転生先が殺し合いを約束された帝国の第三王子だった件 作:冷やかし中華
セドとは、試験が終わった日の夕方に別れた。
合格しなかった者は、その日のうちに山を下りる。塔の外で荷物を締め直していたセドは、俺を見つけると、紙の切れ端に何か書いて寄越した。
「ホームコード」
「俺に?」
「仕事があったら。なくても、まあ」
何が、まあ、なのかは言わなかった。
三日間、同じ組にいた。結局、この人が何を考えているのかは最後まで読めなかった。読めないまま、悪い気はしなかった。
「来年は?」
「どうかな」
笑い方は、最初の日から変わらず普通だった。
紙を二つに折って、財布の奥へ入れた。
◆
合格者の手続きは、翌日の午前で終わった。
机が三つ並んだだけの部屋に、三人が座らされる。協会の職員が、紙を見ながら順番に説明していった。
登録の窓口。照会の方法。提示を求められた時の手順。失くしても再発行はしない、という話だけは二度繰り返された。
最後に、カードが一枚ずつ配られた。
手のひらに収まる大きさだった。思っていたより薄くて、軽い。
ガロは光に透かしたり裏返したりして、しばらく手放さなかった。クロロは表を確かめると、すぐにしまった。
俺は二人より長く見てから、上着の内側へ入れた。
「民間人の入国を禁じている国の、およそ九割に入れます。立ち入りが禁じられた地域なら、七割五分ほど。公的な施設は、九割五分が無料です」
「九割五分!」
ガロの声で、職員の説明が途切れた。
入れる場所が増える。それは知っていて受けた。ただ、数字で聞くと、思っていたより広い。
王子の名前で入れる場所と、このカードで入れる場所は、たぶんほとんど重ならない。
部屋を出ると、廊下でガロが手を振った。
「じゃあな、カイ!」
「うん」
「次に会う時は、俺の方が稼いでるからな!」
何の勝負なのかは分からない。クロロは軽く顎を引いただけで、反対の方へ歩いていった。
ビスケは、もういなかった。
宿の受付に、伝言が一つだけ残っていた。
『宝石』
差出人の名前はない。要らなかった。
◆
飛行船の発着場には、公衆電話が三台並んでいた。
一台が空いていた。硬貨もある。王宮の番号も、姉さんの部屋へ回してもらう順番も覚えている。
終わった後も、する。出る前に、そう言った。
受話器を取る。番号を半分まで押したところで、指が止まった。
電話に出たら、姉さんは最初に何と聞くか。
考えるまでもなかった。いつ帰るの、だ。その次が、すぐ? になる。
あの晩も、二度聞かれた。その直後に土産の話になって、姉さんは全部いらないと言った。
食べ物も。宝石も。服も。
何でも欲しがる人が、何もいらないと言った。それは品物の話じゃないかもしれない、と先生は言った。
ケン。いつもと何が違ったのか。
すぐ? と二度聞いた人が、寄り道の理由になりそうなものを、端から断っていた。
受話器を戻すと、硬貨が受け口へ落ちてきた。
出航は二十分後だった。次の便は夕方になる。
電話なら、一分で済む。それは分かっていた。
分かっていて、硬貨を財布へ戻し、搭乗口の方へ歩いた。
飛行船の窓の下を、雲が流れていった。
何を持って帰るか。出る前の電話で、先生にそう聞かれた。
これが答えになっているかどうかは、着いてみるまで分からない。外れていたら、その時はその時だ。
◆
王宮の門に着いたのは、翌日の昼を回った頃だった。
出た日と同じ兵が立っていた。俺の顔を見て、目がわずかに大きくなる。
「お帰りなさいませ、殿下」
「ただいま」
出迎えはなかった。今日帰ると、誰にも知らせていない。
廊下を歩く。礼をされて、返す。今日も、誰も俺の顔は見ない。
訓練場の方から、号令の声が聞こえた。俺がいなくても、いつもの時間に、いつもの声が出ている。
自分の部屋の前で、足が止まりかけた。荷物を置いて、着替えてから。そう考えて、止まらずに通り過ぎた。
試験を受けると言いに来た日は、姉さんの部屋の前を通り過ぎて、自分の部屋まで戻ってから扉を叩いた。
今日は、通り過ぎる部屋の方が逆になった。
◆
侍女が扉を開けると、姉さんは机に向かっていた。
書類の山は、記憶にあるより一つ多い。顔を上げた姉さんの手の中で、ペンが止まった。
怒鳴られるのを待った。
来なかった。
姉さんは、開いていた古い綴じ本を閉じて、書類の山の下へ差し入れた。それからペンを置いて立ち、机を回ってこちらへ来た。俺の前で足を止めると、顔から靴の先までを目でなぞった。
「……二十五日」
「え?」
「出てから、二十五日よ」
数えていなかった。姉さんは、数えていた。
「怪我は」
「してない」
「どこも?」
「どこも」
姉さんは返事を聞きながら、俺の手元に目を落とした。触りはしなかった。確かめて、それで済ませた。
「座りなさい」
座る。体が先に動いた。
姉さんは侍女へ、お茶と、何か食べるものを、と言いつけてから向かいへ座った。
机の書類を、端へ寄せる。話を聞く時の、姉さんの癖だった。
「連絡は」
「してない」
「試験の前は、するって言ったわね」
「機会がなかった」
「途中は、できたら」
「できなかった」
一つずつ、あの晩に決めた順番どおりに確かめてくる。声は大きくならない。その方が、逃げ道は少なかった。
「終わった後は」
ここだけ、言い訳がなかった。
「……しなかった」
「何で」
何で、は一度きりだった。その代わり、答えるまで次へは行かない顔をしている。
「電話したら、いつ帰るのって聞かれると思った」
「聞くわよ」
「すぐ? って、たぶん次に聞かれる」
「聞くわね」
「なら、帰った方が早いと思った」
「電話は一分よ」
そこを突かれるのは分かっていた。発着場で、自分でもそう思った。
「……うん」
「一分も惜しかったの?」
「そうじゃない」
では何なのか。自分でも、まだ言葉の形になっていない。
電話の前で、指が止まった理由。
「電話で言ったら、受かった、で終わる気がしたんだ」
「何がいけないの」
「見せたかった」
言ってから、続きが要ることに気づいた。
「最初に。姉さんに」
机の上で、姉さんの指が動かなくなった。
「……お父様には」
「まだ。明日、書類を揃えてから行く」
「カミィが先?」
「先」
あの晩は、ここで机が揺れた。
今日は揺れなかった。姉さんは俺から目を外して、窓の方を見た。
「それとこれは、別よ」
この言葉を前に聞いた時は、怒鳴り声だった。今日は、低い。
「連絡しなかったのは、しなかったの」
「うん」
「次からは、終わったら一言。電話でいいから」
「はい」
返事は、一回で済ませた。
姉さんは、机の端の山を顎で示した。
「あれ、カイエンの分よ」
「俺の?」
「引き継ぎに名前が書いてあった人たち、三人とも、まずカミィのところへ聞きに来たの」
名前と連絡先は、ちゃんと書いて出た。それでも来たらしい。
「答えたの?」
「答えられるものはね。答えられないものは、帰ってから本人に聞きなさいって返したわ」
山一つ分が、その返された方らしい。
俺がいなくても回るようにして出た。回ってはいた。回った上で、俺が抱えていた分の端が、姉さんの机へ寄っていた。
「……ありがとう」
「お礼なら、あとでまとめて聞くわ」
◆
「見せなさい」
上着の内側から、カードを出して渡した。
姉さんは表を見て、裏を返し、また表へ戻した。縁を指でなぞってから、明かりへ向けて傾ける。
「……小さいわね」
「みんな、そう言うと思う」
「これのために、二十五日?」
「これのため、だけじゃないけど」
姉さんは聞き流して、カードを顔の前まで持ち上げた。
「名前は」
「え?」
「どの名前で取ったの。王子の名前は使えないんでしょう」
「カイ」
姉さんの眉が寄った。
「……半分じゃない」
「半分は本名だよ」
「残りの半分は?」
「王子の方に置いてきた」
試験の間、何十回も呼ばれた名前だった。受付でも、試験官にも、ガロにも、クロロにも。
姉さんは、カードと俺の顔を見比べた。
「外の人間は、みんなそう呼んだのね」
「そうなるね」
「ふうん」
嫌な予感がした。
「なら、カミィも呼ぶわ」
「何で」
「カミィが呼んだことのない名前で、外の人間だけが呼んでるのは嫌」
理屈になっていない。でも、姉さんの中では、これ以上ないほど筋が通っている。
「……好きにすれば」
「するわよ。カイ」
呼ばれてみると、試験の間に聞いたのとは別の名前に聞こえた。同じ二文字なのに、こっちの方が重い。
「それで、カイ。これで何ができるの」
「入れない場所が、だいぶ減る」
「カミィは全部入れるわ」
「国の中ならね」
姉さんの返事が途切れた。王子じゃ入れないところもある、と俺が言った晩と、よく似た間だった。
「……外の話ね」
「外の話」
姉さんはカードを裏返してから、俺の手のひらに置いた。置いたあとも、指がすぐには離れなかった。
「失くしたら、許さないわよ」
「失くさないよ」
それは、すぐに答えられた。
◆
侍女がお茶を運んできた。焼き菓子の皿が一枚、姉さんの側に置かれる。
姉さんはカップを持ち上げ、口をつける前に言った。
「お土産は」
来た。
「ない」
姉さんの目が細くなった。
「何も?」
「寄り道しなかったから」
姉さんはカップを持ったまま、動かなくなった。
外れたか、と思った。外れていたら、ここから先が長い。
姉さんは何も言わずにカップを置き、焼き菓子の皿を指先で押して、こちらへ寄せた。
「食べなさい」
当たったのかどうかは、分からない。外れてはいない、らしい。皿がこちらへ来たので。
一つ取って、かじる。甘い。
「あの女には?」
「先生?」
「他に誰がいるの」
「宝石って言われた」
「買ったの?」
「買ってない」
「当然でしょう」
姉さんは満足そうに、自分の焼き菓子へ手を伸ばした。
伝言のことは黙っておいた。言えば、たぶん話がもう一周する。
◆
「試験は」
焼き菓子が二つ減ったところで、姉さんが言った。
「どうだったの」
「最後が、三人一組だった」
「誰と」
「知らない人と」
それ以上は聞かれなかった。名前を並べても、姉さんには意味がない。
意味があるのは、別のことだった。
「姉さん」
「何」
「前に言ったよね。一人で間違える必要ある? って」
姉さんはすぐに思い出した顔をした。忘れているとは思っていなかった。
「言ったわ」
「試験で、少し分かった」
「何が」
「全部を、自分でやらなくてもいい」
塔の三日間を一言にすると、そうなる。鍵は三本で、一人では揃わなかった。揃えたあとも、一人では合格にならなかった。
姉さんは、しばらく俺を見ていた。
「……それ、カミィが言ったのよ」
「うん」
「試験で分かったの?」
「試験で分かった」
「カミィが言った時に分かりなさいよ」
返す言葉がなかった。まったくそのとおりだった。
「そうだね」
「なら」
姉さんが身を乗り出す。
「次は、カミィも行くのね」
「それは」
「何よ」
「……考える」
断る、とは言わなかった。行く、とも言わなかった。
前の姉さんなら、ここで立ち上がっていた。今日の姉さんは座ったまま、俺の答えを口の中で転がした。
「考えるのね」
「考える」
「なら、いいわ」
それで引いた。引いてくれた、のかもしれない。どちらなのかは、まだ分からない。
◆
部屋を出ようとして、立ち上がった時だった。
「カイ」
「はい」
「明日の朝は、カミィと食べなさい」
「明日は父上に報告が」
「その前よ」
朝食を抜いて謁見に行くつもりは、別になかった。
「……分かった」
「帰った次の朝は、そうするの」
「次も?」
「毎回よ」
決まりが、一つ増えた。
出る前の晩に、指を折って数えられた条件は、まだ全部は返せていない。返せないうちに、もう一つ増える。
それでも、増えたこと自体は悪くないと思った。
出る前は、帰る、と約束した。帰ってきたら、次の朝の約束ができた。
◆
自分の部屋に戻ったのは、日が傾き始めた頃だった。
荷物を床に置く。鞄一つ分の旅は、ほどくのも早い。
机の上は、出た日のまま広かった。そこへ、明日の謁見に出す書類を並べ始める。
一枚揃えるたびに、足りない一枚が見えてくる。揃え終わる前に、窓の外が暗くなった。
引き出しを開けると、試験の前に入れた古い綴りがそのまま残っていた。戻ってから見る、と書いた紙も、そのままだった。
今日はまだ、戻った日だ。明日の謁見を済ませてから開ける。そう決めて、引き出しを閉めた。
最後に、上着の内側からカードを出して、机に置いた。
手のひらに収まる大きさで、明かりの下では、やはり薄い。
これで何を
ただ、最初に見せる相手には、もう見せた。明日は、父上の番だ。
◆
灯りを一つ落としてから、カミーラは書類の山の一番下へ手を入れた。
古い綴じ本が一冊、出てくる。背の革は擦り切れて、書庫の札が付いている。王家の行事を、年ごとに書き留めた記録だった。
カイが出ていった次の日に、自分で書庫へ行った。侍女にも、執事にも頼まなかった。頼めば、頼んだことが残る。残ったものは、いつかカイの目に入る。カイは、そういうものを見つける。
探していた言葉は、思っていたより早く見つかった。
謝肉祭。
ほかの祭礼と同じ欄に、同じ大きさの字で書いてあった。日付があって、出席した王族の名前が並んでいた。
祭孤児は、別の綴りの、別の欄にあった。人数と、送り先だけが書いてある。送り先は、施設、としか読めなかった。
二線者は、系譜の余白にあった。継がない血、とだけ添えてあった。
肉、という字は、どこにも出てこなかった。
出てこなかったから、かえって分かりかけた。そこで本を閉じた。分からなかったのではない。この先を読めば分かると思ったから、閉じた。
王家のことだ。いずれ王になる者が、知っていて当然のことだった。カミィが知らなくていい理由は、どこにもない。
だから、知ったこと自体はかまわない。
ただ、カイはこれを一人で読んだ。紙を伏せた、あの時の顔で。何も言わずに、何年も。
一人で間違える必要ある? とカミィは言った。カイは今日、試験で分かったと言った。
言わなかったことが、一つある。
カミィは、もう半分を持っている。
言えば、カイは困った顔をする。それから謝る。それから、カミィが知らずに済むように、また何かを一人で片づけに行く。カイは、そういう人間だった。
だから、知らないことにしておく。カイが自分で言いに来るまで。
来るかどうかは、知らない。考える、と言った時と同じ顔をするのだろう。それでも、待つことにした。
どうしてそこまでするのか、とは考えなかった。カイのことだからだ。理由なら、それで足りた。
綴じ本を引き出しの奥へ入れて、鍵をかけた。
明日の朝には、カイがここへ来る。それより先に起きて、書庫へ戻しに行く。
先に見せる、とカイは言った。
先に知ったのは、カミィの方だった。
やる気が削られ、一気に萎えたので、この物語はここで終了です。
お疲れさまでした。