再び降り立った灰色のセカイ。
冷たい風が吹き抜ける無機質な空間の中心で、まふゆはぽつんと佇んでいた。その傍らには
しなやかな体躯の相棒・エーフィが静かに座している。
いつもならトレーナーの心を敏感に察知し、額の玉を輝かせるはずのエーフィも今のまふゆの心に同調するように、どこか悲しげに瞳を伏せていた。
「……また、来たの」
まふゆの声には、憎しみすら含まれていない。ただただ無だ。
「言ったはず。
Kの曲でも、私は救われなかった。
もう、放っておいて」
「放っておけるわけないでしょ……っ!」
絵名の一声が、灰色のセカイに響き渡った。
危険なセカイだからと、手持ちのポケモンたちは全員自室に置いてきたはずだった。
けれど——足元に伝わる小さなぬくもりに、絵名はハッと目を落とす。
「ブイッ……!」
そこにいたのは、部屋に置いてきたはずのイーブイだった。
危険を察知して絵名のコートの裾にこっそり飛びつき勝手にセカイまでついてきてしまったのだ。
周りから「なぜ進化させないのか」と心ない言葉をかけられても、型にはまらない絵名の生き方を一番近くで信じ続けてくれた相棒。
イーブイは絵名の前へと踏み出し、まふゆとエーフィを強い眼差しで見据えた。
イーブイの温もりを感じ、絵名の胸の奥から熱いものが溢れ出す。
「あんたさ……『消えたい』だなんて、自分だけが特別みたいに言わないでよ!私だって……私だって、毎日消えたいと思いながら生きてるわよ!!」
まふゆの隣で、エーフィが微かに耳をぴくりと動かす。絵名は震える拳を握りしめまふゆに向かって一歩踏み出した。
「父親に『お前に画家は無理だ』って言われて、描いた絵は誰にも振り向かれなくて、
才能のある奴らを羨んで……!
自分の存在価値なんてどこにもないって、夜中に何度も『消えたい』って思ったわよ!」
「えななん……」瑞希が息をのむ。
「なのに……!描くのをやめたら本当に自分が消えちゃいそうだから、苦しくて吐きそうになりながら、必死に筆を動かしてるの!あんたみたいに、諦めて足を止めた奴に…私の生き方を笑われてたまるか!!」
「ブイッ!!」
絵名の叫びと同調するように、イーブイが高らかに声を上げる。
進化なんてしなくたって、何者になれていなくたって今ここで泥臭く生きている。
その小さな身体から放たれる誇り高き意志が、冷え切ったセカイの空気を震わせた。
「私は……あんたのことが羨ましかったの...雪。Kに選ばれて、才能があって……!だけど、あんたが自分で自分の息の根を止めようとしてるなら、私が引きずり戻してやる!!」
その時、静かにスマホを叩く音が高らかに鳴り響いた。
奏が、新しい曲を流し始めたのだ。
絵名の叫びと重なるようにセカイに鳴り渡る音色。それは優しく包み込むような曲ではなく
もがきながらも「生きたい」と足掻く、激しく胸を打つ旋律だった。
「雪‥これが、今の私の精一杯の曲」
奏がまふゆを見つめる。
「雪を救えるか分からない。……でも、雪が消えるのを、私は絶対に許さない」
絵名の叫びと、
イーブイの覚悟、
奏の曲、そして瑞希が見守る温かな眼差し。
それらが濁流となって、灰色のセカイを突き穿った。
まふゆの傍らにいたエーフィが、絵名とイーブイから放たれる圧倒的な「生の熱量」を感じ取り、額の玉を小さく、切なく光らせる。
そしてまふゆの足元にそっと頭を擦りつけた。
「あ……」
まふゆの目から、ハラハラと一筋の涙がこぼれ落ちた。
絶望で固まっていた氷が、絵名たちの熱量によって、ミシミシと音を立てて亀裂を生み出していく。
「あたたかい……ううん、ちがう……」
まふゆは自分の胸を押さえた。
「…痛い。胸が……すごく、痛い……」
何も感じなくなっていたはずの心に、絵名の「生きる執念」と奏の「曲」が鋭い痛みとなって突き刺さっていた。
「痛くて……苦しい……」
「当たり前でしょ……っ!」
絵名は涙でぐしゃぐしゃの顔で、イーブイの頭をギュッと抱きしめながらニッと強情に笑ってみせた。
「生きるってのはね……痛くて苦しいのよ」
灰色の空に、どこからか一筋の光が差し込み、世界の端っこからほんの少しだけ鮮やかな「色」が滲み出していった。