何回も周回を繰り返していると、次第に学校に行く意味もないんじゃないかと考えたことがある。
そもそもクリスマスイブに終わりが確定しているのならば、やるべきことをやったのであれば何をやっても良いはずなのに。
けれども、今も変わらずどの周においても変わらず高校に通っていた。
なんとなく予感がしたのだ。自分の元いるべきところを見捨ててしまったのなら、どうにも戻れなくなってしまうような気がして。
あのクラスこそ自分がいるべき枠組みだった。
そこを放棄してしまったら、自分は何者でもなくなってしまうんじゃないかと。
川口 小春がいて、九条 葵がいるあの教室から自分の居場所がなくなってしまったのなら、一体何のために何度もやり直しているのかわからない。
縁は極力作らない、こちらから話しかけることは無い。
ただ彼女らを遠巻きに眺めて、何でも無い日常を送れていることを確認さえできれば、それだけで十分だった。
己から接近しなければ、彼女達に接点が生じないことはこれまでの経験で分かっている。
そして、今回もそのつもりだった。
一人で処理し切ってきまって最後の日にやり直すと決めてからのルーチン。彼女らからしてみれば、稲葉はただのクラスメイトでしかなかったし、その一線を踏み越えることはなかったはずなのだ。
「あのさ! 稲葉はケーキ食べ放題とか興味ない!?」
じゃあ、目前にいる九条はなんなのだろうか?
こちらからはなんのアプローチも掛けてないのに、いきなりこの距離まで踏み込んでくる九条を稲葉は見たことがなかった。
そもそも互いの連絡先を交換すらしてないのだから、段階の一つや二つを軽々とぶっ飛ばしていた。
入学してから一週間もしてない昼休み、最前列の入り口に一番近い席。
そこで一人で惣菜パンを食んでると入り口で右往左往していた彼女がいきなりぴたりと立ち止まり、そう話しかけてきたのだ。
あまりに挙動不審な動きであったから、稲葉は話しかけられる前から九条のことを怪訝な目で見つめていた。
そもそもの話、九条が川口を連れていないのも少々珍しいことのように思えた。
「よくわからんけど、一緒に行きたい相手を探したいなら俺じゃなくて友達の川口さんを連れてけばいいんじゃ?」
まずは一線を引く。こういう未知のイベントを踏んだ場合、基本的に稲葉自身が何かをやらかしてしまっているという事を分かっていた。
しかし、どのタイミングで何をやらかしたのか全く心当たりがない。始まって序盤も序盤、分岐のしょうがない一本道のはずなのだから。
「もちろん二人きりってわけじゃないよ。ここだけの話だけどね、小春がちょーっと稲葉に興味があるんだってさ」
「ちょっと葵ちゃん!?」
入口の陰に隠れて聞き耳を立てていたのか、その言葉を聞くなり両拳を使ってポカポカと川口が九条を小突いていた。
全く悪びれる様子を見せず、軽く頭を下げるのを見て稲葉の答えは決まっていた。
「それならご同伴にあずかるかな、いつ行くつもり?」
「やりぃっ! ほら小春、こんな感じに男ってやつは食べ放題とか大盛りとかラーメンとかそういう誘い文句を目の前に吊るせば簡単に釣れるんだよ!」
「そうじゃなくて! 稲葉君も勘違いしないで、葵ちゃんの言葉は全部嘘なの!!」
気づけば静まり返っていた教室に、川口の声が響き渡った。
自分が思ったより大きな声を出してしまって注目を集めたことに気づいたのか、あうあうと呟きながら机の下の視界外へとしゃがみ込み、それを見て九条が大笑いする地獄絵図。
稲葉にとって、それは酷く懐かしい光景だった。初見のイベントを確認するという理由で九条の意見に乗ったけれども、これだけでもお釣りが出るレベル。
「おお……稲葉が笑ってるところを私初めて見たかも」
「だいぶ失礼な言い草だな」
差し出されたスマホのQRコードを読み取りながら、そう返す。順序をあべこべに、結果が先に成立して過程が後から追いついてくる感覚。
陸上スパイクを撮った懐かしいアイコンが『よろしく』とスタンプを送ってきて、稲葉は適当に『よ』とだけ送り返した。
⚫︎
「夢も希望もない話をすると、私は思うんですよ。このケーキバイキングで元を取る為に何個ケーキを食わなければいけないのかってね」
「葵ちゃん、こういう場でそういう話はしないほうがいいよ」
淀んだ目で九条 葵は何やら語りそうとしているし、川口 小春はその腕を揺さぶってそれ以上言葉を言わせるのを止めようとしていた。
稲葉はモンブランを摘みながら、最低7個はケーキ食べなきゃいけないのかぁと呻く九条に忠告した。
「ちなみに、後半は生クリームがキツくなるからショートケーキ系は先に食べといたほうがいいぞ」
「そういうのは先に言っておきなさいよ!」
「葵ちゃん、稲葉君からこれを聞くのは二回目だよ」
優しく諭す川口を他所に、九条はフラフラと席を立って彷徨いでた。
どこに行くのかを尋ねるデリカシーぐらいはちゃんと持ち合わせて居るけれども、こうして彼女と二人っきりにされると気まずいものがある。
ケーキの個数で元を取るのを諦めたのか、焦ってケーキを胃に詰めることもなく、川口は優雅にティーグラスを口へと運んでホッと一息付いた。
「だからケーキバイキングはやめといた方が言ったのに。話より食べることに集中しちゃうし向いてないよって止めたのに、葵ちゃん全然話を聞かないんだから」
「ま、それだけケーキ食べたかったんだろうよ。それにしてもそこらへんの喫茶店でいいと思うけど」
「だよねえ、もうケーキは本当こりごり」
そこまで食べてないだろうと稲葉は思ったけれど、女子の感性的には違うのだろう。自分はあまり気にしてないけれどやっぱりカロリーの摂取量とかは気にしているのだろうかと邪な考えを抱き始めていた。
目の前の彼女ならしてそうだな、九条は間違いなく気にしてないけれど。
ふとケーキから視線をあげると、彼女はこちらの顔をじっと見つめていた。
「ねえ稲葉君。私はね、君がこんな誘いに乗るはずがないと思ってた」
「……それはまあ、川口さんからしてみればもしかして俺が来ないほうが良かったか?」
「全然! 私は稲葉君が来てくれて嬉しいよ。それに、思ってたより全然話が通じる人だったし」
でも、と川口は言葉を継いで言った。
「稲葉君って、バリバリ周りに壁を建てるタイプでさ、近寄るもの全て拒むってタイプなのに、どうして今日は来てくれたの?」
「……知らないものは怖いって事なんだよ」
至極明快な行動原理、見知らぬイベントだからこそその選択を選んだ理由を深掘りすれば行き当たる結論。
モンブランの一番上にちょこんと乗った栗をフォークで突き刺して、口へ運んだ。
「どうして誘われたのか知りたいんだ、それを知らないままにしておきたくなかった。知ったら対処ができる、手の打ち用が無いにしても心構えぐらいは出来るだろ?」
「……結構、稲葉君って考え込むタイプなんだね」
もっと気楽に生きたほうがいいよ〜と呟やきながら、九条が最後に食べるように残しておいたであろう苺を強奪していた。
人差し指を立てて、二人だけの秘密だよと囁くのを見て思わず笑みを漏らした。
「でさ、結局のところ俺を誘ったのは川口さんと九条さんのどっちの発案なの?」
「そんなに答えを教えて欲しい? 世の中には知らないままでいい事もあると思うよ?」
「少なくとも、俺に取っては確認しておいたほうがいい事なんだよ」
それが本当に知らないままでいいことだったとしても、世の中の知らなくてもいいことを既に知ってしまって居る稲葉からしてみれば、鼻で笑えるぐらいのことなのだから。
「それなら、教えてあげるかわりに私の事は川口さんって呼ぶんじゃなくて小春って下の名前で呼んでよね」
「……」
「なんでそこまで嫌そうな顔するのさぁ!?」
少し嫌どころか、だいぶ嫌だった。
稲葉にとってはその名前に思い入れがあったからこそ、その名前を易々と呼びかける事が出来ない。下の名前で呼ぶようになって仕舞えば、いよいよ他人行儀で振る舞えなくなる。朧げだったものがくっきりとした輪郭を持つようになってしまう。
「もしかして稲葉君って、私の事嫌いだったりする?」
「おうおう旦那ぁ、小春を泣かせようたぁいい度胸じゃねえか」
それを狙ってかうるうると瞳を潤ませる川口に、折を見計らったかのように九条が戻ってきて、自分の席に戻る代わりに俺の隣に腰掛けてだらしなくしだれかかるという最悪の連携攻撃。
九条を振り払うのも諦めて、稲葉はため息をついて口を開いた。
「分かったよ、小春。これで良いんだろ?」
「はいっ! ありがとうございます、稲葉君!」
これで下の名前で呼ばれたら発狂ものだったけれども、小春はちゃんとラインを選んでいた。
パッと笑顔を咲かせる小春とげんなりと疲れた表情を浮かべる稲葉を交互に見やって、一人だけすっかり状況においてかれてしまった九条はぽかんと口を開けていた。
席を外した一瞬で、どうして親友が下の名前で呼ぶことが許されて居るのだろう。おおかたそんな疑問に襲われて居るに違いなかった。
「で、答えなんですが『私ではないです』」
「分かった、ありがとう小春」
「ちょちょ、ちょっと待って。なんで帰ってきたら稲葉が小春のことを下の名前で呼ぶようになってるの? なんで? どうして?」
隣からジリジリと詰め寄ってくる圧を感じるけれども、答えを教えてあげる気なぞ稲葉にはさらさらなかった。
「なあ九条、お前が大事にとっておいた苺は小春が勝手につまみ食いしてたぞ」
「稲葉君!? なんで私のことをいきなり売るんです!? 私と稲葉くんの仲ですよね!?」
「……こぉはる〜?」
きっちりと矛先を逸らし、ぴぃと小さく鳴いていよいよ小さくなる小春を見ながら、稲葉は冷静に算段を立てていた。