転生先が殺し合いを約束された帝国の第三王子だった件   作:冷やかし中華

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がんがん時間を飛ばしていきます。


004_王子なので、初めて国外へ行くことになった

 十歳を過ぎた頃。

 俺は人生で初めて、姉さんから離れることになった。

 

 

     ◆

 

 

「嫌よ」

「うん」

「行かないで」

「うん」

「だから行かないのね?」

「いや、行くよ」

「カイエン!」

 

 怒鳴られた。知ってた。こうなると思ってた。

 

「何で!?」

「何でって……俺の外遊だから」

「そんなものやめなさい!」

「俺に言われても」

「カイエンの外遊でしょう!?」

「そうだけど、俺が決めた外遊じゃないよ」

 

 理屈は通っているのに、通じない。

 

「なら断ればいいじゃない!」

「王子が国の仕事を?」

「そうよ!」

「駄目でしょ」

「駄目じゃないわ!」

「駄目だよ」

 

 同じ言葉を三回繰り返した。

 

「カミィがいいって言ってるの!」

「姉さん、国王じゃないじゃん」

「なるのよ!」

「今は違うよ」

「カイエン!!」

 

 また怒鳴られた。

 目の前で、カミーラがものすごく不機嫌そうに腕を組んでいる。十歳を過ぎ、昔より背も伸びた。髪も長くなった。顔立ちも少しずつ、俺が前世で知っていたカミーラへ近づいている。

 中身も、まあ、順調だった。良い意味かどうかは、知らない。

 

「どれくらい?」

「ん?」

「どれくらい行くの?」

「三週間くらい」

「長い!」

「そう?」

「長い!!」

「一ヶ月もないよ」

 

 二回言えば短くなると思っているらしい。

 

「三日で帰ってきなさい!」

「無茶言うなあ」

「四日」

「交渉になってないよ」

「五日!」

「増えた」

 

 値切っているつもりが、逆へ動いている。

 

「これ以上は譲らないわ!」

「俺に決定権がないんだって」

 

 俺は苦笑する。

 今回の外遊は、俺一人で好き勝手に外国へ行く、なんて話ではない。カキンの外交使節、その一員として、第三王子である俺も同行する。そういう話だった。

 王族として他国を見る。外交の場へ出る。向こうの王族や有力者と顔を合わせる。形式上の意味もあるし、教育としての意味もある。

 俺としては、断る理由はなかった。

 むしろ、行きたい。

 王宮の外。それも、カキンの外。前世では漫画の背景でしかなかった世界が、実際にはどうなっているのか。見てみたかった。

 

「姉さんもそのうち行くでしょ」

「今行く」

「今回は無理」

「どうして?」

 

 答えは分かっているだろうに、訊く。

 

「姉さんの予定じゃないから」

「変えなさい」

「誰が?」

「カイエンが」

「無理だって」

「じゃあ外遊をやめなさい!」

 

 戻った。

 

「だから――」

「カイエン!」

「はいはい」

「“はい”は一回!」

「はい」

 

 この応酬だけは、何年経っても変わらない。

 

「行かない?」

「行く」

「嫌い!」

「そうですか」

「大嫌い!」

「はい」

 

 沈黙。姉さんが口を開くまで、それなりに長かった。

 

「……お土産」

「いるんじゃん」

「いる!」

 

 そこは、しっかりしていた。

 

 

     ◆

 

 

 出発の日。姉さんは見送りに来なかった。

 まあ、そうなるか。昨日も最後まで、

 

「行かないで」

 

 と言っていた。

 朝になったら機嫌が直っているかもしれない。少しだけ、そう思っていた。甘かったらしい。

 

「カイエン殿下。そろそろ」

「うん」

 

 随行員に促される。振り返る。

 当然、いない。

 仕方ない。行こう。

 俺が一歩踏み出したところで。

 

「カイエン!」

「ん?」

 

 振り向く。

 いた。廊下の向こうから走ってくる。侍女を置き去りにして、そのまま俺の前まで来る。

 

「姉さん」

 

 姉さんは肩で息をしていた。返事はない。

 

「見送り来ないのかと思った」

「来てないわ」

「いるじゃん」

「これは見送りじゃないの」

「じゃあ何?」

「命令しに来たの」

 

 まだ息が整っていない。

 

「何を?」

「早く帰ってきなさい」

「予定通り帰ってくるよ」

「早く!」

「だから――」

 

 袖を掴まれた。

 

「早く」

 

 さっきより、少しだけ小さな声だった。

 俺は掴まれた袖を見る。それから、姉さんを見る。

 

「分かった」

「本当?」

「できるだけね」

「絶対よ」

「努力します」

「絶対!」

「……はい」

 

 袖が、離れる。

 

「行ってらっしゃい」

「うん」

 

 少し歩く。

 

「カイエン!」

「何!?」

「お土産!」

「忘れないよ!」

「いっぱい!」

「分かった!」

 

 やっぱり、そこは大事らしい。

 

 

     ◆

 

 

 初めての外国は面白かった。ものすごく、面白かった。

 街が違う。建物が違う。服が違う。人が違う。食べ物も、匂いも、話し方も、全部が微妙に違う。

 カキンの街並みは灰と黒で揃っているのに、ここは壁が薄い青や黄土に塗り分けられていて、遠くから見ると布を並べたように見えた。香辛料の匂いが、道の端から絶えず流れてくる。言葉はまるで聞き取れないのに、語尾だけがやたらと跳ねる。

 もちろん、俺は王子として来ている。好き勝手に市場を歩けるわけではない。護衛もいるし、予定も詰まっている。

 挨拶。会食。見学。また挨拶。

 偉い人。偉い人。偉い人。偉い人。

 多いな。

 でも、嫌ではなかった。王宮にいるだけでは分からないことが、いくらでもある。同じ料理でも国が違えば味付けが違う。同じ王族でも立ち居振る舞いが違う。同じ商人でも、カキンの人間とは値段の付け方も、物の見せ方も違う。

 面白い。もっと見たい。もっと知りたい。

 そう思った。

 前世で海外旅行が趣味だったわけではない。むしろ、休みの日なら家にいる方が好きだった。なのに今は、知らないものを見ることが妙に楽しい。

 たぶん、王宮が狭すぎたのだ。

 広いくせに。俺の世界としては、あまりにも。

 

 

     ◆

 

 

 最初の数日は、姉さんのことをほとんど思い出さなかった。

 いや、忘れていたわけじゃない。ただ、目の前のものが全部新しかった。忙しかった。それだけだ。

 でも、ある日の会食で菓子が出た。

 小さな焼き菓子。果物を煮詰めたものが入っている。一口食べる。

 甘い。かなり、甘い。

 でも、悪くない。むしろ、好きだ。

 そして、最初に浮かんだのが。

 

「姉さん好きそうだな」

 

 だった。

 

「殿下?」

「あ。いや。何でもない」

 

 何でもない。本当に、ただそう思っただけ。

 翌日、工房を見学した。細い金属を編み、小さな石をはめ込んだ簡素な髪飾りがあった。王族が身につけるような高価なものではないし、名のある宝石でもない。でも、光に当てると綺麗だった。

 

「……姉さんに似合いそう」

 

 また、思った。

 次の日、街で変な色の菓子を見た。

 

「姉さん食べるかな」

 

 その次。妙に派手な布。

 

「姉さん好きそう」

 

 その次。小さな香水瓶。

 そこまで来て、ようやく手が止まった。

 

「姉さんのことばっかりじゃん」

 

 随行員が、聞かなかったふりをしてくれた。

 

 

     ◆

 

 

 その頃カキンでは、カミーラが、朝食を終えたあとの決まった時間に、決まった窓辺へ立っていた。そこからは庭がよく見える。いつもの時間の、いつもの場所に、誰もいない。

 

「カミーラ様。本日のご予定ですが――」

「知ってるわ」

「失礼いたしました」

 

 庭を見る。

 

「カイエンは?」

「カイエン殿下でしたら、現在は――」

「知ってる!」

「……失礼いたしました」

 

 知っている。外遊、三週間、そんなことは出発の前から嫌というほど聞かされている。なのに朝になると、身体の方が勝手に窓へ寄っていく。

 いつもなら、あそこにいるからだ。走っていたり、身体を伸ばしていたり、時々わけの分からない格好でただじっとしていたりして、カミーラが庭へ降りていけば、あの子は必ず顔を上げてこう言う。

 

「姉さんもやる?」

 

 やりたくなければ、

 

「やらない!」

 

 と言えばいい。やりたければ、やればいい。どちらを選んでも、カイエンは同じ顔で待っている。

 でも、今は、いない。

 

「……つまらない」

「何かお持ちいたしましょうか?」

「いらない」

「お菓子など――」

「いらない!」

「失礼いたしました」

 

 少しして。

 

「……やっぱり持ってきなさい」

「かしこまりました」

 

 菓子は、普通に食べた。

 

 

     ◆

 

 

 翌朝、カミーラは誰にも言わずに一人で庭へ出た。侍女たちは慌ててついてきたが、そこから先へは入れなかった。

 

「いち」

 

 走る。

 

「に」

 

 走る。

 

「さん」

 

 止まる。息が上がる。

 それだけだった。

 つまらない。勝っても誰も悔しがらないし、負けても誰も笑わないし、そもそも勝負をする相手がいない。この庭でやることの半分は口喧嘩で、残りの半分はカイエンをやり込めることだったのだと、いなくなって初めて気づいた。

 

「もうやらない!」

 

 侍女が、びくりとした。

 

「カミーラ様?」

「やらない!」

「何をでしょうか?」

「全部!」

「……かしこまりました」

 

 その日、カミーラは何もしなかった。次の日も、その次の日も。

 

 

     ◆

 

 

「カイエン殿下」

「ん?」

「お手紙が届いております」

「手紙?」

「カキンより」

 

 嫌な予感がする。

 受け取る。開く。読む。

 

『カイエンへ。

 早く帰りなさい。

 カミィより』

 

「……短っ」

 

 予想通り。いや、予想より短い。

 俺は少し考えて、返事を書いた。

 

『姉さんへ。

 俺も帰るつもりはあります。

 ただし、予定より早く帰るのは無理です。

 お土産は何が欲しい?

 カイエン』

 

 これでしばらく静かになるだろう。そう思った。

 数日後、また手紙が来た。今度は厚かった。

 嫌な予感がする。

 開く。読む。

 欲しいもの。

 欲しいもの。

 欲しいもの。

 欲しいもの。

 

「多いな!?」

 

 菓子。髪飾り。服。香水。人形。靴。宝石。見たことのない動物。

 

「最後の何?」

 

 しかも、最後に。

 

『全部。

 カミィより』

 

「無茶言うなあ」

 

 俺は笑った。

 

 

     ◆

 

 

 外遊も半分を過ぎた頃、少しだけ自由に街を見る時間ができた。もちろん護衛付き。でも、十分だった。

 市場を歩く。食べ物。服。工芸品。見たことのないものが、いくらでも並んでいる。

 姉さんの土産も、だいたい決まった。菓子は日持ちするものを何種類か。髪飾りは高価すぎないもの。どうせ姉さんは、値段より自分が気に入るかどうかだ。

 それから、足が止まった。

 店の隅。棚の端。

 何かがいた。

 

「……何だこれ」

 

 陶器。手のひらより少し大きい。

 黒っぽい。

 丸い。

 耳。らしきものが二つ。

 目。やたら大きい。

 口。笑っている。たぶん。

 牙。みたいなものまである。

 四本足。いや、二本?

 

「……猫?」

 

 店主を見る。店主も陶器を見る。

 

「猫……でしょうな」

「でしょうな?」

 

 作った側じゃないのか。

 

「古くからある意匠でして」

「何の?」

「さあ」

「さあ?」

「魔除けとも、福を招く獣とも」

「猫?」

「猫に見えますな」

「見えなくもないけど」

 

 もう一度見る。

 不格好。普通に、不格好。かわいい、とも言い難い。怖い、というほどでもない。何とも言えない。

 何とも言えない顔で、笑っている。

 姉さん、こういうの好きそうだな。

 

「これください」

「殿下?」

 

 護衛が、本気か、という顔をした。

 

「何?」

「いえ」

「変?」

「いえ」

「変なんだ」

「申し上げておりません」

「顔に出てるよ」

 

 買った。

 別に高くなかった。名のある工房でもないし、宝石も使っていない。ただの、変な陶器。

 でも何となく、姉さんにはこれが一番似合う気がした。

 

 

     ◆

 

 

 朝、目を覚ます。身体を伸ばす。走る。跳ぶ。自分の体重を使って、身体を動かす。

 外遊中でも、それは変えなかった。場所が変わっても、時間が多少ずれても、できる範囲でやる。物心ついた幼い頃から何年も、そうしてきた。

 最近は最後に、少しだけ座る時間を作っていた。

 瞑想、というほど大したものでもない。呼吸を整える。身体の力を抜く。自分の内側へ意識を向ける。

 理由は単純。

 念だ。

 

 

     ◆

 

 

 前世の知識が正しいなら、念は特別な人間だけが持つ力ではない。誰にでも生命エネルギー、オーラはある。ただ普通は、それを認識できないし、使えない。

 精孔。そこを自力で、ゆっくり開く。そういう修行方法が確かにあった。

 問題は、漫画で読んだだけ、ということだ。呼吸。瞑想。意識。そんな程度の知識しかない。具体的に何をどうすればいい、なんて知らない。

 だから、やってみるしかない。

 初日、何もなかった。二日目も何もない。三日目、やっぱり何も――。

 

「……ん?」

 

 違和感。

 ほんの少し。

 何か。

 違う。

 風?

 いや、風はもっと外から来る。

 これは、内側。身体の内側から、何かが外へ抜けている。

 目を開ける。手を見る。

 何もない。いや、見えていない。

 でも、ある。分かる。

 皮膚の表面。身体の周り。何かが薄く流れている。

 

「……まさか」

 

 指を開く。閉じる。もう一度開く。

 意識をそこへ向ける。集中する。見る。見ようとする。

 そして。

 

「……あ」

 

 見えた。

 湯気。

 みたいな。

 白い。

 薄い。

 何か。

 身体から。

 漏れている。

 

 息を止めていた。いつからかは分からない。吐く。心臓の音が、耳の奥で鳴っている。

 

「オーラ」

 

 声に出す。消えない。

 

「これが……」

 

 念。

 俺はしばらく座ったまま、自分の手を見ていた。

 嬉しい。ものすごく、嬉しい。十年以上、知識だけはあった。この世界に確かに存在することも知っていた。でも、自分で見た。自分の身体から出ている。

 

「……マジか」

 

 笑った。一人で。たぶん、ものすごく気持ち悪い顔をしていたと思う。でも、止まらなかった。

 

「できた……」

 

 俺にも、できた。

 念が。

 

 

     ◆

 

 

 ――いや、待て。喜んでいる場合じゃない。

 これ、漏れてない?

 思い出す。念を知らない人間は精孔が閉じている。そこを開く。オーラが出る。そして出しっぱなしにすると疲れる。最悪、生命力そのものに関わる。

 

「待て待て待て待て」

 

 俺、師匠いないんだけど。

 

「……纏」

 

 思い出す。四大行。

 《纏》。

 《絶》。

 《練》。

 《発》。

 まず、《纏》。身体から出ているオーラを、身体の周囲へ留める。

 やるしかない。どうやって? 知らない。

 

「いや、知識だけで開けたんだから何とかなるだろ」

 

 誰に言っているのか、自分でも分からない。

 とにかく、漏れるものを身体へ沿わせる。外へ流すな。留める。纏う。意識する。

 散る。

 

「違う」

 

 もう一度。呼吸。焦るな。

 さっきまで、何年も身体を動かしてきた。姿勢。呼吸。力を入れる場所。抜く場所。全部、一日でできたわけじゃない。

 同じだ。

 オーラを見る。感じる。流れる。止める。いや、止めるじゃない。包む。

 何度もやる。崩れる。またやる。少し留まる。崩れる。また。

 

「……難しいな」

 

 笑う。でも、嫌じゃなかった。

 

 

     ◆

 

 

 その日のうちに纏ができるようになった――とは、とても言えなかった。

 数秒。それらしい状態になる。崩れる。もう一度。十秒。崩れる。呼吸を乱すともっと駄目で、立つとさらに難しい。歩けばすぐ散る。

 なるほど、これが修行か。

 精孔を開くことと、使いこなすことは全然違う。入口を見つけただけで、その先を一歩も歩いていない。

 ただ、座り込んだまま、一つだけ引っかかっていることがあった。

 

「……三日」

 

 声に出してみる。

 前世の記憶が正しければ、自力で精孔を開く修行は、毎日何時間も、一年以上。それが目安だったはずだ。才能のある人間で半年。とんでもない天才で、ようやく一ヶ月を切る。そういう世界だったと、俺は覚えている。

 

「……三日は、おかしくない?」

 

 嬉しい。嬉しいのは間違いない。

 でも、それとは別に、背中の方が少し冷たかった。

 何年も身体を鍛えてきた。呼吸も、姿勢も、自分の内側へ意識を向けることも、やってきた。それが効いたのだと思いたい。

 思いたいが、積み上げてきたものだけで、一年が三日になるものだろうか。

 それとも、俺が最初からそういう風にできていたのか。

 だとしたら。

 誰のせいで。

 俺は自分の手を見る。白い。薄い。まだ頼りない。

 答えの出ない疑問だった。

 

「……まあ、いいか」

 

 今は保留にする。どうせ、考えて分かることじゃない。

 それに、速く開いたからといって強いわけではない。念能力者と戦ったこともないし、自分のオーラが多いのか少ないのか、それすら分からない。

 なら、やることは今までと同じだ。

 今日、できなかった。

 なら、明日、またやる。

 

 

     ◆

 

 

 カキンでは、カミーラがまた一人で庭へ出ていた。三日ぶりだった。

 

「カミーラ様?」

「何よ」

「本日は……」

「三回」

「はい?」

「三回だけやるの」

「……かしこまりました」

 

 誰も意味を分かっていない。それでいい。分からせるつもりもない。

 

「いち」

 

 走る。

 

「に」

 

 走る。

 

「さん」

 

 止まる。息を整える。

 誰も見ていない。いや、侍女たちは見ている。控えの者も、庭の端の警備も、全員がこちらを見ている。でも、違う。カミーラが見てほしい人間は、この庭のどこにもいない。

 

「……今日はこれでいいの」

「はい」

「カイエンが帰ってきたら」

 

 少し考える。

 

「五回やる」

「……はい」

「それで」

 

 また。

 考える。

 

「勝つ」

 

 誰に。

 とは。

 言わなかった。

 

 

     ◆

 

 

 三週間。長い、と姉さんは言った。

 俺には短かった。もっと見たいものがあったし、もっと行きたい場所があったし、もっと話したい人間もいた。

 それでも、帰国の日が近づくと少し嬉しかった。

 何でだろう。

 いや、分かっている。たぶん、姉さんだ。

 

「俺も大概だな」

 

 荷物を見る。菓子。髪飾り。小物。それから、厳重に包まれた、変な猫。

 これ、本当に喜ぶかな。

 少し、不安になった。

 

 

     ◆

 

 

 帰国。王宮。

 懐かしい。たった三週間なのに、そう思った。

 人が並ぶ。挨拶。報告。また挨拶。

 面倒。早く部屋へ戻りたい。

 そう思いながら、廊下を歩く。

 

「カイエン!」

「ん?」

 

 聞き慣れた声。振り向く。

 カミーラ。走ってくる。

 

「姉さん」

「遅い!」

 

 第一声。それだった。

 

「ただいま」

「遅い!」

「予定通りだよ」

「遅いの!」

「三週間って言ったじゃん」

「長かった!」

「それは出る前にも聞いた」

「もっと早く帰ってきなさい!」

「無茶言うなあ」

 

 俺は笑う。

 姉さんは怒っている。たぶん、本気で。

 でも、俺の袖を掴んでいる。出発の日と、同じ場所。

 

「姉さん」

「何よ」

「ただいま」

「……遅い」

「うん」

 

 今度は、訂正しなかった。

 

 

     ◆

 

 

「お土産!」

「やっぱりそこ?」

「早く!」

「はいはい」

「一回!」

「はい」

 

 部屋へ戻る。並べる。

 菓子。

 

「これ何?」

「向こうの菓子」

「食べる!」

「あとで」

「今!」

「夕食前だから駄目」

「カイエン!」

「次」

 

 髪飾り。

 

「姉さんに似合うと思って」

 

 姉さんは髪飾りを光にかざして、少しの間、黙っていた。

 

「どう?」

「悪くないわ」

「お。珍しく素直」

「カミィには何でも似合うもの」

「そっちか」

 

 小物。香り。布。

 頼まれたもの全部は、当然、買っていない。

 

「これだけ?」

「十分だろ」

「全部って書いた!」

「全部買うとは言ってない」

「カイエン!」

「で」

 

 最後。

 

「これ」

 

 包みを置く。

 

「何?」

「俺も分からない」

「何それ」

「見れば分かる」

「分からないものを見せるの?」

「だから見て」

 

 包みを開く。

 カミーラが、止まった。

 黒い。丸い。大きな目。妙な笑顔。牙。

 猫。らしき。何か。

 

「……何これ」

「猫」

「猫じゃないわ」

「やっぱり?」

「こんな猫いないもの」

「俺もそう思った」

 

 真顔で否定された。

 

「じゃあ何で猫って言ったの?」

「店の人が猫だって」

「嘘よ」

「たぶんね」

 

 カミーラが陶器を持ち上げる。正面。横。後ろ。裏。また正面。

 

「変な顔」

「うん」

「不格好」

「うん」

「牙も変」

「うん」

 

 全部その通りだった。

 

「全然かわいくないわ」

「じゃあ返して」

「嫌」

「え?」

 

 胸へ抱え込む。

 

「これはカミィのよ」

「気に入ったの?」

「気に入ってないわ」

「じゃあ返して」

「嫌!」

「どっち?」

「カミィの!」

「猫じゃないんだろ?」

 

 カミーラが、もう一度、変な生き物を見る。

 

「猫よ」

「さっき猫じゃないって言ったじゃん」

「今決めたの」

「誰が?」

「カミィが」

 

 懐かしい。本当に。

 

「そっか」

「そうよ」

「じゃあ猫だね」

「猫よ」

 

 カミーラが満足そうに笑った。

 

「名前は?」

 

 大きな目。丸い身体。変な牙。何とも言えない、不格好な猫。

 カミーラはしばらく考えて、首を傾げた。

 

「まだないわ」

「そう」

「そのうち決める」

「うん」

 

 それきり、猫の話は終わった。

 

「カイエン」

「なに?」

「明日」

「うん」

「勝負するわよ」

「何の?」

「走るの」

「いいよ」

「カミィ、五回できるようになったから」

 

 手が。

 止まった。

 

「何よ」

「いや」

 

 俺は少しだけ笑った。

 

「そっか」

「絶対勝つから」

「負けないよ」

「カミィが勝つの!」

 

 いつもの調子だった。

 

「じゃあ明日ね」

「朝よ!」

「分かってる」

「寝坊したら許さないから!」

「しないって」

「絶対よ!」

「はい」

 

 変な猫を抱えたまま、姉さんが俺を睨む。

 俺はその顔を見ながら、三週間ぶりに、いつもの場所へ帰ってきた気がした。




お土産に買ってきた猫らしき置物が《百万回生きた猫(ネコノナマエ)》のモデルになるに違いない。たぶん、きっと。

あとツェリードニヒの《刹那の十秒(ラプラス・デビル)》があるので誤解されがちだけど、カミーラの《百万回生きた猫》は《絶》をした状態で「敵に殺されること」が発動条件ではないっぽいんですよね。
「敵に殺されること」そのものが、発動の制約であって、《絶》状態である必要はない、と考えると、たしかに囚われの身になる(能力バレする)と脆弱だけど、そうでない場合は、やっぱりヤベー能力なんだよな、と。
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