タイムループ能力者の最後の一周 作:クイヤ
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月が空から落ちてきて世界が終わる寸前に、果たして人は何ができる?
何が最善かもわからない。その瞬間に終わりが確定していうのであれば、何をやったって結局は同じことだろう。
けれども、稲葉は必死に足掻く道を選んだ。
どうしようもない終焉。あの月が地平の果てに叩きつけられた瞬間、咄嗟に小春を背後に庇い盾を構えた。
もう今は亡き九条が、最後に残していった形見の盾を。
瞬間、音が消えて世界に閃光が満ちた。
抗いようもなく意識を刈り取られる最後の瞬間、稲葉は祈っていた。せめて彼女だけでも救ってください、それさえ叶えられるのであれば後はなんだって良いのに。
「……ああ、ようやく目が覚めたんだね」
喉が掠れて、咄嗟に言葉が出なかった。もう二度と目が覚めないと思っていたのに、まだ小春の声が聞こえている。
もしくはとっくに死んで、あの世に渡っているのかもしれない。それを裏付けるかのように、地面に伏して見上げる空は真っ赤に染まっていた。
一生終わらないと思っていた夜は、月と共に終わりを迎えたのだろうか?
「大丈夫、か?」
次第にぼやけた空にピントが合い始める。けれども体は動かないまま、稲葉の手を握る感触だけが、彼が生きているという実感を示していた。
身体の傷を癒す温かい力が、繋がった手を通してゆっくりと此方に流れ込んでくる。
「渉くん、本当に死んでたんだよ」
「……は?」
「目が覚めたら、あたり一面こんな状態でさ。空も真っ赤っかに染まっちゃって誰も居ないんだ、もしかしてあの世だったり? それとも今までのことは夢だったり? なんて、いろいろ考えてみたんだけどさ」
捲し立てるように言葉を並べられて、稲葉は何も言い返せない。あたり一面こんな状態?
必死に周りを見渡そうとするけれど、必死に身体をよじろうとするけれどもどうにも動かない。
「でね。せめて弥くんだけでも見つけなきゃーって思って、周りをいろいろ探してみたらさ、少し離れたところに地面に突き刺さった盾だけがぽつーんと残ってたんだよね」
盾をさ、離さないぞーって両手だけが残ってたんだ。
それ以外はもう、なーんも残ってなかった。
その言葉の意味が、うまく飲み込めなかった。
それならば、今の稲葉の意識はどうなっている?
「本当なら、あの時私も死んでたんだと思う。物凄く体が頑丈なら耐えられるかもしれない、もしくは私の体を治し続けられるのであれば生き残れたかもしれないけど、全部瞬きする間に終わっちゃったから」
どれだけ時間を引き延ばそうとも、稲葉ですら一瞬だったのだから小春があの瞬間に耐えられるはずがないのは明白だった。
それなら、何故彼女は生き残れたのだろうか?
まさか九条がそっと手助けしてくれたと言うのでも言うのだろうか?
「でもね、今になって生き残った理由が分かったような気がするんだ」
「……なんだよ、それ」
「一番初めにあった頃、渉くんには教えたよね。私たちには精霊にお願いして武器を引き出す力と、願望を実現するために能力があるってこと」
ようやく体が少しだけ言うことを聞いて、声が聞こえる方向へ顔を向けた。小春は、俺と同じように横たわって空を見上げていた。不思議なことにその姿が淡く輝いているように見える。
「あれって三つ目があったんだよ、本当の最終手段が。きっと渉くんは命をかけたお願いをしちゃったんだよ、私を守れますようにって」
「やめろ……やめてくれ」
「やめない、絶対に」
命をかけたお願い、稲葉がその意味を理解できないはずがなかった。死者蘇生なんて大それた力を代償なしに行えるはずがないのだ、あの終焉を乗り越えるために稲葉が命を費やしたように。
淡く光は次第に強くなり、そして。
「ごめん、本当にごめんね、でも私だけ一人生き残るのはどうしても無理だから。そんなの、どうしたって耐えられるはずないんだ」
稲葉は何も言えない。
もう全てが手遅れだということに気が付いてしまったから。まるで役目が終わったかのように、小春の姿は薄れていく。
いや、そもそも彼女はまだそこにいたのだろうか?
とっくに全部が終わって、それを想起しているのだけなのかもしれない。
「押し付けちゃってごめんね。渉くんは、私の分まで生きて」
夢が終わる、稲葉の隣にはもう誰もいない。
それでも稲葉はよろよろと身体を動かし始めた。痛む手足に鞭を打ち、無理やり上体を起こす。
世界は一変していた。水平線の端から端まで真っ平に、空は真っ赤に染まっているのに太陽はどこにも見えなかった。
現実はどうなってのだろうか?
そもそも俺はここから戻れるのか?
ふと何処からか嗚咽が聞こえて、そうしてようやく自分が泣いていることに気付いた。涙は止まらないのに、それがどうしようもない自分本位な理由なのがどうしても醜くて。
ただ、ひたすらに悲しかったのだ。もう誰もいないということが、俺一人だけを残して誰もいなくなってしまったことが。
もうここから先はずっと一人。
何もいない世界に一人っきり。
それが、稲葉が何も守れなかった罰。
気がつけば、片手に拳銃を握っていた。
いつからそれがあったのか、どうしてそれがあるのかはわからない。けれども、これが何のための道具かはちゃんも分かっていた。
お手軽に、自分の頭を撃ち抜くために。
だって、あまりに今更すぎる。
全部が終わった後になってこれを手に入れたところで、誰も倒す相手はいないのだから。
ずっと精霊に嫌われて、稲葉は足手纏い。それでも精霊がいないのにこれが出せるのであれば努力するべきだった。そうすれば九条も命を落とす事はなかった。
震える手でこめかみに拳銃をあてる。
ここまできたというのに、それでも即座に引き金を引く度胸がなく、稲葉は震えていた。
本当に、これで終わりでいいのか?
小春が繋いだ命を無碍にしていいのか?
死なないための理由を必死に積み上げて、それでも銃口を下げる理由には至らなくて。
「あら、まだ生きてるものが居たなんて」
その声を聞いた瞬間、反射で引き金を弾きかけて、慌てるあまり拳銃を取り落とすという酷く情けない姿を晒していた。
けれどもそれに気づく事はなかった。もう誰もいないと思ったのに、それが幻聴出ない事を願って、稲葉は背後を振り返った。
「せっかく命を拾ったのに、もう死ぬところ? ほんと勿体無い、せっかく生き残ったんだから精々楽しみなさいよ」
「……誰だよ、お前は」
まあ楽しむも何も、全部なくなっちゃたんだけどとまったく面白くないギャグに一人でクスクスと笑っていた彼女は、ぴたりと動きを止めた。
まるで有象無象から話しかけられると思っていなかったと言わんばかりに、不機嫌そうに鼻をフンとならして。
「不敬ね、貴方は自分の名前を名乗る礼儀すらないの? でも、生き残ったご褒美に特別に教えてあげる。私の名前は――」
それが稲葉と精霊のファーストコンタクト。
出会わなければ、何も始まらずに終われていたのに。
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朦朧とする意識が雨水の冷たさでようやく明瞭になってくる。血を流しすぎたと舌打ちをする体力もない、痛みのキャパはとっくに振り切って逆に痛みも麻痺して感覚が薄れている。
気が付けば、稲葉は扉のすぐ近くまで移動していた。
この状態で扉を抜ければ瞬く間に命を落とすだろうから、一人だけ尻尾を巻いて逃げる事は不可能。
代わりに無理やり身体を起こして、壁に寄りかかる。先程からの剣戟音が示す通りに拘束から抜け出した九条と小春の戦闘が繰り広げられていた。
手遅れではあるけれど、九条がどうやって拘束されていたのに今更気付いた。目に見えない糸で縛り付けていたのだろう、それに気が付けば少しはやりようがあったのに。
裂帛の気合いと盾を振り回して豹変した小春を吹き飛ばすが、決定打には至らない。そもそも火力が足りないという問題と、傷を負ったところで治癒能力があるのだから押し切れるはずがない。
不意に九条が動きを止めるが、再び小春に向けて突貫を開始する。
「私の糸を引きちぎるなんて、なんて馬鹿力!」
「うるっさい! エリアッ!!」
九条の背後でふわりと傘が浮いて、無防備な背後に突き進むが宙を浮かぶ小楯がそれを阻む。
傘を操るのは糸、小盾を動かしているのは精霊。過去の周回で見せていた応用技をこの土壇場で彼女は成立させていた。
「一指一刀、計十刀……貴方はいつまでこれを防ぎ切れる?」
だが、それだけでは追いつけない。
ふわりと周りに浮かんだ傘を前に九条は苦悶の表情を浮かべた。到底互角とは言えない状況なのだから、さらに手数を回されたら反撃にも出られない事をちゃんと分かっている。
対面している九条と違い、稲葉は驚愕していた。
彼の知っている彼女の戦闘スタイルとあまりにかけはなれているのだ。稲葉の腕と足を落としたのは至近距離だからまだわかる。けれどもあれほどの数を精密操作を可能とする万能な能力ではなかった。
服装も髪も、何から何まで変わっている。だが、その二つの能力が彼女が小春である事を雄弁に語っていた。
何が起きた? 何が変わった?
彼女は俺のことを知っている、なのに俺は彼女に何が起きたのか全くわからない。あれが精霊だという推理は的外れなものだったのだろうか?
これまでの周回では知らない未知、それを理解できないままタイムリミットが次第に迫っていた。
稲葉がこのまま失血で死ぬか、それとも九条が小春に叩き殺されるまでか。
この周に見切りをつける必要がある。
おそらく九条は勝てない。どうしたって手数で押し切られるし、そもそも相手を倒したところで小春は元通りに戻るのか不明瞭だ。
もし全部うまくいって、彼女が正気に戻って稲葉の傷を治してくれたら万々歳ではあるけれど現実はそう上手くいくわけがない。
稲葉とてもう手を抜ける存在ではない、十全の状態で殺す気でやってギリギリ勝てるかどうかレベル。
片手片足落ちの今はどう足掻いても無理。
だが、今ならば。
拳銃を引き出して、霞む目で狙いを定めようとした。
まるで撃たれるとは思いも知らず、無防備な背中がそこにはあった。いや、もしくは小春は稲葉が撃てないことをあらかじめ知っていたのかもしれない。
能力を使っても、彼女の背中から狙いが逸れる。
特段回避行動をとっていないのに、狙いを修正しようとすると腕が震えてまともに定まらない。利き腕ではないからとか言い訳は出来ないレベルで。
稲葉は小春を撃てない。
それをやって仕舞えば、能力の根幹が崩れると本能が忌避している。
雨音が世界に戻る、もうどうしようもないのであれば、覚悟は決まった。こめかみに銃口を突き付けて、そして。
「稲葉ぁ! まだ死んでないよねっ!」
彼の指は動かない。
「私っ!絶対勝つから! それまで歯ぁ食いしばって耐えてよ!!」
その声が聞こえた瞬間、覚悟がぐらつく。
もうリセットするしか道がないということが稲葉にはわかっているのに、それでも動けない。
九条は信じている。
自分が誰と相対しているかも知らず、けれども力量さが歴然だということわかっているはずなのに。
意識を失った稲葉を見捨てて、逃げることもできただろう。それなのに、この場を生き延びるためではなく、稲葉を救うために踏み止まっている。
何が出来る、九条を救うためにやれる事は残ってないか。
必死に思案するが手数は尽き、そもそも一人で満足に動くことすらできない。
手段がない、力が無い。
せめて、せめて今、俺に力があれば。
「……助けてくれ」
震える声で、稲葉はそう呟く。
どれほど情けない姿であろうとも、今ここにいない彼女に縋らざるを得ないまでに追い詰められていた。
「九条を助けてくれ、ザミエル……ッ」
ここに現れるはずのない存在を、稲葉は強く念じた。
それまで全部一人で解決しようとしていた男が、己ではなく他人を救うために必死に精霊に懇願している。
それは諦めと取るべきだろうか?
稲葉の行動には何の意味もなく、九条の戦況に何の影響ももたらさない。このまま彼女が殴り殺されれば、確かに試合放棄でしかなかっただろう。
だが、その声は確かに届いていた。
カツンという靴音が、確かに稲葉の耳に届いた。
「私を呼ぶ声がしたと思ったら、なかなか面白い状況じゃない」
懐かしいその声が屋上に響く。
扉は開かれた。あの時と変わらぬ純白のゴスロリ服に耳を包んだ彼女が稲葉を見下ろしている。