タイムループ能力者の最後の一周 作:クイヤ
人生は一度きり、一度行った選択はどれだけ悔いようともやり直す事はできず、その選択の責任を負って生きていくしかないのだ。
どう足掻いたって過ぎ去った時間は戻らない。
「……最終日、気を抜かずに頑張りますか」
アスファルトに何かを引きずるような金属音に紛れて、どこか草臥れた声が寂しく響く。
自らに発破をかける為とはいえ、どうにもやる気が出ない。負う必要のない無用なリスクを犯して居るのだから、それも当然だろうと稲葉は自嘲した。
よくある没個性な学ランにマフラー。
側から稲葉の姿を見れば、ある一点を除いて何処にでもいる男子高校生のように見えるに違いなかった。
コスプレだろうか?
それともジョークグッズだろうか?
彼の右手には学生鞄の代わりに道路標識が握られていた。2メートル以上の長さが有るであろうそれを、さも当然の如く引き摺って夜道を歩いていた。
『駐車禁止』を意味した記号が標識に描かれているが、稲葉にとってそれは何の意味も持ち合わせていなかった。
ただ都合が良い場所に都合のいいものがあったという理由で、それを手にしていたのだから。
標識とアスファルトが奏でる耳障りな音が鳴り止んだ瞬間、激しい衝撃音が響いた。
無意識のうちに稲葉の口端が吊り上がる。ここが命の瀬戸際だという自覚があった、一歩踏み外せば全てを失うということもわかっているのに。
「ふ、は」
思わず、そんな笑い声を漏らしてしまうのだから、彼はどうにも救われない。
先程まで引き摺られていた標識は、気づけば大上段に構えられていた。後方に吹き飛んでいった物体を確認すれば、それが綺麗に両断されたマンホールだということもわかったはずだ。
起こった事象を説明するのならば、それだけの情報で事足りるだろう。
稲葉によって目に留まらぬスピードで標識が振り上げられ、飛来したマンホールの蓋を切り捨てた。ただ、それだけ。
それを呑み込めるかどうかは、また別の話だ。
飛来してきた分厚い鉄蓋を一刀両断したなんて誰が信じるというのか。
ましてや、それを標識で成したなんて鼻で笑われるに決まっている。
両断された蓋を見れば不自然なほど綺麗な切り口だということには直ぐ気づくだろう。
なるほど、鉄蓋を元から切断しておいてそれを投げ付けたのならば、理屈の上では納得できるかもしれない。
それでも稲葉は、それが当然だと思っていた。
切れて当然だと信じて疑わなかった。
例え標識がアルミで出来ていたとしても。
切るためにはポールではない部分にクリーンヒットさせなければいけないとしても。
これなら切れると信じて疑わなかった。
当てさえすればどうにでもなると信じていた。
だから切れた、だから切った。
再度衝撃音が響くと同時に稲葉は全力で走り始める。異形はとっくに視界に映っていた。
それは常人にあらず。頭に目鼻はなく、ただ貪り喰らう口のみが存在している。
鍛え上げた腕は四つあり、背丈は遠方から確認した程度ではあったが、2メートルを優に越しているようにみえた。
その巨人を模した異形は、鍛え上げられた肉体を持って鉄蓋をこちらに向けて投擲したのだろう。
遮蔽物をわざわざ使うまでもない、空いた腕にはもはや残弾が残ってる様子もない。
瞬く間に距離は詰められて、あと一秒で勝負が決するという瞬間。
勢いよく背後から隠された二本の腕が現れると同時に、稲葉に向けて鉄蓋が二射同時に放たれる。
上下に分けれた必殺のコース。
一撃に対応すれば、もう一撃をなす術なく喰らうだろう。されど身を崩して回避を行えば、近距離戦に持ち込まれるに決まっていた。
それでは勝てない、それでは負けるということを稲葉は知っている。
だが、稲葉は殺されなかった。
正確にいえば、一度は瀕死まで追い込まれたのだけど。
だからこそ、遠い昔の苦い敗北の記憶を忘れることはなかった。
高く、飛んだ。
標識を全力で地面に叩きつけると同時に、その反発を生かして致命の弾丸を乗り越え、さらにその先の巨人より高く宙へと浮かんでいた。
「俺の、勝ちだな」
稲葉が地面に着地すると同時に、異形は音を立てて地面へと崩れ落ちていた。
すれ違いざまの一閃。首と身体がなき別れになってしまえば、どんな生物だろうと生きることは出来ない。
一瞬で切り伏せた巨人を振り返ることなく、稲葉は再び標識を引きずって、目的地である街の中央にある高層ビルへとゆっくりと歩き始めた。
⚫︎
空から月が落ちてくる。
比喩ではなく、実際に煌々と輝くあの月が地表へと近づいてきているのだから、まったくたまったもんじゃない。
稲葉 渉は高層ビルの屋上に出て、それをぼんやり眺めていた。
どうしたって今の自分に打てる手段は無かった、稲葉が片手に携えた無骨な拳銃程度では破壊し切れるものではない。
もちろん、これだってただの拳銃ではない。外見に見合わない火力を持ち合わせているし、そうでもなければ今周もここまで生き延びてこれなかっただろう。
地表を見下ろせば、ハロウィンパーティから抜け出してきたかのような異形の怪物が何体も地に伏せているのが見える。
近くでそれをよくよく観察してみれば、そのどれもが不完全な状態だと分かったはずだ。
どこかが欠けているのだ。
頭だったり、心臓の部位だったりをくりぬいたような大きな穴がぽっかりと広がっている。
そこから血が滴ることはなく、そういうデザインだと説明されれば納得してしまうだろう。
でも、そうではない。
それを成したのがこの拳銃だった。
発射するのは38口径でも9mm弾でも無い。そもそも実弾を撃ち出す武器ではないのだから。
稲葉は目下の世界をぼんやり眺めていると、視界の端に何か動くものを捉えた。
体に染みついた動きで狙いを定め、引き金を引く。
瞬間、眩い熱線が銃口から飛び出して狙いを過たず異形の頭を撃ち抜いた。
自分が撃たれたことにも気づかなかったのだろう。異形は翼を数回はためかせて、そのまま地面へと墜落した。
地上300メートルほどの高さとは言え、この程度能力を使うまでもない。
取り残しとはらしく無かったなと自嘲しつつ、稲葉は再び空を見上げた。
もう今となっては一人きり、この常に月が空に浮かぶ世界を渡るのも、ずっと一人。
本来ならば仲間が増える選択肢もあった。けれども稲葉はその選択を悉く蹴って、また最終日に至っている。
一番初めは、二人。
一人が欠けて二人であの月を迎え撃ったあの夜。最後に生き残ったのは、稲葉一人だった。
正確に言えば生き残るはずじゃ無かったに、命を託されたが故に、こうして何度もやりなおしている。
どれだけ仲間を増やせるのかを試みた事もあった。
限られた数人を連れて、街から逃げ出した事もあった。
しかし、何度やり直したところで未来は変わらない。
生き残るのは決まって稲葉だけだった。さあ、いつものようにまたやり直せと言わんばかりに俺だけが毎回残される。
苛立ち混じりに月に向けて、引き金を何度も引いたけれども何も変わらない。次第に空を占める月の割合がだんだんと大きくなって、終わりが近づいてくる。
稲葉は、拳銃をこめかみに押し当てた。
目を閉じれば、もう風の音しか聞こえない。
この拳銃を一つの能力に含めると、稲葉には特殊能力が三つあった。
その一つはいまだに正確に検証はできていないが、大雑把に言うなれば時間を巻き戻す能力である。
死に戻り、ではないと稲葉は思っていた。
直感が告げている。恐らくこれは、今の自分の精神をある一点の地点へと吹き飛ばす能力であると。発動条件は、この拳銃を使って弾丸を頭に撃ち込む事。
もしかしたら死亡すれば自動で発動するのかもしれない、そもそも拳銃を使う必要もないのかもしれない。
だが、わざわざ検証して無駄死にをするリスクも冒せない以上、毎回最後には決まって自分の頭を吹き飛ばすことになる。
終わりから逃げるために。
また余暇時間を作るために。
「……メリークリスマス、か」
目を開けて稲葉は再び空を見上げた。
決まって12月24日に、あの月は地表に墜落してくる。歪みの世界にでも入り込まなければ、誰もそれに気づくことはない。
「そう言えば今周はケーキ食ってなかったなぁ」
次目が覚めたらケーキでも食いに行こうと思い立って、稲葉は軽く引き金を引いた。
銃声と衝撃、それに暗転。
⚫︎
回帰する場所はいつも変わらない。
このタイミングであれば自分の望む未来に繋げられるのか、はたまた一番初めのループを始める世界を辿った稲葉にとって、真っ先にそこに戻りたいと願ったからこそ辿り着いたのか、いくら考えたところで答えはわからないけれども。
高校に入ったばかりで、まだ見ぬ未来への期待へ渦巻く教室で自己紹介が淡々と進められていた。
50音順でトップバッターを渡された稲葉は、空気を乱さない程度に淡々と名前を告げて、特に趣味も特技も言わずに「一年間よろしくお願いします」と締めた。
変に好感度を稼ごうと気を衒う必要はない、そもそも他者と絡む予定も無いのだから。
それでも、その必要がないというのに彼女の声が耳に届けば自然とそちらに顔を向けていた。
「七辻中学校から来ました川口 小春ですっ! 趣味は裁縫で最近はマフラーを作りましたっ、でもっ!作るのに時間がかかりすぎて使う時期も逃しちゃったんですけど!」
あわあわとハンドジェスチャーを交えて、必死に自己紹介をする姿を見て、相変わらずだなと稲葉はポツリと呟いた。
髪をサイドテールに纏めた彼女は、背後から浴びせられる声援を受けて再び口を開いた。
「ミサンガ程度なら簡単に作れるんでっ、何か叶えたい夢がある人は教えてくださいっ! そしたら私もあなたの事を応援しますから!」
そう彼女は言い切って、座るというより落下の勢いで椅子に腰を下ろした。如何にもやり切ったと言わんばかりに頰は上気し、瞳もウルウルと潤んでいる。
全く、小動物のように自分が守ってあげねばという庇護欲を掻き立てるこの一連の流れだった。
その一連の行動を狙ってやったのではなく、それまで培われてきた天然物である事を稲葉は知っている。
これまで何度も同じ時間を味わってきた、そしてそのたびに思い知らされる。
彼女の献身が無ければ、何も始まらなかったということに。
川口 小春は他人の為に全てを捧げることができる人間だった。だからこそ、彼女を自分の命を賭け金にできる世界に巻き込んではいけないのだ。
それを知ってるのは、このクラスの中に二人だけ。ありうる未来を知っている稲葉と、それまでずっと川口の事を近くで見守っていた親友しかいない。
髪をショートカットに纏めたそいつは、川口のちょうど真後ろの席に腰掛けていた。自己紹介を終えて縋り付く川口の頭をポンポンと撫でて、ようやく立ち上がる。
「先に自己紹介をした小春と同じ中学校から来た九条 葵です! 中学校の頃は陸上やってたけど高校の予定は未定です、ほんじゃ一年間よろしくお願いします!」
自己紹介の終わりに、一度ぐるっと教室中を見渡して数瞬目があったような気がした。
九条は特段驚くような様子も見せず、なんでもないかのように視線を逸らされるけれども特に落胆はない。
今回も何も変化のない自己紹介だった、稲葉は黒板の方に視線を戻しながら適当に他者の言葉を聞き流し始めた。
この教室に置いて将来を分岐させうる人物はこの二人、川口 小春と九条 葵の2人だけだと稲葉は結論付けている。
彼女二人に関しては才能がある。1周目に関して言えば稲葉がほとんど関与せずとも、終末にたどり着くまで何の代償も払わずに生き残るのだから。
けれども、その程度。
それだけでは終わりの向こう側に辿り着けるのは、稲葉一人だけ。
九条 葵は、最後の時まで生き残ることはなかった。
『あれ、私ってこれで終わり?』
冗談みたいに一言残して、それっきり。
川口 小春は、何もしなければ一人だけ生き残ることも可能だった。
本来ならば稲葉は生き残るはずじゃなかった、命をリソースとして完全に使い切って、完全に生命活動を停止していたはずなのだ。
『ごめん、ごめんね……でも、私だけ一人生き残るのはどうしても無理だから』
そうして、身勝手に託されて。
それから稲葉はずっと一人でループを繰り返している。終末を乗り越える手段はいくら探せど見つからず、もう他者を頼ることも無くなった。
収束を逃れることはできない、それならもう仕方がない。どうしようもない絶望と諦めが、稲葉の中で一つの答えを結んだのだ。
これを味わうとは俺だけでいい、と。
平凡な学校生活から道を外れないように、全ての危険性を事前に摘む。
世界が終わるその日まで何も知らないまま安穏と暮らして、最後の最後に自分の頭を撃ち抜いてまた始めに帰ってくる。
誰にも報われないとしても、その努力を気付かれなかったとしても、稲葉はこれでいいと思っていた。