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ザミエルは事切れた遺体を見下ろしていた。
「結局、貴方は人として死んだのね」
間違いなく即死、痛みを感じる暇もなかっただろう。
人として成り代わっていたからこそ、裏の世界に影響を及ぼさなかったのは数少ない幸運と数えるべきか。
「名前も知らない貴女もまあまあ頑張ったんじゃない? 愚妹の讒言に耳を貸さなければ、そもそも命を落とさなかったかもしれないけれど」
気が付けば雨も止んで、いつもの月が浮かんでいる。
遺体の右手を取り、軽く口付けをして立ち上がった。
「さて、もう一人の結末を見届けますか」
もう、彼の残り時間は少ない。
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終わった、全てが終わった。
稲葉は選択をしたのだ。一人を殺して、一人を生かした。
何もわからないまま、精霊に流されて。
守りたかったものを俺が撃ち殺した。
バラバラに解けていく感覚。
自分の根幹を織りなすパーツが一つ外れて、連鎖的に次々と破断していくのが分かる。それらがゆっくりと確実に、稲葉の体から溢れていく。
「……ッすぐに、病院に連れてくから!」
稲葉の惨状を見て、九条が思わず絶句しかけるぐらい酷い有様なのだ。
もう何もかも間に合わない。それでも意識を無理やり繋ぎ止めて、瞼を見開いた。
多分、俺はもうとっくに限界を超えてる。
体はほとんど動かない、それでも最後の一仕事をするべくギリギリで拳銃を引き摺り出した。
そんな物そこらへんに置いておけばいいのに、九条は稲葉の手と足を律儀に抱えて、彼の顔を覗き込んでいた。
意識があるのを確認して、少し頰が緩む。
「時間がない、俺の能力の話をしよう」
「そんなことしてる場合じゃ……ッ」
「聞いてくれ、これからの大事な話をしなきゃいけない」
口を噤むのを見て、稲葉はすぐさま畳み掛ける。
「俺は何度も同じ時間をやり直してる、入学式とクリスマスイブをずっと繰り返してるんだ」
彼女の理解が追いつくのを待ってる暇はない。言葉だけを覚えて、後で咀嚼でもなんでもすればいい。
「クリスマスイブに終わりが来るんだ、今も空に浮かんでる月が落ちてくる。まだ理解できないと思うが、言葉通りの意味で」
気がつけばあの煩わしい雨も止んで、空にいつもの月が浮かんでいた。
「そうなったら終わりなんだ。みんな死ぬ、ここには何も残らない」
「いきなり、そんなことを言われても」
「俺は、それを止めたかったんだ。初めは俺だけが生き残った、そして時間を巻き戻して最善の経路を探し始めた」
月の落下を止めれる能力を探して、ひたすら仲間を増やした周回もあった。九条だけではなく、小春を含めてひたすら仲間を増やして。
だが結局、解決策は見つからず、最終日を生き残ったのも数人だけ。
そして、世界は巻き戻る。
月の落下の原因は異形なんじゃないか、そう当たりをつけたこともあった。
有象無象の害獣を全部処理しきって、精霊をこちらの世界に戻して世界にバランスを取り戻すというのは、確かに名案に思えた。
けれども無駄だった。
そして、世界は巻き戻る。
英雄譚になり損ねた失敗譚、それらの結末は全て一緒。
「何もかもわからない。ただ変わらずにあの月は落ちてくる、それだけは必定だということしか」
だから稲葉は諦めることにしたのだ。
彼女らになんでもない日常を送ってもらえれば良かった。
なのに。
稲葉は、どこで失敗したのかわからない。
どうして小春を引き摺り込んでしまう羽目になったのか、一ミリも理解できないまま、この周が終わろうとしている。
「……俺はもう、疲れたよ」
「なんでよ、そんな大事なことならもっと早く教えてくれれば!」
「言ったところで、誰がこんな戯言を信じてくれると?」
ただの狂人の戯言、世界の終末を説いてカルト宗教でも立ち上げるなら話は別だが、知らない方が間違いなくうまくいく。
「また、戻すつもり?」
「ああ、死んだ瞬間に勝手に発動するならいいんだけど、そう都合のいい能力じゃないんだ」
「無理じゃない?」
気がつけば、ザミエルが九条の背後からこちらを見つめている。
やはり彼女は稲葉以外から見えないらしい、全くわからないことだらけだが、その言葉は正鵠を射抜いていた。
今すぐ時間を戻す以外に方法はない。
だが、それを実行に移さない理由があった。
「貴方のそれ、もうバラバラだもの」
稲葉の能力の根幹は、既に壊れている。
後悔を端に発した絶技は、その目的を見失い崩壊した。
己が守るべきものを自分で壊したが故に。
そんなものを過去に送れるはずがない。
稲葉自身が彼女らの安寧を崩す異物だと認識してしまった以上、それが出来ると思い込めないのだ。
稲葉は失敗した。
ここで朽ち果てる身だという事も覚悟している。
だが、それでも守らなきゃいけないものがあった。
確実に繋がなきゃいけない、やり遂げなければ稲葉は死んでも死にきれない。バラバラになった力を再解釈を加え、実現できるかを再度考証する。
これならやれる、間違いなく断言できる。そう思えるのならば、可能なのだ。
「九条に最後の頼みがある」
「……何?」
「俺の代わりに、やり直してくれ」
もうそれしか方法はなかった。幾ら投げやりだと言われようとも、俺がやり遂げられなかった事を彼女に託すしかない。
初週より最悪の道を辿ったのは、間違いなく稲葉という異物が紛れ込んだからだろう。
だが、稲葉ではなくある程度の知識を持った九条であればどうだっただろうか?
おそらく、今より酷く転がることはない。
きっと稲葉よりうまくやり直してくれる、そう信じることができるのだ。そして世界を好転する材料と見做せるのであれば、稲葉は過去に送ることができる。
「……信じて、いいの?」
「行けば分かる、目が覚めた先はあの教室だ」
稲葉もいて、小春もいる。
何も変わらない懐かしい教室、だが今の稲葉がそこに戻れることはない。
「九条がその世界でどうするかは任せる。こっち側に関わる必要はない、地球の裏側まで逃げてもいい」
稲葉は知っている。
彼女がどういう人物であるかをちゃんとわかっている。九条は逃げない、逃げようにもあまりに世界の裏側を知りすぎた。
手の届く範囲の人間を全員守ろうとして、ある日突然パンクするのだろう。
「一つだけお願いだ。扉の向こう側に関わる気があるなら、俺を連れて行け。月下の世界に連れてくればきっとすぐ興味を示す」
それは、彼女が一人にならないための予防線。
言いたいことだけ言い切って、稲葉はぼんやりと月を見上げた。九条の嗚咽を聞こえないふりをして。
「酷いよ、ほんと酷い……だってさ、そんなこと言われて断れるはずがないじゃない」
知っている、この選択が九条に重責を負わせることになるという事をちゃんと分かっている。拒否権のない要求を突きつけて、九条の覚悟が決まるのを待ってるだけの卑怯者。
「……わかった、頼みを聞くからにはお願いを聞いてよ」
嗚咽が止まるまで、大して時間はかからなかった。
気が付けば九条は稲葉のすぐ隣にいた。
お願いを聞くより先に、口の中に舌を捩じ込まれた。
稲葉はとうに抵抗する気力もなくなすがままにされてる。無駄にハードルの高い事をしたくせに、経験もないから即座に息を切らして離れるのだから、全くどうしようもない。
「私さ、稲葉のことずっと好きだったよ」
「……知ってたよ、ずっと前から」
「そりゃそうか。そうだよね、何周も稲葉はやり直してるんだもん」
稲葉はちゃんと知っていた。
知りつつもその恋心を無視していたのだから、人の気持ちを踏み躙ったと弾糾されてもおかしくはない。
けれども、九条は自分の失敗をへらっと笑うばかりだった。
「あーあ、恋心がバレてるならさっさと告白すれば良かったな。これってさ、私が告白したのって何回目になんの?」
「さあな、数えてないからわからん」
「それってさぁ、私が数えられないぐらい告白してるってことじゃん」
せめてもの反撃とばかりに額にデコピンされるけれども、その感触を稲葉は何も感じなかった。
「それじゃあ、やろっか」
拳銃を九条の額に押し付ける。
それに驚きもせず、九条は稲葉の瞳をじっと見つめていた。
「ごめん、九条に押し付けて」
「稲葉さぁ、最後ぐらい私のことを下の名前で呼んでよ」
そう言って、彼女は微笑んだ。
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「……これで一人っきりか」
「私のことを省かないでくれる?」
そう言ってザミエルが口を尖らすのを無視する。
「貴方は最善を選ばなかった、ふふっ」
わかってる、稲葉は最善を選べなかった。
九条を助けようとせずに、即座に自分の頭を打ち抜けば良かったのだ。中途半端に二つを取ろうとして、致命的な失敗を犯した。
「俺が戻った後も、世界は続いてたんだな」
能力が発動した感覚は確かにある。
だが、稲葉とザミエルは屋上に取り残されていた。
「そりゃ当然、精神しか飛ばせないから」
「結局、俺は何も守れてなかったというわけか」
どの周においても月は落ちてくる。
俺だけが逃げ延びて、残った世界は毎回壊れる。
いや、そもそも逃げられているのだろうか?
「でも、救いたかったんでしょう?」
「救いたかったよ、ずっと笑っていてほしかった」
その結果がこれだ。屋上に無惨に転がる死体二つ。
なんて酷い有様だろう、しばらく待てば三つに増える。
「これまでの努力は全部水の泡! 積み上げた記憶も引き継げない、ハッピーエンドまでまた無駄な回り道ね」
九条が行った先で、稲葉はまだ能力に目覚めるのだろうか。
また新しく周回を重ねるべく、自らの頭を撃ち抜くのだろうか?
それとも最後の日を生き残ることなく、そこで世界と一緒に終わりを迎えるのだろうか?
「でも、私は貴方を否定しない。最善しか許されないなんてことはないのよ」
「そうか、ありがとよ」
言葉だけの慰めだ。
震える左手で、不器用に頭を吹き飛ばそうとするけれどもう引き金を引き切る力すらない。
「私がいいことを言ってあげようとしてるんだからちゃんと聞きなさいよ」
いや、もしかしたらとザミエルの手を見つめた。
もしかしたら、彼女には銃を操る能力があるのだろうか? 最後の局面で勝手にフロントロックを動かした様に、彼女はこの拳銃自体の操作許可も操っているのかも知れない。
「貴方がいなかったら、そもそも何も始まらなかった。たった一人が失敗して滅ぶ世界なら滅んじゃえばいいと思う。でもね、唯一許せないと思うのはね」
壁に寄りかかる体力も稲葉にはなかった。
そのままコンクリートに叩きつけられればよかったのに、そっと支えに入って流れる様に膝枕をされる。
黒髪がベールの様に落ちてきて、稲葉の顔にかかり酷くくすぐったい。
「――許せないのは、貴方が頑張ったことを誰も知らないってこと」
その言葉を聞いて、思わず一瞬息が止まる。
「無理だとわかってたとしても、貴方は歩みを止めなかった。それがたとえ停滞でしかなかったとしても、みんなが何も知らないで平穏に過ごせるように努力したってのは変わらない。なのに、それらの功績は誰も知らないまま忘れ去られていく」
ずっと一人。
孤独な戦いを続けて誰も、稲葉の努力を知ることはなかった。過去に能力を知るものは現れても、次回以降に引き継げるのは稲葉だけ。
でも彼女だけがそれを知っている、俺の根幹に触れたのだから。
「それはね、許せないの。あなたも認めたくないでしょう?」
優しく愛おしそうに、彼女ら血に汚れた顔を撫でた。
「だからね、稲葉 渉のこれまでの旅路は私がちゃんと覚えてあげる。何もなかったことにはさせない。そして、貴方が残した火種がどういう結末を辿るのかは、私が見届けてあげるね」
彼女の言葉がどういう意味なのかはわからない。
だが、稲葉はそれだけで救われた気がした。
自分の旅路を覚えてくれる奴がここにいる。
「貴方が眠るまでずっと見守ってあげる。なんせ、ずっと一緒にいたいという人間が久しぶりに現れたんだもの」
「……はあ、なんなりと」
それも大した時間ではないだろう。
稲葉の意識が次第に遠ざかっていた。
砂時計が落ちきるほんのちょっと手前の、余暇時間。
稲葉は懐かしい夢を見た。
あの教室に、小春と九条が二人が揃ってる。
輝かしい日々、それがずっと続けばいいと思ってた。
九条の揶揄う声がして。
小春の稲葉を呼ぶ声がする。
所詮は夢。
意識が浮き上がっては、また暗闇へとすぐに沈む。
けれども、ザミエルはずっとそこにいた。
綺麗だ、稲葉はそう呟いた。
睡魔が迫る。
次に意識が落ちたらもう二度と、目が覚めないような気がした。
稲葉の最後に記憶に残るのは、あの憎たらしい月。
あと5話