タイムループ能力者の最後の一周 作:クイヤ
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扉を抜けた先は現実とは異なる世界に繋がっていて、そこでは常に偽物の月が浮かんでいる。
何十回何百回の周回を経て、世界を繰り返すたびに何百回も扉を潜ってきた稲葉の固定観念は、ゆっくりゆっくりと育まれてきて、そして打ち壊された。
扉を抜けた先は校舎の屋上。
だが、そこに浮かんでいるはずの月は見えなかった。
「わっ、雨降ってるじゃん! ってか、こっち側でも雨降ることあるんだねぇ」
「――いや、俺もこんなの初めてだ」
銃を構えて油断なく周りを見渡すが、周囲に敵は見えない。
小雨程度だが今も止むことなく降り続き、一面の雨雲が空を覆っている。いつもなら眩しいぐらいに照らしてくれる月影はない筈なのに、不思議と周囲は明るく照らされていた。
何か嫌な予感がする、もしや俺を狙って誘い込まれた?
精霊ではなく個人を狙い撃ちなんてありうるかわからないけれど、その知能はあるとも思えず、基本的には見敵必殺であったから恨まれる記憶がない。
だが、それならば即刻撤退するべきだろう。
カウンターを狙われるというのは、それを可能にする力量が存在するということなのだから。
「九条、盾を構えろ。このまま撤退するぞ」
彼女からの返事はなかった。
その代わりに背後から水溜りに重量物を落とすような鈍い音が響いて、咄嗟に前へ飛び退く。
振り返れば、人影が扉の横に降り立つ所だった。
距離はまだ遠い。九条は意識を失って床に倒れ伏しているが、外傷があるようには見えなかった。
何をされた? 遠距離からどうやって意識を刈り取れる?
不明だ、何もかもわからない。
だが、身体は自然と動き始めていた。
「動くな、そこで手を上げろ」
その人影は、ぴたりとそこで足を止めた。
確かに稲葉の言葉は理解している、けれども降参する気配を見せる様子もない。
その代わりにフリルのついた傘を、機嫌よくくるくると回している。
「こんな雨の降る夜にご機嫌よう、稲葉さん」
「ああ、こんばんは誰かさん」
そいつは黒い和服を身につけていた。
正確に言えば喪服なのかも知れないけれど、その違いが稲葉にはわからない。それとら対照的に髪は汚れなく純白に染まって輝いて見えている。
思わずゾッとするほどの美しさ、夜中に出くわしでもすれば生者ではないんじゃないかと勘違いしてしまうだろう。
この世のものではないと思うのだ。
本当にこんなものが目の前に存在しているのか、触れば霞の如く消えてしまうんじゃないかと恐れを抱くぐらい、そんな稀薄な気配を醸していた。
残念なことに、稲葉には心当たりが一ミリもない。
十中八九敵だろうと当たりをつけていた。
「で、誰だ? お前は」
「ああ、稲葉さん! 私のことがわからないんですか!?」
異形は言葉を介さない、そもそもこちら側と会話をする必要がないから。しかし彼女は人の言葉を話している。それも言葉だけを真似た形だけのものではなく、ちゃんとなりたっているように見える。
だが、わからない。
間違いなく九条の意識を奪ってきたのはあいつだ。
「私ですよ。わ、た、し」
「!?」
意識を一瞬九条に逸らした瞬間、過程を飛ばしたかのように目の前にそいつが現れていた。咄嗟に稲葉がガードを固めた瞬間、その腕に振り翳した傘が叩きつけられる。
骨が軋む音が聞こえた気がした次の瞬間、勢いよく吹き飛ばされる。
能力のスイッチを入れた瞬間、雨粒が見えるまで世界のスピードが落ちだ。冷静に状況を追いかける。戦闘に差し支えのある傷はまだない、けれども鈍い痛みが腕に残っていた。
咄嗟に防がなければ、間違いなくただでは済まなかっただろう。半分自分から飛んだとは言え、とてもそこらへんの女子供に軽く殴られるレベルの衝撃ではなかった。
柵に向かって飛ばされる稲葉を追いかけて、既に着物の女が後を追っているのが視界に映っている。
この数瞬のやり取りを経て、稲葉の行動はもう決まっていた。
再び世界は回りだす。
稲葉は落下防止の柵叩きつけられるより先に、思い切りそれを飛び越えた。宙に浮いていたのも束の間、すぐに重力に惹かれて落下を始める。
飛び降り自殺なんてものではない、この程度の落下であれば耐えられると踏んでいるからこそ。
地面に着地をした瞬間、咄嗟に飛び退る。
上を見上げる暇もないことを稲葉はわかっている。
それを証明するかの様に衝撃音が響く、コンクリートを貫いて先ほどまでいた地点に彼女が居て、隣に傘が突き刺さっていた。
「凄い、凄いですよ、稲葉さん!!」
「何でお前は俺のことを知っている!?」
稲葉の選んだ逃走経路は、間違いなく功を奏していた。
有利と不利が逆転する今、距離を稼いだこの瞬間に拳銃を構えて引き金に指を掛けた。
だが、彼女は傘に拘泥せずにその場から飛び退いた。
動揺が一瞬で驚愕に変わる。
一度も弾丸は発射されない、発射したところで命中しない。
射線のラインが見えるかの様に、一度も相手に触れないのだ。正しく死線が見えているが如く、ひらりひらりと躱されて次第に距離が詰められる。
能力は当然使っている、それでも無理なのだ。
稲葉の目の前に彼女が立っていた。
気が付けば新しく傘を携えて、こちら側の勝ちを暗に主張している。たしかに拳銃はもう意味をなさない至近距離、もう瞬きすれば命を落としかねない絶死の間合いに何気なく入り込まれてしまった。
手加減できるだろうか、俺は。
間合いに入り込みつつも、にこやかに微笑むばかりの彼女を置いて内心に問いかける。
無理に決まってる、答えはすぐに出た。
「……お前は誰だ」
「そうですねえ、稲葉君が私に勝ったら特別に教えてあげますよ」
「そうか、あの世で教えてもらおうか」
稲葉は、近接格闘戦が出来ないわけじゃない。
標識を振り回しているのは、なるべくリスクを落とすため。尚且つ武器の間合いは力になるとわかっているからこそ、あれに好んで使っているだけなのだから。
横薙ぎに振り払った傘を目の前で見切り、一息で懐へと踏み込んだ。今度は逆に距離を取ろうとするが容易くは逃さない。
ガクンと何かに引っ掛かる様に体勢を崩れる。踏みつけられた足が彼女を地面に縫い付けていた。
これで詰み、渾身の右ストレートで頭を撃ち抜いた。
「女の子の顔を殴るなんて酷いよ稲葉くん!!」
「……バケモンが」
間違いなく有効打になるはずの一撃、少なくともこちらのターンは継続するだろうと思っていたのに。交差の瞬間、彼女は怯まずに傘を切り返し振り戻していた。
モロにくらった拳で仰け反りながらも、カウンターが稲葉の脇腹に突き刺さっている。
側から見れば大した威力でもない様に思えただろう。
体制を崩してまともに力の乗ってない、子供が癇癪で振り回したみたいな素人みたいなスイングだと。
稲葉の内臓が悲鳴を上げた次の瞬間、世界が右へと吹き飛んだ。
校舎に叩きつけられなかったのは数少ない幸運だった、窓ガラスを勢いよく突き破り、廊下まで転がっていく。
痛みに喘ぐ体を叱咤し、すぐさま起き上がる。稲葉目についた消火器を咄嗟に手に取った。
「まさか、これで目潰しのつもり?」
散布された消化器の煙をものともせず、彼女は教室へと踏み込んだ。傘を一度強く振るだけで、煙幕は容易く晴れる。
だが、視界が晴れた先に稲葉の姿は見えなかった。
「あれ、稲葉君どこいったの?」
耳を澄ませば、廊下を遠ざかる足音が微かに聞こえる。
状況が悪すぎると見て一度退却したのだろうか?
少しだけ考え込む様子を見せたが、このまま後を追うよりもいい案を思いついたとばかりに彼女は手を叩いた。