転生先が殺し合いを約束された帝国の第三王子だった件   作:冷やかし中華

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幼女カミーラかわいいね。
カミーラ様がかわいいのは最初からだろ、おぉん!?(過激派)


003_王子なので、まず身体を鍛えることにした

 姉さんとは殺し合わない。

 絶対に。

 そう決めた。

 なら、次にすることは、わりと単純だった。

 

 

     ◆

 

 

 強くなる。

 以上。

 いや、我ながら雑だな。もう少し具体的に考えよう。

 俺はまだ子供だ。念は使えない。そもそも、念というものをどうやって習得するのか。前世の知識として、大まかなことは分かっている。

 精孔。

 オーラ。

 《纏》。

 《絶》。

 《練》。

 《発》。

 そして、念能力者から強制的に起こしてもらう方法と、自力でゆっくり開いていく方法。

 ただ、知っているからといって、今すぐどうにかできるわけではない。

 念能力者を探す?

 無理。王宮の中にいるのかもしれないが、俺はまだ子供だ。

 

『念能力者を連れてきてください』

 

 などと言えば、まず間違いなく、

 

『念能力者とは何ですか?』

 

 と聞かれる。

 そこで終了。前世知識について説明できるわけもない。

 それに、焦って習得する必要もない。少なくとも今は。

 

「まずは……身体だな」

 

 俺は自分の腕を見る。

 細い。当たり前だ、子供だから。指も細い。肩も小さい。脚も短い。

 頼りない。

 非常に。

 頼りない。

 この世界は、念以前に、普通の人間が普通じゃない。何トンもある扉を押す。木を蹴り倒す。数十メートル跳ぶ。崖を走る。そんな連中が、わりと平然と存在する。

 なら、念を覚える前に、念がなくてもある程度は戦える身体を作っておくべきだ。土台が弱ければ、その上に何を乗せても弱い。

 

「……よし」

 

 決めた。

 まず、誰にも負けない身体を作る。

 念はその後だ。

 

 

     ◆

 

 

 とはいえ、ここで問題が一つあった。

 

「第三王子殿下。どちらへ?」

「庭」

「お供いたします」

「いらない」

「ですが――」

「庭に行くだけだよ?」

「それでもでございます」

 

 自由がない。

 王子。

 本当に自由がない。

 ちょっと歩こうとすれば侍女。外へ出れば護衛。食事は決められている。起床時間も、就寝時間も、遊ぶ場所すら、だいたい決められている。

 これでどう鍛えろと。

 しかも、下手に何か始めれば。

 

「まあ、カイエン殿下。そのようなことをなさらずとも」

 

 となる。

 当然だった。王子は、自分で荷物を持たない。走らない。泥だらけにならない。まして、腕立て伏せなんて普通はしない。

 

 

     ◆

 

 

 だから最初は、鍛錬に見えないことから始めた。

 歩く。

 走る。

 しゃがむ。

 跳ぶ。

 身体を伸ばす。

 片足で立つ。

 段差を上る。

 なるべく自分の足で移動する。何かを取る時は、自分で取る。落としたら、自分で拾う。着替えも、できる部分は自分でする。

 

「殿下。私どもが」

「いいよ」

「ですが」

「自分でできるから」

 

 侍女が困る。俺も困る。

 でも、やる。

 成長途中の身体だ。無茶はしない。重い物を無理に持たない。関節へ負担をかけすぎない。限界まで追い込むようなこともしない。子供の身体には、子供の身体なりのやり方がある。前世で専門的に何かスポーツをしていたわけではないから、知ったかぶりで無茶をするのが一番まずい。

 しっかり食べる。しっかり寝る。よく動く。身体を柔らかくする。真っ直ぐ立つ。真っ直ぐ歩く。走る時は、足だけではなく身体全体で走る。

 それだけ。

 でも、毎日やる。

 

 

     ◆

 

 

 最初の敵は、筋肉でも疲労でもなく、退屈だった。

 

「いち」

 

 しゃがむ。

 

「に」

 

 立つ。

 

「さん」

 

 しゃがむ。

 

「よん」

 

 立つ。

 

「ご」

「カイエン!」

「ろ――」

「カイエン!」

 

 来た。

 

「姉さん」

「なにしてるの?」

 

 カミーラが立っていた。後ろに侍女が二人。本人はものすごく怪訝そうな顔で俺を見ている。

 

「見て分からない?」

「分からない」

「しゃがんでる」

「なんで?」

 

 真顔だった。

 

「鍛えてる」

「なにを?」

「身体」

「なんで?」

「強くなるため」

「なんで?」

 

 質問が幼児だ。いや、幼児なんだけど。

 

「強い方がいいだろ」

「カミィは強いわよ」

「まだ何もしてないじゃん」

「カミィは強いの!」

「そうですか」

「そうよ!」

 

 胸を張る。根拠は、たぶんない。

 

「だからカイエンもやめなさい」

「なんで俺まで」

「カミィの弟が変なことしてるの、イヤ」

「変かなあ」

「変!」

 

 断言された。

 

「王子はそんなことしないもの!」

「誰が言ったの?」

「カミィ!」

「またそれか」

「カミィが決めたんだから、そうなの!」

「無敵だな、その理屈」

 

 俺はもう一度しゃがむ。

 

「ろく」

「やめなさい!」

「なな」

「カイエン!」

「はち」

 

 膝が笑い始めている。それでも、数える声だけは崩さない。

 

「聞きなさい!」

「聞いてるよ」

「じゃあやめて!」

「それは別」

「なんで!?」

 

 理不尽。お互い様だった。

 

 

     ◆

 

 

 翌日。

 

「いち、に、さん――」

「カイエン!」

「はいはい」

 

 また来た。

 

「またやってる!」

「毎日やるから意味があるの」

「意味ない!」

「あるよ」

「ない!」

「ある」

「ない!」

「ある」

「ない!」

 

 この応酬に終わりはない。

 

「じゃあ姉さんはやらなくていいじゃん」

「…………」

 

 止まった。

 

「俺はやる」

「…………」

「姉さんは好きにしていいよ」

「…………」

 

 何だ。その顔。

 

「なに?」

「カミィもやる」

「え?」

「やる!」

「いいけど」

 

 言い出したら聞かない顔をしている。

 

「教えなさい!」

「急に?」

「カミィの方が上手にできるから!」

「昨日まで意味ないって言ってたじゃん」

「昨日は昨日よ!」

「強いなあ、その生き方」

 

 そうして、カミーラが参加した。

 

 

     ◆

 

 

「まず身体伸ばして」

「こう?」

「そう」

「できた!」

「まだ始まってないよ」

 

 もう勝った顔をしている。

 

「カミィの勝ち!」

「何に?」

「カイエンに!」

「始まってないって」

 

 前屈。屈伸。肩を回す。軽く走る。その程度。

 最初から、俺よりカミーラの方が楽しそうだった。

 

「カイエン! 見て!」

「見てるよ」

「カミィの方が速い!」

「短距離ならね」

 

 言い終わる前に、もう次の勝負を探している。

 

「カミィの勝ち!」

「はいはい」

「“はい”は一回!」

「はい」

「もっと悔しがりなさい!」

「注文多いなあ」

 

 走る。跳ぶ。追いかける。そういう遊びに近いことなら、姉さんは強かった。身体能力が、というより、負けず嫌いが、すごい。

 俺より先に木まで着く。俺より高い段差に乗る。俺より多く跳ぶ。できないと、怒る。

 二人とも、髪が額に貼りついていた。

 

「もう一回!」

「疲れたんじゃない?」

「疲れてない!」

「息上がってるけど」

「上がってない!」

 

 肩が上下している。

 

「上がってるよ」

「上がってない!!」

「分かったから叫ばないで」

 

 この調子なら、意外と続くかもしれない。

 そう、思った。

 

 

     ◆

 

 

 三日後。

 

「姉さん」

「なに?」

「今日やらないの?」

「やらない」

 

 終了。

 

「早くない?」

「何が?」

「昨日まで俺に勝つって」

「もう勝ったもの」

 

 初耳だった。

 

「何に勝ったの?」

「全部」

「俺の記憶と違うなあ」

「カミィの記憶では勝ってる!」

「便利だね」

 

 姉さんは菓子を食べながら、俺が屈伸しているところを眺めていた。

 

「カイエンもやめなさい」

「やめない」

「なんで?」

「強くなるから」

「そんなのしなくてもいいじゃない」

「どうして?」

「だって」

 

 カミーラは、本当に不思議そうに言った。

 

「王様は、一番偉いのよ?」

「うん」

「一番偉い人が、どうして辛いことするの?」

 

 なるほど。そう来るか。

 

「やりたい人にやらせればいいじゃない」

 

 菓子を齧る。

 

「走るのも」

 

 もう一口。

 

「重いもの持つのも」

 

 もう一口。

 

「戦うのも」

 

 それから、当然のように。

 

「カミィのために、誰かがやればいいの」

 

 原作。

 だなあ。

 と思った。

 

 

     ◆

 

 

 カミーラは、最初からああいう人間だったわけではない。

 もちろん、素質はものすごくあった。王族。第二王子。生まれた時から誰かが世話をする。欲しいものは手に入る。嫌なことがあれば、周りの方が折れる。

 そんな環境で、元々我の強い子供を育てればどうなるか。答えは、だいたい分かる。

 本人が悪い、というだけの話でもない。周りが、毎日、

 

『あなたは特別です』

 

 と教えているのだから。

 実際、特別なのだけど。それと、何をしてもいいは、別だ。

 

「姉さん」

「なに?」

「じゃあ、王様が捕まったら?」

「捕まらないわ」

「もし」

「捕まらない」

「もしも」

「イヤ」

 

 仮定の話が通じない。

 

「話くらい聞こうよ」

「カミィは捕まらないの!」

「じゃあ崖から落ちたら?」

「落ちない!」

「船が沈んだら?」

「沈まない!」

 

 全部即答だった。

 

「病気になったら?」

「ならない!」

「無敵じゃん」

「そうよ!」

 

 駄目だ。話にならない。

 

「とにかく」

 

 俺は立ち上がる。

 

「俺はやるよ」

「だから、やめなさい!」

「嫌だ」

「カミィがやめろって言ってるの!」

「知ってる」

「じゃあやめるの!」

「嫌」

「なんで!?」

 

 押し問答で勝てる相手ではない。話をずらすことにした。

 

「姉さんが王になったとしても」

「なるわよ」

「はいはい。なったとして」

「なる!」

「なるとして」

「うん!」

 

 機嫌が直った。単純だ。

 

「王様が何でもできる必要はないと思う」

「でしょう?」

「でも」

 

 俺は、自分の腕を軽く叩く。

 

「できるのに越したことはないよ」

「どうして?」

「誰かが助けてくれるとは限らないから」

「助けさせればいいわ」

「その誰かがいなかったら?」

「…………」

 

 一瞬、止まる。でも、すぐに。

 

「カイエンがいるじゃない」

 

 そう言った。

 俺は、返事に少し困った。

 

 

     ◆

 

 

「カイエンがやればいいの」

「俺?」

「そうよ」

「姉さんの分まで?」

「うん」

 

 一片の疑いもない返事だった。

 

「全部?」

「全部!」

「大変だなあ」

「頑張りなさい!」

「他人事だなあ」

 

 カミーラは満足そうだった。俺がいる。だから自分はやらなくていい。

 子供らしい、無邪気な、ひどい理屈。

 でも、悪い気はしなかった。むしろ、嬉しかった。姉さんが、俺ならいる、と思っていることが。

 ただ、同時に、少しだけ嫌な予感もした。

 俺が何でもやれば、姉さんは何もしなくなるのでは?

 

「……それは駄目だな」

「何が?」

「何でもない」

 

 この時、初めて思った。

 姉さんを助けることと、姉さんの代わりに全部やることは、同じじゃない。

 

 

     ◆

 

 

 それから、俺は一人で続けた。

 朝、起きる。身体を伸ばす。軽く走る。朝食。勉強。遊び。その中へ、少しずつ鍛錬を入れていく。

 誰かに言われたからではない。やりたいからでもない。必要だから、やる。

 今日は疲れている。今日は面倒。今日は寒い。今日は眠い。そんな日もあった。

 

「…………やりたくない」

 

 普通に、あった。

 でも、やる。

 十分。二十分。短くても、やる。

 ゼロにしない。それだけは、自分の中で決めた。

 庭の草は伸びて、刈られて、また伸びた。夏の日差しは肩の上で重くなり、冬の朝は吐いた息が白く残った。同じ場所で同じことを繰り返しているだけなのに、季節ばかりが勝手に動いていく。

 前世の俺は、別に自分に厳しい人間ではなかった。休みの日は寝ていたいし、面倒なことは後回しにしたい。楽ができるなら、普通に楽をしたい。

 でも、この世界では、それでは死ぬかもしれない。

 そして、俺が死ねば、姉さんはどうなる。

 その答えを考えれば、身体は自然と動いた。

 

 

     ◆

 

 

「カイエン」

「んー?」

「それ、楽しい?」

 

 地面へ手をつきながら、顔を上げる。カミーラがいた。

 

「楽しくないよ」

「じゃあ、なんでやってるの?」

「必要だから」

「…………」

「何?」

「変なの」

「知ってる」

 

 腕を曲げる。伸ばす。

 一回。

 二回。

 三回。

 

「辛い?」

「辛い」

「苦しい?」

「苦しい」

「やめたい?」

「ちょっと」

 

 正直に答えた。嘘をつく理由がない。

 

「じゃあやめなさいよ」

「やだ」

「なんで?」

「必要だから」

「…………」

 

 カミーラは、しばらく俺を見ていた。

 

「分かんない」

「そう?」

「カミィならやめる」

「だろうね」

 

 本当にそう思っているのが分かる言い方だった。

 

「だって、辛いもの」

「うん」

「苦しいもの」

「うん」

「楽しくないもの」

「うん」

「なのにやるの?」

「うん」

 

 俺は続きをやる。

 カミーラは、その場を動かなかった。

 

 

     ◆

 

 

 次の日。

 

「カイエン」

「ん?」

「カミィもやる」

 

 また?

 

「昨日、王はそんなことしないって」

「昨日は昨日!」

「前にも聞いたな、それ」

「今日はやるの!」

「いいけど」

 

 止めても無駄なのは、もう学習している。

 

「カイエンよりいっぱいやる!」

「最初から飛ばすと続かないよ」

「続く!」

「三日前」

「忘れた!」

「便利だね、本当に」

 

 再開した。

 

「いち!」

「ゆっくり」

「に!」

「速いって」

「さん!」

「姉さん」

「よん!」

「聞いてる?」

「ご!」

 

 数分後。

 

「もうイヤ!」

「だから言ったじゃん」

「辛い!」

「うん」

「足痛い!」

「今日は終わりでいいよ」

「もう二度とやらない!」

「はいはい」

 

 姉さんは本当に、もう二度とやらない顔をして帰っていった。

 翌日。来ない。その次の日も、来ない。

 庭は静かだった。誰も数を数えない。誰も文句を言わない。誰も勝手に勝負を始めない。俺は一人で身体を伸ばして、一人で走って、一人で数を数えた。風が草を鳴らす音と、自分の呼吸だけが聞こえる。

 効率で言えば、こちらの方がずっといい。姉さんがいると、半分は口喧嘩に使われて、残りの半分は姉さんの気まぐれに付き合わされる。鍛錬としては、ほとんど成立していない。

 なのに、妙に物足りなかった。

 迎えに行こうか。

 一瞬、そう思った。

 行けば、たぶん来る。俺が呼べば、姉さんは絶対に来る。文句を言いながら、偉そうな顔をしながら、結局は来る。そういう人だ。

 でも、それをやったら、姉さんが動く理由はいつまで経っても俺のままだ。俺が呼ぶから来る。俺が誘うから続ける。俺がいなければ、何も残らない。

 それでは、意味がない。

 

 姉さんを助けることと。

 姉さんの代わりに全部やることは。

 同じじゃない。

 ――なら。

 姉さんの背中を押すことと。

 姉さんを引きずってくることも。

 たぶん。

 同じじゃない。

 

 だから、行かなかった。

 代わりに庭で、いつも通りの時間に、いつも通りのことをした。姉さんの部屋からでも見える場所で。

 三日後。

 

「カイエン」

「ん?」

「カミィもやる」

 

 また来た。

 

「今度は何で?」

「カイエンがやってるから」

「俺?」

「そう」

「俺がやるのは前からだよ」

「でも」

 

 カミーラは、少し不満そうに口を尖らせた。

 

「カイエンだけずるい」

「何が?」

「分かんない」

「分かんないの?」

「分かんない!」

 

 本人にもたぶん、分かっていなかった。

 でも、自分の足で来た。

 それで十分だった。

 

 

     ◆

 

 

 俺は続ける。

 姉さんは、やったり、やめたり、またやったり。走る日はいる。身体を伸ばす日は来ない。勝負にすると来る。地味だと消える。

 

「今日は?」

「やらない!」

「そう」

「止めないの?」

「なんで?」

 

 止められると思っていた顔だった。

 

「…………」

「やりたくなったら来れば?」

「…………」

「姉さん?」

「カイエンのくせに生意気!」

「何で!?」

 

 面倒くさい。本当に、面倒くさい。

 でも、少しずつ変わった。

 

「今日は三回だけ!」

「いいよ」

「明日は四回!」

「続いたらね」

「続く!」

 

 続かない。次の日は二回。その次はゼロ。その次は五回。

 

「カイエン!」

「なに?」

「見て!」

「見てる」

「昨日よりできた!」

「うん。できてる」

 

 実際、できていた。三回が五回になっただけでも、この人にしては大事件だ。

 

「カミィすごい?」

「すごいすごい」

「もっと!」

「ちゃんと続けたの、偉いよ」

「…………」

 

 カミーラが妙な顔をした。

 

「なに?」

「もう一回言って」

「ちゃんと続けたの偉い」

「もう一回!」

「調子乗るから嫌」

「言いなさい!」

「嫌です」

「カイエン!」

 

 走って追ってくる。逃げる。

 これも、まあ、鍛錬になる。

 

 

     ◆

 

 

 ある日、俺が庭を走っていると。

 

「カイエン!」

 

 後ろから声がした。振り向く。カミーラがいる。

 

「なに?」

「勝負!」

「何の?」

「あそこまで!」

 

 庭の端。大きな木。

 

「いいよ」

「カミィが勝つ!」

「どうかな」

「絶対!」

「じゃあ」

 

 並ぶ。

 

「よーい――」

「スタート!」

「ずるっ!」

 

 姉さんが先に走る。

 

「カミィが勝てばいいの!」

「それ勝負じゃない!」

 

 追う。

 昔なら、追いつけなかった。脚の長さも、ほぼ同じ。才能だって、俺だけが特別なわけではない。

 でも、毎日、少しずつ積んできた。走り方。呼吸。足の運び。姿勢。その差が、少しだけ出る。

 蹴った土の匂いが上がる。何百回も同じ場所を走った、覚えのある匂いだった。

 

「えっ」

 

 並ぶ。

 

「ちょっ――」

 

 抜く。

 

「カイエン!」

「先行ってるよ!」

「待ちなさい!」

「勝負なんだろ!」

「カミィが勝つの!」

「無茶言うな!」

 

 木へ、先に触れた。

 

「俺の勝ち」

「…………」

 

 カミーラが遅れて到着する。ものすごい顔で俺を見る。肩で息をして、汗で張りついた前髪が目にかかっていた。

 

「ずるい」

「姉さんが先に走ったんだけど」

「ずるい!」

「何が?」

「カイエンだけ毎日やってた!」

「姉さんがやめたんじゃん」

「ずるい!」

「理不尽だなあ」

 

 泣くかな。怒るかな。侍女へ当たるかな。

 少し、身構えた。

 でも、カミーラはしばらく俺を睨んでから。

 

「…………明日」

「うん?」

「明日もやる」

「何を?」

「全部!」

「また極端だなあ」

 

 負けた直後に、もう次の話をしている。

 

「次はカミィが勝つ!」

「はいはい」

「“はい”は一回!」

「はい」

 

 それから、少し間を置いて。

 

「姉さん」

「なに?」

「明日だけじゃ駄目だよ」

「…………」

「明後日も。その次も」

「…………」

「勝ちたいならね」

 

 カミーラが嫌そうな顔をした。本当に、心底、嫌そうだった。

 

「毎日?」

「毎日」

「ずっと?」

「ずっと」

「…………王なのに?」

「王でも」

「…………」

 

 しばらく、悩んで。

 

「じゃあ」

 

 姉さんは、俺の服の袖を掴んだ。

 

「カイエンも一緒ね」

「うん?」

「カミィだけ辛いのはイヤ」

「俺、前からやってるけど」

「ずっと一緒!」

「…………」

 

 言葉が出なかった。

 

「カイエンがやめたら、カミィもやめる!」

「それ脅し?」

「命令!」

「俺、命令される側?」

「弟だから!」

「理屈が雑だなあ」

 

 でも、袖を掴んだ手は離れなかった。

 いつもなら、こうはならない。

 姉さんが何かを続けると決める時、理由はいつも自分の中にある。勝ちたいから。褒められたいから。負けたままが我慢ならないから。他人は関係ない。自分がそう決めたから、そうなる。それがカミーラという人間だった。

 なのに今は、俺の袖を掴んでいる。

 カイエンも一緒ね。

 カイエンがやめたら、カミィもやめる。

 つまり姉さんは、自分が続けるための理由に、初めて、自分以外のものを組み込んだ。それが俺だった。

 

 嬉しかった。

 誤魔化しようもなく、嬉しかった。

 

 同時に、喉の奥へ、小さな棘のようなものが残った。

 俺がやめたら、姉さんもやめる。裏返せば、俺がいなくなったら、姉さんには何も残らない。

 いつか、この手を、どこかで解いてやらなければいけない日が来る。

 ――でも、それは今日じゃない。

 今日は、掴まれたままでいい。

 

「分かったよ」

「ほんと?」

「俺もやる」

 

 というより、最初からやめるつもりはない。

 

「だから姉さんも」

「カミィは王になるのよ?」

「うん」

「王は、辛いことなんてしなくていいの」

「うん」

「苦しいことも、誰かにやらせればいいの」

「うん」

「…………でも」

 

 カミーラが、ほんの少し口を尖らせる。

 

「カイエンだけ強くなるのはイヤ」

 

 なるほど。そう来るか。

 

「じゃ、一緒に強くなる?」

「カミィの方が強くなる!」

「はいはい」

 

 カミーラが笑った。

 その顔を見て、まあ、今はこれでいいか、と思った。

 

 

     ◆

 

 

 もちろん、それで姉さんが毎日真面目に鍛えるようになった――なんて、都合のいい話にはならなかった。

 

「今日は?」

「休む!」

「昨日も休んだよ」

「今日は昨日より休む!」

「何その概念」

 

 新しい理屈が毎日増えていく。

 

「王には休むことも必要なの!」

「どこで覚えたの?」

「カミィが考えた!」

「でしょうね」

 

 やる。やめる。戻ってくる。またやめる。

 俺が褒めると続く。俺に負けると続く。飽きるとやめる。辛くなると怒る。楽しいとやる。勝てそうならやる。勝てないと、もっとやる時と、やめる時がある。

 難しい。ものすごく、難しい。

 でも、それでいい。

 今は、まだ。

 

 

     ◆

 

 

 俺は毎日続けた。

 身体を作る。走る。跳ぶ。柔らかくする。バランスを取る。自分の体重を、自分で支える。少しずつ、できることを増やす。昨日より、ほんの少し、今日を良くする。

 派手な変化はない。一日で強くなるわけじゃない。翌朝、突然、筋肉が倍になるわけでもない。

 ただ、一ヶ月。半年。一年。積み重ねる。

 気づけば、手のひらの皮が少しだけ厚くなっていた。誰も褒めない。誰も気づかない。俺だけが知っている変化だった。

 そうすれば、いつか、差になる。

 

「カイエン」

「なに?」

「今日、走る?」

「走るよ」

「カミィも」

「うん」

「でも三回だけ」

「いいよ」

 

 三回でも来た。それは大きい。

 

「カイエンも三回!」

「俺は五回」

「ダメ!」

「何で」

「カミィより多い!」

「じゃあ姉さんも五回」

「イヤ!」

「どうしろと?」

 

 こんな調子だった。

 

 

     ◆

 

 

 念を覚えるのは、まだ先。

 俺には、それでよかった。

 念は強い。間違いなく、この世界で生きるなら、いつか必ず必要になる。

 でも、その前に必要なものがある。

 身体。

 習慣。

 そして、嫌でも、面倒でも、必要ならやる。それを当たり前にすること。

 

「いち」

 

 しゃがむ。

 

「に」

 

 立つ。

 

「さん」

「カイエン!」

「なに?」

「カミィも!」

「はいはい」

「一回!」

「はい」

 

 隣に、カミーラが並ぶ。

 

「いち!」

「速いって」

「に!」

「もうちょいゆっくり」

「さん!」

「姉さん」

「よん!」

「聞け」

「ご!」

「まあいいか」

 

 俺は笑った。

 この時は、まだ知らなかった。

 姉さんがいつか、この程度では済まない鍛錬を俺にやらせることになるなんて。そのたびに、

 

「王にこんなことをさせるなんてありえない!」

 

 と怒り、

 

「カイエンが責任を取りなさい!」

 

 と叫び、それでも何だかんだで、翌日にはまた俺の隣に立つようになることを。

 そして、俺自身も。

 この頃から始めた、たった一つの習慣を。

 何十年後まで。

 馬鹿みたいに続けることになるなんて。

 まだ。

 知る由もなかった。

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