶりに聞いた気がする。姉さんが少し笑った。
「あと」
「まだある?」
「あるわよ」
「何?」
まだ続くらしい。
「連絡」
「ああ」
「できるでしょう?」
条件が一つずつ足されていく。
「試験中は無理かもしれない」
「その前」
「する」
日程を割って詰めてくる。
「終わった後」
「する」
「途中」
「できたら」
どれも断る理由がない。
「するの」
「……はい」
「それから」
「姉さん」
指を折って数えている。
「何よ」
「多い」
「少ないわよ!」
多い。絶対。
◆
部屋を出る。扉が閉まる。少し歩く。角を曲がる。
何となく、右手を開いた。少し汗をかいていた。
「何でだよ」
父上の部屋を出た時は、かいていなかったのに。分からない。まあ、いい。
とりあえず、姉さんには言った。ちゃんと帰るとも言った。
次。先生。
こっちは多分、もっと簡単だ。会話しなくていいから。
俺は自分の部屋へ戻りながら、宝石の名前を一つずつ頭の中へ並べ始めた。
◆
部屋へ戻って、最初にしたのは机へ向かうことだった。紙を一枚。宝石の資料を何冊か。それから、ホームコード。
普通に書けば、こうなる。
今年のハンター試験を受けます。
で済む話ではある。でも、それでは多分、先生に怒られる。
いや。怒られはしないか。つまらないとは言われそうだ。
宝石名。産地。重量。採掘年。価格。
一年、この人の隣で聞かされ続けた種類の数字だ。
どれが本物でどれが飾りかを、先生は音の並びで見分ける。仕込むなら、飾りの側へ意味を置く。
必要な数字だけ拾えば、一文になるように並べる。途中で二度やり直した。
一度目は分かりやすすぎた。二度目は自分でも面倒になった。
三度目。
これでいい。最後に、返事不要、まで仕込んだ。
「よし」
ホームコードへ入れる。
これなら会話しなくていい。先生なら、多分すぐ分かる。受話器を置いた。
五分後。
部屋の電話が鳴った。
「……早いな」
嫌な予感がした。取る。
「はい」
『アンタねえ』
先生だった。
「こんばんは」
『こんばんは、じゃないわよ』
「暗号、解けました?」
解かせるつもりで作った。解いた上で怒るところまで予想どおりだ。
『解けたから電話してんでしょうが!』
「返事不要って入れたんですけど」
『それも解いたわよ!』
「じゃあ完璧ですね」
『何が完璧よ!』
懐かしい。
一年以上離れていたのに。怒鳴り声は全然変わっていない。
『相談じゃなくて、もう決めてるじゃない』
「報告なので」
『そういうところよ、アンタ』
何が。
とは聞かなかった。多分、長くなる。
『で。ハンター試験?』
「はい」
『なんで?』
「資格が欲しいんです」
資格は半分だ。
『それだけ?』
「国外で動くのに便利ですし、王子の立場だと入りづらい場所もあるので」
『ふうん』
「それと」
ここからが本題だと、向こうも分かっている。
『うん』
「一人で、どこまでできるか知りたい」
少しだけ。向こうが静かになった。
『それだけ?』
同じ聞き方だった。父上とも。姉さんとも違う。
答えを急かさない。
「……今は。それくらいです」
『そう』
それだけだった。
『じゃあ、言いたくなったら言いなさい』
「聞かないんですか?」
『聞いてほしいの?』
「いえ」
『なら聞かない』
簡単だ。やっぱり。
『ただし』
「はい」
『念が使えるからって、試験を舐めるんじゃないわよ』
「舐めてませんよ」
舐め方に種類がある、という話は初めて聞いた。
『アンタの場合、そういう舐め方じゃないの』
「どういう?」
『自分ができることを、他人も同じくらいできると思う方』
言い返せなかった。
『心当たりあるでしょう』
ある。
最近。かなり。
「あります」
『ならいいわ。強い奴が受かる試験とは限らないし、強いだけの奴を落とす試験官もいる。何を見るかは、その年、その人次第』
「先生、詳しいですね」
『ハンターだから当たり前でしょう』
一年教わっていて、ハンターとしての話はほとんど聞かなかった。
「そうでした」
『忘れるな!』
忘れてはいない。先生という印象が強いだけだ。
『で?』
「まだ何か?」
『カミーラには言ったの?』
止まった。
「言いましたよ」
『決める前に?』
「……決めた後です」
順番の話をされると弱い。
『アンタねえ!』
「父上にも決めた後です」
『王様と姉ちゃんを同じ扱いにするんじゃないわよ!』
「同じ王族ですけど」
『そういう話してない!』
今日。似たようなことを聞いた気がする。
『で、どうだったの』
「怒られました」
『でしょうね』
「一緒に行くって言われました」
『でしょうね』
二回続けて、でしょうね、と言われた。
「何で分かるんです?」
『一年見てたもの』
「俺を?」
『二人ともよ』
先生が鼻で笑った。
『それで?』
「一人で行きたいって言いました」
『言えたじゃない』
「言いましたよ」
言い方までは、自信がない。
『ちゃんと?』
「姉さんがいると、姉さんを見るから。今回は自分を見たいって」
『……へえ』
その声が。少しだけ。
面白がっているように聞こえた。
「何です?」
『別に』
「今、変な声しました」
『してないわよ』
笑っていた。
「しました」
『うるさい』
それ以上は聞かなかった。
『で、帰るって約束した?』
「しました」
『連絡は?』
「するって」
姉さんと同じ順番で確認してくる。
『よろしい』
「先生、姉さんと同じこと言いますね」
『年上の女の言うことは聞いときなさい』
「姉さんは同い年です」
『揚げ足取るんじゃない』
一拍。
『お土産は?』
「いらないって言われました」
『……は?』
「食べ物も、宝石も、服も。全部いらないって」
いらない、を額面どおりに受け取っていた。
『それで?』
「それで、とは」
『アンタ、何も持って帰らない気?』
「いらないって言ったので」
『はぁぁ……』
深い。ものすごく深いため息だった。
「何ですか」
『いい? カイエン』
「はい」
『女の「いらない」を、全部そのまま「不要」に変換する男は三流よ』
話の方向が急に変わった。
「何の三流です?」
『男として』
「評価分野が増えた」
『特にね。何でも欲しがる女が、何もいらないって言ったなら、それは品物の話じゃないかもしれないでしょうが』
受話器を持ったまま、少し黙った。姉さんが何もいらないと言った時。
珍しい。とは思った。
そこで。
終わった。
『欲しい物を当てろって言ってるんじゃないのよ』
「じゃあ?」
『ケン』
一言だった。
《堅》?
……いや。
見。見る方か。
毎回、同じことで叱られてるな。
『何でそう言ったのか。いつもと何が違ったのか。アンタ、人に教える時はそれやってるんでしょう?』
止まった。
「……何で分かるんですか」
『アタシが教えたからよ』
返す言葉がなかった。
『相手によって教え方を変える。疲れてる奴は休ませる。向いてる奴へ任せる。全部アタシが言ったことでしょうが』
「言われました」
『そこまで覚えたのに、一番近い相手の言葉だけ額面通りに受け取ってどうすんの』
「姉さんだからですかね」
『知らないわよ! そこを自分で考えろって言ってんの!』
怒られた。理不尽だ。多分。
『あと』
「まだあるんですか」
『アンタ、女心が分からないんじゃないわ』
「分かるとも言ってません」
『分かりそうになると、考えるのやめるの』
「……そんなことあります?」
電話の向こうで、椅子の軋む音がした。
『ある』
「即答」
『一年見たもの』
「便利ですね、それ」
『便利よ』
先生が笑った。
『まあ、今すぐ分からなくてもいいわ。帰るまでに一個くらい考えなさい』
「何を?」
『何を持って帰るか』
品物の話ではない、と言われてもまだ分からない。
「先生には?」
『宝石』
「自分で買ってくださいよ」
『誰に口きいてんの?』
「元・雇い主です」
『弟子でしょうが!』
怒鳴られた。
やっぱり。懐かしい。
◆
『受けるなら』
最後に先生が言った。
『受かってきなさい』
「はい」
『死なないこと』
「はい」
最後だけ、声が少し低かった。
『無茶しないこと』
「それは試験次第で」
『返事』
「はい」
『よろしい』
少し間が空いた。
「先生」
『何?』
「ありがとうございます」
『何が?』
「色々」
先生は。何も聞かなかった。
『そう』
それだけ言って。
『じゃあ、行ってらっしゃい』
電話が切れた。受話器を置く。
会話しなくていい。そう思っていた。
結局。姉さんより長かった気がする。
◆
ハンター試験までは、まだ少し間があった。その時間で、仕事を片づけた。
正確には、片づけられるものを片づけて、片づけられないものを渡した。
進行中の案件。期限のある書類。国外から返事待ちの照会。
予算だけ確保して、次の判断を待っていたもの。
俺にしか分からないところは書く。誰かが判断できるところは任せる。俺がいなくてもいいものは、最初から外す。
書きながら、思ったより多いな、と気づいた。
俺にしか分からないことが、ではない。俺が抱えていただけのことが、だ。
外してみると、外しても何も起きないものが半分あった。
残りの半分は、外した瞬間に誰かの仕事が増える。そちらへは名前と連絡先を書いた。
私設兵の訓練には、ほとんど触らなかった。もう、俺が毎日行かなくても回っている。
姉さんの事業も、担当がいる。相談先がある。問題が起きた時の順番も決まっている。
少し前まで、何かあるたび俺のところへ来ていた書類が、今は俺を通らず動く。
それを見て。
良かった。と思った。
万が一ということはある。試験だ。受験者が死ぬこともあると聞いている。
自分が死ぬつもりはない。
でも。
死なないつもりだったから死ななかった。で済むなら、世の中はもう少し簡単だ。
だから。
俺が戻らなくても、誰かが俺の返事を待ったまま止まらないようにした。
連絡先。引き継ぎ。保留中の判断。必要な署名。
一つずつ減らす。
最後まで残ったのは、返事を待たせている照会が一件だけだった。
急ぎではない。地方から上がってきた古い綴りで、こちらが判断を保留している。
戻ってから見る、と書いて、引き出しへ入れた。
最後の日には、机の上が、随分広くなっていた。
「……こんなものか」
声に出す。
思ったより。
軽い。
机も。俺も。
◆
出る日の朝。荷物は一つだった。王子として国外へ出る時なら、あり得ない量だ。
護衛。侍従。予定表。先触れ。受け入れ先。車列。
今回は。ない。
着替え。
金。必要な書類。最低限の道具。
それだけ。
王宮の廊下を歩く。何人かとすれ違った。礼をされる。返す。いつも通り。
今日も誰も、俺の顔は見ない。
今日は、それが少しありがたかった。
門まで来る。警備の兵が、職務として頭を下げた。
「お気をつけて、殿下」
「ありがとう」
見送りは。
なかった。
父上も。母上も。姉さんも。兵たちも。
呼んでいない。
約束は。もうした。
帰る。
ちゃんと。
だから。これでいい。
門を抜ける。振り返らなかった。別に、帰ってこないつもりはない。
これから見るものを。王子の後ろから見る必要がないだけだ。
肩書きがなくても、俺は俺でいられるのか。どこまで行けるのか。何を見つけられるのか。
まだ分からない。
まずは。
試験会場を見つけるところからだ。
そういえば、ベンジャミンが謝肉祭へ参加したことがないことをビヨンドは評価してましたけど、他の王子って、どうなんだろう…
タイソンとハルケンブルグ、あと十番目以降(カチョウ╱フウゲツから下位の王子たち)は、年齢╱性格などを加味しても参加の経験はないと推測できるけど、だとすると他の原作王子は…?
(個人的にはツェリードニヒは確実にヤってそうだなと思ってますが。)