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違和感があるというより、明確な違い。
視界に映る教室は少し前の記憶と変わらないけれど、明確な差異が一つあった。それに気がついてるのは私だけ、正確に言えば私も違うと言えるのだけども。
教室の前方に位置している稲葉である。
彼は他の男子グループにうまく馴染んで談笑していた。
周りを拒絶するオーラはどこへやら、それをぼんやりと眺めていると軽く机を叩く音がした。
「今日どうしたの? 入学式なのに、なんか変だよ」
「なんでもないよ、なんでも」
慌てて笑顔を取り繕うけれども、なんでもないということはなかった。あの混乱の最中、最終的に額に拳銃を突きつけられて、目が覚めれば此処に居た。
実は少し未来のことを知っているんだーなんて、親友だとしても告白できるはずがない。そんなことをすればきっと熱を出してるに違いないと速やかに保健室に叩き込まれるに決まっていた。
じーっと私の顔を見つめて、それならいいけれどと前へ向き直るのを見てほっと安堵のため息を漏らす。
いつか説明できる時がくればと思いながら。
問題の本題はどうやって稲葉と接触するか。
おそらくあの稲葉は何度も周回を繰り返す前のあいつだろう、それぐらい私にだって推測がつく。
で、話しかけてどうすればいいのだろうか?
というか、クリスマスイブに月が落ちてくるってほんと?
そんなどうしようもないこと、私にどうすればいいの?
頭が熱暴走しかけて、思わずうーんと呻き声が漏れる。稲葉は何度も周回を繰り返して、それでも現実は変わらなかったという。
それなら、私はどうすればいいのだろうか。
「どうしたの、九条さん」
「わひゃっ!?」
突然懐かしい声がして、思わず飛び上がる。
気が付けば教室の前方、考え込んでいるうちに無意識に移動していたらしい。
「ほら、教室の出入り口を出たり入ったりしてるから」
「あーね、うん。それは――」
都合が良い。
前よりフレンドリーであるのも好印象、これなら気軽に接点を作れそうだと話しかけようとして。
あの手足が切り落とされた無惨な姿のあいつが、今の稲葉と重なって見えた。思わず稲葉の右手を取る、そこにちゃんと手がついていることを確認せざるをえない。
「九条さん大丈夫? 顔色悪いよ?」
「……ごめん、ちょっと」
それだけ言うのが精一杯。すぐさま教室を飛び出してトイレへと駆け込みギリギリセーフ。
便器を抱え込んで、込み上げてくるものを吐き出した。
殆どが酸っぱい液体、胃の中は空っぽだというのにそれでも吐き気は治らない。
分かってる、ああいう風な未来にしちゃいけない。
そのための選択権は私が握っているということも。
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で、結局やることはストーカー。
小春には用事があると告げて、稲葉の跡をこっそりと付けていた。
このまま家に帰るのだろうか?
というか、あいつは一週目はどの段階で扉に気づいたのだろうか。
私も彼もどこから話が始まったのか起点がわからない。
エリアと遭遇した地点は覚えているけれど、それまで戦闘は控えるべきだろうか。悶々と一人考えを積み上げながら、電柱の影に身を潜める。
稲葉が交差点を左に曲がったのを確認して、見失わないように走り始めて。
そうして曲がり角の向こうに突っ立っていた人影に思わず、たたらを踏んでそのまま尻餅をついた。
強打した尻をさすりつつ、稲葉を見失ってないだろうかと心配して、最終的には怒りが込み上げてきた。
土台、こいつはなんなのだ。
私が起き上がるまで何も言わずじっと見下ろして、心配の声もかけようともしない。
一丁文句でも言ってやろうとしめ、中途半端な形で口が固まった。
「やあ奇遇だね、九条さん」
「はは……これはこれは」
にっこりと曇りなき笑顔に、思わず苦笑が漏れた。
白い飛行機雲が、ゆっくりと空をなぞっている。
「なんかこう、稲葉って不思議なものを見たことない?」
そんなこんなで私は、稲葉の隣をゆっくりと歩いていた。
拙い言い訳を信用したのかしてないのかわからないけれども、とりあえず道が同じということで同行を許可されている。
もちろん、偶然同じなわけがない。
稲葉に道を選ばせて『あ、私もそっちなの〜』と答えを擦り合わせるだけなのだから。
「こうUFOみたいなさ、白く光る謎の物体!みたいな」
「なにそれ、見たことないんだけど。怪しい宗教団体の勧誘でもしてんの?」
「そうじゃなくて!」
むむむと唸る、なかなか説明するのは難しい。
隣を歩く横顔を見ながら策を練る。
できれば実物がいれば説明しやすい、そうしたら説得力も段違いだというのに。
見えるものは信じざるを得ないということを、過去の体験から私は知っている。
だが、エリアはまだいない。
前回は偶然街中で出会ったけれど、バタフライエフェクトとやらで出現地点が変わったら少し面倒だ。
いま、この場で大きな声で呼んだら現れないだろうか?
そんな馬鹿な考えは速攻で却下。今でさえマイナス印象が積み重なっているというのに、変人という印象が固定化されかねない!
第二案、扉を探してそれを目の当たりにさせてみる?
「稲葉さぁ、暇な時間ある?」
「そりゃあるっちゃあるけど、先に目的を教えて」
「なんというかこう、説明しにくいんだよね。いけばわかるっていうか、見ればわかるっていうか」
「なにそれ」
稲葉が訝しげに目を細めるのを見て、慌てて手を振った。とうとう見切りをつけられるかとビクビクするも、どうでも良さそうに首を横に振った。
「ま、部活の勧誘だろうと推測はついているけれど」
「そ、そーそー。そんな感じそんな感じ」
「で、どの部活?」
「あ〜う〜……オカルト、かな?」
「結局オカルトじゃねーか」
ビシッとツッコミを入れて稲葉はぴたりと足を止めて、それに倣って私も横に並ぶ。
また動き出すのをじっと待っていると、痺れを切らしたのかようやく口を開いた。
「で、俺はもう家に着いたわけなんだけど」
「……へ?」
当然の帰結、目的地を目指して歩いてるのだからいつかはたどり着くに決まっている。でも、私に邪な気持ちがなかったとは否定しきれない。
『あっ、このままついて行けば稲葉の家まで辿り着くんじゃないかなぁ?』
なんて考えが、一度も浮かばなかったといえば間違いなく嘘なのだから。それに少しだけ興味があったのだ。時間が飛ぶ前は踏み込めなかった領域、稲葉の家がどこにあるのかすら私は知らなかった。
扉の向こうから帰れば、毎回決まって私のことを家まで送り届けて、そのままふらっとどこかに去っていく。
家に行きたいなぁと呟けば、死ぬほど嫌そうな顔をしていたから、それ以降同じ言葉をいうことはなかった。
「家上がってく? お茶ぐらいしか出せないけど」
そのまま誘われるのうずうずと待っているのに痺れを切らしたのか、ようやく彼が口を開く。待ってましたと言わんばかりに躊躇いがちに頷けば、彼は適当に足を一歩を踏み出した。
てっきりそのまま吸い込まれると思っていた一軒家を通り過ぎて、小綺麗としか褒め言葉が出ないアパートへと辿り着く。
失礼ではあるけれど、少しだけ予想外だった。
複数人で暮らすには、そのアパートはあまりに手狭なような気がした。でも、扉と扉に開いた距離からすれば意外と割り当てはでかいのかもしれない。
よくよく見れば、一フロアに二部屋だけ。
ふーんと思いつつ、そう言えばと思い出す。
稲葉の家族構成すら聞いたことなかったな、兄弟姉妹の話題を聞いたことが一度もないからおそらく一人っ子ではあるのだろうけれども。
玄関の鍵を開けるのをぼんやり眺めていると、記憶をくすぐる夏の匂いがふわりとした。
「ただいま」
「……お邪魔します」
部屋の内から返事はなかった。
入ってみれば、予想以上に整理整頓されている。正確に言えば殺風景、本当に生活に最低限のものしかない。見渡す限りでは、行き止まりに位置しているリビングもそう。
なんというか、生活の気が少ないのだ。
アパートの前で感じた夏の匂いが色濃くなっている。
稲葉はそのまま鞄を雑に廊下に置いて、入ってすぐ左手にある襖を開けた。
夏の匂いの答え合わせ。ああ、なるほど。
確かにそれは線香の匂いだった。
「今日から高校生だよ、父さん、母さん」
その部屋には、誰もいなかった。
隅に置かれた机の上に写真立てが二つ、並んで置かれているだけで。
私は知らなかったのだ。あいつのことを何一つとして分かっちゃいなかった。
ずっと踏み込ませてくれちゃいなかった。隣にいたと思ったのに、それは錯覚でしかないことに今更気付かされた。
鈴の澄み切った音に、ふと意識を取り戻す。
気が付けば襖も閉じられて稲葉はリビングの方へと進んでいた。
「ごめん、私。稲葉のことをなんも知らなかった」
「当然だよ、今日が初対面なんだから」
私は誰に謝っているのだろうか?
ずきりと胸が痛んだ。
目の前の稲葉に謝ってるように見えて、私は昔のあいつに謝ろうとしている。
何も知らなかったことを、知れる位置にいたくせに何もしようとしなかったことを。
その事実を私だけが知っている、謝りたかったあいつはもういない。
私が好きな彼は、もういないのだ。
ああ、そっか。そうなんだ。
心の中で呟けば、ようやくしっくり来た。
私はもう一人だと言うことに、ようやく納得できるような気がした。
やり直せると浮かれていたけれど、全くそんなことはない。
そうじゃない、私の恋はあの時に終わりを告げていたのだ。
ほっぺたをパチンと叩く。
気合いは入った。やることを決めたら、それに向かって一直線で頑張るだけ。
何を言うかは決めている。
もちろん、扉の向こう側の世界のことではない。
「――ね、稲葉って実は小春のこと好きでしょ」
私は笑顔でそう囁いた。