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陰気なやつ、それが私の稲葉に対する第一印象。
大凡好印象とは言えないけれど、それは私だけが抱いた印象でもない。百人いれば九十九人がおんなじ事を言うと思うのだ。
暗い、じめっとしている、いっつも物憂げな顔をしてる。だから、私がそんな印象を抱いたのもしょうがないだろう。
他人に話しかけることもなく、あいつはいっつもクラスの片隅で一人縮こまっていた。
でも、稲葉と私は不思議とよく目があった。
今思えば私の事や、小春のことを無意識のうちに視線で追っていたに違いない。過去のイベントはあいつの中にしか蓄積されていないけれど、私を通してその幻を追いかけていたのかもしれない。
視線がかち合うたびに、慌てるでもなく驚くでもなく、ただ現実を再確認する様にあいつは微かに頷いていた。
なんとなくそれが様になっている様な気がして、余計にむかついたのだけれども。
そんな悪印象が一転したのは、果たしていつだったか。
考えるまでもない、扉を抜けた先のあの非日常を目にした時。
アニメみたいだなと思ったのだ。
学校ではあんなに冴えない稲葉が、こちら側においては物語の主人公の様に立ち振る舞い、誰に讃えられるでもなく一人で戦って戦って、精霊と言われるものに話しかけているのを私は見た。
その時、稲葉が初めて笑うのを見た。
いっつも仏頂面でむすっとしているあいつが、ふと寂しそうに微笑んで。その時、私は胸が撃ち抜かれてしまったのだ。
稲葉に憧れて、非日常に惹かれて。
私もそうなりたいと願っていた。
隣にいれば、あいつの笑う姿をもっと見れるんじゃないかと。私がいれば、もっと笑顔にできるんじゃないかって。
そうと考えれば、行動あるのみ。
けれども試してみると稲葉に意外と話しかける暇はなかった。そもそも地味に距離を取られているような、掴んだと思えば手の隙間からするりと抜け落ちていく感覚。
でも、最終的には上手く行った。
小春を使って遊びに誘って、それでようやく。
話す場を設けてみれば意外と話せる奴だった、会話の機会を減らされる場所を選んだ過去の私を憎んでしまうぐらいには。
まあでも、決定的証拠を突きつけたのに、しらを切られると思ってなかったけど。
だからと言って諦めるわけにはいかない、授業が終わるなりさっさと帰宅する稲葉の後を追うことに躊躇いはなかった。
たとえストーカーだと弾糾されようが、どっちの方が社会的に信頼されているかと言う話。
小癪にも改札と電車のタイミングで振り切ろうとした稲葉を追って、私は電車に乗り込んで。
それがターニングポイント。
閉まりかけた扉に躊躇して足を止めたり、体を無理にねじ込んだりしなければ、おそらく違う未来があったのかも知らない。
だけど、私は間に合った。
私は拳銃を構える姿に見惚れながらも、稲葉がたまに遠い目をすることから目を逸らしていた。
それから距離はぐっと近くなった様な気がする。私が裏側という一線を踏み越えた以上、稲葉もやけっぱちになってたのかもしれない。
隣にいる事を許可されて。
そこに至って、まだ何か隠し事をしているかを抱えていることに、私が気づかないわけがない。
能力もそう、じゃんけんに絶対勝つなんてふざけてる。
でも、どうしても詰めることはできなかった。
詰めてしまえば、めんどくさいと距離を取られる気がした。それが何より怖かった、あいつにとって私は必須条件ではないのだ。
私は身の程をわきまえる事を知っている。我慢するには自分を納得させる言い訳を作って仕舞えばいい、いつか教えてくれる時が来るって。
あいつと二人で夜を渡る日が続く。
私はあいつのことを殆ど知らない。
だけど、稲葉がめちゃくちゃ強いってことだけはわかる。
危うくこちらが命を落としかねない拳銃を使わずとも、盾を操る自分を容易く拘束できるほどの瞬発力を持ちあわせているのだから。
前線を私が張って、後方を稲葉がカバーする構えは理想系だった。最強の矛と盾が揃って、打ち崩せない相手はいない様に思えた。
出来ることが増えていく。
身体能力を許可するという能力に気づいて、また一段階動きの質が上がって。あの夜に適応して、どんどん体は動く様になっていた。
でも、それだけじゃ稲葉との稽古に勝てることはなかった。身体能力だけじゃ押し切れない経験の差を、負けましたという度に実感する。
なのに、稲葉は寂しそうに笑うのだ。
もう少しすれば、九条は俺ぐらいに軽く勝てるようになる。
本当かよ、私はそう思ってた。
調子良く煽ててるだけなんじゃないかと疑って、その度にあいつは肩をすくめて、それならもう一戦試そうかとちょっかいを掛けてくる日々。
本当に、もう少しすれば勝てる様になったんだろうか。
結局、それが本当か確認することはできずじまい。
『戦いは駆け引きというより、パワーカードをどれだけ上手く押し付けられるか』
そんな説明をあいつは好んでいた。
模擬戦を行なっている時は、そのパワーカードの一つである標識をいい様に操ってボコボコにされていた。
標識を振り回して、相手より早く首を飛ばせば勝てる。
射程外から拳銃で一方的に相手をに撃ち抜けば勝てる。
稲葉は傷を負わない安全な戦い方を徹底していた。
あの屋上での戦闘では、稲葉はそれを放棄していた。
標識はいつもの半分に切り落とされ、一歩間違えば死にかねない距離に躊躇なく命を投げ込む。
そうせざるを得ない相手だということは、素人である私でもわかる。異形との戦いとは次元が違う。
今まではお遊びかのように虚実ない混ぜにフェイントを交錯させる戦闘技法を、稲葉は稽古の中で見たことはなかった。
私には引き出せない稲葉の技術の真髄、それを引き摺り出した和服の女は紛れもなく怪物で。
でも、私は稲葉が負けるはずがないと信じていた。
やっぱり助けに来てくれたと安堵して、それを見過ごしていた。
ヒントはあったはずなのだ、私をフェンスに拘束するために何を使ったのか。それに気がついてさえいれば、傘はフェイクに過ぎないってことを教えられたはずなのに。
思考を放棄して、私は二人の戦闘を見守っていた。
どうしてぼーっとしていたのだろう、本気になれば拘束を引きちぎることすら出来たのに。二人掛かりであれば、おそらくもっとやりようがある筈だった。
いや、そもそも、私が同行しなければ稲葉は戦いを挑まなかった。
私を守るために稲葉は命をかけたのだ。人質がいなければ、即座に撤退という判断もできたのかもしれない。
『もしも』はいくらでも思いつく。その全てが、私が稲葉の足を引っ張っていたという事実を声高に主張していた。
そして、世界は回る。
どうすればよかったのか、答えがわからぬまま。