タイムループ能力者の最後の一周 作:クイヤ
⚪︎
「最近、稲葉くんと仲良いよね葵ちゃん」
「ぶほっ」
藪から棒に核心をつかれて、咳き込みながらも九条はあわあわと机の上を拭いた。念のため一応稲葉の席を伺うけれども、案の定彼の姿は見えなかった。
昼休みは大体決まって席を外している事を、九条はちゃんと知っていたけれども、まだそこまで踏み込めていない。
誘いをかける隙もなく、授業が終わるなり気がつけばいなくなってるのだから。まあ本気であるならば事前に誘えば良いのだけれども、それを自分から言うのもなんとなく気恥ずかしい。
結局、一緒に昼食を食べるところまで漕ぎ着けられず、今日も今日とて小春と一緒に席を並べる日々が続いている。
「全然、全然そんな事ないけどね」
わかりやすい嘘。
目を小春に合わせることもできずに、視線は大海を目指すが如く泳ぎまくっているのだから。
小春は友人のそういうところが好きだった。
隠し事はあるだろうけれども、それをきっちり隠し通すのではなく尻尾が垣間見える間抜けさがなんとなく好感が持てる。要するに愛嬌がある、ということなのだろうか。
「実際さ、葵ちゃんは稲葉君のことどう思ってるの?」
「どうも何も、友達だよ、ただの友達」
『ただの』を強調するのを見て、小春は軽くかまをかけることにした。
「それなら、私が狙ってもいいよね」
「それはっ!」
ガタリと音を立てて九条は立ち上がったけれども、タイミングが悪かったのか教室が静まり返ったのを見て、ペコペコと頭を周りに下げながらすぐに席に着いた。
「それは、それはダメだよ。だって私が小春に勝てるはずないじゃん……」
ボソボソと呟くように抗議してくるのを見て、小春は嗜虐心がこそばゆくくすぐられるのを感じていた。
きっと小春が隣にいなければ、彼女はもっと自信があったのだろう。けれども自分が隣にいたからこそ身近な比較対象として対比をされ続け、可哀想なことに過剰に卑下するようになってしまった。
「ね、もっと自信を持って。葵ちゃんはちゃんと可愛いんだから」
手を伸ばせば、九条の頭に手が届く。
心地よい感触、けれども彼女が自分の隣にいる時間はそんなに長くないような予感があった。私の代わりに稲葉君が滑り込む日はそう遠くないだろう。
それがやっぱり、どうしても羨ましかった。
小春一人を蚊帳の外のまま、次第にフェードアウトして行って除け者にされてしまう。それが嫌なら自分一人のスペースを確保する為に努力するべきだとわかっているのに、足は竦んだまま動けそうにない。
どうすれば良いのかはわかっている。
小春自身の場所を確保したいのなら、今からでも本気で稲葉にアタックを掛けてしまえばいい。もちろんそれがうまく行くかは運否天賦であろうけれども、やらなければ何も始まらない。
自分の親友の恋心を知った上で、始めなきゃいけない。
それは友情と自分の気持ちを天秤にかけるということ。
きっと葵ちゃんならば、笑って許してくれるかもしれないというのは淡い妄想だ。たとえ許してくれたとしても、小春は自分のことを許せないだろう。
人の気持ちを踏み躙ってまで、自分の気持ちを優先するべきではないと弁えている。
弁えているからこそ、雁字搦めに縛られてどうにも動くことができくなっていた。あとにできることは親友の幸福を祈ること、それに後の成り行きを見守ることぐらい。
小春の胸の内に、気がつけば仄暗い感情が募るようになっていた。
このまま彼に素っ気なく振られて仕舞えばいいのにと願う気持ちを否定できない、全部失敗してしまった後ならば、もしかしたら私にチャンスが回ってくるかもしれないのだから。
そしたら、その時になったら、こちらから彼に話しかけてみよう。さりげなく距離を詰めて、次第に関係を深めて行って、そのうち稲葉君の方から告白してくれる日が来るのかも知れない。
本当のところは、彼の本命が私だったらいいのにな。
小春はそんな夢を見る。その気持ちが揺らぐことなく続いていれば、親友に心が揺らぐこともないのに。
吹けば吹き飛ぶ脆い希望、それでもその夢に浸っている間は少しだけ気持ちが楽になるような気がした。
気がつけば目の前から九条がいなくなっている。
なんとなくお昼を食べながら会話をして、そして。
気もそぞろに話していたせいがどんな内容の話をしたのか、小春は全く覚えていなかった。
あんまりよろしくない傾向だなと思いつつ、ふらりと廊下に出て外に向かって歩き始める。
本日の天気は快晴、腹ごなしに散歩でもしようと思いつつ、何気なく窓ガラスから外を覗き込んで。
小春は、目の前を黒い燐光が横切っていくのを確かに見た。
⚫︎
稲葉は屋上に繋がる扉前で考え込んでいた。
他の高校と変わりなく屋上への出入りは禁止されており、ここもまた施錠されているのだけれども、問題はそこではない。
「……なんだろうな、この扉は」
思わず稲葉の独り言が漏れる。
その扉は稲葉の見覚えのあるものではあったけれども、そこにあるはずではないもの。
月下へ繋がる扉が、校内に出現していた。
「何故今なんだ? そもそもこれはなんの目的で作られている?」
過去の周回においてはこの扉が出現した記憶はない、そもそもこの時間に出現したのも異常なのだ。基本は夕暮れ時に出現する通路なのだから、こんな放課後すぐに現れるはずがなかった。
嫌な予感がする。どこから分岐に入ったかわからないけれども、今回に関しては稲葉は自ら大きな進路変更をかけていない。
安全策を取るならば、この扉を開けるべきではないだろう。
その安全策を取れる立場にないというのが問題なのだが。
スマホを取り出して、一枚写真を撮る。
現実の扉がちゃんと映るのを確認して、稲葉はスマホをポケットにしまい込んだ。十全に準備を行ってから確認に向かうべきだろう。
問題はこれに九条を巻き込むか、だ。
今までは稲葉の知識で、戦闘に巻き込んでも問題ない相手だというマージンが取れていた。
今回はそれがない。
どんな相手が全くわからない。
じっと扉を見つめる、不思議なことに扉の向こう側から稲葉を呼ぶ声がするような気がするのだ。
精霊の呼び声を稲葉は一度も聞いたことがないけれど、聞いたことがあるものならば、おそらくこれをそうだと断定するのかも知れない。
精霊の呼び声、己と波長が合う人間を引き寄せる悲鳴。
それを聞いたことがないのは稲葉と波長が合う精霊があまりに力を持ち過ぎていたのだ、そんな彼女がそんな危険な状況に陥る筈がなく、故に過去の周回において稲葉が助けを求められることもなかった。
この扉の向こうで俺のことを呼ぶ存在がいるとすれば、その彼女なのだろうか?
あり得ない、そんな筈がない。
百歩譲って彼女が助けを求めてくる状況だったとしても、ここまでイベントが前倒しになるのはあまりにイレギュラーが過ぎる。
月が落ちる前後でしか現れないのだから。
もし前倒しにする方法があったとしても、そのための例外を作るための行動を稲葉はとっていない。
例外があるとすれば、今周は九条が仲間に加わっている。
だがその程度で何が変わる?
一人で夜を渡る日々と何が違う?
バタフライエフェクトを起こすにしても、あまりに時間が短過ぎる。
ふっと深く息を吐いて、稲葉は覚悟を決めた。
今回は九条を呼ぶ。
危険であれば即時撤退を視野に行動を組み立てればいいと油断した。
5分後、メッセージに気づいた九条がやってくる。
いつものようにたわいもない会話をして、二人揃って扉を潜った。
しばらくして扉はふっと掻き消える。
そこから帰ってくるものは、誰もいない。