タイムループ能力者の最後の一周 作:クイヤ
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場にそぐわない乱入者の存在に、九条も小春も気づかない。今この場で、稲葉だけが彼女がそこに現れたことに気づいていた。
ここに現れたという現実をまだ上手く飲み込めず、瞬きをするのを忘れて、その精霊をぼんやりと見上げている。
ザミエルと過去に名乗った彼女は、今更雨が降っていることに気がついたのか、不機嫌そうに踵を鳴らしてそこらに転がってる傘を一つ手に取った。
「で、私を呼びつけた貴方。何で私の名前を知ってるの?」
「それは、お前が俺に名前を教えてくれたから」
「そんな事あるはずないわ。貴方みたいなボロ雑巾に名前を教えるわけがないし、そもそも忘れるわけがないもの」
俺がボロ雑巾扱いか。
思わず笑いが漏れそうになるものの、不意に走った痛みで顔が歪む。
何かに気がついたのか、彼女はすっと目を細めて、稲葉のすぐ横へとしゃがみ込んだ。
汚れの一つもついていない真っ白な手袋が、稲葉の胸の真ん中へと伸びて、そのまま霞のように身体の中へと飲み込まれる。
思わず稲葉は目を見開くが、抵抗のしようがない。
実体がなく、幻影を見ているのだろうか?
それならば二人がザミエルの存在に気が付かないことにも説明がつく。ただ身体の中を弄るこそばゆい感覚は、幻にしては妙にクッキリとしていた。
一通り堪能したのか、彼女は手を引き抜くなり勢いよく立ち上がった。緊張から解放されて、稲葉は咳き込みながら胸を弄るも、そこに何の傷も残っちゃいない。
「なかなか、なかなかどうして世界は!」
ザミエルは赤い舌をちろりと出して舌なめずりをしていた。恐らく何があったのかを全部理解してしまったのだろう。
彼女から今の好意に関しての説明は一切ない、それだというのに不思議と納得してしまう迫力があった。
「暇が紛れたわ、本当ならここにいる全員の頭を吹き飛ばしてあげようと思ったけれど」
人の形を取れる精霊、それが今稲葉の目の前にいた。
ここにいる全員の頭を吹き飛ばすなんて言葉が大言壮語ではないことを稲葉は知っている。やろうと思えば全てに一瞬で方がつく、それぐらい隔絶した力をザミエルは手にしている。
「なんで、現れたんだ」
「何でってそりゃ、貴方が私をを呼びつけたからでしょう?」
やれやれと首を横に振れば、腰まである夜空を思わせる黒髪が左右へはらりと散って見える。
「木っ葉の精霊は死にかけると泣き喚くじゃない? 貴方はそれを聞く事ができる。そこまで知っていれば気がつくはずよ。片方からコールできるって事は、逆もまた然りってことを」
なるほど、言われてみれば確かにそうだ。
人間が精霊を呼びつける事が不可能だと、誰が決めた? もしかしたら今周に置いて九条が精霊と出会っていたのも、彼女がそれを求めたからなのかもしれない。
だが、稲葉はこれまでザミエルの事をわざわざ呼びつけようとしなかった。
全部自分で解決出来てしまっていたからというのもある。それにそもそも差し迫った状況であれば、助けを求めるより先にリセットボタンを押さなければいけない。
確実に次に繋ぐのが彼に取っての最優先事項なのだから。
「稲葉だ、俺の名前は稲葉 渉」
「もうすぐ死ぬ貴方に名前を聞く価値はないんだけど? まあいいわ、それでどうしたいの?」
興味深そうに彼女は俺のことを見下ろしている。
どう答えるべきか、推測混じりでその言葉を口にした。
「糸を振り回してるあの少女から、精霊を引き剥がせるか?」
「無理ね」
予測混じりの願望は否定されるわけでもなく、暗にその最悪の仮定が正解だということを示していた。
「彼女は愚妹を自ずから受け入れてしまった、だから無理」
「どうしてだよ、お前にはその力があるはずだろ……ッ」
トンと頭が揺れる感覚がして、気がつけば視界が横向きになっていた。傷口が水溜まりに触れたのに微かに痺れて、その程度でしかない。
きっと、思っているよりも間近に稲葉の死が差し迫っているのだろう。
「お前呼びは一度だけ許してあげる、次は本当に頭を飛ばすから。だから言ったでしょう? あの子は愚妹を受け入れてしまったって」
主導権を持ってないのよ。
理解が追いつかない稲葉に、ザミエルはそう呟いた。
「みずから放棄しないとそんなことあり得ないけどね、きっと甘言に誑かされたんじゃない?」
今までそんな事は一度も起きなかった。
稲葉はそんな精霊の一面を聞いた事がない。そもそも聞こうともしなかったのだから当然ではあるが、人を乗っ取ろうとする精霊がいたという噂すら聞いた事がなかった。
「いまコントロールしてるのは愚妹。あれを貴方が知っている人だと思うと痛い目見るわよ、記憶を被っただけよ他人なのだから。まあ、もう痛い目見てるんでしょうけれど」
「なんとかして、奪い返せないのか」
再度ザミエルは首を横に振った。
「無理、私が言ったところで愚妹はやっと得た身体に固執するでしょう。やっと得た自由をむざむざ失うバカがどこにいるの? 万に一に説得は実るかもしれないけれど、それより先に貴方が死ぬか、盾の彼女が死ぬでしょうね」
覚悟を決めなさい、しゃがみ込んで稲葉の耳元で囁いた。
「二者択一よ。あの子があの傘で平べったく叩き殺されるのをじっと見守るか、それとも愚妹を撃ち抜いてあの子を守ってあげるか」
そういうなり、ザミエルは水溜まりに手を突っ込んだ。
1センチの厚さもないはずなのに、先ほどと同じように手首まで飲み込まれていく。一瞬、水溜まりの向こうに月が見えたような気がするけれども、瞬きする間にそれも消え失せて、手が引き出された時には手品の様に長身の銃が携えられていた。
「7発だけ権利をあげる、それで決めなさい」
拳銃を構えられなかったのに、こんなものを小春に向けられるはずがない。けれども、不思議と左手はマスケット銃を手に取っていた。
そのことに気がついて愕然とする。
まさかザミエルが都合のいい魔法の弾丸を用意しているとでも信じているのだろうか?
そんな事はない、これが当たれば容易く命は掻き消えるというのに。
「時間はないわよ」
そう彼女が指を刺した方向では、とうとう決着がつこうとしていた。小盾は叩き落とされて床に沈んでいる、九条は身体のあちこちに切り傷と青あざが残っているのに、対面の小春は先ほどと何ら変わりのない様子を保っている。
当然の帰結だった。
何かを介入するとのであれば、この一瞬しかない。それは猶予時間か、逃避の時間か。稲葉は咄嗟に一秒を引きのばしていた。
俺は何を選べばいい?
そう思考を回しながらも、あれこれと小春を撃たない理由を必死に探している時点で、どんな答えに至るかは気付いていた。
そして、その理由が最後まで見つからないことも。
壁に寄りかかり、膝を銃座がわりに狙いを定める。
右腕は使えない、支える腕がないが故の苦渋の構え。いくら不格好と罵られようと、プランケットポジションすら取れなくなっていた。
視界が霞む、あまりに血を失いすぎた。
それでもやらなきゃならない。
引き金を引けば雨粒を切り裂いて、眩い光が迸る。
九条と小春の間を遮るように閃光が通り過ぎていく。
予期せぬ攻撃に両者の戦闘はぴたりと止まった。気が抜けたのか、九条は膝をついて、小春が錆びたブリキの人形の様にゆっくりとこちらを振り返る。
「外したわよ、あと6発」
「……わざとだよ」
マスケット銃の機構が、時計の逆戻しの様に瞬く間に元に戻る。装填済みよというザミエルの声を無視して、稲葉は小春へと狙いを定めた。
震えをひた隠しにする、撃てないと見抜かれたら終わりなのだ。こいつは撃てると思わせなければ脅しは成立しないという事を、稲葉はよく知っている。
「次は、絶対に当てる。だからもう、やめてくれ」
返答はない、小春の方は小刻みに揺れている。
だが、それが怯えでない事は考えるまでもなかった。
「姉さん! まさか姉さんなの!?」
隣から舌打ちの音がするけれども、稲葉はそっちに気を向けられる余裕はない。愚妹、姉さん、稲葉にとって知らない言葉が乱舞しているけれども、それがこの状況を好転させる様なものではないことは容易に想像できた。
「ねえ、その銃は稲葉君のじゃないでしょ。私は知ってるもの、それが姉さんのものだってことを」
ふらっと倒れるようによろめいたところへ、稲葉はもう一発撃った。
小春のギリギリ横を掠め、それに小春は調子づいた様に笑みを深めていた。稲葉が狙って外したのか、それとも彼女が銃口から狙いを躱していたのか、それを考察する暇はここにはない。
「聞いていますか! 姉さん! 私が迎えに行きますから!」
まるで隣にいるザミエルの姿が見えないかの様に、彼女は高らかにそう宣言した。
「私たたち二人が揃えば、全部思い通りになりますよね!!」
「……バカな子、だからと言って人の子を犠牲にすることないでしょうに」
ふらりと小春が前進を開始する。脅しは不発、彼我の距離は屋上の端から端までの数十メートル程度。
「私を無視して勝手に話を進めないでよ!」
「……ああ、あなたまだ居たの?」
完全に不意を打った九条のバックスタブ。だが、全力で叩きつけられた盾は空中で不自然に静止していた。驚愕に染まった九条の顔面に、横合いから傘が叩き込まれてバウンド無しでフェンスへと叩きつけられる。
稲葉に九条の心配をしている暇はなかった。間違いなく最大のチャンスを見逃さず、一瞬の猶予を生かすべく咄嗟に引き金を引いていた。
視界外からの一撃が、小春の腹部を貫いた。
水溜まりをばちゃばちゃと血で汚しながら、小春が地面を転がっていく。やってしまったという手応えは全くない、ただ最大のチャンスを逃したという焦燥感だけが募っている。
それを証明するかの様に、小春はふらりと立ち上がる。
傷口はもう見えなくなっていた。破廉恥な服装になっちゃったじゃないですかとくすくすと笑いながら、手を翳せば和服ですら何事もなかったかの様に戻っている。
「あと4発よ、ちゃんと頭を狙って」
ザミエルの無情なカウントダウンが進む。
歯を食いしばって、蘇ってきた苦痛を堪える。
もう、俺にはどうしようもないのか?
小春を殺すしか方法はないのか?
「ねえ、きっと私と同じように稲葉君の中に姉さんが入り込んだんでしょう? それならバラしてあげる、内臓を引き摺り出して外気に晒してあげる。それで、全部終わり。だから、もうちょっとだけそこで待ってて! 私が姉さんを助けてあげるから!!」
「全く狂ってるわね。貴方、内臓引き摺り出されるらしいわよ」
他人事の様にザミエルはそういうけれど、彼女のマスケット銃を見てから明らかに小春は壊れ始めていた。
もしや人側ではなく、精霊側へと人格が引っ張られてるというのだろうか?
どう考えても状況は好転している様に思えない、ひたすらに悪化の一途を辿っている。だが、彼女を呼び出したのは失敗だろうかというたわいもない思考は、そこで切り上げざるを得なかった。
稲葉のすぐ隣へと傘が突き刺さっていた。
そう、小春側は無駄なリスクを負う必要はない。稲葉を殺したいだけなら遠距離から傘をあたるまで投げ続ければいい。もう右手左足を失って、もう満足に回避行動も取れないのだから。
最悪を想像する。
次の瞬間には眼底を貫いた傘が脳漿を砕け散ったとしても、何もおかしくはないのだ。
けれども、彼女は自分の手を不思議そうに見下ろしてそこから動こうとしない。それどころか、宙に浮いていた傘がばらばらと次々に床に落下し始めていた。
能力の制御がうまくいっていないのか。
――なぜ今になって?
「チャンスね、さっさと決めなさい」
「待てよ、あれは、あれは小春が抗ってるんじゃないのか」
「でも取り返せるほどじゃない、あくまで一時的なものよ」
ご覧なさいと指差した方向で、彼女はボソボソと呟いていた。
「ちゃんと食い潰してあげたつもりなのに、全くしぶといなぁ」
そう言いながらも糸を駆使して傘を拾い上げようとするけれども、何度も地面に転がるばかりで、先ほどの精密操作はどうにも行えないかの様だった。
それがフェイクだとしても、疑ったところで稲葉に手の内ようがない。
「思いついたわよ、名案が」
「それなら早く教えろ」
「貴方、死になさい。感情を強く動かせば支配を揺るがすほどの力が出る、貴方に危害を加える宣言に反発して彼女も動き始めたんでしょうよ」
逆に一気に支配を奪われるかもしれないけど、そう付け加えた様にザミエルからしてみてもその案は不完全なものだった。
せめて、成功率が100%なら考慮の余地はあった。だが無駄死にのリスクを抱えている以上、そこに稲葉の命をベットする事はできない。
思わず頰が引きつった、きっとそれは自分しかわからない不恰好な笑み。
無性に現実逃避の皮肉な笑いが込み上げてくる。
稲葉か、小春か。その片方もしくは両者が確実に死ぬという現実に、俺はまだちゃんと向き合えていない。
「ねえ、稲葉君。さっきから一人でぶつぶつ呟いてるの?」
「お前の姉さんと話してるんだよ」
「……血を流しすぎて幻聴でも聞いているのね。稲葉君程度の人間と姉さんが話すはずがないじゃない」
私がトドメを刺してあげる。
小春はそう言って傘をこちらにうち広げて走り始めた。
稲葉は自分の失態に漸く気付いた。遮蔽物がないというこちらに有利に働くという状況はまやかしでしかなかった。いくらでもあるのだ、視線を遮るものならばそこら辺に。
咄嗟に引き金を引くが、傘は吹き飛んだものの、小春は射線から身を逸らしている。
「あと3発」
再度、カウントダウンが開始する。
一瞬で彼女との距離は詰まっていた。
もう小春は傘を開くまでもない。稲葉が引き金を引き切るより先に、曲芸的に身を逸らすことが可能な距離に踏み入っていた。もう銃口が追いつかない距離、見てから躱せるその距離へと。
ただ、小春は気づかなかった。
稲葉が何を見ていたのかを、自分ではなくその背後に視線を向けていることに。
九条はもう動けない。そしてこれは完全な一対一であるという彼女の状況の分析は一部では合っていて、一部では間違っていた。
背中に強い衝撃が加わって、小春は前へとつんのめった。
何が起こったのかわからず惚ける彼女とは違い、稲葉は九条が盾を投げ飛ばすのを見ている。
「あとはお願い」
そんな九条の声が聞こえた様な気がした。
稲葉は、引き金を引いた。
左肩を閃光が貫く。よろめき倒れかかるもすぐに体勢を立て直す。だが、先ほどとは違い傷口の修復は遅れていた。
戸惑う表情が見えた。まるで現実が飲み込めないかの様な、なんで言うことを聞かないんだろうというぽかんとした顔。
「後2発、チャンスよ」
小春は、動きを止めている。
だが、稲葉は攻撃に移れない。一縷の希望に縋って、もしかしたらもう終わったんじゃないかと期待をしていた。
その隙をついて、彼女は走り始めた。
一直線に最短経路、まるでこちらが撃てないと確信しているかの様に突き進む。視界が雨か涙で滲む。もう外さない、外せない。
眩い光が、その光景を稲葉の脳裏に焼き付ける。
右肩は皮だけを残して、ほとんど辛うじでぶら下がっている状態。左肩の修復も全然終わってない。
勝負はもうそこで付いていた。
あと10メートル、けれども絶対の距離だということを互いに認識していた。稲葉は、もう引き金を引ける。
そして、この距離で相手がこの状態であれば絶対に躱せない。
もし、稲葉が後一発だということがわかればまだやりようはあっただろう。その一発を引き出すための権謀術数を発揮出来るのであれば勝負になったかもしれない。
詰めろ逃れの詰めろは存在しない、そのための能力は機能不全に陥っている。
「……もうやめよう。俺はの勝ちだって、お前もわかってるんだろ」
「姉さん、どうして、どうして私の邪魔をするの?」
小春の瞳が揺れる。傷も治せないのであれば致命傷になりかねないもの、それを証明するかの様に彼女は息も絶え絶えだった。
だが、彼女は目の前にいる俺のことを見ていない。
そのことに気が付いてるはずなのに、ザミエルは何も言わなかった。
「それが最後よ」
代わりにポツリとそう漏らして。
「稲葉君、葵ちゃんをお願いね」
いつもの口調で、小春はそう言った。
その一瞬だけ正気の色が戻った様に見えて、だからこそ稲葉はすこし反応が遅れた。
真っ直ぐに飛びついてくる。ここに至ってフェイント選択肢は存在しない、どちらが先に命を狩るかの勝負。
能力の制御を取り戻したのか右腕が一瞬で再生し、稲葉はそれに呼応する様に能力のスイッチを咄嗟に入れた。
避けようのない至近距離、銃口は彼女から逸れていない。引き金を引けば、狙いを過たず彼女の頭を確実に打ち抜くだろう。
それでも、俺は撃てなかった。
最後の最後に至って、指が動かせなかった。
「ほんと、貴方はダメダメね」
静止した世界に不意にザミエルの声が響く。
その言葉の意味を飲み込むより早く、フリントリックが勝手に動き始めていた。稲葉は何もしていないのに、引き金から完全に指を外しているのに。
「貴方がそのつもりなら、私が最後の一発を貰う」
やめろ、やめてくれ。
そう心のうちで叫ぶも、言葉にならない。
せめてもの抵抗で必死に銃口を逸らそうとするがそれすら間に合わない。稲葉は、小春の顔を見た。まるで、これから迎える死を受け入れた様な安らかな顔を見てしまった。
だから、瞳を閉じようとした。
どうにもならない結末から必死に目を逸らそうと。
能力が切れる。
雨中の世界に一際大きな銃声が響いた。