タイムループ能力者の最後の一周 作:クイヤ
「一生分のケーキを食べた気がする……夢に生クリームが出てきそう……」
自分で言って吐き気を催したのか、慌てて口を押さえる九条を呆れた目で見ながら、稲葉は彼女の自転車を押して歩いている。
身の程を弁えてケーキを食べるのもそこそこに、ついでに帰宅経路にバスを選んだ小春とは大違いの酷い有様だった。
「うう……絶対肌荒れるし、しばらく節制生活確定だよ……」
「これで学習したろ、ケーキはそこそこの量でいいって」
「そこそこ、そこそこね。昔さ、パンの代わりにケーキを食べればいいって言ってた人も居たけど、今の私の経験から踏まえればどう考えたって直ぐに飽きるってーの」
果たしてアントワネットは、ケーキをドカ食いする奴を想定してそんな台詞を言ったわけではないような気がしたけれども、いずれは飽きるという九条の結論に関しては稲葉も賛同できた。
「日常になった特別は特別になり得ない、ね」
「なんて?」
「ケーキがパンになるってこと」
「ケーキはパンにならないと思うけど」
「……」
説明も放棄して夕日に向かって足を早めれば、慌てて九条も追い縋る。
「どういう意味がちゃんと説明してよー」
「はぁ……要するにだな、美人は三日で飽きるって言葉があるだろ? ケーキもそれと一緒だよ。甘味もすぐに慣れて新鮮さが薄れて、それが無くなったら凡庸なものに成り下がるってこと」
「そーそー! 私が言いたかったのはそういうことなの、稲葉もちゃんと分かってるじゃん!」
バシバシと九条が背中を勢いよく叩いてくるけれど、果たして彼女は本当にそんなことを考えていただろうか?
追求したくなる言葉をグッと飲み込んで足を早めるも、タイミング悪く切り替わった信号にストップを掛けられる。
「小春はさ、パンというよりケーキ側の人間かなぁ」
「自分はパン側だっていう自虐ネタは突っ込みづらいからやめろよな」
「じゃなくて! ったく、稲葉ってこうして話してみると意外に口が回るんだから……」
ぶつぶつ文句を漏らす彼女を放っておいて、信号が変わるのを待ちぼうけ。大型トラックが音を立てて目の前を通り過ぎ、残された排気に思わず咳き込んで目が潤む。
次第に周りの音が小さくなり、代わりに耳鳴りが大きく鳴り始めていた。珍しい感覚というわけでもなかった、周回を繰り返しているうちにありふれた体験として積み重なっているのだから。
こういう時には決まって頭痛がついて来て、次いでとばかりに幻覚がセットされる。頭痛を感じるから幻覚を見るのか、それとも頭痛が由来で幻覚を見たのか、結局答えはわからないけれども。
果たして信号の先には所在なさげに佇む下半身があった。断面からは血が滴り落ちて、残されたスカートからは辛うじてそれが高校生だろうと推測が立てられる。
まるでB級のスプラッター映画のようにチープな絵面だったけれども、過去に起こった現実の焼き増しだと分かっていたから、それを笑い飛ばすことはできなかった。
稲葉は、それを九条だとちゃんと認識することができてしまう。
「どうしたの稲葉、信号変わってるよ?」
気が付けば、九条が顔を覗き込んでいた。気がつけば耳鳴りも止んで、信号は青へと変わっていた。
もう何も残っちゃいない、ここにいるのは五体満足の九条だけ。それでも稲葉は彼女から目を逸らせなかった。そこにいるとちゃんと確信を持てなかった、きっと自転車を支えてなければペタペタと体を触って実在を確認していたに違いない。
だからかわりに、視線を逸らさずにじっと眺めていた。それも数秒の間、痺れを切らしてソッポを向いたのは九条の方。
「あーもう、ほんとタイミングをずらされるんだから」
九条お手上げお手上げと両手をあげて、点滅を始めた歩行者信号に急かれて白線を渡る。対して慌てもせずにそれを追いかけると、九条はくるりと振り返ってこう言った。
「ちょっとだけ寄り道して行かない?」
こちらの返事も待たずに九条はスタスタと歩き始めた。
まるで否定されると思ってないのか、それとも付いてくるしか選択肢がないと分かっているのか。
稲葉が彼女の自転車を押している以上、主導権を取って行動に移して仕舞えば後を追わざるを得ない。
まあ、別にいいのだけれども。
稲葉としても、それは望むところだった。
なにしろまだ目的を達成していない、こちらに誘いをかけた理由を把握できていないのだから。
⚫︎
連れられて来た先は公園。
当然遊ぶ目的ではないのだろう、九条はまっすぐテーブル付きのベンチに腰掛けた。流れに任せて稲葉は対面に腰掛ける。
けれども九条は全く口を開こうとしなかった。もじもじと髪を指先で弄るばかりで、たまに顔を上げてはかち合った視線に気まずくなって顔を逸らすのを繰り返している。
思わずため息を吐く、過去のやり取りにおいて九条はこんなにまどろっこしい奴だっただろうか。
稲葉の記憶でも珍しい光景。基本的には単刀直入に本題にズバッと切り込んでそれが自分の手に負えるか負えないかを見切りを付けるのが九条といい人物だった。
だが例外がある事は知っている、例外になりうる条件も。
それが自分の感情に由来する問題である時という事だ。九条は他人なら勝手にやれるのに、自分にお鉢が回ると途端に奥手になる。
もうここまで来てしまえば、誘き出された原因は推測がついていた。稲葉は何もわからない朴念仁というわけではないのだから。
問題は、そこに至るまでなんのフラグを踏んだかという事。
腕時計に視線を一度落とし、誘い水とするべく稲葉は口を開いた。
「で、今日はどうして俺を呼び出したんだ?」
「一番初めに言ったじゃん。小春が稲葉と話したそうにしてたから、私がそのセッティングをしてあげたって」
そんな言葉に乗らされる事はなかった。そもそも小春に裏をとっているのだから。見え透いた嘘に乗ることも指摘もしない。代わりにただ沈黙を保てば、彼女が嘘に耐えきれなくと稲葉は分かっている。
「わかったよ、わかったわかった! 私が稲葉と話したかったの! これで良いでしょこれで!」
「俺と話しても面白いことは何もないだろ、そもそも何の接点もないんだから」
そんなことはないと、九条は首を横に振った。
「意外と、私はほんとに面白かったよ。もっとゆっくり話せる場所にすればよかったなーって思うぐらいには」
ケーキバイキングはケーキを食べに行く場所だからそれも当然だろうと呆れた目で見ていると、慌てて口を挟んできた。
「だからさぁ、どうすれば稲葉を釣れるかわかんなかったんだって! 小春にアドバイスを求めてもさ、葵ちゃんの好きなようにすれば良いっていうばかりだし」
「だから小春を使ったのか」
その言葉を聞いて、九条はぴたりと動きを止めた。
建前でもいいから否定すれば良いのに、彼女はやっぱり分かっちゃったかと苦笑するばかり。
「私、人の機微には少しは詳しい自信があるんだよね。他人に興味がないように見える稲葉も、小春をたまーに視線だけ追ってることぐらいは分かるんだよ。それを踏まえればきっと憎からず思ってるんだよーなーってことぐらいすぐに見抜けるんだから」
相変わらず聡いやつ、それでいて自分への気持ちへ疎いやつ。
これまでの周回でも似たようなことはあったけれども、どこにおいても九条は自分を卑下する傾向にある。徹底して、自分は友人に敵わないという劣等感を擦り付けられてしまっている。
「だから友人をダシに使った、そしたら稲葉のことも釣り出せるんじゃないかなーってね」
嫌いになった?と尋ねられ、首を横に振る。
そこら辺は極めてどうでもいい事だった。俺が咎めたところで、使われた本人はきっと許しているのだろうから。
「あと、なんか勘違いしてるけど、九条も小春も俺にとってはあんま立ち位置は変わらないからな」
「それはそれで、ちょっと引くんだけど」
初めは九条の言葉通り、彼女たちに向ける感情も異なっていた。推理通りに、俺は小春に恋をしていたし、九条とは気のおける悪友という立ち位置に落ち着いていた。
でも、それらは全部過ぎ去ったこと、そこの関係に至った彼女たちはとっくに居なくなってしまったのだから。
今、目の間にいる九条も、下の名前で呼ぶことを許された小春も、全部残影に過ぎない。
人を、その人たらしめるものは記憶だ。
彼女たちは俺と時間を共有出来ない。
記憶を引き継げる稲葉は全部一人だと言えるけれども、分岐を経て違う経験を積んだ彼女たちはまた一人一人別人。
稲葉はそう割り切ることにした、結局割り切ってしまえるようになってしまった。
「稲葉ってさ、たまにここじゃない場所を見てるよね」
「……気のせいだろ」
九条は聡い。
当然、今の嘘も見抜いたことだろう。
それでもそこから先に深入りする事はなかった。
気まずさに背中を押されて、稲葉は結論を急いだ。
「で、あいつを使ってまで話したかったことってなんだよ」
「これを見て欲しいんだけど」
鞄から取り出されたのは、一枚の現像した写真。
それを見た瞬間、思わず稲葉は呻き声を漏らしそうになり、慌てて口を押さえた。
標識を景気よく振り回す男子の姿がばっちりとそこには映っている。それが誰かなんて言うまでもない。
「稲葉の抱えてる秘密、私に教えてくれないかな」
教えてもらって当然かのように、九条はそう言った。