『やはり俺の青春ラブコメは、性別が違っていてもまちがっている。』 作:ケーケーケー
『やはり俺の青春ラブコメは、性別が違っていてもまちがっている。』
第一話 それでも比企谷八幡は、ひとりでいる。
青春とは嘘であり、悪である。
青春を謳歌する者たちは、常に自分と周囲を欺いている。
恋愛も友情も部活動も、彼らにとっては青春という名の免罪符だ。失敗すれば「若さゆえの過ち」と笑い、成功すれば「一生の思い出」として美化する。
たとえば、文化祭の準備で夜まで学校に残れば青春。
しかし、友達がいないため誰にも仕事を振られず、ひとりで教室に残っていた場合、それは青春とは呼ばれない。ただの居残りである。
結局、彼らの言う青春とは、選ばれた人間だけに許されたごっこ遊びにすぎない。
ゆえに結論を述べよう。
青春を楽しむ愚か者ども――砕け散れ。
*
「……比企谷」
国語教師の平塚静は、机の上に置かれた作文からゆっくりと顔を上げた。
その目には、怒りよりも深い疲労が浮かんでいる。
対する比企谷八幡は、椅子に腰掛けたまま視線を逸らした。
肩にかかる黒い髪。小柄で華奢な身体。制服の袖から覗く手首は細く、放っておけば中学生どころか小学校高学年に間違われかねない。大きな瞳と丸みの残る頬も、その印象をさらに強めている。
黙っていれば、庇護欲を刺激する幼い美少女。
口を開けば、すべてが台無し。
それが総武高校二年、比企谷八幡だった。
「なんですか。ちゃんと題目どおり、高校生活を振り返って書いたじゃないですか」
「君は高校生活を振り返る前に、自分の人生を振り返ったほうがいい」
「十六年分しかないんで、すぐ終わりますけど」
「そういう問題ではない」
平塚は作文用紙を指先で叩いた。
「なぜ『青春を振り返って』という課題から、『青春を楽しむ人間は全員滅びろ』という結論になる?」
「論理的な帰結です」
「どこがだ」
「少なくとも、文章の最初と最後はつながっています」
「思想が一貫していれば何を書いてもいいわけではない!」
平塚の声が教室に響く。
八幡はわずかに肩を震わせたが、すぐに無表情へ戻った。
教師と二人きりの放課後。逃げ道はない。
これが男子なら反抗的な生徒として拳骨の一つでも落とされていたかもしれない。しかし、目の前にいるのは自分の半分ほどの体積しかないように見える、小動物めいた女子生徒だ。
平塚は振り上げかけた拳を止め、深いため息をついた。
「……君、その顔でその性格なのは反則だろう」
「顔と性格の相関関係を勝手に作らないでください。見た目がいい人間は性格までいいはずだ、という偏見は危険ですよ」
「自分で見た目がいいと言うのか」
「客観的事実です。残念ながら」
八幡は自分の容姿を正しく把握していた。
小学生の頃から、知らない大人に「お人形さんみたい」と言われた。中学に入ってからは、男子に告白されたことも何度かある。
ただし、そのすべてが八幡の性格を知る前だった。
一週間も会話すれば相手は離れていく。八幡はそこから、人間は外見で他人を判断し、都合のよい人格を勝手に想像する生き物だと学んだ。
実に有意義な中学生活である。
「まあいい。君には罰として、奉仕活動をしてもらう」
「嫌です」
「即答するな」
「無償労働は法律で禁じられているのでは?」
「教育的指導だ。ついてきなさい」
拒否権はなかった。
*
平塚に連れられてたどり着いたのは、特別棟の一室だった。
表札はない。物音もほとんど聞こえない。
平塚が扉を開けると、西日の差し込む教室に一人の少女がいた。
窓際の席で本を読んでいた少女は、扉の音に気づいて顔を上げる。
長く艶やかな黒髪。整った顔立ち。細身でありながら、凜と伸びた背筋。そこに座っているだけで、一枚の絵として完成していた。
雪ノ下雪乃。
入学以来、学年首席を維持し続けている有名人だ。その美貌も相まって、八幡でさえ名前を知っていた。
「平塚先生。入室する前にはノックをしていただきたいのですが」
「悪かった。今日は新しい部員を連れてきた」
「部員?」
雪乃の視線が八幡に向く。
足元から頭の先まで、観察するようにゆっくりと動いた。
八幡は無意識に半歩だけ平塚の後ろへ下がった。
人に見られるのは苦手だ。
とりわけ、雪乃のように容姿も成績も隙のない人間から向けられる視線は、昔からの劣等感を刺激する。
どうせ、場違いな人間が来たと思っているのだろう。
八幡がそう考えていると、雪乃は本を閉じ、静かに立ち上がった。
そして八幡の前まで歩み寄ると、その顔をじっと見つめた。
「……小さいわね」
「第一声がそれか」
「中学生?」
「高校二年だよ。同学年だ」
「そう」
雪乃は一度だけ瞬きをした。
次の瞬間、八幡の頭に手が置かれた。
「なにしてんの?」
「確認よ」
「何を確認するのに頭を撫でる必要があるんだよ」
「逃げないかどうか」
「野生動物扱いするな」
八幡が手を払いのけようとすると、雪乃はするりと避けた。しかし完全に手を引くことはなく、今度は八幡の頬に触れる。
「柔らかいわ」
「おい」
「先生。この子をどこで拾ってきたのですか?」
「拾ってない。あと、比企谷は子猫でも迷子でもない」
「比企谷というのね」
雪乃は改めて八幡を見下ろした。
身長差のせいで、八幡は完全に幼い妹を見るような目を向けられている。
「比企谷八幡。変わった名前ね」
「そっちも大概だろ。雪ノ下雪乃」
「あら。私のことを知っているの?」
「有名人だからな。学年首席、容姿端麗、そのうえ近寄りがたい。教室じゃ孤高の女王とか呼ばれてる」
「最後の情報は不要よ」
「どうせ本人の耳には入らないところでしか言われてないから安心しろ」
「あなた、見た目に似合わず口が悪いのね」
「よく言われる」
雪乃は八幡の頬から手を離した。
だが、その顔には不快感ではなく、わずかな興味が浮かんでいる。
平塚は二人を見比べると、満足そうにうなずいた。
「雪ノ下。この比企谷には重大な問題がある」
「見ればわかります」
「まだ何も説明してないんだが」
「目が濁っています。それに、先ほどから教師を盾にしているわ」
「してない。たまたま先生が前に立ってるだけだ」
八幡は横へ移動した。
すると雪乃も一歩近づいてくる。
八幡は反射的に一歩下がる。
雪乃が近づく。
八幡が下がる。
「……なぜついてくる?」
「観察しているのよ」
「だから野生動物じゃない」
「警戒心が強いところは野良猫に似ているわね」
「こいつ、思ったより失礼だな」
平塚が咳払いをした。
「ここは奉仕部だ。悩みを抱えている生徒を助け、正しい方向へ導く。この部活を通して、比企谷には歪んだ性格を矯正してもらう」
「本人の同意は?」
「ない」
「でしょうね」
雪乃は八幡を見つめる。
八幡も負けじと見返した。
二人の間に、しばし沈黙が流れる。
先に口を開いたのは雪乃だった。
「わかりました。引き受けます」
「おい、勝手に決めるな」
「あなたには更生が必要よ」
「更生って犯罪者に使う言葉じゃないの?」
「安心して。たとえ人格が犯罪的でも、私はあなたを見捨てないわ」
「その言い方、まったく安心できないんですけど」
「まずは挨拶から始めましょうか。私の名前は雪ノ下雪乃。よろしくね、八幡ちゃん」
「ちゃん付けするな!」
八幡が声を上げると、雪乃はわずかに目を細めた。
笑ったのかもしれない。
「では、八幡」
「いきなり名前で呼ぶな。比企谷でいい」
「嫌よ。かわいくないもの」
「名前にかわいさを求めるな」
「あなたの外見には、八幡ちゃんのほうが合っているわ」
「合わなくていい。というか、撫でるな」
再び伸びてきた手を、八幡は両手で押さえた。
しかし雪乃は、その小さな手を見下ろすと、なぜか満足そうにうなずく。
「手も小さいのね」
「うるさい」
「制服の袖も少し余っているわ」
「成長期なんだよ。これから伸びる予定だ」
「高校二年生なのに?」
「可能性を否定するな」
「そうね。ごめんなさい」
素直に謝った雪乃は、八幡の乱れた前髪を指先で整えた。
あまりに自然な動作だったため、八幡は反応が遅れた。
「……お前、人との距離が近くないか?」
「むしろ普段は遠いほうよ」
「じゃあ、なんで私には近いんだ」
雪乃は少し考え込むように八幡を見た。
「放っておくと、どこかへ行ってしまいそうだからかしら」
「行かないよ。というか、帰りたい」
「それをどこかへ行くと言うのよ」
雪乃は八幡の肩を押し、空いている椅子へ座らせた。それから自分の鞄を開け、小さな包みを取り出す。
「何、それ」
「クッキーよ。いただき物だけれど、私は甘いものをあまり食べないから」
「餌付けしようとしてない?」
「被害妄想ね。空腹では性格がさらに悪化するかもしれないと思っただけよ」
「すでに最底辺みたいな扱いだな……」
そう言いながらも、八幡は差し出されたクッキーを受け取った。
昼食を小さなパン一つで済ませていたため、空腹だったのは事実だ。
一口かじる。
甘い。
「……おいしい」
小さく呟いた途端、雪乃の表情がわずかに和らいだ。
「そう。まだあるわよ」
「いらない。子供じゃないんだから」
「遠慮しなくていいのよ」
「遠慮じゃない」
「では、口を開けなさい」
「自分で食べられる!」
雪乃が差し出した二枚目のクッキーから逃れるため、八幡は椅子ごと後ろへ下がった。
平塚はその光景をしばらく眺めたあと、口元を引きつらせた。
「雪ノ下。私は比企谷の性格を矯正してほしいのであって、甘やかしてほしいわけではないぞ」
「甘やかしてなどいません。保護しているだけです」
「保護するな!」
八幡の抗議が教室に響く。
雪乃はどこ吹く風といった様子で、八幡の隣に椅子を置いた。
近い。
近すぎる。
「では八幡。最初の活動を始めましょう」
「何をするんだよ」
「まず、あなたがまともに人と会話できるようになるまで、私が話し相手になります」
「余計なお世話だ。会話くらいできる」
「そう。では友達は何人いるの?」
「…………」
「答えられないのね」
「ゼロという数字は、インド人が発見した偉大な概念だぞ」
「あなたの交友関係とは無関係よ」
雪乃は容赦がなかった。
しかしその言葉とは裏腹に、八幡を見る目はどこか優しい。
哀れんでいるのとも違う。
雪乃は本当に、八幡を放っておけないらしい。
「仕方がないわね」
雪乃は小さく息をつき、八幡の頭をそっと撫でた。
「今日から私が一人目になってあげるわ」
八幡は目を見開いた。
友達。
そんな言葉を正面から向けられたのは、いつ以来だろう。
だが素直に受け取れば、あとで傷つく。
人間関係とは、期待したほうが負けるゲームなのだ。
「……そういう上から目線の友達はいらない」
「あら。まだ友達だとは言っていないわよ。候補になってあげると言ったの」
「言い直した! 今、明らかに言い直したよな!」
「元気が出たようで何よりだわ」
雪乃は澄ました顔で本を開く。
ただし、空いた片手は八幡の頭に置かれたままだった。
振り払おうかと思った。
けれど、その手のひらは思いのほか温かい。
だから八幡は、仕方なくそのままにしておいた。
これは決して嬉しいからではない。
抵抗するのが面倒だっただけだ。
少なくとも、そのときの比企谷八幡はそういうことにした。
こうして私と雪ノ下雪乃は出会った。
この出会いが正しかったのか、それともやはり間違っていたのか。
答えはまだ、誰にもわからない。