転生先が殺し合いを約束された帝国の第三王子だった件 作:冷やかし中華
最終試験。
そう聞いて安心したか、と聞かれれば、していない。
◆
九人。
二週間前は三百九十四人いた。今は長い机を囲んでも、空いている椅子の方が多く見える。
俺が戻った時には、クロロはもう座っていた。少し離れた席で、目が合って、それだけだった。
さっき頑張ってとは言った。もう十分だろう。
他にも見覚えのある顔がある。第二試験で大岩を選んだ男。ハルヴァの駅で人の流れへ乗らず、一人で駅員に聞いていた痩せた女。長い布袋を背負った男。地下会場で地図を広げていた年嵩の男。前掛けをつけていた料理人。俺より年下に見える少年。
そして、最初から最後まで、どこにでもいそうに見えた中年の男。
顔は覚えている。名前は、まだほとんど知らない。十四日もそばにいたのに、一度も聞こうと思わなかった。
「揃ったの」
ネテロが机の向こうで茶を飲んでいる。さっきまで一対一で話していた人間と、同じに見えない。
いや、同じなんだろう。こっちが一人で見るのと、九人で見るのとが違うだけだ。
◆
「では、最終試験じゃ」
湯飲みが置かれる音で、部屋の雑音が一度に消えた。
「期間は三日」
三日。短い、と思った。同じことを思った人間が何人かいたらしく、椅子のあたりで息の音が変わる。
「九人を、三人ずつ。三つの組に分ける」
また三だ。この老人が数を適当に置くとは思えない。
「第一組」
手元の紙へ目を落とす。読み上げる声は、名簿を読む声以上の重さを持っていない。
「三百四十一番。カイ」
「はい」
「百七番。ガロ」
「おう」
返事が大きい。横を見ると、第二試験からずっと近くにいた大男だった。
ガロ。そういう名前だったのか。向こうも俺を見て、そこで何かに気づいた顔をする。
「今、初めて知った顔したな」
「初めて知った」
「二週間一緒にいたんだぞ」
「番号は知ってた」
番号の方が覚えやすい。本当にそう思っていた。
「名前聞けよ!」
「今聞いた」
「そういう意味じゃねえ!」
「ほっほ」
笑われた。この老人に笑われるのは、試験官に笑われるより嫌だ。
「百九十八番。セド」
「はい」
あの、どこにでもいそうに見えた中年の男が答えた。声まで普通で、高さにも速さにも引っかかりがない。
覚えようとして、覚える手がかりが一つも見つからなかった。
「第二組」
残りの六人の背が、わずかに揃う。
「三百四十二番。クロロ」
「はい」
「二百八十九番。ミナ」
「はい」
駅で一人だけ流れに乗らなかった女だった。返事の長さがクロロと同じで、どちらも余分を一音も足さない。
「二百十二番。ドルク」
「ああ」
布袋の男が顎だけで答える。この三日、この人の声を何度聞くことになるのか、まだ見当がつかない。
「八十三番。バルド」
「はい」
地下会場で地図を広げていた年嵩の男。立ち方が落ち着いている。
「三百六十番。ネイ」
「はい」
俺より年下に見える少年が、声だけ急いで返した。
「五十四番。トア」
「どうも」
前掛けの料理人。試験の返事とは思えない軽さだった。
九人が三つに割れた。クロロは第二組で、俺は第一組。目が合うと、今度はほんの少し向こうの口元が動いた。
やっぱり分けたな、と思う。
面接で、気になる人間と戦いたくない人間を聞かれた。俺はどちらにもクロロを挙げた。
クロロが何を答えたかは知らない。ただ、この老人が何も考えずに組を作ったとは思えない。
「抽選じゃないんですね」
最初に口を開いたのはミナだった。訊き方が平らで、答えを期待していないようにも聞こえる。
「うむ」
「理由は?」
「教えん」
理由を言わないことが、そのまま答えになっている。
「不満かの?」
「いいえ」
「ならよかろ」
それで終わった。ミナは食い下がらない。引き出せるものがあるかどうかを、たぶん訊く前に見積もっている。
◆
「各組には、開始地点で鍵を一本渡す」
鍵はまだ見せない。
「全部で三本」
指が三本立つ。
「試験場は、この山にある古い砦じゃ」
「三日目の日没までに中央の《合格室》へ辿り着け」
日没。期限だけが、今のところ唯一はっきりしている。
「合格室を開けるには、三本の鍵が要る」
そこまでは分かりやすい。三組、三本、三人。同じ計算を、誰かが俺より先に終えていた。
「そして」
茶を一口飲む間が、やけに長い。
「この最終試験で、合格できるのは――三人じゃ」
「なるほど」
ガロの納得が早い。
「じゃあ、三人で三本集めた組が勝ちってことだな」
湯飲みが置かれる。
「ワシは、そう言ったかの」
疑問符のついていない訊き方だった。
「……え?」
ガロの言葉が途中で止まる。
俺も頭の中で、さっきの説明をもう一度並べ直した。三人ずつ、三組、一本ずつ、三本、合格できるのは三人。
同じ組の三人が、とは一度も言っていない。
◆
「質問」
手を挙げたのはバルドだった。年嵩の落ち着きで、確認から入る。
「どうぞ」
「鍵は奪っていいんですか。奪われた側は、どうなります」
「構わん」
「譲渡」
ミナが単語だけで割り込む。条件を一つずつ潰す訊き方だ。
「自由」
「交換は?」
「自由」
「別の組と行動しても構わないんですか」
セドの声は相変わらず普通で、何を狙って訊いたのかが読めない。
「好きにせい」
ガロの眉が寄っていく。
「じゃあ、組って何なんだよ」
「最初に分けた三人じゃ」
「いや。だから」
「何じゃ?」
「……」
言葉が出てこない。ネテロは少し楽しそうだった。
「殺すのは」
低い声が後ろから来た。ドルクが初めてまともに喋った。
「故意に殺した者は失格じゃ」
「気絶」
「自由」
「拘束」
「自由」
「三日間縛ってても?」
「死なせなければの」
何でもあり、ではない。ただ、禁じられている範囲が思っていたよりずっと狭い。
「鍵」
ネイが身を乗り出す。
「壊したら?」
「壊れるのう」
「予備は?」
「ない」
空気が一段冷える。
「じゃあ」
ネイは止まらない。損のある形を先に探す癖があるらしい。
「一本壊れたら、三人受かれない?」
髭を撫でる手がゆっくりになる。
「ありえるのう」
今度は、誰もすぐには喋らなかった。
「待て」
ガロが身体ごと前へ出る。
「合格者、三人なんだろ?」
「合格できるのは三人じゃ」
「同じじゃねえのか」
「同じかの」
違う。最大で三人と、必ず三人は同じではない。
「一人が」
クロロの声は静かで、場の温度を変えないまま入ってくる。
「三本とも持っても?」
「構わん」
「一人だけ合格することも?」
ネテロが笑った。
「ありえるのう」
何かが落ちた。たぶん、全員の中に同じものが落ちた。
さっきまでは三つの組を見ていた。第一、第二、第三。今は、俺以外の八人が、それぞれ別の選択肢に見える。
人数は変わっていない。九人は最初から九人だった。
「ほかに聞きたいことは?」
茶を飲む音だけがする。誰もすぐには言わない。
「ないのう」
勝手に決めた。
「よし」
立ち上がる動作に、年齢の重さが一つもない。
「始めるかの」
全部答えたようで、何も保証していない。
◆
三組は別々の扉へ通された。ここで初めて、他の六人が見えなくなる。
第一組。俺とガロとセド。
石の廊下が長い。抜けると外で、風が来る。山の空気はもう冷たい。
十四日。移動して、試験して、寝て、また移動して。身体はまだ動く。ただ、疲れていないわけではない。
前を歩くガロが大きく口を開けた。
「眠い?」
「別に」
「今したよ」
「口開けただけだ」
「それをあくびって」
「細けえ!」
セドが後ろで笑う。笑い方まで普通で、どこの職場にもいそうな音だった。
◆
開始地点は小部屋だった。机の上の箱を開けると、鍵が一本入っている。
「でか」
ガロが先に声を出した。
普通の鍵ではない。長さは二十センチくらいで、柄が太く、先端に鍵山がある。持ち手は四角い金属板だった。
板には妙な窓が三つ抜けている。丸ではなく、それぞれ別の方向へ細く欠けていて、形が一つも揃っていない。
「誰持つ?」
ガロが俺を見る。預ける先を自分で考えるより、強い方へ渡したい顔だ。
「お前でいいだろ」
「何で?」
「強いから」
「君の方が強そう」
「そういう話じゃねえ」
「どういう話?」
「取られねえやつが持つ」
それなら俺でもガロでもいい。だから、少し考えた。奪う側から見て、一番手を伸ばしたくなるのは誰か。
「セド」
「俺?」
「うん」
「何でおっさん?」
ガロが不満を隠さない。
「一番、持ってなさそうだから」
ガロが止まる。セドはこちらを見て、否定も肯定もしない。
「隠す?」
「できれば」
「いいよ」
上着の内側へ鍵が収まる。少し角が出たが、布をずらすと見えなくなった。頼まれた時間より、受け取るまでの間が短い。
「これ」
ガロが自分の腰のあたりを指す。
「誰が持ってるか、他の組には言わない方がいいよな」
「多分」
隠すのは物の場所ではなく、視線の行き先だ。そこまで言うと長くなるので、言わなかった。
「じゃあ俺が持ってる顔しとく」
「どんな顔?」
「こう」
胸を張ってみせる。囮を買って出たつもりで、やっていることは囮ではない。
「普段と違う?」
「おっさんまで!」
笑う。少し楽になる。
三人は、今は普通に同じ組に見えた。
◆
砦は古い。外周、中周、内周の三重で、地図には九つの区画と、中央の塔が描かれている。
「三ばっかりだな」
ガロが地図を逆さに持ったまま言う。
「気づいた?」
「さすがに!」
「多分、わざと」
「会長が?」
「他に誰が」
風が来る。石壁の角はどこも欠けていて、山の夜はかなり冷えそうだった。
水と食料は三日分、それぞれにある。砦の中にも井戸が一つ、地図に載っている。寝床の記載はない。探せということだろう。
◆
「中央行く?」
「まず」
最短で向かう。内周の壁は高く、鉄の門は閉まっていた。押しても引いても動かず、鍵穴そのものがない。
壁は登れる。俺なら多分。ガロも届く。セドは分からない。
「越える?」
「やめる」
「何で?」
「道があるなら、先に道を見る」
「越えられるのに?」
「越えられるから」
「?」
第一試験の山を思い出す。登れるから登っていた。あれで何が減ったのかは、あとで数えて分かった。
できる、と、やる、は同じじゃない。
「また意味分かんねえこと言ってる」
「よく言われる」
「誰に?」
「先生」
「怖いやつ?」
「怖い」
間違っていない。
◆
外周を歩く。古い倉庫は空で、井戸の水は飲めた。
セドが壁へ手を当てて、そこで足を止めた。
「ここだけ、新しいな。手が入ってる」
「何が?」
同じ石に見える。色も、積み方も。
「目地だ。石と石の間の詰め物が、ここだけ違う」
指が石と石の隙間をたどる。
「こっちは後から積み直してる。たぶん一度崩れたんだろう」
「分かるの?」
「少し」
「何で?」
「そういうの好きだから」
それだけだった。ガロが聞いても、答えは増えない。
西へ歩く。壁際に四角い石が一つ据えてあって、またセドが先に止まった。
「これ」
◆
三かける三の九つの升が切ってある。ただ、文字ではない。
各マスの中で細い傷が何本も交差して、重なって、掠れて、もう何を彫ったのか分からなくなっていた。落書きにも見える。
「何だこれ」
ガロの指が先に伸びる。
「触らない方が」
「もう触った」
「早い」
「壊れねえよ」
多分、壊れない。ただ試験だ。何があるか分からない。
九つの升と、交差した線。鍵の持ち手を思い出す。
「貸して」
セドが上着へ手をやって、途中で止めた。
「ここで出す?」
「周り」
見る。人はいない。気配も、少なくとも拾えない。
「出していいと思う」
鍵を受け取る。四角い持ち手は、石碑の升の大きさに近い。
「これ」
ガロが板と石を見比べる。
「重ねる?」
「多分」
石の端に小さな窪みがあった。鍵板の角の突起をそこへ合わせて置くと、かち、と嵌まる。
三つの窓から線が見える。さっきはただの傷だった。
今は余計な線が板の下へ全部隠れて、窓の中に輪郭のはっきりした形が一つずつ残っている。
字だと思う。でも。
「読めねえ」
ガロが先に降参した。俺も読めない。
知らない形だ。仮名ではなく、絵でもない。三つ並んでいるのに、一つも入ってこない。
セドは黙っている。さっきから一言も出さない。
「セド?」
顔が石のすぐ上にあった。覗き込む角度が、素人のそれではない。
「……古い字だな。見たことのある系統だ」
「読めるの?」
「少し」
また、少し。この人の「少し」は、今のところ全部当たっている。
「どのくらい」
「音は」
「音?」
「何て読むかは分かる。音だけなら、全部拾える」
右上の窓を指す。
「ミ」
真ん中。
「ノ」
左下。
「ハ」
ミ。ノ。ハ。
意味は分からない。ただ、さっきまではただの傷だった。それが今は三つの音になっている。最後の一段をやったのは、この人一人だ。
「何だそれ」
「古い書き方だ。今の字の、二つ前くらいの」
セドの説明は短い。
「碑文でよく使う。墓と、境を示す石に多い」
「よく?」
「遺跡で」
ああ。そういうことか。
「読める人」
俺が聞く。ここが一番知りたい。
「多い?」
セドが少し考えた。考える時間を惜しまない人だ。
「少ないと思う。読めるやつに会ったのは、十年で三人だ」
それだけ。
つまり、この三日間、この升を音に変えられるのはこの人だけかもしれない。
「あと」
セドが続ける。
「これ、右上から読むんだと思う」
「上から?」
「縦」
「何で分かんだよ」
ガロが納得しない。セドは升の縁を指した。
「彫り始めが深い」
「は?」
「鑿は、入れる最初が一番強く入る」
言われて見る。右上の線の入り口が、他よりわずかに深い。次はその下。同じ。順番が見える。
言われるまで、見えなかった。見ていたのに、見えなかった。
「おっさん」
「何でそんなん知ってんだよ」
「好きだから」
二回目。同じ答えで押し切る。
「じゃあ」
ガロが数を数える。
「これ一枚で三つ」
「うん」
「三本で九」
「多分」
「他の二本、取る?」
早い。鍵を奪う方へ、もう頭が向いている。
「取らなくてもいい」
「何で?」
「形」
紙を出して鍵を置き、輪郭を写す。三つの窓の位置、形、細かい切り欠きまで、炭で擦って写し取る。
「紙を切れば」
セドが手元を見ながら言う。
「同じ遮蔽を作れる。鍵がなくても、窓の形さえ写せれば足りる」
「うん」
「鍵そのものじゃなくて」
「情報だけ」
ガロの顔が嫌そうになった。
「ずるくない?」
「何が?」
「鍵なのに」
「扉は紙じゃ開かない」
「そうだけど」
物と情報が同じところに入っている。でも、同じではない。面白い、と思ってしまった。
多分、ネテロはそこも見ている。
◆
もう一つ気づく。
鍵を外すと傷が戻る。当たり前だ。板が余計な線を隠していた。だから板がないと読めない。
なら三枚重ねたらどうなる。やってみるまでもなかった。
板は三枚、窓は三つずつ、場所は全部違う。一枚目の窓を二枚目の板が塞ぎ、二枚目の窓を三枚目の板が塞ぐ。全部覆われる。
つまり、この石の上で九つが同時に並ぶことはない。
「どうした」
セドが手を止めてこちらを見た。
「重ねられない」
「うん」
この人は、もう分かっていた。分かったうえで、俺が辿り着くのを待っていた。
「一枚ずつ当てて」
俺が続ける。
「見えた形を、別の紙に写す」
「それしかないな。手間は増えるが、ほかに道がない」
「石の上には、九つ揃わないんだ」
「揃わない」
セドが石碑を見る。
「揃うのは、俺たちが作った紙の上だけだ」
そう。それと、もう一つ。
紙は、その気になれば誰でも作れる。でも、音は、いまこの人からしか出てこない。
「この石碑」
セドが石の下の方を指す。
「壁より古いな。この石が先に立ってたはずだ」
「また?」
「こっちを後から囲ったんだと思う。守るためか、隠すためかは分からない」
「何で分かる?」
「石の削り方が違う。道具が別の時代のものだ」
「……」
ガロが俺を見た。助けを求める目だった。
「分かる?」
「分からない」
「よかった」
「何が?」
「俺だけ馬鹿じゃない」
「安心するとこ違うよ」
セドが笑う。この三人で、今のところ一番よく笑っているのはこの人だ。
「遺跡とか好き?」
俺が聞く。好きだからで二回押し切られた分を、少しだけ取り返したい。
「好きだね」
「ハンターになったら?」
「遺跡」
迷いが一度もなかった。
「そういうのを狩りたい」
狩る。その言い方だ。試験官も会長も、同じ言い方をした。
石碑を。遺跡を。賞金首を。狩る。
俺はまだ使わない。使えない、の方が多分正しい。
「へえ」
ガロが横から覗き込む。
「おっさん、普通の会社員みたいなのに」
「失礼だな」
「褒めてる」
「それ、最近よく聞く」
俺は黙る。同じことを別の人間から言われた顔を、少し前に見た。今は関係ない。
◆
第二組と会ったのは、思ったより早かった。一日目の昼、中周へ続く回廊だ。
向こうに三人。クロロ、ミナ、ドルク。向こうが止まり、こっちも止まる。距離は二十メートル。
「やる?」
先に声を出したのはクロロだった。誘う言い方ではなく、確認する言い方だった。
「やりたい?」
「別に」
「俺も」
ガロが二人の間で苛立つ。
「お前ら何なんだよ」
ドルクの布袋が肩で少し動いた。笑ったらしい。声は出さない。
「前から?」
「汽車から」
俺が答える。
「気持ち悪いな」
「言われた」
クロロを見る。少し笑っている。言われ慣れているのは、たぶん向こうも同じだ。
「これ」
紙を出す。鍵の写しを広げると、ミナの目が細くなった。
「何?」
「石碑」
三かける三の升、傷、鍵、遮蔽、三つの音。順に説明する。
ミナは途中から俺ではなく紙を見ている。クロロは一度も口を挟まない。ドルクは布袋を床へ置いた。
「そっちも見つけた?」
聞くと、クロロが自分の鞄から紙を一枚出して石の上へ置いた。隠す素振りがない。
「似たのが出た。窓の位置は、そっちと全部違う」
第二の鍵の写しだった。
「交換?」
ミナが条件から入る。
「情報だけ」
「鍵は?」
「聞く?」
俺が返す。訊いても確かめられないことを訊くのは、時間の使い方としては悪い。
「聞いても本当か分からない」
「そう」
ミナが紙を持ち上げる。
「じゃあ、聞かない」
早い。確かめられないものを、最初から勘定に入れない。この人はそういうやり方をする。
◆
第一石碑へ戻る。第二組も一緒だ。
紙を二枚切って窓を抜き、もう一枚、白い紙に三かける三の線を引く。記録用だ。
「何それ」
ガロが紙を覗く。
「重ねられないから」
「あ?」
「一枚ずつ当てて、ここに写す」
ミナが記録紙を見て、一拍だけ止まった。
「賢いわね」
「褒めた?」
「事実を言った」
一枚目。第一組の写しを石碑に当てると、三つ浮く。
セドが右上から順に読む。
「ミ」
右上の升へ書く。
「ノ」
真ん中。
「ハ」
左下。外す。傷が戻る。
二枚目。第二組の写しを当てる。三つ。さっきとは別の場所だ。
「メ」
「ニ」
「カ」
書く。外す。
記録紙は六つ埋まった。三つが空いている。
セドが右上から指を下へ動かしながら、埋まった音だけを拾う。
「ミ」
空。
「カ」
列を変える。
「メ」
「ノ」
空。最後も空。
「ニ」
「ハ」
指が止まる。
「ミ、カメノ、ニハ」
「何か分かりそうで分からねえ」
ガロが頭を抱える。言いたいことは分かる。音の並びだけが先に来て、意味が追いつかない。
「ミッカメ」
セドの声が、読む時の声から話す時の声へ戻った。
「え?」
「ここは『ミッカメ』だと思う」
「何で」
「二つ目に入る音が、一つしかない」
言い切った。迷いの幅が狭い人の言い方だ。
ミッカメ。三日目。ノ。の。ニハ。には。
三日目の、□□、には。
「時刻だな」
セドが升の空きを指す。
「この形の文なら、ここは時刻が入る」
「二つの音で表す時刻ってことか」
ミナが先に数えた。
「三つ?」
セドが少し考える。
「この手の碑文で使う二音の時刻なら」
一拍おいて、指を三本立てた。
「俺が知ってるのは三つ」
「アサ」
「ヒル」
「ヨル」
三。また三だ。
「ユウは」
低い声が後ろから来る。ドルクが二度目に、まともに喋った。
セドが止まる。
「……見たことはない。少なくとも碑文では」
「ないのか」
「俺が見てないだけだ」
ドルクはそれきり黙った。でも、言葉は残った。この人の言う三つは、この人が見た三つだ。
「ヨルは消える」
ミナが候補を一つ削る。
「何で」
ガロが聞く。
「会長は、三日目の日没までと言った」
「あ」
「日没より後に何かしろと書いてある碑文は、この試験では成立しない」
正しい。残りは二つ。朝と昼。
「昼だろ」
ガロが即答した。
「なぜ?」
ミナが即座に返す。
「え」
「なぜ昼だと思ったの」
ガロが止まる。
「……何となく」
誰も笑わなかった。俺も昼だと思っていた。根拠は何もない。
九人を三人だと思ったのと同じことを、半日でもう一回やっている。
「どっちでもいいけど」
クロロは記録紙から目を離さない。
「朝だと思ってる人が一人でもいたら」
そこで顔を上げた。
「今夜から動くね」
誰も答えない。
朝と昼。半日違うだけだ。その半日で、最後の夜が今夜になったり、ならなかったりする。
「残り三つの場所は分かるけど」
俺は記録紙の空きを指す。
「窓の形が分からない」
ただ穴を開ければ余計な線が残る。字にならない。字にならなければ、セドにも音にできない。
「第三組」
ミナが結論だけ置く。
「必要ね。残り三つは、あっちの鍵でしか出ない」
クロロがこちらを見た。
「探そうか」
「一緒に?」
ガロが聞く。
「別でもいい」
俺が答える。並んで歩けば、速いが、見える範囲も同じになる。
「先に見つけた方が」
「渡す保証は?」
ミナが即座に差し込む。
「ない」
「でしょうね」
「でも」
クロロが一言だけ足した。
「今は、渡した方が得だよ」
それだけで、説明はしない。
ミナがクロロを見る。
「今は?」
「うん」
この子も使う。今は、という言い方を。
◆
第三組は午後、北側の半壊した食堂で見つけた。トアが火を使っている。
「何してるの?」
ガロが先に中へ入る。警戒より匂いが勝ったらしい。
「昼」
鍋がある。匂いは、正直いい。
「試験中だぞ」
「腹減るだろ」
「それはそう」
ネイがこちらを睨んでいる。バルドは座ったまま動かない。
「何の用だ?」
紙を見せる。バルドが受け取って、目だけ動かした。
「鍵の写しか。しかも第一と第二の両方だ」
「うん」
ネイがすぐに身を乗り出した。
「見せる必要ない」
「ネイ」
「だってそうだろ。俺らだけ隠しとけば、こいつらは読めない」
理屈は分かる。情報の優位は、手放したら戻らない。バルドが黙って考える。
クロロが口を開いた。
「見せなくてもいいよ」
ネイが少し意外そうな顔をする。
「は?」
「オレたちは二本分ある」
紙を二枚、軽く持ち上げる。
「君たちは一本分」
「だから?」
「このまま別れてもいい」
そこで笑った。
「オレたちは、二本分で次を考えるから」
それだけ。脅していない。脅していないのに、こちらが損をする形だけが残る。
バルドがクロロを見た。
「脅しかよ」
「違うよ」
クロロの声は変わらない。
「選べるって言ってる」
トアが鍋を混ぜながら言う。
「俺は交換でいいと思うけど」
「何で」
「こっちだけ一枚で残る方が嫌」
ネイが黙る。実利で返されると、言い返す足場がない。
バルドが膝を叩いて立った。
「同感だ」
紙を出す。第三の写しだった。
クロロは勝った顔を何もしない。ただ受け取る。相手が自分で選んだように見える。多分、そう見えるように置いただけだ。
◆
第一石碑。九人。
三枚目。第三組の写しを当てると、三つ浮いた。
バルドが覗き込んで、眉を寄せる。
「……この系統か」
「読めるの?」
トアが鍋を置いて近づく。
「読めん」
バルドの否定は早い。
「見たことがあるだけだ。読めるのとは違う」
「どこで」
「古い墓で見た。若い頃に、一度だけ」
少し黙った。その数秒に何が入っているのかは、聞かない。
「右から読む様式だったはずだ。少なくとも、俺が見たものは」
セドが顔を上げた。
「俺もそう思う。右の列から下へ、だ」
二人の目が合う。それだけだった。
字の系統と読む向き。そこまでは二人が同じことを言った。中身は、まだ一人だ。
記録紙の九つが埋まる。セドが右上から指を下へ動かす。
「ミ」
「ッ」
「カ」
列を変える。
「メ」
「ノ」
「ヒ」
最後。
「ル」
「ニ」
「ハ」
指が止まる。息を一つ置く。
「ミッカメノヒルニハ」
読み直す。
「三日目の昼には」
それだけ。続きはない。
ヒル。昼。さっきは二つあった。それが一つになった。
バルドが息を吐く。
「昼か」
「ほら見ろ」
ガロが胸を張る。
「俺、当てただろ」
「当たっただけ」
ミナは一音も譲らない。
「うるせえな!」
「石碑」
トアが指を三本立てる。
「三つ?」
「絶対三つだろ」
ガロが即断する。この三日で、この男が一番早く覚えたのは数だ。
バルドがそれを見て、少し笑った。
「何だよ」
「いや」
笑いを隠さない。
「成長したなと思って」
「お前、俺の何知ってんだよ!」
トアが笑う。ネイの口も少し緩んだ。
九人。初めて、普通に同じ試験を受けている人間に見えた。その瞬間だけ。
そのあとで、少し考えた。
いま、九人が同じことを知っている。紙は三組で持ち寄った。升も目の前で埋めた。でも、その形を音にしたのは一人だ。確かめる方法はない。
……別に、疑う理由もない。そう思った。
バルドが立ったまま、全員へ向き直る。
「石碑を全部読むまで」
九人を順に見る。
「物理鍵には手を出さない」
ネイが真っ先に噛みつく。
「何で?」
「三本の情報が要る。一本でも欠けたら、升が埋まらない」
「写しはもうある」
「他の石碑でも同じとは限らない。様式が違えば読めない」
ミナが条件の穴を突く。
「約束を破ったら?」
「全員を敵に回すことになる。ここにいる八人を」
「それを気にしない人なら?」
バルドが止まった。
「……強制はできない」
「そうね」
「だから提案だ。従わなくても責めない」
正直だ。守らせる手を持っていないことを、先に自分で言う。
ガロが手を挙げた。
「俺はいい」
早い。中身を聞く前に決めている。
「三つ読むまでだな」
「そう」
「なら手出さねえ」
ネイが舌を鳴らす。
「簡単に言うなよ」
「約束だろ」
「破るかもしれない」
「お前はな」
「何だと」
「やめろ」
トアが鍋を差し出した。
「食う?」
何で、その流れで。
「食う」
ガロが早い。強い。
協定は成立したことになった。
バルドが全員を見回す。ネイは舌打ちをして、それでも頷いた。
ミナが短く。
「いいわ」
「うん」
クロロの返事も短い。
俺も頷いた。
ドルクは布袋を肩に掛けたまま立っている。何も言わない。
バルドが次の話を始める。誰も聞かなかった。俺も聞かなかった。
八人が同意して、一人が黙っている協定を、九人の協定と呼んだ。
あの人が会長に何を聞いたか。三日間縛ってても、いいか、だった。
◆
一日目の夕方、九人は別れる。
第一組は寝られそうな小屋を見つけた。壁は三面、屋根は半分。風は完全には防げない。
「もっといいとこ探す?」
「暗くなる」
セドが空を見ずに答える。
「ここでいい」
壁へ手を当てる。もう癖なのだと思う。
「この辺は後で直してる。崩れにくい」
二回目だ。建物を読む。
「本当に分かるんだ」
「少しだけ」
火を小さくつけて食料を出す。ガロの分が明らかに多い。
「それ、三日分」
「分かってる」
「一日目」
「分かってる!」
「明後日」
「うるせえ!」
セドが自分のを少し分ける。
「食う?」
「いいのか?」
「俺は少なくていい。歳取ると、そんなに食わなくなる」
「悪い」
ガロが受け取る。ちゃんと礼を言う。
単純だ。でも、こういうところは十四日間ずっと変わらない。
「ガロ」
「何だ」
「何ハンターになりたい?」
「賞金首」
即答だった。
「分かりやすい」
「悪いか」
「悪くない」
「セドは?」
「遺跡」
「やっぱり」
俺が言うと、ガロが覗き込んでくる。
「やっぱり?」
「壁ばっか見てるから」
「人より分かりやすい」
「それ、褒めてる?」
「多分」
「カイは?」
来た。この質問は、この二週間で何度も来た。
「まだ」
「まだ?」
「決めてない」
「それで最終まで来たの?」
「うん」
「変なやつ」
知ってる。言われたのは何人目だ。
「クロロは?」
ガロが火の向こうから聞く。
「知らない」
「仲いいんだろ?」
「別に」
「汽車一緒。第三試験一緒。今日も紙交換」
「それは試験」
「十分だろ」
セドが火を見ている。静かだ。喋らない時間の長さが、この人は気にならないらしい。
「カイくんとガロくんは」
顔を上げないまま言う。
「二人で残るつもりでいるだろう」
「は?」
ガロが先に声を出した。
俺は少し止まる。否定が、すぐ出てこなかった。
「……三人です」
「うん」
セドがこちらを見る。
「今は、ね」
火がぱち、と音をした。
今は。その言葉を、俺はよく使う。納得していない時と、決めきれない時だ。
「どういう意味?」
「別に」
セドが笑う。
「三日あるから」
「答えになってない」
「カイくんも、そういう答え方するだろ」
言い返せない。
ガロが俺とセドを見比べて、匙を投げた。
「お前ら面倒くせえな」
「ガロは?」
セドが話を移す。
「何が」
「最後まで第一組でいるつもりか?」
「当たり前だろ」
即答だった。
「何で?」
「同じ組だから」
「会長は組を変えていいって」
「変えなくていいだろ」
変える前提で話すこちらを、ガロは見ていない。
「状況が変わったら?」
「その時考える」
「変えるかも?」
「……」
ガロが考える。長い。考えないまま答える男だと思っていたから、この沈黙は意外だった。
「約束したら変えねえ」
「まだ約束してない」
「じゃあする」
俺を見る。
「何を?」
「三人で行く」
「どこまで?」
「最後まで!」
「合格も?」
「できるなら!」
できるなら。そこだけ、ちゃんと残した。
馬鹿ではない。約束を軽く見ない人間は、守れない約束を先に削る。
「俺は」
少し考える。同じ言い方を返すのは、たぶん、ずるい。
「そうできたら、いいと思う」
「何だその言い方!」
「今は?」
セドが笑う。俺は嫌な顔をしたと思う。
「……今は」
「またそれか!」
夜は寒い。でも、少し笑った。