タイムループ能力者の最後の一周 作:クイヤ
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九条は無事だろうか、廊下を駆けながら稲葉は考えていた。
不意を打たれなければ互角以上の戦いに持ち込めていたというのは、たらればの話ではある。だが、そう考えざるを得ない程のミスだった。
守りだけならば恐らく稲葉と互角だろう。ただ、欠点は攻めの引き出しがないだけ、稽古では圧倒できているがそこさえ改善すればいい勝負に持ち込めるという見込みがあった。
そして、二人掛かりなら攻めと守りを分担できる。つまりは九条の欠点を稲葉がカバーすることができる。
背後から追ってくる気配がない事には、稲葉もとっくに気がついていた。
当てが外れて、思わず舌打ちが出る。
素直に俺を追ってくれれば良かったのに、そうしないだけの理性がある。
真っ当に戦う必要はない、そう見切りをつけていた。
ここで無駄にリスクを冒してまで勝負に付き合うより、後々の禍根になろうとも、相手の土俵から降りるにも悪くはない。
特に、九条という守るべき存在がいる中では。
相手が稲葉の後を追ってこない、そして九条の存在、そこから導き出される最悪の想定が一つある。
九条を人質にする、そういう可能性。
そうなったら、もう逃げられない。
相手の要求が何かわからない以上、どう話が転ぶかわからないが。例えば相手が稲葉の命を要求するのならば、迷いなく稲葉は自分の頭を吹き飛ばして時間のループを図るだろう。
だが、それ以外のパターンであるならば、次回の周以降に活かすためにとにかく情報を集める必要がある。
職員室に飛び込んで、必要な道具をかき集める。最低限の装備はどこでも揃えられるが、ここなら特に探しやすい。
目についた道具を数本見繕ってポケットに詰め込む。
そもそも、あいつの正体は何なのだろうか?
いままでの周回に置いては全く見覚えのない新しい登場人物。なのに、稲葉の名前をちゃんと知っているのが不可解だった。
だが、正体に関しての予測はついていた。
例外につく例外が続いているけれども、そのうちの雨という要素。この世界に大幅な影響を及ぼす存在が一つだけいることを稲葉は知っている。
精霊。
稲葉は人型の精霊を何度か見たことがある。己に手を貸してくれた存在ではあったが、人の肩を持ったそれは発光体のそれとは段違いの力を発揮しうる。
それこそ、世界のルールを書き換えられる程の力を持っている。
しかし、あいつは俺に対して殺しにかかることもなかった。今回の仮称精霊に関してはあまりにも様子が違いすぎる。
恐らく、なりふり構わないのであれば稲葉であれば殺すこともできるだろう。だが、本当に手を掛けてしまえば現実世界の学校に甚大な被害を齎しかねない。
どうすればいい?
答えはどうしたって見つからない。
それでも稲葉は、再び走り始めることしかできない。
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「早くきてくれないかなぁ、稲葉君」
九条は意識を取り戻した時には身動きが取れない状況に陥っていた。両腕は共に縫い付けられたかの様にピッタリと柵に張り付いている。
あの瞬間、何が起こったのかはわからない。気が付けば意識が闇に飲み込まれて、雨水の冷たさに意識を取り戻したらこの状況。
恐らく下手人は少し離れた位置で傘を差している和服の女だろう。
言葉は通じる、だから恐らく人間だろうと九条は推測していた。
人間同士で争う理由はわからない、けれども彼の名前を知っているから恐らく関係者。
迷惑ごとに巻き込まれたのかも知れない、けれどもあいつを憎む気持ちは一切なかった。
ただただ、自分の無力さが恨めしいだけ。間違いなく稲葉の足を引っ張っているという自責の念を九条は抱えていた。
何か助けはないかと周りを見渡すが、頼りになりそうなものは何もない。だが、一番初めに扉を抜けてきた時と屋上の風景は一変していた。
周り一面に、恐らく和服の女が持っているであろう傘が何本も突き刺さっている。
これが彼女の能力だろうか?
一度も戦闘を見ていないが、なんとなく違う様な気がした。少なくとも自分が意識を失った時に受けた攻撃は、傘で頭をしばいたとかそういう生易しいものではない様な気がする。
「屋上の扉は変化して不通。かわりに屋上に繋がる非常階段はあるけれどここからくると見当をつけられて待ち構えられたら……んふっ、絶体絶命じゃない?」
鈴をコロコロと転がすような声で囀っているのが酷く不快だった。視線に怒りを乗せて睨み付けていると、それに気がついたのかクルリとこちらに振り向いた。
「ねえ九条さん、貴方はどう思う? 彼はどこからくると思う?」
「……あんた、なんで私たちの名前を知ってるのよ」
「そんなのことどうでもいいことじゃない。あと、あらかじめ忠告をしておくけどあまり暴れないほうがいいわ。気を付けてるけれど、何かあればスパッと手が切れるかもしれないから」
その言葉を聞いて、思わず九条は動きを止めた。
私はどういう拘束をされている?
動かない両腕を確認するが、やはり何も見えない。
何をされているのかわからないのが一番まずい、とにかく情報が足りない。怯えを隠して九条は女に言葉を投げ掛けた。
「あんた、何が目的でこんなことをしてるの?」
「ねえ、稲葉君って格好いいと思わない? きっと稲葉君は貴方のことを助けにくるわ。何でもないことのように、当たり前のように」
会話が成り立っているようで、どうにも一方通行。
気が付けば和服の女は九条の目の前まで近づいていた。意識を逸らしたつもりはないのに、喉先に傘が突きつけられている。
思考の空白、断絶した力の差に思わず惚けているうちに切先で顎を上げられた。
「それってさ、ずるいよ。あなた一人で彼を独占するなんて贅沢すぎる、だから私も遊んでもらおうと思ったの」
「……あんた」
少しだけ、その言葉に何か既視感を感じたような気がした。目の前の女には見覚えがないのに、どこかでその言葉を聞いたのだ。
それを記憶の底から探ろうとした瞬間、激しい衝突音が下の方から響いて咄嗟に顔を上げた。
和服の女も、それを聞き逃すはずがなかった。ただ、それでも動こうとはせずに三日月のような笑みを浮かべている。
「ああ! 来たわ、来てくれるのね稲葉君!」
続け様に何度か校舎に何かを撃ち込むような複数の衝撃が響く。鳴り止んだと思えば和服の女は傘で空を切り、それに弾かれてポールのようなものが力無く地面に転がっていく。
気が付けば、屋上に人影が一つ増えていた。いつもの標識を携えて、なんでもないかのようにそこにいる。
「第二ラウンドと行こうか」
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できれば、不意打ちで勝負を決めたいところだった。余裕のある表情を取り繕いながら、稲葉は周りを見渡した。
九条は意識を取り戻している、特に外傷は問題なさそうだ。
和服の女に関しては、不意打ちで投げた標識の柄の半分を叩き落として、油断なくそのままこちらの様子を伺っている。
屋上一面には戦闘の下準備だろうか、傘がいくつも床に突き刺さっているのが警戒するべき点だろう。
能力が終わり、時間が動き始めるとすぐに女が口を開いた。
「不思議不思議! ねえ、どうやってここまで上がってきたの!? 非常階段ぐらいしか経路はないはずなのに、稲葉君の上がってきたそこって階段もないでしょう!?」
「……さあな」
ネタバラシをすれば、標識を校舎の壁に複数叩き込んだのだ。それを足がかりに屋上へ飛び込んできただけのこと。
このまま対話で何とかできればいいが、気迫からなる圧力は次第に増していた。これが臨界点に達した時、雪崩を打つように状況は一変するだろう。
もう、この流れは稲葉に止められない。
どうしたって押し通るしかないだろう。
「その通行止めの標識は何!? なんか意味あるの!?」
「意味は無いよ、駐輪禁止だろうとスピード制限だろうと同じように振り回せればなんでもいいんだ」
いつもと違う点は一つ、先ほど投擲に使った柄の部分の量だけ短くなっているということ。
異形との戦闘においては安全圏をとるために、稲葉はいつもは長尺で使っている。それに駆け引きのいらないことがほとんどであったから、その射程を有効に押し付けれることが出来た。
だが、今回に関してはそうもこうも言ってられなかった。自分の安全圏を切り捨て、リスクを背負って戦わなければいけない相手だ。
結局、この標識部分おおよそ60cmが有効範囲なのだ。ポールの部分がいくら長くても有効な攻撃に至らない。
近距離戦に持ち込んで拘束する。
勝利条件を叩き込んで、稲葉は動き始めた。
愚直に突っ込んだ稲葉に対して、精霊は傘を咄嗟に広げてみせた。目隠し、警戒と脳裏に文字が踊る。
それでも踏み込みは止まらない。そのまま障害物を振り払った先、目前に傘先が迫っていた。だが、致命傷ではない。緩やかに進む時間の中で首だけを捻り背後へ攻撃を逸らした。
血の匂いがする。
雨の冷たさにかき消されず、頰に一筋燃えるような感触があった。傘を抜けた先に彼女の姿はなく、また先程の距離をキープした位置に移動していた。
恐らく傘を槍投げの要領で飛ばして、すぐさま距離を取ったのだろう。この傘の行列は確かに狩場としては効率的に思えた。
どこぞの足利将軍かよと頬が引き攣るが稲葉は怯まない。
対策は既に思いついていた。
再度、遮二無二突っ込む。
同様に傘を広げられるが構わない、懐から職員室から掻っ払ってきたボールペンを投げつける。
雨を切り裂いて傘を貫き、ふらりと傘が揺れるのを見てそのまま突っ込む。
今度は傘の投擲はない、逃げることもできずに傘と標識で鍔迫り合いに押し込まれている。彼女の肩にはボールペンが痛々しく食い込んでいた。
「女の子の体を傷つけるなんて、最低だよ稲葉君」
「手段を選べる状況じゃないから、なッ!」
ふっと力を抜いて均衡を崩す。
バランスを崩して蹌踉めく胴体に向けて、躊躇なく蹴りを叩き込んだ。
景気よく吹き飛ばされるも、稲葉には手応えがない。
案の定、すぐさま体勢を立て直し起き上がってみせた。
この程度なら、間違いなく勝てる。
移動することなく、傘の投擲を標識を切り捨てながら稲葉は確信した。問題はどういう風に詰みまで持っていくか。
一瞬の閃き。傘を携えて猛然と突っ込んでくる精霊を見て、稲葉は手近にあった傘を手に取った。
「お返しだよ」
勢いよく開く傘に、視界が塞がれる。
しゃがみ込み、稲葉は一気に跳躍した。
一瞬遅れて、精霊が傘を吹き飛ばして突っ込んできたが、稲葉の姿を見失い硬直する。
これが決めどころ、懐から一気にカッターを4本引き抜いて片手で投げつける。
ようやく上だと気づいて、空を見上げつつあるけれどもう手遅れ。
咄嗟に腕を振り払ったが、幸運にも弾けたのは一本。それ以外は狙いを過たず、右足と胴体、右手に突き刺さって苦痛に歪むのが見えた。
罪悪感を胸に湧き上がるが、それを押し殺す。
そこから、もう一歩も動かせない。
精霊は地に伏していた。稲葉はその右肩を踏みつけ、首元には標識を突きつけている。
「これでチェックメイトだ」
「ちょっと稲葉君、流石に強すぎるんじゃないかな……」
呆れたように彼女は苦笑していたが、稲葉に抜かりはなかった。
無理にでも逃げようとすれば、振り払われるより先に早く首は落とせるだろう。
その覚悟を稲葉はとっくに済ませてきた。たとえこいつが本当に精霊だとしても、それを割り切って見せる。
未知の相手に対して、これ以上はリスクを犯せないのだ。例え犠牲を負ったとしてもそれを次回以降の糧にするかしかない。
まだ、屋上には雨が降りし切っている。
「……何が目的だ」
「私はね、稲葉君と遊びたかったの。ずっとずっと一緒に居たかった」
「そう思われる心当たりが俺にはない」
「薄情ものね」
呆れた様子で目を逸らされるが、足に力を込める。
こいつは何を知っている、俺は何を見落としている?
必死に感情を読み取ろうと探るが、彼女は絶体絶命の窮地だというのにまだ余裕があるように振る舞っていた。
「もう二度と俺たちに関わるな、今度向かってきたら手加減抜きでお前のことを殺す」
「それはいやよ。だって私、まだ負けてないもの」
「この状況でどんな口を」
どうしたって、今のこの状況は必敗にみえた。
稲葉が少し標識を押し込むだけで容易く首は切り落とされるのだから。この拘束を振り払う、それを覆す手段はどこにあると言うのか。
「それじゃ、第二ラウンドといきましょうか」
次の瞬間、彼女はごぽりと血を吐き出した。
稲葉は何もしなかった、ただ標識を動さず首元に突きつけていただけ。なのに今、その標識は彼女の首の半分以上へ食い込んでいた。
俺が誤って突き出したわけではない、ただ彼女が首を差し込んだ。その状況を飲み込むのに大した時間はかからなかった。
自殺、稲葉の頭にそんな考えが頭をよぎる。
だが、ここまでの重傷をどうやって対処する?
この周回において傷を治す特別な手段はない。
もし小春が能力に目覚めているのであれば、彼女の力を使い治療することはできたけれども、彼女はこちら側のことをまだしらない。
取り返しのつかないことをしたと言う罪悪感があった、稲葉はどこまで行っても非情になりきれない。
だから、咄嗟に標識を引いてしまった。もう治らないというのならば首を落として終えば良かったのに、その選択肢を選び損ねた。
気が付けば踏みつけた足も緩んで、拘束はすっかり緩んでいた。
その時、斬という音が聞こえたような気がした。
「……あ?」
カランという標識が床を転がるような音が響いた。
意識がまったく追いつかない。思わず引いてしまったとは言え、武器を取り落とすほど動揺しているはずがないのに。
けれども実際、標識は地面を転がっていた。
標識と一緒に、稲葉の右腕も仲良く転がっている。
現実を認識した瞬間、視界が激痛で真っ赤に染まった。
本能が警鐘を鳴らしているけれども、体が言うことを聞かない。せめて距離を取らなければ、このまま何もせずにここに居るのは危険すぎる。
60秒への引き延ばし、その時間でやれるのは咄嗟に背後に飛び退くことぐらい。ただ視界の隅で、煌めく白線が見えたような気がした。
「これで、私の勝ち」
時間の再生と共にそんな声が響く。
咄嗟に飛び退こうという行動は成功に至らず、稲葉は水溜りに崩れ落ちていた。支えが足りなかったのだ、地面を蹴るはずの足が空を切っていた。
だって、左足はもう無いのだから。
「があああああッ!?」
激痛の嵐の中、必死に意識を保つ。
糸だ、ほとんど目で追えないほど細い糸を俺の体に巻き付けて、それでスライスしたのだ。
その能力に稲葉は心当たりがあった。何度も見覚えのある馴染みのある、戦闘にはあまりに不向きな武装。だが、それを使う奴は。
彼女がどうしてそんなことをするのか、稲葉は全く理解できない。
最悪の想定が回る。
全てが知らない、けれども最悪のルートへと引き摺り込まれているのだけは間違いない事実。
気がつけば和服の女が俺を見下ろしていた。
「痛いよね、稲葉君」
そう呟いて彼女の首を撫でれば、先程まで標識の傷も嘘のように消えていた。糸、それに治癒能力、言い逃れできない証拠だけが積み重なる。
「どうして、どうしてこんなことをするんだ小春……ッ」
「ちょっとここで待ってて、葵ちゃんを殺したら傷を治してあげるから」
俺の追求に否定することなく、小春は俺の元から離れていく。
どこで何を間違ったのだろうか?
わからない。
ただ痛みに耐えかねて意識が闇に飲み込まれつつある。次第に音が薄れていって、そうしてようやく九条の悲痛な悲鳴が聞こえることに、稲葉は今更気づいた、