転生先が殺し合いを約束された帝国の第三王子だった件 作:冷やかし中華
取り込めるように努めていきます。
次に俺が苦戦したのは、《円》だった。
「……狭い」
「初めてなんだから当たり前」
「これ、どのくらいですか」
「一メートルってところね」
思っていた十分の一もない。
「一メートル」
「言っとくけど」
ビスケが指を一本立てる。
「それ、まだ円って呼べる広さじゃないわよ」
「え」
「半径二メートル。それを一分保って、ようやく円」
半分も届いていない。
「……届いてない」
「届いてないわね」
届いていなかった。オーラを身体の周りへ広げる。《纏》より遠く、離して、維持する。
難しい。とにかく難しい。
広げた瞬間、輪郭がぼやける。集中が散る。維持しようとすると力む。
「肩」
「はい」
「腰」
「はい」
指摘が上から下へ降りてくる。
「歯ぁ食いしばらない」
「はい」
どこも直っていない。
「呼吸」
「はい」
「全部はいって言えばいいと思ってる?」
「いいえ」
返事をした瞬間に、《円》が切れた。
「円消えてる!」
「あ」
難しい。一週間、二週間。
広げる。崩れる。戻す。また広げる。
ようやく二メートルを超えて、一分保てた日に、ビスケがひとこと言った。
「はい、円」
「今のでですか」
「今のでよ」
何も起きなかった。昨日と同じことをやって、今日は届いただけだ。
「もっと感動的な瞬間かと思ってました」
「毎日やってりゃそうなるの」
そんなものらしい。ちなみに、その日の帰り道で少し計算した。
二メートル。前世で読んだ限り、旅団のノブナガという男が四メートルだったはずだ。
半分。
半分だ。
「……ノブナガ以下か」
「誰?」
背後から声。
「あ」
「誰?」
「知り合いではないです」
前世で読んだ名前だ、とは言えない。
「何で名前が出たのよ」
「何となく」
「怪しいわねえ」
危ない。
◆
距離は少しずつ伸びた。でも、距離だけではあまり面白くなかった。
「先生」
「何?」
「これ」
「何よ」
指で宙に輪を描いてみせる。
「広くするほど薄くなりますよね」
「そりゃね」
ここを逆から考えたら、という話をまだ誰にもしていない。
「じゃあ」
《円》を狭める。
身体の近くへ。そのまま、感覚を保つ。
「狭いまま、もっと濃くできる?」
「……何で?」
「その方が細かく分かりそうだから」
止められなかった。
「やってみれば?」
「はい」
やった。難しい。でも、できない感じではない。
広げる時と逆。外へ逃がさない。
近く。
狭く。
濃く。
そこへ意識を置く。
「……先生」
「何?」
「足の裏」
「何よ」
狭くした分だけ、拾えるものが細かくなっている。
「一歩動いた?」
ビスケが少し黙った。
「動いたわよ」
「分かった」
「そう」
声は普通。でも、何か引っかかった。
次の日。
「先生」
「何?」
「今度、逆やっていい?」
「逆?」
「薄くする」
広げる技術として習ったものを、絞る方へ使えないかと思った。
「円を?」
「はい」
少し間があった。
「何のために」
「もっと遠くまで届くかも」
「昨日、濃くしたいって言ってなかった?」
「両方できた方がいいでしょう?」
ビスケが俺を見る。
「坊や」
「はい」
「アンタ、円を何だと思ってる?」
定義を聞かれる時は、だいたい定義が足りていない時だ。
「オーラを広げて、内側を感じる技術」
「それで?」
「広げ方は一つじゃないのかなって」
黙った。
「違う?」
「……好きにやってみなさい」
「はい」
やった。
広げる。
狭める。
薄くする。
厚くする。
当然、何でもできるわけではない。薄くすれば感覚は荒くなる。広げれば維持が難しくなる。狭めれば近くは細かく分かる。でも範囲は狭い。
当たり前だ。
何かを取れば、何かを捨てる。
その繰り返し。
俺は、それが結構好きだった。
◆
「右、七十」
「はい」
「左、三十」
《流》。
移す。
「遅い」
「はい」
「右、四十」
移す。
「左、六十」
移す。
「腹!」
「あ」
拳。
受ける。
痛い。
「今の何」
「遅れた」
「違う」
考えた時点で、もう遅い。
「考えた」
「そう」
ビスケが拳を構える。
「もう一回」
「はい」
右。左。腹。胸。脚。
何度も。何度も繰り返す。最初は数字で考えていた。
七十。三十。五十。五十。
でも、途中から数字が邪魔になった。
殴られるところへ、必要な分。
それ以外へ、残り。
それだけ。
右腕。拳が来る。集める。受ける。次。脇腹。移す。受ける。
ビスケが速度を上げる。俺も上げる。
右。左。脚。肩。腹。
速い。追いつかない。
でも、前より見える。
拳が来る。
右肩、ではなく。
当たるところ。
そこ。
だけ。
◆
音。衝撃。
俺は立っていた。
「……あれ」
痛い。でも、思ったほどじゃない。
ビスケが俺の肩を見る。
「今、何した?」
「流」
「それは分かってる」
「当たるところに集めた」
場所を言えと言われて、初めて考えた。
「どこに?」
「ここ」
肩。拳が当たった場所。
指二、三本ぶんくらい。
「そこだけ?」
「はい」
「何で」
「その方が残りを他に回せるから」
ビスケが黙った。
「先生?」
「もう一回」
「はい」
来る。
腹。
集める。
外れる。
「痛っ!」
「遅い」
「はい」
「もう一回」
来る。
脚。
間に合う。
「もう一回」
肩。
間に合わない。
「もう一回」
「はい」
何度も。何度も。何度も。
気がつけば夕方になっていた。
◆
「先生」
「何」
「今」
「何?」
見間違いかもしれない。
「一瞬だけ、纏が近くなった?」
ビスケが止まった。
「何の話?」
「先生の」
「アタシの?」
「はい」
受けた瞬間、先生の肩のオーラが先に動いていた。
「何で?」
「さっき俺が肩で受けた時」
思い出す。
ほんの一瞬。
ビスケの身体の周り。
オーラ。
いつもと少し違った。
「身体の近くに寄った気がした」
返事がない。
「違いました?」
ビスケは笑っていた。
顔。同じ。声。同じ。でも。
「戻った」
「坊や」
「はい」
とぼけた。
「何が?」
「今の」
「何のことかしら?」
怖い。
笑顔が怖い。
「先生?」
「今日は終わり」
「まだ――」
話を切る時の先生は、理由を言わない。
「終わり」
「はい」
◆
翌朝。
「昨日のこと」
「はい」
「忘れなさい」
「無理では?」
見てしまったものは、見なかったことにならない。
「じゃあ勘違いだったと思いなさい」
「それも無理です」
「かわいくないわね!」
「すみません」
諦めたらしい。
「あと」
「はい」
「オーラを見れば相手の気持ちが分かるなんて思わないこと」
「思ってません」
思っていた。
「一回当たったくらいで調子乗らない」
「はい」
釘が増えていく。
「人によって癖は違う」
「はい」
「わざと偽る奴もいる」
「はい」
読めたと思った時が一番危ない、という話を昨日もされた。
「念能力者相手なら、気づかせるためにわざと変える奴だっている」
「はい」
「読めたと思った時ほど疑う」
それだけ、少し声が違った。
「覚えときなさい」
「はい」
「じゃあ、今日から観察を課題にする」
課題が増えるのはいつも唐突だ。
「言葉にしろってやつですか」
「あれは勘の後始末。今度は逆」
「逆?」
課題が一つ増える合図だ。
「先に見る。見てから考える。何を見たのか全部覚えて、後で報告」
順番を逆にしろと言っている。
「何を見れば?」
「全部」
「雑では?」
絞り方を先に覚えると、絞った外側が見えなくなる。
「最初は雑でいいのよ。絞るのはそのあと」
「はい」
また増えた。
その数日後だった。
最初は本当に小さな違和感だった。
廊下。いつもの警護。侍従。使用人。
見慣れた人間ばかり。俺はその横を通る。
一人、目が動いた。
俺を見る。
それだけ。
別に珍しくない。王子が通れば見る。
普通だ。でも、二日後。同じ人間が、俺の修行場所に近い回廊にいた。
さらに三日後。ビスケが外へ出た時間に、また近くを通った。
偶然かもしれない。その程度。
だから、何もしなかった。ただ、観察の課題は続けていた。
それだけの話だ。
◆
「先生」
「何?」
「人に見られてる時って、分かります?」
「内容によるわね」
見られている、とは少し違う。置かれている、の方が近い。
「ずっと見てない人」
「何それ」
言葉にすると、途端に曖昧になる。
「見てないのに、見てる人」
ビスケが少し考えた。
「気になる奴いるの?」
「一人」
「捕まえる?」
「やめてください」
この人なら、本当にやる。
「何で」
「大変なことになるから」
「王子様ねえ」
「王子です」
相手がただの使用人なら、話は簡単だ。
配置を変える。担当を外す。理由をつけて別の場所へ回す。
でも、その人間は俺の側が自由に触っていい人間ではなかった。カキン王家では、王妃の序列がものすごく重い。
第一王妃。第二王妃。第三王妃。
下へ行くほど、上には逆らえない。俺の母は第二王妃ドゥアズル。その上には第一王妃ウンマがいる。
王家の警護。王妃付きの人間。王子付きの人間。
全部が誰のものなのか、綺麗に分かれているわけではない。上位側の人間が下位側を見ることもある。
警護。監督。監視。
呼び方は何でもいい。問題は、こちらからその人間を逆に調べようとした時だ。
なぜ調べる。
何を疑っている。
上位王妃に。上位王子に。
何か企んでいるのではないか。
そう取られたら、笑い話では済まない。俺一人の話でもない。
母。姉さん。その周り。全部に飛ぶ。
だから追えない。問い詰められない。捕まえられない。
もちろん、向こうが何か露骨にやれば別だ。でも、見ている。
それだけなら、何もできない。
「面倒ね」
「面倒です」
「追い払うのも?」
「追い払った理由を聞かれます」
追い払えば、追い払ったこと自体が報告になる。
「じゃあ知らん顔?」
「それも嫌」
「どうすんのよ」
「考えます」
「考えなさい」
その日は、それで終わった。
◆
ビスケット=クルーガーは、その夜、部屋で一人考えごとをしていた。
昨日のことだ。
あの坊やに、《纏》の変化を拾われた。顔にも声にも出していないし、出したつもりもない。あれは、拳の速度を上げた一瞬に、身体が勝手に反応しただけで、殴られながら平然と立っている十三歳を見て、ほんの少しだけ、こちらが構えた。
それだけのこと。それを、拾われた。
まったく。教えた覚えのない技を使われるより、よほど気分が悪い。
だからと言って、恐ろしいわけではない。ビスケは長いし、才能のある子供なら、それなりに見てきた。習得が速いだけの子なら、正直、珍しくもない。
問題は組み合わせだ。
初期値が高い。
直されると素直に直す。
直したものを翌日も同じようにやる。
できるようになっても、次へ行きたがらない。
そして、教えた形を自分で作り変え始める。《円》を広げろと言えば、狭めていいかと聞いてくる。
こういう子は、たまに出る。たいていは途中で飽きるか、あるいは、伸びた分だけ増長して足を止める。
この坊やは、たぶん止まらない。十年後も同じことをやっている。冗談で言ったつもりだったが、あれは冗談ではなかったのかもしれない。
――で。
その子が、王族なのだ。
ビスケは寝台へ腰を下ろした。そこが、一番引っかかっている。
昼間の話。見られている、という相談。
あの子は捕まえるなと言った。大変なことになるから、と。
ビスケはカキンの人間ではないし、この国の王妃が何人いようと、どの順番だろうと、正直どうでもいい。どうでもいいが、一年住む場所の空気くらいは知っておきたい。
これは坊やのためではない。自分のためだ。
依頼先の家がどういう構造をしているか分からないまま一年過ごすのは、単純に危ない。崩れる壁の下で寝るようなものだ。
翌日から、ビスケは少しだけ喋る量を増やした。
◆
「あら、お疲れ様。ここのお茶、美味しいわね」
「恐れ入ります」
「アタシ、こういうところ初めてなの。広すぎて迷っちゃって」
初めてではない。昨日、同じ廊下を二往復していた。
「お困りでしたら、いつでもお申し付けください」
「助かるわぁ」
侍女は笑って、それで終わりだった。
次は別の相手。
「ねえ、あの人。背の高い方」
「はい」
「何度かお見かけするから」
「あちらは古くからお務めの方でございます」
世間話の形をしているが、聞いている中身は年数と配属だ。
「へえ。長いの?」
「私が参りました頃には、すでに」
「そう。じゃあアタシなんてまだ新入りねぇ」
「そのようなことは」
それだけ。もう一人。
庭の端で警備に立っていた男に、水をもらうついでに世間話をした。
この王宮は誰が一番偉いのか。答えは決まっている。
では、庭のこの区画は誰の管轄なのか。これも、すぐに答えが返ってくる。自分の仕事の範囲を答えるのは、誰にとっても安全だからだ。
三人目で、ビスケは切り上げた。それ以上聞けば、聞いていること自体が話題になるし、食客が使用人へ根掘り葉掘り尋ねたという話は、たぶん一日で王宮を一周する。
部屋へ戻る。分かったことは、ひとつだけだった。
あの男は、最近来た人間ではない。ずっと前からここにいる。
誰の下についているのか。誰へ何を報告しているのか。
そこは分からない。分からないし、これ以上は踏み込まない。ここから先は、この国の人間の領分だ。
「……なるほどね」
声に出してみた。
つまり、少なくとも、今回始まった話ではない。あの坊やがアタシを呼ぶよりずっと前から、見る側の人間はそこにいた。
何を見ていたのかは分からない。そもそも、見るほどのものがあったのかも分からない。
王宮で育つ、下の方の王子。庭を走り回っている子供。
書くことなど、たいしてなかっただろう。そこへ、外から人間を一人呼んだ。それだけで、報告する内容ができた。
ビスケは、少し笑ってしまった。自分のせいではないか。
「面倒くさい家ねえ」
誰にも聞こえない場所で言った。
この話を坊やへどう伝えるかは、少し考えることにする。全部言えば、あの子は必ず自分の責任だと考える。先生を呼んだから見られるようになった、と。
それは違う。見る側は、ずっと前から見ていた。
順番が逆なのだ。
◆
「坊や」
「はい」
「あの人ね」
「調べたんですか」
「調べてない。世間話しただけ」
世間話で、名前と勤続年数と担当まで出てきた。
「先生」
「何よ」
「それ、調べたって言うのでは」
「言わない」
言い切られた。
「で、何が分かったんですか」
「一つだけ」
「はい」
「あの人、最近来たわけじゃないわよ」
少し、考えた。最近ではない。ということは。
「……前からいた」
「そう」
「俺が先生を呼んだから、送り込まれたわけじゃない」
だとすれば、見られていたのは先生ではなく、俺の方だ。
「そこまでは分からないわ。でも、少なくともあの人は違う」
「……そうか」
思っていたのと、順番が違った。俺は、新しく誰かが送り込まれたと思っていた。だから、原因は自分にあると考えた。
違う。
見る人間は、たぶん前からいた。ただ、報告する内容がなかっただけだ。
俺が外から人を呼んだ。
王子が、妙なことを始めた。
それで、書くことができた。
「先生」
「何?」
「どこへ報告してるかは?」
「分からない」
そこまで踏み込むと、こちらが踏み込んだことが伝わる。
「調べます?」
「調べない」
即答だった。
「そこから先はアンタの国の話でしょ。アタシは食客よ」
「はい」
「それに」
「はい」
そこは、俺も同じことを考えていた。
「聞きすぎると、聞いてること自体が報告されるわ」
その通りだった。
考える。
相手が誰へ報告しているかは分からない。
第一王妃。その側近。第一王子。第一王子の周辺。
途中で誰かに止まるかもしれない。全部行くかもしれない。
分からない。なら、行くものとして考える。
「見せます」
「は?」
「見せていいものを」
ビスケが黙った。
「追い払ったら、次はもっと分からない人が来るかもしれない」
「まあね」
「今いる人なら、いるって分かってる」
「それで?」
見える場所に置いておく方が、見えない場所へ移られるより安い。
「普通の修行は見せる」
「普通の?」
「走る。体術。受け身。危機管理。そういうの」
ビスケが先を促す。
「念は?」
「見せない」
「クッキィちゃん」
「絶対見せない」
一度しくじっている。
「そこは学習したわね」
「先生が怖かったので」
「誰が怖いって?」
「何でもないです」
危ない。
「つまり」
「はい」
「見せたいものだけ見せる?」
「できれば」
嘘をつかずに隠す方が、長く保つ。
「嘘は?」
「つかない」
「何で?」
「嘘がばれたら、その後全部疑われるから」
ビスケが俺を見る。
「坊や」
「はい」
「アンタ、そういうの誰に習ったの?」
習ってはいない。十三年ここで見てきただけだ。
「王子なので」
「またそれ?」
「便利なんです」
王子なので、で押し切った回数を数えたことはない。
「便利に使いすぎよ」
「じゃあ何て言えば」
「知らないわよ。自分で考えなさい」
困った。
◆
そこから、修行場所を少し変えた。隠したわけではない。むしろ、見えるところでやる日を増やした。
走る。
転ぶ。
殴られる。
受け身。足運び。
武器の扱い。
普通だ。王子が、外から呼んだプロハンターに、身体と実地的な技能を教わっている。正式な契約通り。それ以上でも以下でもない。
念は場所を変える。時間をずらす。人を外す。
クッキィちゃんは、さらに、俺とビスケしかいない時だけ。
何も嘘はついていない。《隠》を覚えたのは、ちょうどその頃だった。
「見えないようにする」
「はい」
「消えてるわけじゃない」
「はい」
隠すのは、消すこととは違う。
「凝で見られたら?」
「見つかる」
「そう」
オーラを隠す。ある。でも、見えにくくする。
最初は妙な感じだった。《絶》とは違う。
閉じていない。出ている。ある。
それを隠す。
「できた?」
「全然」
「でしょうね」
薄くするだけなら簡単だ。薄くしたまま形を保つのが難しい。
「難しい」
「簡単なら困るわよ」
やる。何度も、やる。少しずつ、輪郭が薄くなる。
「先生」
「何?」
「全部隠さなくてもいい?」
「どういう意味?」
隠す範囲を選べるなら、見せる範囲も選べる。
「ここだけ」
右腕。そこだけ隠す。
「……何で?」
「全部消そうとすると難しいから」
全部を一度にやろうとして、毎回崩れていた。
「最初はそれでいいわよ」
「あと」
「まだあるの?」
「見せるところと隠すところ、分けた方が使いやすそう」
ビスケが俺を見る。
「たとえば?」
「攻撃する方だけ隠す」
「それは普通にある」
「逆は?」
弱く見せる方が、使い道が多い気がした。
「逆?」
「弱い方だけ見せる」
少し、間。
「……坊や」
「はい」
「アンタ、最近性格悪くなってない?」
半分は本当だ。
「先生の教育では」
「アタシのせいにすんな!」
怒られた。でも、覚えた。
見せる。
隠す。
全部を隠す必要はない。
全部を見せる必要もない。
念でも、人でも、たぶん同じだった。
◆
「カイエン」
「何?」
「今度、港の倉庫を見るの」
姉さんが、珍しく自分から公務の話をした。
「視察?」
「そう」
「誰と?」
「いっぱい」
本当に把握していない。
「雑」
「偉い人たち」
「もっと雑」
「知らないわよ。ついてくるんだから」
そういうものか。
「何見るの?」
「倉庫」
「それは知ってる」
「荷物」
聞かれる前に答えると、先に不機嫌になる。
「それも」
「カイエン、うるさい」
「ごめん」
考える。ビスケに少し前、似たことを教わった。
仕事で使う場所を見る時。正面だけ見るな。案内される場所だけ見るな。
人が見せたいところと、実際に使われているところは違うことがある。
「姉さん」
「何?」
「搬入口見た方がいいよ」
「搬入口?」
表の倉庫は、見せるために整えてある。
「裏」
「汚いでしょう?」
「多分」
「嫌」
「でも、荷物ってそこから入る」
姉さんが黙る。
「正面は姉さんが来るから綺麗にする」
「当然でしょう」
「裏は?」
答えはなかった。少しの間、姉さんは俺を睨んでいた。
「あと、帳簿見るなら、数だけじゃなくて搬入の時間」
「何で?」
「詰まってたら分かるから」
「何が?」
自分でもまだ、何が分かるのか説明できない。
「何か」
「雑!」
「俺もまだ習ってる途中だから」
「先生に?」
「うん」
これは嘘ではない。
「ふうん」
姉さんが少し考えた。
「カミィが見る」
「うん」
「言われたからじゃないわよ」
「はい」
そういうことにしておく。
「カミィが見たいから見るの」
「はい」
「返事が気に入らない」
「難しいなあ」
◆
数日後、報告を聞いた。姉さんは本当に搬入口を見たらしい。しかも、案内役が止めたのに。
「カミィが見ると言ったでしょう」
で押し切った。さすが。
そこで、帳簿と実際の搬入記録に小さな食い違いが見つかった。横領ではなかった。書類の処理と現場の受け入れ時間が合っておらず、一部の荷物が無駄に長く置かれていた。そのせいで、別の搬入が詰まる。
小さな問題。でも、毎日積もる。
姉さんは担当者を呼んだ。直せ、と言った。
終わり。数日で改善されたらしい。
「第二王子殿下は、現場の細部までよくご覧になっておられる」
そんな声が、どこかから聞こえてきた。
俺は。
「そっか」
とだけ答えた。
◆
「アンタでしょ」
「何が?」
「倉庫」
ビスケ。
ばれた。
「姉さんが見つけました」
「そういう話してない」
先生は俺の顔を見たまま動かない。
「俺は搬入口見た方がいいって言っただけです」
「それを言ってんのよ」
何を怒られているのか、まだ分かっていない。
「でも見たのは姉さん」
「で?」
「直せって言ったのも姉さん」
「で?」
「姉さんの成果では?」
ビスケがじっと俺を見る。
「何ですか?」
「アンタ、自分が褒められるの嫌い?」
「別に」
「じゃあ何で、いちいちお姉ちゃんに渡すの」
渡したつもりはない。ただ、その方が通りがいい。
「渡したつもりはないです」
「はい嘘」
「本当に」
「半分嘘」
言い返せなかった。鋭い。
「俺がやったって言う必要あります?」
「ないわね」
「じゃあ」
「必要がないのと」
ビスケが俺の額を指で弾いた。
「自分から消すのは別」
「痛い」
「聞いてる?」
扇子で額を打たれた。
「はい」
「人に譲るのはいい」
「はい」
ここまでは前にも言われた。
「人を立てるのもいい」
「はい」
「でも」
指。もう一回。
来る。
避けた。
「お」
「避けるな!」
「修行の成果です」
「そういう時だけ使うんじゃない!」
理不尽。
「とにかく」
「はい」
「自分を消す癖はつけない方がいいわよ」
「消してません」
「今はね」
それだけ。ビスケは次の課題へ移った。
◆
俺は、自分を消しているつもりなんてなかった。姉さんが評価される。
それでいい。
俺が評価される必要は、別にない。むしろ、少し困る。
こちらを見ている人間がいる。なら、第三王子が外部からプロハンターを雇い、妙なことを始め、独自に力をつけている。
そう見えるより。
第二王子と仲の良い弟が、外で覚えたことを姉へ話している。その程度の方がいい。
ただし、姉さんまで目立ちすぎても困る。誰へ届くのか分からない以上、第一王子にだって警戒されかねない。
上げすぎるな。下げすぎるな。俺も出るな。でも、弱くも見せるな。
「……難しいな」
「何が?」
「政治」
「十三歳が言う台詞じゃないわね」
言いかけて止められる。
「王子な――」
「それ禁止」
「まだ何も言ってません」
「言おうとしたでしょ」
「はい」
封じられた。
その日の修行。《流》。
ビスケの拳が来る。
右。集める。受ける。
左。移す。受ける。
腹。少し遅れる。痛い。
「もう一回」
「はい」
《円》。広げる。狭める。
感覚。足音。呼吸。気配。
《隠》。見せる。隠す。
《流》。動かす。残す。
必要なところへ、必要なだけ。
「坊や」
「はい」
「今、何考えてる?」
「オーラ」
半分は本当だ。
「本当に?」
「あと姉さん」
「でしょうね」
「何で分かったの?」
「顔」
やっぱり。
俺はまだ、先生ほど上手く隠せない。
数ヶ月前。
俺は、《纏》が長くできる。《絶》ができる。《練》も一応できる。
その程度だった。今、できることが少し増えた。
《凝》。《周》。《堅》。《硬》。《流》。《円》。《隠》。
もちろん、全部まだ下手だ。ビスケと比べれば話にならない。《円》だって、ようやく二メートル。
《流》だって殴られる。
《隠》も《凝》で見つかる。
それでも、前よりオーラが分かる。
自分の。相手の。
広げる。狭める。集める。
動かす。隠す。見せる。
そういうことが、前より少しずつできるようになってきた。そして、たぶん、念だけではない。
見せない方がいいものがある。隠した方がいいことがある。でも、全部隠せば、隠していることが見える。
だから、見せる。
見せてもいいものを。
隠す。
隠さなければならないものを。
俺はまだ十三歳だった。政治なんて分からない。王になる方法も知らない。姉さんを王にする方法なんて、もっと分からない。
ただ、ひとつ思った。俺が前へ出なくても、結果を残す方法はあるのかもしれない。
それなら、悪くない。俺は昔から、前に立ちたいわけではなかったから。
◆
「坊や」
「はい」
「纏」
「はい」
呼ばれる順番が、半年前と一つも変わっていない。
「右肩」
「まだ?」
半年かけて、まだ残っている。
「まだ」
「しつこいなあ」
「アンタがね」
毎日ここから始まる。
「はい」
「流」
「はい」
「円」
「はい」
一つずつ呼ばれて、一つずつ戻される。
「隠」
「はい」
「全部最初から」
「はい」
声が少しだけ変わる。
「今日できたからって、明日できると思わない」
「はい」
「十回できたからって、百回目もできると思わない」
「はい」
答えは決まっている。
「できなくなったら?」
「戻る」
「どこへ?」
「基礎」
ビスケが少しだけ笑った。
「それだけ忘れなきゃいいわ」
「はい」
「じゃあ、もう一回」
「はい」
もう一度。纏う。広げる。狭める。動かす。隠す。
同じことを、また最初から。先生との契約が終わるまで、残された時間は、もうそれほど長くなかった。
朝起きて一番嬉しかったことは、前話で厚かましくもおねだりしたら、本当に(高)評価をいただけたこと。
赤バーありがとうございます!
引き続き毎日更新(日曜日定休)で頑張ります。