普段通りに久世悠真が家を出ると、ミコトは当然のようにその後ろについてきた。
もうすっかり見慣れてしまった銀髪が、朝日を受けて白く輝いている。初めて駅前で出会った時なら、それだけでも現実感のない光景だったはずなのだが、今となっては学校へ向かう道の片隅にミコトが浮かんでいるのが半ば日常になりつつあった。
「今日こそ、そなたに勝つぞ」
「朝一番に言うことがそれかよ」
「昨夜も考えたのじゃ。そなたは攻撃を仕掛ける直前、わずかに左へ寄る癖がある」
「寝ない奴が夜通し対策考えるの、ガチでずるくない?」
「努力と呼べ」
「二十四時間練習できる奴の努力は参考にならねえよ」
ゲームで負けることがよほど悔しいらしい。ミコトは何度か再戦を要求し、そのたびに負け、最後には「明日は勝つ」と宣言していた。
未来そのものを見渡せるような存在が、テレビゲームの勝敗ひとつに執着している。出会った当初のミコトからは想像もできない変化だった。
「そもそも、お前ゲームするために俺についてきてるわけじゃないだろ」
「そなたの観察もしておる」
「ついでみたいに言うな」
「今のところ、ゲームの方が分かりやすいからの」
「観察対象としてゲームに負けた……」
そんなやり取りをしながら住宅街を歩いていると、背後から駆けてくる足音が聞こえた。
「悠真!」
聞き慣れた声に振り返る。
肩の少し下まで伸びた黒髪を揺らしながら、一人の少女が小走りに近づいてきた。制服のリボンを片手で直しつつ、もう片方の手には鞄を抱えている。
「おはよ」
「おう。凛」
水瀬凛。
同じ高校の二年生で、家も徒歩数分程度しか離れていない。幼稚園の頃から互いの家を行き来していた、いわゆる幼馴染というやつだった。
凛は悠真の前まで来ると、挨拶もそこそこに顔をしかめた。
「また寝癖ついてる」
「別にいいだろ」
「よくない。後ろ」
「見えないからいいんだよ」
「自分から見えなかったら存在しないことになるの?」
「少なくとも俺には害がない」
「周りにはあるの」
凛は呆れながら悠真の背後へ回り、髪を手で押さえつけ始める。
「ちょ、やめろって」
「じっとして。ひどいから」
「学校着いたら勝手に直る」
「何その謎の信頼」
慣れたやり取りだった。凛がこちらの頭を押さえてくるので逃げる。何度やったか分からない。その横で、ミコトが二人をじっと見ていた。
「……近いのう」
横目でミコトを見る。
当然ながら凛には、その位置に立っている銀髪の少女は一切見えていない。
ミコトは凛のすぐ隣から、興味深そうにその横顔を観察していた。
「この女は、そなたとどういう関係じゃ?」
「……幼馴染」
なるべく口を動かさずに答える。
「幼馴染? 幼馴染とは何じゃ」
「小さい頃から知ってる相手」
「どの程度、小さい頃からじゃ」
「幼稚園くらい」
「幼稚園?」
凛が反応する。
「幼稚園の話する?」
「しない」
「じゃあ何?」
「何でもないから気にするな」
「ものすごく気になるんだけど」
気にせずにミコトは質問を続ける。
「では、そなたはこの女を十年以上知っておるのか?」
「まあ、それくらい」
学校へ向かって歩き出すと、今度は凛の反対側へ回り込み、その顔を正面から覗き込んだ。凛は気づかず、ミコトの身体を半分ほど通り抜ける。ミコト自身もまったく気にしない。
「何してんだ」
「見ておる。この女を」
「何で」
「そなたを長く知っておるのであろう?」
「それがどうした」
「妾よりも?」
思わずミコトを見る。
「そりゃそうだろ。お前と会ってから、まだそんな経ってないぞ」
「うむ」
ミコトはそれだけ答えた。特に不機嫌そうでもない。ただ事実を一つ確認しただけのように見える。
凛はこちらを怪訝そうに見上げた。
「一人でぶつぶつ喋って、本当に今日変だよ。寝不足?」
「むしろ最近は早く寝てる」
「じゃあ病気?」
「失礼だな」
「しかもさっきから、誰もいないところ見てるし」
そう言われ、とっさに視線を外した。ミコトの存在について凛に話したところで、信じてもらえるとは思えない。そもそも駅前で通行人に確認した時点で、変人扱いされるだけだということは経験済みだった。
「まあいいけど」
凛はそれ以上追及せず、隣を歩く。
「そういえば今日、英語の課題提出だからね」
「金曜じゃなかった?」
「今日が金曜」
立ち止まりかけた。
「嘘だろ」
「ほんと。昨日も言ったじゃん」
「聞いてない」
「言ったよ。放課後、廊下で」
「あー……」
記憶を探る。昨日の放課後といえば、友人たちとゲームセンターへ行くことしか考えていなかった。
「絶対聞いてなかったでしょ。ノート持ってきてる?」
「持ってない」
「やっぱり」
凛は大きなため息をつき、鞄を開けた。
「ほら」
差し出されたのは、一冊のノートだった。
「昨日、悠真が忘れると思ってコピーしといた」
「なんで分かったんだよ」
「何年付き合ってると思ってんの」
「母親みたいになってきたな」
「誰のせいだと思ってるの」
コピーを受け取る。
その横で、ミコトの視線が紙から凛へ移った。
「この女は、そなたが忘れることを知っておったのか」
「予想しただけだろ」
「未来を見ずに?」
「普通はそうなんだよ」
「ふむ」
ミコトが凛を改めて観察する。何が違うのかを探しているように、視線が凛と自分を何度も往復する。
「何?」
小声で聞く。
「いや」
ミコトは珍しくすぐに質問を続けなかった。
三人――もっとも凛から見れば二人だが――は再び学校へ向かって歩き始めた。
しばらくして凛が、子供の頃の話を始める。
「そういえば悠真、昔も宿題よく忘れてたよね。小三の夏休み、最終日に泣きながら工作作ってたじゃん」
「泣いてない」
「半泣きだった」
「汗だよ」
「八月三十一日の夜中に?」
「暑かったんだろ」
凛が笑い、自分も笑い返す。そのやり取りを横から聞いていたミコトが、ふと口を挟んだ。
「妾は知らぬ話じゃな」
ミコトは凛を見る。
深く追及せず、再び凛との会話へ戻った。
その後も、凛は昔の話をいくつか続けた。
小学生の頃、近所の公園で転んだこと。中学に入ったばかりの頃、互いに違うクラスになって少しだけ話す機会が減ったこと。俺が一度だけ、凛の家の犬に追いかけられて塀の上へ逃げたこと。
どれも俺にとっては、わざわざ思い出そうとしなくても出てくるような記憶だった。
凛が話すたび、俺は自然に笑っていた。そのたびに、ミコトの視線がこちらへ向く。凛ではなく、俺へ。正確には、凛と話している俺を見ている。
「……何だよ」
また小声で尋ねるが、ミコトは答えず、凛へ視線を戻した。
凛は俺の知らない俺を知っている。
俺が覚えていないような昔のことまで覚えていて、俺が何を忘れるかも分かっていて、俺がどんな時に笑うのかも知っている。それは、俺と凛が長い時間を一緒に過ごしてきたからだ。
けれどミコトは、その当たり前を知らない。俺と出会ってから少ししか経ってないミコトには、俺の幼い頃も、凛のように積み重ねてきた時間も存在しない。
ミコトが何を考えているのかは、やっぱり分からなかった。ただ、凛が俺の昔を語るたび、ミコトの表情からわずかに余裕が消えていくように見えた。
*
ミコトは、凛の話を聞きながら、自分の中に生まれた違和感を整理しようとしていた。
凛は悠真の過去を知っている。悠真がどんな子供だったのか。何を忘れ、何に笑い、どんな失敗をしてきたのか。その一つ一つを、凛は当然のように語ることができる。
ミコトには、それができない。悠真と出会ってからの時間しか知らない。悠真の過去に、自分の記憶は一つもない。それなのに、凛が悠真の隣で笑い、悠真もまた自然に笑い返しているのを見ると、胸の奥に小さな引っかかりが生まれた。
凛が嫌いなわけではない。凛が悠真を助けることも、悠真のことをよく知っていることも、理屈の上では悪いことではない。
むしろ、悠真にとっては好ましい相手なのだろう。それでも、気に入らなかった。自分が知らない悠真の過去を知っていることが。悠真の隣で、悠真の視線を自然に受けていることが。
そして何より、悠真が凛と話している時の表情を、自分がまだ知らないことが。ミコトはその感情に名前を付けられなかった。ただ、凛が悠真の隣にいる間、自分の存在が少しだけ遠くへ押しやられているように感じた。
だから、ミコトは凛を見ていた。凛そのものを知りたいからではない。凛と一緒にいる時の悠真を、見逃したくなかったからだ。
*
学校へ着いてからも、ミコトはどこか妙だった。
もっとも、その「妙さ」をうまく説明できなかった。いつも通り教室へついてきて、いつも通り授業中に勝手な場所を歩き回っている。黒板の前に立ったかと思えば教師の机の端に腰掛け、時には窓際へ移動して外を眺める。誰にも見えず、誰にも触れられないことをいいことに好き勝手する姿は、普段と何も変わらない。
ただ、いつもより少しだけこちらを見る回数が多かった。正確には、自分と凛を見る回数が多かった。
「久世」
授業中、不意に教師から名前を呼ばれ、顔を上げた。
「はい」
「この英文、訳してみろ」
黒板に書かれた文章を見て、まずいと思った。授業をまったく聞いていなかったのだ。
黙っていると、少し離れた席に座る凛が、教師から見えない位置で教科書の一部を指差した。口だけを動かして、ここ、と伝えている。
急いで探して、どうにか英文を読む。
「えっと……彼は、その知らせを聞いて……」
「聞いて?」
「驚いた」
「驚いてどうした」
「……帰った?」
「なぜ帰る?」
教室に笑いが起こり、凛も口元を押さえて笑っていた。教師が呆れたように解説を始めると、小さく息を吐いた。そのすぐ隣から、ミコトの声がした。
「凛は、そなたを助けたのじゃな」
前を向いたまま、小さく頷いた。
「何故じゃ」
「幼馴染だからじゃない?」
「幼馴染であれば助けるものなのか」
「知らん。場合によるだろ」
ミコトは凛を見る。凛はすでに授業へ意識を戻していた。
「やはり妙じゃな。妾には、そなたが分からぬ」
「今さら?」
「そなたではない。この女とおる時のそなたじゃ」
思わず眉を寄せたところで、教師がこちらを見たため、それ以上返事はできなかった。ミコトもそれ以上は話さず、再び凛へ視線を向ける。その目は、観察対象を調べる時のものだった。
*
昼休み、いつも通り机の上へ弁当を広げていると、凛がやってきた。
「悠真、購買行く?」
「今日は行かない」
「パン買ってきてもらおうと思ったのに」
「人をパシリにするな」
「昔はよく買ってきてくれたじゃん」
「記憶にない」
「都合悪い記憶だけ消すのやめて」
凛はそう言いながら前の席を借り、椅子をこちらへ向けて座った。そのまま鞄から小さな弁当箱を取り出す。
ミコトは当然のように机の横へ立ち、凛の弁当を覗き込んだ。
「小さいのう」
聞こえているが、反応はしない。
「これで足りるのか?」
それでも無視する。
「悠真」
まだ無視する。
「聞こえておるのじゃろう」
視線で答える。ここで返事をすれば、また凛から不審がられる。ミコトもそのことは理解しているはずだった。
「ねえ」
今度は凛が声をかけた。
「昨日さ、駅前のゲーセン行ってたでしょ」
「いたけど」
「やっぱり。見かけた」
「声かければよかったじゃん」
「男三人で盛り上がってたからやめた。邪魔かなって」
ミコトの目が凛へ向く。
「邪魔?」
「なんとなく」
「気にしすぎだろ。俺は別に気にしない」
「……そっか」
凛が少しだけ笑う。その変化は、自分には特に意味のないものだった。だがミコトは、その表情をじっと見ていた。
「この女は今、何故笑った?」
ミコトが尋ねるが、今は答えられない。
「何か嬉しいことがあったのか?」
知らない。
「悠真」
しつこい。視線だけで「後にしろ」と訴えると、ミコトは口を閉じた。しかし、凛から目を離そうとはしなかった。
*
人間の表情や声の高さ、呼吸、視線などから感情を推測することは、以前からできる。さらにミコトには、それ以上のものが見える。人間がどう生きるか、誰と出会うか、何を選ぶか、どこで笑い、どこで泣き、どこで死ぬのか。未来だ。
ミコトにとって、未来は本来特別なものではない。ただ、そこにあるものだった。だから凛を見れば、その先も自然に見える。
高校を卒業する未来。悠真とは別の大学へ進む未来。卒業後、ほとんど会わなくなる未来。別の男と付き合い、その男と別れ、違う誰かと結婚する未来。子供を持つ未来。いくつもの枝があり、どれもまだ確定してはいない。しかし、可能性として存在している。
そして、その中には悠真へ続く枝もあった。
ミコトの視線が、ほんのわずかに止まる。
凛と悠真が高校を卒業した後も会い続ける未来。二人でどこかへ出掛け、並んで歩く未来。凛が笑い、悠真も笑う。今日とそれほど変わらないが、二人の距離は今より近い。手が触れ、凛がその手を取り、悠真が振り払わない。
別の枝では、二人が恋人と呼ばれる関係になる。喧嘩をし、仲直りをし、別れ、それでもまた会う。あるいは結婚し、同じ家へ帰り、同じ食卓を囲む。そこには子供がいる。
そこまで見ても、ミコトは何も感じなかった。人間の未来とはそういうものだ。これまで何度も見てきた。誰かが誰かを好きになり、一緒になり、別れ、忘れ、時には最後まで共にいる。それは珍しいことではない。
さらに未来を見る。凛と悠真が二人きりで歩いている。夕暮れの、どこかの駅。今より少し成長した二人。凛が何かを言い、悠真が答える。凛が笑い、そして顔を近づける。
その先を認識した瞬間、ミコトは未来を見るのをやめた。
「……」
自分でも、何をしたのか分からなかった。見えなくなったわけではない。見ようと思えば見えるし、そこにはまだ未来がある。ただ、見なかった。
ミコトはゆっくり瞬きをする。
奇妙だった。なぜ止めたのか。これまで、そんなことをした記憶はない。人が死ぬ未来でさえ、それはただの構造だった。悠真に「聞きたくない」と言われたことはある。だが、自分自身が「見たくない」と思ったことはなかった。
「ミコト?」
名前を呼ばれた。悠真がこちらを見る。
「何じゃ」
「いや。ずっと黙ってるから」
「……考えておった」
「また?」
「うむ」
凛が首を傾げる。
「また独り言?」
「気にしないで」
悠真は適当に誤魔化しながら弁当を食べる。ミコトはその横顔を見つめ、先ほどの未来をもう一度思い出そうとした。
凛が悠真へ顔を近づける。その場面を思い浮かべただけで、また胸の中に昨日と同じような不快感が生まれた。ゲームに負けた時の感覚ではない。笑われた時とも違う。何かを取られたわけでもない。そもそも、それはまだ起こってすらいない。
「……気に入らぬ」
気づけば、口から言葉がこぼれていた。
「何が?」
悠真が聞く。
ミコトは答えようとして、止まった。何が気に入らないのか分からない。凛なのかと思って彼女を見るが、別に嫌いではなかった。
今朝、凛は悠真の寝癖を直していた。悠真が課題を忘れると予想してコピーも用意していたし、先ほども教師に当てられた悠真を助けている。少なくとも、悠真に害を与える人間ではない。
「凛が嫌いなのか?」
悠真が小声で聞いた。ミコトは少し考えてから答える。
「いや」
「じゃあ何が気に入らないんだよ」
「分からぬ」
「分からないのに気に入らないってある?」
今までなら、ミコトも同じ疑問を持っただろうが、今は違う。
「あるようじゃ」
「曖昧な答えだな」
「妾も困っておる」
悠真は少し笑った。
「お前、本当に人間みたいになってきたな」
その言葉にミコトは一瞬だけ黙り、それから凛を見る。凛は箸で玉子焼きを摘まみながら悠真と話しており、悠真も普通に返事をしている。二人とも笑っていた。
ミコトはまた、胸の奥に小さな違和感を覚えた。
「……やはり、そなたがこの女と話しておるのが、気に入らぬようじゃ」
悠真の箸が止まった。
「今のところ、それが最も近い」
「凛が嫌いじゃないのに、俺が凛と話すのが嫌?」
「恐らく」
「なんで?」
「それが分からぬと言っておる」
悠真はしばらくミコトを見たあと、呆れたように息を吐いた。
「面倒くさい感情覚えたな、お前」
「妾もそう思う」
ミコトは素直に認めた。すると凛が不思議そうに悠真の顔を覗き込んだ。
「ねえ、本当に大丈夫?さっきから顔、ころころ変わってるけど」
「気にしないで」
「それ今日何回目?」
凛が身を乗り出す。悠真はその分だけ少し後ろへ引いた。ほんの些細な動きだったが、それでもミコトの視線は二人の間から離れなかった。
見たくない未来。気に入らないという感覚。凛そのものは嫌いではない。それなのに、悠真と凛が近くにいると妙な感覚が生まれる。
ミコトにはまだ、その感情の名前が分からない。ただ一つだけ、昨日より少しだけはっきりしていることがあった。
悠真が自分ではなく凛を見ている時、それがどうにも気に入らなかった。
*
午後の授業が終わる頃には、昼休みの会話をほとんど忘れていた。
凛を嫌いなわけではないのに、自分と凛が話していることは気に入らないらしい。意味はよく分からなかったが、考えたところで本人にすら理由が分からないのだから答えが出るはずもない。
それより自分にとっては、今日提出することを完全に忘れていた英語の課題を休み時間にどうにか仕上げることの方が切実な問題だった。
放課後を告げるチャイムが鳴り、担任が教室を出ていく。鞄へ教科書を突っ込みながら大きく伸びをした。
「帰るか」
「うむ」
窓際にいたミコトがこちらへ来る。
昼休み以降、妙に静かだった。いつもなら授業中でも何か見つけるたびに話しかけてくるのだが、今日は時折凛の方を見ながら一人で考え込んでいることが多かった。
「まだ気にしてんの?」
「気にしてはおらぬが、調べておる」
「何を?」
「妾を」
また始まった。
昨日からミコトは、自分に何か新しい感情が発生するたび、それを珍しい生き物でも見つけたように観察するようになっている。
「何か分かった?」
「分からぬということが分かった」
「何も進んでないじゃん」
「そなたは分からぬものがあれば、すぐ答えが見つかるのか?」
「いや」
「ならば同じじゃ」
「妙なところだけ人間らしくなるなよ」
「妾がどう変わるかは妾にも分からぬ」
ミコトはそう言ってから、一瞬だけ考えるような顔をした。
「そなたにも、であろうな。そなたの先は、妾にも見えぬからの」
ミコトに聞いた話を思い出す。
普通の人間には、選ばれる前から未来の枝が存在している。しかし自分の場合、選択するまでは枝そのものが存在せず、行動するたびに新しい先が生じているように見えるらしい。自分ではまったく実感がない話だ。
「じゃあ、やっぱり今から俺が何するかも分からない?」
「大まかな予想はできるぞ。そなたは鞄を持ち、立っておる。学校も終わった。ならば帰る可能性が高い」
「それ未来予知じゃなくて普通の予想だろ」
「そう言うておる」
悠真が鞄を肩へ掛けたところで、背後から声がした。
「悠真」
振り返ると、凛が立っていた。ミコトの目も同時にそちらへ向く。
「帰る?」
「今から帰るよ」
「じゃあ一緒に帰ろ。駅前の文房具屋寄りたいんだよね。ノート切れそうで」
「それ俺いる?」
「荷物持ち」
「帰るわ」
「冗談だって」
凛が笑いながら鞄を軽く叩く。そのすぐ横で、ミコトが二人を交互に見ていた。
「行くぞ」
小声で言うと、ミコトは、
「うむ」
と答えた。
*
学校を出て十分ほど。
最初のうちは特に問題はなかった。
凛と悠真が学校の話をし、時折ミコトが横から口を挟む。悠真は隙をみて不審がられないように小声で返事をした。
しかし駅へ近づくにつれて人通りが増え、ミコトへの返事が難しくなった。
「今日の数学、小テストあるって言ってたのに無かったよね」
「来週じゃない?」
「先生が忘れてるだけだったりして」
「そのまま一生忘れてくれないかな」
「来週二倍になって返ってくるよ」
「やめてくれ」
話しながら歩いていると、
「悠真」
反対側からミコトが呼んだ。
悠真は聞こえなかったふりをする。
「悠真」
二度目。目だけ向けると、ミコトが少し眉を寄せていた。
前から同じ学校の生徒が歩いてくる。凛の意識もこちらに向いていた。今ここで何もない場所へ話しかけるのはまずいと思い。悠真はごく小さく口を動かした。
「あとで」
ミコトの眉がさらにわずかに動く。だが何も言わなかった。それから数分ほどして、駅前へ着いた。信号待ちの人波の中で、凛が思い出したように口を開く。
「そういえば、今度の日曜って暇?」
「日曜?たぶん暇だけど。何かあるの?」
ちょうど信号が青になる。二人は人の流れに合わせて歩き出した。
「駅前の映画館でさ――」
「悠真」
ミコトが呼ぶ。悠真は凛へ顔を向けたまま答えない。
「悠真」
まただ。
「何?」
思わず返事をしてしまい、凛が悠真を見る。
「何が?まだ何も言ってないけど」
「いや、何でもない」
凛が怪訝そうな顔をする。
「今日ずっとそれだね」
「気にするな」
「気になるよ」
悠真はミコトを睨んだ。ミコトは悪びれる様子もなくこちらを見返している。そのまま凛が話を続けた。
「で、映画なんだけど、前に話してたやつ今週から公開なんだって」
「ああ、あれ?」
「そう。見たいって言ってたでしょ」
凛が楽しそうに言う。
その瞬間に悠真の視界が銀色で埋まった。
「うわ」
ミコトが真正面に立っていた。
悠真と凛の間だ。正確には、悠真の目と凛を結ぶ線上にいる。
「何してんの?」
「何もしておらぬ」
「そこどいて」
「何故じゃ」
「凛が見えない」
ミコトは振り返った。その向こうには凛がいる。当然、凛にはミコトが見えていない。悠真が突然自分ではない場所を見始めたことに首を傾げている。
「見えずとも声は聞こえるであろう」
「そういう問題じゃない」
「ならばどういう問題じゃ」
「ねえ悠真?」
凛の声がミコトの向こうから聞こえる。
「誰と話してるの?」
「いや、その……」
まずいと思い、悠真は凛を見る。ここでミコトと言い争っていれば、完全に空に向かって喋っている変な奴である。
悠真は小さな声で言った。
「ミコト、あとにして」
「何故じゃ」
「今は凛と話してるから」
「妾とも話せるであろう」
「二人同時は無理だって」
「先ほどはしておった」
「それで凛に変な目で見られてるんだよ」
ミコトは少し黙ったが、どかない。悠真が右から凛を見ようとすると、ミコトも右へ動く。
「おい」
左へ動くと、ミコトも左へ。
「何してんだよ」
「何もしておらぬ」
「完全にやってるだろ」
ミコトの金色の瞳がまっすぐ悠真を見ていた。その向こう側にいる凛の姿は、ミコトに遮られてほとんど見えない。
「悠真?」
凛がますます心配そうな声を出す。
「具合悪い?」
「大丈夫」
「ほんとに?」
「大丈夫だから」
凛の顔を見て答えようとするが、ミコトが邪魔で見えない。悠真はとうとう片手を上げた。
「だから、邪魔」
目の前のミコトを脇へ追いやるように、手を横へ払う。以前なら、その手は何の抵抗もなく身体を通り抜けていたはずだった。しかし今は違う。指先に、ごくわずかな感触があった。悠真の手はミコトの肩付近へ触れた。ミコトの身体が、一歩だけ横へ動く。
視界が開けた。
「ごめん。何の話だっけ」
悠真は凛を見る。
「映画」
「ああ、そうだった」
「本当に大丈夫?」
「大丈夫だって」
「ならいいけど」
凛がまだ少し疑いながら話を再開する。その間、ミコトは動かなかった。金色の瞳が、悠真を見ている。
「それで、日曜どうする?」
「時間は?」
「昼過ぎ」
「なら大丈夫だと思う」
「ほんと?」
「急な予定入らなければ」
「じゃあ、また時間決めよう」
「おう」
凛が嬉しそうに笑った。ミコトはその横顔を見る。昼休みに見た未来が、一瞬だけ思い出された。凛が悠真へ顔を近づける。見たくないと思った未来。
だが今は、それとは少し違う感覚があった。先ほど悠真から言われた一言が、妙に残っている。
邪魔。
その言葉自体なら理解できる。そこにあるものが、別のものを見ることを妨げていたから退ける。それだけのことだ。何もおかしくない。なぜ自分は、まだそこに引っかかっているのだろう。
*
文房具屋で凛が買い物を済ませるまで、ミコトはほとんど喋らなかった。
凛との会話が続いていたため、しばらく気づかなかった。
駅前を離れ、住宅街へ入ったところで凛と別れる。
「じゃあね。また明日。日曜のこと、忘れないでよ」
「分かってる」
「絶対忘れる顔してる」
「どんな顔だよ」
凛は笑って手を振り、別の道へ曲がっていった。
こちらも手を上げて見送る。それから歩き出そうとして、ようやく気づいた。
「……あれ?」
ミコトがいない。しかし振り返ると少し後ろにいた。道の端に立って、こちらを見ている。
「何してんの?」
返事がない。
「ミコト?」
名前を呼んだ、その瞬間ミコトが顔を上げてこちらを見る。数秒遅れて歩き出し、いつものように隣まで来る。
「どうした?」
「……分からぬ」
ミコトはしばらく黙って歩いた。自分も無理に聞かなかった。
「悠真」
「何?」
今度はすぐに返事をした。ミコトがこちらを見る。
「そなたは先ほど、妾を邪魔だと言うたな」
「ごめん」
「何故じゃ」
「凛が見えなかったから」
ミコトは前を向いて、少し間を置いた。
「そなたは、あの女を見る時には、妾を見ぬのじゃな」
ミコトの言葉の意味を考える。
「いや、そりゃ……二人をずっと同時には見られないだろ」
「何故じゃ」
「何故って、目は二つあっても同じ方向向いてるんだから」
「そういう意味ではない」
「じゃあどういう意味だよ」
ミコトは答えなかった。自分でも分からないのだろう。しばらく歩いたあと、今度は別のことを聞く。
「そなたの眼は、そなたのものなのじゃな」
「……当たり前だろ」
妙な質問だった。
思わず笑いそうになったが、ミコトは笑っていなかった。その金色の瞳は、何かを初めて知った時のように静かだった。
「そうか」
ミコトはそれだけ答える。
自分には何がそんなに重要なのか分からない。自分の目が自分のものであるなんて、そんなことは考えるまでもない。
見たいものを見て、見たくないものから目を逸らす。
凛と話していれば凛を見るし、ミコトと話していればミコトを見る。それだけのことだった。
だがミコトにとっては、違ったらしい。これまでは自分が見られているという事実だけを知っていたが、今になって初めて、その視線が決して自分のものではないことを知った。
家へ帰ってからも、ミコトは静かだった。いつもなら鞄を置く頃には冷蔵庫の方を見て、「プリンはあるか」と聞くか、昨日読んでいた漫画の続きを勝手に探し始める。ところが今日は、部屋までついてきたあとも窓際に立ったまま、ほとんど動こうとしなかった。
「漫画、読む?」
「今はよい」
「プリンあるけど」
「……後でよい」
思わず振り返った。
「お前がプリン断るの珍しいな」
「断ってはおらぬ。後で食べると言うておる」
「じゃあ食欲はあるんだな」
「妾に食欲というものはない」
「面倒くさいなあ」
制服を脱ぎながら、ちらりとミコトを見る。
「まださっきの気にしてる?邪魔って言ったこと」
「気にしておらぬ」
即答だった。
「ほんとか?やけに静かだからさ」
「考えておるだけじゃ」
「また自分のこと?」
ミコトは少し間を置いた。
「そうなのかもしれぬ」
「自分のことなのに分からないのかよ」
「分からぬから考えておるのじゃろう」
それは確かにそうだ。もうそれ以上聞かなかった。
まだミコトと出会ってそこまで経っていない。それでも、この少女が何か新しい感情を覚えた時、すぐにそれを理解できるわけではないということくらいは分かってきた。
好き、嫌い、悔しい、腹が立つ。そんな人間なら当たり前に知っているものを、ミコトは一つずつ自分の中から発見している。今回もその一つなのだろう。
そう思って、あまり深く考えなかった。
*
夕食の時間になっても、ミコトは普段より口数が少なかった。両親と話している間、食卓の少し離れた場所に立ってこちらを見ている。時折、こちらと目が合うが、ミコトは何も言わず、ほんの少しだけ視線を細める。
「今日はどうしたの?」
母さんに突然聞かれ、箸を止めた。
「何が?」
「なんかさっきから、そっちばっかり見てない?」
「……気のせい」
「何かいるの?」
視線がミコトへ向き、ミコトもこちらを見る
「いや。何でもないよ」
ミコトは小さく笑った。
「そなたは随分と嘘が下手じゃの」
「誰のせいだよ」
「妾は何もしておらぬ」
小さくため息をついた。
この瞬間だけは、いつものミコトだった。だが、食事が終わるとまた静かになった。
*
風呂を済ませた悠真は、ベッドへ腰を下ろしてスマートフォンを眺めていた。
凛からメッセージが来ている。
『日曜、十三時の回どう?』
その下に映画館の上映時間が送られていた。悠真は予定を確認するが、特に何もない。
『いいよ』
送信すると、数秒もしないうちに既読がついた。
『じゃあ決まり!』
続けて、妙にテンションの高いスタンプが送られてくる。
「何をしておる」
真横から声がして、悠真は少し驚いた。
「近いって」
ミコトが肩越しに画面を覗き込んでいた。
「凛か」
「日曜に会うのか?」
「映画行くだけ」
「二人で?何故じゃ」
「誘われたから」
「断らぬのか」
「なんで断るんだよ」
ミコトは黙った。悠真はそのままスマートフォンを置く。
「また気に入らない?」
「……分からぬ」
「昼からずっとそれじゃん」
「仕方なかろう。分からぬのじゃから」
「凛が嫌いじゃないんだろ?」
「嫌いではない」
「だったら別にいいじゃん」
「何がじゃ」
「俺が凛と映画行っても」
ミコトは答えない。
昼休みに見た未来が脳裏に浮かんだ。悠真と凛が並んで歩き、手を取り、顔を近づける。その先を、自分は見なかった。なぜ見なかったのか、まだ分からない。
「そなたは、その間ずっとあの女を見るのか?」
「いや、映画を見るだろ」
「そういう意味ではない」
「じゃあどういう意味?」
ミコト自身にも説明できなかった。自分でも意味の分からない問いを口にしていることだけは分かる。
「……もうよい」
「なんだよ」
悠真は苦笑し、スマートフォンを充電器につないだ。
「俺、もう寝るぞ」
「早いのう」
「昨日ゲーム付き合わされて寝るの遅かったんだよ」
「そなたが負けぬから悪い」
「勝った俺が悪いの?」
「妾を勝たせれば早く終わった」
「それ勝負じゃないだろ」
いつものような会話だった。悠真はベッドへ潜り込み、照明を消す。
「おやすみ」
「おやすみ、悠真」
悠真が目を閉じると、1時間もしないうちに呼吸がゆっくりと一定になっていく。ミコトはベッドの横に立ったまま、その顔を見ていた。
目が閉じられている。当然だった。人間は眠る時、目を閉じる。これまでにも何度も見ている。初日にこの部屋へ来た夜もそうだった。悠真が眠っている間、ミコトはずっと近くにいた。その時は何とも思わなかった。ただ眠っている、それだけだった。
ところが今夜は。
「……」
ミコトは自分の手を見る。
暗い部屋の中でも、彼女自身にはその輪郭が分かる。指を動かしてみる。五本ある。手の甲、細い手首、白い袖、銀色の髪。いつもと変わらないと、そう思った。
けれど、もう一度悠真を見る。閉じられた瞼。その向こうにある眼は、もう自分を見ていない。すると自分の指先が、ほんの少しだけ曖昧になったように思えた。
「……?」
顔の前まで手を持ち上げる。何も変わっていない。輪郭はある。だが、確かめようとすればするほど、妙な感覚が強くなる。
昨日まではこんなことを考えもしなかった。自分の姿が明確か、自分がここにいるか。そんなことを確認する必要そのものがなかった。
ミコトは手を胸元へ当てる。鼓動はない。呼吸もしない。人間の肉体ではないのだから当然だ。それでも、何かが落ち着かなかった。
「ミコト」
小さく、自分の名前を口にしてみる。
返事はない。当たり前だ。自分で自分を呼んだのだから。
悠真が初めてその名前を口にした時とは違う。あの時、ミコトと呼ばれた瞬間、自分を指し示すものが生まれた。世界の中で、自分だけを意味する音。
今もその名前はあるが。
「……悠真」
今度は彼の名前を呼ぶが、返事はない。もう眠っている。
「悠真」
もう一度呼んでも、それでも起きない。
起こそうと思えば起こせる。肩に触れられるようになった。声を大きくしてもいい。そうすれば悠真は目を開いて、そして自分を見る。そこまで考えたところで、ミコトの手が止まった。
悠真は眠っている。眠りたいから眠っている。
以前、風呂へついていった時に言われたことを思い出す。理由が理解できなくとも、悠真が嫌だと言うなら、それ自体が理由になる。
起こせば、おそらく嫌がる。
「……仕方ないのう」
ミコトはベッドの横へ座った。起こさず、ただ待つ。
待つという行為は、本来ミコトにとって意味が薄かった。人間のように現在だけを進んでいるわけではない。朝が来ることも知っている。悠真が目を覚ますことも、通常ならばただの構造として認識すればよい。
しかし、悠真についてだけは違う。いつ目を覚ますか。目を覚ました時に何をするか。それは完全には見えない。
ミコトは初めて、朝が来ることを待った。
時折、自分の手を見る。髪を見て、衣装を見る。そして悠真を見る。彼の目は閉じたままだ。
胸の奥の落ち着かない感覚は消えなかった。これを何と呼ぶのか。悔しい、ではない。怒りでもない。嫌いでもない。昨日まで知らなかった何か。
ただ一つ分かるのは、悠真が目を開ければ、おそらくこれは消えるということだった。ただその予感だけがあった。
*
カーテンの隙間から朝の光が差し込む。悠真が寝返りを打つと、ミコトが顔を上げた。
「……ん」
悠真の瞼がゆっくり開いた。ぼんやりとした目が天井を見て、それから横へ動く。ミコトを見る。
その瞬間、胸の奥にあったものが、嘘のように弱くなった。
「……」
ミコトは自分の手を見る。昨日と何も変わらない。輪郭があり、ここに自分がいる。
「おはよ」
寝ぼけた声がする。ミコトはすぐには返さなかった。
「何?」
悠真が瞬きをする。
「また何か考えてんの?」
「悠真」
「ん?」
「そなたは今、妾を見ておるか?」
悠真は怪訝そうな顔をした。
「見てるけど」
「そうか」
「見えてるに決まってるだろ。昨日まで見えてたんだから」
ミコトは少しだけ俯く。昨夜から自分の中にあったものを、ゆっくり確かめる。
悠真が凛を見ていると、気に入らなかった。悠真から邪魔だと言われて、妙な感覚がした。悠真が眠り、自分を見なくなると、もっと強くなった。そして今、悠真が自分を見るとそれが消えた。ならば、少なくとも一つだけは言える。
「どうした?」
悠真が聞く。ミコトは顔を上げた。
「妾は」
一度言葉を止める。それから、自分自身に教えるように言った。
「妾は、そなたに見られていたいらしい」
「……何だそれ」
悠真はまだ眠そうな顔のまま笑う。
「今さら? ずっと俺の横にいるじゃん」
「そういう意味ではない」
「じゃあどういう意味だよ」
「まだ分からぬ」
「またそれか」
ミコトは悠真を見る。
「見られておる方が、よい」
悠真は数秒だけミコトを見つめた。だが、その言葉に込められた意味を深く考えた様子はない。
「まあ、見えなくなったら俺も困るけどな」
「そなたも?」
「そりゃそうだろ。急に消えたら気になる」
「何故じゃ」
「何故って……」
悠真は欠伸をしながら身体を起こした。
「せっかく名前まで付けたし」
ミコトが動きを止める。
「それに、プリン勝手に食う奴がいなくなると余るし」
「そちらが本音か?」
「半分くらい」
「ならば残り半分は?」
「朝から面倒くさいな、お前」
悠真はそう言ってベッドから降りる。着替えを用意しながら、いつもの朝を始めていく。
ミコトはその姿を眺めていた。
やがて悠真が振り返る。
「何?」
「何でもない」
「今日も学校来る?」
「当然じゃ」
悠真は再び視線を外す。それだけなら、もう昨夜ほどの感覚は生まれなかった。今は知っている。また呼べば、悠真は自分を見る。
けれど同時に、別のことも知ってしまった。
悠真の眼は悠真のものだ。ミコトを見ることもできるし、見ないこともできる。そして凛を見ることも。
ミコトはその事実を考えながら、金色の瞳をわずかに細めた。悠真には気づかれないほどの、小さな変化だった。
自分は、悠真に見られていたい。ならば、悠真が自分以外を見る時、この胸の奥に生まれるものは何なのか。まだ、その答えは分からない。
ミコトはその答えを知りたいと思っていた。同時に、ほんのわずかに、それを知るのが怖いとも思っていた。