タイムループ能力者の最後の一周 作:クイヤ
路地裏にポツンと扉だけが置いてあったら、人はどういう行動を取るだろうか。
不思議なことに支えもなく直立しているそれを見て見ぬふりするというのは、わりかし難しいことのように思える。
少なくとも、稲葉はそうだった。
どちらか表か裏か少し悩んで、モノは試しとばかりに開けてみようとドアノブに手を掛けたことがあった。
決まって夕暮れ時に現れる扉の向こう側の世界は、特段何も変わらないように見える。
あの買い食いを禁止されている懐かしい商店街も、いつも通っている高校も、記憶の通りにちゃんと全てが揃っている。
水道の蛇口を捻れば水も出る、信号も正常に動作し明滅を繰り返していることから、恐らく電気も正常に通っているのだろう。
なのに、それなのに、その空間に生気を感じることはない。
肝心なものが揃ってないのだ、きっとそこに辿り着けば考えるまでもなく答えに気づくだろう。
そう、そこの世界には、生活をする人達がすっかり抜け落ちてしまっている。
どれだけ探せども、その世界に人間は存在しない、あくまで形だけを模倣した偽物の世界でしか無かった。
それ以外にもおかしいと思うことはいくらでもあった、大きなものを一つ挙げるとすれば夜が明けないというのもその一つ。いくら待てどもそこでは日が登ることもなく、夜空には星もなく、ただ一つ月だけがずっと空に浮かんでいる。
プカリプカリと浮かぶ偽物の月が、じっとこちらを見下ろしている。
そこへ行くための扉を見つけるのには、おそらく素質が必要なのだろう。稲葉が知る限りでは、その扉を認識できないものが殆どだった。
けれども、それ自体は特段驚くことではない。
この扉は実際罠ではあるけれども、それで吊り上げようとしているのは人ではないのだから。
時たま素質がある人間が助けを呼ばれて、この扉に手を掛けてしまう。
人外が人外に対して仕掛ける罠、これがこの扉の仕組み。
明けることのない夜の世界で、扉という罠に引っ掛かった獲物を喰らおうと今日も今日とて異形が跋扈している。
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基本的に稲葉が路地裏の扉を開けた瞬間で、おおよそ勝負は決まっている。
周回を経て大体どこら辺に扉ができるのかをきっちり把握出来ているのだから。その前提条件を踏まえた上で扉が作成された瞬間を稲葉が出待ちをして、相手はまだ準備が整ってないうちに打って出ることが可能としていた。
抜き打ち一閃、ぽかんと口を広げた人のサイズを優に超える大きさのオオトカゲの口内に熱線を撃ち込んで、稲葉は能力を起動した。
時間を巻き戻す、また拳銃を引き出すに次ぐ第三の固有能力。
瞬間、音が消えて全てが止まって見えた。
時を止めた、なんて大それた特別な能力では無い。よくよく見れば、時が止まったわけではなく、少しずつ世界が進んでいることがわかるだろう。
顔面を吹き飛ばされて宙に舞うトカゲの背後を見れば、いままさに吹き飛ばされたトカゲと同様の個体が動揺しながらも瞬時に体勢を立て直し、こちらに飛び掛かろうと脚に力を溜め込んでいるのが見えた。
今の状態では認識できているとはいえ、時間が正常に進み始めれば一瞬のうちに距離を詰められるだろう。
それはあまりよろしくない。近距離戦に置いて銃よりナイフの方が強いと定説になっているのは、ナイフを抜いた瞬間に切れるからである。
銃は武器を抜く、狙いを定める、引き金を引くという工程を挟んでしまう。
普通であればどれだけ足掻いても追いつけない、武器を抜いていたとしても狙いが定まらなければ意味がない。どれだけ高威力の武器であろうと宝の持ち腐れに成り下がる。
しかし、この能力であれば。
オオトカゲが飛び掛かるより先に、稲葉は狙いの修正は終わって引き金を引き始めていた。
きっかり体感時間で60秒。能力の解除に合わせ、再度銃口から熱線が発射され、飛び掛かろうとしていたオオトカゲは足を滑らせたかのように蹌踉めき痙攣を始めた。
体感時間の操作、それが稲葉 渉の特殊能力。
この月下の世界に初めて入り込んだ時に目覚めたそれは、1秒を体感60秒まで引き延ばすことができるだけのシンプルな能力。
ただ、それが特段優れた能力とは言い難かった。もっと強い奴らはいくらでもいたのだから。いくら良く見積もったところで上の下、中の上程度であるだろう。
だがこの拳銃と掛け合わせることで稲葉単独で凶悪な性能を発揮することを可能にしていた。
構えさえしていれば狙いを定めてからその直後に引き金を引けるのだ。言い換えれば弾丸が届く範囲全てに届く、不可避不可視の槍と言っても過言ではない。
もちろん、絶対の能力とは言えないのだけれども。
能力あり、武器ありの戦闘であるならばどんな相手でも五分以上には戦えるだろうと稲葉は自負していた。
路地裏から通りへでるなり、稲葉は再度能力を発動した。今回の異形であるオオトカゲが通りのあちこちを我が物顔で彷徨いているのを確認し、再度引き金を引く。
どれだけオオトカゲを撃ち抜けどもどうしても実感が薄いのは恐らくこの拳銃の反動が軽すぎるからだと稲葉は考えていた。
この月下の世界において不思議と体は軽く感じるし、実際に身体能力も元の世界と比べたらかなり向上している。
ハンドボールを軽く投げればいまでも優に50メートルは超えるだろう。たいして鍛えてない今の段階の稲葉ですら、そうなのだ。
夜を渡る数を増やして適応を重ねれば、もっと動く。
今の力を試したい、もっと暴れ回りたいと本能が急かしている。この有り余った力を傍若無人に使用してみれば良いのではないかと囁いている。
都合のいいことに拳銃の引き金をひけども熱線が発射されないのをみて、稲葉は鼻を鳴らした。別に焦ることはない、拳銃を自分の影に落とせば飲み込まれるように跡形もなく無くなった。
代わりにそこら辺にあった『止まれ』と描かれた三角の標識を手に取って、根本を思い切り蹴飛ばした。
根本からいとも容易く折れ去って簡易的な斧に早変わり。軽く振り回せば、いつもの懐かしい感触。
オオトカゲ程度なら、後はこれで済むだろうと稲葉は力強く地面を踏み込んだ。
まあ、これで済まない相手なんて殆どいないのだけれども。
バリエーション豊かな異形を除けば、こちら側の方が素質のあるものたちにとっては生きやすい世界なのだろう。
オオトカゲを処理し切った後の世界で、稲葉はガードレールに寄りかかりながら、ぼんやりと月を見上げて待っていた。
あたり一面に死体が散乱しているけれども、これらに関しては気がつけば跡形もなく無くなっているのだからあまり気にする必要はない。
そろそろだろう、腕時計を確認するまでもなく稲葉は扉の前へ立つ。狙い過たず、扉が軋む音を立てながらゆっくりと開き始めていた。
出てきたそいつは人の形をとっていなかった。そもそも扉を開けるための腕すらないのだから。
簡単に言えば発光体、詳しく説明すれば緑色に発光する、中空を漂う四枚の羽が生えた小球体としか言いようがない。
目の前で待ち構えていた稲葉を見て、そいつは慌てた様子で羽を動かしていた。
「慌てなくて良い、お前がここにきた理由はわかっている。簡単に状況の説明をしよう」
稲葉が手を伸ばせば、蝶のようにちょこんと手の甲へと発光体は止まった。
こいつらが言葉を理解しているということを稲葉は知っている、そして人間に対して友好的に振る舞ってくれるということも。
「俺のことは精霊使いだと思ってくれれば良い。シャーマンと呼ぶ奴もいるけど、まあお前ら精霊と交信できる人間の一人だ」
稲葉の言葉を聞いて、驚いたように発光体は羽を震わせた。
精霊を自称する彼ら、目の前のこいつに関しては言葉を音として発せないが、稲葉は過去に会話が成立する精霊に何度も遭遇していた。
羽根の数が基本的に偶数個であり、その羽根の量、また光量によってその精霊の力の強さが判別できる。
はっきり言ってしまえば、この四枚羽の精霊はそこまでの強さは持っていない。まあまあよく見る程度の強さだ。
今まで見たなかで1番の力量を持っていたのは、それこそ自分の原型を引き出したあの精霊。発光体という形ではなく、人の形を取り持てる化け物みたいな存在がそれだった。
その一体だけが例外、それ以外は異形に一方的に貪り食われる非捕食者という弱い立場にある。
「お前ら精霊が住んでた世界は本当はここだったんだろ? でもいきなり追い出されて途方に暮れているうちに、こっち側に繋がる扉を見つけて入り込んだ」
機微激しく羽根が萎れたり羽ばたいたりしていたが、オオトカゲの死体の目の前に辿り着いてその動きもぴたりと止まった。
「お前には残念だが、これは罠だ」
精霊を乗せた手の甲をオオトカゲの口に近づければ、慌てふためいて稲葉の手から肩へと飛び移った。
これが自分を害する存在だと気づいてくれれば、それでよかった。
精霊は人間に対して友好的な存在である。
だが、異形そのものが悪で、今肩に乗る精霊が善とも稲葉には言いきれない。扉を抜けて精霊がやってきて、黙って異形に食われるぐらいなら全部丸く済むのだ。
でもそうではないからこそ、精霊の動きを止める必要が稲葉にはあった。
精霊が異形に襲われた際に助けを求めて呼び声を出すのだ。初めは微かに、襲われたことを驚く程度の大きさの声。そして逃げ惑ううちに傷を負ってようやく必死に助けを求め始める。
この声に釣られて、精霊の声を聞ける人物が扉の向こうへ呼び寄せられるのだ。扉の向こうに誰かが自分を呼ぶ声がすると踏み込んで、そのまま死に至る。
これがまず回避するべき一つのこと。
『わたし 助けてあげる お前』
稲葉の脳内に直接その言葉が叩き込まれるが、それに戸惑うことなく首を横に振った。
精霊の念話、声量の調整もうまくいっていないが感情を押し殺すことにはなれていた。
「俺はいらん、こんなふうに身を守る力はあるしな」
そして稲葉は目を閉じた。
胸の内から感情を引き摺り出すために、もう何度も繰り返した方法。強い後悔を掘り起こしてトラウマを再起する。何も守れなかった己の弱さを、自分を打ち砕くために必要な武器を想起する。
再度稲葉が目を開ければ、手の内に拳銃が収まっていた。
『お助けなし? 凄い! バケモノ!』
「失礼な、俺はちゃんと人間だよ」
そう言い返しながらも、稲葉はこれが異端のやり方だということはちゃんと認識していた。
本来であれば精霊を通して己の内にあるものを掘り起こすのだ。それは全てを防ぐ盾だったり、万物を切り裂く剣であったり、大概がいかれた武器だった。
稲葉が今やっているのは、所詮はそれの劣化。
俺の心の内を正確に掘り出してくれたアイツは、あの月が落ちてくるまで現れることはない。
本来の性能を十全に引き出せない状態ではあるが、それで十分だった。一度掘り出したからこそ、自分のうちに眠る武器の形を事前に把握しているからこれが出来る。
精霊との交信を通して、人の心を解釈して武器と成す。精霊側の解釈が不十分だとむしろ劣化することを考えると、あいつでない限りは自己作成していたほうが強い。
試しに空に向かって一発放てば、あまりの火力に『私 ついていけないかも』と羽を萎れさせていた。
「だから、こっち側の掃除をするのは俺だけで良いんだ。お前たちは変に扉に近づかなければそれで良い」
『わかった わかった』
一通りあたり一面に死体が散らばるのを見終えて扉の前に立つ。
今回は扉の周りを綺麗に片付けたけれども、この周囲だけでそれだけ外敵が居れば、こちら側で安穏と生きられないことは精霊も悟ったのか、言葉も少なかった。
『私たち こっち 戻れない?』
「さあな、少なくとも今日明日に劇的に変わることはないだろうな」
『そう わかった』
そう呟くなり、精霊は羽ばたいて稲葉の額に軽く触れた。
『応援 死なないで』
それだけ言って精霊は扉を抜けて元の世界へと帰っていった。
特段いつもと代わりのない、同じ結論。精霊は俺のことを応援して、そのあとはもう二度と会うことは無い。一度背をぐっと伸ばしてすぐに稲葉も帰還する。
結局、最初から最後まで、稲葉と精霊のやり取りを眺める存在に気づかないまま。気づいたからと言って、何が変わるわけでもないのだけれども。