転生先が殺し合いを約束された帝国の第三王子だった件   作:冷やかし中華

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006_01_王子なので、見せないことを覚えることにした

 姉さんが念に目覚めてから、何かが大きく変わったかというと。

 そんなことはなかった。

 

「もうやらない!」

「うん」

「つまらない!」

「うん」

「何で止めないのよ!」

「止めたら怒るじゃん」

「止めなくても怒るわ!」

「知ってる」

「カイエン!」

 

 怒って帰る。

 数日後。

 

「今日は?」

「来たんだ」

「来たわよ!」

「何する?」

「簡単なの」

「じゃあ纏」

「また!?」

 

 だいたい、こんな感じだった。精孔が開いたからといって、急に姉さんが努力を愛するようになるわけではない。

 纏はやる。

 纏が少し安定してきたので、絶も俺から教え始めた。もちろん、ビスケは何も言わない。新しいことを教えるのはあの人の仕事ではないし、俺が教える分には契約に関係がない。その代わり、危ないことをやろうとすれば止まる。そういう約束になっている。

 身体の周りを覆っていたオーラが消える感覚が嫌らしく、最初は三秒でやめた。

 

「嫌」

「早いな」

「寒い」

「実際に寒くなったわけじゃないよ」

「カミィが寒いと思ったんだから寒いの!」

「はい」

「返事が気に入らない」

「どうしろと」

 

 もっとも、嫌がる理由は分かる。絶は、身体を覆っているオーラを内側へ閉じる技術だ。外から見れば、ただ立っているだけ。でも本人からすると、それまで自分を包んでいたものが消える。俺も最初は落ち着かなかった。

 姉さんの場合は、たぶんそれ以上だ。

 この人は生まれてから一度も、自分が守られていない場所に立ったことがない。

 部屋には人がいる。

 外へ出れば護衛がつく。

 欲しいと言えば誰かが持ってくる。

 その姉さんが、自分の意思でオーラを引っ込める。薄着になるどころの話ではないのだろう。

 三秒でも大したものだと思う。

 もちろん、口には出さない。言ったら「当たり前でしょう」で終わる。

 それでも。

 来た日はやる。

 帰る日は帰る。

 来ない日は本当に来ない。

 俺も迎えには行かない。

 その代わり、俺は毎日、同じ場所にいた。

 

 

     ◆

 

 

「じゃ、今日から凝」

「はい」

「その前に復習」

「はい」

「纏」

 

 やる。

 

「絶」

 

 閉じる。

 

「練」

 

 出す。

 

「右肩」

「あ」

「まだ残ってる」

「はい」

「アンタ、その癖しつこいわね」

「八年ものなので」

「自慢すんな」

 

 怒られた。

 ビスケとの契約が始まってから、数ヶ月。独学でやっていた頃とは、自分でも分かるくらい身体が変わっていた。

 強くなった、というより。

 分かるようになった。

 立っている時、どこに力が入っているか。歩く時、どちらの足へ重さが移っているか。殴る時、拳より先にどこが動くか。

 呼吸。

 視線。

 肩。

 腰。

 足。

 今まで全部、自分の身体だった。今もそうだ。

 なのに、前より細かく見える。

 念も同じだった。以前は、纏ができた。絶ができた。練も一応できた。それだけだった。

 今は違う。

 

「目」

「はい」

 

 オーラを集中させる。

 視界が変わる。

 

「肩に逃げてる」

「え?」

「目ぇ頑張ろうとして身体まで頑張ってどうすんの」

「……本当だ」

「もう一回」

 

 やる。

 崩す。

 やる。

 崩す。

 

「もう一回」

「はい」

 

 何度目かで。

 

「まあいいわ」

「お」

「何よ」

「初日で、まあいいわ貰った」

「取り消すわよ」

「すみません」

 

 危ない。

 

 

     ◆

 

 

 凝。

 周。

 堅。

 硬。

 流。

 ビスケは少しずつ、本当に少しずつしか先へ進ませなかった。一つ覚えるたびに、前のものへ戻される。

 凝をやれば、纏が甘くなる。堅を覚えれば、絶の切り替えが遅くなる。どこかを伸ばせば、どこかが落ちる。

 その繰り返しだった。

 周は、意外と面白かった。自分の身体ではなく、物へオーラを纏わせる。最初は木の棒でやった。持っているだけなら簡単だ。

 振ると散る。

 当てると消える。

 

「棒が自分の腕だと思いなさい」

「思ってます」

「思ってない。今、棒の先だけ薄い」

「見えるんですか?」

「見えるわよ」

 

 悔しかったので、それから数日は棒ばかり振っていた。

 堅は、単純に、きつかった。練で膨らませたオーラを、そのまま全身へ留め続ける。言葉にすれば一行で済む。

 やってみると、五分でふらつく。

 

「短い」

「これでも伸びました」

「維持時間を十分伸ばすだけでも、一ヶ月かかるって言われる技よ」

「一ヶ月……」

「それ、才能ある子の話ね」

「先生は?」

「言うと思った」

「教えてください」

「教えない」

 

 教えてくれなかった。たぶん、聞いてもろくなことにならない数字だったのだと思う。

 

「硬!」

 

 右拳へ。

 

「遅い!」

「痛っ!」

 

 脇腹へ蹴り。

 崩れる。

 

「右に集めることしか考えてない!」

「はい!」

「硬は強い! だから弱い!」

「はい!」

「意味分かってんの!?」

「分かってます!」

「なら立つ!」

「はい!」

 

 立つ。

 殴られる。

 また立つ。

 

「極端なのよ!」

「はい!」

「全部集めて、他が空っぽ! そこ狙ってくださいって言ってるようなもんよ!」

「はい!」

「じゃあどうする!」

「流!」

「やれ!」

 

 右。

 左。

 腹。

 脚。

 頭。

 オーラを移す。

 間に合わない。遅れる。読まれる。殴られる。

 

「痛い!」

「痛くしてんのよ!」

「知ってる!」

「口動かす暇あったらオーラ動かす!」

「無茶だ!」

「できる!」

 

 やった。できなかった。殴られた。

 ただ、殴られながら分かったこともある。流というのは、要するに、足りないものをどう配るかという話だった。オーラは無限に湧いてこない。全身を等しく厚くできるなら、そもそも悩まない。できないから、どこかを厚くして、どこかを薄くする。薄いところを殴られれば痛い。だから、殴られる場所を先に知らなければいけない。

 つまり、流が下手なのではなく。

 相手を見ていないのだ、俺は。

 

「先生」

「何」

「これ、オーラの練習じゃないですね」

「今頃気づいたの?」

「はい」

「じゃあ、もう一回」

「はい」

 

 また殴られた。

 

 

     ◆

 

 

 初めて流をまともにやった日の夜。

 俺は床に寝転んでいた。

 

「動けない」

「でしょうね」

「指しか動かない」

「じゃあ指動かしときなさい」

「冷たい」

「自業自得」

 

 身体中、痛い。オーラも、ほとんど残っていない。出せと言われれば出せる。

 でも、たぶん、ろくな量ではない。

 

「今日は終わり?」

「終わり」

「もう一回だけ」

「終わり」

「流」

「終わり」

「纏だけ」

「終わり」

 

 同じ言葉しか返ってこない。

 

「先生」

「何」

「まだ時間――」

「坊や」

「はい」

「休む」

「はい」

 

 目が笑っていない。

 

「返事」

「はい」

「休む!」

「はい!」

 

 怒られた。それから、ビスケが周囲を見る。

 扉。

 窓。

 人。

 

「人払いは?」

「してあります」

「警護は?」

「廊下の外」

「入ってこない?」

「呼ばなければ」

「よし」

 

 何だろう。ビスケが両手を合わせた。

 

「来なさい。クッキィちゃん」

 

 現れた。

 

 

     ◆

 

 

 知っていた。もちろん、知っていた。前世で。

 だから、声が出た。

 

「おお……」

「何よ」

「いや」

「初めて見る顔じゃないわね」

「そんなことないです」

「嘘下手ね、アンタ」

 

 危ない。

 目の前には美容師姿の女性。

 ビスケの念能力。

 魔法美容師。

 クッキィちゃん。

 

「寝なさい」

「はい」

「服」

「脱ぐ?」

「上だけ」

「はい」

「変なこと考えたら殺すわよ」

「十三歳ですよ」

「アンタ時々十三歳じゃないから言ってんの」

 

 酷い。

 言われた通り、横になる。クッキィちゃんの手が身体へ触れた。

 

「……あ」

 

 分かる。

 まず、力が抜ける。

 さっきまで張っていた筋肉が、一枚ずつ剥がされるみたいに。

 呼吸が深くなる。

 身体が沈む。

 

「すご」

「喋らない」

「はい」

 

 気持ちいい。ものすごく、気持ちいい。

 そして、怖いくらい疲れが消えていく。

 

 

     ◆

 

 

 終わった後。起き上がった。

 肩を回す。

 脚。

 腕。

 腰。

 

「……動く」

「でしょうね」

「先生」

「何?」

「もう一回流――」

「やらない」

「早い」

 

 言い終わる前に切られた。

 

「言うと思ったから使いたくなかったのよ!」

「でも回復しました」

「疲労が抜けたの!」

「はい」

「身体が今日一日分、余計に育ったわけじゃない!」

「あ」

 

 声が大きくなる。

 

「筋肉も骨も、オーラも、経験も! 何でもかんでも三十分で倍にできると思うな!」

「思ってません」

「顔が思ってた!」

「ちょっとだけ」

「坊や!」

「はい」

 

 正座した。

 

「便利なものほど使い方を間違えたら駄目」

「はい」

「アタシが使うって言った時だけ」

「はい」

「終わりって言ったら終わり」

「はい」

「回復したから夜中に自主練とかもなし」

 

 黙っていた。

 

「返事」

「はい」

 

 読まれてる。

 ビスケが座り直した。さっきまでの怒鳴り声とは、少し違う調子になる。

 

「坊や。強さって何だと思う?」

「オーラの量?」

「じゃあ、量の多い方が必ず勝つ?」

「……勝たない」

「そうよ」

 

 指を一本立てる。

 

「戦闘力なんてね、環境と体調でいくらでも上下するの」

「はい」

「腹が減ってる。寝てない。怪我してる。それだけで人は弱くなる」

「はい」

「逆に言えば」

 

 ビスケが、クッキィちゃんのいた場所を見る。

 

「実力で負けてる相手でもね。自分が絶好調で、向こうが不調な時を狙えば、けっこう勝てるのよ」

「……あ」

「分かった?」

 

 分かった。

 これは、疲れを取る能力ではない。

 いつ戦うかを、こちらで決められる能力だ。

 

「便利なものほど使い方を間違えたら駄目」

 

 同じ言葉を、もう一度言われた。今度は、意味が違って聞こえた。

 考えてみれば、当たり前の話だった。念能力というのは、たいてい派手なものが強いと思われている。

 殴る。

 斬る。

 燃やす。

 実際、強い。

 でも、どれだけ強い技を持っていても、その日たまたま寝不足なら威力は落ちる。怪我をしていれば動けない。疲れていれば読み違える。

 そこを、片方だけ帳消しにできる。それがどういう意味を持つのか。

 俺は、前世で漫画を読んでいた頃、この能力を「便利だな」としか思っていなかった。目の前で見て、ようやく違うものに見えた。

 

 

     ◆

 

 

「あと」

「はい」

「あの子には見せない」

 

 すぐに誰のことか分かった。

 

「姉さん?」

「そう」

「何で?」

 

 ビスケが、ものすごく嫌そうな顔をした。

 

「何でって……」

 

 それから、俺を見た。

 

「アンタ、本気で聞いてる?」

「一応」

「あの子がこれ見たら何て言うと思う?」

 

 考える。

 

「カミィにもやりなさい」

「そう」

「断ったら」

「何で?」

「そう」

「お金なら払える」

「そう!」

「宝石も」

「そこまで!」

「多分」

 

 ビスケが額を押さえた。

 

「数ヶ月で分かったわよ。あの子、欲しいと思ったら終わりじゃないの」

「始まりです」

「でしょうね!」

 

 知ってる。

 

「でも先生、姉さんの才能、惜しいって」

「惜しいわよ」

「なら」

「それとこれは別」

 

 即答だった。

 

「アタシが契約したのはアンタ」

「はい」

「アンタに何を見せるかは、アタシが決める」

「はい」

「カミーラに何を見せるかも、アタシが決める」

「はい」

「これは見せない。使わない」

「分かりました」

「不満?」

「いえ」

 

 本当に、不満ではない。姉さんが知ったら面倒になる。そこは、俺もよく知っている。

 それに、さっきの話を聞いた後だ。この能力の本当の価値を、王家の人間に知られたらどうなるか。姉さんだけでは済まない。

 軍。

 兵。

 王。

 誰にでも使える。いくらでも払う人間が、この国には山ほどいる。

 

「姉さんが疲れてても?」

「使わない」

「怪我してても?」

「これは怪我を治す能力じゃない」

「それもそうか」

「あと」

「はい」

「便利すぎるものはね」

 

 ビスケが少しだけ声を落とした。

 

「知られない方がいい時もあるのよ」

 

 その時は、ただ。

 

「分かりました」

 

 と答えた。

 

 

     ◆

 

 

 姉さんがそれを見つけたのは、クッキィちゃんではなく、練だった。

 

「なによそれ!」

「あ」

 

 しまった。

 振り向く。

 姉さん。

 入口。

 すごい顔。

 

「いつからいたの?」

「今!」

「なら帰って」

「何で!?」

「今日は見学の日じゃない」

「それ何!」

 

 俺を見る。正確には、俺の身体から出ているオーラを見る。纏より、明らかに多い。

 練。

 

「念」

「知ってる!」

「じゃあ何で聞いたの」

「カミィがやってないやつでしょう!」

 

 そこか。

 

「姉さんにはまだ早い」

「何で?」

「纏と絶が安定してないから」

「してるわ!」

「してない」

「してる!」

 

 これを何往復かやった。

 

「三日前、絶五秒でやめたじゃん」

「あれはカミィがやめたかったからやめたの!」

「同じだろ」

「違う!」

「坊や」

「はい」

 

 ビスケ。

 笑っている。

 嫌な予感。

 

「やらせてみれば?」

「先生?」

「本人がそこまでやりたいって言ってんだから」

 

 姉さんが勝った顔をした。

 

「ほら!」

「ただし」

 

 ビスケがにっこり笑った。

 

「アタシが止めるまで」

 

 姉さんが止まる。

 

「何で?」

「言っとくけど、一回だけね」

「一回?」

「教えるんじゃないわ。今のアンタがどれだけ持たないか、自分で分からせるだけ」

「持つわ!」

「そう。じゃあ確かめましょう」

 

 念を押し始めた。

 

「やりたいんでしょ?」

「やるわ!」

「途中で嫌になっても?」

「ならない!」

「疲れても?」

「疲れない!」

「帰りたくなっても?」

「帰らない!」

「そう」

 

 怖い。

 先生。

 すごく、怖い。

 

 

     ◆

 

 

 二十分後。

 

「まだ!?」

「まだ」

「疲れた!」

「知ってる」

「カイエン!」

「俺に言わないで」

 

 助けを求める順番は、いつも同じだ。

 

「あとどれくらい!?」

「先生」

「続けて」

「だそうです」

「何で他人事なのよ!」

 

 姉さんのオーラが、明らかに弱くなっている。

 練。

 出す。

 減る。

 休む。

 また出す。

 もちろん、本当に危険になるほどはやらせない。ビスケがずっと見ている。止める線を決めているのは、姉さんではなくビスケの方だ。

 

「もう無理!」

「まだ出てる」

「出てない!」

「出てる」

「カイエン!」

「出てる」

「裏切り者!」

 

 酷い。

 さらに、しばらく。姉さんが床へ座った。

 

「もうやらない」

「うん」

「二度と」

「うん」

「絶対」

「うん」

 

 どれも本気で言っている。

 

「カイエンもやめなさい」

「それは無理」

「何でよ!」

「俺の修行だから」

「嫌!」

「俺が?」

「それ!」

 

 練を指差す。

 

「姉さんが嫌でも俺はやるよ」

「カイエン!」

「はい」

「やめなさい!」

「やめない」

 

 姉さんがすごい顔で睨んだ。

 

「嫌い!」

「うん」

 

 帰った。その日は本当に戻ってこなかった。

 次の日も。

 その次の日も、来なかった。

 

 

     ◆

 

 

「クッキィちゃん使わなくていいの?」

「誰に?」

「姉さん」

「使わないって言ったでしょ!」

「覚えてます」

「なら聞かない!」

 

 それでも聞いた。

 

「疲れてたから」

「自分でやりたいって言った結果よ」

「はい」

「それと、あれくらいなら寝れば戻る」

「はい」

「何でもアタシの能力で片づけようとしない!」

「はい」

 

 正論。

 正論なんだけど。

 姉さん、今日も来なかった。庭の隅を見る。

 いつも姉さんが勝手に座る場所がある。石の縁で、日当たりが良くて、こちらから一番よく見える位置。誰かが決めたわけではない。いつの間にかそこになった。

 今日は誰もいない。

 俺は迎えに行かない。

 行けば来る。それは知っている。でも、それをやったら、姉さんが戻ってくる理由は俺のままになる。

 昔そう決めた。決めたのだから、守る。

 守るのだが。

 こういう日は、少しだけ長い。

 まあ、そのうち来るだろう。そう思っていたところで、三日ほど王宮を空けることになった。

 国内の視察。

 王子の仕事だ。

 断れない。

 

「先生、しばらくいません」

「知ってるわよ。予定表くらい見るって言ったでしょ」

「課題は?」

「移動中は纏。夜は絶。あとは寝なさい」

「それだけ?」

「アンタ、放っておいたらやりすぎるでしょ」

「やりません」

「顔」

 

 また顔で判断された。

 

 

     ◆

 

 

 ビスケット=クルーガーは、退屈していた。弟子が三日いない。

 正確には弟子ではなく、依頼人だ。そう思っているうちは、まだ距離が取れている。

 王宮の庭は広く、手入れが行き届いていて、そして石がつまらなかった。敷石も、噴水の縁も、全部同じ産地で、国が金をかけた場所というのはたいてい面白味がない。高いものを買ってきて、綺麗に並べるだけだからだ。

 人間の方も、似たようなものだった。この王宮には驚くほど大勢の人間がいるのに、そのくせ誰も余計なことを喋らない。

 挨拶はする。

 道は譲る。

 用件は伝える。

 それだけ。

 外から来た人間に対して警戒しているわけでもなく、単に、そういう場所なのだ。

 誰が誰の下にいるのか。

 どこまでが自分の仕事なのか。

 全員がそれを把握していて、一歩も外へ出ない。

 ハンターの仕事でいろいろな土地へ行き、もっと荒っぽい場所も、もっと危ない場所も知っているが、それでも、ここが一番息が詰まる。

 仕方がないので、自分の稽古をしていた。誰も見ていない場所で、少しだけ本気を出す。こういう時間がないと、王宮暮らしは息が詰まる。

 だから、足音には気づいていた。止める気もなかった。

 

「あなた」

 

 声がした。振り向くと、第二王子が立っている。

 供も連れずに。

 

「あら。ごきげんよう」

「カイエンは?」

「知ってるでしょう?」

「知ってるわ」

 

 なら聞くな、とは言わない。

 プロなので。

 

「じゃあ、何しに来たの?」

「別に」

 

 少女は――少女、と言っていいのだろうか。自分のことは棚に上げるとして、目の前の子は十三歳で、背丈も声も年相応だ。

 その第二王子は、庭の真ん中まで歩いてくると、当たり前のような顔で座った。ビスケは、それまでやっていた動きを途中で切り上げていた。誰もいない時にやる型と、人がいる時にやる型は違う。

 見られて困るものは、しまう。

 王族相手なら、なおさらだ。

 

「暇だから来ただけよ」

「そう」

「弟がいないから、静かでいいわ」

「そうねえ」

 

 そして、勝手に始めた。

 纏。

 目を閉じて、呼吸を整えて、オーラを身体の周りへ寄せる。ビスケは、その様子を眺めていた。

 止める理由はある。

 まず、契約相手ではない。一年ぶんの時間を売った先はカイエンで、この子ではない。

 次に、面倒を見る義理がない。これは冷たい話ではなく単純に職業上の線で、依頼にないことをやると、いつの間にか依頼が増える。増えた分は、たいてい払われない。長くやっていれば嫌でも覚える。

 さらに言えば、この子は王族だ。しかも、欲しいと思ったものを諦めない種類の王族。一度でも教えれば次は当然になり、当然になったものを断ると、恨まれる。王族に恨まれるハンターは、あまり長生きしない。

 だから、これまで一度もそういう立ち回りはしてこなかった。誰の弟子も取らない、という意味ではない。取ると決めた相手にしか教えない、というだけの話だ。

 断る理由なら、いくらでも並べられる。

 それでも、ビスケは何も言わなかった。目の前で、纏が崩れたからだ。

 崩れて、直る。

 また崩れて、また直る。

 三度目には、崩れる前に戻していた。

 誰にも直されていない。

 自分でやっている。

 この子は数ヶ月前に精孔が開いたばかりで、それも、系統立った修行を積んだわけではない。来たり来なかったり、怒って帰ったり、十分でやめたりしながら、気まぐれに触っていただけ。

 その状態で、これだ。

 ビスケは、長くこの仕事をしている。才能のある子供なら、それなりに見てきた。

 珍しくはある。

 いないわけではない。

 ただ、これは。

 

「……もったいないわねえ」

 

 小さく言った。聞こえなかったらしい。

 良かった。

 惜しい。

 率直に言って、惜しい。

 磨けばどこまで行くか分からない石が、目の前で放り出されている。

 拾いたい。

 拾って、削って、光るところまで持っていきたい。そういう性分なのだ。

 だからこそ、線を引く必要があった。

 ビスケは、頭の中で契約書をめくる。

 教える相手はカイエン。

 教える内容はアタシが決める。

 カミーラに何を見せるかも、アタシが決める。

 ――なら。

 カイエンに教えたところまで。

 それより先は、一言も出さない。

 それなら契約の中に収まる。あの子が弟から教わったものが崩れていたら、直す。新しいことは、教えない。

 自分で決めた線を、自分で確かめた。そこまでやってから、ようやく口を開く。

 

「肩」

 

 第二王子の目が開いた。

 

「え?」

「肩。上がってるわよ」

 

 言われた通り、下ろす。纏が、少し安定した。

 しばらく黙って続けている。そのうち、ぽつりと。

 

「教える気になったの?」

「なってないわよ」

「じゃあ何で言ったの」

「見てて気持ち悪いから」

「……何よそれ」

「そのままの意味」

 

 第二王子は少しの間こちらを睨んでいたが、それから、鼻を鳴らして目を閉じた。

 続けている。

 文句を言いながら、続けている。

 ビスケは、見せてもいい方の型へ戻った。

 この姉弟は、両方とも面倒くさい。弟の方はいくら殴っても翌日同じ顔で戻ってくるし、姉の方は放っておくと勝手に来て勝手に始める。

 そして、両方とも化け物だ。

 姉の方は、自分が特別なのを当然だと思っている。弟の方は、自分たちがおかしいと気づき始めている。それなのに、どちらも態度を変えない。

 片方は疑わないから。

 もう片方は、疑っても続けると決めているから。

 性質が悪いのは、たぶん後者だ。

 

「ねえ」

「何?」

「カイエンはいつ帰ってくるの」

「明後日でしょ」

「遅い」

「アタシに言われても」

「遅いわ!」

 

 怒鳴られた。この国の王族は、どうしてこう理不尽なのか。

 ついでに、もう一つ確認しておく。

 この前の練は、例外だ。あれは教えたのではなく、やりたいと言うから、できないところまでやらせただけ。自分の限界を自分で見るのは、本人の権利だ。

 だが、あれ以上はやらない。次に同じことを言われても、断る。

 線は、引いた場所に置いておかないと意味がない。

 二日後、カイエンが帰ってきた。この日のことは、言わなかった。言えば、あの子は必ず余計なことを考え、姉のために何かをしようとする。それはたぶん、この子にとって良くない。

 どうでもいい嘘はつかない主義だが、聞かれていないことまで言う主義でもなかった。

 

 

     ◆

 

 

「先生、ただいま」

「おかえり」

「何かありました?」

「別に」

「本当に?」

「何よ」

「いや、何となく」

 

 ビスケが、こちらをじっと見た。

 

「坊や」

「はい」

「今の、勘でしょ」

「はい」

「じゃあ、これから禁止」

 

 何を禁止されたのか分からない。

 

「勘がですか?」

「勘で済ませるのが。何が引っかかったのか、毎回言葉にしなさい」

「面倒では?」

「面倒よ。やる?」

「やります」

 

 増えた。

 姉さんは、その日の夕方に来た。何事もなかったような顔で。

 

「遅い!」

「三日って言ったじゃん」

「遅いの!」

 

 いつも通りだった。

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ゴンとキルアは1000万人に一人の才能。すごいという表現。▼だけど100億人に一人だったらもっとすごいよね。


総合評価:1111/評価:7.56/連載:10話/更新日時:2026年10月07日(水) 08:13 小説情報


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