『やはり俺の青春ラブコメは、性別が違っていてもまちがっている。』   作:ケーケーケー

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第二話 そして由比ヶ浜結衣は、二人の関係を誤解する。

 

 人間関係において、第一印象は重要だ。

 

 初頭効果という心理学用語があるように、人は最初に得た情報を基準として、その後の評価を組み立てる。

 

 つまり、最初に「変な奴」だと思われれば、何をしても変な奴として解釈される。

 

 逆に「かわいい女の子」だと思われた場合、多少無愛想でも「人見知りでかわいい」、口が悪くても「強がっていてかわいい」、一人でいても「儚げでかわいい」と都合よく変換される。

 

 そんなわけがあるか。

 

 ぼっちはぼっちだ。そこに美醜は関係ない。

 

 少なくとも、私はそう思っていた。

 

     *

 

「八幡。こちらへ来なさい」

 

「嫌だ」

 

 奉仕部に入れられてから数日。

 

 放課後になるたび、私は平塚先生によって特別棟へ送り込まれていた。

 

 最初こそ入口に近い席へ座っていたが、雪ノ下はそれが気に入らなかったらしい。今日は自分の隣の椅子を引き、そこを軽く叩いている。

 

「なぜ?」

 

「近いから」

 

「会話をするには適切な距離よ」

 

「会話する予定はない」

 

「同じ部活動に所属しているのだから、最低限の意思疎通は必要でしょう」

 

「だったら、この距離で十分だろ」

 

 私と雪ノ下の間には、机二つ分ほどの空間がある。

 

 声は問題なく届く。むしろ余計な圧迫感がなく、非常に快適だ。

 

「遠いわ」

 

「お前は私の保護者か」

 

「保護者なら、もっと強く言えるのだけれど」

 

「残念だったな。赤の他人だ」

 

「同じ部活に所属する仲間よ」

 

「強制入部だけどな」

 

 私が鞄から文庫本を取り出すと、雪ノ下は小さく息をついた。

 

 諦めたかと思った次の瞬間、雪ノ下は自分の椅子を持ち上げた。

 

 そして私の隣まで運んでくると、何事もなかったように腰を下ろす。

 

「お前が来るのかよ……」

 

「これで解決ね」

 

「何も解決してない」

 

 肩が触れそうなほど近い。

 

 私が少し横へずれると、雪ノ下も同じだけ移動した。

 

「ついてくるな」

 

「逃げるからでしょう」

 

「だから、なんで近づくんだよ」

 

「あなたは目を離すと帰りそうだもの」

 

「正解だ。今すぐ帰りたい」

 

「ならば、なおさら離れるわけにはいかないわね」

 

 雪ノ下はそう言いながら、私の頭へ手を伸ばした。

 

 すぐにその手首をつかむ。

 

「何をしようとした?」

 

「前髪を整えようとしただけよ」

 

「自分でできる」

 

「できていないから言っているのだけれど」

 

 雪ノ下は空いている手で私の前髪に触れた。

 

 今朝、時間がなかったせいで少し跳ねていたらしい。指先で髪を梳き、目にかかった部分を横へ流していく。

 

「じっとしていなさい」

 

「私は着せ替え人形じゃない」

 

「そのわりには、随分と着せ替え甲斐がありそうね」

 

「不穏な発言はやめろ」

 

 前髪を整え終えると、雪ノ下は満足そうにうなずいた。

 

「これでいいわ」

 

「何が違うんだよ」

 

「かわいらしくなったでしょう?」

 

「元から変わってない」

 

「自分がかわいいことは否定しないのね」

 

「客観的事実を否定するのは知性に対する侮辱だ」

 

「あなたの場合、その性格がすべてを台無しにしているわ」

 

「余計なお世話だ」

 

 私が本を開こうとしたとき、部室の扉が叩かれた。

 

 雪ノ下は椅子ごと少し離れる。

 

 その動きが妙に素早かった。

 

「どうぞ」

 

「し、失礼しまーす……」

 

 遠慮がちに扉を開けたのは、茶色がかった髪を緩くまとめた女子生徒だった。

 

 短めに着崩した制服。胸元を飾るネックレス。明るく人懐っこそうな顔立ち。

 

 いかにもクラスの中心的集団に所属していそうな雰囲気である。

 

 敵だ。

 

 私の脳内で警報が鳴った。

 

 ああいう人種は、ぼっちとは生息圏が異なる。野生の熊と深海魚くらい違う。下手に接触すれば、どちらかが環境に適応できず死ぬ。

 

 もちろん、死ぬのはこちらだ。

 

「平塚先生に、ここへ来るように言われたんだけど……」

 

「依頼人かしら。座ってちょうだい」

 

 雪ノ下が向かいの椅子を示す。

 

 女子生徒は椅子に座ろうとしたが、私に気づいて動きを止めた。

 

「あれ? 同じクラスの……」

 

「……どうも」

 

 私は視線を本へ落とした。

 

 名前は、たしか由比ヶ浜結衣。

 

 クラス内の上位グループに属し、三浦優美子たちと行動している姿をよく見かける。

 

 当然、話したことはない。

 

 向こうが私を認識していたことのほうが意外だった。

 

「えっと、比企谷さん……だよね?」

 

「そうだけど」

 

「やっぱり! 髪下ろしてると雰囲気違うね。教室だと、いつも顔隠れてるから」

 

「別に隠してない。勝手に隠れるんだ」

 

「そ、そうなんだ……」

 

 会話が途切れた。

 

 これだから陽キャとの会話は嫌なんだ。

 

 質問されたから正確に答えたのに、なぜ相手が困った顔をするのか。模範解答が存在するなら、先に問題用紙へ記載しておいてほしい。

 

 由比ヶ浜は助けを求めるように雪ノ下を見た。

 

 だが、その前に私たちの椅子の位置へ目が留まる。

 

「あれ? 二人って仲いいの?」

 

「違う」

 

「ええ」

 

 私と雪ノ下の答えが同時に重なった。

 

 正反対の返答に、由比ヶ浜が目を丸くする。

 

「え、どっち?」

 

「違う。こいつが一方的に距離を詰めてくるだけだ」

 

「八幡が素直ではないだけよ」

 

「下の名前で呼んでる!?」

 

 由比ヶ浜が勢いよく立ち上がった。

 

「しかも、今すごく近かったよね!? 髪も触ってたし!」

 

「前髪が乱れていたから整えてあげただけよ」

 

「それを普通は仲がいいって言うんじゃないの!?」

 

「誤解だ。私は被害者だぞ」

 

「被害者とは失礼ね」

 

 雪ノ下の手が、私の頬を軽くつまんだ。

 

「いひゃい」

 

「被害者なら、このように簡単に触らせないはずよ」

 

「急だったから反応できなかっただけだ。離せ」

 

 手首をつかんで引き離す。

 

 由比ヶ浜はそんな私たちを交互に見たあと、なぜか頬を緩めた。

 

「なんか、姉妹みたい」

 

「誰が姉だ」

 

「私でしょう」

 

「即答するな」

 

「背丈から考えても妥当ではないかしら」

 

「人間関係は身長で決まるものじゃない」

 

「でも比企谷さん、小さくてかわいいもんね」

 

 思わぬ方向から援護射撃が飛んできた。

 

 いや、これは援護ではない。完全な流れ弾だ。

 

「由比ヶ浜さんもそう思うでしょう?」

 

「うん。教室でも、けっこう言われてるよ? いつも一人で窓の外を見てるから、ちっちゃい猫みたいって」

 

「初耳なんだけど」

 

 というか、私は教室でそんなふうに見られていたのか。

 

 てっきり背景と同化し、クラスメイトの視界には映っていないものだと思っていた。

 

「この子を猫にたとえるとは、なかなか見る目があるわね」

 

「誰目線だよ」

 

「飼い主?」

 

「お前に飼われた覚えはない!」

 

 私が抗議すると、由比ヶ浜が吹き出した。

 

「あははっ! 比企谷さんって、意外と面白いんだね」

 

「笑われるようなことは言ってない」

 

「ご、ごめん。でも、教室だと全然しゃべらないから。もっとおとなしい子だと思ってた」

 

「八幡はおとなしくなどないわ。反抗的で、ひねくれていて、口を開けば屁理屈ばかりよ」

 

「お前、私を褒める気が一切ないな」

 

「ただし、見た目だけなら非常に愛らしいわ」

 

「付け足せばいいってものでもない」

 

 由比ヶ浜は再び笑った。

 

 自分が笑われているというのに、不思議と不快ではなかった。

 

 侮辱されている感じがしないからだろうか。

 

 雪ノ下は由比ヶ浜が落ち着くのを待ってから、姿勢を正した。

 

「それで、依頼の内容を聞かせてもらえるかしら」

 

「あ、うん」

 

 由比ヶ浜は鞄の中から、小さな包みを取り出した。

 

 中には黒く焦げた何かが入っている。

 

 一見すると炭。

 

 あるいは、発掘された古代文明の遺物だろうか。

 

「……それは?」

 

「クッキー、なんだけど」

 

「過去形で言うべきではないかしら」

 

 雪ノ下が無慈悲に告げた。

 

 由比ヶ浜の肩が落ちる。

 

「やっぱ、そんなにひどい?」

 

「食べ物に対してひどいという表現を使うこと自体、抵抗があるわね」

 

「遠回しにもっとひどいこと言ってるぞ」

 

 私は包みの中を覗き込んだ。

 

 表面は完全に焦げている。形も不揃いで、いくつかは互いに融合していた。

 

「何をどうしたらこうなるんだ」

 

「レシピどおり作ったんだけど……」

 

「レシピに『高温で焼却してください』とでも書かれていたの?」

 

「ゆきのん、きついよ!」

 

「ゆきのん?」

 

 突然生まれた呼び名に、雪ノ下が眉を寄せる。

 

「雪ノ下さんだから、ゆきのん」

 

「許可した覚えはないのだけれど」

 

「だ、駄目かな?」

 

「駄目よ」

 

「そっか……」

 

 由比ヶ浜が見るからに落ち込む。

 

 大型犬が耳と尻尾を垂らしたようだった。

 

 雪ノ下は何か言いたげに口を開き、しばらく迷ったあと、小さく息をついた。

 

「……好きにしなさい」

 

「ほんと? ありがとう、ゆきのん!」

 

 由比ヶ浜の表情が一瞬で明るくなる。

 

 雪ノ下は眩しそうに目を細めた。

 

 こいつ、押しに弱いな。

 

「それで、依頼はクッキー作りを教えてほしい、ということかしら」

 

「うん。人にあげたいんだ」

 

「男子?」

 

「えっ!? な、なんでわかったの!?」

 

「その反応を見れば誰にでもわかるわ」

 

 由比ヶ浜は顔を赤くし、両手を振った。

 

「べ、別にそんなんじゃないっていうか! ただのお礼だし!」

 

「何に対するお礼なの?」

 

「それは……ちょっと」

 

 由比ヶ浜の視線が一瞬、私へ向いた。

 

 しかし、すぐに逸らされる。

 

 何だ?

 

 気にはなったが、わざわざ追及するほどでもない。

 

 私は焦げたクッキーを一つ摘み上げた。

 

「八幡、待ちなさい」

 

 雪ノ下の制止より早く、端を少しかじる。

 

 硬い。

 

 苦い。

 

 そして、甘い。

 

 人間の味覚が混乱する情報量だった。

 

「比企谷さん!?」

 

「……食べられなくはない」

 

「無理をしなくていいのよ」

 

「無理はしてない。味はひどいけど、毒じゃない」

 

「ひどいって言った!」

 

「事実を正確に伝えただけだ」

 

 私が残りを食べようとすると、雪ノ下が手首をつかんだ。

 

「もう十分よ。こちらへ渡しなさい」

 

「まだ残ってる」

 

「あなたは落ちているものでも拾って食べるの?」

 

「由比ヶ浜が作ったものを地面の物体と同列に扱うなよ」

 

「八幡のお腹に何かあってからでは遅いでしょう」

 

「そこまで心配する必要ないだろ」

 

「必要があるわ」

 

 雪ノ下は私からクッキーを取り上げると、ハンカチで口元についた欠片を拭った。

 

「自分でできる」

 

「じっとしていなさい」

 

「さっきも聞いたぞ、それ」

 

「あなたがじっとしないから何度も言うことになるのよ」

 

 由比ヶ浜は目の前の光景を呆然と見ていた。

 

 やがて、小さく呟く。

 

「やっぱり姉妹っていうより……お母さんと子供みたい」

 

「誰が子供だ!」

 

「その反応がもう子供っぽいんだけど……」

 

 由比ヶ浜が苦笑する。

 

 雪ノ下は私の口元を拭き終えると、ハンカチを丁寧に畳んだ。

 

「調理実習室を借りましょう。実際に作ったほうが早いわ」

 

「ゆきのん、料理できるの?」

 

「基本的なものなら」

 

「すごい! 比企谷さんもできる?」

 

「人並みには」

 

「八幡は参加させないわ」

 

「なんでだよ」

 

「あなたが火傷をしたら困るもの」

 

「私を何歳だと思ってる?」

 

「見た目だけなら十二歳ほどかしら」

 

「高校生だっつってんだろ!」

 

     *

 

 調理実習室へ移動すると、雪ノ下が由比ヶ浜に手順を説明し始めた。

 

「最初に材料を正確に量りなさい。菓子作りは感覚で済ませてはいけないわ」

 

「このくらい?」

 

「多すぎるわ」

 

「じゃあ、こんくらい?」

 

「減らしすぎよ」

 

「難しい……」

 

「計量器に表示される数字を読むだけなのだけれど」

 

 雪ノ下の指導は正確だった。

 

 正確すぎて、由比ヶ浜の感覚的な作り方とは致命的に噛み合っていない。

 

 私は少し離れた席で、その様子を眺めていた。

 

 参加しようとすれば、雪ノ下に「座っていなさい」と止められる。

 

 完全に見学者である。

 

「次に、バターと砂糖を混ぜるの」

 

「こう?」

 

「もっと丁寧に」

 

「う、腕が疲れてきた……」

 

「代わりましょうか?」

 

「大丈夫! あたしが作らなきゃ意味ないから」

 

 由比ヶ浜は懸命に泡立て器を動かした。

 

 手際は悪い。

 

 だが、真剣ではある。

 

「……努力は認めるけど、これだと日が暮れるな」

 

 私は椅子から立ち上がり、由比ヶ浜の隣へ向かった。

 

「ちょっと貸して」

 

「え?」

 

「ボウルを押さえる。お前は混ぜるほうに集中しろ」

 

「あ、うん。ありがと」

 

 私がボウルを固定すると、由比ヶ浜は先ほどより安定して泡立て器を動かせるようになった。

 

「力を入れすぎ。腕全体じゃなくて、手首を使え」

 

「こんな感じ?」

 

「そう」

 

「比企谷さん、教えるの上手だね」

 

「小町とたまに作るからな」

 

「小町?」

 

「妹」

 

「妹がいるんだ!」

 

「一人だけな。私と違って愛想がいい」

 

「比企谷さんも、もっと笑えばかわいいと思うけど」

 

「やめろ。そういう根拠のない褒め方は反応に困る」

 

「根拠なくないよ。本当にかわいいし」

 

「八幡を口説くのは依頼が終わってからにしてもらえるかしら」

 

 背後から雪ノ下の冷たい声が飛んできた。

 

「く、口説いてないよ!?」

 

「冗談よ」

 

「ゆきのん、顔が全然冗談じゃないんだけど……」

 

 雪ノ下は私と由比ヶ浜の間へ入ると、ボウルを引き寄せた。

 

「ここからは私が押さえるわ」

 

「私がやっても同じだろ」

 

「あなたには別の仕事を任せる」

 

「何?」

 

「座って待つことよ」

 

「それは仕事じゃない」

 

「では、完成するまで本でも読んでいなさい」

 

 そう言って、雪ノ下はエプロンのポケットから小さな包みを取り出した。

 

 中には市販のキャンディーが入っている。

 

「……なんで持ってるんだよ」

 

「あなたが空腹になるかもしれないと思って」

 

「完全に子供扱いじゃねえか」

 

「いらないの?」

 

「……もらう」

 

 断る理由もないので受け取った。

 

 由比ヶ浜はまた妙に微笑ましそうな顔をしている。

 

「ゆきのん、比企谷さんのこと、すっごくかわいがってるね」

 

「放っておけないだけよ」

 

「同じ意味じゃない?」

 

「違うわ」

 

「じゃあ、あたしが比企谷さんの面倒見てもいい?」

 

「必要ないわ」

 

 雪ノ下は即答した。

 

 本人の意思は尋ねられていない。

 

「八幡には私がいるもの」

 

 その言葉に、由比ヶ浜が目を丸くする。

 

 言った本人も、自分の発言に気づいたらしい。雪ノ下はわずかに頬を染めて顔を背けた。

 

「……奉仕部員として、という意味よ」

 

「はいはい」

 

「何よ、その返事は」

 

「別にー?」

 

 由比ヶ浜は楽しそうに笑いながら、生地を天板へ並べていく。

 

 やがて焼き上がったクッキーは、形こそ不揃いだったが、先ほどの炭より遥かにましだった。

 

 由比ヶ浜は一枚を手に取り、私たちの前へ差し出す。

 

「食べてみて」

 

 雪ノ下が先に一口かじった。

 

「最初よりは改善しているわ。ただし、生地の厚さが均一ではないから焼きむらがある。それに――」

 

「食べられる」

 

 私も一枚口に入れて、そう告げた。

 

「ほんと?」

 

「ああ。普通のクッキーだ」

 

「普通……」

 

 由比ヶ浜の表情が少し曇る。

 

 私は言葉を続けた。

 

「でも、最初のよりは百倍うまい。これなら、もらった相手も食べてくれるだろ」

 

「……そっか」

 

 由比ヶ浜は自分でも一枚食べた。

 

 そして、嬉しそうに笑う。

 

「うん。あたしも、そう思う」

 

 彼女が誰に渡すつもりなのかは知らない。

 

 だが、最初から料理のできる人間が作った完璧なクッキーより、不器用な人間が何度も失敗しながら作ったもののほうが、価値を持つこともあるのかもしれない。

 

 もっとも、それを相手が理解する保証はない。

 

 努力が必ず報われるなどというのは、努力を無駄にしなかった成功者だけが口にできる言葉だ。

 

 それでも由比ヶ浜は、渡すことを諦めなかった。

 

 その姿勢だけは、少しくらい評価してもいい。

 

     *

 

 片づけを終え、由比ヶ浜は完成したクッキーを袋へ入れた。

 

「二人とも、今日はありがと」

 

「礼には及ばないわ。これが奉仕部の活動だから」

 

「でも、また来てもいい?」

 

 由比ヶ浜の問いに、雪ノ下が答える。

 

「依頼があるのなら」

 

「依頼がなくても来たいんだけど」

 

「それは……」

 

 雪ノ下がわずかに言葉を詰まらせる。

 

 由比ヶ浜は私へ視線を向けた。

 

「比企谷さんとも、もっと話してみたいし」

 

「私と話しても面白いことはないぞ」

 

「そんなことないよ。今日、楽しかったし」

 

「それは雪ノ下との会話が面白かったんだろ」

 

「ううん。二人と一緒だったから楽しかった」

 

 真正面からそんなことを言われると、どう返していいかわからない。

 

 私は視線を逸らした。

 

「……好きにすれば」

 

「うん。そうする!」

 

 由比ヶ浜は笑顔でうなずいた。

 

 調理実習室を出る直前、彼女は振り返る。

 

「じゃあね、ゆきのん。ヒッキー」

 

 扉が閉まった。

 

 沈黙。

 

「……今、何て呼ばれた?」

 

「ヒッキー、と聞こえたわ」

 

「私の名前から一文字も合ってないんだけど」

 

「比企谷の『ひき』から取ったのでしょう」

 

「そこを取るなら『ヒキタニ』でいいだろ」

 

「それではかわいくないもの」

 

「お前まで由比ヶ浜側につくな」

 

 私がため息をつくと、雪ノ下がこちらへ近づいてきた。

 

 そして当然のように、私の頭へ手を置く。

 

「今日はよくできたわね」

 

「何が?」

 

「由比ヶ浜さんと会話ができていたでしょう」

 

「幼児の成長を喜ぶ母親みたいに言うな」

 

「実際、大きな進歩よ。あなたにも友達ができる可能性が見えてきたわ」

 

「友達じゃない。ただのクラスメイトだ」

 

「そうやって予防線を張るのは、傷つくのが怖いから?」

 

 図星だった。

 

 だから私は雪ノ下の手を振り払おうとした。

 

 だが、その手は思いのほか優しく、強く拒むことができなかった。

 

「……うるさい」

 

「そう」

 

 雪ノ下はそれ以上、追及しなかった。

 

 ただ私の髪を撫で、少しだけ笑う。

 

「それでも今日は、よく頑張ったわ。八幡」

 

「だから、子供扱いするな」

 

「ご褒美にクッキーを一枚あげましょうか?」

 

「由比ヶ浜のじゃなくて、お前が作ったやつなら」

 

「あら。私のお菓子が食べたいの?」

 

「比較対象として必要なだけだ」

 

「では、明日作ってきてあげるわ」

 

「別に、そこまでしなくても――」

 

「何がいいかしら。クッキー、マドレーヌ、フィナンシェ……八幡なら小さくて食べやすいもののほうが――」

 

「人の話を聞けよ」

 

 こうして、奉仕部に初めての依頼人が訪れた。

 

 由比ヶ浜結衣。

 

 雪ノ下とは正反対で、私ともまるで違う。

 

 おそらく、今までなら関わることのなかった人間だ。

 

 けれど翌日から彼女は、本当に奉仕部へ顔を出すようになった。

 

 そして雪ノ下雪乃は、宣言どおり手作りのクッキーを持ってきた。

 

 なぜか、すべて猫の形をしていた。

 

 当然、私は抗議した。

 

 全部食べたけど。

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