暗殺教室―透明な殺意―   作:ケーケーケー

2 / 3
AI利用です
口調などに違和感あります


2

第二話 一週間目の首級

 

殺せんせーが潮田渚へ出した課題は、単純だった。

 

一週間以内に弱点を一つ見つけ、触手を一本奪うこと。

 

本当の暗殺に比べれば、条件はずっと軽い。

 

しかし、初日に触手をかすめたときとは違う。

 

殺せんせーはすでに、渚を危険な暗殺者として警戒していた。

 

マッハ二十で動く標的へ、警戒された状態から刃を届かせなければならない。

 

正面から挑めば、渚に勝ち目はない。

 

だから渚は、正面から挑まなかった。

 

     ◇

 

課題を出されてから三日。

 

渚は一度も殺せんせーを攻撃していなかった。

 

授業中は真面目に黒板を見て、休み時間には茅野や杉野と話している。対先生用の銃もナイフも、鞄の奥に入れたままだった。

 

罠を用意している様子もない。

 

それでも殺せんせーは、渚が手を動かすたびに触手を反応させていた。

 

「渚君」

 

数学の授業中、殺せんせーが呼びかける。

 

「はい」

 

「先生への攻撃はどうしました?」

 

「今は問題を解いています」

 

「先生は授業中の暗殺も歓迎していますよ」

 

「そうなんですか?」

 

「ええ。勉強と暗殺を両立できてこそのE組です」

 

「分かりました」

 

渚は素直に返事をすると、再び問題を解き始めた。

 

「……それだけですか?」

 

「何がですか?」

 

「いえ、何でもありません」

 

殺せんせーは黒板へ向き直る。

 

その触手の一本は、依然として渚の方角へ向けられていた。

 

茅野がそっと渚へ顔を寄せる。

 

「殺せんせー、ずっと渚を警戒してるね」

 

「うん」

 

「攻撃しないの?」

 

「今はしないよ」

 

渚は声を抑えて答えた。

 

「まだ調べてる途中だから」

 

「弱点を?」

 

「それだけじゃない。どこまで見えてるのか、どんな音を聞き分けられるのか、僕が動いたときにどの触手が反応するのかも見てる」

 

渚は黒板を見たまま、右手を机の中へ入れた。

 

殺せんせーの触手が即座に動く。

 

渚が取り出したのは消しゴムだった。

 

続いて、左手で教科書のページをめくる。

 

今度は反対側の触手が、渚との間へ移動した。

 

「本当だ」

 

茅野が囁く。

 

「左右で違う触手を使ってる」

 

「僕の右手を一番警戒してるみたい」

 

「初日にナイフを使った手だから?」

 

「たぶんね」

 

殺せんせーが黒板へ数式を書きながら口を挟んだ。

 

「先生には、二人の内緒話も全て聞こえていますよ」

 

渚はノートの端へ短い言葉を書き込む。

 

「それも記録するのですか?」

 

「はい」

 

「何と書いたのです?」

 

「小声の会話も聞き分けられる、と」

 

「それは弱点ではなく、先生の優れた能力でしょう」

 

「でも、全部の音を聞こうとするなら、偽物の合図にも反応すると思います」

 

チョークを持つ触手が止まった。

 

教室のあちこちから笑い声が漏れる。

 

殺せんせーは渚へ向き直った。

 

「先生に聞こえるように、作戦を説明する暗殺者がいますか?」

 

「まだ作戦じゃありません。確認しているだけです」

 

「何を確認しているのです?」

 

「殺せんせーが、僕たちの会話をどこまで聞いているかです」

 

殺せんせーはしばらく渚を見つめた後、授業を再開した。

 

渚も再び問題へ取りかかる。

 

攻撃はしない。

 

罠も仕掛けない。

 

ただ、殺せんせーが何を警戒し、どのような刺激へ反応するのかを一つずつ確認していた。

 

殺せんせーにとっては、何も起こらない三日間。

 

だが渚にとっては、暗殺に必要な情報を集める三日間だった。

 

     ◇

 

四日目。

 

体育の授業で、烏間は生徒たちに対先生用ナイフを使った接近訓練を行わせた。

 

二人一組となり、一方が攻撃し、もう一方が回避する。

 

渚の相手は杉野友人だった。

 

「行くぞ、渚」

 

「うん」

 

杉野がナイフを構える。

 

元野球部だけあり、基礎体力は渚よりも高い。

 

開始の合図と同時に踏み込み、渚の肩へナイフを突き出した。

 

渚は半歩だけ横へ動く。

 

刃が制服の脇を通過する。

 

杉野はすぐに手首を返し、二撃目へ移ろうとした。

 

その直前。

 

渚の指が、杉野の手首へ軽く触れた。

 

杉野の手からナイフが落ちる。

 

強く叩かれたわけではない。

 

痛みもない。

 

それなのに、指から力が抜けていた。

 

「何したんだ?」

 

「杉野がナイフを握り直す前に、手首を押しただけだよ」

 

「それだけで落とすか?」

 

「握ろうとしてる途中だったから」

 

渚は拾ったナイフを杉野へ返した。

 

「もう一回やろう」

 

「今度は取られないからな」

 

杉野はナイフを体の近くへ置く。

 

手首へ触れられないよう、慎重に間合いを詰めた。

 

渚は杉野の右肩を見る。

 

その視線に気づいた杉野が、反射的に右側を守る。

 

渚は逆の方向へ回り込んだ。

 

杉野が振り返ったときには、ナイフの先が背中へ触れていた。

 

「また負けた……」

 

「杉野が右を守ったから、左が空いたんだ」

 

「渚が右ばっかり見てたからだろ」

 

「うん」

 

「わざとか?」

 

渚はうなずいた。

 

「右から攻撃すると思ってほしかったから」

 

杉野はしばらく渚を見つめた後、苦笑した。

 

「お前、暗殺になると本当に強いな」

 

「正面から戦ったら杉野の方が強いよ」

 

「でも今、二回とも俺が負けたぞ」

 

「これは戦いじゃなくて、先にナイフを当てる訓練だから」

 

渚にとって、その二つは明確に違っていた。

 

相手を殴り倒す必要はない。

 

押さえ込む必要もない。

 

最初から最後まで優位に立つ必要さえない。

 

刃が一度、標的の急所へ届けばいい。

 

暗殺では、最後の一瞬だけ相手を上回れば勝てる。

 

「杉野」

 

「何だ?」

 

「少し手伝ってほしいことがあるんだ」

 

「殺せんせーの触手を取る課題か?」

 

「うん」

 

杉野が興味深そうに身を乗り出す。

 

「何をすればいい?」

 

「ボールを投げてほしい」

 

「ボール?」

 

「杉野が一番得意な球を見たいんだ」

 

     ◇

 

体育の授業が終わると、二人は旧校舎裏の空き地へ向かった。

 

杉野は体育倉庫から軟式野球のボールとグローブを持ってくる。

 

「一番自信があるのはスライダーだけど、それでいいか?」

 

「うん。まずは普通に投げてみて」

 

渚がグローブを構える。

 

杉野は大きく振りかぶり、ボールを投げた。

 

球は渚の手前で外側へ曲がり、グローブの脇を通過した。

 

「悪い!」

 

「大丈夫。もう一球お願い」

 

二球目。

 

渚は捕れなかった。

 

三球目も、グローブの先をかすめて後ろへ転がる。

 

それでも渚は、杉野の手元をじっと観察していた。

 

肩の開き方。

 

肘の位置。

 

手首の角度。

 

指がボールから離れる瞬間。

 

四球目。

 

渚のグローブが、変化したボールを正確に捉えた。

 

「もう捕れるようになったのか?」

 

「曲がり始める位置が分かったから」

 

「分かっても、普通はそんなにすぐ捕れないんだけどな」

 

杉野がもう一球投げる。

 

渚はそれも捕球した。

 

「この球を殺せんせーに当てるのか?」

 

「違うよ」

 

「じゃあ、何に使うんだ?」

 

「殺せんせーを動かすため」

 

渚はしゃがみ込み、地面へ簡単な図を描いた。

 

殺せんせーの位置。

 

杉野の投球。

 

クラスメイトたちの配置。

 

攻撃を受けた場合に選ぶと思われる移動先。

 

杉野は説明を聞きながら、次第に表情を引き締めていった。

 

「これ、全部渚が考えたのか?」

 

「まだ途中だよ。殺せんせーがどう動くか、全部は分からないから」

 

「失敗したら?」

 

「そのときは、どこへ逃げたか覚える」

 

渚は地面に描いた線を指で消す。

 

「次は、その逃げ道も塞げばいい」

 

絶対に一度で成功させる必要はない。

 

失敗しても、標的の反応を知ることができる。

 

何を守るのか。

 

どこへ逃げるのか。

 

どんな攻撃を優先して警戒するのか。

 

一度挑むたび、次の暗殺は完成へ近づいていく。

 

「でも、今回は成功させたい」

 

渚は杉野を見上げた。

 

「杉野の球なら、できると思う」

 

杉野は手の中のボールを握り直す。

 

「分かった。やろう」

 

     ◇

 

五日目。

 

渚は磯貝悠馬、片岡メグ、岡野ひなた、木村正義へ協力を頼んだ。

 

六日目には前原陽斗、速水凛香、中村莉桜、茅野たちも作戦へ加わった。

 

寺坂たちにも役割を与える。

 

ただし渚は、誰にも作戦の全体像を説明しなかった。

 

それぞれが知っているのは、自分の立ち位置と動く合図だけだった。

 

「どうして全員に説明しないんだ?」

 

磯貝が尋ねる。

 

「殺せんせーは、僕たちの視線や表情も見てるから」

 

渚は答えた。

 

「次に何が起こるか知ってたら、無意識にその場所を見ちゃうかもしれない」

 

「誰か一人が余計なところを見ただけで、作戦を読まれるってことか」

 

「うん。それに、全員が知らなければ、殺せんせーに作戦を聞かれても答えられない」

 

「仲間にも本命を隠すのかよ」

 

前原が感心したように言う。

 

「そこまでする?」

 

茅野が尋ねる。

 

「殺せんせーを騙すなら、それくらいしないと無理だよ」

 

渚の声に迷いはなかった。

 

殺せんせーを過小評価していない。

 

マッハ二十の速度。

 

人間を大きく上回る視力と聴力。

 

複数の作業を同時に行える触手。

 

それら全てを持つ標的を欺くなら、隠せる情報は仲間からも隠す必要がある。

 

「本当に触手を取れるのか?」

 

寺坂が疑わしそうに言う。

 

「分からない」

 

渚は正直に答えた。

 

「何だよ、それ」

 

「殺せんせーがまだ見せてない能力を持ってるかもしれない。予想と違う動きをしたら、作戦は止める」

 

「一週間の期限に間に合わなくなるぞ」

 

「皆が怪我するよりいいよ」

 

寺坂が黙る。

 

渚は集まったクラスメイトたちを見回した。

 

「でも、今まで見た動きだけで対応するなら、最後の一撃までは運べる」

 

大声で自信を示したわけではない。

 

それでも、誰も笑わなかった。

 

渚はすでに、初日に殺せんせーへ刃を触れさせている。

 

警戒していた烏間へも、二度ナイフを届かせた。

 

言葉だけではない実績があった。

 

「俺たちは、言われたとおりに動けばいいんだな?」

 

寺坂が確認する。

 

「うん」

 

「なら、やってやるよ」

 

寺坂は対先生用の銃を肩へ担いだ。

 

作戦は期限最終日の午後。

 

体育の時間に決行されることになった。

 

     ◇

 

七日目。

 

殺せんせーは朝から渚の動きを注意深く見ていた。

 

課題の期限は今日まで。

 

渚が何かを仕掛けるなら、残された時間は少ない。

 

しかし、午前中は何も起こらなかった。

 

渚はいつもどおり授業を受け、休み時間には杉野や茅野と話している。

 

武器へ触れることもない。

 

やがて昼休みが終わり、体育の時間になった。

 

生徒たちが旧校舎裏の運動場へ出ると、杉野が野球のボールを手にしていた。

 

「殺せんせー」

 

「何でしょう、杉野君」

 

「俺の球、受けてみてくれないか?」

 

「先生が捕手を務めるのですか?」

 

「そう。俺、前は野球部で投手をやってたんだ」

 

殺せんせーは杉野とボールを交互に見る。

 

「分かりました。では、自慢の球を見せてください」

 

一本の触手を広げ、捕球の姿勢を取る。

 

杉野が投球位置へ移動した。

 

他の生徒たちは少し離れた場所へ集まっている。

 

渚は茅野の隣に立っていた。

 

両手には何も持っていない。

 

対先生用の銃もナイフも見当たらなかった。

 

それでも殺せんせーは、渚から意識を外さない。

 

「行くぞ!」

 

杉野が第一球を投げた。

 

ボールは殺せんせーの手前で曲がった。

 

触手が軌道を追い、正確に受け止める。

 

「良い変化球です。しかし、少し曲がり始めるのが早いですね」

 

殺せんせーがボールを返す。

 

杉野は悔しそうに受け取った。

 

「もう一球だ」

 

二球目。

 

三球目。

 

四球目。

 

殺せんせーは全ての球を受け止め、そのたびに腕の振りや指の使い方について指摘した。

 

杉野は一つ一つの助言を真剣に聞いている。

 

そして五球目。

 

「これで最後だ」

 

杉野が告げる。

 

「全力で来なさい」

 

殺せんせーが触手を構えた。

 

渚は足元にあった小石を、靴先で一度だけ鳴らす。

 

最初の合図。

 

杉野が投げる。

 

それまでと同じフォーム。

 

しかし、球速はわずかに落とされていた。

 

殺せんせーの触手がボールを受け止める。

 

その瞬間。

 

磯貝と前原が左右から対先生用の銃を撃った。

 

殺せんせーは体を浮かせ、飛来したBB弾を避ける。

 

杉野のボールは触手で握ったままだ。

 

続けて岡野と木村が発砲する。

 

殺せんせーは上へ移動した。

 

その進路へ、片岡と速水が撃つ。

 

さらに高度を上げようとした殺せんせーの視界へ、大きな防球ネットが広がった。

 

寺坂、村松、吉田、岡島が四方から持ち上げたものだった。

 

対先生用の素材ではない。

 

殺せんせーへ触れても、傷を与えることはできない。

 

「このネットでは、先生を捕まえられませんよ」

 

殺せんせーは網目を抜けようとする。

 

その瞬間、中村と神崎が別の紐を引いた。

 

広がっていた網が崩れ、殺せんせーの周囲へ垂れ下がる。

 

絡まっても、引き千切るのは簡単だった。

 

だが、ネットの端は寺坂たちが握っている。

 

高速で引けば、生徒たちまで巻き込んでしまう。

 

殺せんせーは力任せに突破せず、触手を使って網目を外し始めた。

 

そこへ四方からBB弾が飛来する。

 

殺せんせーはネットを解きながら、全ての弾を避けた。

 

「連携は見事です。ですが、この程度では先生を追い詰められませんね」

 

殺せんせーが渚を見る。

 

「渚君は攻撃しないのですか?」

 

「しています」

 

「合図を出しているだけではありませんか」

 

「僕の役目は、殺せんせーを攻撃することじゃありません」

 

「では、何をしているのです?」

 

「そこまで来てもらいました」

 

渚が答えた瞬間。

 

岡野が対先生用ナイフを投げた。

 

狙いは殺せんせーの体ではない。

 

正面へ向け、やや高い位置に投げている。

 

同時に、速水と中村が左右から射撃する。

 

殺せんせーは三つの攻撃を確認し、後方へ移動した。

 

そこには片岡たちの射線がある。

 

上には防球ネット。

 

下からは、木村が投げ上げた対先生用ナイフ。

 

一つ一つなら、いくらでも避けられる攻撃だった。

 

だが、生徒たちは殺せんせーへ当てようとしていない。

 

特定の方向へ移動させるため、逃げ道を順番に塞いでいた。

 

殺せんせーは、まだ空いている教室側へ移動した。

 

そこには渚がいる。

 

しかし、渚は丸腰だった。

 

両手にも、袖にも武器はない。

 

殺せんせーが最も警戒している生徒でありながら、攻撃する手段を持っていなかった。

 

だからこそ、その方向だけが残されている。

 

殺せんせーは考える。

 

渚自身は指揮役。

 

実際に攻撃するのは、別の生徒。

 

殺せんせーは渚の左右にいる生徒を確認した。

 

茅野。

 

杉野。

 

杉野は投球位置から動いていない。

 

茅野は両手を体の前で重ねている。

 

武器は見えなかった。

 

殺せんせーが教室側へ進む。

 

その瞬間、渚が一歩踏み出した。

 

殺せんせーの注意が、渚の右手へ集まる。

 

何もない。

 

左手にもない。

 

だが、その背後にいる茅野の右手には、一本の対先生用ナイフが隠されていた。

 

「渚!」

 

茅野が呼ぶ。

 

渚は振り返らない。

 

手だけを背後へ差し出した。

 

茅野がナイフを渡す。

 

殺せんせーは、渚の手へ武器が収まった瞬間には回避を始めていた。

 

それでも渚は、殺せんせーの体を追わなかった。

 

すでに予測していた場所へ刃を置く。

 

殺せんせーがその刃を避ければ、中央の体へ片岡たちのBB弾が届く。

 

中央を守るなら、触手を前へ出すしかない。

 

判断に使える時間は、ほとんどなかった。

 

殺せんせーは一本の触手を盾にする。

 

渚のナイフが、その触手の根元へ触れた。

 

わずかな抵抗。

 

渚は踏み込みながら、ナイフを最後まで押し切った。

 

一本の触手が切断される。

 

切り離された部分は地面へ落ちる前に崩れ、跡形もなく消えた。

 

攻撃が止まる。

 

運動場へ、数秒の静寂が訪れた。

 

「取った……」

 

杉野が呟く。

 

「本当に取ったぞ!」

 

次の瞬間、三年E組から歓声が上がった。

 

寺坂たちは防球ネットから手を離し、互いの肩を叩く。

 

磯貝や片岡も、安堵したように息を吐く。

 

茅野が渚へ駆け寄った。

 

「やったね、渚!」

 

「うん」

 

渚はナイフを下ろした。

 

「茅野が、ちょうどいいタイミングで渡してくれたからだよ」

 

「合図されたとおりに動いただけだよ」

 

「でも、一瞬でも遅かったら間に合わなかった」

 

杉野も二人のもとへやってくる。

 

「俺の球は役に立ったか?」

 

「もちろん。最初にボールを受け取らせたから、触手を一本使わせたままにできた」

 

殺せんせーは、切断された触手の根元を確認していた。

 

中央の体は無傷。

 

触手一本で、致命的な攻撃を防いだ。

 

本当の暗殺なら、殺せんせーの生存という結果は変わっていない。

 

それでも渚は、与えられた課題を確かに達成した。

 

「お見事です、渚君」

 

殺せんせーが生徒たちの前へ戻る。

 

「先生が中央の体を守るため、触手を盾にするところまで計算していたのですか?」

 

「はい」

 

渚はうなずいた。

 

「全部を避けられないと思ったら、殺せんせーは触手を使って中央の体を守ると思いました」

 

「もし先生が、触手を犠牲にしなかったら?」

 

「そのまま片岡たちの弾が体へ届いていました」

 

「それも避けられた可能性は?」

 

「あります。その場合は失敗です」

 

渚は隠さずに認めた。

 

「殺せんせーが、まだ見せていない方法で逃げる可能性も考えていました。予想と違う動きをしたら、皆には攻撃を止めてもらう予定でした」

 

殺せんせーは周囲を見渡した。

 

誰も怪我をしていない。

 

生徒たちは殺せんせーへ直接接近せず、それぞれ安全な位置から役割を果たしていた。

 

使われた武器も、人間にはほとんど害を与えない対先生用のものだけだった。

 

渚は仲間を危険へさらさず、標的の逃げ道だけを狭めた。

 

「それで、先生の弱点は何だと思いましたか?」

 

「先生であることです」

 

渚はすぐに答えた。

 

「殺せんせーは僕たちを傷つけません。杉野が投球を見てほしいと頼めば、捕手を引き受ける。ネットを破れば早く逃げられる状況でも、皆を巻き込むかもしれないから、ゆっくり外そうとした」

 

「なるほど」

 

「もう一つあります」

 

「まだあるのですか?」

 

「自分の速さを信じていることです」

 

殺せんせーの触手が、わずかに止まった。

 

「殺せんせーは、どんな攻撃でも見てから避けられると思っています。だから杉野の球を受けたし、防球ネットに囲まれても、すぐにはその場を離れなかった」

 

「先生のマッハ二十は、実際に世界最高の速度ですが」

 

「はい。だから速さで勝とうとは思いませんでした」

 

渚は手にしたナイフを見る。

 

「殺せんせーが速く動くほど、最後の場所へ早く来るようにしたんです」

 

生徒たちが撃った弾も、投げたナイフも、防球ネットも、単独では殺せんせーに届かない。

 

だから殺せんせーは、それらを一つずつ回避した。

 

しかし、回避する方向そのものが渚に決められていた。

 

殺せんせーは自分の速さで逃げたのではない。

 

渚の作った道を、マッハ二十で走らされていた。

 

「課題は合格です」

 

殺せんせーは教師として、はっきりと告げた。

 

「期限内に先生の弱点を見つけ、触手を一本奪いました。しかも、仲間を危険へさらしていません」

 

「ありがとうございます」

 

「ですが、忘れてはいけません」

 

殺せんせーの声から、わずかに軽さが消える。

 

「先生は今回、触手一本で中央の体を守りました。実際の暗殺なら、先生は生きています」

 

「分かっています」

 

「同じ作戦も、次は通用しません」

 

「同じ作戦は使いません」

 

渚は迷わず答えた。

 

「次は、触手で守ることも利用します」

 

殺せんせーはしばらく何も言わなかった。

 

烏間は、少し離れた場所から渚を見つめていた。

 

触手を一本奪ったことだけが重要なのではない。

 

渚は殺せんせーの能力を正確に認めている。

 

マッハ二十の速度も、複数の触手も、人間を遥かに上回る感覚も否定していない。

 

そのうえで、殺せんせーが正しい判断をするように仕向けた。

 

杉野の球を受ける。

 

生徒を巻き込まないよう、ネットを乱暴に破らない。

 

飛来する攻撃を順番に避ける。

 

中央の体を守るため、触手を盾にする。

 

殺せんせーは、全て正しく判断した。

 

その結果、触手を奪われた。

 

標的の失敗を待つのではなく、正しい選択をさせながら追い詰める。

 

暗殺者として、極めて完成度の高い思考だった。

 

     ◇

 

作戦に使った道具を片づけた後。

 

渚と杉野は二人で体育倉庫へ向かっていた。

 

杉野は先ほど使用した軟式球を握っている。

 

「なあ、渚」

 

「何?」

 

「殺せんせーが言ってたこと、本当だと思うか?」

 

「スライダーのこと?」

 

「うん」

 

杉野はボールへ視線を落とす。

 

「俺、前は野球部で投手をやってたんだ。自分のスライダーには自信があった」

 

杉野は、野球部にいた頃のことを話し始めた。

 

有望な投手として期待されていたこと。

 

しかし、寺貝という選手に自慢のスライダーを簡単に打たれたこと。

 

それから自信を失い、成績まで崩してE組へ落ちたこと。

 

「あいつのスライダーは、打者の手元で鋭く曲がる。俺のは曲がるのが早いから、簡単に見切られる」

 

渚は、すぐに慰めなかった。

 

杉野が求めているのは、「そんなことはない」という根拠のない言葉ではない。

 

先ほどまでの投球を思い出す。

 

腕の振り。

 

指の長さ。

 

ボールを離す位置。

 

「杉野の手って、寺貝より小さい?」

 

「たぶんな。あいつは指も長かった」

 

「なら、同じ握り方が杉野に合うとは限らないと思う」

 

「それはそうだけど……」

 

「今日、少し力を抜いて投げた五球目は、それまでより遅かった。でも、変化はあまり小さくなってなかったよ」

 

杉野が顔を上げる。

 

「あの球は、作戦のために遅くしただけだぞ」

 

「うん。でも、力を抜いたことで、指がボールへ長く触れてたのかもしれない」

 

渚は投球の専門家ではない。

 

だから断言はしない。

 

ただ、観察して気づいた違いを伝える。

 

「殺せんせーなら、もっと正確に分かると思う」

 

「暗殺する相手に野球を教えてもらうのか?」

 

「頼めば教えてくれるよ」

 

渚はわずかに笑った。

 

「それが殺せんせーの弱点だから」

 

杉野も笑う。

 

「確かにな」

 

運動場へ戻ると、殺せんせーはまだそこにいた。

 

地面に残った仕掛けの跡を確認している。

 

杉野は少し迷った後、ボールを握って歩み寄った。

 

「殺せんせー」

 

「何でしょう、杉野君」

 

「さっきの続き、教えてくれないか?」

 

「もちろんです」

 

殺せんせーはボールを受け取った。

 

「まずは、杉野君の手に合った握り方を考えましょう。他人と同じ投げ方をする必要はありません」

 

杉野は真剣な表情で説明を聞き始めた。

 

渚は少し離れた場所から、その様子を見ていた。

 

殺せんせーを殺すために見つけた弱点。

 

生徒の悩みを見過ごせず、求められれば教師として応えずにいられないこと。

 

それは暗殺に利用できる性質であると同時に、E組の生徒を救う長所でもあった。

 

弱点と長所は、同じ場所に存在している。

 

渚はノートを取り出した。

 

新しいページへ、一行だけ書き込む。

 

――殺せんせーは、生徒の可能性を放置できない。

 

暗殺のための情報。

 

それだけではない気がした。

 

     ◇

 

翌朝。

 

渚の机へ、前日に行われた数学の小テストが返却された。

 

答案には点数とともに、殺せんせーの短いコメントが添えられている。

 

暗殺の作戦は申し分なし。次は数学にも同じだけ準備をすること。

 

「暗殺では勝ったのに」

 

渚が答案を見て呟く。

 

「数学は別ってことだね」

 

隣からのぞき込んだ茅野が笑った。

 

「渚、作戦を考えてて勉強する時間が減ってたでしょ」

 

「それは否定できないかな」

 

「次はテストでも勝たないとね」

 

「うん。頑張るよ」

 

二人が話していると、教室の扉が開いた。

 

一人の男子生徒が入ってくる。

 

赤みがかった髪。

 

余裕のある笑み。

 

停学処分を終えた、三年E組きっての問題児。

 

赤羽業だった。

 

業は教室を見渡し、やがて渚を見つける。

 

「久しぶり、渚君」

 

「久しぶり、カルマ君」

 

昔から互いを知る二人の、気安いやり取り。

 

しかし業の視線は、渚の机に置かれた対先生用ナイフへ向かった。

 

「面白い先生が来たって聞いたけど」

 

業は楽しそうに目を細める。

 

「僕が休んでる間に、渚君もずいぶん面白くなったみたいだね」

 

渚は静かに業を見る。

 

赤羽業。

 

頭脳、身体能力、度胸。

 

その全てで、これまでのクラスメイトとは大きく異なる。

 

そして、自分と同じように相手の思考を読み、裏をかくことのできる生徒。

 

殺せんせーにとって、新たな暗殺者が教室へ加わった瞬間だった。

 

一方の業は、まだ知らない。

 

かつて大人しく、自分の後ろをついてきていた潮田渚が。

 

自分より先に、殺せんせーから触手を一本奪っていたことを。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定
▲ページの一番上に飛ぶ  X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。