タイムループ能力者の最後の一周 作:クイヤ
川口 小春という人物は可愛らしい容姿も相まって、クラスのマスコットとして認知されていた。彼女を置いておけば円滑に場が回る、彼女に迷惑をかけないようにみんなが努力をする。
彼女を中心に人が集まるというよりは、ひな壇の一番上に置かれる人形というような扱いではあったけれども、そこら辺に頓着するような人でもなく、大抵はあわあわとみんなの中を取り持とうと努力をしていた。
その彼女が、今は稲葉の机の前にやって来ている。
高校生活が始まって次第に仲良しグループが形成される仲、そこから一人浮いてぼんやりしている奴。そんな男子にクラスのマスコットが話しかければどうなるか。
答えは言うまでもない。
好奇の目に晒されるに決まっていた。
「ねえ、稲葉くん。ちょっとお話があるんだけど」
マスコット扱いされてるとは思えない、後ろに重低音が効いた効果音を流せば、ぴったり当てはまるんじゃないかという圧力を小春は発していた。
拒否を許さぬ構えに稲葉は渋々席を立った。
この誘いがちょうど良かったというのもある。ほんの少しだけ教室は息苦しい雰囲気だった。なにしろ後方からも似たようなプレッシャーをひしひしと稲葉は感じていたのだから。
小春の背を追って階段の踊り場まで連れ出されて、そこまでつけばくるりと振り返って彼女は口を開いた。
「私が帰ったあと、稲葉くんと葵ちゃんで喧嘩した?」
「いや、全く喧嘩したつもりはないな」
「……本当に? 神に誓える?」
「誓ってもいい」
確かに喧嘩はしていない。ただ白々しい嘘を押し切って、隠し事をひた隠しにしただけ。ダンマリを決め込まれて、九条からもういいと話を切り上げて少しだけ不機嫌になっただけだ。
どれだけ彼女が不機嫌になろうと、それでいいと思った。
だって、あれは遊びではないのだから。
稲葉自身は何度でもやりなおすことができる。
けれども普通の人は死んだら終わりだ。月下に置いては不用意な行動が一瞬で死を招くことを稲葉自身がよく知っている。
詰んだと思った事は両手で数えられないぐらいある。自分の頭を撃ち抜くのがほんの数瞬遅れれば、この周回がそこで止まっていたことも何度もあった。
幾許の幸運があったからこそ、稲葉はまだここに立てている。
「葵ちゃんも稲葉くんもすぐに仲良くなれると思ったんだけどな」
「腹を割って話せるなら、そうだろうさ。人間なら誰しも秘密にしておきたいことの一つや二つあるだろ」
「稲葉くんも、そうなの?」
「当然だよ」
その言葉を聞いたとて、小春はどうでも良さそうに踊り場から外を眺めていた。
どうやら、まだ九条は小春に俺の秘密を教えていないらしい。それがわかっただけで。ほんの少しだけ気が楽になったような気がした。
彼女は、まだこちら側に踏み込んでいない。
俺と違って、目の前の小春は何にも隠し事はないのだろう。腹芸の苦手な彼女のことだから、こちらに隠し事があったところですぐにボロを出すに決まっていた。
一線を引いて仕舞えば、小春はこちら側に踏み込んでこようとしない。他人の秘密を探ろうともせず、心地よい距離感を模索し続ける。
何も知らなければ、平穏な暮らしを保てる。
稲葉と小春は全てが違うのだから。
「それは私にも言えないこと?」
「当然」
即答、誰にも告げる必要はない。
稲葉が同じ時間を何度もやり直していることも。
月下の世界という裏側があることも。
来年がやってこないことも。
「……そっか、なら仕方ないね」
案の定、小春は素直に引き下がった。
「私は諦める、けれど葵ちゃんはそうそう簡単に引き下がらないと思うから覚悟しておいてよね」
「知ってるよ、当然」
「あと仲直りは早めにして、友達同士がずっと喧嘩しあってたら私は悲しいな」
稲葉のことを見上げて、眩しそうに手を翳しながらそんなことを言うのだ。言質を取るまで待とうとしているのか、そこからじっと動かない。
「俺ってもう友達認定されてるんだ」
「当然! そうじゃなきゃ私も下の名前で呼ぶことも許さないんだから」
自分勝手だなと稲葉は思った。けれども小春のこういうところは嫌いではなかった。
全部を身内に引き込んで、それを悪くないなと思わせる緩い関係性。
「これは友達からのお願い、葵ちゃんと仲良くしてあげて」
そうして稲葉は踊り場に一人取り残される。
仲良くしろって言われたって、こちらから邪険に扱う気はさらさらないというのに。
どうしたもんかねとため息を一つ吐いて、トボトボと教室に向かって歩き始めた。
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跡をつけられていることも、稲葉は即座に看破していた。確かに裏側の世界に入り込むためには扉を経由しなければいけないのだから、その出現先を知っているであろう自分を追跡するのは合理的な判断と言える。
問題は、どうしたって苦情の追跡を振り切れないところ。月下に置いてならともかく、こちら側ではどこにでもいる普通の男子高校生でしかない。
目的地までに振り切る必要があるとわかっていたところで、元陸上部の容易に振り切れるはずがない。
ただ、今回の扉に関してはワンチャンスあると思っていた。途中までのゆったりとした歩調から、一気に通行人の群れを割いて改札を駆け抜ける。
時間はギリギリ。階段を一足飛ばしで駆け上り、ちょうど到着していた電車に滑り込む。
そこそこ混雑した車内、一つ車両を移動したところで駆け込み乗車はご遠慮くださいと放送が流れた。
思わず舌打ちをする、閉まりかけた扉が再度開いた要因は一つ。
九条は、間に合ってしまった。
再度、車両の連結口に辿り着く。
本来なら無機質のスライド式の扉が、古びた味のある雰囲気の扉へと変わっていた。
稲葉は無造作にその扉を開けて通り抜ける。
抜けた先はだれもいない空っぽの車両。
窓の外を覗けば、いつも通りに月が浮かんだ夜であることがわかるだろう。そんな暇は全くないのだけれども。
九条は間違いなくこの扉に気付く、見える側の人間なのだから。そして扉を抜けて来ることに躊躇いはないだろう、とすればここで取るべき行動は一つ。
目を閉じて、一つ呼吸するうちに手中に拳銃が収まっていた。
それを構えて少し待てば、案の定九条が飛び出してきた。
「動くな」
ぴたりと動きを止めて、すぐに両手を上げた。けれども九条はまるでタチの悪い冗談かのようにヘラヘラと笑っている。
「ずるいよ稲葉、こんな面白いことがあるのに私を仲間外れにしてさ」
「……何も面白い事はないけどな」
こっちの気も知らずに、思わず殴りつけたくなる衝動を抑えつける。どうする? 自問する、どうしようもない。裏側がある事を彼女は知っている、俺と一緒にここまで辿り着いてしまった以上、白昼夢だとしらを切れない。
稲葉が対応を選び兼ねていると、九条の制服から青い燐光が飛び出して来て銃口の前に立ちはだかった。
頭痛の種がまた一つ、この青い精霊は過去に見覚えがあった。八枚羽根、九条にだけ付き従う精霊。
どこで踏み外した? どうして間違った?
「エリア、お願い」
稲葉と九条の間を遮るように壁が出現する。
正確に言えば、それは巨大な盾だった。
どの周に置いても変わらず、彼女のみんなを護るという意思を形にし、固有として引き出せる装備。
一対一だけでいうと相性は最悪。少なくとも今のこの拳銃では何発打ったところで撃ち抜けない。
「九条、お前は勘違いしてないか? これは遊びじゃないんだよ」
「分かってるよ、そんなこと。こっち側が尋常じゃない世界だってことぐらい、来てみれば誰だってわかるってー
「だったら」
「だから!」
九条に胸ぐらを掴まれる、能力を使えば当然躱すこともできたのに、稲葉はそうはしなかった。
「だから尚更、一人じゃどうしようもないこともわかるんだから」
そんな事はない。
これ自体はどうしようもないことはないんだよ。
だって今まで何度でも一人でどうにかしてきたんだから。
九条には実感がないのだ。
負けて死ぬと言う恐れがない、だからこんなに軽々しく来ようとする。
自分が手伝えば負担が軽減できると思ってる。
確かに稲葉の軽減はされるだろう。だが、守りたいものを危険に晒しているのなら本末転倒でしかない。
分かってないのだ、彼女はなにも。
拘束する手を振り払うのは容易い事だった。
何をされたのか分からず呆気に取られる九条を置いて、稲葉は座席に腰を下ろした。
「九条は座らないのか?」
「座るとか先に、聞きたい事だらけなんだけど。そもそもこの列車はどこに向かってるのさ、そしてこの世界は何.、拳銃は本物、分からない事で頭がパンクしそう」
「どこに向かってるのかはすぐ分かる、それ以外は――」
まだ座席に座らず、扉の出先で所在なさげに佇む九条に稲葉は告げた。
「これは義理だ、頼まれたから特別に九条には二つ選択肢をやる」
「一つ、今すぐ扉を抜けて元の世界へ戻り、いままで見たこと全て忘れて生きるか」
「二つ、俺と一緒にこのまま引き返せない道をいくか」
九条がどっちの選択を選ぶか、稲葉はとうに分かっていた。
相手の答えがわかっているのに選ばせて、ただ彼女に選択の責任を背負わせようと卑怯な真似をしている。
何故だろうか、彼女がこの世界線において無惨に死んだとしても、自分に咎は無いと思い込めるようにだろうか?
もしかしたら元の世界へ戻ってくれることに、一縷の希望を抱いていたのかも知れない。
そんな事は絶対あり得ないとわかっているのに。
もしくは、心の奥底では同行人を求めていたのかも知れない。引き返せない道を選んでくれる相手を、本当はずっと探していたのかも知れない。
稲葉の本当の動機は、どこまでいっても闇のまま。
わかってる事は一つ。
九条は、予想通りに稲葉の対面の座席に腰掛けた。