転生先が殺し合いを約束された帝国の第三王子だった件   作:冷やかし中華

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このあと、ずっとHUNTER×HUNTERという作品に間借りしたオリジナル・ストーリーです。
楽しんでいただけるように、しばらくはストックの続く限り毎日更新する予定です。

良かったら、拙作のウマ娘二次創作も読んでね!(ダイマ)



002_転生したら、姉がカミーラだった

 俺が初めてカミーラ=ホイコーロに出会ったのは、三十年以上前。俺と彼女がまだ、生まれたばかりの赤ん坊だった頃のことだ。

 そして、あの日。

 俺は自分がとんでもない場所へ生まれ落ちたことを知った。

 

 

     ◆

 

 

 最初に感じたのは。

 寒い。

 だった。

 次に。

 眩しい。

 それから。

 うるさい。

 

「――――!」

「――――――!」

「――――、――――!」

 

 何人もの声。

 光。

 知らない匂い。

 ざらつく布。

 身体が重い。

 というより。

 動かない。

 いや。

 待て。

 何だこれ。

 何で身体が動かない?

 腕。

 短い。

 指。

 ちっちゃい。

 視界。

 ぼやける。

 声。

 出ない。

 

「あー……」

 

 出た。

 いや。

 違う。

 喋ろうとして「あー」しか出ない。

 この時点で薄々、嫌な予感はしていた。というか、ここまで揃えば、普通に考えて答えは一つしかない。

 ――俺。

 赤ん坊になってない?

 

「――――!」

 

 また声がした。

 何を言っているのか、分からない。日本語じゃない。英語でもない。前世で聞いた覚えのある、どの言語とも違う。

 ただ、声の調子だけは分かる。

 喜んでいる。

 たぶん、俺が無事に生まれたことを。

 あ。

 やっぱり。

 赤ん坊なんだ。

 いやいやいや。落ち着け俺。

 赤ん坊になったことについてはもういい。よくないけど、とりあえず後回し。

 転生。そういうことだろう。小説とか漫画とかで死ぬほど見た。まさか自分がやるとは思わなかったけれど。

 

「――――」

 

 女の声。

 近い。

 疲れ切っていて、でも、妙に品がある。

 その声に応じて誰かが動いた。ぼやけた視界の向こうから、俺と同じくらい小さな何かが運ばれてくる。

 赤ん坊。

 たぶん、俺より少し先に生まれた子。

 

「――――、カミーラ」

 

 世界が止まった。

 今。

 何て言った?

 

「カミーラ」

 

 聞き間違いじゃない。

 意味の分からない言葉の中で、その音だけは、あまりにもはっきりと俺の記憶にあった。

 待て。

 待て待て待て待て。

 

「――――カミーラ――――」

 

 やめろ。

 いや、まだだ。カミーラなんて名前、探せばどこかにいる。

 偶然だ。きっとそうだ。そういうことにしてくれ。

 

「――――ホイコーロ――――」

 

 やめてくれ。

 カミーラ。

 ホイコーロ。

 知っている。

 前世で。

 漫画で。

 何度も見た名前だ。

 

「あ――」

 

 声を出そうとした。

 

「あぅ」

 

 当然、出ない。

 いやいやいやいやいや。

 嘘だろ。

 よりによって。

 よりによってそこ!?

 転生先、選べるとかじゃないの? せめてモブ! どこかの一般家庭! 天空闘技場の観客! ヨークシンの通行人! 何なら名前のないハンターでもいい!

 なんで。

 よりによって。

 あの一族なんだよ!

 

「――――」

 

 女が、今度はこちらを見る。

 

「――カイエン」

 

 知らない。

 その名前は。

 知らない。

 

「カイエン=ホイコーロ」

 

 やめろ。

 名字までつけるな。

 カイエン。

 ホイコーロ。

 原作に。

 そんな奴。

 いない。

 

「――――ドゥアズル――――」

 

 今度こそ、頭の中が真っ白になった。

 ドゥアズル。

 カミーラ。

 ホイコーロ。

 意味の分からない言葉の中から、知っている固有名詞だけが、次々と突き刺さってくる。

 まだ分からない。俺がどういう立場なのか。何番目なのか。この赤ん坊が本当に「あの」カミーラなのか。何も確定していない。

 でも、嫌な予感だけは確信に近かった。

 カキン。

 ホイコーロ。

 カミーラ。

 ドゥアズル。

 もし。

 もしも俺が思っている通りなら、この先にはあれがある。

 

 ブラックホエール号。

 壺中卵の儀。

 そして、王位継承戦。

 

「あ……」

「?」

「あ、あ……」

「あああああああああああああああっ!!」

 

 泣いた。

 人生二度目。いや、今世では初めて。

 本気で泣いた。

 

「――――」

「――――!」

 

 違う。

 そうじゃない。

 たぶん今、

 

『元気ですね』

 

 とか言ってるんだろ。違うから! 元気だから泣いてるんじゃない! 死にたくないから泣いてるんだよ!

 俺、下手すると将来、兄弟姉妹で殺し合いさせられるんだけど!?

 

「――――?」

 

 知らない言葉。

 誰かが俺を抱き上げ、あやす。

 違う。そうじゃない。

 でも説明できない。できるわけがない。俺は赤ん坊で、この世界の言葉すら分からない。

 その時、俺のすぐ横へ、小さな赤ん坊が寝かされた。

 カミーラ。

 たぶん、あの、カミーラ=ホイコーロ。

 傲慢。自己中心的。自分以外の人間は、自分へ従って当然。そんな女。

 だった。

 ――原作では。

 赤ん坊のカミーラが、ぼやけた目でこちらを見ていた。

 

「ぁ」

「…………」

「あぅ」

 

 手が動いた。

 小さな手。

 その指が、俺の頬へ触れた。

 温かい。

 当たり前だけど、普通の赤ん坊だった。漫画の登場人物じゃない。王位継承戦の参加者でもない。第二王子でもない。

 ただの、生まれたばかりの女の子。

 

「……ぁ」

 

 そして、もし俺の予想が正しいなら。

 俺の姉。

 そう思った瞬間だった。

 緊張が、全部切れた。

 

「――――?」

「――――!」

「カイエン――?」

 

 俺はそのまま、気を失った。

 

 

     ◆

 

 

 次に目を覚ました時も、当然、赤ん坊だった。

 夢じゃなかった。

 人生、終わったかもしれない。

 ただ、この時点ではまだ、終わったと決めるには、確認しなければならないことが多すぎた。

 

 

     ◆

 

 

 それからしばらく、俺は必死だった。

 まず必要なのは情報だ。ここが本当に俺の知っている世界なのか、名前がたまたま一致しただけという可能性はないのか。その一縷の望みを、どうにか確かめたかった。

 だが現実は残酷で、俺にできることは何一つなかった。

 立てない。

 歩けない。

 物を掴めない。

 当然、本など読めるわけがないし、誰かに質問することもできない。声を出そうとすれば「あー」か「うー」しか出てこない。前世で何十年か生きた人間の頭が、生後数ヶ月の身体に押し込められている。その落差は、思っていたよりずっと堪えた。

 結局、唯一残された手段が、聞くことだった。

 王宮らしき場所で暮らす赤ん坊の周りには、常に誰かがいる。乳母、侍女、医者、衛兵。そして彼らは、赤ん坊の前ではよく喋った。当たり前だ。赤ん坊は何も理解しないと思っている。

 だから俺は、目を閉じたまま、寝ているふりをして、ひたすら聞いた。

 問題は言葉だった。当然ながら、彼らは前世の言語で喋ってくれない。まったく知らない音の並びを、意味の分からないまま丸ごと覚え込み、状況と照らし合わせて一つずつ推測していく。

 この音が出ると乳母が来る。

 この音の後は決まって身体を拭かれる。

 この音は、誰かが部屋へ入ってきた時にだけ使われる。

 積み木を裏返しに積み上げていくような作業だった。何度も間違えたし、何度もやり直した。それでも、毎日、何十回も同じ言葉を浴びせられるのだ。半年もすれば、断片は形になり始めた。

 固有名詞だけなら、もっと早かった。

 カイエン。

 カミーラ。

 生まれた日に聞いた二つの名前。その意味を、ようやく文章として理解できるようになった。

 

「カミーラ殿下は、本日もお元気ですね」

「カイエン殿下もよくお笑いになります」

 

 殿下。

 ああ、やっぱり。そこも合っていた。

 そして、拾いたくない言葉ほど、正確に聞こえてくる。

 

「――ベンジャミン殿下も、そろそろ……」

 

 その名前を聞き取れた日のことは、今でも覚えている。

 ベンジャミン。

 知っている。第一王子。軍を率いる男。原作の継承戦で、最も王に近い候補の一人だった男。

 その名前が、伝聞や物語としてではなく、同じ王宮にいる人間の話題として、当たり前のように出てきた。その時点で、もう九割は決まったようなものだった。

 それでも往生際悪く、俺は確認を続けた。

 国の名前。カキン。

 王の名前。ナスビー=ホイコーロ。

 母の名前。ドゥアズル。その立場は、第二王妃。

 そして、カミーラ。第二王子。

 全部、一致した。

 問題は、俺だった。

 

「第三王子カイエン殿下――」

 

 聞き間違いかと思った。何度も、何度も聞いた。でも、間違いではなかった。

 第三王子カイエン=ホイコーロ。第二王妃ドゥアズルの息子。第二王子カミーラ=ホイコーロの、双子の弟。

 いない。

 原作に。

 そんな王子は。

 存在しない。

 ここは、俺が前世で読んでいた漫画の世界だ。そして俺は、本来なら存在しなかった、カミーラの双子の弟。出生順で言えば、第三王子。

 諦めた。

 ここは間違いなく、あの世界だ。しかも、よりによって、最も面倒な場所のど真ん中。

 

「ばぶ」

 

 絶望しているのに、口から出るのはこれである。

 赤ん坊。

 不便すぎる。

 ただ、この数ヶ月で、一つだけ手に入れたものがあった。

 黙って。

 聞いて。

 覚えて。

 組み立てる。

 誰にも気づかれないまま、周囲の情報だけを集め続ける癖。あの頃はただの生存本能だった。それが何十年も経ったあと、まったく別の場所で役に立つことになるなんて。

 この時の俺は当然、知らない。

 

 

     ◆

 

 

 とはいえ、今日明日殺されるわけではない。王位継承戦が始まるのは、まだずっと先だ。少なくとも、赤ん坊の今すぐではない。

 そこへ思い至ってからは、多少、冷静になった。

 時間はある。原作知識もある。何より俺は今、王族だ。金、教育、人脈。利用できるものは多い。

 だったら、備えればいい。

 念を覚える。

 強くなる。

 継承戦そのものを回避する方法を探す。

 無理なら、生き残る方法を作る。

 そして可能なら――。

 横を見る。カミーラが寝ていた。同じ部屋の、少し離れた位置。乳母や侍女が、いつも側についている。

 この子も、殺し合いへ参加する。原作通りなら、当然、俺と。

 嫌だな。

 そう思った。

 この時は本当に、ただそれだけだった。

 

 

     ◆

 

 

 王宮での生活は、不自由だった。

 ただし、一般的な意味ではない。

 食事。服。寝床。医療。困るものなんて何一つない。泣けば誰かが来た。腹が減れば乳母が来る。少しでも熱を出せば、医者が何人も飛んでくる。世話をする人間は、いくらでもいた。

 なのに、変な話、俺は時々、ひどく一人だった。

 部屋には常に人がいる。夜も、必ず誰かが控えている。衣擦れの音と、焚かれた香の匂いだけが、暗い部屋をゆっくり動いていた。だが誰も、俺に話しかけはしない。正確に言えば、用件しか言わない。

 お召し替えでございます。

 お食事でございます。

 お休みのお時間でございます。

 全部、俺へ向けられた言葉のはずなのに、返事を期待されていない。

 泣けば、必ず人が来る。来るのだが、誰も理由を聞かない。空腹か、不快か、熱か。そのどれかだと決めつけて、順番に潰していく。どれでもなかった時、彼女たちは困った顔をして、ただ抱き上げて揺らす。それで泣き止まなければ、次の人間が呼ばれる。

 俺が何を思って泣いているのか。そこを知ろうとする人間は、一人もいなかった。

 まあ、当たり前ではある。相手は赤ん坊なのだ。思っていることなんて、あるわけがない。

 ――ただ、俺にはあった。

 俺は自分がどこへ生まれたか知っていて、この先この王家で何が起きるか知っていて、いつか兄弟姉妹で殺し合う日が来ることまで知っていて、それを、誰にも言えなかった。言えたところで信じられないし、そもそも、まだ満足に喋れない。

 部屋の中に何人いようと、この頭の中身を分かち合える相手は、この世界に一人もいない。その事実だけが、静かに積もっていった。

 

 人生で一番手厚く世話をされながら。

 人生で一番、俺は一人だった。

 

 

     ◆

 

 

 母のことは、しばらく分からなかった。

 第二王妃ドゥアズル。その人が母親だという知識はある。けれど、顔を合わせる機会は驚くほど少なかった。少なくとも、俺たちの身の回りの世話を、母自身がすることはほとんどない。乳を与えるのは乳母。世話をするのは侍女。成長すれば、教育を施す人間も別につく。母は時々、様子を見に来るだけだった。

 その日も、そうだった。

 部屋の空気が変わり、侍女たちが一斉に頭を下げる。抱き上げられて、ようやく、まともに顔を見た。

 整った顔立ちの女性だった。カミーラの面影が、確かにある。

 

「よく育っているようね」

 

 声も、悪いものではなかった。冷たいわけではない。むしろ、満足そうですらあった。

 ただ、目が。

 俺を、見ていなかった。

 いや、見てはいる。顔の造作を確認するように。手足の発育を見るように。健康状態を確かめるように。

 その視線の先にあるのは、俺という人間ではなく、王家へ生まれた第三王子。そういう存在なのではないか。幼いながら、俺にはそう見えた。

 

「二人とも、良い王子になりなさい」

 

 良い王子。

 そう言われて、乳母たちが誇らしげに頭を下げる。誰も、何も、おかしいとは思っていない。この王宮では、母親が子供へ向ける言葉として、それが自然なのだろう。

 俺は抱かれたまま、天井を見た。

 この人は、俺を嫌っているわけじゃない。邪険にもしていない。たぶん、大事にはしている。

 ――「王子」として。

 少なくとも、今の俺には、そう感じられた。

 

「……あぅ」

 

 声を出してみた。

 母は少しだけ笑って、俺を侍女へ返した。

 それだけだった。

 

 

     ◆

 

 

 やがて、弟が生まれた。

 王宮が騒がしくなり、祝いの言葉が飛び交い、また一人、王子が増えた。

 

「第四王子ツェリードニヒ殿下のご誕生を――」

 

 来た。

 できれば、知りたくなかった名前。

 覚悟はしていた。いずれ生まれてくることは分かっていたし、自分が一人割り込んだ以上、番号が一つ後ろへずれるはずだと、そう思っていた。

 なのに。

 

「…………第四?」

 

 変わっていない。

 原作でも、あいつは第四王子だった。

 俺が生まれたのに。俺が確かに、この王家へ一人増えたのに。あいつの番号だけは、何も動いていない。

 

「…………」

 

 気味が悪かった。

 理屈が合わない。合わないのに、そこにある。まるで、あの男の座る場所だけが、最初から決められていたみたいに。

 考えすぎだ。そう思うことにした。

 思うことにしたが、背中の落ち着かなさは、しばらく消えなかった。

 

 

     ◆

 

 

 答えが出たのは、次の弟が生まれた時だった。

 

「第五王子チョウライ殿下のご誕生を――」

 

「…………は?」

 

 思わず声が出た。

 チョウライ。知っている。前世で読んだ漫画では、第三王子。

 だった。

 でも、今は第五王子。

 一つじゃない。

 二つ。

 ずれている。

 

「…………」

 

 俺が一人割り込んだ。それだけなら、全員が一つずつ後ろへ下がるはずだ。チョウライは第四王子になり、ツェリードニヒは第五王子になる。

 そうならなかった。

 俺が入って、なおかつ、二人の生まれる順番そのものが、原作と入れ替わっている。

 

「……そういうことか」

 

 誰にも聞こえない声で呟いた。

 世界は、俺が一人増えたぶんだけ、綺麗に一つずれてくれるわけじゃない。俺という石が落ちた場所から、波が、勝手な形で広がっていく。

 どこがどれだけ動くのか、誰にも分からない。

 俺にも、分からない。

 

「……そっか」

 

 当たり前のことだった。俺が生まれた時点で、この世界は、もう俺の知っている漫画と完全に同じではない。その事実を、初めて、目に見える形で突きつけられた気がした。

 ただし、番号が変わったからといって、中身まで変わった保証はない。

 特に、あの第四王子については。

 むしろ、変わっていてくれと、心の底から願った。

 

 

     ◆

 

 

 それからも、父の子供は増えていった。

 新しい王子が生まれるたび、王宮は祝った。王家の繁栄。国の未来。誰もが笑顔で祝福する。

 俺だけが、数を数えていた。

 一人増えるということは、いつか始まる殺し合いの席に、一人追加されるということだ。祝いの声が上がるたび、俺の頭の中では、数字が一つずつ大きくなっていく。

 この王家では、子供が生まれることと、いつか殺し合う席が増えることが、同じ意味を持っている。

 

 誰も。

 それを口に出さない。

 全員が知っているはずなのに。

 誰も。

 言わない。

 それが。

 この王宮の作法だった。

 

 

     ◆

 

 

「第三王子殿下、本日もご機嫌麗しく」

 

 俺がまだ、まともに喋れるようになる前から、周りの人間は俺を第三王子と呼んだ。

 

「カイエン殿下」

「王子様」

「殿下」

 

 もちろん、名前でも呼ばれる。でも、視線が違った。

 俺自身を見ているようで、その後ろにある王子、王家、国王。そういうものを見ている。

 前世では、人間はもっと雑だった。好きな奴。嫌いな奴。面白い奴。変な奴。そういう目で見られていた。

 ここでは、違う。

 俺が笑えば。

 

「さすが殿下」

 

 物を覚えれば。

 

「聡明であらせられる」

 

 失敗すれば。

 

「まだお幼いですから」

 

 怒れば、誰かが謝る。俺が悪くても、相手が。

 子供心にも、気味が悪かった。

 

 

     ◆

 

 

 そんな中、唯一、最初から何も変わらない奴がいた。

 

「カイエン!」

 

 カミーラだった。

 

「なに、姉さん」

「これ!」

 

 差し出されたのは、半分潰れた菓子。

 

「……何それ」

「カミィの!」

「じゃあ何で俺に渡すの」

「持ってて!」

「はいはい」

「食べちゃダメ!」

「食べないよ」

 

 数秒後。

 

「カイエン!」

「今度は何」

「返して!」

「はい」

「遅い!」

「理不尽だなあ」

 

 侍女たちは当然、青ざめていた。

 

「カ、カミーラ様。第三王子殿下にそのような――」

「カイエンはカイエンよ!」

 

 カミーラが言った。

 たぶん本人は、何も深い意味なんて考えていない。俺は双子の弟。だからカイエン。それだけ。

 でも俺には、その言葉が妙に残った。

 

 

     ◆

 

 

 カミーラは昔から、わがままだった。

 

「カイエン、こっち!」

「今、本読んでる」

「こっち!」

「だから――」

「カイエン!」

「……はいはい」

 

 強い。

 我も。

 声も。

 押しも。

 

「一緒に遊ぶ!」

「何するの」

「知らない!」

「そこから俺が決めるの?」

 

 でも、俺が王子だからとか、俺が男だからとか、俺が自分より下だからとか、そんなものではなかった。

 カミーラにとって、俺はカイエンだった。

 気に入らなければ怒る。面白ければ笑う。欲しいものがあれば奪う。俺が嫌がれば、さらに怒る。

 ひどい。普通にひどい。

 でも、俺が何をしても、周りの大人みたいに顔色を窺わない。

 

「カイエン!」

「はいはい」

「“はい”は一回!」

「誰に教わったの、それ」

「カミィが決めた!」

「ですよね」

 

 だから、いつの間にか、カミーラといる時だけ、俺も少し子供になれた。

 

 

     ◆

 

 

 前世の俺のことは、正直、あまり語ることがない。

 特別な人生ではなかった。働いて、飯を食って、寝て、休みの日には本を読むか、漫画を読むか。そんな暮らし。誰かに誇れる何かを成し遂げたわけでもない。

 ただ、好きなものはいくつかあった。その一つが、あの漫画だった。

 念という力があって、化物みたいな連中が本気で殺し合っていて、それでいて、誰も彼もが妙に人間くさい。

 その中で俺は、カミーラというキャラクターが好きだった。

 傲慢で、我儘で、自分が世界の中心だと信じて疑わない。まともな人間ではないし、褒められた性格でもない。ただ、その徹底ぶりが、いっそ気持ちよかった。

 ――紙の上で見ている分には。

 だから、生まれた直後にその名前を聞いた時、俺は絶望した。好きなキャラクターに会えて嬉しい、なんて感情は、一秒も湧かなかった。

 あれは、そういう物語じゃない。

 ――なのに。

 

「カイエン!」

「なに?」

「見て!」

「見てるよ」

「もっと見て!」

「どうしろと?」

 

 いつからか、目の前のカミーラと、漫画で読んだカミーラを、同じ人間として考えることができなくなっていた。

 これは、漫画のキャラクターじゃない。

 俺の隣で。

 泣く。

 怒る。

 笑う。

 眠る。

 俺の菓子を奪う。

 俺の寝台へ勝手に入ってくる。

 そして、俺がいなくなると、探しに来る。

 そういう、生きた人間だった。

 

 

     ◆

 

 

 ある夜、目を覚ますと、隣にカミーラがいた。

 いや、正確には、俺の寝台へ潜り込んでいた。

 

「姉さん」

「……」

「姉さん」

「……なに」

「何でいるの」

「寝るから」

「自分の部屋あるでしょ」

「やだ」

「なんで」

「カイエンがいるから」

 

 すごい理屈だ。

 

「戻りなよ」

「やだ」

「怒られるよ」

「誰が?」

「侍女とか」

「カミィが怒る」

「強いなあ」

 

 結局、追い出せなかった。

 少しして、姉の寝息が聞こえてくる。俺は、暗い天井を見上げた。

 王位継承戦。その言葉が、頭の中へ浮かぶ。

 未来。ずっと先。いつか、この子と。

 殺し合う。

 

「…………嫌だな」

 

 小さな声だった。カミーラは起きない。俺だけに聞こえる。

 

「それは……嫌だ」

 

 俺は未来を知っている。だから、備えようと思った。自分が生き残るために。

 でも、その夜、初めて、少しだけ考え方が変わった。

 俺が生き残る。

 だけじゃ。

 駄目だ。

 

「……姉さんもだ」

 

 隣を見る。眠っている。無防備な顔。

 将来どんな人間になるのか、俺は知っている。

 ――いや。

 本当に?

 原作のカミーラ。それは、俺がいなかった世界のカミーラだ。そして、この世界は、もうあの通りには動いていない。

 チョウライは第五王子になった。俺が一人増えただけで説明のつかない形で、原作とは違うことが、もう起きている。

 なら、目の前の姉さんだって、同じになるとは限らない。

 

「そっか」

 

 簡単なことだった。

 未来を知っているなら、変えればいい。俺自身も、姉さんも、変えられるところまで変えればいい。

 王位継承戦が、どうしても避けられないのなら。その時までに。

 

「……強くならないとな」

 

 俺が。

 そして、たぶん、姉さんも。

 

 

     ◆

 

 

「カイエン」

「ん?」

「手」

「何?」

「手!」

「はいはい」

 

 寝ぼけたカミーラが、俺の手を探した。

 握る。

 小さな手。汗ばんで、少しべたついている。

 いつか俺は、この手を敵として握ることになるのだろうか。

 そんな未来。

 嫌だった。

 

「姉さん」

「……なに」

「俺ね」

「うん」

「姉さんとは殺し合わないよ」

「…………」

「絶対に」

 

 返事はなかった。

 もう寝ている。

 

「……聞いてないか」

 

 まあいい。俺が覚えていれば、それで十分だと思った。

 ――この時の俺は、まだ知らなかった。

 たった一人の姉と殺し合わないために立てた、その程度の誓いが、三十年以上経ったあと。

 

 自分の顔を裂き。

 王位を捨て。

 国を追われ。

 それでもなお、彼女を追って、あの巨大な船へ密航するところまで。

 俺自身を連れていくことになるなんて。

 そんなことは、まだ、知る由もなかった。




ちなみに王位継承を反古にした元王子がオリ主なので、継承戦の席は原作通り「十四」から変わりません。……変わらない予定です。
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