転生先が殺し合いを約束された帝国の第三王子だった件 作:冷やかし中華
カミーラ様がかわいいのは最初からだろ、おぉん!?(過激派)
姉さんとは殺し合わない。
絶対に。
そう決めた。
なら、次にすることは、わりと単純だった。
◆
強くなる。
以上。
いや、我ながら雑だな。もう少し具体的に考えよう。
俺はまだ子供だ。念は使えない。そもそも、念というものをどうやって習得するのか。前世の知識として、大まかなことは分かっている。
精孔。
オーラ。
《纏》。
《絶》。
《練》。
《発》。
そして、念能力者から強制的に起こしてもらう方法と、自力でゆっくり開いていく方法。
ただ、知っているからといって、今すぐどうにかできるわけではない。
念能力者を探す?
無理。王宮の中にいるのかもしれないが、俺はまだ子供だ。
『念能力者を連れてきてください』
などと言えば、まず間違いなく、
『念能力者とは何ですか?』
と聞かれる。
そこで終了。前世知識について説明できるわけもない。
それに、焦って習得する必要もない。少なくとも今は。
「まずは……身体だな」
俺は自分の腕を見る。
細い。当たり前だ、子供だから。指も細い。肩も小さい。脚も短い。
頼りない。
非常に。
頼りない。
この世界は、念以前に、普通の人間が普通じゃない。何トンもある扉を押す。木を蹴り倒す。数十メートル跳ぶ。崖を走る。そんな連中が、わりと平然と存在する。
なら、念を覚える前に、念がなくてもある程度は戦える身体を作っておくべきだ。土台が弱ければ、その上に何を乗せても弱い。
「……よし」
決めた。
まず、誰にも負けない身体を作る。
念はその後だ。
◆
とはいえ、ここで問題が一つあった。
「第三王子殿下。どちらへ?」
「庭」
「お供いたします」
「いらない」
「ですが――」
「庭に行くだけだよ?」
「それでもでございます」
自由がない。
王子。
本当に自由がない。
ちょっと歩こうとすれば侍女。外へ出れば護衛。食事は決められている。起床時間も、就寝時間も、遊ぶ場所すら、だいたい決められている。
これでどう鍛えろと。
しかも、下手に何か始めれば。
「まあ、カイエン殿下。そのようなことをなさらずとも」
となる。
当然だった。王子は、自分で荷物を持たない。走らない。泥だらけにならない。まして、腕立て伏せなんて普通はしない。
◆
だから最初は、鍛錬に見えないことから始めた。
歩く。
走る。
しゃがむ。
跳ぶ。
身体を伸ばす。
片足で立つ。
段差を上る。
なるべく自分の足で移動する。何かを取る時は、自分で取る。落としたら、自分で拾う。着替えも、できる部分は自分でする。
「殿下。私どもが」
「いいよ」
「ですが」
「自分でできるから」
侍女が困る。俺も困る。
でも、やる。
成長途中の身体だ。無茶はしない。重い物を無理に持たない。関節へ負担をかけすぎない。限界まで追い込むようなこともしない。子供の身体には、子供の身体なりのやり方がある。前世で専門的に何かスポーツをしていたわけではないから、知ったかぶりで無茶をするのが一番まずい。
しっかり食べる。しっかり寝る。よく動く。身体を柔らかくする。真っ直ぐ立つ。真っ直ぐ歩く。走る時は、足だけではなく身体全体で走る。
それだけ。
でも、毎日やる。
◆
最初の敵は、筋肉でも疲労でもなく、退屈だった。
「いち」
しゃがむ。
「に」
立つ。
「さん」
しゃがむ。
「よん」
立つ。
「ご」
「カイエン!」
「ろ――」
「カイエン!」
来た。
「姉さん」
「なにしてるの?」
カミーラが立っていた。後ろに侍女が二人。本人はものすごく怪訝そうな顔で俺を見ている。
「見て分からない?」
「分からない」
「しゃがんでる」
「なんで?」
真顔だった。
「鍛えてる」
「なにを?」
「身体」
「なんで?」
「強くなるため」
「なんで?」
質問が幼児だ。いや、幼児なんだけど。
「強い方がいいだろ」
「カミィは強いわよ」
「まだ何もしてないじゃん」
「カミィは強いの!」
「そうですか」
「そうよ!」
胸を張る。根拠は、たぶんない。
「だからカイエンもやめなさい」
「なんで俺まで」
「カミィの弟が変なことしてるの、イヤ」
「変かなあ」
「変!」
断言された。
「王子はそんなことしないもの!」
「誰が言ったの?」
「カミィ!」
「またそれか」
「カミィが決めたんだから、そうなの!」
「無敵だな、その理屈」
俺はもう一度しゃがむ。
「ろく」
「やめなさい!」
「なな」
「カイエン!」
「はち」
膝が笑い始めている。それでも、数える声だけは崩さない。
「聞きなさい!」
「聞いてるよ」
「じゃあやめて!」
「それは別」
「なんで!?」
理不尽。お互い様だった。
◆
翌日。
「いち、に、さん――」
「カイエン!」
「はいはい」
また来た。
「またやってる!」
「毎日やるから意味があるの」
「意味ない!」
「あるよ」
「ない!」
「ある」
「ない!」
「ある」
「ない!」
この応酬に終わりはない。
「じゃあ姉さんはやらなくていいじゃん」
「…………」
止まった。
「俺はやる」
「…………」
「姉さんは好きにしていいよ」
「…………」
何だ。その顔。
「なに?」
「カミィもやる」
「え?」
「やる!」
「いいけど」
言い出したら聞かない顔をしている。
「教えなさい!」
「急に?」
「カミィの方が上手にできるから!」
「昨日まで意味ないって言ってたじゃん」
「昨日は昨日よ!」
「強いなあ、その生き方」
そうして、カミーラが参加した。
◆
「まず身体伸ばして」
「こう?」
「そう」
「できた!」
「まだ始まってないよ」
もう勝った顔をしている。
「カミィの勝ち!」
「何に?」
「カイエンに!」
「始まってないって」
前屈。屈伸。肩を回す。軽く走る。その程度。
最初から、俺よりカミーラの方が楽しそうだった。
「カイエン! 見て!」
「見てるよ」
「カミィの方が速い!」
「短距離ならね」
言い終わる前に、もう次の勝負を探している。
「カミィの勝ち!」
「はいはい」
「“はい”は一回!」
「はい」
「もっと悔しがりなさい!」
「注文多いなあ」
走る。跳ぶ。追いかける。そういう遊びに近いことなら、姉さんは強かった。身体能力が、というより、負けず嫌いが、すごい。
俺より先に木まで着く。俺より高い段差に乗る。俺より多く跳ぶ。できないと、怒る。
二人とも、髪が額に貼りついていた。
「もう一回!」
「疲れたんじゃない?」
「疲れてない!」
「息上がってるけど」
「上がってない!」
肩が上下している。
「上がってるよ」
「上がってない!!」
「分かったから叫ばないで」
この調子なら、意外と続くかもしれない。
そう、思った。
◆
三日後。
「姉さん」
「なに?」
「今日やらないの?」
「やらない」
終了。
「早くない?」
「何が?」
「昨日まで俺に勝つって」
「もう勝ったもの」
初耳だった。
「何に勝ったの?」
「全部」
「俺の記憶と違うなあ」
「カミィの記憶では勝ってる!」
「便利だね」
姉さんは菓子を食べながら、俺が屈伸しているところを眺めていた。
「カイエンもやめなさい」
「やめない」
「なんで?」
「強くなるから」
「そんなのしなくてもいいじゃない」
「どうして?」
「だって」
カミーラは、本当に不思議そうに言った。
「王様は、一番偉いのよ?」
「うん」
「一番偉い人が、どうして辛いことするの?」
なるほど。そう来るか。
「やりたい人にやらせればいいじゃない」
菓子を齧る。
「走るのも」
もう一口。
「重いもの持つのも」
もう一口。
「戦うのも」
それから、当然のように。
「カミィのために、誰かがやればいいの」
原作。
だなあ。
と思った。
◆
カミーラは、最初からああいう人間だったわけではない。
もちろん、素質はものすごくあった。王族。第二王子。生まれた時から誰かが世話をする。欲しいものは手に入る。嫌なことがあれば、周りの方が折れる。
そんな環境で、元々我の強い子供を育てればどうなるか。答えは、だいたい分かる。
本人が悪い、というだけの話でもない。周りが、毎日、
『あなたは特別です』
と教えているのだから。
実際、特別なのだけど。それと、何をしてもいいは、別だ。
「姉さん」
「なに?」
「じゃあ、王様が捕まったら?」
「捕まらないわ」
「もし」
「捕まらない」
「もしも」
「イヤ」
仮定の話が通じない。
「話くらい聞こうよ」
「カミィは捕まらないの!」
「じゃあ崖から落ちたら?」
「落ちない!」
「船が沈んだら?」
「沈まない!」
全部即答だった。
「病気になったら?」
「ならない!」
「無敵じゃん」
「そうよ!」
駄目だ。話にならない。
「とにかく」
俺は立ち上がる。
「俺はやるよ」
「だから、やめなさい!」
「嫌だ」
「カミィがやめろって言ってるの!」
「知ってる」
「じゃあやめるの!」
「嫌」
「なんで!?」
押し問答で勝てる相手ではない。話をずらすことにした。
「姉さんが王になったとしても」
「なるわよ」
「はいはい。なったとして」
「なる!」
「なるとして」
「うん!」
機嫌が直った。単純だ。
「王様が何でもできる必要はないと思う」
「でしょう?」
「でも」
俺は、自分の腕を軽く叩く。
「できるのに越したことはないよ」
「どうして?」
「誰かが助けてくれるとは限らないから」
「助けさせればいいわ」
「その誰かがいなかったら?」
「…………」
一瞬、止まる。でも、すぐに。
「カイエンがいるじゃない」
そう言った。
俺は、返事に少し困った。
◆
「カイエンがやればいいの」
「俺?」
「そうよ」
「姉さんの分まで?」
「うん」
一片の疑いもない返事だった。
「全部?」
「全部!」
「大変だなあ」
「頑張りなさい!」
「他人事だなあ」
カミーラは満足そうだった。俺がいる。だから自分はやらなくていい。
子供らしい、無邪気な、ひどい理屈。
でも、悪い気はしなかった。むしろ、嬉しかった。姉さんが、俺ならいる、と思っていることが。
ただ、同時に、少しだけ嫌な予感もした。
俺が何でもやれば、姉さんは何もしなくなるのでは?
「……それは駄目だな」
「何が?」
「何でもない」
この時、初めて思った。
姉さんを助けることと、姉さんの代わりに全部やることは、同じじゃない。
◆
それから、俺は一人で続けた。
朝、起きる。身体を伸ばす。軽く走る。朝食。勉強。遊び。その中へ、少しずつ鍛錬を入れていく。
誰かに言われたからではない。やりたいからでもない。必要だから、やる。
今日は疲れている。今日は面倒。今日は寒い。今日は眠い。そんな日もあった。
「…………やりたくない」
普通に、あった。
でも、やる。
十分。二十分。短くても、やる。
ゼロにしない。それだけは、自分の中で決めた。
庭の草は伸びて、刈られて、また伸びた。夏の日差しは肩の上で重くなり、冬の朝は吐いた息が白く残った。同じ場所で同じことを繰り返しているだけなのに、季節ばかりが勝手に動いていく。
前世の俺は、別に自分に厳しい人間ではなかった。休みの日は寝ていたいし、面倒なことは後回しにしたい。楽ができるなら、普通に楽をしたい。
でも、この世界では、それでは死ぬかもしれない。
そして、俺が死ねば、姉さんはどうなる。
その答えを考えれば、身体は自然と動いた。
◆
「カイエン」
「んー?」
「それ、楽しい?」
地面へ手をつきながら、顔を上げる。カミーラがいた。
「楽しくないよ」
「じゃあ、なんでやってるの?」
「必要だから」
「…………」
「何?」
「変なの」
「知ってる」
腕を曲げる。伸ばす。
一回。
二回。
三回。
「辛い?」
「辛い」
「苦しい?」
「苦しい」
「やめたい?」
「ちょっと」
正直に答えた。嘘をつく理由がない。
「じゃあやめなさいよ」
「やだ」
「なんで?」
「必要だから」
「…………」
カミーラは、しばらく俺を見ていた。
「分かんない」
「そう?」
「カミィならやめる」
「だろうね」
本当にそう思っているのが分かる言い方だった。
「だって、辛いもの」
「うん」
「苦しいもの」
「うん」
「楽しくないもの」
「うん」
「なのにやるの?」
「うん」
俺は続きをやる。
カミーラは、その場を動かなかった。
◆
次の日。
「カイエン」
「ん?」
「カミィもやる」
また?
「昨日、王はそんなことしないって」
「昨日は昨日!」
「前にも聞いたな、それ」
「今日はやるの!」
「いいけど」
止めても無駄なのは、もう学習している。
「カイエンよりいっぱいやる!」
「最初から飛ばすと続かないよ」
「続く!」
「三日前」
「忘れた!」
「便利だね、本当に」
再開した。
「いち!」
「ゆっくり」
「に!」
「速いって」
「さん!」
「姉さん」
「よん!」
「聞いてる?」
「ご!」
数分後。
「もうイヤ!」
「だから言ったじゃん」
「辛い!」
「うん」
「足痛い!」
「今日は終わりでいいよ」
「もう二度とやらない!」
「はいはい」
姉さんは本当に、もう二度とやらない顔をして帰っていった。
翌日。来ない。その次の日も、来ない。
庭は静かだった。誰も数を数えない。誰も文句を言わない。誰も勝手に勝負を始めない。俺は一人で身体を伸ばして、一人で走って、一人で数を数えた。風が草を鳴らす音と、自分の呼吸だけが聞こえる。
効率で言えば、こちらの方がずっといい。姉さんがいると、半分は口喧嘩に使われて、残りの半分は姉さんの気まぐれに付き合わされる。鍛錬としては、ほとんど成立していない。
なのに、妙に物足りなかった。
迎えに行こうか。
一瞬、そう思った。
行けば、たぶん来る。俺が呼べば、姉さんは絶対に来る。文句を言いながら、偉そうな顔をしながら、結局は来る。そういう人だ。
でも、それをやったら、姉さんが動く理由はいつまで経っても俺のままだ。俺が呼ぶから来る。俺が誘うから続ける。俺がいなければ、何も残らない。
それでは、意味がない。
姉さんを助けることと。
姉さんの代わりに全部やることは。
同じじゃない。
――なら。
姉さんの背中を押すことと。
姉さんを引きずってくることも。
たぶん。
同じじゃない。
だから、行かなかった。
代わりに庭で、いつも通りの時間に、いつも通りのことをした。姉さんの部屋からでも見える場所で。
三日後。
「カイエン」
「ん?」
「カミィもやる」
また来た。
「今度は何で?」
「カイエンがやってるから」
「俺?」
「そう」
「俺がやるのは前からだよ」
「でも」
カミーラは、少し不満そうに口を尖らせた。
「カイエンだけずるい」
「何が?」
「分かんない」
「分かんないの?」
「分かんない!」
本人にもたぶん、分かっていなかった。
でも、自分の足で来た。
それで十分だった。
◆
俺は続ける。
姉さんは、やったり、やめたり、またやったり。走る日はいる。身体を伸ばす日は来ない。勝負にすると来る。地味だと消える。
「今日は?」
「やらない!」
「そう」
「止めないの?」
「なんで?」
止められると思っていた顔だった。
「…………」
「やりたくなったら来れば?」
「…………」
「姉さん?」
「カイエンのくせに生意気!」
「何で!?」
面倒くさい。本当に、面倒くさい。
でも、少しずつ変わった。
「今日は三回だけ!」
「いいよ」
「明日は四回!」
「続いたらね」
「続く!」
続かない。次の日は二回。その次はゼロ。その次は五回。
「カイエン!」
「なに?」
「見て!」
「見てる」
「昨日よりできた!」
「うん。できてる」
実際、できていた。三回が五回になっただけでも、この人にしては大事件だ。
「カミィすごい?」
「すごいすごい」
「もっと!」
「ちゃんと続けたの、偉いよ」
「…………」
カミーラが妙な顔をした。
「なに?」
「もう一回言って」
「ちゃんと続けたの偉い」
「もう一回!」
「調子乗るから嫌」
「言いなさい!」
「嫌です」
「カイエン!」
走って追ってくる。逃げる。
これも、まあ、鍛錬になる。
◆
ある日、俺が庭を走っていると。
「カイエン!」
後ろから声がした。振り向く。カミーラがいる。
「なに?」
「勝負!」
「何の?」
「あそこまで!」
庭の端。大きな木。
「いいよ」
「カミィが勝つ!」
「どうかな」
「絶対!」
「じゃあ」
並ぶ。
「よーい――」
「スタート!」
「ずるっ!」
姉さんが先に走る。
「カミィが勝てばいいの!」
「それ勝負じゃない!」
追う。
昔なら、追いつけなかった。脚の長さも、ほぼ同じ。才能だって、俺だけが特別なわけではない。
でも、毎日、少しずつ積んできた。走り方。呼吸。足の運び。姿勢。その差が、少しだけ出る。
蹴った土の匂いが上がる。何百回も同じ場所を走った、覚えのある匂いだった。
「えっ」
並ぶ。
「ちょっ――」
抜く。
「カイエン!」
「先行ってるよ!」
「待ちなさい!」
「勝負なんだろ!」
「カミィが勝つの!」
「無茶言うな!」
木へ、先に触れた。
「俺の勝ち」
「…………」
カミーラが遅れて到着する。ものすごい顔で俺を見る。肩で息をして、汗で張りついた前髪が目にかかっていた。
「ずるい」
「姉さんが先に走ったんだけど」
「ずるい!」
「何が?」
「カイエンだけ毎日やってた!」
「姉さんがやめたんじゃん」
「ずるい!」
「理不尽だなあ」
泣くかな。怒るかな。侍女へ当たるかな。
少し、身構えた。
でも、カミーラはしばらく俺を睨んでから。
「…………明日」
「うん?」
「明日もやる」
「何を?」
「全部!」
「また極端だなあ」
負けた直後に、もう次の話をしている。
「次はカミィが勝つ!」
「はいはい」
「“はい”は一回!」
「はい」
それから、少し間を置いて。
「姉さん」
「なに?」
「明日だけじゃ駄目だよ」
「…………」
「明後日も。その次も」
「…………」
「勝ちたいならね」
カミーラが嫌そうな顔をした。本当に、心底、嫌そうだった。
「毎日?」
「毎日」
「ずっと?」
「ずっと」
「…………王なのに?」
「王でも」
「…………」
しばらく、悩んで。
「じゃあ」
姉さんは、俺の服の袖を掴んだ。
「カイエンも一緒ね」
「うん?」
「カミィだけ辛いのはイヤ」
「俺、前からやってるけど」
「ずっと一緒!」
「…………」
言葉が出なかった。
「カイエンがやめたら、カミィもやめる!」
「それ脅し?」
「命令!」
「俺、命令される側?」
「弟だから!」
「理屈が雑だなあ」
でも、袖を掴んだ手は離れなかった。
いつもなら、こうはならない。
姉さんが何かを続けると決める時、理由はいつも自分の中にある。勝ちたいから。褒められたいから。負けたままが我慢ならないから。他人は関係ない。自分がそう決めたから、そうなる。それがカミーラという人間だった。
なのに今は、俺の袖を掴んでいる。
カイエンも一緒ね。
カイエンがやめたら、カミィもやめる。
つまり姉さんは、自分が続けるための理由に、初めて、自分以外のものを組み込んだ。それが俺だった。
嬉しかった。
誤魔化しようもなく、嬉しかった。
同時に、喉の奥へ、小さな棘のようなものが残った。
俺がやめたら、姉さんもやめる。裏返せば、俺がいなくなったら、姉さんには何も残らない。
いつか、この手を、どこかで解いてやらなければいけない日が来る。
――でも、それは今日じゃない。
今日は、掴まれたままでいい。
「分かったよ」
「ほんと?」
「俺もやる」
というより、最初からやめるつもりはない。
「だから姉さんも」
「カミィは王になるのよ?」
「うん」
「王は、辛いことなんてしなくていいの」
「うん」
「苦しいことも、誰かにやらせればいいの」
「うん」
「…………でも」
カミーラが、ほんの少し口を尖らせる。
「カイエンだけ強くなるのはイヤ」
なるほど。そう来るか。
「じゃ、一緒に強くなる?」
「カミィの方が強くなる!」
「はいはい」
カミーラが笑った。
その顔を見て、まあ、今はこれでいいか、と思った。
◆
もちろん、それで姉さんが毎日真面目に鍛えるようになった――なんて、都合のいい話にはならなかった。
「今日は?」
「休む!」
「昨日も休んだよ」
「今日は昨日より休む!」
「何その概念」
新しい理屈が毎日増えていく。
「王には休むことも必要なの!」
「どこで覚えたの?」
「カミィが考えた!」
「でしょうね」
やる。やめる。戻ってくる。またやめる。
俺が褒めると続く。俺に負けると続く。飽きるとやめる。辛くなると怒る。楽しいとやる。勝てそうならやる。勝てないと、もっとやる時と、やめる時がある。
難しい。ものすごく、難しい。
でも、それでいい。
今は、まだ。
◆
俺は毎日続けた。
身体を作る。走る。跳ぶ。柔らかくする。バランスを取る。自分の体重を、自分で支える。少しずつ、できることを増やす。昨日より、ほんの少し、今日を良くする。
派手な変化はない。一日で強くなるわけじゃない。翌朝、突然、筋肉が倍になるわけでもない。
ただ、一ヶ月。半年。一年。積み重ねる。
気づけば、手のひらの皮が少しだけ厚くなっていた。誰も褒めない。誰も気づかない。俺だけが知っている変化だった。
そうすれば、いつか、差になる。
「カイエン」
「なに?」
「今日、走る?」
「走るよ」
「カミィも」
「うん」
「でも三回だけ」
「いいよ」
三回でも来た。それは大きい。
「カイエンも三回!」
「俺は五回」
「ダメ!」
「何で」
「カミィより多い!」
「じゃあ姉さんも五回」
「イヤ!」
「どうしろと?」
こんな調子だった。
◆
念を覚えるのは、まだ先。
俺には、それでよかった。
念は強い。間違いなく、この世界で生きるなら、いつか必ず必要になる。
でも、その前に必要なものがある。
身体。
習慣。
そして、嫌でも、面倒でも、必要ならやる。それを当たり前にすること。
「いち」
しゃがむ。
「に」
立つ。
「さん」
「カイエン!」
「なに?」
「カミィも!」
「はいはい」
「一回!」
「はい」
隣に、カミーラが並ぶ。
「いち!」
「速いって」
「に!」
「もうちょいゆっくり」
「さん!」
「姉さん」
「よん!」
「聞け」
「ご!」
「まあいいか」
俺は笑った。
この時は、まだ知らなかった。
姉さんがいつか、この程度では済まない鍛錬を俺にやらせることになるなんて。そのたびに、
「王にこんなことをさせるなんてありえない!」
と怒り、
「カイエンが責任を取りなさい!」
と叫び、それでも何だかんだで、翌日にはまた俺の隣に立つようになることを。
そして、俺自身も。
この頃から始めた、たった一つの習慣を。
何十年後まで。
馬鹿みたいに続けることになるなんて。
まだ。
知る由もなかった。