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「葵ちゃん、大丈夫?」
「んー……まあまあ上々」
エナジードリンクを飲み干して、ゴミ箱へ缶を放った。芸術的な軌道を描き見事にゴミ箱に吸い込まれて、小春がおおと歓声をあげるもそれどころではなかった。
全く美味しいとは思えないけれど、これに頼らざるを得ないほど切羽詰まっている。
眠気は酷く、体の気だるさは限界を突破しそう。
理由は余りに明白だった。
「最近、眠れてないの? らしくないね」
「なによ、私にだって心配事の一つや二つあるってーの」
「それなら私にそれを教えてよ」
「まあ今回はちょっと違うんだけど」
梯子を外されて小春がガクッと肩を落とすのを見て、ほんの少し頰が緩んだ。
「ちょっとねー、面白い番組を見つけちゃってさ。それの過去配信を漁ってたらクマまでできちゃってさ、もう参ったよ」
あくまで建前、本当はそんなことじゃないことを親友なら見抜いているだろう。でもそう壁を張られたら、突っ込むのに躊躇してしまうことを私は知っている。
それで良い、この距離感でいいのだ。
小春に、この疲労の原因の本当の理由を言えるはずがない。
親友にも稲葉にも、あの世界のことをまだ明かせていなかった。
何も知らない稲葉に伝えろと指示されていたのに、その指示に抗っている。自分の選択の方が正しいと信じきれていないのに、一人で抱え込もうとしていた。
「ほら、稲葉も待ってるんだから。さっさといったいった」
そう、小春の背中を押すけれど彼女はそこから動こうとしない。
それどころか、こちらに向き直る始末。
「あのね、もし葵ちゃんが良ければ今日は三人で一緒にご飯食べない?」
「あのねえ、お邪魔虫が二人仲良くしている場所に入るわけにはいかないでしょ?」
ほんじゃねー、といって自分勝手に会話を切り上げて教室から抜け出す。このまま小春との会話に付き合えば、気が付かぬうちに丸め込まれる未来は見えていた。
それはほんのちょっとばかし、よろしくない。
教室を抜け出す時に稲葉の視線を感じたような気がするけれど、そちらに視線をむかることはない。
頰に貼った絆創膏に、ぴりっと痛みが走ったような気がした。
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結局、稲葉は一端しか教えてくれなかったのかもしれない。
もう既にエリアとは合流できていた。街中をうろうろと彷徨い歩いていると、偶然出会って精霊を守るという方向で意気投合して協力関係を結ぶことに成功。
そして、いつものように相方のエリアを追いかければ扉の前に辿り着く。
前回は稲葉を追ってきて、ここで証拠である写真を撮ったのだ。
その道標は今回は当てにならなかったけれども、精霊が扉に引き寄せられるという習性を活かせば扉を見つけられないことはない。
要するに海老で鯛を釣るというやつなのだろうか。
なんか微妙に意味が違うような気がするなと思いつつ、標識を振り回しながらトカゲを屠っていく。
「ああもう、鬱陶しい! どんだけいんのよこれ!」
『半分切ってますよ、頑張って』
エリアの念話に奮起するも、それでもやはり敵の数が多い。
身体強化という一段階目のスイッチを入れてるのに、どうにもやりにくさは拭えない。
恐らく一人での戦闘というのが集中力を過剰に消費しているのだろう、以前までは後ろを守ってくれる相手がいたから伸び伸びとやることができた。
『背後に気を付けてください』
「わかってるって!」
今はそうは行かない。
ナビはあるが直接的な火力支援までには至らない。小盾を持たせるのもまだうまく行かない以上、一つ間違えば命を落とす橋渡を、一人で完走しなければいけない。
気が付けば背中が壁に触れ、百八十度周囲は敵に囲まれている状況。稲葉流でいえば、余りよろしくないと言えるだろう。
『危険です、一時戦線離脱を推奨します』
「わかってる! ここからが本領よ!」
だが、あいつなら最悪ではないとも誉めてくれる気がした。
少なくともここは私が誘導した位置、全方位を囲まれる愚は犯していないのだから。
さらにいえば、私には大丈夫だという確信があった。
この状況を切り抜けられる切り札、それを一つ持っている。
「――稲葉、お願い」
二段階目のスイッチをパチンと上げた。
瞬間、世界がゆっくりに変わる。
前回までは、身体能力をゴリ押しで細かい制御は出来ていなかった。あくまで大雑把に力を振るって、なんとなく当たるだろうという攻撃を繰り返していた。
だけど、今は不思議なことに身体能力の強化に加えて、体感時間をゆっくりにする能力が備わっていた。
この二つを併用すれば減速した世界の中で、私だけがいつもの速さで動く事を可能に出来る。
次々に無防備な敵を切り裂いて、包囲を切り抜ける。
多分、稲葉の能力が守ってくれているのだ。
稲葉はじゃんけんに勝つ能力とふざけていたけど、本質はこれなのだろう。
最後に時戻しの能力を私に行使したから、なのだろうか?
原理はわからない、でもあいつが守ってくれていると思えばなんとなく悪い気はしなかった。
最後の一体を全部片付け終え、肩で息をする。
能力が増えたと言え、自分が万能とはいえない状況なのも分かっている。とにかく併用が厳しいのだ。
体力の疲労もあるけれど、脳の疲労が尋常ではない。
『戦闘終了、お疲れ様でした』
「ほんともー疲れたよぉ」
命の危機を脱したという安堵感から、戦闘後はどっと疲れが湧いてくる。少なくとも一人増えれば、今よりグッと楽になることは前周の経験からわかっていた。
雑念を首を振って振り払う。
稲葉は、これをいとも簡単にこなしていたのだ。ここで根を上げたら私が余りに腑抜けている。
だって、あの時のあいつには身体能力を強化する能力はなかった。それと比べれば余りに恵まれている状況だ。
「……やっぱり凄かったんだな」
『凄かったって、だれが?』
「エリアの知らない人、私の好きな人」
『……そう』
興味なさそうに肩に留まるのを見てなんで聞いたんだろうと思ったけれど、代わりに羽を撫でてやる。
ビルの隙間からふと空を見上げると、変わらず月が浮かんでいた。
目的が揺らいでいる。
私はどうするべきなのだろうか?
「エリアからしてみたらさ、私はうまくやれてると思う?」
『それはもう、めちゃくちゃに』
「お世辞を抜きにしたら、どれぐらい?」
『言葉の意味がわからない、何かを失敗した?』
「失敗したといえば失敗したのかな。エリアは知らないけど、私より全部うまくやれる人がいたんだよ。でもどうしようもなくなったから、その人の仕事を私が引き継いでるの」
稲葉の仕事、それはなんだったのだろうか。
私はあいつから何を引き継いだのだろうか?
月が落ちてくるのを防ぐこと?
なんとなく、それは違う気がする。
そもそも、私の独力で回避できることだろうか?
めちゃくちゃ頑張れば、某ロボット(諸説あり)アニメのように、盾で受け止めることが出来るだろうか。
「エリアはさ、あの月が空から落ちてきたとして、この盾で受け止めることが出来ると思う?」
『……本気で言ってるの?』
「だよねー、私も無理だと思うなぁ」
そもそも受け止めたところで質量が消えるわけではないのだから、勢いを殺して地面にそっと下ろしたところで何も変わらない。
なんか、全然無理な気がしてきた。
あいつが停滞を選んだのも無理のないような気がしてきて、月の落下を防ぐという問題はひとまず保留の欄に突っ込んだ。
じゃあ、稲葉を引き込む?
この命懸けの世界に?
次回以降を考慮するのであれば、間違いなく稲葉をこの道に誘わなければいけないことはわかっていた。
わかってる、多分あいつはそのために稲葉をこっち側へと連れて行けと言ったのだ。
私に、地獄に続くそのボタンを押せと言っている。
本当に良いのだろうか。
その確信が持てないからこそ、私は稲葉を誘えない。
遊びじゃないことはとっくに痛感していた。
あの無敵に見えた稲葉も私を庇ってあっさり居なくなってしまったのだから。
不意にキリキリと胃が痛んで、咄嗟にお腹を抑えてしゃがみ込んだ。
『大丈夫?』
「気にしなくていい、平気だよ」
きっと稲葉も、小春も今が一番幸せだ。
そう、私は停滞を選んだ稲葉と同じことをしてる。
その立場に至ってその気持ちがようやくわかった、何も知らず平和を謳歌してほしいのだ。
その平和を奪う責任を負いたくないから、あいつは私達に声をかけなかった。
でも、稲葉と私が違うのは一点。
私はもうやり直せないってこと。
どうするか。
正確に言えば、私はどうしたいのだろうか?
真っ先に出た答えを、私は見ないふりをした。